触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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子どもの本 NO.5

<子どもの本 シリーズ5>

 読み聞かせ講習会②、川端英子さんのおはなし       
                                 2008.9.29


 9月27日、栗原市立図書館2F視聴覚室で、私も良く存じている川端英子さんを講師に迎えて「読み聞かせ講習会②」が開催されました。ストリーテリングの勉強会に参加している方々を中心として、市内から30人(越えていたか?)程のたくさんの参加者がありました。日本の昔話、イラン、ドイツのはなし等、6話の素晴らしい素話を、1時間連続して聞かせていただきました。そのあと30分程の質疑応答があり、ストリーテリングの勉強会参加メンバーにとって、たくさん貴重な収穫のある講習会となりました。

1、講師紹介

 川端英子(かわばた ひでこ)氏 (仙台市) 「のぞみ文庫」主宰

 1970年に自宅で「のぞみ文庫」を開く。週1回の文庫活動をはじめ子どもと本をつなぐ様々な活動を続けながら、幼稚園や学校、図書館など県内外に出向き、絵本やおはなしなどの実績・講演も行っている。(ここまでは、栗原市教委・図書館の説明です。)
 川端さんは、私も会員になっている「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表です。築館にも図書館で行われた1998年11月の「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」の発足総会に、仲間と共に応援に駆けつけていただきました。さらに、翌年、1999年11月の同じく図書館で行われた第2回総会には、おはなしの実演をしていただきました。この後、育てる会が要望してこの図書館でお話のボランティア講座が開かれ、今日の「おはなし会」につながってきています。

2、おはなしを聞く

① (NO.8)日本の昔話 「小判の虫干し」
 
 『日本の昔ばなし2』松谷みよ子 講談社文庫 (6分) 
  関連するリンク先ー日本の昔ばなし⑵ 小判の虫干し

 寝太郎ばなしの一つでしょう。ねずみの小判の虫干しを寝太郎が、ただ、何もせず(取らないで)番をしただけなのに、後で、ねずみにお礼の小判をもらうという昔話です。要するに、欲たかりを戒めている話だということです。この松谷みよ子独特の語り口を、川端さんが、大変心地よい温かい雰囲気で語られました。(歌の部分もとても楽しい。)この話を、聞いていて、ホットしてきました。

② (NO.9)日本のおはなし  「茂吉のねこ」 
  『茂吉のねこ』松谷みよ子 ポプラ社 (12分)
  関連するリンク先―絵本の扉を開けて「茂吉のねこ」

 鉄砲撃ちの茂吉は、家族もおらず、ねこを相手に毎晩、大酒飲み。しかし、酒屋で飲んだ覚えの無い分まで請求されます。茂吉のねこは、化け物たちに酒泥棒を強要されていたのです。それがばれてしまって、化け物づくしの野原でねこは、化け物たちに「茂吉を殺すべし」と命じられます。ねこが拒否すると「茂吉のねこも死ぬべし」と危機一髪になります。その時、茂吉の鉄砲が火を吹き、化け物たちは退治されました。村人が捨てたものがみんな化け物になったのです。-という話で最後が締められていました。川端さんは現在の仙台のゴミ袋有料化の話も出して、この話が今日にも通じると話されました。それにしても、川端さんのこのおはなしは、大変迫力があってグイグイとはなしに引き込まれてしまいました。絵本もあるので確認して、素話か読み聞かせで私もレパートリーにできるか検討してみます。

③ (NO.10)イラン 「ちっちゃなゴキブリのべっぴんさん」
 
 松岡享子訳 『子どもに語るアジアの昔話1』 こぐま社 (17分) 
  関連するリンク先―セブンアンワイ 子どもに語るアジアの昔話1

 か弱いゴキブリの娘が父親に「もうオマエの面倒を見てやれない。」と言われます。そこで、綺麗に着飾って、都会の金持ちのところへ「ハマダーンにおでかけ」と言って嫁入りに出かけます。旅の途中で綺麗なゴキブリの娘は、肉屋、八百屋などに求婚されますが、全て断ります。しかし、言葉も気持ちも優しいねずみのダンナとは結ばれました。結婚してまもなく、このか弱いゴキブリの娘は、沼にはまってしまいました。彼女を助けに行ったねずみのダンナは、煮立ったナベの中に落ちるという不幸な事故にあい、死んでしまいます。嘆き悲しんだゴキブリの娘は、この後、あらゆる結婚を断り、黒い服(喪服)を脱ぎませんでした。―という話でした。私が、こうして文字にすると全く、味気ないです。しかし、川端さんのゴキブリの娘の野菜の皮などで着飾った衣装や、ゴキブリと他の者との会話の素晴らしい表現は、とても面白くて参加者は、聞き惚れてしまいました。(私には、ちょっと真似ができません。演者は女性向です。)

④ (NO.11ドイツのおはなし 「ふしぎなオルガン」
 
 『ふしぎなオルガン』レアンダー作/国松孝二訳 岩波少年文庫 (9分)
  関連するリンク先―岩波書店 ふしぎなオルガン

 とてもじょうずにパイプオルガンをつくる、若者が神さまのおぼし召しにかなった花嫁花婿が教会に入ってくると、ひとりでに鳴り出すというパイプオルガンを作りました。若者は、土地の娘たちを探して、一番信心深く一番綺麗な子を選び、結婚式を挙げることになりました。しかし、彼は、自分の功名心のみ考えていたためオルガンは鳴りませんでした。それを彼は思いあがった心から花嫁のせいだと、考えました。そして、一人で旅に出てしまい、よその国で10年の間、暮らしていました。そのうち、故郷や、花嫁のことが、無性に思い出されました。それで、国へ帰って、花嫁に許しを乞おうと決心しました。故郷に帰り、町の門に足を踏み入れた時、長い葬式の行列が、向こうからやってきました。それは彼の花嫁の棺でした。彼はひっきりなしに泣きじゃくり、一緒に行列に加わりました。行列は教会に着きました。そして、棺が、教会に入るとパイプオルガンがひとりでに鳴り始めました。その音色の素晴らしさといったら、これまで誰一人として、聞いたことがなかった程でした。長旅のために、彼は疲れきっていました。そして、パイプオルガンの最後の音が響き止んだ時、彼は、床の石畳の上に倒れて、息を引き取りました。これを見て、皆は、それが、誰だかということがわかると、棺の蓋をあけて、花嫁のそばに、一緒に寝かせてやりました。蓋を閉めると、パイプオルガンは、もう一度、かすかに鳴り始めました。それから鳴りやんで、もう二度と、ひとりでに鳴り響くことはありませんでした。―このような話でした。
 この話は昔話ではなく、ドイツの外科医レアンダーが戦地から子どもたちに書き送った童話であり、創作です。日本での初版が1952年ですから、これが、書かれたのは第2次大戦の少し前かと思われます。確か、少し前、私はTVでアニメになっているものを見た記憶がありました。かなり有名なお話だと思います。私は、この岩波少年文庫を直に見ていませんが、川端さんによると、全て「オルガン」となっているそうです。日本でいう一般的な「オルガン」は小学校にあるような小さな箱型のものですが、西洋で言う「オルガン」は全て「パイプオルガン」を指しているということでした。そこで川端さんは「パイプオルガン」と言い換えているということでした。

<仙台弁で>

⑤ (NO.12)日本・宮城の昔話 「おっちょろ ちょろ」
 
こばと文庫 佐藤義子さんの語りから 『宮城の民話』宮城民話の会採話記録 宮城県教育委員会 (7分)
  関連するリンク先―アマゾン おんちょろちょろ

 道に迷ってしまった格好ばっかでお経なんて一つも知らない小僧さんが泊めてもらった家でインチキお経をあげます。小僧さんがひょいと部屋の隅を見ると、ねずみが一匹ちょろりと顔を出したので「おっちょろ ちょろ出て来られそうろう」と。お婆さんも後から続いて「おっちょろ ちょろ出て来られそうろう」と。するともう一匹のねずみが床の穴からちょろりと覗いたので小僧さんは「おっちょろ ちょろ穴覗きそうろう」と。お婆さんも「おっちょろ ちょろ穴覗きそうろう」と。すると二匹のねずみは顔を見合わせてちゅうちゅう鳴き始めたので「なにやらふにゃふにゃ話されそうろう」と。その声に驚いたのかねずみは仏壇の陰に隠れたので「おっちょろ ちょろ隠れてそうろう」また出て来たので「おっちょろ ちょろまた出てそうろう」と。最後は、ねずみは穴の中に逃げ込んで「そのままちょろちょろ帰られそうろう」と。ある晩お婆さんの家に二人の泥棒が忍び込んだ。お婆さんが、このお経を一生懸命に唱えたため、泥棒たちは、気味が悪くなって何にもとらずに逃げ帰った。-という話です。
 この昔話は、宮城のというだけでなくあると思いますが、一般的には「おんちょろ ちょろ」で通っています。(絵本もあります。)佐藤義子さんは、地元、栗原市岩ヶ崎の出身だそうです。生前の佐藤さんから、宮城民話の会の小野和子さんが採話されたものだそうです。佐藤さんのこの辺り、岩ヶ崎の方言と仙台弁とまた少し違うということですが、私にはよく分かりません。(名古屋出身、東京育ちのため) しかし、話自体がユーモア溢れるものであることもありますが、川端さんの話はとても味わい深く、方言によって更に一層、素朴さが出ているようでした。

