触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」「科学」を問い、脱原発の思想を紡ぐ を読んで

<BOOKS>
「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」「科学」を問い、脱原発の思想を紡ぐ を読んで                                                     
2016.4.24  佐藤 茂雄

発行 /2012.3.1  新評論

著者紹介
綿貫礼子[ワタヌキレイコ]サイエンス・ライター。専門は環境学、平和研究、エコロジー。東京薬科大学卒業。「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク代表。2012年1月30日歿。「女性にとって原発とは何か、廃炉に向けて」「未来世代への「戦争」が始まっている」
吉田由布子[ヨシダユウコ]千葉大学教育学部卒業。「女性ネットワーク」事務局長。「ピルの危険な話」「原爆調査の歴史を問い直す」
二神淑子[フタガミキヨコ]愛媛大学卒業。キエフ大学大学院国際関係学部修了。「女性ネットワーク」副事務局長
サァキャン,リュドミラ[サァキャン,リュドミラ][Саакян,Людмила С.]モスクワ大学日本語科卒業。「女性ネットワーク」スタッフ。現在、ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社国際放送部門「ロシアの声」勤務(

内容紹介
  2011年3月11日の東日本大震災と共に発生した福島第一原発の事故は、チェルノブイリ原発事故の影響調査にかかわってきた私たちにとって、衝撃以外の何ものでもなかった。しかも原子炉三基が事故を起こしているという現実は信じ難いものであった。事故の規模や放射能の広がりの不明さ、政府の対応、「専門家」という人々が語る「健康への影響は少ない」という言葉……。すべて25年前のチェルノブイリ原発事故後の状況が再現されているかのようであった。
 私たちは、チェルノブイリ事故後に生を享けた子どもたち(ポスト・チェルノブイリ世代=未来世代)の健康状態について20年以上調査研究を重ねてきた。「チェルノブイリの放射線被害は小児甲状腺ガンだけ」という「専門家」の言葉とは裏腹に、さまざまな病気が汚染地域で広がり、「健康でない子どもたち」は増加の一途をたどっている。それはなぜか。原発事故で放出された放射能による生態系汚染は、その生態系の中にある人の身体を汚染し、身体の中にあって内なる生態系ともいえる子宮内をも汚染している。未来世代はその汚染の中から生まれてくるのである。本書ではチェルノブイリの未来世代への放射線の健康影響について、女性の視点で追及し研究を重ね、フクシマ事故の起きたその年にたどりついたひとつの「仮説」を紹介する。同時に、チェルノブイリ事故による子どもたちの健康被害はなぜ世界に伝わらないのか、「国際原子力村」の科学者たちによる健康被害過小評価の歴史を検証し、「公式見解」=「科学」を問うている。
 フクシマ事故は日本のみならず世界に対し、21世紀の「科学」を私たちがどのように選択するのか、意識の変革を迫っているのではないだろうか。本書が未来世代と「共生」できる社会を選びとるための、ひとつの“糧”になってほしいと願っている。(よしだ・ゆうこ)

出版社からのコメント
女性の生殖健康とポスト・チェルノブイリ世代の長期健康研究を踏まえ、フクシマ後の生命と「世代間の共生」を考える!

目次
1章 生命と健康―「科学を問う」ということ
1 自分史から―「科学を問う」ことを学ぶ
2 生命の視座 「未来世代」から今日を読む
3 生態系汚染と生殖健康(リプロダクティブ・ヘルス)生殖健康と環境ホルモン
4 「生態学的安全」を問う
2章 放射能汚染が未来世代に及ぼすもの
1 チェルノブイリの未来世代に何が起ころうとしているのか―手探りの調査から「仮説」までの研究アプローチ
① 1986年から(研究の初期)-何もかも手探りから始まった。
② 1990年代半ば以降(研究の二期)-発想の転換、化学物質による生体反応との比較 化学物質の「低用量効果」と放射能の「低線量効果」/化学物質と放射線の複眼で考察する
③ 21世紀に入る頃から{研究の三期}-生殖健康に関わるロシア語文献の調査に努める
④ ヒトの健康影響についての新しい知見や概念の展開期
a低線量放射能による遺伝的不安定性―遅延型突然変異とバイスタンダー効果
b生殖と健康に関わる21世紀の新しい概念―エビジェネティクスと「胎児期起源の疾病と健康」
⑤ 2003年以降―国際会議で提起したこと
2 仮説 ポスト・チェルノブイリ世代の非ガン疾病増加に対する放射線影響
 -エビジェネティクスの観点から ポスト・チェルノブイリ世代の健康問題を追跡調査
① ポスト・チェルノブイリ世代―「健康でない子どもたち」の継続的増加
② セシウム137汚染地域における、内部被曝による女性の生殖健康の悪化
 a生殖健康の悪化―臨床面から/b胎盤、母乳から検出されたセシウム137/C性ホルモンの分泌変化と体内セシウム量/d継続する内部被曝/eセシウムの体内分布
③  思春期に被曝したのち、汚染地域で生活する女性の生殖健康
④  子宮内でのエビジェネティクスな変化を介した「胎児期起源の疾病と病気」
⑤ まとめー私たちの仮説
⑥ 私たちの仮設の意味すること
3章 チェルノブイリ健康研究からフクシマを問う
1 チェルノブイリ二五周年国際会議場に飛び交った「フクシマ」の声 「生態学的健康研究」が必要とされている
2 チェルノブイリ事故の衝撃と女性たち フィンランドの女子学生立ち上がる/チェルノブイリは、東西の「壁」を超えた
3 「国際原子力村」はチェルノブイリ事故の健康影響を如何に評価してきたか 原子力村―とりわけIAEA(国際原子力機関)について
① 事故直後からーソ連政府とIAEAの蜜月ぶり
② 5周年(1991年)の「健康影響評価」-ソ連政府の対策をIAEAに評価してもらう
③ 10周年(1996年)の「健康影響評価」と「人民法廷」
④ 15周年(2001年)の「健康影響評価」―IAEAとWHOのオカシナ関係
⑤ 2003年、国際会議「チェルノブイリの子どもたち」開催される。
4 告白―私たちが現地調査の中でぶつかった研究上の問題点 
① 子供はいつ、どこで生まれたか ② 持続する生態系汚染の中での「子宮」を問う、③ 何を指標にして放射線の影響を見るか、④ 「公式見解」に見る「原子力村」の陰を問う、チェルノブイリ研究からフクシマを考える。
5 フクシマの現在(二〇一一年一二月)を問う
① フクシマから放出された放射能の行方(海洋・水系への放射能放出量、土壌汚染の広がりが示された、推定された被曝者の広がりと被曝線量、
食品の安全をめぐる論戦
② 「福島県民健康調査」-その問題点を探る
6 まとめ―チェルノブイリ健康研究における二〇一一年の新しい知見と提言)
4章 3・11以後、「脱原発の思想」をあらためて紡ぐ(1原発利用の選択に「倫理」はあるか2モスクワ会議へのメッセージ3私たち世代にとって原発とは何か―生態学的倫理をめぐって4科学文明の転換点に立って、「脱」の新しい思想を紡ぐとき5一五歳の少女の声から)
結 伝え続けたい言葉

<内容の紹介>

1章 生命と健康―「科学を問う」ということ~「生態学的安全」を問う

 今日は「生態学的安全」を問う上で、最先端の重要なテーマとして突き付けられているのは、世代間の「共生」の問題。未来世代から、今を生きる現在世代に対して提出されている「いったい、未来世代の人権をどう考え、どのように生き合おうとしているのか」という強い疑義。
「ヒロシマ・ナガサキ」以後、本格的原子力時代に入り、「人類の共滅」「生命の危機」が問われてきた。生態系破壊のもたらす滅びの道は、時間をかけて起こることが想定。共滅のシナリオには、世代間における倫理に反する行為が含まれることになる。あるレベルの毒物汚染は、遺伝毒性、発がん性、催奇性、胎児毒性を含むような物質の場合、成人より幼い子子ども、胎児、受精卵の方が10倍も100倍もシビアな形で被曝の影響を受ける。放射線被曝のような「文明の負荷」を重ねるということは、そういった形で未来世代に対してより強く生命の危険を与えている。
 生態系の変化は、私たち世代だけでなく将来生まれてくる可能性のあるヒトを含めあらゆる生物の生命にも影響を与える。その生存を支える生態系に対して重大な責務を負っているのが私たち世代。世代間の倫理に基づいて私たちの世代の生き方が問われなければならない。従来の倫理は、同じ世代の人間間の倫理(共時性倫理)。今日では同じ時に生きていない人間間の倫理も(通時的倫理)大事。
-私たちが希求する社会の未来像は、「自然や未来世代の生命を破壊しない」方向へ向かう」社会。「生命とその多様性を高めることを社会の“真の豊かさ”とみなす」社会。

2章 放射能汚染が未来世代に及ぼすもの 

1 チェルノブイリの未来世代に何が起ころうとしているのか
①ポスト・チェルノブイリ世代―「健康でない子どもたち」の継続的増加 原発事故から25年という歳月がたち、セシウム137のレベルは、それなりに減少。にもかかわらず、事故の時、直接被曝したわけでないポスト・チェルノブイリ世代の子どもたちの健康状態がこれほどの割合で悪化している。→女性の生殖健康に対する放射線の影響に注目した。
②思春期に被曝したのち、汚染地域で生活する女性の生殖健康―汚染地域では、女性の生殖健康の悪化がみられているが、最も懸念を深めているのは、事故の時、思春期もしくは前思春期にあった女性たちの健康。従来の放射線の影響を発ガンや催奇形性などにしか注目してこなかった医学の常識とはきわめて異なる視点。セシウム汚染地域に住み続ける女性は、将来母親となる「若年層の女性人口集団」であり、生態学的にも、臨床医学的にも、科学文明史的にも、人類が初めて遭遇する健康問題を抱える集団と捉えるべき。(女性の生殖健康に関する解明が、放射線の内部被曝と未来世代への健康影響にとって重要な視点。)
⑥ まとめ -私たちの仮説 1、セシウム137の体内蓄積による放射線の内部被曝によって、エビジェネティク(DNAの塩基配列変化に変化による変化でなく、遺伝子発現が変わることで起きる変化)な変化が生じる。その結果、女性の生体内でホメオスタスシス(恒常性)のアンバランスを介して生殖の健康が損なわれる。2、その女性が妊娠したとき、胎児は子宮内に蓄積しているセシウムによって被曝し、発生の重要な時期にエビジェネティクな変化が生じ、生後の外的要因(新たなセシウムの外部被曝・内部被曝を含む)に対して非常に脆弱となり、病気に罹りやすい体質となる。
私たちの仮説

3章 チェルノブイリ健康研究からフクシマを問う 

2 チェルノブイリ事故の衝撃と女性たち 
フィンランドの女子学生立ち上がる
約4,000人の女子大生(生物学専攻中心)が1990年まで廃炉を求める。「私たちは「原子力」を生命の連鎖を断ち切るような技術と捉えている。原発の操業を許すことは、とりもなおさず死の灰(=核廃棄物)を生産することにほかならない」(原発の存在そのものが反生命的)
3 「国際原子力村」はチェルノブイリ事故の健康影響を如何に評価してきたか
「放射能の恐ろしさや放射線被曝の危険性に関する公的なあるいは国際的な評価は、核兵器を開発し、それを使用し、その技術を原発に拡張した人々と、それに協力してきた人々によって築き上げられてきた」「放射線被曝の危険性とそれによる被害を隠し、あるいはそれらをきわめて過少に評価することによって、原子力開発は推し進められてきた」(中川保雄『放射線被曝の歴史』)
 ソ連政府およびIAEAやWHO等の国連諸機関内に生じているチェルノブイリの健康影響評価を巡る問題、ひいてはその背景となっている国際政治について、その歴史、時系列に概観するだけでも、「公式見解」「科学的見解」とは何なのを問い、それがとりもなおさず、「科学」を問うことにつながっているのが見てくる。この歴史がフクシマでも繰り返されないよう心しなければならない。(未来世代への「戦争」が始まっている。)
生涯被曝許容線量―70年350ミリシーベルト
 1988年、ソ連放射線防護委員会は、「生涯被曝許容線量―70年350ミリシーベルト」を提示。しかし、1989年になって初めて汚染地図が住民に公開されたこともあって、年5ミリシーベルトにあたるこの基準を拒否。ICRPは、チェルノブイリ事故の前年(1985年)に一般公衆の被曝限度を年1ミリシーベルトに決めたばかりだった。
 「人民法廷」は、IAEAや原子力産業を「有罪」に 
出廷した科学者の証言
・甲状腺ガンのほかにも、甲状腺機能低下症を含む他の甲状腺疾患、および血液の異常、小児糖尿病、免疫系疾患などが多発している。
・妊娠8~15週での胎児被曝により、精神発達遅延が起こり得る。
・多様な先天的異常(手足、目、耳などの先天性身体障害)が発生している。
 人民法廷は、「判決」において、IAEA,各国の原子力委員会、原子力産業を支持する政府を「有罪」とした。
チェルノブイリ研究からフクシマを考える。
① 内部被曝の影響を重視することー持続的低線量被曝、特に生態系汚染を介した内部被曝の影響を重視すべきである。
② 子どもたちへの健康影響をよく幅広く捉えることー放射線の影響について、ガンなど重篤な特定の疾患だけに注目すべきでない。従来の放射線影響の考え方では、汚染地域に生じている幅広い健康影響を捉えられない。
③ 女性の生殖健康への影響を重視することー思春期への注意。次世代の健康影響を視野に入れ、生態系汚染を介しての内部被曝の関係を重視すべきである。
 チェルノブイリの経験から言えることは、まず、実際に起こっている出来事、健康被害の現状を先入観なしに受け止めることが重要。「放射線専門家」が繰り返して述べていた「100ミリシーベルト以下では影響がない」「チェルノブイリでは小児甲状腺ガン以外の健康被害は出ていない」といった偏った予備知識を前提にしては、現実は見えてこない。子どもたちに生じている健康被害の原因について、初めからあらゆる可能性を排除せずに原因を追求しようという姿勢がなければ、見つかるものも見つからない。あるいは、現在の「科学の限界」のために、放射線との関係がまだわからないという可能性も高い。その「あらゆる可能性」のひとつとして、私たちは、仮説を立てました。
5 フクシマの現在(二〇一一年一二月)を問う 
フクシマ事故による汚染の状況については、日々新しい情報が出ている状態が続いている。避難、汚染と除染、廃棄物の本題、ゴミ焼却によって濃縮された放射能を含む灰の処理問題など…
6 まとめ―チェルノブイリ健康研究における二〇一一年の新しい知見と提言)
 2011年4月の国際科学会議の「結論と勧告」―第35項目―低線量被曝の低減と防護に、もっと真剣な注意を払わねばならない。低線量の被曝影響が、しばしば高線量被曝の影響に匹敵することが実証されてきている。原子力施設などの局所的レベル、ならびにチェルノブイリやフクシマ事故あるいは、世界的に放射線のバックグランド線量を高める核実験のような地球的レベルのいずれにおいても低線量被曝の防止と予防システムの構築が、政府、国際機関、世界共同体の最も重要な課題となるべき。
 この国際会議後、「チェルノブイリの医師」協会代表のニャーグ教授と語り合ったこと「日本政府は、フクシマのことを長い間隠す可能性もあります。放射性物質の多くを海に出してしまったから。海洋の汚染は、土壌汚染同様深刻な事態です。この問題はすぐに解決しません。フクシマの放射能による生態系への影響はずっと続くでしょう。そのことを理解する人はまだ少ないです。チェルノブイリは、25年が経っても、まだ問題の多くが解決されてません。フクシマでも長期にわたり続くでしょう。

