触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

私の優先順位の付け方

<雑感>                  2009.1.23

私の優先順位の付け方

 セカンドライフも二年目に入り、その過ごし方もだいぶ慣れてきました。年齢も年齢ですので、若い時ほどそれほど多くの事ができるわけはありません。ただ、それでもダブルブッキングではないのですが、稀に日程が重なってしまうことがあります。多いのが水曜日の午後と土曜日の午後です。

水曜日の午後は、毎週、栗駒のプールで水泳教室(現在は、中級バタフライ)があります。それに重なってくるのは、NPO法人「くりはら活性化ネット」の理事会です。こちらは年に数回ですから余程のことが無い限り役員の務めとして理事会を優先します。次に土曜日の午後ですが、こちらも毎週、栗駒のプールで水泳教室(現在は、平泳ぎ)があり、重なるのは図書館での第4土曜日の読み聞かせのボランティアの当番(第4班)です。ですから、これも基本的には第4土曜日だけが図書館ボランティアということにしています。さらにこの読み聞かせの終了後(午後3時から)にボランティアの打ち合わせやイベントの準備等が行われます。その時は栗駒のプールに行っても水泳教室にだけ参加して、直ぐに着替えて、急いで築館の図書館へ向かいます。場合によっては土曜日の水泳教室はパスして、ボランティアの他のメンバーの様子を見学・手伝い(時には穴埋めも)をすることもあります。それは、この土曜日の水泳教室のコーチが、週毎に変わってしまい、指導の系統性に?になるからです。それでも、現在行っている平泳ぎは、私が最も苦手としている泳法ですので、このところ真面目に参加しています。

さて今回、今週ですがこれらが二回ダブってしまいました。まず、水曜日。先週の水泳教室終了後に5人ほどが(そのトップバッターで)コーチに4泳法の水上(プールサイドで)と水中で動画の撮影をしていただきました。それを今週は、TVに映しながらチェック・アドバイスを受けるということになっていました。一方の「くりはら活性化ネット」の理事会ですが、今回はどうしたことか、その日程が葉書で知らされたのは4日ほど前でした。(いつもは10日ほど前だと思います。)葉書での内容は確かに重要な案件ばかり、それに今回この1月にオープンしたばかりの栗原市市民活動支援センターでの開催。重要度から言えば、はるかにこちらの会議の方にあることは確かなのですが何か、しっくり来ません。もっと早めに日程が分かっていれば(いつもはそう)動画の撮影をコーチにお願いしなかったと思います。

次が、土曜日、明日についてです。確かに明日は1月の第4土曜日ですが、1月3日の第1土曜日が図書館は休みでしたから12月末での打ち合わせでは一週ずつずれることになっていました。それで1月31日が第4班の担当でしかも図書館が休みですから、結局1月中は第4班の出番は無いということになっていました。ところが1月10日は分かりませんが、1月17日に第3班が担当してしまい、24日は第4班になったという知らせを1月21日に受けました。通常、私の場合、当番の1週間前には題材を1~2つに絞り込みます。そして、連絡も早めに図書館の司書の担当に入れておきます。その後、当日まで何回も練習をしておきます。そして、当日は、30分前には順番や絞込み(1つにする。担当者が少ない時は2つすることも)をしておきます。勿論、止むを得ない事情がある場合、当番を急きょ引き受けたり、当日の20分前に1つの題材を準備してしまうこともします。しかし、今回は、第4班で2人の参加を確保したということでしたから、その2人に任せることにしました。

こうしたことが今週2回も出てきてしまったので、「私の優先順位の付け方」は、一体どうなっているのだろうと考えてしまいました。そこで、まず、次のことがいえると思われてきました。

 先に決めたことを優先する。
2 自分の役割の大きさで判断する。
 何回かある中の1回である場合とか別の日にずらせるものは調整する。 -というものです。
しかし、これだけでは今回のことを充分に説明(実は、“言い訳”だと思っています。)できません。だからこの3つに更に
4 今、自分がやりたいことを優先する。(これが、本音?) -を付け加えます。
 オマケにもう一つ付け加えると(これは、2と4に関連してきますが)
 家族(妻と子どもたち)のことを優先する。