⑥ (NO.13)ドイツ・グリムの昔話 「猫とねずみの一緒暮らし」
 
KHM2 川端純四郎・英子訳 (11分)
  関連するリンク先―ウィキペディア 猫とねずみとお友だち

 猫とねずみが一緒に暮らしていました。冬を越すためにヘッド(牛の脂)を壷に入れて教会の鐘の下に蓄えておくが、猫はどうしても我慢できなくなります。猫は、「名付け親を頼まれているので、留守番を頼む」とねずみを騙し、ヘッドのところへ行くと、上皮の部分を全部なめてしまう。帰宅した猫にねずみが「なんと名前をつけたのか」と尋ねると、「一皮向けた」と答える。ねずみは、変な名前をつけたもんだと言います。後日、またしても我慢できなくなった猫は、また名付け親を頼まれたからとねずみを騙し、今度はヘッドを半分なめてしまう。今度は何という名前をつけたのかとねずみに尋ねられた猫は、今度は「半分ぺろり」と答えます。ねずみは、そんな名前は聞いたことが無いと訝しがります。さらにもう一度、猫が名付け親を頼まれたと言うと、ねずみは疑いながらも見送りました。猫はとうとう、すべてのヘッドを平らげてしまいました。今度はどんな名前をつけたのかとねずみが尋ねると、猫は「全部おしまい」と答える。ねずみは、いよいよおかしな名前だと不審に思います。やがて冬が来て、外で食べ物が見つからなくなったので、ねずみはヘッドの壷のところへ行こうと猫を誘います。しかし、ヘッドは跡形もなくなっていました。空っぽの壷を見て全てを理解したねずみは、ヘッドを独り占めしたことについて猫を責めようとします。しかし、その瞬間、猫はねずみに襲い掛かり、「全部おしまい」と飲み込んでしまいました。―という話です。(あらすじの表現が仙台弁になっていなくてスミマセン。)
 このグリムの昔話は、「猫とねずみとお友だち」、「猫とねずみといっしょのくらし」、「猫とねずみのいっしょのくらし」などとも訳されていて、内容は同じです。川端さんは、これをご主人の川端純四郎さんの協力で、日本語に訳されたのを更に仙台弁にしてお話をされています。私は、川端さんのお話を聞くのは2度目だと思います。初めて聞いた時は、方言で語るということがイマイチ良く理解できていませんでした。ただ、流暢に語られていて「凄いな」と思ったのを記憶しています。今回は、「演者が一番普段から使い慣れている言葉、方言でそれが理解できる対象にたいしてお話をする。」ということが、一番、昔話の表現としては適しているのではないかと思いました。川端さんは、「京都の方ならこれを自分の言葉、京都弁でされれば良いのでは…」と話されていました。川端さんは、全国各地でこのお話を自分の言葉、仙台弁で話されますが、その時、その場(地域)によって少し解かるように変えているということでした。また、この話は、短絡的に「正直者が馬鹿を見る」等と解釈されかねません。そこで、川端さんは、子どもたちにこの話をした最後に、「世の中には、時としてこんなこともあるでガスゾ」とか、小学校中学年以上の女の子には、「男には騙されるでないでガスゾ」など一言付け加えているということでした。子どもたちは、自分たちの知らない世界をお話で知ることが大切だと思いました。

3、質疑応答など

 <質問1>

 「オルガン」の例のように日本語に翻訳された表現で、自らが変えることについて、また、差別的な表現についてはどのように取り扱われていますか?(これは、私の質問。「ラプンツェル」、「葉っぱのフレッディ」の例も出しました。)

 <川端さん>

 「ひとまねこざる」のシリーズは、1950年前後のもの、訳で例えば、日本では、当時スパゲッティは、まだ一般に広まっておらず、それを「うどん」と訳していました。その時代、その国の社会情勢等に、訳も制約されます。今日において、日本語としておかしいのであれば、改めて訳し直すことも必要かもしれません。差別的な表現については、話の中の主人公が語っているのか、会話の中に出てくるのかによっても区別します。会話はなるべくそのままに、主人公が語る言葉は、慎重に取り扱います。「茂吉のねこ」で最後に茂吉が「鉄砲を『きちがいのように』撃つ」という表現がありましたが、私は好きではありません。そこで、『きがくるったように』と言い替えています。勿論、著作権が絡んできますから作者にお断りをして行うのがスジです。

 <質問2>

 お話を覚え、人前で演じることについて、とてもとても大変です。頭の中が真っ白になることも…先生のように上手くなるにはどうすれば良いのでしょうか?

 <川端さん>

 間違わないなんて絶対にありません。今日も何ヶ所か間違えています。(私には、全く、分からなかった。)「間違えてスミマセン」とは絶対に言わないこと。(シラを切ることか?)失敗しても練習は、決して無駄にはなっていません。優れた文学を自分のものにしてきているのですから。皆さんの前で回数を沢山やってください。そしてお互いに「人の意見は素直に聞くこと」「決してムッとしないこと」が大切です。

 <感想>

 イランのお話に対してーこの国は女性の地位が低いわけですが、それでもこのお話では、女性でもちゃんと自己主張していると解りました。それが、嬉しく感じました。

 <川端さんからも> 
 
 一夫多妻制と言っても女性の地位が低いため、女性たちを助けるという意味もあったということです。それでも、平等の世界へ向かって進んでいるのだろうと思いたいです。イランでもこの話などの素敵な絵本を出してきています。

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「責任の取り方」考

< 雑 感 >  

   「責任の取り方」考      2008.9.26

9月25日付朝日新聞の二つの記事から

 変なタイトルです。カテゴリーもどうして良いものやら検討も付かず <雑感> などというものをこしらえる羽目になってしまいました。

 昨日付(9月25日)の朝日新聞に「タイムマシンに乗って」というイチローに関する西村欣也氏の文章が出ていました。これ自体にも感想はあるのですが、そのことより最後の方の文章に「自分にコントロールできること、コントロールできないことを分ける。コントロールできないことに関心を持たない。そして、できるだけの準備をする。」というのがありました。西村氏の「イチロー流」の分析だと思います。また同日の別の紙面に「「政治の出番」増やす好機」として豊永郁子氏の主張が載せられていました。その最後に、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」からの引用-「「堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」が政治だと述べた。そして「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間、そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」―をしていました。そして、来るべき総選挙で、政治家を見極める目をその視点でと主張されていました。

 同じ日の同じ新聞の二つの文は、このところ考えていること、この記事のタイトルにあるー「責任の取り方」-に関わってくるところがありました。「イチロー流」に共感し、「自分も」と思うのは、何もスポーツに限ってのことだけでなく、全てのことについて言えることです。ただ、「コントロールできないことに関心を持たない。」の部分は、私は、少し違ってきます。つまり、「関心を持たない」のではなく、「とりあえず、ほって置く」のです。今は、コントロールできないので何も準備はしないが「コントロールできないということを意識しておく」のです。そのうちにコントロールすることが課題になる可能性もあるのですから…私には、このことと次の豊永氏の文が関係してくるのです。「政治家を見極める目」は、氏の言われる通りだと思います。政治に関しては、私にとっては、関心を持つのは当然のこととし、さらに「コントロールしたい、すべき、関わっていたい」とは思いますが、「コントロールできません。」そのうちにコントロールすることが課題になる可能性もありません。(つまり、政治家にはならないということ。)それは、私は、政治に関しては、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間」ではないからです。