4章 3・11以後、「脱原発の思想」をあらためて紡ぐ 

1 原発利用の選択に「倫理」はあるか 
私たちのオロカナ選択のもとで原発利用にしがみついていた。その選択は、”今“だけに目線を向け、何らの洞察力も持ち得ずに未来世代を切り捨てている。「共生」という価値には、二つの事象が生きあうとき、その価値を守るには、”為してはならないことがある“使ってはならない科学が存在すること、それを「倫理」として示すこと。
 この地震列島においては、原発が制御不能な不完全システムであること。
 「生態学的倫理」とは、世代と世代との間の倫理を問題にする。現在世代が利用する科学技術によって生態系が汚染され、そのために未来の世代の健康や命が脅かされる。そうした事態がもたれされることがないよう、私たちの世代とこれからの世代との共生にかけがえのない価値を置く科学哲学が求められている。(「生態学的倫理」のもとで「未来のいのちを守るため脱原発を目指す」)
3 私たち世代にとって原発とは何か―生態学的倫理をめぐって
 チェルノブイリ惨事のような膨大な生活圏の破壊では、人類の手持ちの科学を如何に駆使しても、そこで得られる「未来の人類の生命・健康に関する知見」はきわめてわずかしかない。今日の科学技術社会は本来的に、未来世代の健康影響についてのは「解を持ち得ない」状況にある。
 未来からの使者(チェルノブイリ事故後に生まれたが子ども)語っていること 
 彼らが私たちの世代に合流してきたわけで、彼らはこの四半世紀の間、未来について(言い換えると)彼らが受けてきた子宮内での出来事について、身を持って私たちに解き示してきた。(“沈黙”という語りの中で…)私たち世代はそのことを見過ごすわけにはゆかない。…ある種の科学技術には、人類の生き方において“使ってはならない”“為してはならない”ものがあるはず。
 未来の生命・健康を遺伝子レベルにおいても傷つけないことが「かけがいのない価値」となることを希求している。原子力を兵器にもエネルギーにも使わず、膨大な核廃棄物をさらに積み上げるような現代文明から、”降りる“ことを生きる価値として、そのことを”喜び“をもって選び取れるような価値意識の転換が、現在進行形の福島の惨事の只中にあって、今いっそう求められている。
5 一五歳の少女の声から 「私が将来結婚したとき、被曝して子どもが産めなくなったら誰が責任を取ってくれるんですか?」「もっと早く避難を呼び掛けてほしかった」
 フクシマの15歳の少女は、これから生きてゆく上で「自分の目の前で起こっている、“人間の眼”で見るべきこと」を、率直に訴えている。振り返って、私たち大人世代が原子力推進政治を選び続けたのは「見るべきことを見ない、見ようとしない性を持った」世代である。
 遺しておきたい言葉1
5歳のあなたたちの今後の生き方にエールを送ります。最後に付け加えたいことがあります。あなたたちが大学生の年齢に達したとき、もう一度この本を、今後の生き方のひとつの道しるべとして読んでください。本書で解き示したこの2011年段階までの「放射能」問題を、あなた方世代がこの研究を受け継いで…可能ならば、この「女性の研究視点」を受け継いで、医化学方面に進んでくださる方がいれば…

結 伝え続けたい言葉

 「そもそも原子力の使用という文明論的問題と目先のエネルギー問題を同次元において比較できるものであろうか。原子爆弾も原子力発電も、いったん処理を過てば、人類文明は根本から崩壊するから、みだりに使うべきものではない。それはいわば不条理の世界に属するものである。」
 「若い世代、これから生まれる世代は、リスクや放射線量の残留する生涯不健康地に生きていくことになるだろうか」(科学史家 中山 茂)
 過酷な原発事故は、まぎれもなく人災としての「生態学的惨事」を生じさせる。しかし、人間の身体は、従来の医学で捉えられていたような、生態系に対して、独立して閉じている存在ではなく、開放系としてその生態系とつながっている。そして未来世代を宿す子宮はさらなる生態系として、外なる生態系とつながっている。「生態学的惨事」とは、そのような時空を超えて未来の生命にまで影響を及ぼすもの。
 ウランの採掘から核廃棄物処理問題に至るまで、原子力エネルギー(原発)は「民主主義」の理念とは相容れない科学技術と言っても過言ではない。ひとたび「事」が起これば、政治体制や社会体制が異なろうとも、原子力エネルギー(原発)許す社会では、今日的「民主主義」は底の浅さを
呈し、基本的人権すら侵されるようなことも生じ得る。しかもその侵害は、原発使用の選択に何ら関与していない未来世代にまで及び得るのです。本書では、ポスト・チェルノブイリ世代に起きている健康上の問題を」「仮説」という形で提示したが、それを「未来世代からの声=異議申し立て」として受けとめねばならない。
 「脱原発」とは、原子力を減らし自然エネルギーを増やしていくという単なるエネルギー政策上の問題ではない。脱原発を「新しい思想」として根本に据えることは、価値観の転換を意味する。その新しい価値観のもとで未来を設計する中でしか、真の「希望」は生まれてこないだろう。

<私の感想> 

女性(研究者)の視点から未来世代に言及!私たちの価値観の転換が求められています。

 私は、3.11以前は、チェルノブイリや、原発に関しての知識は、皆無に近いレベルでした。ただ千葉時代(45~30年前)に大気汚染問題に関わっていました。それで共通点があるためその重要性にはいち早く判断できました。それ以後は、勉強することの多さに参っている毎日です。
 2013年には、元NHKディレクターの馬場朝子さんの「低線量汚染地域からの報告 ― チェルノブイリ 26年後の健康被害」を取り上げ、そのあとは、OurPlanetTV白石 草さんの「チェルノブイリの26年、28年」を紹介してきました。その理由は、これらの中に出てくるウクライナのコロステン市が、ちょうど栗原市と同じような位置関係にあると思ったからです。そこでの子どもたちの様子がとても気になっていたからです。
 チェルノブイリ事故(1986年)以後、ウクライナで被曝した人の子どもで慢性疾患のある子どもの割合は1992年には21.1パーセントだったが、2008年には78.2パーセントに増加したことは、映像でも確認できていたのです。チェルノブイリ法についてもチェックし、映像で確認できた子どもたちを支える大人たち(特に専門職の女性達)の役割の大切さ、意識の高さに感心していました。それでも何故、チェルノブイリ事故後に生を享けた子どもたちにも健康被害が多いのかが今一つ理解できないでいました。
 3月19日に福島大での「原発と人権」集会で、吉田由布子さんにお会いした時、勧められ、購入するも最近ようやく読破しました。少し前から「未来世代」「世代間倫理」などは、言葉として使用してきましたが、本書で、すっきり納得しました。それに今、宮城県で進められる恐れが強い、仮設焼却場建設問題があります。「燃やすな 放射能!燃やせば 濃縮・拡散・未来へ影響!」と訴え始めているのですが、まだまだ十分に皆さんの間には、浸透していません。この焼却問題を未来世代との関係でどう皆さんの意識に位置付けてもらえるか、これからが本番です。
 本書のメインの綿貫さんとは、面識はありませんが、ものすごい方だとは分かりました。女性(研究者)の視点からの未来への言及には、大変、学ばされるものが多くありました。男性には、十分理解するには限界があるのか(感性も含めて)私の理解は、まだまだ不十分です。そして、本書がまさに綿貫さんの遺書になっていることも驚きました。それで、これをまず、同性の女性達(特に若い世代にも)に紹介し、それと限界があっても、世の男性たちが、これに、どれだけ理解できるかーこれは価値観の転換が求められます。脱原発を「新しい思想」として根本に据えるー価値観の転換には、本書の理解が今後のカギになってくると思われました。


<追記>
この記事は、4月24日に作成・公表し、「放射能から子どもたちをまもる栗原ネットワーク」の5月例会(5月14日)に配布したものです。この後、6月例会(6月11日)に、本書の著者、吉田由布子さんをお招きします。それに先立ち、このブログにも載せました。(6月1日)



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<BOOKS> 公共圏と熟議民主主義 現代社会の問題解決

<BOOKS>           2014.9.4

 放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク  佐藤 茂雄

公共圏と熟議民主主義 現代社会の問題解決

舩橋 晴俊・壽福 眞美 編著
発行;法制出版局  2013年8月30日

<内容紹介>

 今日、原発・エネルギー問題、移民の受け入れ、環境破壊、基地問題、ユビキタス・コンピューティングにともなう個人と社会の関係、マス・メディアの多様化など、多くの社会問題や政策課題が突きつけられている。現代社会に横たわる諸問題を公共の場での熟議を通して解決するための糸口を、日本および諸外国の具体的な事例をもとに社会運動と社会的合意形成、政治的意思決定過程にアプローチ。

<著者略歴>

舩橋 晴俊: 1948年生まれ。現在、法政大学社会学部教授。専門は環境社会学・社会計画論。
主な著書に、『組織の存立構造論と両義性論』(東信堂、2010年)、『環境総合年表』(共編、すいれん舎、2010年)、『社会学をいかに学ぶか』(単著、弘文堂、2012年)。

壽福 眞美: 1947年生まれ。現在、法政大学社会学部教授。専門は社会哲学。
主な著訳書に、『批判的理性の社会哲学』(単著、法政大学出版局、1996年)、「3・11後の責任倫理を問う」『環境思想・教育研究』第5号(2011年)、N.ボルツ/A.ミュンケル編『人間とは何か』(単独訳、法政大学出版局、2010年)。

<目次 >

第1章 高レベル放射性廃棄物問題をめぐる政策転換―合意形成のための科学的検討のあり方 (舩橋 晴俊)
第2章 グローバル化と多文化市民権の可能性―日本と西欧を視野に
第3章 現代アメリカ合衆国における移民の社会運動と公共圏の再編成―重層的境界構造の転換と非正規移民たちの熟議への参加
第4章 環境問題と公共圏―韓国の事例
第5章 インドネシアの環境政策をめぐって―イスラームの規範とイスラーム的公共圏がはたす役割
第6章 米軍基地と公共圏―岩国基地の拡張・機能強化から見た意思決定過程
第7章 ユビキタス・コンピューティングはどう受容されているか―ユーザーの意識とその問題
第8章 熟慮民主主義の制度化の可能性と大学の役割
第9章 マス・メディアと公共圏をめぐる問題群
第10章 社会運動、討議民主主義、社会・政治的「合意」―ドイツ核エネルギー政策の形成過程(1980~2011年)

<第1章 高レベル放射性廃棄物問題をめぐる政策転換
                    ―合意形成のための科学的検討のあり方―むすび>

第一に、高レベル放射性廃棄物問題は固有の極度の困難さを抱えており、これまでの「地層処分」を掲げた政策が行き詰っていることを認めなければならない。

第二に、高レベル放射性廃棄物問題が従来の政策では解決できない根拠を、逆順型合意形成、受益権と受苦圏の分離、科学的自立性の弱さ、総量管理の欠落といった諸点から解明すべきである。

第三に、2012年の学術会議の「回答」に示された「総量管理」「暫定保管」「多段階の意志決定」「科学的知見の限界の自覚」という緒論点は、高レベル放射性廃棄物問題の完全な解決策を提示するものではないが、現時点で、可能な「最善の対処」を提案する試みであると言える。

第四に、学術会議の「回答」をふまえるならば、今後の高レベル放射性廃棄物問題への取り組みにあたって、「自地域内処理原則」「他の公共施設との併隣接」と言う視点を重視すべきである。また、「科学的検討の場」の自律性を確保するための「統合・自律モデル」の実現と、それによる「科学的検討の場」と「政策形成の場」の区別と分離が必要である。それは公共圏との相互作用とあいまって「総合的政策決定」の適切性を確保する基本的必要条件である。

<私の感想>

 本書は、舩橋 晴俊氏がこの8月15日に逝去され、その著作の紹介がでてから入手し、読みはじめました。この第1章が舩橋 晴俊氏の担当です。その「むすび」の部分にすべてが凝縮、結論的なものとして記述されています。その前提として、彼の監訳の仕事、「核廃棄物と熟議民主主義―倫理的政策分析の可能性」があります。それは、カナダでの核廃棄物管理政策の展開をふまえの、3.11以後の日本におけるエネルギー政策、原発政策の根本的見直しを「倫理的政策分析」が有効な熟議民主主義を通して行うことを提唱することに繋がっていきました。そして、その実践が、市民シンクタンク原子力市民員会であり、「原発ゼロ社会への道――市民がつくる脱原子力政策大綱」(4月12日発表)は、本書のこの部分が重要な政策的柱となって支えています。