 ですから、この間(年末か年始にかけて)の恒例のジジ親家業は、何をさておいても最優先でした。(最低、年2回の期間限定)

また、妻の「話し相手」というか「教育相談」なのか?妻からのもろもろの相談事が結構多くて、これも優先されられています。これは、きちんとした予約がある場合と、突如として侵入してくる場合があります。予約の場合、妻から「今晩、少し相談に乗って欲しいことがあるのだけれど…」と来ると、これはもう、最初から長時間の拘束を覚悟しておきます。また、突如として妻から「今、5分だけ時間をちょうだい」と来たら、これは最低30分を覚悟しておきます。(5分で終わった試しがない)話の内容は、もっぱら、仕事(教育)関連の話が多く、教師、職場、子どもたちと様々です。私は、だいたいは聞き役に徹している(妻は私に話すことによって自分の考えをまとめたり、確認したりしている)わけですが、少しはアドバイスもします。(いい加減な意見は受け付けてくれません。)昨晩のは、予約制でしたが、明日の組合の教研での発表するレジュメ作りでした。

これが、夫婦間で平等なら問題?はないのですが、我が家の場合は、これが全くの非対称です。私が妻の相談に乗ることが10なら、その反対は1か?いや、それ以下で、ほとんどありません。こちらの話はもう、ほとんど聞いてもらえません。これは、もう、諦めを通り越して「もう、そんなもんだ」と慣れきってしまいました。

スポンサーサイト

PageTop

「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ を読んで 

<BOOKS>-⑱
「生きづらさ」の臨界
“溜め”のある社会へ を読んで
     

                                        2009.1.19
著者について

湯浅 誠 反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長。
1969年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程単位取得退学。著書に『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』(同文舘出版)、『貧困襲来』(山吹書店)、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書) など。『反貧困』は第8回大沸次郎論壇賞を受賞。

河添 誠 首都圏青年ユニオン書記長、反貧困たすけあいネットワーク事務局長。
1964年生まれ。東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程中退。2000年、「ひとりでもだれでもどんな働き方でも入れる若者のための労働組合」首都圏青年ユニオンの結成に参加。2006年より現職。2007年、湯浅誠氏とともに反貧困たすけあいネットワークの結成をよびかけ、現在、事務局長も兼務。労働運動の情報ネットワーク・レイバーネット日本の事務局長も兼務。反貧困ネットワークのメンバーの一人でもある。

本田由紀 東京大学大学院教育学研究科教授。専門は教育社会学。
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授を経て現職。主著に『若者と仕事』(東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版)『「ニート」って言うな!』(共著、光文社新書)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、『軋む社会』(双風舎)など。

中西新太郎 横浜市立大学教授。専門は社会哲学、現代社会論。
1948年生まれ。鹿児島大学教育学部勤務を経て現職。主著に『情報消費型社会と知の構造』(旬報社)、『思春期の危機を生きる子どもたち』(はるか書房)、『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社)、『<生きにくさ>の根はどこにあるのか』(NPO前夜)、『1995年 未了の問題圏』(共編著、大月書店)など。

後藤道夫 都留文科大学教授。専門は社会哲学、現代社会論。
1947年生まれ。ここ10数年は日本の「構造改革」とその背景を中心に研究。最近はワーキング・プア、貧困問題を重視。主著に『収縮する日本型<大衆社会>』(旬報社)、『反「構造改革」』(青木書店)、『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)、『格差社会とたたかう』(共著、青木書店)、『なぜ富と貧困は広がるのか』(旬報社)など。

