触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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すべきことが山積、少し、交通整理のための記述

<原発・環境・エネルギー問題>           2012.3.25
 
すべきことが山積、少し、交通整理のための記述になります。

 3月初めから栗原市への要望書(第4次)の作成の準備や打ち合わせ、そして作成。3月13日当日の対策と実施。その後の報告など、すべきことが山積していました。それらを何とかクリアしても、14日のJAの学習会、20日の仙台でのSTOP!女川原発の集会参加、21日からの旧町村の10地区で除染協議会に、高濃度の栗駒(21日)中濃度の築館(22日)と出ました。地区で除染協議会には各役員が手分けして出ているわけですがそれへの対策・資料なども必要でした。27日には私は最後の花山も行きます。それで発足・第1回目が一応終わります。そして、その日の夜が役員会です。そこで集約とその後の対策を相談します。29日がパブリックコメントの締め切り、その日の午後には例の石井慶造氏の講演会&相談会が若柳であります。

その後とは、「栗原市除染計画(案)」やそれを実行していく地区での除染協議会にどう対処していくか、文部科学省の放射線教育の副読本の問題と市民への教養・広報対策について、女川原発再稼働に反対する取り組み、などがあります。これらのためにも、放射能から子どもを守る栗原連絡会(準備会)の正式発足を急がねばなりません。

 このようにしてきたこと、すべきことを列挙してみると自分でもいかに大変のことをしているのか、自覚せざるを得ません。自分の能力と体力からどうなのか?オーバーワークになってないか?でも、ここ、栗原の特徴(良いところ)は、これらを、私1人でない、仲間・集団で進めていることにあります。強力なジジ友とババ友、それにパパ友もいますし、ようやく近頃はママ友が出現しはじめ、接触もできつつあります。県内・外のネットワークもできてきています。

 こうした中での私の役割は、やはり「触媒」なのです。いろいろな情報や動きを分析し、交通整理し、提案もまとめ、仲間・集団に提示します。それをみんなで相談し、検討します。みんなで行動を決め、分担し実行します。今回のこの原発・放射能問題の主人公は、もちろん、市民、住民自身です。それでもその中の特に「子ども・妊産婦・若い人達を大切にしたい。」と思っています。そのために、小さな違いがあっても、ほとんどすべての人との合意形成をしていきたいと思っています。

演劇や映画の制作のように、中心になって働きかける(動く)役者さんたち、現場の監督さん、まわりのプロデューサー(事務局)、資金係(会計)、渉外担当、地区行政担当、などいろいろ揃ってきています。だから私は、脚本(シナリオ)を描くのです。それとせいぜい少しだけ演出も担当します。でも言わせてもらえば、このシナリオを描くというのが結構、大変なのです。文章を書くのは嫌いではなのですが、なかなか進まないことが多く、書く(描く)ためにはそのための下準備、膨大な資料の収集・整理が必要なのです。

 さて、「まえがき」はこの程度にして、本題の交通整理のための記述に入ります。

 昨日(3月24日)私は、仙台のフォレスト仙台で行われた「民主教育をすすめる宮城の会」主催の学習会「放射線への不安に向き合うには?」(宮城の子どもの個人被ばく線量調査とリスク・コミュニケーション)に出かけて行きました。最後は、この学習会の報告、私の感想(今後、運動を展開する上での交通整理のための記述)になるのですが、その前にまず、学習会の呼びかけの内容を紹介します。

―『①「放射線の健康影響に関する学術的研究結果」、②「県南地域における放射線の積算線量」③「本県における確認検査及び福島県におけるホールボディカウンターによる内部被ばく線量の測定結果等」から、現状では健康への悪影響は考えられず、健康調査の必要性はない。』と結論付けました。しかし、「有識者会議の結論」は、多くの子育て中の母親・父親・県民の放射線被ばくに対する不安を一層広げる結果となりました。放射線被ばくというリスクを負った地域で生活している私たち県民は、このリスクとどのように向き合っていけばいいのでしょうか。―というものです。

 講師は、東北大学大学院 吉田浩子さん(東北大学大学院薬学研究科ラジオアイソトープ研究教育センター 講師)でした。

次に講師の吉田先生の紹介を兼ねてもう少し書きます。私達の会(ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会)も加わった県内35団体が提出している「子どもたちと妊産婦を放射能から守るための体制の確立を求める請願」は、現在、宮城県議会保健福祉常任委員会で継続審査に(自民党・公明党が継続審査を主張)になっています。その宮城県議会保健福祉常任委員会(3月15日)では、6人の参考人招致が実施され意義深い意見がそれぞれ述べられています。そこで、それを紹介した河北新報の記事を載せます。


3.16 宮城の健康調査、割れる意見 専門家、首長ら6人提言 (河北新報)