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<BOOKS> 核廃棄物と熟議民主主義 

<BOOKS>            2014.9.4

放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク   佐藤 茂雄

核廃棄物と熟議民主主義倫理的政策分析の可能性  

ジュヌヴィエーヴ・フジ・ジョンソン/著
舩橋晴俊、西谷内博美/監訳

発行;新泉社 2011年8月10日

<内容紹介>

原発の稼働とともに増えつづける使用済み核燃料。その処理という現代社会が抱える難問にどうとり組むのか。原発推進国カナダにおける「国民協議」を検証する。

<著者略歴>


ジュヌヴィエーヴ・フジ・ジョンソン
1968年、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー生まれ。同州スティーブストンで育つ。1995年、サイモン・フレイザー大学政治学部卒業。1997年、ロンドン大学LSE校政治理論研究科修士課程修了。2004年、トロント大学政治学研究科博士課程修了。現在、サイモン・フレイザー大学政治学部准教授

舩橋 晴俊
1948年、神奈川県生まれ。1976年、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。、法政大学社会学部教授、法政大学サステイナビリティ研究教育機構機構長  2014年8月逝去

西谷内 博美
2001年、シカゴ大学人文学研究科修士課程修了。2005年、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。現在、法政大学サステイナビリティ研究教育機構リサーチ・アシスタント

<目次 >

日本語版序文
第1章 核廃棄物問題と本書の視点
第2章 倫理的政策分析とその重要性
  リスク、不確実性、および将来の状況/ 実証主義と非実証主義による批判の台頭/ 正義と正統性の倫理的優位性
第3章 カナダの核燃料廃棄物管理政策──二つの陣営間の論争
  エイキン報告とシーボーン委員会/ 政府の回答、政策の枠組み、核燃料廃棄物法/ 核廃棄物管理機構(NWMO)の国民協議プロセス
第4章 核廃棄物管理政策で問われた倫理的諸問題
  将来世代/ 安全性とリスク/ 負担と受益/ 包摂とエンパワメント/ 説明責任と監視/ 倫理的政策分析の諸基準
第5章 三つの倫理学理論と核廃棄物問題
  福祉功利主義/ 現代義務論/ 熟議民主主義
第6章 熟議民主主義による政策分析の可能性と問題点
  核廃棄物管理機構による国民協議過程の評価/ カナダの核廃棄物管理問題から得られる教訓/ 結論
監訳者あとがき(舩橋 晴俊)

<「監訳者あとがき」の要約メモ>

本書の主題と内容

 高レベル放射性廃棄物問題を、カナダのける政策決定過程の事例研究に依拠して、熟議民主主義の可能性を探る視点から考察。

第1章―本書の問題関心と各章の論点の概要紹介。現代社会には、原子力発電に代表的に見られるように、現代社会のニーズに対処しようとする政策が、核廃棄物問題というかたちで遠い将来にわたって深刻な被害の危険を引き起こしている。

第2章―「倫理的政策分析とその重要性」を主題とする。リスク、不確実性、将来世代との関係が問題化するような政策的課題には、倫理的政策分析が必要かつ重要。経済性や効率性に注目する費用便益分析の手法だけでは適切に対処できないのであって、人々の平等、自由、自律性を尊重し、正義(justice)と正統性(legitimacy)を主題化する倫理的政策分析が必要。

第3章―2007年まで「カナダの核廃棄物管理政策」の歴史を、原子力政策の推進派と批判派の二つの陣営間の論争を軸にして記述。

第4章―カナダにおいて「核廃棄物管理政策で問われた倫理的諸問題」はどのようなものであったかの検証。その際、将来世代に対する責任と義務、安全性とリスク、負担と受益、包摂とエンパワメント、説明責任と監視が鍵概念となり、論争が展開。これらの論争の答えは、「道徳上の地位」(moral standing),「良さ」(the good)、「正義」「正統性」についての概念解釈を通して探求されるべき。

第5章―三つの倫理学理論、「福利功利主義」「現代義務論」「熟議民主主義」が倫理的諸問題を内包する核廃棄物問題に対してどのように取り組みうるかを検討。
四つの課題 ①「政策の熟議において現代と将来の人々を包摂することを合理的だとする道徳上の地位の根拠」②「現代世代と将来世代の両者に言及する、良さについての理論」③「現代世代と将来世代の両者に適用可能な正義という概念の捉え方」④「政策決定者と彼らの決定により拘束されたり、影響を受ける現在と将来の人々のあいだの関係を、正統なものとさせるような実質的、手続き的基準」に対して前二者は、全てに十分な解答を提供しない。「熟議民主主義」だけが四つの課題に同時に解答を与えうる。とくに公共政策の決定における正義と正統性をよりよく保証しうる。

第6章―結論の章。カナダの核廃棄物管理政策の展開をふまえて、公共政策における熟議民主主義の可能性と問題点を検討。この事例は、熟議民主主義の原則の適用が価値あるものであるのみならず可能であることを示す。だが、対立する二つの陣営の間に、どのような点で合意が形成できなかったかを、包摂、相互尊重性、予防、といった視点から考察する必要がある。カナダにおける核廃棄物管理をめぐって、安全性や長期管理や民主的参加の重要性については一定の合意がされたが、原子力エネルギーの役割そのものについては、合意形成されず、そのことが核廃棄物管理システムの受け入れ可能性についても根強い対立を帰結している。熟議民主主義の可能性は、究極的には、支配的な緒主体の意思によって左右されるという点が重要で、このことをさらに問わなければならない。

本書の社会的背景

 カナダにおける原子力政策の歴史があり、その歴史的経過のなかで、多様な利害関係者の発言権を認めた多段階の議論過程がある。カナダにおける原子力発電は1962年に操業が開始。その導入時に放射性廃棄物の処分問題について明確な解決策が確立されていたわけでない。2002年11月に核燃料廃棄物法ができ、核燃料廃棄物管理機構(NWMO)が設置。同機構は三年間四段階(対話、広報集会、世論調査、電子対話)からなる国民協議の過程を開始。この過程には熟議民主主義への志向性が見られる。

本書の意義

 本書を現在の日本社会に翻訳を通して紹介することは、4点で積極的な意義がある。

① 「倫理的政策分析」を提唱する点で、日本の政策科学に対する革新的な問題提起を行っている。
 公共政策は、人々への強制力をともなうものであり、それだけに政策決定における正統性が必要である。人々の自由と平等と自律性を尊重すること、価値と利害の対立に際して、人々の基本的権利と利害関心を道理に沿いつつ保護しながら、人々にとって受容可能なかたちで解決すること。
 「倫理的政策分析」は、経済性や効率性を鍵概念とする費用便益分析やリスク費用便益分析の不十分さを明らかにし、それらを相対化する。リスクや不確実性や将来世代の利害を考慮にいれなければならない政策課題への取り組みには、費用便益分析だけでは不十分で、とくに倫理的政策分析が必要。

 倫理的政策分析を支え、根拠づける可能性を有するのが、「熟議民主主義」だけである。カナダにおいて熟議民主主義を志向した実践的取り組みが、2002年から2004年にかけて「国民協議」というかたちでなされたこと。その具体的政策過程に即して、熟議民主主義の可能性と問題点を検討している。

 3.11を経て、日本では、エネルギー政策、とりわけ原発政策の根本的見直しが必要であり、広範な国民が関与するかたちでの原子力についての徹底的で継続的な話し合いが必要。そのような日本の状況にとって、熟議民主主義的な討論のくり返しによって、核廃棄物問題に対処しようとしてきたカナダの経験と、熟議民主主義の原理の積極的可能性を明らかにしている本書の考察は豊富な教示に富む。

 高レベル放射性廃棄物問題への取り組みにおける本質的選択肢が何かということについて、本書はきわめて示唆的である。カナダの核燃料廃棄物管理機構(NWMO)が提起した「適応性のある多段階型アプローチ」は国際的にも注目。しかし、これに対してカナダの原子力批判派は、納得していない。根拠は、原子力発電そのものの可否という課題を、正面からとり上げることを回避されていること。現在の日本では、脱原発を柱にした総合的エネルギー政策についての合意形成と、脱原発による核廃棄物の総量管理、総量の増加の速やかな抑制という大局的方針が存在しない限り、核廃棄物の処分のみを断片的に取り出した形での合意形成は、不可能。

<何故,私は、本書を紹介するのか>

 これまでも2012年の日本学術会議の原子力委員会に対する「高レベル放射性廃棄物について(回答)」と、その後の「世界」2013年2月号の「高レベル放射性廃棄物という難問への応答」で、舩橋 晴俊氏の主張はチェックしており、大変、注目していました。丁度一年前、私たち「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」では、崎山比早子さんを9月月例会―講演会にお招きした時に原子力市民員会の活動を知らされました。それで、その座長が舩橋 晴俊氏と知りました。2013年10月の原子力市民員会の「原発ゼロ社会への道――新しい公論形成のための中間報告」そして、今年4月12日発表の「原発ゼロ社会への道――市民がつくる脱原子力政策大綱」をチェックし、すぐに入手し、栗原でも普及を始めました。

 本書を私が入手したのは、5月29日に原子力市民員会へ、「原発ゼロ社会への道in宮城・栗原 意見交換会」を9月13日に開催したいと申し入れた後です。そのメインの講師に本書の翻訳者であり、原子力市民員会の責任者(座長)である舩橋 晴俊氏と連絡を受けたのが、6月になってからで、それから著作を探し,本書を入手しました。

 その舩橋 晴俊氏が、8月15日に自宅で就寝中に、くも膜下出血がおき逝去されたとの連絡を受けました。

 今、原発再稼働、福島原発事故収拾、放射性廃棄物処理、補償・健康問題など、今、全ての問題で政府の方針が完全に行き詰っています。これらの真の解決への道は、「私たちが、原発をどうするのか」を含めた根本から、総合的、全体的に見直すことから始まります。これからが、脱原発を目指す「公論形成」の正念場といえる状況でした。その中で、精力的かつ献身的に活動されてきた舩橋 晴俊氏を失うことは、痛恨の極みです。

 舩橋 晴俊氏は、私とも同年齢で、空間的にも一定時期は、近くにいたとは思いますが、残念ながら、まだお会いしたことがありませんでした。一度でもお会いし、直接お話を聞く機会でもあれば、もっと深く理解できたものをと思い、残念でなりません。彼の残した著作や、彼が中心となってスタートさせた市民シンクタンクである原子力市民員会との私たち市民との連携した今後の活動を通じて彼の主張してきたことへの理解をし、遺志を受け継いで、原発ゼロ社会の実現にむけて、全力を尽して行きたいと思います。

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「低線量汚染地域からの報告 ― チェルノブイリ 26年後の健康被害」を読んで 

<BOOKS>                         2013.3.31

低線量汚染地域からの報告 チェルノブイリ 26年後の健康被害を読んで 
   チ ェ ル ノ ブ イ リ と 福 島、 そ し て 栗 原 を 結 ぶ も の

NHK出版 2012.9.25 発行(1400円+税)
「低線量汚染地域からの報告 ― チェルノブイリ 26年後の健康被害」

<著者について>

馬場 朝子, 元NHKディレクター、現在フリーのTVディレクター  山内 太郎  NHKディレクター

<内容紹介>

 いまなお続く放射能汚染による健康被害。昨年4月、ウクライナ政府はチェルノブイリ原発事故後の、国民の健康への影響を詳細に調べた「ウクライナ政府報告書」を公表した。低線量汚染地域に居住してきた人々への定点調査では、甲状腺がんや心臓疾患、白内障といった疾病や慢性疾患の増加という実態が浮かび上がってきた。四半世紀を経てなお続く原発事故の「後遺症」を綴る。 2012年9月のNHK「ETV特集―チェルノブイリ原発事故・汚染地域からの報告 第2回ウクライナは訴える」の書籍版

<目次 >

第1章 26年後のチェルノブイリ原発
第2章 被災地からの叫びウクライナ政府報告書
第3章 低線量汚染地域に生きる人々
第4章 広がる甲状線疾患―
第5章 放射線と様々な病気との関係
第6章 ウクライナの医師たちの思い
第7章 福島の「いま」
第8章 闘う市民たち
第9章 未完の除染
第10章 ウクライナ政府報告書における第2世代の健康悪化
第11章 コロステンで生きる

<内容からの要約>

第1章 26年後のチェルノブイリ原発

26年後、ウクライナの現実 

 今回の取材のメインテーマは「放射線汚染地帯の住民の健康状態」。チェルノブイリ原発から140キロのコロステインの学校で、生徒たちに聞いた。その8割が自分の健康状態の悪さに悩まされていた。保健室の先生は、日に3回、救急車を呼んだこともあるという。こうした予想を超える叫びはウクライナの汚染地域を巡ると珍しいものではなかった。

福島のこれからを考えるために

 私(山内)は、NHK仙台放送局のディレクターとして、福島第1原発から100キロの仙台市に住んでいた。ここでは事故直後ロシア製の線量計で、毎時1マイクロシーベルトを超えた。(事故以前の仙台は、毎時0.05マイクロシーベルトほど)

 事故後しばらくして、国は、「年間20ミリシーベルトの被曝ならば、健康被害を起こすリスクは低い」と評価した。そしてこれを避難の目安とするなど、現在に至るまで、放射線の防護対策の基準としている。この年間20ミリシーベルトという数値を巡っては、国に対する不信や様々な異論の存在によって、住民は、不安をぬぐえずにいる。この数値がどういう数値なのか、自分たちにとって何を意味するのか、わからないから不安なのだ。この不安・不信は国にだけ向けられたものではなく、私たちマスコミに対してもだ。本当のことが知りたいという声が浴びせられ続けた。

 こういった声に応えるためチェルノブイリを取材することにした。福島の未来の姿を知る唯一の手掛かりは、チェルノブイリの現在の姿にある。

今も残る放射線

 チェルノブイリ原発から4キロのプリピャチの遊園地跡地で。コンクリートの隙間に生えている緑色の苔に線量計を近づけた。毎時16マイクロシーベルトを表示。現地のガイドは、「道を外れた芝生にも立ち入らないように」という。今チェルノブイリ原発周辺には、プリピャチのような立ち入り禁止区域が1万平方メートルもある。その土地に暮らしていた40万人近くがふるさとを追われた。