私が「責任を取れること」は…

 それでは、他のこと、すべてのことに関してもか、と言うとそうではありません。例えば、「図書館のこと」、「図書館づくり」のことなどについては、職業にこそしていませんが、マックス・ウェーバーの言っていることにあてはまります。言い換えれば、このことに関しては、自信を持って「責任を取れる」のです。但し、現在は、ボランティア活動を除き、今年度末までは休止状態にしています。(地震災害後で、どう働きかけても事態は進展しないためです。)

 同様に、「自分の子育て」も今のところ大丈夫かな?。(子どもをコントロールしたという意味ではなく、子ども自身が良く育ってくれたため。) あと他には?…そのうち増えるかもしれません。それは、そのことに関して私自身が、「責任を取ろうとしているか、否か」が大いに関係してきます。

 例えば、脱サラして2年前まで長年、職業としてきたエノキ茸栽培は、限られた条件下(規模、技術水準等)でしたが、最大限に責任を取ってきました。しかし、農産物流通システムや市場価格等は、私のコントロールできるものではありませんでした。自分の時間と体、家族等もっと多くの犠牲を払って、取り掛かれば廃業という結果にはならなかったかも知れません。しかし、それほどまでする意味は、どうしても見出せませんでした。それでもかなり多くの自分の時間(長時間労働)と肉体的負担(二度の手術等)をしました。最後は、経営的には早めの撤退、肉体的にはヘルニアの手術をするに至って限界に来ていました。

 「自分の子育て」とも関係しますが、二人の子どもたちのために一定期間、関わっていたPTA活動も、自分ではそれなりの責任の取り方をしてきました。千葉にいた頃は、長女の小学校の会合等に、妻と私のどちらが仕事を休んで参加するかでいつも喧嘩をしていました。それでも学童保育だけは二人ともしっかり責任を持って関わっていました。宮城に来てからは、もっぱら、二人の子どもの学校関係は私の仕事となりました。PTAの役員もかなり早くから回ってきました。学年委員長、専門部々長等です。「いずれしなければ、」「誰かがしなければ、」と思い引き受けてきました。当時は、それでもPTAの三役は築館の各地区での経験と割り当てみたいな?の付くこともありました。「築館の中でも町中(築館地区)とその他の地区、富野(黒瀬含む)地区等とは違う…」とか、その反対においても…という地区意識には閉口しました。こうしたことと関連して根回し、腹の探りあい、色々な配慮等があったようです。私自身はこうしたことと無関係であったため、いつもPTA活動は正攻法で行いました。相手がPTA会長、教師、教頭・校長であろうと言うべきことは言ってきました。しかし、それには、PTA役員としての義務をきちんと果たしてきました。そのうち、一歩下がって平のPTA役員でもやろうと思えばかなりのことが出来るとわかりました。その場合、責任は限定的になるのですが、それでもその範囲でのことは最大限努力することにしました。そうすれば、言うべきことは言えるのです。但し、言うことが正確であるためにはできる限り、情報がオープンにされていて、それを入手できなければなりません。

NPO法人「くりはら活性化ネット」の理事として

 9月14日に今年の「くりネット」の最大の企画―震災復興支援「ふれあいコンサート&民謡・歌謡舞踊ショー」がなんとか成功裏に行われました。私は、この夏、ジジ親家業に専念するため、実行委員会には参加しませんでした。当日も当初は娘と孫二人を高松まで送っていくつもりで参加できないと思っていました。しかし、思ったより少し早く娘たちは帰って行きました。それで、9月14日当日の参加と手伝い、直前の準備作業の手伝いもすることができました。売券の方はほとんど動き回れなかったため少ししかできませんでした。

 このNPO法人「くりはら活性化ネット」には3年前の17年3月27日の設立総会から参加しました。その1年ほど前から準備を行ってきた方々で最初の役員を構成したようです。昨年、私は、前述のエノキ茸栽培の仕事の整理もついていたため、その6月の総会から役員―理事を引き受けています。そして企画運営委員会に配属させられました。最初の一年は、慣れることや全体を把握するのに精一杯でした。二年目の今年は、理事会でようやく、意見も言えるようになって来ました。しかし、何とも理解しがたいのは、この間、企画運営委員会が一度も開かれないことです。本来、今回のような企画は、この企画運営委員会が中心となった上で、実行委員会を設置するのが筋です。ですから、今回の企画について意見、感想等はありますが、言及しないことにしました。つまり、こうした実行委員会に加わっていない、企画運営委員会も開かれない状態(私もあえて、委員会を開かせようとしていません。)では、コントロールできないからです。もともと、私はこの「企画運営」には向いていないようです。そんなこともあって、「とりあえず、ほって置く」の状態です。それでも、役員―理事として、何とか最低限の「責任の取り方」はしたつもりです。(自己満足かもしれませんが)

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MOVIES-映画の最後はアメリカ2本、イタリア1本。 

MOVIES-12本の映画の最後はアメリカ2本、イタリア1本。             
                            2008.9.24

 アメリカン・ギャングスター      2008.9.14

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製作年度2007年、157分のアメリカ映画。関連するリンク先はーアメリカン・ギャングスター

あらすじー1970年代の初頭のニューヨークで、ハーレムを牛耳っているギャングのボスの運転手をしていたフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)は、ボスの亡き後、東南アジアの麻薬を密輸する計画を決行する。時に横暴ともいえる強引なやり方で財力をつけたフランクは、マフィアにも一目置かれる麻薬王として街に君臨する。その彼を正義を貫く麻薬捜査刑事のリッキー・ロバーツ(ラッセル・クロウ)が追い詰めていく。そして、ロバーツはルーカスを捕まえるが、その後、減刑を取引にして底なしに腐敗したニューヨーク市警の摘発に乗り出す。

 何と言ってもデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウという共にオスカー俳優でもある2人の競演ということに惹きつけられてしまって見ました。この映画の中では、ルーカスは警察に眼をつけられないよう、目立たないように生活していたが、自分では絶対に買うことはないが、妻からの贈り物ということで、豪華な毛皮のコートを着てアリ対フレーザーのボクシングの世界タイトルマッチ戦のリングサイドに陣取ったことで、ロバーツの眼に止まってしまうのがこの二人の初めての出会い。ルーカスは、ヘロインをベトナムから直接密輸する新ルートを開拓し、社会の裏面でのアメリカンドリームを実現した。普段は目立たないように地味なスーツに身をつつみ、美しい妻と家族を愛し、日曜日には教会で祈るし、親や兄弟、親族を大切にする。一方のロバーツは当時の警察の慣習に従わず100万ドルという大金を着服しないなど決して不正をしない、見逃さない正義漢な刑事です。しかし、私生活では妻との約束は守らない、浮気はするし、息子の療育権をめぐって法廷に立たされ四面楚歌になり、結局子どもを自ら手放してしまう派茶めちゃな状態。こうした二人の生き様が極めて対照的に描かれています。それが、最後にはロバーツは、逮捕したルーカスに不正に関わっていた悪徳刑事の名前をルーカスの個人的な恨みで告発させるようにしていく。勿論、ロバーツもこの悪徳刑事と腐敗しきったニューヨーク市警に個人的にも恨みを持っていました。そこに二人の取引成立となったわけです。

 「実話に基づいて作られたストーリー」(このところのアメリカ映画に多い)ということでしたが、それでは、実話とはどう違うのかが気になりました。まず多分、実際のフランクはデンゼル・ワシントンほどカッコイイわけがありません。デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウという2人の実力派俳優と脚本と監督の手腕が良くてこうした見ごたえのある映画ができたのでと思いました。

 ミルコのひかり           2008.9.16

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 製作年度2005年、100分のイタリア映画。関連するリンク先はーミルコのひかり

あらすじー1971年、イタリアのトスカーナ地方で、10歳のミルコ(ルカ・カプリオッティ)は銃の暴発により視力を失う。視覚障害者は特殊学校に入るという当時の法律により、彼はジェノヴァの全寮制の盲学校に転校する。厳しい校則のもと、新生活になじめないミルコは、寮母の娘フランチェスカ(フランチェスカ・マトゥランツァ)と2人で“音”を集め始めます。ミルコは、1台のテープ・レコーダーとの出会いによって新しい世界を見つけ、自由と希望を獲得していきます。このテープ・レコーダーを使った音作りの楽しみが、ミルコから障害者という理由で閉ざされた世界に留まっていた他の子供たちへと広がって行きました。そして、彼らの夢や希望は、フランチェスカや教師でもあるジュリオ神父、その学校の卒業生らに助けられながら世論をも突き動かしていく…。こうしてそれまでの大人たちの常識や型にはめる教育を、変える力になり、1975年イタリアでは法律を変え、全寮制の盲学校は廃止され、視覚障害児も普通学級で学べるようになりました。