発行/旬報社 2008年11月 6日 

目次からー

1 不器用さは排除されても仕方がないか---若者の自立をめぐって 本田由紀×河添誠×湯浅誠
鼎談のまえに  河添誠
 「自立」が強いる「生きづらさ」
 「不器用な若者」は解雇されても仕方がないか
 労働市場の変化と「不器用さ」
 若者に必要な“能力”とは何か?
 「貧困」とたたかう労働運動
鼎談 
 若者の「不器用さ」と自立
 労働現場でひろがる貧困--“溜め”がなくなっていく
 うみだされる「不器用さ」
 専門性は「不器用さ」をカバーするか--「専門性」とは何か?
 仕事と報酬の関係を可視化するには
 ハイパーメリトクラシーにどう対抗するか
 「器用さ」を強制する圧力にどう対抗するか
 学校にできること--実態にそくした権利教育を
 家庭教育の「不備」に社会はどう対応するか
 不明瞭な仕事と報酬の対応関係がもたらす課題
 専門性のなかみと教育・職業訓練の課題

2 内面化される生の値踏み---蔓延する自己責任論 中西新太郎×湯浅誠×河添誠
鼎談のまえに 湯浅誠
 「ほかに方法がない」
 「貧困が見える」とき/自己責任論が発動するとき
 奪われる“溜め”
 “溜め”を失った社会が“溜め”のない個人をつくる
 「貧困は人にはないよ、社会にある」
 「ほかに方法がなかった」実態を知らせる
 「救済に値する人」「値しない人」というデッドロック
鼎談
 自己責任論の構造と機能
 新自由主義政策を正当化する自己責任イデオロギー--社会と個人の関係の倒錯
 八〇年代の文化変容と九〇年代新自由主義の関連
 「生の値踏み」状況の内面化とその問題性
 自己責任論の突破する糸口
 新自由主義にたいする障壁の弱さ
 居場所づくりの活動とその難しさ
 社会変革と学びの場
 精神疾患と貧困
 自己責任イデオロギーを溶かす

3 「生きづらさ」という困難の可能性---接近する労働と福祉 後藤道夫×湯浅 誠×河添 誠
鼎談のまえに  湯浅誠
 〈もやい〉の相談事例から
 進行する「下向きの平準化」
 「生活の安定」を担う家族、その帰結
 若年ワーキング・プアの「生きづらさ」の根
 いま、あらためて問われる「ナショナルミニマム」
 多様な“溜め”つくられる社会にむけて
鼎談
 「フルタイムで働いても食えない」
 個別ケアの現場と社会構造を扱う運動をどうつなげていくか
 制度の狭間で……
 制度の狭間を埋め合わせる
 個別的なケースから「社会にたいする信頼感」にどうつながるか
 運動の問題提起を政策化する道すじ

4.希望は、連帯 湯浅誠×河添誠
 怒りの方法――秋葉原無差別殺傷事件をめぐって
 労働と福祉をつなげる運動の重要性
 「強い市民社会」と居場所づくり
 反貧困運動のひろがりと課題――「反貧困たすけあいネットワーク」の可能性

私の感想など

この本を何故、読むことに…

 この本は、去年ですが、図書館に11月30日にリクエストしていて、12月中旬にはもう入手しているのです。しかし、この本の前に読み始めてしまった「もう、服従しない」にてこずってしまっていました。それで、結局途中までしか読まないで図書館に返本してしまいました。それで、急いでアマゾンで取り寄せ続きを読みました。これが1月6日頃のことです。それでも、ようやく娘と孫達が帰っていってからの1月10日過ぎには、「もう、服従しない」の方を記事にすることを先行させていました(この前のBOOKSにアップ1/14)。その後も、この本を読んでも、どう記事にしていいものか迷ってしまい、何日も経ってしまいました。