 放射能対策強化を求める請願をめぐり、15日の宮城県議会保健福祉常任委員会では、専門家や首長ら参考人6人が4時間にわたって放射能対策の在り方や必要性を強調した。住民の不安払拭(ふっしょく)に向けた提言があったほか、福島県で国が行う対策との格差に対する不満も噴き出した。
 放射線防護を専門とする東北大大学院薬学研究科の吉田浩子講師は、福島県境の白石市越河地区と丸森町で行っている個人被ばく線量調査を説明。「福島県並みの高レベルの汚染が確認された」として、両市町で15歳以下の子ども全員を対象にした累積線量調査を行うべきだと主張した。
 保科郷雄丸森町長は、福島第1原発事故に伴う政府の対策を批判。損害賠償の対象となる福島県内の市町村とほぼ同様の空間放射線量が町内で測定されている現状に触れ「県境で対策に差をつけるのは納得できない。福島並みの対応を」と繰り返し求めた。
 「健康調査は必要ない」と判断した県の有識者会議からは、座長を務めた久道茂県対がん協会長と石井慶造東北大サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター長の2人が出席。
 久道氏は、大規模な健康調査に否定的な考えをあらためて示した上で「科学的、医学的な安全性と住民の心理的な安全にはギャップがある」と指摘。起こり得るリスクを行政や専門家、住民が意見交換する「リスクコミュニケーション」の必要性を強調した。
 石井氏は、除染が必要な国の汚染状況重点調査地域に指定された9市町での対策について「住民に線量計を配布することで、一人一人の行動領域に応じたモニタリングにつながる」と語った。


3月初めに「民主教育をすすめる宮城の会」の賀屋先生から3月24日のこの学習会のチラシがメールで送られてきて、一応参加するつもりでしたが、この記事によってますます興味を持ちました。特に3月29日に宮城県主催で石井慶造氏の講演会&相談会があるのに対する準備としても吉田先生の話を事前に聞いておきたいと考えたわけです。

2~3日前、同じ時間帯に岩出山での放射能測定などの打ち合わせに誘われていました。岩出山には3月4日午前の「放射能汚染から子どもを守る懇談会」に講師の妻(佐藤澄子)のお供(助っ人)で行きました。その時も、「また何かあればお呼び下さい。」と言ってしまったからです。電話で測定については簡単にアドバイスし、当日は仙台へ行くと伝えました。私の信条は、「少しのお節介は焼きます。しかしお節介の焼きすぎはしません。」というものです。地域主権主義?地域中心主義?なのか、それぞれの方がそれぞれの地域で頑張りきることが大切です。勿論、その上でネットワーク・連帯も大切です。私は、私で、仙台での学習会での成果をまた広めれば良いと考えています。

以下は、学習会前日(3月23日)の夜に作成した事前の私のメモです。

                                                                                   
3.24学習会へのメモ                   佐藤 茂雄

3月15日・朝日 「継続は必要人類が扱える」田中知・東大教授(日本原子力学会長)
3月22日・朝日 「放射能リスクに向き合う、データの公開・評価を徹底」長瀧重信・長崎大名誉教授
 彼らの言っていることは、居直りだ。いわゆる「原子力ムラ」住人の学者は勿論ですが、既存の原子力・放射能・放射線防護などの学問体系の中で偉くなってきた学者たちは、過去においてそれなり警告を発することができたはずです。ですから、まず、彼らは、これまでしてきたことへの反省に立つべきです。そして、その考え方を変えない限り、退場させるべきです。良心的な学者・専門家とバトルさせて最終決着をつけるべきです。福島の人たちや国民にはもう、待っている余裕はありません。
 2月29日・朝日 「放射線と向き合う・食のシンポジウム」基調講演の甲斐倫明氏(文科省の副読本もメンバー)数字の意味をと言いつつ、例としてカリウムを強調し、内部被曝の危険性を薄めようとしている。彼も失格者の一人です。

 地方の貧しさが原発を再生産してきた。貧困は目先の生活の問題で、それが解決しなければ立地地域は原発を求め続ける。(ex青森や福井の立地自治体、石巻・女川は?)立地自治体以外で脱原発の声は、大きくなって来ているが、生活のリアリティーを見ずに「脱原発・自然エネルギーを」と言っても分断させられる。現状の放射能をめぐる対立からどう合理的な合意形成に持っていけるか、大変です。「子ども・妊産婦などの命と健康を最優先で守る」という一点で、というのは成功しつつある。(「父さん論理」でなく、「お母さん革命」で日本を変える)生産者と消費者を対立させるのではなく、ともに、というのもある程度のところ(全量検査・㏃表示・年齢選別で摂取など)までは行ったのですが、「風評被害」の捉え方やそれへの対処など課題が残っています。電力需要の問題、原発の再稼働に対しては、私達の「生活の見直し」も求められてくるでしょう。がれきや汚染土壌の処理場所などに関しては混乱が続いています。それなら一層、放射性廃棄物の処理問題も絡めたいものです。それと、国と地方のいびつな関係の清算、中央の論理でなく地方の論理の確立が必要です。どこかでどうしても「合理的な合意形成」が必要となり、対立ではなく、連帯してこの混乱を克服していかなければなりません。

 <専門家・科学者の役割は何か>、情報隠し、不手際、不信感、不誠実、無責任、無作為、今の混乱は、信頼できる情報を共有できる場所がないこと。情報の機能不全状態が続いている。→言葉の信頼回復を、情報の交通整理を、(専門家・科学者の役割が重要。-その場合の専門家・科学者としての姿勢は、児玉龍彦氏の言っている4つの原則などを参照のこと。)

