触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災発生から3ケ月が経過して 

<東日本大震災>  

東日本大震災発生から3ケ月が経過して     
 2011.6.18 AM

もう既に、3月11日のあの大震災発生から3ケ月をとっくに過ぎてしまいました。最初は約1ケ月間「東日本大震災発生日記」をつけました。その最後にその時点(4月11日)での私の問題意識をまとめました。そこでは、最初に

『国民の間に意識の差、ズレがこれから生じてくるのではないかと心配していました。しかし、先日、最大規模余震が起きたこと(それが引き続き続く可能性が高い)と、一向に見通しがつかない原発による放射能汚染の進行が、思っていた以上に深刻な問題である、と広く認識されてくるに従って意識の差―ズレは、少なくてすむかも知れない、と考えるようになりました。』

としました。しかし、その後の状況は、半分外れてしまったと言えます。それは、今回の大震災(天災と人災)の原因究明がなかなか進まないこと、それもあってそれへの反省が全く不十分な状態であることがあります。その日記では、

『まずしなければならないのは、反省からです。原発問題と巨大地震ととりわけ大津波問題、その初期対応あるいは、それまでの想定-防災計画のどこに失敗の本質があったのか、その後に問題が露になったこの国の危機管理体制も、徹底検証をする必要があります。次に今後、(同時進行になるかもしれませんが)予測として、明らかにしなければならないのは、①考えうる最悪の展開をした場合に放射能汚染はどこまで進むのか。②その封じ込めにはどれだけの歳月を要するか。③その間国民生活は放射能汚染とどう共生するのか。④農産・海産物の被害補償はどうなるのか。米が不足する事態が起こるのか、減反は?⑤故郷を失う地域住民の新しいコミュニティー作りはどうするのか。』

としました。①②③ともに、未だにはっきりと明らかになっていません。被害の大きさ、広がりも私自身が当初思っていた以上に深刻で、人類史上、類のない複合災害で、その収束の見通しは、今、全く立っていません。日記では、最後に「将来社会ビジョンの合意を」ということで、

『それから先、「どんな社会を築いていくか、確かな合意」を、国民の間に、意識に、創っていかなければなりません。
戦後の経済技術大国がたどった原発依存の「オール電化社会」は砂上の楼閣だったことは明白です。それからの反省から出発し、原子力をどう取り扱っていくのか、エネルギー問題をどうするか、が問われます。そして、私たちの現代の生活を、その質をどうするのか、を論議し、合意していかなければなりません。日本だけでない、世界の文明が問われているような性格の日本史、世界史の大きな転換点、に来ているのです。この大きな転換点で、私たちの明日からの生活も、それに合わせて行くことになると思います。』

と結びました。2ケ月前に私が言ったことが、今まさに大問題になっていると思います。しかし、それにもかかわらず合意づくりへの議論は、まだ始まっていません。

次に、その1ケ月後の5月12日、「…2ケ月が経過して、」では、

『阪神淡路地震以降でも日本では、数年に一度の割で、各地で大地震が起き、被害が出たと思います。地震・津波だけでなく、台風、集中豪雨など自然災害は、毎年のように日本各地では起きているはずです。日本においては、自然災害は日常的に、何時でも、何処でも、起きること。日本に暮らす以上はそれを前提として、自然災害と付き合っていくしかないということ。防災を日常の生活の一部として考え続け、それへの対策、対応をしておかなければならないこと。①個人として、②我が家(家族)として、③地域として、(会社や学校など)④自治体、地方、⑤国、それぞれのレベルでそれが求められると思います。』

とし、最悪の事態を考えた安全対策(予防安全と事後安全(減炎))へのを。そして、最後に、

『④と⑤については、震災後の東北地方(日本)の再生、エネルギー・原子力発電問題が、大きくのしかかってきます。教育や学校、図書館といったことも、④⑤との関連で、それらを考え、合意を形成していく中で位置づけていくものです。こうしたことを、丁寧に、この震災後という全く新しい状況の中で追究していけば、少しは自分のたち位置がはっきりしてくると思われます。そうすれば自分サイズで考え、行動することが出来てくると思っています。』
と結びました。

今、更にその後、1ケ月余が過ぎています。この間、私自身は、個人的には我が家の外塀の瓦礫の整理がようやくこの6月12日に完了。その間、右手に引き続き左手も少し負傷(痛めた程度)したため、あまり無理をせずに気長に一人で瓦礫整理の力仕事をしていました。合間に、療養しながら、新聞やネット情報の整理、読書、あるいは旅行などしていました。(その逆かも、知れません。)気持ち的にも震災後の「少し落ち着かない」「モヤモヤしている」「気持ちの整理がまだついていない」状態でした。したがって、このブログも少しお休みしていました。