 ウクライナでは、「年間5ミリシーベルト」を基準として、それ以上の線量の地域を住んではいけない場所―①強制避難地域ーと②強制移住地域(5ミリシ-ベルト以上)それ以下の地域を住んでよい場所―③移住勧告地域(1~5ミリロシーベルト)と④放射線管理地域(0.5~1ミリシーベルト)といている。しかし事故直後の1986年にソ連が決めた基準は、「年間100ミリシーベルト」だった。事故から5年後ソ連崩壊と前後して、陶磁の国際基準だった「年間5ミリシーベルト」となった。

 今も評価が分かれている100ミリシーベルト以下の被曝を一般的に「低線量被曝」と呼ぶ。チェルノブイリ原発の立ち入り禁止区域の外側には、そこの住み続けると低線量被曝をしてしまう地域が拡がっている。それが、「移住勧告地域」や「放射線管理地域」といった「低線量汚染地域」だ。

第2章 被災地からの叫びウクライナ政府報告書

236万人の被災者データ

 ウクライナの首都キエフにある国立記録センターには、2012年時点で236万4538人の被災者データがまとめられている。その内訳は、①原発事故の処理作業員(31万7157人)②原発周辺の立ち入り禁止区域からの避難者(8万1442人)③低線量汚染地域の住民(153万1545人)④1~3の人々から生まれた第2世代(31万9322人)⑤既に死亡した人(11万5072人)

政府による詳細な調査報告書

 このデータベースを基にして作られたのが、「チェルノブイリ事故から25年 未来のための安全」と題された「ウクライナ政府報告書」だ。2011年4月に行われた「キエフ国際科学会議」当事国のウクライナ、ロシア、ベラルーシの政府関係者、IAEA(国際原子力機関)などの国連諸機関、G8、EUの首脳が話し合う国際会議に、それが出された。その中では原発事故による住民の健康状態について書かれている部分に多くのページが割かれている。甲状腺疾患、白内障、免疫疾患、神経精神疾患、循環器系疾患(心臓・血管など)、気管支疾患(肺・呼吸器など)消化器系疾患(胃・腸など)体中のあらゆる組織の病気について記されている。これらの病気が原因で被災地の人々の健康は事故直後に比べ著しく悪化。原発周辺からの避難民のうち、慢性疾患を持つ人は、1988年の31.5%から2008年には、78.5%に増加した。これらをIAEA、WHO等の国際機関は、チェルノブイリ原発からの放射線との関係を認めていない。

因果関係を認めてこなかった国際機関

 国連で被曝線量の基準を定めるUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は、除染作業者の白血病、白内障、それに小児甲状腺がん以外の病気については、チェルノブイリ原発事故の放射線による影響を認めていない。限定的な影響しか認めていない国際機関。それは日本や欧米の専門家にも同様の見解が多い。

被災地からの叫び

 国際機関や日本、欧米の専門家の立場―「疫学的手法で、証明できないことは科学的ではなく、事実として認めることはできない」(「疫学的手法」とは、ある集団の被曝線量と健康被害との間に統計的に有意な相関があって、初めて証明されたとする方法)

 これに対して、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの被災地の医師や専門家たちは、反論。-国際機関が要求する「疫学的手法」による科学的証明はそもそも不可能で、自分たちは、別の方法で科学的証明をしていると主張。

 彼らは、まず、チェルノブイリ原発事故に関する客観的データの入手の困難さを主張。理由として、①事故直後の住民の健康調査に関するデータが、1989年までソ連政府によって隠され、医療統計も改ざんされた。②汚染地域からの避難者も信頼できる健康データそのものが不足。③放出された放射性核種それぞれの線量の復元は難しい。④個人個人の放射線量の確定は難しい。例えばベラルーシでは、1986年から2000年の間に15%が国内で移住し、移動場所での被曝線量を把握するのは不可能。(ロシア科学アカデミーのアレクセイ・ヤブロロフ博士)

 国際機関が要求している証明方法である疫学的手法は、そのもととなる個人個人の被曝線量のデータが入手しがたいのだから、そもそも不可能な方法だと主張。彼らの言う別の方法とは、放射線量は異なるものの、その他の点で同様な集団同士の違いを調べる方法。自然環境、社会環境、経済的特徴は等しいが、汚染の程度が異なる複数の地域において発病率や死亡率などを比較する方法が、チェルノブイリ研究においてもっとも一般的な方法だという。

 事故から25年を経て、強まる現地の医師たちの声。そこでウクライナは2011年4月、国の威信をかけ国際社会が無視する現場の医師たちの声を擁護し、億歳社会に対する異議を申し立てることにした。それが、「ウクライナ政府報告書」です。

第3章 低線量汚染地域に生きる人々

ソビエト時代の名残

 ソビエトから独立して21年、人口4596万のウクライナのGDPは独立前の水準を28%も割り込み、低迷。70年以上続いた「ソビエト社会主義共和国連邦」の中で、ウクライナはロシアに次いで2番目に重要な共和国だった。国土は、日本の1.6倍、ロシアに比べ温暖で、「ソ連の台所」として他の共和国を支えていた。しかし、ソ連時代、ウクライナは、数々の不幸な体験を。スターリンの独裁政治の中で急激な農業集団化、極端な政策で農地が荒廃し、400万~700万の人々が餓死。その上、ソビエト政府によるロシア化が進められた。そして、事故後3年間は、チェルノブイリ事故の情報はひた隠しにされた。

 被災地で暮らす人たちを取材するため、チェルノブイリ原発から140キロのコロステン市へ。人口6万5000、製陶やコンクリート工業といった製造業が盛んな町。市があるのは、移住勧告地域と放射線管理区域が混在する低線量汚染地域で、年間0.5~5ミリシーベルトの被曝線量が見込まれる地域

患者を診続けてきた医師たち

 町で唯一の総合病院コロステイン中央病院を訪ねる。副院長のアレクセイ・ザイエツ医師を中心に4人の医師が集まった。

 「事故当時、放出物質の80%は放射性ヨウ素で、まず被害を受けたのは、甲状腺でした。大きく増えたのがびまん性甲状腺腫、結節性甲状腺腫、甲状腺機能低下症、甲状腺機能亢進症など。同じく甲状腺がんも増えた。事故前まで、ここでは甲状腺がんの診断をしたことない。甲状腺がんの確認をしたのは、事故1年後の1987年で、子どもの症例が1例確認。91年には、9症例。」「当時は甲状腺に関連して予防医学的なこと、防護対策はしていません。」「最近危惧しているのは、若年齢層(事故当時18歳以下の子どもだった人たち)の問題で、3か月ごとの検査をしている。彼らの多くが甲状腺疾患を患っている。いまや大人となり、自分たちの子どもをもうけている。その生れた子どもたちにも、多くの甲状腺疾患が見られる。」

 「内科系の疾病の中で、最も特徴的な疾病がリウマチ疾病。事故前は、リウマチ患者が6人で、2004年には、22人に、2010年には、42人2011年は、45人でした。こういった症状は、チェルノブイリ事故当時、若年層だった人たちに見られる。」

 「事故前(1980~1986年)のがんの平均発病率は、10万人あたり200人、現在(1987~2011年)は、310人と、1.5倍に増えている。」

 「リンパ腫と白血病という血液の病気も増えている。事故前の6年間では、26の症例が記録されていたが、事故後は、25年間で255症例となる。がんによる死亡率も30%ほど増えている。同じく放射能の影響と思われる多くの慢性病をかかえた患者が増えている。がん患者の年齢別構成グループについては、発症年齢が若くなっている傾向(一番多いのが40歳までのグループ)がある。コンピュターを使った診断の影響もあるが、依然として患者は増え続けており、現段階で、チェルノブイリ原発事故が私たち国民にもたらした健康被害を総括するのは、時期尚早。がんの分野についての結論を出すのは、まだ早い。」

 「被曝した両親から、障害を持って生まれてくる子どもがいる。2009年は、先天性障害が身体障害全体の47%を占める。2010年は、36.8%。2011年は42.2%。2012年第一四半期では100%です。主に心臓循環器系疾患、腸、目などに確認されています。2005年から心臓の先天性障害が第1位で、現在もそれは変わりません。」「事故前までは、年に数件、今は、年に30~40人、先天性障害のある子どもたちが生まれ、これからも起こる可能性があるのではないかと恐れている。」

 現在、放射線の人体に与える影響に関しては、広島・長崎の原爆被爆者の調査結果が世界のスタンダードとされている。それによると、被曝者の子どもには影響は全くなく、人間では放射線の遺伝的影響は認められないとなっている。コロステイン中央病院の医師たちは研究者ではなく、日々患者を診ている現場の医師です。緻密な分析や研究の機会も、その時間もない。しかし、医師たちがあげた患者数の多さに私たちは圧倒された。

第4章 広がる甲状線疾患

追跡調査の結果

 次に町の検診センターを訪ねた。まず、全身の被曝量を測るホールボディカウンター室へ。ここで基準を超えると家庭訪問をして、日々何を食べているのかをチェックする。みな自主的に、年1回はここで計測をするそうだ。住民の間に被曝量の計測検査が定着している。

 副所長のアレクサンドル・グテビッチさんー「1991年から5年間、3万人の子どもたちの甲状腺も調べた大規模な検査の結果、9人の子どもに甲状腺がんが見つかった。2009・2010年には、1991年に診察した人たちの追跡調査を行った。以前疾患のあった160人中、甲状腺がんが3人、その疑いがある人9人が発見された。甲状腺の中のしこりの数の増加を確かめることができたし、しこりの大きさも拡大していることが分かった。調査グループは1968年から86年の間に生まれた人たちで、彼らを今後も綿密に調査すべきであり、甲状腺がんを含め今後、病気が発生する可能性がある。」

残留放射線の危険性

 26年が経っても住民の健康被害が多発していることを、住民は、どのように?
「事故後の数年間、人々は、集会を開いたり、いろいろなことを要求していた。しかし、今は、放射線の危険性についての話題は、あまり出なくなり、人々は危険性を忘れつつある。」「野生のキノコやイチゴなどの植物を、数年後には、少しずつ森へ行って取ってくるようになっている。」「セシウム137だけでなく、ストロンチウムやプルトニウム、アメリシウムなど放射性物質は、まだまだたくさんある。」「チェルノブイリ事故当時子どもだった人々は、大人の10倍以上の被害を受けた。将来きっとそういった人々の健康問題が出てくる。調査し続けないといけない。チェルノブイリ問題はまだ続いている。

悔やまれる初期対応の遅れ

 もう一人の甲状腺担当のアレクセイ・サイコー医師―「当時はすべてが隠されていた。事故の直後、5月1日はメーデー、5月9日は、戦勝記念日の屋外パレードが行われた。その時にヨウ素対策が行われていたら、患者はこれほど多くならなかった。」「チェルノブイリ事故の時、ここにきてくれた日本の医師たちが私の先生でした。今、福島事故後の日本はどうなっていますか。チェルノブイリ事故後の私たちの経験が役に立っているでしょうか」

数年後に現れた甲状腺疾患

 サイコーさんの診察室で、検査を受けに来ていた女性、エレーナさん(46歳)と知り合った。1986年4月26日、チェルノブイリ事故当時、エレーナさんは20歳。まだ結婚前。―「5月1日、警察官はみなチェルノブイリに駆り出されていて事故の収拾作業にあたっていた。私たち住民が集められ、デモの警備をさせられた。日差しが強く、本当は、身を隠さなければならなかったのに、誰もそんなことを知らず、私たちは被曝した。」

 コロステインのあるジトーミル州全体の平均的な被曝等価線量のデータでは、事故の年(1986年)1.96、その後10年間に2.91、さらにその後1997~2011年までが1.32.事故後25年間の全ての積算で6.19ミリシーベルト。年平均では、0.25ミリシーベルト。この数字をどう見るかは、いろいろあるだろうが、福島の浜通りの汚染と比べれば、かなり低い。しかし、コロステインの汚染をこの数字だけで見ると見誤る可能性がある。別のデータからは、ジトーミル州の「第3ゾーン」「第4ゾーン」に1986年から2011年まで暮らした人の内部被曝と外部被曝を合わせてのセシウム137による25年間の被曝実効線量はそれぞれ25.8ミリシーベルトと14.9未リシーベルトであった。このデータからも年間被曝線量が1ミリシーベルト前後だという数字が導き出される。

 ヨウ素131による被曝データは、半減期が8日ですぐに測定しなければ被曝の実態は分からなくなってします。ウクライナではチェルノブイリ原発事故の1ヶ月以内に、13万人の子どもとティーンエイジャーの甲状腺被曝調査を行っていた。ジトーミル州全体の平均で「7歳以下」が231ミリグレイ(ミリシ-ベルト)であり幼児の甲状腺被曝は、低線量被曝と呼べないほど大きな被曝だった。当時のエレーナさんの年齢に近い「18歳以上」は60ミリグレイだった。(これは低線量被曝)福島では原子力安全委員会は1080人の子どもを対象としたスクーニング調査から「100ミリシーベルトを超えるものはいなかった」としている。

 こうしてエレーナさんたちコロステインの人たちは事故直後の初期被曝は大きなものであった可能性があり、その後、浴び続けた年間の被曝線量は1ミリシーベルト弱前後だったのではないかと、言えます。もちろん、こうした推計にはホットスポットの影響など全く入っておらず、個人単位で見れば、おそらく幅広いばらつきがあったと思われる。また、セシウムの他のストロンチウムやプルトニウムによる被曝を含んでいないものだ。

 しかし、コロステインの町全体として見た場合、事故直後を除けばいわゆる低線量の汚染地域であったことは、確実。ちなみに現在のコロステインの空間線量は、毎時0.2マイクロシーベルト前後である。

 エレーナさんたちコロステインの人たちは事故直後、何も知らされないまま被曝し続けた。自らを守るには、知識が必要で、その知識を伝える情報が伝えられなかった。「5月初め、ゴルバチョフ書記長が演説を行って、みな関心を持つようになった。」「子どもたちの疎開が始まった。女性たちはある一定期間、医師から妊娠を避けるように言われ、堕胎する人もいました。」エレーナさんは事故から1年後に結婚、翌年に妊娠・出産した。