3月18日・河北 鹿島台(女川から30㌔)で「女川廃炉を」市民団体発足→「女川原発と栗原(50㌔)」もする必要。
  大崎は、岩出山・鳴子とこの鹿島台で挟み撃ちに、栗原は、北西部と南部(高清水・瀬峰)で挟み撃ちを!
3月20日・河北 原子力学会、「学者の責務を」の批判もあるも「年間1ミリシーベルトを科学的でないと―正しい知識が普及してないと」いうのが大勢のようだ。
3月20日・河北 宮城県放射能対策第1期分、村井知事「客観的なデータをこまめに提供することが不安解消につながる。…」
      朝日 県が7項目推進、基本方針―放射能測定・検査態勢強化で県民の不安解消を図るほか、…

福島の子ども達の意識―福島第1原発事故の後も福島県内にとどまる小中生への共同通信アンケートで、「放射線があまり分かっていない」との回答が4割を超えた。「怖い」と答えたうちの8割は事故で初めて危険性を認識したという。大人の世代によってつくられて「安全神話」の中で、原発が身近な子どもの複雑な心中が浮き彫りに。それでも原発を必要と答えている子どもが多いのは、親に配慮しているようだ。子どもたちの不安を取り除き放射能・原発の基礎知識の揺るがぬ土台を作ることが大切。文部科学省の副読本は、その作成団体や過程も問題だけでなく、中身が原発や今回の事故に触れず、放射線の功罪をとして、功の方をクロズアップさせている。罪は簡単な記述で極めて不十分、危険性を薄めている。原発推進という国策の一部として「原子力教育」が施されてきた影響がまだ多く残る中、この内容では全くダメだ。放射能を知り、原発と向き合うことは、子どもの命と未来にかかわる切実な問題であり、子どもたち自身にその力をつけてもらわねば日本の未来はない。

 栗原市では3月21日より旧町村の10地区で除染協議会が開かれていっています。高濃度の栗駒(21日)中濃度の築館(22日)と出てみました。3月14日のJAの学習会でも感じたのですが、私達自身がまだまだ「放射能の危険性の学習不足」なのです。

それは昨年からも分かっていたことで、ですからこの間何度も学習会やDVD上映会などをもってきました。市へも「教養・広報対策について」という提案もしてきました。初めての除染協議会の会合でも市の担当者が「栗原市の除染対策」(計画)の説明の中で基礎知識の解説を12~3分かけてしました。私達の提案の中で強調した「子ども・妊産婦への影響、内部被曝の危険性」は、短い時間でもそれなりにきちんと言及していました。(それは評価します。)しかし、食物からのカリウムのこと、自然放射線のこと、医療での放射線利用んついてなどの話は、全く不十分・不適切でした。原発からの人工の放射線が避けがたいものであること、基準値も「ガマン値」であることを言いません。低線量被曝の危険性については一言も言及しません。計画の目標が「震災以前の安全・安心なくりはらの再生」であっても、それが、本当は0.23μ㏜/時間にはならないのです。以前はせいぜい0.04μ㏜/時間だったのですから。「市民(特に小さな子どもを抱えた)が「健康への影響について大きな不安を抱いています。この不安を早く解消するためには、除染によって放射性物質を取り除く必要があります。」安全・安心や不安解消は、言葉としては良いのでしょうが、ちょっと曲者なのです。

「安全」は厳密には日本のどこにもありませんし、「安心」も一人一人で捉え方が違います。「不安解消」と言った時、その「不安」と言うのは、「根拠が無い」とも取られかねません。明らかに村井県知事や有識者会議はそのような意味で使っています。ですから食物の検査はしても健康調査はしないのです。ところが栗原市は、健康調査をします。ですから違いはあるのですが、「不安解消」だけでは、少し弱いのです。これは「風評被害」をどう見るかということにも似てきます。まあ、栗原市は、国とか県も相手にしなけれがならないので「ある程度、相手に合わせている」と好意的な解釈もできます。要はやるべきことをしてくれさえすれがよいのでしょう。でも…
 
今回最初の除染協議会では、ほとんどが市からの説明。築館での最後の方になったのですが質問の口火を切ってくれた方の発言が栗原の地域の役員さんたちの全体の傾向をよく表していました。「放射能の話、もう4~5回は聞いたけど、まだよく分かんねえ。だけども子どもたちなどを守るという趣旨はよく分かった。協力してしっかりやる。」というものでした。それでも問題は山積しています。牧草・稲わらの処理、地域・地区での進め方、(2会場とも)費用の問題、一年が経過して除染するのが遅すぎる(栗駒で)などです。

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あけまして、おめでとうございます

                          2012.1.1



  



あけましておめでとうございます。

 3.11の東日本大震災では、わが家では、外塀崩壊など被害がでました。当初は自分たちの身の回りのことだけで精一杯でした。

 しかし、日が経つにつれて、福島原発事故でここ、栗原は北のホットスポット(正確にはホットエリア)になっていることが分かってきました。そしてこの放射能汚染は、福島・東北・首都圏にとどまらず日本全体に(世界にも)拡がっていることが分かってきました。