この新聞の切り抜きは、もう2年前程から続けているのですが、ネット情報の整理はこの震災後、この4月からです。以前から「民主教育をすすめる宮城の会」の賀屋さんより新聞記事などのニュースがメールで送られて来ています。それに加えて自分自身で4月26日より3月17日頃からのネット情報(新聞、放送、その他論評など)をまとめています。その中で「<東日本大震災と学校>の考察 」というものをまとめています。それに加えて、もう一つ、最近「<原発・エネルギー・環境問題>」という項目でもまとめ出しています。

この3ケ月余の間、震災・原発・エネルギー問題などで、様々な情報が発信されています。膨大な量です。その中にはかなりいい加減なもの、操作・コントロールされたもの、偏ったもの、部分的すぎるもの…などいろいろ混ざっています。貴重で、重要な情報もたくさんあります。それらから適切で、より科学的なものを選別しなければなりません。そこでは自分自身の視点、立ち位置、思想性などが試されます。

 今日(6月18日)の午後には、隣市での「原発問題学習会」に出かけます。「福島」「女川」の問題がテーマです。私は、ここで得たものと、これまでに整理してきたことを付き合わせて、今後行動していきます。いよいよ1ケ月前に言った「自分サイズで考え、行動すること」のスタートを切る時です。
 


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東日本大震災発生から2ヶ月が経過して、  

<東日本大震災>

東日本大震災発生から2ヶ月が経過して、           2011.5.12

 余震の回数は減ったとはいえ、まだまだ続いています。今日(5月12日)は、午前3時21分、昨日(5月11日)が午前3時24分とほぼ同時刻に震度3が起きています。さすがに震度4はなくなっていますが、近いところでは5月8日にも午前5時52分にも震度3でした。すべて、寝ているときです。8日はもう朝になってはいますが、まだ布団の中、昨日と今日は真夜中です。震度3では、やはり目は覚めます。寝ながら「大きくならないでくれ!」と祈りながら様子をみます。収まれば何とかまた寝ます。4月には昼間にも結構ありましたが、情けないことに、揺れ具合で震度を言い当てられるようになってしまいました。直ぐにTVで確認しますが、この頃はTVにも出ない時もあります。地震が全国各地に拡がってしまっているせいかも知れません。

 余震は、これまでの大地震では、1ヶ月程度続くほどだったと思います。それが今回は、すでに2ヶ月でもこの状態です。確か、要注意が5ヶ月、注意が1年は見る必要があると何かに書いてありました。阪神淡路地震以降でも日本では、数年に一度の割で、各地で大地震が起き、被害が出たと思います。地震・津波だけでなく、台風、集中豪雨など自然災害は、毎年のように日本各地では起きているはずです。日本においては、自然災害は日常的に、何時でも、何処でも、起きること。日本に暮らす以上はそれを前提として、自然災害と付き合っていくしかないということ。防災を日常の生活の一部として考え続け、それへの対策、対応をしておかなければならないこと。

 ①個人として、②我が家(家族)として、③地域として、(会社や学校など)④自治体、地方、⑤国、それぞれのレベルでそれが求められると思います。

 ①と②では、・貴重品の管理、・薬やメガネ、・水の確保(20リットルポリタンク2ケ+2リットル×6本)・懐中電灯(乾電池)とラジオの用意、・食料の備蓄、・熱源の確保(カセットコンロなど)・携帯を十分使えるようにすること、・ガソリンは半分になったらすぐ満タンにしておくこと、・ソフト的には家族間の各種取り決めをしておくことなどです。さらに、今回これらに加え、2.5KWの発電機と携帯缶(2つ目)を準備しました。

 発電機は、4月18日に注文したのですが3週間たってようやく今週届きました。試運転を終えて何時でも使えるようにしました。この3週間の間、余震の中で、「停電にならないでくれ」とずっと思っていました。

 ③については、この間、ようやく会合が持てるようになったのですが、何か、まだ皆さん、落ち着きません。「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」の役員会が4月26日に持たれました。はじめに、各自のまわりの被害状況の情報交換を行いました。沿岸部や福島に関係者がいる方、教員や教え子や保護者での知り合いが被害にあっている方、いろいろ出していただきました。そして「私たちに何が出来るか」を検討しました。その中の一つとして、まず、教育施設を中心に被害状況調査をしようということになりました。そして、中・長期的な取り組みはこれからの検討課題になっています。図書館の関係もいくつか会合が持たれていますが、集まりが今ひとつです。