 イタリア映画界で活躍する実在の盲目のサウンド・デザイナー、ミルコ・メンカッチの体験を基に作られたといいます。監督の演出がいいのと、イタリア全土でオーディションをしたという、晴眼者、視覚障害者の両方の子供たちが生き生きとした演技をしていて素晴らしいです。「電話交換」「機織り」などの職業に就かせ社会適合させるのが当校の方針、「盲人に将来などない」などと言い放つ校長。その校長とミルコの音に対する想像力を認めるジュリオ神父は議論を戦わします。ジュリオ神父の口から「ファンタジア」(創造の力、イマジネーションの源泉)という言葉が、何度も何度も語られます。人間の、そして子どもたちの、「ファンタジア」の力を誰も奪ってはならないし、奪われないようにしなければいけません。それこそが生きる力の源です。健常者である私達自身のほうがかえって、表面的な上辺だけの世界しか見ていないのかも知れません。映画に出てくるこの子達は目が見えなくても風の音や雨の音を体いっぱいに感じ取ろうとしていました。見たことのない空の色や花の色を頭の中で「ファンタジア」の力で一生懸命にイマジネーションしていました。

 イタリアの現在の視覚障害者に対する教育もこの映画だけではよく分かりません。まして、日本ではどうなっているのか?二十数年前、千葉にいた頃、盲学校の教師をしていた方を知っていました。ここ宮城では、まわりにその関係者もいません。様々なハンディキャップを持った人と接する機会もありますが、視覚障害者については、すっかりこのところ私自身の視野から落ちていたことに気づかされました。もう少し関心やかかわりを持たねばと思いました。

 この記事を書き終えた夜、NHK教育で8時~8時半、「静かな甲子園」というタイトルで、浜松視覚支援特別学校(旧浜松盲学校)の野球部(グランドソフトボール)の活躍を取り上げていました。この4月から加わった社会人になってから失明した元高校球児がムードメーカーとなり、「声を出して」仲間を信頼して「頂点への道」(全国制覇)を目指す彼らの姿はとても輝いていました。 関連するリンク先ー(視聴覚障害者を対象としている特別支援学校


 レッスン!          2008.17

nop

 製作年度2006年、117分のアメリカ映画。関連するリンク先はーレッスン!

あらすじー路地裏で校長の車を叩き壊している生徒ロック(ロブ・ブラウン)を目にしたピエール(アントニオ・バンデラス)は、翌日、スラム街の高校に出向き、校長に社交ダンスで学生たちを変えてみたいと直訴します。しかし、ピエールがダンス指導することになったのはロックら高校の地下室で居残りをしている問題児の生徒たち(不良生徒たち)が集まる特別クラス。家庭の問題を抱える彼らは、社交ダンスを通して人生に希望を見いだしていく、その生徒たちを更正させるという感じのストーリーです。初めは社交ダンスに見向きもしなかった生徒たちの前に、女性花形ダンサーを連れてきて二人で「タンゴ」を踊るのですが、高校生たちもその素晴らしさに圧倒されます。高校生たちも素直に感動し、自分たちも「タンゴ」踊りたい!となりました。そして、社交ダンスを覚えていくにつれ、ダンスの素晴らしさが分かっていき、猛特訓してクライマックスとなるラストの社交ダンスのコンテストでは、見事、それまでの成果を見せます。

 社会の底辺で生き、将来にも夢や希望を持てない生徒達に、何かを通じて更正させて、生きる喜びを見出させるためには、夢中になって打ち込めるものをと、ダンスを通して不良生徒たちを更正させた、社交ダンス世界チャンピオンのピエール・デュレインの実話を基に映画化した青春映画です。現在ではニューヨーク120校の高校で社交ダンスクラブがあり、今も全米に波及中だそうです。

 ピエールが劇中で校長とPTAの父母に社交ダンスをする意味を、説明するシーンがあります。「社交ダンスは男女ペアで踊るために、一人で自由に踊るダンスと違って、相手のことを考えなければいけません。」社交ダンスを通じて生徒たちに伝えていること。それは、「人を信じる事。」「それ以上に自分を信じる力を持つ事。」「女性を礼儀正しく扱う事。」だとピエールは彼らに訴えます。ここは、とても説得力があり、ダンスシーンに劣らず感動しました。ピエールに説明を求めに来ていた父母たちは彼の説明の前後で180度、態度が変わってしまいました。ピエールが最後に質問はと聞くと「保護者対象のクラスは無いんですか?」ときました。(あれば私も入りたい!)事実、生徒たちは、レッスンを通じ、ピエールの誠実さに触れるうちに、相手を生かすこと、尊重することを身に着けて、徐々に変わっていきました。このまま行けば将来は犯罪者になるに違いないと思われる生徒が、社交ダンスに打ち込むことで、相手を尊重することを身につけて、紳士的なふるまいをするようになっていったのです。ラストのコンテストでは、クラシックの音楽もラップも入り乱れ、ワルツもストリートダンスもミックスして踊るシーンがあります。特別クラスの生徒たちだけでなく全ての参加者、関係者が巻き込まれて、楽しく踊り出しました。ここは、観ていて圧巻でした。私は、エアロビもダンスも苦手なのですが、この映画を観ていたら、何だか少し踊りたくなりました。

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MOVIES-アメリカ、イギリス、日本映画の各一本。

MOVIES-今日は、アメリカ、イギリス、日本映画の各一本づつ。                   
                               2008.9.23


さよなら。いつかわかること         2008.8.23

kod

 製作年度2007年、85分のアメリカ映画。 関連するリンク先ーさよなら いつかわかること

あらすじースタンレー(ジョン・キューザック)の妻は、陸軍軍曹としてイラクに単身赴任中です。彼は12歳のハイディ(シェラン・オキーフ)と、8歳のドーン(グレイシー・ベドナーチク)とともに妻の帰りを待ちわびながら暮らしていました。だがある日妻の訃報が届き、娘たちに母の死を伝えることができない彼は、突然、今までの厳しい態度から一転。セキを切ったように、衝動的に彼女たちを連れて遊園地に向かう旅に出ます。途中、実家に寄り、価値観の合わない弟と会うが、彼の反対を押し切り、更に旅を続けます。いきなり父親のテンションが上がったのにビックリする姉妹ですが、勘の良い長女は、だんだんと気が付いていきます。遊園地で充分に遊んだ後、帰路に向かい、彼等が辿り着く海で、父親はやっと真実を娘たちに告白しました。

 この映画については、既に8月30日に記事「二日間(8月23,24日)の東京」の中で<映画鑑賞>として少し、紹介しました。見逃してしまったのですが、1週間ほど前に、NHKスペシャルでイラクでの女性兵士の問題を取り上げていました。日本では、なかなか想像しにくい問題ですので、なおさら注意深く関心を持とうと思い、東京の飯田橋での一館だけの公開を観にいったということです。

 大切な人の「死」を、その「喪失感」を、家族が受け入れるのに必要なのは、「時間」。ロードムービー風に淡々と展開していくスートリー。車の中、立ち寄り先での様々な出来事。最初はぎくしゃくしていた父と長女の関係が、旅を通して少しずつほぐれていきます。これらを映画は、丁寧にじっくりと見せます。そして、前の記事で紹介した感動的なラストシーンへとつながっていきます。

 こうしたテーマに、この映画の場合、さらに「戦争」というファクターが加わってきています。前の記事で私は、この映画を「反戦ではなく、厭戦とでもいうべきもの」としましたが、やはり「広い意味での反戦」と訂正します。確かに、戦闘シーンも、兵士である妻の姿も、写真すらも出てきません。声高に「反戦」を叫んでいるわけでもありません。ただ一人、価値観の合わない弟に「反戦」を語らせています。主演と製作を担当したジョン・キューザックの考えは、父に娘が「仲が悪いの?」と聞かれる場面で、「考え方が違うだけ、仲が悪いわけじゃない」答えさせているように明らかに弟を尊重し、容認しています。つまり、彼は、弟に製作者の考えを代弁させているものと思いました。私の場合、そもそも、イラク戦争自体を、無意味どころか有害であり、世界中の憎悪を増幅させたもの、とみています。しかし、さらに、この映画を観ているうちに、アメリカにおいても最愛の人を奪っていくイラク戦争は、一刻も早く止めさせなければならないと思いました。と同時に、それを生み出しているアメリカの政治がいかに醜いものかと思えてきました。