 ここから、私たちは否応なしにかなりの長期、何世代を超えても、放射能汚染と向き合って行く時代に入ったと実感しています。

 私は、去年からのこの原発・放射能汚染対策に引き続き、今年は、脱原発・自然エネルギー活用と、子孫のために出来うる限りのことをしていく覚悟を固めています。

 今、こうした私たちの生活は勿論、日本にとどまらず、地球全体の危機ともいうべき事態の中で何を優先すべきか?ということが問われてきます。

 私は、「子ども、妊婦、若い女性など放射線弱者の命と健康を守ること」を最優先すべき、この一点で全ての力を合わせるべき、と考えています。

 3.11以後のこの間の経過を見てきますと、この危機の中での新しい流れが生まれつつあることがわかります。私が考えること(まず、何を優先するかということ)は、私だけが考えているのではなく、私のように考えている多くの人々がいるということなのです。

 初めは孤立した点であったものが繋がって仲間を増やし、面になり、そして立体(分野・世代・党派・宗教などを超え)にもなり、ある地域で起こったり、地域をこえて連携したりして、瞬く間に拡がってきていることが分かりました。

 地域や分野で時間差はあっても、それが同じような方向に必ず“動く”ということを私は実感しています。もう、その“動き“”流れ“は誰も押しとどめることは出来ません。かつての公害問題(特に大気汚染問題)でも同様の手ごたえがありましたが、今回はそれを大きく根本的に上回っています。(ただし、困難な点はいくつもありますが…)

 この「子ども、妊婦、若い女性など放射線弱者の命と健康を守ること」の次に来るのが、関連しますが、エネルギー問題です。脱原発・自然エネルギー活用を出来るだけ早く実現してくことです。そして、それらを「次世代への負担を出来るだけかけない」という点でするということ。これは社会保障や税負担でも同じです。また、同時にすべきことは「働き方」の問題、「男女格差」の問題、「過剰消費」の問題などあると思います。それを主権者が自ら決めてく民主主義の問題もあります。


 こうして、今年、私は、何をすべきかを常に意識的に考えて行動します。そうした中で、一生活者として、ますます、「触媒」としての役割を果たしていければと思っています。
     
    


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古川での原発問題学習会の感想。

<原発・環境・エネルギー問題>            2011.7.18

古川での原発問題学習会 (7月16日)の感想。

「国策による災難 ―いま、日本における最大、最悪の公害が進んでいる」
                        伊東 達也

<講師紹介>

S39、東北大卒し高校教師に、 S47,いわき市議会議員 H3、福島県会議員 

現在は、原発問題住民運動全国センター代表、福島浜通り医療生協理事長

全国各地で、原発問題について講演活動を行っている。

はじめに

 7月16日、私は、妻に連れられて古川の母親大会に行きました。メインというより全てが、伊東 達也氏の講演でした。この後、伊東氏は夜、一関での講演だと言っていました。話の中で、伊東氏は一関ルートに言及しましたが、栗原についての高濃度の認識はなかったようです。私は、最後に短時間、7月15日のブログの記事「放射能の自主測定を始めました。」の内容のように栗原の状況を話しました。講演後に伊東氏にその資料を渡し、また古川の測定をこれからしようとしている方にも接触できました。それで、今後、古川、栗原、一関の市民が結びつく、ネットワークを組むことが出来る可能性が出てきています。ここでは、講演内容から私が印象に残ったこと、私の感想や考えたことを書いていきます。

<講演から>

1、 福島第一原発事故は、

① 大量の放射能を放出する「苛(過)酷事故」は世界で3回目だが日本では初めて。

② 地震災害に原発災害が重なる「原発震災」は世界で初めて。

③ 10万人以上の人がふるさとから追い出され、広範囲な地域の農産物・水産物・水道水ばかりか、海洋を放射能で汚染し、その被害の広さ、深刻さ、被害額の大きさ、広範囲な国民の健康への」不安など、日本における最大・最悪の公害となっている。

2、 しかし、地震・津波による苛酷事故も原発震災も、その発生の危険が想定(予見)されていた。…

3、 いま、大事なことはこれ以上放射能を放出させないよう全力をつくすことである。日本の原発の総点検を住民の意見にも耳を傾けてすすめること。

4、 福島県内では4月初旬に再び放射能の恐怖(パニック)に、その一つに、汚染されて学校のグランドが問題化。文部科学省は年間の被曝線量を20ミリシーベルト限度にするとした暫定基準を出したが、多くの親から不安の声が沸きあがった。(「冷静に 対処しましょう」という資料を配布)

5、 放射能について、情報隠し(後出し)と県民に共通理解がなかったことがパニックに拍車をかけた。…

6、 「復興」はおろか「復旧」さえ困難な課題が生まれている。…

7、 「原発をどうするか」は、「日本のエネルギー政策をどうするか」にかかわる。…再生可能エネルギーに大きくかじをきるためには、

 ①原発に使っている莫大な予算を削って、再生可能エネルギーの爆発的な開発に振り向ける。-決断(政策転換)が必要。

 ②再生可能エネルギーで間にあうようになるまでは原発と引き続き共存となるか。その際、最低、苛酷事故を起こさせない体制が求められる。

<印象に残ったこと>

 私は、1970~80年代にかけて千葉市において大気汚染公害(主に川崎製鉄による)に取り組んできました。この「日本における最大・最悪の公害」というとらえ方は、これまでの日本における様々な公害問題の歴史を考えると、それらとの関連性や継続性から、その延長線上に起きた「日本における最大・最悪の公害」であり、極めて的を得た表現だと思いました。