 私自身は、個人的には我が家の外塀の瓦礫の整理に追われ、1週間前に右手を少し負傷(痛め)ましたが14~15日の田植えができるまでにようやく回復したところです。そして、私自身も何か、気持ちが落ち着かない、モヤモヤしているのは、やはりこの大震災前と、後ということから来ていると思われます。気持ちの整理がまだついていない、いろいろ考えている途中だということ。しかし、明らかに何か自分のしていることに変化が出ている。いろいろな好み、嗜好、消費行動、その他が少しずつ以前と違っているように思われること。それが何か、何故かがまだはっきりしません。

 ④と⑤については、震災後の東北地方(日本)の再生、エネルギー・原子力発電問題が、大きくのしかかってきます。教育や学校、図書館といったことも、④⑤との関連で、それらを考え、合意を形成していく中で位置づけていくものです。こうしたことを、丁寧に、この震災後という全く新しい状況の中で追究していけば、少しは自分のたち位置がはっきりしてくると思われます。そうすれば自分サイズで考え、行動することが出来てくると思っています。

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友の無事が確認できて… 


<東日本大震災>   
友の無事が確認できて…              2011.5.8

二日前(5月6日)の夜、突然、京都から大学時代の後輩のN君から電話がありました。「東松島にいる先輩のSさんの消息が分かるだろうか?」という問い合わせだった。丁度2年前の5月1日の記事に書いていますが、4月30日に仙台でこのS氏と東京に住むK氏と私のそれぞれが夫婦で36年ぶりに会っています。このS氏のことをこの間すっかり忘れていました。(情けない!)

言い訳は、あります。この時渡された名刺が、東京の事務所のもの、東松島の住所も確認しませんでした。その後も、松島―仙台?に住んでいる位しか私の頭になく、年賀状も出せなくて、この震災時に彼のことが頭からすっかり消えていました。今回の大津波で宮城県沿岸部の中でも松島だけは湾であったこと、島々が防波堤のような役割をしてことなどで被害が1桁どころか2桁ほど周辺と違っていました。S氏ことを忘れていた、松島と思っていた?などから大学時代の友人の中では一番近くにいながら申し訳ないことをしてしまったと思います。といっても私自身も車で県内へ自由に動き出せたのはつい最近のことです。(5月1日に初めて、南三陸町と石巻に行ってきました。)

本題に戻ると、N君からS氏の東松島の正確な住所と電話を聞きました。それを地図やネットで調べると、何と野蒜海岸ではないですか。かなりひどい被害があったところです。それから、避難所にいる方々の名簿のチェックをしました。それにいなくて、「やはり死亡者の名簿でも見なければならないかな」と思っていたら、また夜遅くN君からの電話がありました。「無事でした。」ということです。丁度八丈島の方に行っていたとのこと、それでも奥さんは首まで水に浸かったということで(多分、後で彼は大目玉か?)今は仙台の方でマンション暮らしをしているとのことでした。

私とこのS氏と2年前に会ったK氏が同級生、後輩のN君とS氏K氏が同学科(建築)私は隣の学科(工業意匠)という関係です。数日前にも東京の同級生G氏(教育学部)から大学時代の同世代の仲間の会合(5月21日)の誘いがありました。その時も地震の心配をしてくれました。この仲間の会合には私は出たことがない(今回も出られない)のですが、何故か毎回誘いが来ています。(妻は呼ばれませんし、基準が良く分かりません。)それでもS氏への支援が何かそこで出来ればとN君に話しました。それはどうやら、これも同級生のT氏が引き受けてくれるとのことでした。

次日(5月7日)の朝に、仙台にいるというS氏携帯(N君に教えられた)に電話してみましたが出なくて留守電にしました。その携帯の番号は、2年前に貰った名刺のものと同じでした。夕方また連絡して初めて、彼の声を聞くことができました。とても元気そうでした。「心配掛けたくなくて連絡しなかった。」と言われました。いや、やはり、こちらから早く連絡すべきでした。もう、そこ仙台の長町のマンションを拠点に仕事もしているとのことでした。

私は、少し安心するとともに、これから彼の力になれることは、何だろうかよく考えていくことにします。N君からもまた連絡があると思いますし、彼らとも協力してやっていこうと思っています。

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