 この本のリクエスト直後、12月4日の朝日新聞に湯浅氏の「派遣切り」-「黙認続けば正社員にも波及」の投稿記事が出ました。そして、その12月4日当日夜、東京・日比谷野音で、2千人の「派遣切るな」の集会が持たれています。その翌日のTV・新聞で大きく取り上げられて、ここで世論の流れが大きく変わって来ました。昨年の秋以降、世界不況のあおりを受けて、非正規社員を減らす勢いが加速され雇用危機が一気に深刻化しました。この相次ぐ「派遣切り」に各方面から対策を求める声や動きが出てきました。さらにそれが年末には生死の問題として「派遣村」が作られ、年明けにはその後の対策も採られてきつつあります。まさにこの格差・貧困問題はリアルタイムで進行しています。

 実は湯浅氏の「反貧困」は半年前には購入していたのですが積読に。この頃、ここ栗原での「格差シンポ」準備の話の中で、後藤氏に会っている方から「今、後藤先生は、非正規労働者の組織を始めている若者のバックアップのため奔走している」という話を聞かされました。私には、それが湯浅氏だったんだろうと思われてきています。著者の後藤氏、中西氏も同世代ですからもう、だいぶ前から、その著作等は読んでいました。本田氏についてはつい最近、ここ1~2年のことです。この問題は、彼らによってもう十数年前からも取り上げられてきました。しかし、2006年にNHKが「ワーキングプア」特集を組んでからようやく一般化し始め、昨年6月の秋葉原無差別殺傷事件で、一気に危機感と、派遣問題に注目が集まりました。それに更に加わったのが、前述の世界不況の影響です。

 この本の帯には次のような文章が付いています。「“どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ” ハケン、フリーターなど増える使い捨て労働と低賃金 拡大する貧困・格差のなかで蔓延する「生きづらさ」 その正体は? 解決の糸口はどこに? いま 話題の著者たちが語りあう!」というものです。ですから、「もう、私も読まなければしょうがないでしょう。」となった訳です。

若者の「不器用さ」と自立について

 現在の日本においては若者の労働環境があまりにも劣悪になっていて生活そのものが破壊されています。そうした中で、「今の若者は、意欲を持たない、熱意が足らない」といっても、その「意欲の貧困」の原因を取り除かなければ何の解決にもなりません。それは主に貧困状態にある、湯浅氏の言う“溜め“(生きるうえでの生活資源)が減少している状態からくるものです。

  若者の「不器用さ」を指摘したり、自立を促し、それができないのは「自己責任だ」とするのは、何の解決にもなりません。このところ事態の深刻化の中でかなり少なくはなってきましたが、これまでそうした主張をする政治家・評論家が多数いました。一言で言えば「上から目線でしか見ていない」のです。「不器用で、うまく立ち回れない、対人関係が苦手」という若者(もっと年齢が上の人も)は多数います。そのような若者が多数育つ社会環境に私たちはしてきてしまったのです。それが個々の家庭の問題に矮小化されて「過保護だ」と周りが圧力をかけ、その結果、家族がその子どもを追い詰めていきます。さらに、それが世代間連鎖までになってきています。確かに家庭教育の不備はあります。学校教育も権利教育・職業教育等改善の余地は多くあります。しかし、根本の社会全体で、若者を育てていく、就労させていくシステムの構築が急がれます。

新自由主義政策から出た「自己責任論」

この「自己責任論」について中西氏は次のように言っています。

―「社会的コストがかからない人間であることを強制するためのイデオロギー的な手段として、「自己責任論」という言葉が使われている。この「自己責任」というイデオロギーを利用して、医療と社会保障のコスト切り下げを正当化していく。「自己責任論」は、雇用と社会保障の切り捨て、新自由主義政策を正当化する機能をもっている。
 新自由主義はすべてのものを市場化・商品化しようとする。人間さえも市場化・商品化され、みんな個々で新自由主義社会に対して責任をとるべき存在とされる。社会に対して、コストとリスクを負わせる人間の存在は問題視されることになっていく。そうなるポイントは「自己」=私的所有者という把握の仕方にある。
 病気であったり、貧困であることは、社会にリスクを負わせて、コストをかけさせるから許されない存在とみなされる。本当は個人を貧困な状態にしている社会の側の問題であるのに、個人がそういう状態でいること自体が問題だと、逆転させてしまう。社会と個人の関係を逆転させてしまう。貧困は個人の問題だと逆転させ、これを徹底していき、個人に内面化させて、「私はいるだけでも社会に迷惑をかけています」という精神状況に追い込んでしまう。
 問題をかかえていても、他の人に何も要求しない、社会に対して要求しない、要求しようとも思わない人間がつくられていく。他者に支援を求めること、社会に要求することは、本来であれば、貧困であったり、問題をかかえる人が発揮しなければいけない社会的責任の果たし方でもあるのに、まったく逆転した発想にしていく。」