 伊東氏が、4、の「冷静に 対処しましょう」の中で、取り上げていることから、

―被曝を防止するには、・外出には、帽子・マスクを ・外から帰ったら手洗い、うがいを ・雨の日の外出時は、髪洗いを ・葉物や果物はよく洗い、魚は贓物を取って。 ただし、それら全部を、必ず、実行することが「なんともイライラする」とか「うつうつとした気分になる」なら、一つや二つを手抜きしたほうがよいでしょう、と私は思っています。―

 この「私は思っている」というのを、先に言ったら反発されて、大変なことになったそうです。「あなたの言っていることは矛盾している」と。この放射能の恐怖(パニック)は、大変なもののようです。汚染の影響について相談の談話がよくかかってくるのですが、不安に同調しないでこうしたことを言うとすぐ切られてしまうということです。高校の教師をした後、市議会議員と県議会議員を長くして、話すことは大変上手で説得力のある伊東氏ですらこうです。私などがこうしたことを話したり、相談に応じる時には、気をつけねばと思いました。

<私が考えたこと-放射能汚染は広域で考えなければ>

 私は、この間、栗原市北部での高濃度汚染の出現について調べてきました。ネットや、TV,雑誌で、一関ルートが分かったり、栗原市のデータを分析したり、自分たちでも自主測定を行ったりしてきました。これらは、できるだけ正確な情報を多くして、「自分で的確な判断を下す」ためです。

 この講演の中でも、伊東氏は、「人間が放射能を浴びた時の影響」について話した最後に、同じように「自分で判断を下す」重要性を言っていました。この問題のとらえ方は人によって違ってきます。内部被曝や様々な放射能汚染の複合化、子どもたちに関してのことを考えると放射能被曝は少なければ少ないほど良いことは確かなのです。しかし、最終的にどうするかは、その人、その家族、個々のケースによって違ってくるのは当然です。それぞれが「自分で判断を下す」しかないのです。その場合、情報が多くあり、それが正確で的確なこと。子どもたちのためには少しでも客観的な行動がとれるようにしなければなりません。人の話、考えもよく聞くこと、それを財産に自分の考えを確立すること、…そんなことを言っていました。

 もう一つ私がこれに加えるとするならば、これらとも関連しますが、「思考停止に陥らない」ということだと思います。「安全神話」に浸かったり、地震・津波のことを考えなかったりすることは「思考停止」です。「原子力がなければ電力が賄えない」というのもです。

 私自身も、放射能汚染を栗原市だけで考えているのは、「思考停止」なのです。また、いまある測定地点だけから汚染を見てしまうのもそうです。まず、「放射能汚染は広域で考えなければならない」と思い至りました。
 
<岩手県側のデータにあたり、次に栗原市以南も…>

 そこで、まず早川氏のブログでの岩手県及び一関市とのやり取りを思い出しました。

― 6月23日1750、一関市教育委員会から電話で「0.5等値線を引いているのは風評被害に当たる」の指摘。「どうぞ法的処置を取ってください」「それは、学問の自由への侵害である」と答えた。

 6月24日、岩手県庁環境保全課からメールが来た。「岩手県一関市近辺が0.5μSv/h以上の地点(地図上で黄色となっている地点)となっておりますが、本県の測定結果では0.5μSv/h以上となる地点はありませんので、データのご確認をお願いいたします。」 

「承知しています。なぜこのような問い合わせが岩手県から何度も来るのか真意を測りかねます。公開の場で討論したく思います。岩手県庁環境保全課から問い合わせが来た事実を公開します。以後の岩手県からの問い合わせはその内容を担当者名を含めて公開します。」 -

 これによって岩手県の監視体制が遅れていることも分かりました。また、それで一関などの汚染状況のデータが気になり、ホームページで一関市、平泉町、奥州市、藤沢町のそれにあたってみました。それらと栗原市のデータ(私たちの自主測定も含めて)と照合していくとあることが分かってきました。

 それは、一関市の東部(大東、室根 東山、千厩、川崎 )から南部(一関萩荘、花泉)そして、栗原市北部(金成萩野 栗駒 鶯沢 一迫川口 花山)にかけて比較的高濃度の汚染(0.4μSv/h程度)が幅約10キロにわたっての帯状に続いていること。奥州市の南部でも水沢、胆沢、前沢、衣川とこれも約15キロの幅で帯状の比較的高濃度の汚染がみられること。

 これらから、6月18日の早川氏の放射能汚染地図(改訂版)―0.25μSv/hと0.5μSv/hのラインは、ほぼ正確だと判断できました。しかし、これには奥州市のデータが入っていないようで、奥州市の3か所のデータを加えた早川氏のブログへの6月5日作成 • 投稿: pino の放射能汚染地図の方がより正確だと思われました。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&t=p&msa=0&ll=38.603993,140.608521&spn=3.215044,4.048462&z=8&msid=210951801243060233597.0004a4f5311a2612c91f3
 しかし、そのpino の放射能汚染地図に従って、一関ルートの南端を見ると栗原市の西部の花山が最後になっているのではなく、更に大崎市にかかっています。岩出山の上野目、池月、鳴子の川渡へ、更に最終的には隣の加美町の薬来山の麓まで行っています。これらは全て放射能測定が行われていない地点です。まわりの大崎市岩出山支所、同鳴子支所は、7月中旬を見ると、同じ大崎市の他地域と比べ少しだけ高い位(~0.13μSv/h)、加美町に至っては薬来山から遠く離れた町役場は低濃度(0.09μSv/h)でした。今後、これらの地点については、より詳細な放射能測定をする必要があります。