 事故後1,2年すると、住民の検査がようやく少しずつ始まっていった。しかし、住民へ食生活の注意はあまりなかったという。エレーナさんに甲状腺の疾患が見つかったのは、事故後、数年が経過してからだった。4年が経ち、甲状腺のエコーを受けた。甲状腺にしこりが見つかり、経過観察となった。エレーナさんは出産後、保育園の先生から料理人になり働いてきたが、数年前に体調が急に悪くなり、働き続けられなくなった。甲状腺だけでなく、ぜんそくや全身の痛みなど、様々な症状が現れた。

初期被曝が引き起こす甲状腺がん

 甲状腺疾患は、他の被災地ではどうなのか。キエフのウクライナ内分泌代謝研究センターへ。
副院長のワレリー・テレシェンコ医師―「チェルノブイリ原発事故での放出物の80%は、主に放射性ヨウ素131。その特性は、選択的に甲状腺の細胞のみに吸収されること。事故から4年経過する1990年まで甲状腺の罹患率は急に上がることはなく、潜伏期でした。1990年から上昇し始めました。」 

 「当時、甲状腺がんは、リスクグループの子どもと青少年に見られました。事故前は、ウクライナの子どもの人口1200万に対して年間4,5症例でした。」「それが、1990年に62症例、そのすべてが子どもと青少年。その後は毎年増加し続けました。最近の5年間は年間600症例、昨年は700症例に。チェルノブイリ事故当時、子どもや青少年であった人たちです。」「科学ではまだ解明されていない点があります。なぜ甲状腺がんが早く発症する人と遅く発症する人がいるのか、そして、いつこの患者数の上昇が収まるのか、わかりません。」「私の見解ですが、被曝した線量が関わっていると思います。被曝線量が高かった子どもたちほど早く反応を示し、甲状腺がんになり、被曝線量が低かった子どもたちは、ずっと後になって甲状腺がんを発症したということです。」

 「チェルノブイリ事故後ウクライナでは当時青少年だった人たちのうち、7000人が甲状腺がんで手術を受けましたが、この数字は最終的な数字ではありません。これまで予防的検診が行われてきましたが、今後は、今は成人となっている彼らが、自発的に医師に診てもらわなければ適切な予防対策は行われません。」

 現在、甲状腺がんは、手術をすれば命を落とすことは少ないといわれる。しかし、甲状腺を切除すれば一生ホルモン剤を飲み続けなければならない。様々な症状が出る人もいるという。チェルノブイリの事故から数年は、日本でもチェルノブイリに関心が高く、支援など様々な活動をしてきた。発症は、あの頃がピークで、26年経った今は少しは収まっているのではないかと思ってきたが、現実はまるで違っていた。終わっていないどころか、増え続けている。しかも、いつまで増え続けるのか、誰も予測できない状態なのだ。テレシェンコさんは、話の最後に、コロステインの医師たちと同じように、事故後すぐの政府の対応を厳しく批判した。

 「事故当時の『パニックをおこさない』というソ連幹部の戦術は間違っていたですから、予防医学的措置がとられなかった。ヨウ素剤を摂取するとかして、正常な要素が甲状腺に入ってブロックするようにすれば、放射性ヨウ素には行き場はありません。しかしながら、私たちのところではこういったことが行われませんでした。そのために放射性ヨウ素は、最初は、大気中に、その後食料品に、そして甲状腺の細胞に入り込み、影響を与えているのです。」

 放射線の被曝で起こる甲状腺がんについて、まだまだ解明されていないことの方が多く、科学的には解明途上。そのような状況下で、「これなら安全」とか「危険」などとは言えない。

福島における検査のあり方

 福島県では、2011年11月より子どもたちの甲状腺検査を始めた。2012年6月の発表で、甲状腺の異常が、35.8%。うち35.3%は二次検査の必要ないレベル、0.5%が二次検査が必要なレベルとしている。甲状腺結節(しこり)は、1%の子どもからみつかり、残り35%ほどは嚢胞と呼ばれる水がたまった袋が見つかった。福島県によると、現在行われている検査はあくまで先行検査だという。甲状腺がんは、事故後4,5年後から出るとして、どんなに早くとも3,4年後。2013年4月から本格検査を2年ごとに行うというもの。つまり検査によって見つかった甲状腺の異常は、事故とは関係なく存在していた異常であるという立場だ。

第5章 放射線と様々な病気との関係

放射線と心筋梗塞の関係

 ウクライナ政府報告書によれば、慢性疾患の中でも圧倒的に多いのが循環器系の病気で、「心筋梗塞」や「狭心症」を取り上げることが多い。この心臓や血管の病気が、がん以外の慢性疾患による死因の実に89%を占めるという。ウクライナ国立放射線医学研究センターのウラジーミル・ブズノフさんを訪ねた。

 「チェルノブイリ事故の影響で放射線を被曝した人の健康状態の悪化は、がん以外の様々な疾患に見られる。発症の時期が早いのが甲状腺の異常。そして最も需要なのが循環器系の異常で、30%を占め、次に消化器官の疾患が26%。次が呼吸器官疾病で、慢性気管支炎など。死因に関しては、80%以上が循環器系の疾患です。具体的には、脳出血、脳梗塞、心不全、心筋梗塞、そして最終的に心筋梗塞につながる狭心症があります。」

 さらに、仮説の段階と断った上で、放射線が心臓や血管の病気を発症させるメカニズムについても言及した。「セシウムはあらゆる身体組織に蓄積する。腎臓、胃、膵臓、もちろん血管、内分泌腺。これまで私たちが蓄積してきた実験の成果では、なかでも血管の内皮細胞が放射線の被曝に対してとても敏感な細胞であることを示している。それはどんな小さな線量であっても大きな痛みをもたらす可能性はあるという立場をとっています。細胞が損傷を受けているので、その影響があるという考え方です。細胞が正常でなく、異常な形で成長すると、血管は損傷を受けます。10ミリシーベルトの放射線で血管の内皮細胞は損傷してしまう。」

食糧への影響

 現在のウクライナのスーパーなどで売られている食べ物は、国が厳重な管理をしており、放射性物質が含まれる可能性は低いという。では、コロステインの人々は、どのようにして心臓や血管などの病気の原因となる可能性の高い、基準を超えた放射性物質を含む食べ物を摂取してしまうのか。

 コロステインの自由市場へ行く。市場には付属の検査所が必ずあり、すべての食料品について放射線量の検査を行っている。この検査所では、もともと汚染されている可能性が高い食料品は、持ち込むことすら許されない。汚染農産物、つまりキノコ、ブルーベリー、コケモモ、イチゴ、鹿肉といった森で採れるものは販売禁止です。

悪化し続ける体調、膨らむ不安

 コロステイン中央病院のザイエツ医師の診察を受けていた一人の男性に取材を申し込んだ。
ワシーリー・ブロンコフスキーさん(58歳)は、2011年心筋梗塞の手術を受けた。夫婦二人住まいの集合住宅を訪ねる。普段食べているものを見せてもらった。奥さんは、奥の部屋の棚からいくつかの瓶詰を出してきた。なかにはキノコ、トマト、キュウリなどの塩漬け酢漬けが入っている。奥さんに「放射線の心配はしていないのか」と不躾な質問をした。ここの住民は、キノコやイチゴで生きながらえている、という。給料もろくに出ず、年金暮らしで、この食べ物で生きるしかない、という。

 ワシーリーさんは、学生時代はバレーボールの選手をするなどスポーツマンで、病気らしい病気はしたことがないという。大卒後、工場の管理部門の仕事で、高線量の放射線を浴びるような経験は一度もしていない。チェルノブイリ原発事故があった日は会社の寮にいた。5月1日のメーデーの日、兄弟や友人たちと近くの川に行って泳いだり遊んだりしていた。「1年後から、呼吸が苦しくなって、血圧が上がり、時々胸が痛くなった。その後は足や膝、背中や腰に痛みが出ました。」「私だけでなく他の人々にも同じような症状が出ました。子どもの頃から兄弟・親戚はみんな元気でした。私には6人の兄弟姉妹がいて、近所に住んでいましたが、そのうち3人がすでに亡くなりました。」

 昨年、ワシーリーさんの体調は決定的に悪化した。いつものように自家菜園に行って水をまいていた。家に戻ったら体から少しずつ力が抜け、胸の辺りがズタズタに切り裂かれるような強い痛みに襲われた。心筋梗塞の手術後、体調は安定せず、35年務めた会社も辞めた。心筋梗塞の治療費は国の負担だが、薬代は自己負担。5種類の薬代が家計を圧迫するようになった。このままこの場所に住み続ければ病気になるかもしれないとわかっていて、移住も考えたという。しかし、様々な事情からふるさとを離れることはできなかった。

 ワシーリーさんのように、ウクライナの被災地に暮らす人々の病気が100%放射線の影響だと科学的に証明されたわけではない。身のまわりに起きた不幸な状況を、26年前に起きた原発事故のせいにしているだけではないかという見方もできるかもしれない。そんな見方に立つと、こんな不確かな情報を日本に伝えることで、福島の人たちへの差別を助長するのではないかというおそれがある。

 しかし、ありのままを知りたい。本当のことが分からない時に生まれる不安。分かることをすべて教えられなかったり、分からないことは何なのか、はっきりと伝えられなかった時に生まれる不信。ウクライナの人々はそういった感覚に26年間、翻弄されてきたのだ。

 私は、このウクライナで取材した結果につて、分かったことは分かったこと、分からなかったことは分からないとして、そのまま伝えようと思う。

低線量被曝と白内障との関係 

 もともと白内障は、広島や長崎の被爆者の研究、または原発作業員の研究で、放射線を一定量浴びると発症する病気であることが分かっている。WHOの見解では、白内障が起きるとされる最も低い線量は250ミリシーベルト。それに対してウクライナ政府報告書は、もっと低い線量の放射線を浴びても白内障が発症するとしている。

放射線との関係を追い続ける医師

 キエフにあるウクライナ国立放射線医学研究センターに、ウクライナ政府報告書の白内障やその他の目の病気の項目を執筆したバベル・フェデリコさんを訪ねる。ある被災者がどのくらいの被曝線量が見込まれる土地に住んできたかを調べ、その被曝線量ごとに被災者の目の状態を調べることで、放射線が目に及ぼす影響を研究している。0.1グレイ(100ミリシーベルト)の低線量でも、1000人当たりおよそ2.3人に白内障が発症。それより低い線量でも、放射線によって白内障は増加する結果が出ているという。これからは、被曝した人々から生まれた子どもたちにも病気が発生するという。まだ詳しくは研究中。国際的な合意では白内障の「しきい値」は250ミリシーベルトとなるが、フェデリコさんは、白内障にはしきい値はないと主張。

 国際機関が認めようが認めまいが、目の前に患者がいることは事実であると語るフェデリコさんの日本へのメッセージー「日本での放射線の影響を受けた人々の場合、異常が現れるのは、おそらく5年後になる。その時彼らの健康を細かく検診すべき。ただしそれをやることは非常に難しい。目の専門家、特に特殊な専門家は日本にも少ない。また、被災者については被曝線量のデータなどを細かく集めなければいけません。少なくとも3年以内に。」

第6章 ウクライナの医師たちの思い

IAEAの姿勢

 ウクライナ内分泌代謝研究センターの医師ワレリー・テレシェンコさん。-「IAEAは、疑問を起こさせる要因が全くないことだけを認めるのです。現在は甲状腺がんについては誰も疑問を呈することはありません。しかし、まだ十分に証明されていないことについては、IAEAは否定します。そういう態度をとるのは彼らの立場からで、新しい原子力発電所を建設したいと思っているからこそ、抵抗し、『事故の影響はたいしたことはないので何も心配することはない』と言うのです。」

因果関係が認められるまでの苦難

 ウクライナ国立放射線医学研究センターノアナトーリー・チュマク医師―「放射線の影響と考えられる疾患が一つ見つかったとしたら、それが国際的に認められるためには、5年から10年の時間がかかるものです。1991年に子どもの甲状腺がんが注目された。しかし、国際的に、間違いなく甲状腺がんが放射線の影響だと承認されたのは1996年、5年後でした。そして、除染作業者の白血病が初めて指摘されたのは1997年でしたが、これを国際社会が認めたのが2008年になってからです。他のがんについても同じようなズレがある。他の疾患についても国際機関はいずれそれを承認するでしょう。」

目の前の患者を助けるために

 「国際的な合意があってもなくても、それは私たちに何の影響もありません。私たちはここで頑張ってやっています。自分たちで作り上げた治療方法を持っています。それに私たちの病院には臨床疫学記録があります。あらゆる被災者グループの患者さんが記録され2年に1回、検診を受けています。その中から年に28人~30人の早期がんが発見されしっかり彼らを治療し、命を助けています。」
 「福島が心配です。甲状腺疾患に関しては、日本人は海産物のヨウ素を普段から摂っているので、発病は少ないだろうと思っています。セシウムの影響に関してはありえるかもしれません。一番大切なことは、モニタリングし続けることです。」

科学的な証明よりも大切なこと

 ウラジーミル・ブズノフさんー「国際機関が認めたがらないのには、政治的な理由がある。これは核技術の運命なのです。世界は「原子力は必要なのか」という議論を再び始め、代替技術を探している。常に核技術に関して責任を持っている国際機関と、各国の学者との間で争いがある。彼らは『まだこの件に関しては研究調査する必要があります』と常に言います。このような会議の決議の歴史を見ると、決議の最後はいつも『これはまだ研究中』と言うことになっています。研究中なら、まだ明確になっていないのだから、人々が心配する必要はない、というわけなのです」

 科学は、まだまだ人間という複雑な存在を解明できていない。完璧な美しき証明より、不完全でも人間にやさしい科学の取り扱い方が必要なのではないだろうか。

国際社会との連携を

 精神医学が専門で、1989年にNGO「チェルノブイリの医師たち」を立ち上げ、ウクライナの現状を世界に発信してきたアンゲリーナ・ニャーグさんー「チェルノブイリ原発事故により、ヨーロッパ17か国に放射線が降り、20万7000平方キロメートルの地域が汚染。ヨーロッパ全体に爪痕を残し、今でも影響を与え続けています。ソ連は、チェルノブイリ情報を3年間ほど秘密扱いし、当時、住民の健康被害は軽いと判断された。様々な体の不調は精神的な不調による障害であり、放射線への恐れから起こる『放射線恐怖症』によるものとされた。確かに30キロゾーンから避難した人々は、かなりのストレスを抱えていました。家、職場、健康、将来、すべてを失ってしまったのですから。ただし彼らは、『放射線恐怖症』という病気ではありません。」