エリザベス・ゴールデン・エイジ        2008.8.31

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 製作年度2007年、114分のイギリス映画。  関連するリンク先ーエリザベス・ゴールデン・エイジ


あらすじー1585年、エリザベス1世(ケイト・ブランシェット)はプロテスタントの女王としてイギリスを統治していた。だが、スペイン国王フェリペ2世(ジョルディ・モリャ)は、東方でキリスト圏を脅かすトルコを叩き、次いでカトリックに逆らうエリザベスを討伐してカトリック復権を目論む彼女の失脚を画策する。そんな女王の前に、新世界から戻ったばかりの冒険家ローリー卿(クライヴ・オーウェン)が現れ、「君主の義務」と「女性の幸せ」の狭間で葛藤が生じます。国内の反抗勢力の旗頭にされるメアリーの処遇を先送りしようと悩める国家元首が、暗殺未遂事件によりメアリーの処刑に踏み切ります。さらに、忠実な侍女とローリー卿との結婚による失恋に、スペイン無敵艦隊の来襲、これら試練によってエリザベスの迷いが払拭されていきます。そして、国を、国民を守る神々しい女王へと完全脱皮していきます。

 実は、これより2週間前に間違えて10年前の前作「エリザベス」を借りてきてしまいました。(隣に新作があった。多分、前作は、ビデオで見たと思いますがこれはDVD。)新作を見る上での予習と思えばと割り切り、見ましたが、やっぱり良くできた映画でした。私は、歴史にそれほど強くなく妻に「これって、日本だと何時代?」と聞きました。彼女は、「信長、秀吉、家康の時代よ」と。このエリザベス以後、イギリスの突き進んだ道は、ネーションステートへの道。帝国主義です。これに少し遅れて他の西欧の列強国が加わり、世界分割に乗り出していきました。アメリカも、加わり、そして戦前の日本も遅れて仲間に。(ソ連とその前後のロシアも帝国主義国のようなもの)

 映画では、エリザベス女王が神から授けられた王権を受け継ぐ絶対君主としての義務―国と国民を守る者としてのその強さを様々な葛藤や矛盾を抱えながらも良く出していました。前作の時、ケイト・ブランシェットは30歳、今回はその後半。前作で初めて世界に知られるようになった彼女は、まだ初々しい感じでした。それが今回は、演じる実年齢が50歳ほどですからメークで少し老けさせていますが、女らしさを残しながら威厳に満ちていました。まさにはまり役、彼女しかこの役はできません。スペイン艦隊との戦いの戦場に出向いて、甲冑を身に着け、兵士たちを鼓舞する演説の場面、いいですね。豪華絢爛な衣装、髪型、映像も前作より格段も綺麗になっていました。

 そういえば、これを書いていて今、TVドラマで夫婦ではまっている「篤姫」を思い出しました。いわゆる大奥ものは大嫌いでしたが、スタートが大奥でないため見始めたらやめられません。女傑ぶりというか、その言動、立ち振る舞い、そして衣装に髪型。共通するものを感じました。ただ、少し脱線しますが、エリザベス以後の帝国主義化していったイギリスと同時期のほとんど戦争らしきことをしなかった平和な日本の江戸時代。明治維新、日清・日露戦争から第二次大と戦後処理、天皇制、ともう一度このドラマを見ながら、歴史の見直しを(現在の時点で私が見る歴史)してみたいと思っています。

歓喜の歌         2008.9.12

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 製作年度2007年、112分の邦画。 関連するリンク先ー歓喜の歌


あらすじー文化会館で働く主人公の飯塚主任(小林薫)は、似た名前の2つのコーラスグループを聞き違え、大晦日のコンサートホールをダブルブッキングしてしまう。双方に掛け合うものの、どちらも一歩も譲らず大問題に発展。何事も事なかれ主義で生きてきた飯塚だったが、2つのグループの板ばさみとなってしまい途方に暮れる。飯塚主任と部下の加藤俊輔(伊藤淳史)が、両方の合唱発表会がなんとか開催できるように奔走し、擦ったもんだの末、コーラスグループのリーダー五十嵐純子(安田成美)・松尾みすず(由紀さおり)ら、沢山の人々の協力もあって無事開催にこぎつける。

 原作が立川志の輔の落語で、本人はほんの少しだけ出演しています。確かにストーリーからして、普通の人達が織りなす、ちょっとおかしい群像劇で、彼らのちょっと間の抜けた行動はまさに落語ならではの題材です。(落語の方も聴いてみたい。)ただ、この映画を見だした初めは主人公の飯塚主任のあまりにも気概がなく、いい加減な生き様に呆れるのを通り越して、少しムカっときました。(「こうした人がいるから、公務員全体が攻撃されるんだ。」と)しかし、ストーリーが展開していくにつれて情けなく、笑えてしまう姿を見せながらも「あること」をキッカケにして奮闘するようになります。そんな彼を見続けていると、いつの間にかちょっと温かい眼で見守っている自分に気がつきました。(そう、「全体の奉仕者たる公務員はこうすることもできるんだ。」と)

 その「あること」とは、飯塚主任のいう「ギョウザ、ギョウザですよ!」です。-つまりこのエピソードはー中華料理店を営む夫が入院中で自分の服のリホーム店と掛け持ちをする妻(藤田弓子)(忙しい二つの仕事の合間にもママさんコーラスにも打ち込む)が、主任らからの注文受付ミスに対して、謝罪だけでなく「思いやりと誠意」を形ある「ギョウザ」のサービスで示しました。それに比べダブルブッキング問題で自分たちの採った「情けなく、無責任な行動は…」と反省したのです。合同発表会を説得するシーンで主人公の「実行した結果の後悔よりも、実行しなかったことへの後悔のほうが強いのだ。」の言葉は、これまで窮地に追い込まれると、ついつい何かのせいにして逃げてきた自分自身にも言っているのだと思いました。

 それにしても、キャスティングがいいですね。「こういう奴、いるいる」と思わせるダメ公務員の典型を小林薫が、その下の少し頼りない部下を伊藤淳史が、安田成美は相変わらず綺麗だし(ユーモアも上手く)、その他ダニーボーイのソロを歌った方(名前?)頑張り母さんの藤田弓子、離婚を迫るが最後は許す主人公の妻を浅田美代子、母子家庭でニートの息子を抱え、ファミレスでミニスカを履いて働く根岸季衣など。個性的な多くの俳優さんたちが見事な群像劇を見せてくれます。(女性、女優が多く元気です。)

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MOVIESー邦画2本に、イスラエル映画1本。

MOVIES-邦画2本に、イスラエル映画1本。         
                                     2008.9.21

ALWAYS続・三丁目の夕日        2008.5.25

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 製作年度2007年、146分の邦画。 関連するリンク先 ALWAYS続・三丁目の夕日

あらすじー昭和34年、東京オリンピックの開催が決定し、日本では高度経済成長期が始まろうとしていた。黙って去ったヒロミ(小雪)を思い続けながら淳之介(須賀健太)と暮らす茶川(吉岡秀隆)のもとに、実父が再び淳之介を連れ戻しに来た。売れない作家・茶川は、相変わらず小料理店の元おかみ・ヒロミと、身寄りのない少年・淳之介と3人で幸せに暮らすことを夢みて、芥川賞目指して奮起する。この3人のドラマを軸に、登場人物もエピソードも増えている。鈴木オートの長男・一平(小清水一揮)は、親が破産し、しばらく鈴木家で預かることになった生意気な親戚の子に「破産したクセに~」と現実を見せるが、最後には…茶川は、芥川賞の候補にはなるものの、結局また落選。それでも近隣のごく普通の人たちのお節介だけど温かい励ましの中で何とか3人は一緒に暮らすことになるのです。
 