 実は、この7月16日の原発問題学習会の会場で、伊東氏は、会場内外の汚染状態を測定した数値を示しました。およそ0.10μSv/hで、比較的低濃度でした。自治体(大崎市)の測定でも古川の中心街ではそんなところだったと思います。しかし、やはりそれだけでは不十分だったのです。大崎市といっても大変広いのです。測定も栗原市などに比べても大変遅れています。

<広域の市民のネットワークを組む必要が、>

 大崎市でももっときめ細かい地点・場所での測定をすることが早急に求められています。さらに市町村をまたぐ広域にわたる放射能汚染について、宮城県の取り組みは市町村以上に遅れています。これらも市民の側で行っていく必要があります。そして、県境を越えてのつき合せも大事です。今後、大崎、栗原、一関(さらに奥州も)の市民が結びつく、ネットワークを組むことが必要になってきます。

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東日本大震災日記 (その22)

東日本大震災日記 (その22)

4月11日(月)1ヶ月目  

大震災から1ヶ月、新しい旅立ちへ。 

この日記を、一旦終わるにあたって。

―東日本大震災が起きた3月11日、その日から1週間が経った3月18日より、私のこの「東日本震災日記」は、始まりました。当初は、日記の日付より、1週間遅れてと、ずっとしばらくの間、少しズレたままでしたが、最後の方で追いつきました。この日記を付けた当初の目的、「自分になにが出来るか」「一人で出来なくとも仲間と助け合って何ができるか」課題を見つけることでした。

 こうして1ヶ月が経過し、この日記を終わるに当たって、こうした課題の答えが見つかったか、というと、まだ道半ばです。答えを出して行く材料は、いろいろ豊富に集まりました。昨日の「縁と絆」に引き続き、現時点での私の問題意識を整理してこの日記を締めたい(閉めたい)と考えます。その前に、もう少し。

 この日記を公開して、いろいろな反応がありました。遠く離れた子どもたち、親戚、千葉時代の仲間たちや、長い間、便りが無かった学生時代の友人から、果ては、見も知らぬ方よりの問い合わせもありました。明日以降は、これら一つ一つに丁寧に応えていこうと思っています。

「活性化ネット・三塚氏亡くなる」という突然の訃報が入る。

―午後2時46分、TVを見ながら、黙祷をささげ、少しだけ「ふるさと」を口ずさみました。その直後、突然、訃報が舞い込みました。NPO法人「くりはら活性化ネット」の事務局長の三塚敬之助氏がお亡くなりになったというTELが、理事であり、私と同じ企画運営委員をしているOさんから入りました。全ての「くりはら活性化ネット」の活動の屋台骨になっていた方です。非常に残念です。早速、理事長に知らせ、理事会を開催してもらい、善後策を取り始めなければなりません。「くりはら活性化ネット」は、3年前の宮城・岩手内陸地震の際とその後にわたって、継続的な被災者支援活動をしてきた団体です。今回もと考えていた矢先のことです。「一人で出来なくとも仲間と助け合って何ができるか」という、私の課題には、ここでのことも、想定していました。

現時点での私の問題意識

―私は、つい最近まで、これから先、国民の間に意識の差、ズレがこれから生じてくるのではないかと心配していました。しかし、先日、最大規模余震が起きたこと(それが引き続き続く可能性が高い)と、一向に見通しがつかない原発による放射能汚染の進行が、思っていた以上に深刻な問題である、と広く認識されてくるに従って意識の差―ズレは、少なくてすむかも知れない、と考えるようになりました。

その当初考えていた、国民の意識の差とは、―大津波の岩手・宮城沿岸部、原発被害の福島沿岸部、それと被災県でも少し内陸に入れば軽傷、まして首都圏(液状化の浦安など除いて)の緊張は緩んでいって、仕方ないこと。ではないか、ということです。さらに、被災地の方々の意識の差も出てきます。まだ、被災地や各地の避難所にいる方々の中には、気持ちが葛藤中の方々も多く、沿岸部の人たちの気持ちには、もう同じ所には、住めないという方が多い一方で、逆に、もう一度、どうしても、戻りたいという方とに分かれてくると思います。家、船,田畑、アルバムなど失ったものを少しでも取り戻したい。なじんだ地域、生業から離れがたい。でも、厳しい現実がある。一時避難をするのか、留まるのか。一時的にも、生活の場を他に見つけなければ…子どもの教育はどうするのか。仮設住宅までの一時避難か、仮設住宅から、その後地域での復興をどうするか。それとも、新天地を求めて出て行くのか。このように、様々に気持ちが、揺れて、分かれていると思います。後者の方の意識の差は、今は、仕方ないのです。もう少し時間がいるのです。落ち着いて、じっくりと考えればいいのではないでしょうか。

こうしたことの、その一方で、様々な復興ビジョンが、被災当事者を脇において、被災地地域以外から語られ始めています。復興ビジョンを早く示すことは、とても大事で、必要なことです。しかし、性急で強引な、とりわけ当事者抜きのビジョンづくりはやめていただきたいと思います。

反省し、今後の予測を。

―まずしなければならないのは、反省からです。原発問題と巨大地震ととりわけ大津波問題、その初期対応あるいは、それまでの想定-防災計画のどこに失敗の本質があったのか、その後に問題が露になったこの国の危機管理体制も、徹底検証をする必要があります。

次に今後、(同時進行になるかもしれませんが)予測として、明らかにしなければならないのは、

① 考えうる最悪の展開をした場合に放射能汚染はどこまで進むのか。

② その封じ込めにはどれだけの歳月を要するか。

③ その間国民生活は放射能汚染とどう共生するのか。

④ 農産・海産物の被害補償はどうなるのか。米が不足する事態が起こるのか、減反は?