 「2006年にIAEAなどが主催した国際会議に参加しました。しかし、会議での重要な発言者は、アメリカの代表で、チェルノブイリ事故は大したものではなかったと結論づけました。事前にIAEAなどの結論をまとめた文書がマスコミに配布されていましたので、マスコミではその公式的見解しか流されませんでした。ですから私たち『チェルノブイリの医師たち』はIAEAから独立した形で別の会議を開きました。」

 「IAEAは線量にしても、健康被害にしても、被害の人数にしても、あらゆるところで数字を低く評価しようとする傾向があります。除染作業者は20万人しかいなかったとしていますが、実際はおよそ80万人いたのです。低線量が健康に影響を与えていると指摘しても、IAEAは、それほど健康に悪影響をもたらしていないという立場をとり続けています。」

 今回ウクライナで話を聞いた医師たちの殆どが、旧ソ連で医学を修めた。薄給で、恵まれた待遇ではない。それに今のウクライナの医療現場では、近代設備や高価な医療機器は不足している。海外で研鑽を積む機会も少ない。だからといって現場の医師の実感を無視していいわけではない。ウクライナの医師たちの研究の不備を指摘するなら、国際機関は、現場の医師たちの言葉の中の真実を、明らかにする手助けをすべきではないか。

原発建設を選択する「被曝」国

 ウクライナと同様に国土の広範囲を汚染されたベラルーシ政府は2011年、国内初の原発の建設を決定。ロシアが資金を融資し、建設もロシアの専門家だ。ウクライナ政府は独立後、核兵器を放棄した。しかし、エネルギー面では原子力に。事故後に、原発の規制を行ったが、電力不足を招いてしまい、規制の見直しへ。現在ウクライナの原発へのエネルギー依存は、およそ50%。新たな原発の建設も予定。
ニャーグさんー「いまウクライナでは、国民の多くが原発に反対していますが、政府は原発を続けようとしています。世界で核ビジネスが原子力の危険の上に花開こうとしています。核の危険性は高まっています。これは核という病気なのです。」

 ニャーグさんの言う「核の病気」とは何か。―地球上に400以上ある原子炉が黒い点で示された世界の原発マップを見たことがあります。その黒い点が、まわりの大地を汚染しつつ増殖を続けていると考えた時、まるでそれが、がん細胞のように見えました。あくなき増殖を続け、最後に母体の命を奪い、自らも死に至る。原発は母なる地球を脅かす病だ、とニャーグさんは訴えているのだ。

第7章 福島の「いま」

なぜ「年間20ミリシーベルト」なのか
 
 政府は、ある時期から年間放射線量20ミリシーベルトという避難の基準を設け、これ以上の放射線量が見込まれる地域から強制避難を実施している。しかし、この避難基準―「年間20ミリシーベルト」という数値に対し、不安や不信が上がっている。この数値の妥当性について考える。この「年間20ミリシーベルト」という数値は、どうやって決まったものなのか。また、その議論の中でチェルノブイリ原発事故の現状がどのように議論され評価されたのかを見る。私たちが福島の現実に対して、チェルノブイリの教訓をどう生かすべきか考える。ちなみに、チェルノブイリ原発事故の被災地では、年間5ミリシーベルト以下の放射線量が見込まれる地域で多くの病気が起きている。

 1980年に作られた原子力施設などに関する「防災指針」には長期にわたる放射線防護の指針がなかったという。そこで原子力安全委員会は、ICRP(国際放射線防護委員会)が定義した「緊急時被ばく状況」つまり緊急時なので、それを打開するための一定の被曝は仕方がない状況における参考レベル「年間20~100ミリシーベルト」の最も低い値を当てはめたということになる。

 しかしこの基準については高すぎるという不信の声が多く上がった。そこで、政府は2011年11月有識者による検討の場を設けた。「低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ」だ。

 その第2回会合では、チェルノブイリ原発事故の被災地で住民の健康について研究を重ねてきた二人の研究者、長崎大の柴田義貞教授と獨協大の木村真三准教授を説明者として開催された。(内閣官房府「低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ」のHPで、動画が見られる)

 柴田教授は、チェルノブイリ原発事故の被災地では、疫学的な手法に基づいた調査の結果、国際機関が認めている以外の健康悪化を科学的に証明することは出来ないと発表。50回以上も現地に足を運び、チェルノブイリに関する世界の疫学の第一人者だという研究者の言葉に、ワーキンググループの委員をつとめる専門家も納得の表情。これに対して、オブザーバーとして出席していた国会議員たちから、現地で病気の増加が報告されているのではないかという質問が飛んでも、共同主査を務める前川和彦東大名誉教授が、「一見、あたかも因果関係があるかのようなことをいう論文はたくさんありますが、いずれも、私たちが信頼する国際的な機関では取り上げられていない。私たちが見てもおかしい。」と余裕で一蹴した。

 二人目の発表者で、現在もウクライナの被災地に足繁く通い、また福島原発事故の被災地でも直後から放射線量を測り続け、人々を放射線から守るため奔走している木村准教授は、ウクライナでは5ミリシーベルト以下の地域でも避難の権利が与えられていること、また被災地で慢性疾患が起きてきているというデータをあげながら、柴田さんの意見、さらにはワーキンググループの委員の意見に真っ向から対立する発表を行った。

 木村准教授の発表後、共同主査のもうひとり、長崎大の長瀧重信名誉教授が、切り出した。彼は、その分野の第一人者として高く評価されてきた大物研究者であり、この若手研究者の木村氏に対して、「客観的に」「何が」起こったのかを話すように念を押す。(この独特の雰囲気は、ぜひ動画を見ていただきたい)そして対する木村氏は、自分が現地で見聞きしたことをそのまま話すという姿勢を貫いた。

 その後も専門的議論が続いた。最終的に長瀧名誉教授は、国際的にはチェルノブイリ原発事故の放射線による病気は、小児甲状腺がんなどに限られた病気だけであると結論づけ、実際の政策については政治的な判断に任せるとした。

 こうした議論を経て2011年12月、「低線量被ばくのリスクに関するワーキンググループ」による8回の会合の成果がまとめられた。心臓疾患など、ウクライナ政府や現場の医師たちが主張する様々な病気は、科学的に確認されていないとして、今回のワーキンググループの見解では顧みられないことになった。

 こうして、福島第一原発事故後の低線量被曝に関する日本政府の方針は、短期間で決められた。ワーキンググループで一応の議論は行われた。しかし、「科学とは何か」という問題について国際的合意から逸脱する見解を政府見解とするという選択肢は最初からなかったのではないか。結局、ウクライナの医師たち、そしてウクライナで病気に苦しんできた人たちの叫びに、日本の行政は耳を傾けないことにしたこれ以後、国民の放射線防護に関わる行政の全ての施策が「年間20ミリシーベルト以下は安心」との基準を中心に,まわりはじめることになった。

科学的な証明の後では遅すぎる

 ワーキンググループの報告書が出た後も、その評価が妥当か、議論が続いていた。国会事故調査委員会は、2012年3月に、ウクライナの非常事態省などから3氏を日本へ招き、ウクライナの現状を聞き取りした。これを受けて2012年8月国会事故調の報告書では、「年間20ミリシーベルト」の基準について、とりわけ子どもたちの健康をどう守るかという視点に立ち、こう指摘している。

「ウクライナ、ベラルーシ、ロシア3国に共通していたことは、子どもたちの健康を守るために毎年3週間程度、非汚染地区にあるサナトリウムに送り、食事、治療、体力、免疫力増進に努めていること。チェルノブイリ法が制定され、年間1ミリシーベルトから5ミリシーベルトの汚染地域では、希望すれば移住が認められている。福島の年間20ミリシーベルト基準が特に感受性の高い子どもにとっていかに高い線量であるかが分かる

放射線への感受性は年齢が低いほど高い。被ばく時、ゼロ歳であると40歳で被ばくした場合に比べリスクは女性で約4倍、男性で約3倍。胎児期に10ミリシーベルトから20ミリシーベルト被ばくすると小児白血病や小児固形がんのリスクが1.4倍となるという報告もある。若年者は放射線感受性が高いほか、彼らの余命が長いこと。その間に再び被ばくのリスクを負う可能性もあり、それが蓄積するから。年間20ミリシーベルトは原子力発電所などで働く成人の5年間の平均被ばく線量である。胎児を含めた年少者の感受性の高さを考慮すると、福島の若年者は放射線作業者以上のリスクを背負うことになる

 ウクライナの専門家たちは、年間20ミリシーベルトという線引きに疑問を呈している。国会事故調の報告書も、その主張に理解を示し、参考にすべきだと主張している。

第8章 闘う市民たち

立派な市長室

 コロステインは古い歴史を持つ町。チェルノブイリ事故の際、どのような状況だったかを知るために市庁舎を訪ねた。ソ連時代に作られた4階建ての古い四角い建物。エレベーターはない。この町で1999年から4期市長を務める57歳のウラジミール・マスカレンコ市長は文字通りこの町の全てを決定する実力者。事故当時もソ連共産党の市委員会で書記を努めており、最もよく当時の情勢を最も早く知り得る立場にいた。

事故当日とその後の混乱

 「チェルノブイリ事故について、私は3日後に知らされました。事故の規模、現在とられている対策などです。一般の人には、まだ情報は与えられていませんでした。今は、当時は情報が隠されていたといわれますが、党の指導部は損失や事故の規模について、あの時、成果ウに把握できていなかったのではないかと感じています。」「当時、風はこの町の方に拭いていました。その風にのって放射性物質も私たちの町へやってきました。しばらくして、甲状腺を正常に機能させるため、ヨウ素を豊富に含む食品を摂取するようにと医師たちが言いはじめました。私たちは、あまりにも無知で何もわからなかったのです。」

 チェルノブイリで事故が起きた直後にはモスクワから専門家たちが現地に到着、調査を始めた。翌日にはソ連陸軍化学部隊が消火作業を開始。しかし、すべては秘密に行われ、線量調査結果なども暗号で伝送されていた。ウクライナの小さな町のトップのマスカレンコ氏に正確な情報は与えられなかっただろうが、国のリーダーたちは、すべてを把握していたのだ。

 「5月半ば、ようやく子どもたちの疎開が始まりました。ここから数百キロ離れた場所へ疎開させたのです。バスが100台ほど来て、母親から子どもたちは引き離されて保母、教師らとバスに乗り込みました。悲しい光景でした。町の通りはがらんとしてしまいました。大人しかいなくなってしまったのですから。恐ろしい光景でした。」

 子どもたちの姿は消え、男たちの多くがチェルノブイリ事故現場に動員されたコロステインは、まさに原発事故と戦う前線基地となっていった。

 「私たちと共産党中央委員会との関係は、非常に険悪なものになりました。政府を批判することは大変危険でした。鉄道員のストライキ委員会とコロステイン市共産党委員会とが共同で、チェルノブイリ原発で苦しむ市民の社会的擁護についての法案の原案を書き、最高会議に送ったりもしました。」

 ウクライナでは1991年、汚染された地域で暮らす人たちに対する「チェルノブイリ事故による放射能汚染地域の法的扱い」「チェルノブイリ原発被災者の定義と社会的保護」という二つの法律が制定された。それには追加放射線量年間1ミリシーベルトを超える地域の住民の移住の権利が明記された。また、被曝や汚染の程度により被災者は4つのカテゴリーに分けられ、それに応じて様々な特典や補償が決められた。しかしこの年、ソ連は崩壊、ウクライナは独立国となったが、経済的・政治的混乱が生じ、この法律によって定められた補償を完全に実施することは困難になった。

ふるさとを再興するために (省)  チェルノブイリ連合    (省)  ウクライナ社会学研究所   (省)

第9章 未完の除染

苦い記念日

 コロステインの中心部から北西に車で10分ほど行ったところに、気象台がある。様々な気象データと同時に、26年前からは大気中の放射線量を測ってきた。訪ねた日の放射線量は、「毎時0.19マイクロシーベルト」もともと日本より少し線量が高いウクライナでは、この値は正常だという。気象台の係官は、「毎時0.25マイクロシーベルト以上になったら、すぐ報告しなければなならい。この仕事は9年ですが、1回も出ていません」

 4月26日の朝刊に載ったコロステインの線量も毎時0.22マイクロシーベルトと、いつもと変わらない。この日は、ウクライナの人々にとって特別の日。26年前にチェルノブイリ原発事故が起きた日で、追悼行事が行われた。

除染はどのように行われたのか

 チェルノブイリ原発事故の放射線による汚染について管轄する非常事態省のコロステイン支部を訪ねた。支部の責任者オレグ・ボシャコフさん(前は陸軍の少佐)に聞いた。

 事故から5年後の1991年、ソ連は「チェルノブイリ法」を作り「年間5ミリシーベルト」以上の線量が見込まれる土地に住む人たちを強制移住させた。「年間1~5ミリシ-ベルト」までの土地に住む人たちは、希望すれば移住ができ国がそれを支援する権利が与えられたが、生まれ育った場所に住み続けた人々も多かった。

 コロステインのほとんどは、年間1~5ミリシーベルトの地域と年間0.5~1ミリシーベルトの地域が混在する低線量汚染地域。住み続ける住民は多く、住民の健康被害をできるだけ抑えようと、国をあげて除染が行われることになった。3つの州に46の除染のセンターを作り、放射線の専門家が除染作業の管理を行うことになっていたという。しかしその年の12月、ソ連は崩壊。チェルノブイリ原発事故の対策は独立したウクライナに委ねられることになった。

 「コロステイン市では1万2000カ所の土壌サンプルを採取。さらに1万カ所に及ぶ空中のサンプルを採取。飲料水として利用されていた井戸もすべて調査(2000カ所)。川からもサンプルを。川底からはセシウム、プルトニウム、アメリシウム、ストロンチウムなど放射性元素のすべてが見つかった」