 前作は、映画館で見ました。淳之介と丁度同じ世代のためかどうしてもその視点でこの映画を見てしまいます。私は、12歳、中学生になった時に名古屋から、東京に移り住みましたが、その2年ほど前に一度東京に出てきていますからまさにその時です。そんなこともあって、CGを多く使っているとはいえ当時の様子を極めて忠実に再現していることに前作同様驚きとても懐かしさを感じました。この辺りが団塊ジュニアの娘のこの映画の評価と私のとの違いが出てくるところかも知れません。特に好きになったシーンは、―茶川に賞を取らせるために騙される「鈴木オート」(堤真一)をはじめとする近隣の普通の人たち(無学な下町の庶民)が、約束どおり淳之介を引き取りにきた実父(社会的成功者)に対し、茶川の作品を読んでいないように見せながら実は皆が読んでいた。それもその作品の温かい内容とともにそれをしっかりと理解していて、茶川を皆が擁護する。ーというところです。人の心の温かさとともに、庶民の知的レベルもまんざらではないなと思いました。もう一つは、「鈴木オート」の母子と美加ちゃんというお嬢様育ちの親戚の子のからみ。彼女は、この三丁目に住み、周りを見て人の情けに触れて成長していく。一平とは、初めは素直になれない男の子と女の子。そして切ない別れと最後に一平が彼女に貯めておいた貯金で色鉛筆をプレゼントする。別れのその時、母(薬師丸ひろ子)は、彼女にクリームを渡し、かけた言葉「本当にお母さんのつもりでいていいのよ。」とーというこちらの方も結構良かったです。なんだかんだと言っても私は、こうした心温まる作品が好きなんだなと思いました。

 迷子の警察音楽隊       2008.7.5 

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製作年度2007年、87分のイスラエル映画。 関連するリンク先ー迷子の警察音楽隊

あらすじー文化交流のため、イスラエルにやって来たエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊のメンバー8人。しかし、空港には迎えもなく、団長(サッソン・ガーベイ)は自力で目的地を目指すが、なぜか別の街に到着してしまう。途方に暮れる彼らを、カフェの女店主ディナ(ロニ・エルカベッツ)がホームステイさせてくれることになり、国家だって容易になしえない両国民の対話と友好を生み出していく。

 映画の冒頭で「この国で、エジプトの警察音楽隊が演奏会を開いたことがあった」という字幕が出る、隣国同士でありながら、長い間敵対してきたイスラエルとエジプトの市民が音楽を通じて交流を深める夢のような一夜の物語です。1990年代のイスラエルを舞台に、ユダヤの地に迷い込んだエジプト人と、現地のユダヤ人の英語しか言葉は通じない中でのほのぼのとしたやりとりをじっくりと見せる。エジプトの映画とドラマを観て育ったイスラエルの新人監督が撮ったイスラエル映画です。カンヌ国際映画祭の「ある視点部門“一目惚れ賞”」受賞のこの作品に、なるほど賞の名称がピッタリと私も一目惚れしてしまった心温まる作品です。

 路頭に迷った音楽隊の一行は、女店主の気配りと心遣いで数ヵ所に分かれ、三者三様にそれぞれの夜を迎えます。女主人と音楽隊の団長がドラマ話で心を通わせるきっかけを作る。指揮を執る瞬間がさぞ素晴らしいのだろうと尋ねると「いや、魚釣りのほうが楽しいよ」と団長。「あんなの何にも起こらないじゃない!」と女店主。彼は、一日中川に立って魚を釣る。ただそれだけのことがどんなに楽しいかを説明する。最後には彼の家族の痛ましい過去も告白する。別の隊員たちは奥さんの誕生日なのにどこかぎこちない家族の家に。噛み合わない会話。ぎこちない応対。そんな中でも彼らを音楽が繋ぎ、少しずつ触れ合い、人生を語り出します。また隊員の中でただ一人の若い色男はデートもしたことのない地元の若者に女性への接し方をレクチャー。隣に座って何かと世話を焼く、そのスリーショットが面白いし、温かい。このように、全編が何の変哲もないシンプルなシーンの連続です。時間もゆっくりと流れ、のどかで、人はのんびりしています。民族や、言葉が違っても心を通わせることができる(音楽が重要な役割を持ってきますが…)というメッセージが伝わってきました。

母べえ              2008.8.2 

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製作年度2007年、132分の邦画。 関連するリンク先ー 母べい

あらすじー世界情勢が緊張を帯びてきた昭和15年。ドイツ文学者の父・野上滋(坂東三津五郎)が、反戦を唱えたとして逮捕されてしまう。悲しみにくれる母・佳代(吉永小百合)と2人の娘―初代、照代(志田未来、佐藤未来)だったが、父の教え子や親類、近所の人たちに支えられ、明るく力強く生きていこうとする。この父は優れたドイツ文学者でありながら、その著作が国家転覆を目論むとして、治安維持法違反のかどで逮捕されたのです。この父親の逮捕後、不自由さを増していく市民生活、そして頼りにしていた父の教え子・山崎さん(浅野忠信)までが出征していき、帰らぬ人になってしまう。

 山田洋次監督が昭和初期につつましく生きる家族の姿をとらえて、現代の家族へのメッセージとしてつづった故黒澤明監督のスプリプター(後にプロダクションマネージャー等も)を務めてきた野上照代原作の感動の家族ドラマです。戦争の悲劇を描きながらも、平和や家族の大切さ、幸せとは何かを、改めて思い出させてくれる作品です。

 この父べえの悲劇は決して特殊な例ではなく、治安維持法違反で逮捕され、獄中で亡くなった人は1000人を大きく超えています。これまで戦争の悲惨さをダイレクトに描く映画は多くありましたが、思想弾圧の恐ろしさをこのように庶民の生活の中から真っ向から描く作品は数少なかったと思います。

 母べえの静かな怒りは、主に国家権力に向けられます。太平洋戦争が始まるや「ぜいたくは敵だ」のキャンペーンが始まり、国民に貴金属を供出させます。その一方で実父に会いに行った権力側が利用する旅館には食べ物があふれている。それを娘たちにも食べさせずに帰ってしまう。母べえがその生き方を容認する親戚(笑福亭鶴瓶)は、別れ際に山崎に金の指輪を握らせて「何かあったら、これを生活の足しにしろ。絶対に国に供出するなよ。差し出した貴金属が戦争の武器になる?冗談じゃない、どうせお偉方の懐に入るんだろう。」と強烈な異議申し立てをする。獄中の父べいに頼まれドイツ文学の恩師の大学教授(鈴木瑞穂)に原書を借りに行った時、恩師は、保身からか権力側に迎合して、父べいを非難する。それに対して、普段は常に怒りは秘めている母べいが恩師に対しては、その怒りを強烈にぶつけるシーンはとても印象的でした。同様に、警察署長であった母べえの父親(中村梅之助)、笹野高史の刑事、吹越満の検事など、当時の国家権力の一部を担っていた者には、母べいの怒り、彼らの責任を告発するような鋭い眼差しは印象的でした。こうした権力への不信感とは裏腹に、映画には優しい人々も登場します。その代表が父べえなき野上家に手を差し伸べる山崎徹(浅野忠信)。また、過労で倒れた母べえを診察する医師(大滝秀治)もです。逆に、個人個人では優しい人々も国が誤った道に進むのを止められず、むしろ後押しする結果を招いてしまうことも描いています。何くれとなく母べえを援助してくれる隣組の組長(でんでん)が、アメリカと戦争になって欲しいと語るシーンが象徴的です。

 母べえの怒りは、その時点では身内の人々にしか届かない、ささやかなものでしかなかったと思います。私は、お恥ずかしながら、この映画を見るまで野上滋氏のことは全く知りませんでした。原作はまだ読んでいませんが、次女の野上照代さんによって書籍化され、山田洋次監督がこのように映画化して多くの人々の目に触れることで、戦争の悲劇に翻弄されてきた多くの底辺の人々の静かな抵抗をきちんと描くことは、今日的にも極めて意義のあることだと思いました。

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MOVIES―記事アップを再開するにあたって                                 

MOVIES
―記事アップを再開するにあたって             
 2008.9.20

 しばらくの間、MOVIESのアップをしていませんでしたが、4月からの分を何回かに分けてアップすることにします。この間にかなりの数の映画を見ているのですが、なかなか記事にすることができませんでした。その数は、50本を越えていました。そのうち映画館に行ったのは1本だけほとんどがDVDです。5点満点で4点以上を記事にしようと自分で決めていたのですが、その数は、数えてみたら12本にもなっていました。自分で記事にすることのハードルを高くしすぎているせいだと思います。自分自身の記録としても整理しておかなければならないのですから、もう少し、気楽に、手短に記事にしてみようと思います。できるだけ、4月初めからの順番で記事にしますが、一部少しまとめにくいものは後回しになると思います。