⑤ 故郷を失う地域住民の新しいコミュニティー作りはどうするのか。

将来社会ビジョンの合意を。

―そして、最後がビジョンです。この間にも、ライフラインの復旧を急ぎ、地域復興も急がねばならないことは確かですが、それから先、「どんな社会を築いていくか、確かな合意」を、国民の間に、意識に、創っていかなければなりません。

戦後の経済技術大国がたどった原発依存の「オール電化社会」は砂上の楼閣だったことは明白です。それからの反省から出発し、原子力をどう取り扱っていくのか、エネルギー問題をどうするか、が問われます。そして、私たちの現代の生活を、その質をどうするのか、を論議し、合意していかなければなりません。日本だけでない、世界の文明が問われているような性格の日本史、世界史の大きな転換点、に来ているのです。この大きな転換点で、私たちの明日からの生活も、それに合わせて行くことになると思います。それは、おそらく、職住接近、ワークバランス、子どもたちと過ごす時間も、仕事をより良く社会貢献も、グローバルスキル(どこでも通用するキャリア)を、女性の各方面での積極的活用・登用・抜擢とクウォータ制、若者の積極的採用と権限委譲へ、などではないかと思います。教育も大きく変わっていかざるを得なくなるでしょう。ーパーツではない自己完結型人材とか、逆に調整型・協調型人材とか、「想定外」に対処できる人材を、グローバルに活躍できる人材を、と。勿論、今回のような過ちを二度と起こさない、基礎的科学・技術の重視も人材的に怠らないようにしなければなりません。

ただし、この「どんな社会を築いていくか、確かな合意」と「東北沿岸部の地域復興(ビジョン)」は、関連はしますが、少し分けて考える必要があります。前者は、国民全体で、後者はやはり、被災地域・被災者を中心にして進めなければなりません。これらは時間もかかるとこですので、それを進めていく月単位、年単位での時間軸の設定をして欲しいと思います。

若者を登用―ロートルは支援へ、世代交代をこの機会に。

―「若者の積極的採用と権限委譲へ」と述べましたが、基本は、全員参加の総力戦、とは思います。しかし、形ばかりの総力体制では、過去の失敗を問えません。同じ陣営で漠然と復興をめざして良いはずがありません。この際、思い切って、若い連中にバトンを渡してしまった方が、良いのです。

若者を積極的に採用・登用することが復興の活力になります。今回の震災で、現場の中間層や、優れた技能の多くが失われていると思われます。ロートルの世代は、若い人たちを支援し、技能、人格、責任感を育てることで、失われた技能を再び育てる役目があります。そして、彼らにより多くの権限を与え、様々な決定に参加させ、遅くないうちに主導権を渡してしまうのです。それこそが、復興に向けた大きな力になるはずです。

 私は、かつて(2008年12月10日の記事)「団塊の世代とロスジェネ世代」論を少し展開しました。そこでは、詳しく紹介しませんでしたが、当時、一部に「戦争待望論」というのがあったのを覚えています。それは、「戦争という『外圧』によって既得権者が一掃され、硬直化した社会構造が解体される事を願うしか無い」という極端な主張でした。私は、当時も,彼らは「解体を願う」というより、自分たちの「出番を得る」「自分たちこそ、日本社会の主人公になる」ということを考えている、と解釈していました。しかし、その当時、私は、そもそも現代の日本において、そんな事態になどなるはずが無いと考えていました。

しかし、現在の日本、この状況は、その戦争状態に近いものがあります。そう、今こそ、彼らの出番なのです。今が、ロスジェネ世代への世代交代をすすめる良い機会であり、それによって、日本の新しい旅立ちができるのです。

この世代交代を宣言することを、この日記の締めくくりとします。

                                       -完―

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東日本大震災日記 (その21)

東日本大震災日記 (その21)

4月10日(日)31日目  

種まきを無事に終わりました。

「縁と絆」を考える。

―「縁」=つながり、めぐりあわせ、人と人とのつづきあい、血縁、良縁、

 「絆」=断ち切ることができない人間どうしのつながり、

 この1ヶ月ほどの間、私自身が、被災生活をし、また、新聞記事をはじめ、周りの状況が分かってくる中で、ずっと考えてきた、感じてきたことが、「縁と絆」ということです。つまり、その大切さを、幾度ともなく、感じ、考えてきた1ケ月だったと思います。