 年間5ミリシ-ベルト以上を被曝する汚染スポットのパシーナとポドルスキーの2地区から除染を始めた。公共施設や学校、その後に民家の除染が行われた。ボシャコフさんは、対象となった民家8500戸すべての見取り図を見せてくれた。一軒当たり10カ所ほどの線量調査、その後に徹底除染をしたという。1997年までの5年間で、コロステインでは、4000戸の民家の除染に1億ドル(当時のレートで約120億円)の巨費が投じられた。(一戸当たり300万円)当時ウクライナの名目GDPは日本のおよそ1%。ウクライナの国庫には大きな負担となった。二つ目の汚染スポットのポドルスキー地区の除染に取りかかった頃、世界的な不況がウクライナを襲い、予算が尽きて除染は中断。高線量汚染地域の民家や森、自家菜園の汚染が残されてしまった。

情報の大切さ

 事故から26年が経った現在、かつての汚染地域の汚染度はどうなっているのか、ボシャコフさんに現在の汚染度の計測をお願いした。半日かけて、コロステインの10カ所以上の汚染度を計測した。

 除染が行われた学校では、いずれの場所でも毎時0.1マイクロシーベルト前後。高い汚染が残された地区の川沿いの芝生(除染していない)。毎時0.15マイクロシーベルト。民家の周りの菜園、雨水がたまる甕、軒先、屋根などーごくたまに0.2、平均では、0.15マイクロシーベルト。最後の訪れたのは、ポドルスキー地区の民家が途切れたあたりの林。毎時0.3マイクロシーベルトでした。

 「この場所でキノコ、イチゴがとれますが、食べてはいけない。ここは放射性物質の残りがある。住民はここを歩いていますし、子どもたちは走りまわっています。とても心配です。」「最も必要なのは、情報です。住民は自分たちが放射線量が高いレベルにあるところに暮らしているということを知らなければなりません。そして選択をすべきなのです。住みたいのであれば住めばよいし、移住したければ移住すればよいのです。除染はコロステインのように中途半端な形で終わってはなりません。ウクライナは資金不足のためにミスを犯しました。」

第10章 ウクライナ政府報告書における第2世代の健康悪化

7割以上の子どもが慢性疾患に

 ウクライナ政府報告書の中で、最も衝撃を受けたのは、被災地の子どもたちの現在の健康に関して書かれたリポートー事故後に汚染地帯で生まれ育った第2世代31万9322人の健康悪化だ。「慢性疾患」を持つ第2世代は、1992年の21.1%から、2008年の78.2%に増加している。例えば、内分泌系疾患11.61倍、筋骨系疾患5.34倍、消化器系5.00倍,精神及び行動の異常3.83倍、循環器系疾患3.75倍、泌尿器系3.60倍である。およそ8割の子どもたちが病気を持っている。半信半疑でコロステインの学校(11年制)を訪問した。

 チェルノブイリ事故後、学校では子どもたちが疲れやすいということで、1987年から、45分の授業時間を低学年は10分、高学年は5分短縮。授業後、13~14歳のクラスへ、その18人の生徒全員に体調について聞いた。完全に健康だと答えたのは、4人だけ。中学2年生にしては小柄、痩せている子どもが多い。病気の多さには驚かされた。

 保健室に行くと、保健師のパカリチュック・スベトラーナさんにカルテを見せてくれた。「入学前と年に2回検診を行っている。3週間前の検診では、485人の生徒のうち48.2%に甲状腺などの内分泌疾患が見つかった。背骨が曲がっているとか、背中に異常がある肉体的発育障害22.1%、目の障害19.2%、呼吸器官に障害6.7%、消化器疾患、神経疾患は、5%。正規の体育の授業を受けられるのは全校で14人だけ。他の子どもたちは特別な軽い体操のグループに入っている。これは、食べ物によるかもしれないし、放射能が関係しているのかもしれません。」

 校長先生にも聞いた。「1993年からここで働いていますが、こんな状況に気付いたのは、2000年か2001年だと…甲状腺肥大、心臓障害、免疫力低下、消化器系疾患などが目立って現れている。多くの生徒が何らかの病気を抱えている。授業中もめまいなどを訴える子どもがちょくちょくいる。事故前は820人の生徒がいたが、今は485人。たくさんの子どもたちがこの町を去っていきました。」

 学校には、チェルノブイリ事故後のリハビリプログラムがあり、生徒は1年に1度サナトリウムで療養する。健康維持のために、給食は非汚染地域からの食材を使う。

 ウクライナでは、チェルノブイリ被災地の学校にと特別の規律を作っている。事故前は5~11年生で試験があったが、事故後は、9年生と最終学年11年生以外は試験が廃止された。低学年には宿題も出さない。試験勉強をすると、生徒が無理をして倒れることがあるからだ。学力への心配について校長は、

「毎年試験があれば、子どもたちの学力は向上するでしょう。このような状態で残念です。子どもたちの健康はこの国の未来です。だから子どもたちには元気であってほしい。個人的には、今の子どもたちの状態を引き起こしたのは、チェルノブイリ事故が原因だと思っています。」

報告書に記された第2世代の健康状態
 
 キエフにあるウクライナ国立放射線医学研究センターのウクライナ政府報告書で子どもの健康に関する項目を執筆したエフゲーニャ・ステパーニバさんを訪ねた。彼女は、20年以上にわたって、汚染地域の子どもたちの健康状態悪化の原因を探ってきたベテラン小児科医だ。子どもたちの健康状態が少しずつ、しかし確実に悪化していくことを、統計はもちろん、実感として持ち続けている

 ステパーノバさんは、血液中の赤血球やミトコンドリアを調べることで、放射能の影響と子どもたちの健康状態の悪化の関連性を立証しようと試みた。その努力の中で、ステパーニバさんは子どもたちの件状態悪化の一つの原因が放射線であること、そしてチェルノブイリ原発事故の影響のうち、放射線以外の原因も影響を及ぼしていると考えるようになった。

「チェルノブイリ事故による影響は放射線だけでなくて、いろいろな要素がありました。貧困、ストレスなどもあったのです。」

第11章 コロステンで生きる

甲状腺がんが見つかった長女

 再びエレーナ・パシンスカヤさん(第4章)一家を訪ねた。エレーナさんは、一家総出で、家庭菜園で農作業をしていた。ジャガイモ、トマト、キュウリ、豆、トウモロコシ、タマネギと多くの野菜を作っている。瓶詰にして、冬中それでビタミンを補給する、生きていくために欠かせない自給自足体制だ。有機肥料を使っているので安全だと自慢気だ。放射性物質の危険性は、と聞くと

「それは避けられません。仕方がないことです。でも町で買っても、ウソをついて危ない野菜を売る人が結構います。自分で作って食べた方がまだ安全。ジャガイモなど少し厚く皮を剥いて水に2時間ほど浸します。」

 エレーナさん一家は、事故後ずっとこの町で、この土地のものを食べて生きてきた。移住の権利があり、エレーナさんと夫のセルゲイさんは、この町を去るかどうか思い悩んだという。しかし、移住地の希望は聞いてもらえず、移住先では、良い仕事は官僚たちが取ってしまうので、良い仕事は回ってこないという噂を聞くという。実際に、多くの人たちが、新しい生活に幻滅してコロステインに戻って来ていた。結局エレーナさんは、この町に残る選択をした。ただ、子どもたちのことを考えると、これで良かったのかと、今も思い悩むという。ふたりの娘たちが、病を抱えてしまったからだ。

 長女のナターシャさんは、2002年13歳で甲状腺がんの手術を受けていた。今も検査を続けて、ホルモン剤を飲んでいる。母として、エレーナさんは後悔しているという。チェルノブイリ事故から時間が経った後に生まれた世代の甲状腺疾患と放射線との因果関係については証明されていない。事故2か月で殆ど消失した放射性ヨウ素が、事故後2年経って生まれた子どもに影響することはないはずだ。しかし、コロステイン中央病院のガリーナ・ミハイロブナ医師は、最近,母娘両方に甲状腺疾患があるケースがよく見られると言っていた。放射線被曝と関係なく甲状腺の病気の一部に遺伝が原因となるものもあるとのことだが、発症率は高くない。取材した学校でも、甲状腺をはじめとした内分泌疾患が子どもたちの半分近くに見られた。この地域のヨウ素不足からか、何らかの放射性物質が関わっているのか、更なる解明が必要なのではないか。

次女にもしこりが…

 17歳の次女ガーリャさんはスポーツウーマン。そのガーリャさんにも最近しこりが見つかった。エレーナさんは、チェルノブイリの影響を心配して、子どもたちの健康には人一倍気を使ってきた。

 「私は、ガーリャを甲状腺の検査に連れて行ったんですが、いつも結果は正常でした。ところが半年前に受けた検査では、一つの葉は正常だけど、もう一つの葉は肥大していて正常値から外れていると言われた。再検査をしたら、左右の葉は正常になったのですが、代わりにしこりが見つかってしまいました。」

 数日後、ガーリャさんの定期健診に同行した。この日の超音波検査の結果、6ミリだった甲状腺のしこりは8ミリになっていた。サイコー医師は「全身の状態は悪くないので、様子を見ましょう」ガーリャさんは、今日は無事放免ということで、嬉しそうだった。それをエレーナさんは、複雑な表情で見つめていた。「心配しています。しこりが大きくなっているし、10年前、ナターシャにも同じようなことがあり、がんになってしまいましたから。この子はまだ、事態の深刻さを分かっていないようですが、娘の体の中で大きくなっていく、その1ミリのことで私の頭はいっぱいです…」

 チェルノブイリの汚染地域で生きるということは、不安の中で長い日々を送ることなのだ。放射線の影響が明らかになった疾患、今後放射線の影響が証明される可能性がある疾患、そして、これからも証明が不可能な疾患、それらがないまぜになった状況で生きなければならないのが汚染地域に住む人々なのだ。

同じ過ちを繰り返してはいけない

 コロステイン市を離れる前に、再び中央病院のアレクセイ・ザイエツ医師を訪ねた。コロステインの子どもたちの健康状態が悪化していることについて聞いた。

 「体の弱い子どもたちが多いのは、子どもたちの免疫力が低下しているということです。子どもたちを取りまく環境や食品の問題があります。つまり、化学物質がたくさん入っている食料品を食べていますから、そしてチェルノブイリもまた、原因のひとつだと思っています。放射性物質と化学物質が一緒になると、健康にとって大変、害があります。」「低線量被曝は現段階で証明するのは難しいのですが、現場の医師として私は様々な疾患はチェルノブイリの影響だと思っています。様々な疾患がチェルノブイリ事故前に比べて増加していることは、まさしくチェルノブイリによる障害なのだと思います。」

 「いま日本では、低線量被曝は健康に問題ないから考慮しなくてもいいとも言われているが」と言う私たちに、ザイエツさんは、

 「あの時の私たちと同じです。私たちは、はじめは考えませんでした。でも放射線は、低線量でも、必ず細胞に影響を与えます。あなたたちは今、私たちと同じ経験をしているのです。同じような放射性物質が出ています。まじ、汚染地域をしっかりと管理しなければいけません。毎日食料品を検査し、管理して、住民に情報をきちんと出さなければなりません。放射性物質の性質と害についての情報です。最悪の場合、何が起きる可能性があるのか、住民は知るべきなのです。これを定期的に行わないといけません。住民の検診も十分にやらないといけないし、もし内部被曝があったら、それを排出し、健康への対策をとらないといけないのです。福島の人々への心から言いたいのです。私たちが犯した失敗を繰り返してはいけません。いくら注意しても注意しすぎることはないのです。」



あとがきにかえて 因果関係の罠―「ウクライナ政府報告書」が問いかけるもの
                        
                    NHK「ETV特集」チーフプロジューサー 矢吹 寿秀

 2012年7月に公表された国会原発事故調査委員会の最終報告書は、行政の判断や事前の準備不足のせいで初期被曝の実態が分からなくなってしまったこと厳しく非難しています。第2章で取り上げたウクライナをはじめとするチェルノブイリ事故被災国の嘆きが、我が国の現実となる恐れが生まれています。

 ウクライナ政府は、因果関係の医学的立証は困難であるものの、原発事故関連の疾病被害は膨大な数にのぼると主張。その主たる原因が放射線への被曝によるものだとするウクライナ政府報告書は、国連科学委員会の見解に真っ向から異議を申し立てるもの。低線量被曝による健康被害についての国際的な合意に反する主張です。ウクライナの医師たちにしてみれば、自国で史上最大の原発事故が起きた後に数多くの病気が発生していることは眼前の動かぬ事実に違いなく、よりひどい汚染地域でより多くの患者が発生していることなどから、放射能が少なくともこうした病気の原因のひとつであると推定するのも無理からぬこと。

 ウクライナ政府報告書のもとになっているウクライナの医師たちの主張を、国連科学委員会が科学的事実として認めないのは、「科学的立証としての条件を満たした疫学的に証明されたものでない」という立場からです。

 このことを考える際に、私たちは健康被害とその原因を探る疫学との間に横たわる、ふたつの「罠」があります。ひとつは「ありふれた病気」の罠。どんな因子であっても、それが心臓病やがんのようなありふれた病気の原因であることを証明することは、非常に困難であるという「罠」です。

 チェルノブイリ事故の4,5年後から増えはじめた子どもの甲状腺がんと原発事故の因果関係が立証できた背景には、幼児の甲状腺がんが原発事故前には非常に珍しい病気だったということがあったのは見逃せません。事故の前後で明らかな増加が確認できることは、疫学的調査に有利に働きます。それでも現地の医師たちの叫びが国際機関に届き、因果関係が認められるまでには数年が必要でした。ウクライナの医師たちが放射線によって引き起こされたと主張している心臓病や免疫疾患のような病気につては、その因果関係を立証するのは困難なのです。

 もうひとつの罠が、「データ不足」の罠です。福島でもチェルノブイリでも、準備不足や事故後の混乱の中で正確な被曝の実態をつかむことはできませんでした。膨大な数の住民に被曝を引き起こしつつ、同時にその正確な被曝データは記録されるほど整然と進行するような「理想的な」原発事故など、いったいこの世に存在するのだろうか?そもそも、いったん原発事故の被災者となってしまえば、データ不足の罠にとらわれることから逃れられないのではないか。