華麗なる恋の舞台で  2008.4.13

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 製作年度2004年、104分のアメリカ映画。 関連するリンク先ー 華麗なる恋の舞台で

あらすじー1938年のロンドンで舞台女優としてトップを走るジュリア(アネット・ベニング)は、舞台監督の夫マイケル(ジェレミー・アイアンズ)や聡明な息子ロジャー(トム・スターリッジ)と平穏な家庭を築いていた。そんな中、ジュリアは母子ほど歳の違う米国人青年トム(ショーン・エヴァンス)と出会い、やがて恋に落ちる。トムには若い恋人ができ、しかも駆け出しの女優であるその恋人は、トムとジュリアの関係を利用して役を得る。傷心の大女優は、なす術もなく現実を受け入れていくかに見えるが、最後に劇中劇の中で鮮やかな逆転劇(華麗なる復讐)を演出する。というものです。

 サマセット・モームの「劇場」が原作のこの映画の凄いところは、何と言っても主役のアネット・ベニングのその存在感が凄い!「舞台が人生で劇場の外は偽物の世界」「劇場の外は幻想(ファンタシー)」という師匠のジミー(マイケル・ガンボン)印象深い台詞を地で行って、人生の舞台の主人公であり続けるアネット・ベニングがイギリスの大女優を演じるところ、その貫禄です。年を重ね経験をつんだ女の怖さ、それをも超越して最後は拍手したくなるような存在。最後に舞台は、大成功して、その打ち上げには行かず、体型維持のため我慢していたビールを一人お気に入りのレストランで一気飲み。わかるなーそんな気持ち。輝いていて好きだなーこういうの。

ヘアスプレー     2008.4.29 

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製作年度2007年、116分のアメリカ映画。 関連するリンク先ー ヘアスプレー


あらすじーおしゃれとダンスに夢中な女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)の夢は、人気テレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」のダンサーになること。ある日、番組のオーディションが開催されると知ったトレーシーは、自分と同じく大柄な母親エドナ(ジョン・トラヴォルタ)の反対を押し切り、オーディションに参加する。)の夢は、人気テレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」のダンサーになること。ある日、番組のオーディションが開催されると知ったトレーシーは、自分と同じく大柄な母親エドナ(ジョン・トラヴォルタ)の反対を押し切り、オーディションに参加する。

 大ヒットミュージカルを映画化したもの。人種差別が残る1962年のボルチモアが舞台。太目の主役のブロンスキーがチャーミングなこと、おなじみのトラヴォルタの超重量級のママ役も決まっていた。歌とダンス、60年代のファションもいい。思わず踊り出したくなるような世界です。2時間位であまり飽きさせないでよくできた作品だと思います。

 ただし、人種問題はともかく、女性の体型問題がそんなに問題になるのかなという疑問がどうしても残ってしまいました。60年代のアメリカだからそうなのか?アメリカだからそうなのか?どうもよく分かりません。日本でも今、ちょっとしたおデブちゃんブームになっているように、主人公位のちょっと太目は時代を超えてむしろ愛されてきたのではないかと思います。ただし、トラヴォルタの超重量級のママはかなり度を越えています。(それでも愛らしいのだから、どうなのでしょう?)

僕のピアノコンチェルト      2008.7.19 


製作年度2006年、121分のスイス映画。 関連するリンク先ー 僕のピアノコンチェルト

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あらすじー高いIQを持つヴィトス(ファブリツィオ・ボルサーニ)の両親は、6歳の息子を偉大なピアニストに育てようと、幼稚園ではなく音楽学校に通わせる。そんな彼の唯一の理解者は、田舎で家具工房を営む祖父(ブルーノ・ガンツ)だけだった。12歳(テオ・ゲオルギュー)になった彼は飛び級をして高校生になるが、スーツを着て学校に通う生意気な学生になり、稀有な天才児であるがための孤独に悩み、苦しみながら成長していきます。

 この映画では、天才がいかに生きにくい社会なのか、どのように孤独に陥っていくのかということがよく分かります。その中で、祖父が彼(孫)に対し、天才ウンヌンでなく、極めて普通に接していること、その交流が心温まります。彼は祖父に「他の人間になりたい。誰でもいいから普通の人間に」と打ち明けます。祖父は「決心がつかない時は、大事なものを手放してみろ」といい、自分の大事な帽子を投げて見せました。それを受けて彼は、“自分を演じる”という行動に出ます。それによってまわりに溶け込んでいきました。そして、その中でも彼は、自分が本当に求めているもの“心の声”を確かめていきました。そして、シューマンのコンチェルト第3楽章のラストのコンサートシーンへと爽やかに繋いでいきます。個人的には、映画の中で音楽をテーマにしたものは、大好きです。音楽自体が好きなのと、その中で人間がきちんと描かれているものが好きなのだと思います。この作品でも、サントラは、クラシックの曲は全て12歳の時のヴィトス役のテオ・ゲオルギューによるライブ録音だそうで、これがまた素晴らしい。

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健康管理ー運動編 実践その1

健康管理―運動編 実践その1 
 初めてノルディックウォーキングをしてみて 
                                             2008.9.11

 6月の地震で被害を受けて修理中だった栗駒スポーツセンターが、8月より先ず、トレーニング室から使えるようになりました。それを知ったのはお盆の少し前でした。木曜の教室に通い出したのがお盆すぎ、9月3日に水曜日の方にも顔を出してみました。ポール運動をボール運動と勘違いして参加してしまいました。その日の午後6時から「 ノルディックウォーキング で歩かナイト!」という企画があるのをその日に初めて知りました。(9月のインストラクタープログラム自体がその日初めて出されました。)少し前に出したと思われるチラシには、9月4日(水)となっていました。これでは、後で聞きましたが、やっぱり誰も来なかったそうです。
 
 こうしたチラシ自体も栗原全体ではなく、相変わらず、栗駒地区だけに配布されているようです。(事前に築館地区の私などは、知りようがありません。)しかし、今度の土曜日―9月13日の午前11時からの企画「体験ノルディックウォーキング」は8月15日の広報に出ていましたからかなりの数の参加申し込みが既にあるということです。それで、第2回目となる9月10日の「ノルディックウォーキングで歩かナイト!」への参加を前日の9日にTELで申し込みました。

 当日は午後1時半より、今度は自分で作ったポールを持って、「ストレッチポール教室」に参加し、一旦自宅に戻り、夕方、またスポーツセンター(集合は、スポーツセンター前の広場)まで出かけました。インストラクターは、昼間と同じ佐藤コーチでした。少し早くついたのですが、コーチは既に来ていました。TELでの申し込みは私一人だったということでした。それで、少しは早めでしたが10分前の5時50分より始めました。

 そのうち誰か来るかもしれないということで暫くそこでストックを使ったストレッチから始めました。(結局、他に誰も来ませんでした。)それから、ストックの長さの調整、ストックの持ち方、使い方等を教わりました。そして、いよいよ、ウォーキング開始です。先ずは、広場と駐車場の平坦な場所を軽くウォーキングしました。最初、かなりぎこちなかったですが、そのうち少しずつ様になってきました。少し慣れてきたところで、車道に出てスポーツセンターの上の方の駐車場まで行きました。

 ここでは坂道を登ることになりコツを掴むまで少してこずりましたがそのうち何とかなっていきました。上の駐車場に降りる坂道もまた、少し勝手が違ってきました。これもなんとかクリアーできました。上の駐車場では、ストックを軽く持ったり、(ほとんど持つ感覚もなく)少し、突く時に力を入れたり、様々なパターンを教わりました。一通りできたところで、スポーツセンターの下の方の街中に繰り出すことになりました。

 もうその頃には、6時半ごろになっていて少し暗くなってきていました。(5時50分はまだ明るかった。)街中と言っても繁華街ではなく、住宅がチラホラある位、丸江スーパーのあるあたりは明るいのですがあとは、街灯もたいしてなく女性では無理でないかと思いました。もっとも男一人でもウォーキングでもなく、「棒持ってなにやってるんだ」と思われてしまうかもしれません。(ノルディックウォーキングコースという看板でもあちこちに出してくれるとやりやすいかも?)まあ、「一人ではやらないな」というような会話をコーチといろいろしながらグルグルとまわって、雇用促進住宅の横からまた、スポーツセンターの方に上がっていきました。会話はできるくらいなのですが、だんだん少し汗ばんできました。それでも夕方ですから風は少しひんやりして心地よい感じでした。

 途中で3~4分一休みして(水分補給)スポーツセンターの方に向かいました。昇りの坂道はストックを使うのと、使わないのとを比べてみましたが、使ったほうが楽に進むことが分かりました。スポーツセンターに着くころには、ストックの使い方もかなり上手くなったように思いました。最後にまたストックを使ってのストレッチを念入りに行いました。予定では、7時半までとなっていましたが、始まりが少しは約した関係で10分ほど前に終了ということになりました。あたりはもうすっかり暗くなってしまいました。13日はお昼ごろで問題ないのですが(むしろ暑いのかも?)来週の水曜夕からの「…歩かナイト」の方は17日、24日と2回あるわけで大丈夫かな?思いました。(何しろこのあたりは暗い!!)