朝日新聞の投書「ひととき」より、

―朝日新聞の生活欄に「ひととき」という投書コーナーがあります。その4月5日には、「強い意思と覚悟で」という宮城県岩沼市の68歳主婦の方のものが。被災して20日あまり、非常時に、人は自分自身と家族を守るここに必死で、他には向かず、一人暮らしで孤立した彼女には、誰からも声を掛けてもらえなかった、ということだったそうです。そして、「今回、『一人で生きるとは』を考え、自分の身は自分で守るしかなく、強い意志と覚悟がいると確信しました。」と述べています。

  同じコーナーの次の日には、「人の絆に力湧く」という横須賀市の31歳の主婦の方のものが。彼女の父と兄が福島原発の被災地で屋内退避指示に。周りが避難する中、当初、自宅にいて、数日後に避難。その間、彼女は、連絡も、行くことも出来なかったそうです。そうした中で、地元にいる友人が何度も、様子を知らせる連絡をくれたそうです。その後、無事に批難したことを友人に報告したところ、そのお母さんが「安心して泣いている」という。それは、他界した彼女のお母さんから、生前に父・兄のことを頼まれていたということ。つい最近の父の入院時にも尽力してくれていたとういことでもあったそうです。被災地での困難は、「このような人々の絆があれば、乗り越えていけるのではないかと力が湧いてくろのです。」と述べています。

  この2つの投書を読んで、この被災時に、そうした両方がたくさんあるのだなあ、と思いました。前者は、周りから、孤立化し、孤族化して、肩肘を張って生きて行こうとしています。後者は、絆をよりどころに、それを頼って、生かして行こうとしています。前者の主婦の方も、もっと周りに自分から働きかけを、絆を求めていって欲しいし、周りからも手を差し伸べて欲しいと思いました。

竹下景子さんのコメントから

―さらに次の日(4月7日)には、竹下景子さんの「〈生きていくあなたへ〉『キズナ』も共通語」というコメントが載っていました。彼女は、阪神大震災の被災者の詩を朗読する活動を12年間続けていて、現地で「被災した方と交流する中で、心の復興には長い時間がかかるのだと気づかされました。」といいます。「みんなが手を携えることで新たな絆が生まれました。地域の人同士だけでなく、見ず知らずの人、被災地外の人、いろんな人と人とのつながりが大きな力となり、愛するふるさとでの生活を再建することにつながった。」「皆さんを傷つけた『ツナミ』もそうだけれど、『キズナ』も世界共通語として知られているのです。」と述べています。

  阪神大震災の経験そのものを、そのまま、今回当てはめるのはどうかとも思いますが、学ぶべきことはたくさんあるはずです。今回は、阪神大震災の時以上のことが、これから求められていくわけですから、もう一度よくそれを復習することが必要です。竹下さんのように息の長い支援、「キズナ」づくりも必要です。

今日の作業―種まきをして、家風を考える。

―今日は朝から、苗床づくりー種まき、をしました。電気が回復し、天気も良く、風も弱く、とても良い環境ですることができました。その手伝いに同じ市内の別の地区に住む、義父の兄弟夫婦(2組)の4人がやってきました。もう1組(2人)ともよく共同作業をします。うちを含めてこの4組は、比較的大きな農家ばかりです。常に、お互いに助け合ったり、融通しあったりしています。そこに、私は、強い「縁と絆」を感じています。4組だけでなく、その家族、兄弟、親戚の冠婚葬祭から始まって、何から何までです。都会生まれで、都会育ちの私には、当初、ここへ来て「こんな、面倒くさいものを!」と思っていましたが、今ではその意味が、ようやく分かってきています。

 どうも、ここ佐藤家では、歴史的に、代々にわたって、この「縁と絆」を大切にする、家風?があるように思われます。周りの面倒をよくみてきたということがあるようです。親戚から、遠い親戚も、縁者までもです。ここは、古くからの大きな農家(江戸時代からの自作農)で、多くの米を作ってきた、そのため人手がいった。妻が幼かった頃には、さすがに「日どり」((4月5日朝日新聞で賢治の「雨ニモマケズ」中の「ヒドリ」です。)つまり、手間取りという1年間住み込みで、米2俵があてがわれる使用人は、いなくなっていた。ということですが、少し前には2人いたそうです。日どりがいなくても、当時、ここに14人という大勢が住んでいたといいます。遠い親戚の子がここから高校に通っていたとか、お米をもらいに遠くから縁者が来たとか、その数がとても多いようです。親戚・縁者に対して、その面倒見が良いのは、義父だけでなく、もう15年前に亡くなった祖母を見ていても分かります。一面では、「外面がいい、」とか、「周りに散在している、」とか身内からは、そのような批判をいわれています。義父、亡くなった祖母を見ていると、それによって「情けは人のためならず」のように、効用を期待していないのです。では、名誉か?というと、これは、全くは否定できませんが、それよりどちらかというと、自己満足。でも、とてもいい自己満足なのではないかと思っています。つまり、「自分の中で、納得がいけば,それでいい」という世界のようです。

  今、妻は、義父相手に家系図+(家の歴史)の作成にとりかかり始めています。いろいろな面白い事実が分かってきています。その内容自体が、「縁と絆」の世界ですから、どんどん広がっていってしまいます。私は、それを側面からサポートするくらいしかできませんが、協力します。それを、必ず次の世代へと伝えるのが、私たちの役割だと思っています。

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