 これまで起きた数々の薬害、公害病の訴えにおいても、原因因子と被害に因果関係があることを主張する被害者を苦しめてきたのがこの罠でした。被害者が入手できるデータが不足している限り、原因企業や政府側は、因果関係を否定する自分たちこそが「科学側」に立っていると胸を張ることすらできるのです。

 この「ありふれた病気の罠」と「データ不足の罠」の両方に捕らわれてしまった国、それがウクライナかもしれません。事故後3年半、ソ連政府により汚染の事実を隠されたり健康実態のデータがねつ造されたりした上に、ソ連邦崩壊後には社会的・経済的に混乱してしまったウクライナ。その国に対し、住民の正確な被曝データと健康被害の因果関係をきちんと立証してみろと要求し、それができないウクライナの医師たちの叫びを「科学」の名のもとに放置しているのが国際社会の現状です。

 病気と日々向き合っているウクライナの医師たちは怒りの声をあげています。「それならば、この悲劇的なまでの健康被害の連鎖の原因はいったい何だというのか」国際機関の言うような「心理的・社会的」な要因だけで説明できるでしょうか。ウクライナ政府報告書は、因果関係をただ否定するだけで、真実の解明や救済に向けたアクションに消極的な国際社会のありようが、倫理的に正しいのかということを厳しく問うているのです。

 福島第一原発の事故を経験した私たちは、我が国もまた丸ごと「因果関係の罠」に掛かってしまうことがないよう気を付けねばなりません。そして今後万が一、放射能による健康被害を訴える人が発生した際に、その患者を罠に閉じ込めてしまわないためには何をすべきなのか、あらかじめ真剣に考える必要があります。



感 想 本書はチェルノブイリと福島そして栗原を結ぶものに

 この低線量汚染地域のコロステン市の例は、「26年後の福島を見て取る」という反応がETV特集を見たり、本書を読んで、多く出ています。しかし、私は、これは、それにとどまらない内容を持っていると考えています。つまり、この低線量汚染地域は、日本に当てはめると、福島県にとどまらず岩手・宮城から首都圏にいたる膨大な地域が入ってきます。特に栗原市と福島第一原発は、このコロステン市とチェルノブイリとほぼ同距離(140キロ)です。コロステイン市は、移住勧告地域と放射線管理区域が混在する低線量汚染地域で、年間0.5~5ミリシーベルトの被曝線量が見込まれる地域です。ここと栗原市は、全く同レベルなのです。

 低線量被曝でも健康に大きな影響を及ぼしうる、というチェルノブイリの痛切な経験は、これまで少しは知っていたつもりでした。これのTV映像版(ETV特集)は、既に昨年9月と、今年3月の再放送の2回見ました。(この間、計4回もNHKは、放送しています)しかし、改めて活字で本書を読むと、更に様々なことを気付かされました。

 福島の避難基準20ミリシーベルトがいかに高いか、それがどのように決められ危険なものか。ここ宮城県北部―栗原あたりの1ミリシーベルト前後でも、同程度のコロステインなどのウクライナの数値を見ているともっと危険性を感じなければならないこと。甲状腺疾患は、福島での3例(がん)は、これから起きることの前兆に過ぎないこと。26年経った現在も、様々な健康被害が、特に若年層に出てきている、その収束の気配もないウクライナの状況は明日の福島にとどまらず、明日の栗原・東日本までに警告を発しているようです。ここから私たち日本人が、チェルノブイリ事故とその後のウクライナなどの長期的な放射線被曝から何を学ぶべきかを教えてくれています

 IAEA等の国際機関やICRP、日本における既成の権威ある学会や学者たちの位置づけ、果たしている役割なども改めて考えさせられました。あとがきに書かれている「因果関係の罠」に被害者がはまらない、追い込まれないようにするには、私自身も公害裁判を争った経験から、これには、あらゆる分野の広範な人たちの協同・協力・支援が不可欠です。総力戦になってきます。

 勿論、日本とウクライナなどとでは、異なる状況や条件もたくさんあります。しかし、チェルノブイリ原発事故後の26年間にコロステン市で起きてきたこと同じような状況にならないなどという保証はどこにもありません。しかし、まだ私たちには時間が、残されています。ウクライナなどと同じようならないようにする手立てを、このウクライナからの報告に学び、今から、注意深く進めていくことが肝要だと考えます。

 私は、特にこの1年間、ちょうど「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」設立の準備をし、スタートさせ、「情報共有」「学習」「つながり」「交流」の広場としての毎月の例会(月例会)を中心にした活動を続けてきました。私はこの会の中で、事務局員兼放射能の自主測定の責任者という役割を与えられています。それに加え、私自身の役割としては、ネットワークの仲間に様々な「情報」収集したものを、整理し、判りやすく解説することを自らに課しています。(この「判り易く」というところが、イマイチで、苦労しています)系統的にも、断片的にも新聞・雑誌・書籍やネット上の情報などに当たっています。それでも、最終的には、自分自身で、様々な判断をしたり、仲間に問題提起し、集団的に考えたりしてきました。

 私は、本書の著者たちの誠実な取材姿勢(必要と思われる事実を丁寧に書き記していく)に大変、共感しました。そして、私自身、これまでいろいろ自分自身の中で、不確かだったり、未整理だったことが、何か整理ができてくるようになってきました。いま、本書は、今後の(私の)展開において、大きな位置を占めてくると確信しています。

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「社会を変えるには」を読んで

<BOOKS> 48               2012.9.4 

「社会を変えるには」を読んで

出版社 講談社 (2012.8.20)

<著者> 小熊/英二 

 1962年、東京生まれ。1987年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授

<内容紹介>

 <私はしばしば、「デモをやって何か変わるんですか?」と聞かれました。「デモより投票をしたほうがいいんじゃないですか」「政党を組織しないと力にならないんじゃないですか」「ただの自己満足じゃないですか」と言われたりしたこともあります。しかし、そもそも社会を変えるというのはどういうことでしょうか。〉(「はじめに」より)

 いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。

<目次>

 第1章 日本社会はいまどこにいるのか
 第2章 社会運動の変遷
 第3章 戦後日本の社会運動
 第4章 民主主義とは
 第5章 近代自由民主主義とその限界
 第6章 異なるあり方への思索
 第7章 社会を変えるには

<内容から(第7章より)―私が注目したところ

現代において「社会を変える」とは

 「社会を変えること」とは所属している「われわれ」によって違う。しかし、現代の誰しもが共有している問題意識がある。それは、「誰もが『自由』になってきた」「誰も自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」という感覚。これは首相であろうと、高級官僚であろうと、非正規雇用労働者であろうと、おそらく共有されている。それを変えれば、誰にとっても「社会を変える」ことになる。

現代日本で「社会を変える」とは

 公務員を削れ、生活保護受給者を甘やかすな、競争原理を導入しろ、といった「新自由主義」は「社会を変えること」になるのか?それは、自由主義経済学の思想家とよばれる、スミスやハイエクの思想とはあまり似ていない。むしろ、「自分はないがしろにされている」「他人のほうが恵まれている」「俺に分け前をよこせ」という叫びであるよう。日本政府の強さは中央政府の指導力の強さで、国民1人当たりの公務員数は少ない方。こうしたことを唱えても望んだことは実現せず、自分の首をしめるような結果になることも。

 恵まれない人、不満を持った人は、「失業者」「非正規」「母子家庭」といったカテゴリーごとにカバーしよう、という発想は限界です。それに現代日本で言いう「格差」意識の性格を考えれば、いくらカテゴリーを増やしても、カテゴリーがあるかぎり「格差」はなくならない。増やせば増やすほど、「格差」意識が強まるかも。となると、答えは一つしかないようだ。みんなが共通して抱いている「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくこと。

 その意味では、現代日本における原発は、かっこうのテーマ

 「自分はないがしろにされている」と感じる人びとが増えて、グローバル化や情報技術の発達に直面している状況は、日本もアメリカもヨーロッパも、エジプトなどでも共通。そこで台頭する社会運動が批判する対象は、アメリカの場合には金融エリートが批判の対象になりますが、エジプトの場合はムバラク体制が対象になりました。日本の場合は、原発事故を通してみえてきたもの、つまり日本型工業化社会を支配してきた独占企業・行政・政治の複合体が対象に。

 2011年からの脱原発のデモで、多くの人が望んでいたことは、①自分たちの安全を守る気もない政府が、自分たちをないがしろにし、既得権を得ている内輪だけで、すべてを決めるのは許せない。②自分で考え、自分で声をあげられ社会を作りたい。自分の声がきちんと受けとめられ、それによって変わっていく。そんな社会を作りたい。③無力感と退屈を、ものを買い、電気を使ってまぎらわせていくような、そんな沈滞した生活はもうごめんだ。その電気が、一部の人間を肥え太らせ、多くの人の人生を狂わせていくような、そんなやり方で作られている社会は、もういやだ。

 これらは、人間がいつの時代も抱いている、普遍的な思い。この普遍的な思いとつながったときにおこる運動は、大きな力を持つ。それが2011年の日本では、脱原発という形をとった。そこから各種の行動や議論がおこり、政府の側も対話を重視せざるをえなくなり、人びとのいろいろな行動や議論や参加の機運が高まってくれば、それは単に原発をやめることにとどまらない「社会を変える」ことになる。

 この問題を入口にして、他のテーマ(非正規雇用や格差の問題、沖縄の基地問題、女性、若者、地方等の問題)にまで広げていくのが、当面はよいのでは。脱原発(放射能の問題も)で、東京から、大阪から、仙台から、声をあげられるところからあげていったほうが、福島でも沖縄でも青森でも、声があげやすくなります。そうして社会全体が声をあげられるようになってきたときに、他のテーマも掲げることを。

こうすると失敗する 

 「こうすると失敗する」というのは、かなりはっきり傾向がある。

 過去の成功例を、時代や社会条件の違うところに持ちこんだときには、たいてい失敗する。

 運動を「組織」と考えないこと。また「統一」という発想も、組織を個体とみなした発想。人間も「個体」とみなすべきではありません。一生を通じて意見が違うとも限りません。こちらが働きかければ、変わるかもしれません。

個体論でない運動

 運動は組織とは考えない。動いている状態。ある目標のために、企画をたて、それのあつまって動いている状態です。

 運動は、政治目的を達成するための手段でもあり、つながりを作って自分や他人を活性化する状態を生み、それによって関係や地域社会を変えていくもの。人との縁やつながりは大事に。また、地元ともつながりも大切。

 運動を進める上では、具体的に集まれる場があることも重要。

 運動のやり方に、決まったかたちはありません。「これが社会を変える」という対象にあわせればいいこと。投票、ロビイング、デモ、NPO、ネット、新聞でも、やり方は多様。

 政治家や官僚の人とも、話をするのはいいこと。政治家には政治家の事情や限界があり、お互いに相手を理解し、対話の能力をつけて、ともに作っていく姿勢は大切。

 分担は、その人に固有の属性ではなく、役割です。役割を振ることもいい。ノウハウが行き渡ったら役割は終わりです。疲れたら休んで交替し、戻ってきたら歓迎される、というのがいい。リーダー、まとめ役、知恵者、勤労者、芸人、詩人、すね者、余計者…。自然と役割ができてきたりする、人間は役割がそろった社会しか作れないかも。

楽しくあること、楽しそうであること 

 運動のおもしろさは、自分たちで「作っていく」ことにある。楽しいこと、盛りあがることも重要。デモの意味は、まず参加者が楽しい。こういうことを考えてるのが自分だけでない、という感覚がもてる。ひさしぶりに顔見知りに会う,見知らぬ人に声をかけても共通の話題がある。これは一種の社交の場、そこで一人ひとりが力をえて、帰っていくのはいいこと。

 参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる「まつりごと」が、民主主義の原点です。自分たちが、自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとする。

 これはデモにかぎらず、何らかの活動をしている人や集団に、共通していえること。

 「おとなしくしていれば何とかなる」という考えはよしましょう。政府も企業もマスコミも、声が大きいところをまず相手にします。声を出さないと、とりあげられません。

 社会を変えるには、あなたが変わること。あならが変わるには、あなたが動くこと。言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。

<+「おわりに」から>

 従来の発想が行き詰まっているときには、材料やパーツを変えるだけでない、本当の意味での発想の転換が必要です。自国の歴史や他国の思想から、違った発想のしかたを知り、それによって従来の自分たちの発想の狭さを知る。そのあと、従来の発想をどう変えるか、どう維持するかは、あらためて考える。そのために、歴史や他国のこと、社会科学の視点などが、必要になる。

 本書は、その視点の提供、手助けに。「社会を変える」ために役に立つ、現代日本の基礎教養になる本に。共通の土台になるよう、その土台を共有した対話を。

 「デモをやって何が変わるのか」という問いかけに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいます。それはある意味で至言です。「対話して何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。

<少し感想を述べます。>

 小熊氏の書く本は、分厚いものが多い。本新書なのに500ページ超。内容は様々な社会学の研究業績を一般向けに引きなおして「今の世の中、何かおかしいけれども何をすればよいのかわからない」といった思いを持つ者に対して ベースとして持っておくべき基礎教養を提示したもの。それを、東日本大震災以後、原発再稼働反対のデモや直接民主主義的手法がクローズアップされる中、その社会運動の意味と歴史、そしてその方法論が説明されていく。

 私自身も日本の68年の当事者の一人であり、その後も社会運動を続けている者として、「68年」「戦後日本の社会運動」の分析には大いに興味があるところです。しかし、今は何といっても脱原発問題との関連を重視した読み方、ここでの取り上げ方になります。従って、小熊氏が「原発問題を突破口に全員が参加するような運動で社会を変えて行きましょう。」と呼びかけているような内容になっていることは大歓迎です。

 先に取り上げた湯浅 誠氏の「ヒーローを待っていても世界は変わらない」とかなり共通点もあります。社会運動を進める上でのいろいろなヒントも得ることができました。これら2冊の本では、「一人一人がおかしいと思うことに声をあげていく、当たり前のことが実現していく社会にすること。」「そうした社会に変えるには、他人事とするのではなく、自分ごとにして自分が変わり、行動を起こすことが何より大事だ。」ということがわかるような内容になっていました。多くの人たちに読んでもらいたいと思います。

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