 さて、今回の初めてのノルディックウォーキング。前から一度やってみたいとは思っていました。ウォーキング自体は、屋外ではなく、トレーニング室等で、マシーンで40分間の大きいストライブでの早足ウォーキングを週に何回かしています。これは、有酸素運動と下半身のエクササイズになっていますが、このノルディックウォーキングの方は、それにプラス腕、上半身の筋肉も使う全身運動になっていると感じました。結構、全身の筋肉に負担(心地よい筋肉痛)がきているとやっている途中も、終わってからも感じました。

 ところが、これを計測編でいうならば、その結果は、数値的には、1回だけでどうかとも思いますが、上手く出てきませんでした。原因はノルディックウォーキングをする前にカップ麺を食べたこと。(勿論、終了後には自宅で夕食も。)しかし、体には、いい負担になったこと。そして、何よりも、初めてでも、最後まで、何とかできたことの満足感がありました。つまり、「自分の脳が喜んでいる?」-みたいなことが起きたということです。新しいことに取り組む、挑戦する、それが先ず、何とかできた、自分のイメージしていた以上のことが起きた。脳に新鮮な刺激が与えられたということだと思います。それに対して体も脳もなんとか対応できたということです。「お、なんとかまだまだできるんじゃないか!」これは、実際には自己満足に過ぎないかもしれませんが…

 これまで屋外でのウォーキングに対して私は、少し否定的な見方をしていました。しかしこのノルディックウォーキングに関しては、私自身に合っていると思いました。そしてこれをやっていくとノルディックスキーの方もできるのではないかと思われてきました。こちらにも挑戦してみたいと前から思っていましたから、その前段階としてもこのノルディックウォーキングはしばらくやってみようと思いました。

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ジジ親家業-この夏

この夏もジジ親家業、最後の一週間夏カゼでダウン         
                                   2008.9.1

 8月30日の記事に記したように、8月7日に高松に嫁いで行った娘が二人の男の孫を連れて里帰りをしていました。今回は、前回の冬の時の約半分、24日間でしたが、えらく疲れてしまいました。前回の一人から二人になったからなのか、それでも二人目は、まだ2ヶ月ちょっと首も座っていませんでした。上の子も、前回の冬の時より、幾分聞き分けはよくなっていましたし、私と妻の二人とも体調も整えて待ち構えていました。

 しかし、まず、来た最初の日、妻が3歳半の長男を抱きかかえて腰を痛めてしまいました。体重は14キロほどで重い方でもありません。それでも抱きかかえても、その中で絶えず動き回るので実際には、その倍ほどの重さに感じるのかもしれません。まだ現役で農業をしている80歳を過ぎた義父も抱きかかえようとしますが、いつも途中で諦めます。(賢明なことです。)既に腰が曲がり、脚も悪くなっている義母には背中からおんぶしようとしますが、止めないと潰されそうです。ですから、もっぱら長男を抱きかかえるのはいつも私―ジジの仕事。

 毎日、私が買い物、本屋、図書館、駅(新幹線を見に、エポカのプールに誘っても乗ってこない)などに連れ出すのが日課に。一番大変なのが買い物。半年前は大人しくチャイルドカートに乗っていたのが、今回はそれは最初の方だけ。直ぐに脱走してしまいます。コチラは既に買い物は始めており、初めのうちは買い物をやめて追いかけました。そのうちだいたい同じところ(乗り物のオモチャ、絵本のあるところ)に行くことが分かり、一度はカートに乗せますが脱走しても放置することにしました。ゆっくり買い物を済ましたから迎えに行きます。この子の場合、オモチャ、絵本がどうしても欲しくて粘っているのではなく、ただ純粋にそこで充分に遊びたいだけなのです。(それでも結局、ミニカーや絵本をいくつか買ってしまいます。)これが不十分だと「ムキッ」となってしまいます。そうすると手が付けられなくなり、「マグロ抱え」状態か更に「ギャン泣き」状態になります。私の時にはこの「ギャン泣き」状態にはさすがになりませんでした。それでもいつも最後は、1~2袋いっぱいの買い物に加え、孫を車まで抱きかかえて行かなくてはなりません。この時、孫はいつも「ダッコしよか?」と言ってきます。「お前がダッコするわけでないから、ダッコしてちょうだいだろ?」と言うのですが、極甘のジジは、ホイホイとダッコしてしまいます。大きなスーパーですと車までの距離はだいぶあります。これは、体力に自信がなければできませんね。

 お盆も過ぎて遠くの親族も来なくなった8月18日、天気もよく、私と妻、娘と孫二人で少し遠出をすることにしました。遠出と言っても1時間ほどで着いてしまいましたが、岩手県の 館ヶ森アーク牧場 に行きました。ここでも私が運転手と長男係りになりました。あっちこっちと追い掛けまわり、捕まえては、逃げられ、その繰り返し、「ダッコしよか?」が結局多くなりました。腕の中で動き回る位ならまだ良い方で、肩から上で動き回られては曲芸です。楽しい一日でしたがさすがに、私もすっかり疲れてしまいました。

 少しバテ気味の私と妻に息子からの親孝行―「二日間(8月23.24日)の東京」(8月30日の記事)がありました。ところが、その翌週、天候が悪かったこともあって私は、夏カゼを引いてしまいました。初めは、少しだるく微熱がある程度でした。病院に行く程度でもないと軽く考えすぎていました。売薬で済ましていたのですがこれが体調に丁度合うものが無くて3種類も変えてしまいました。結局、これが夏カゼを長引かせることになってしまいました。27日は少しひどく、28日は貯筋体操に行って少し楽になり、29日はセキとタンも出てきてしまい、かかりつけの医師のところに行き、私に合った薬を出してもらうことができました。

 翌日の8月30日は、娘と孫二人を新幹線で東京まで行き、羽田空港まで、荷物持ちと長男担当を兼ねて、当初予定の妻に代わり私が付き添って行くことになっていました。妻は、ダッコは無理と分かると東京に住む息子に電話して30日のお昼に東京駅から羽田空港までの付き添いを頼みましたが断られました。(息子は当日引越しでした。)「だったら何のために君が行くのか?ただの監視役か?」と問い詰めたところ、お鉢が回ってきたというわけです。カゼの引き初めには何とか自力で週末までには回復させてみせると頑張っていましたが、ダメでした。直ぐに病院に行っていれば、当然間に合っていましたが、後の祭り。金曜日に行って、土曜日に良くなっているわけがありません。今朝、9月1日の朝は、ほとんど良くなっていましたが、ほんの少し、セキとタンが残っていたため再度病院に行きました。今日ほどの体調ですと薬を飲みながらでも充分役割は果たせたと思います。

 30日は、結局、妻が長男をダッコしないで付き添っていきました。新幹線、そして東京の山手線、モノレールと羽田空港で飛行機に乗るまでは、大変良い子でいたそうです。しかし、「 ミアッカどん 」(「イギリスとアイルランドの昔話」よりー長男はこのミアッカどんとトロルを怖がる)ではないのですが、「いつもいい子でばっかりは、いられなくなって」、機内では、ギャン泣き、大暴れ、イタズラのやり放題だったそうです。彼なりにバーバ=妻の顔を立てていて我慢していたのかもしれません。

 こうして、この夏のジジ親家業は、何とか終了しました。今度はまた、この冬です。二人目(次男)は、何時も誰か抱いていなければ、直ぐ泣き出します。この冬は、どのように二人がなっていることやら?見当がつきません。来年秋頃には、二人して高松にまで行って、娘夫婦の家(と庭)の整備でもしてこようかと話し合っています。いづれにしても、今回の事(妻の腰痛、私のカゼ)で、あと10年位は、二人とも元気で、体力も落とさずに維持することを目標に、頑張らなくてはと肝に銘じました。

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