 確かに、この「自己責任論」はこのところ、支配者側からあらゆる方面に出されてきたこと、イデオロギーです。日本特有のものだそうです。それは日本で市場化が世界一すさましい勢いで進められてきたからであり、それへの社会、特に労働組合運動のガードが弱かったため、歯止めが掛からなったのです。そして、その一番のしわ寄せが若年層に行ってしまったのです。社会福祉・社会保障についても、労働者、働くものへの取り組み、位置づけが弱いままでここまで来てしまいました。もう、全面的に北欧の福祉国家型に切り替えるしか方策はなくなっています。

絶望と不信の蔓延から希望のネットワークへ、

 長年、貧困・労働問題に取り組んでいる後藤氏は、次のように言っています。

―「派遣問題だけでなく最近ではフルタイムで長期に就労していても生活できない「完全就業かつ貧困」が大量に出てきており、こうした低処遇の正規労働者が急増している。これは、これまでは社会全体としては「例外」的だったのが、今、広く一般化し始めている。そして、この低処遇正規雇用の人たちの年齢が上がってくると、子育て全般、医療保障、将来の年金額など、いろいろ問題が総合的に出てくる。」-
 
  「鼎談のまえに」でも、湯浅氏は「若者の貧困が、今は親世代の資産を食い潰すことで持ちこたえているケースも多い。しかし、親世代の引退とともに子世代の貧困が一気に社会化される可能性がある。」としています。こうしたこの先の危険性を著者らは、指摘しており、事態はもう、待ったなしになっていることが分かります。

  日本では、従来、労働運動と社会保障(福祉)運動の役割分担が「働いている人」「働いていない人」とでされてきました。それが、働いていても福祉の必要な人が多数出てきています。両者がクロスしてくる事態になって、鼎談では、社会的告発のみに傾きがちな労働運動と、個人のケアのみに埋没しそうな社会保障(福祉)運動とを融合させて、新しい運動を作っていきたいと言っていますが、これまでもそうした運動を展開してきたところも無いわけではないのですが、いかにも弱すぎたのだと思います。河添氏の言う「希望のネットワーク」のようなもっと大きいうねりのある、あらゆる繋がり、連携を生かした大運動が必要とされています。

  生活保護については、申請の際に担当者が窓口で拒否する「水際作戦」が問題視されはじめていますが、これは高齢者・母子家庭等が主だと思われます。働き盛り世代の解雇・失職にも最低限の生活保障は緊急に求められています。湯浅氏らがその申請の手助けをし、年始にも「派遣村」からの集団申請がニュースになっていました。ところがこれを批判する方もいるようです。労働者保護の視点に立ち、さらに働けなくなってもそれを保護するー人間らしい暮らしができるようにするーここでは「ナショナルミニマム」としていますが、制度の土台そのものの再構築が必要です。

希望は連帯、「強い市民社会」を

 この「希望は連帯」のタイトルはロスジェネ世代の赤木智弘氏が書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は 戦争」へのアンチテーゼなのだろうか?赤木氏は社会に絶望した後、その社会が滅びてしまった後に、地位が変動する、負の平等化という物語を期待したものです。「戦争でリセットだ」とするのは湯浅氏と河添氏の対談で取り上げている「秋葉原無差別殺傷事件」と同じです。二人は殺傷事件を批判しつつ、容疑者の置かれた孤独な状況への理解を示しています。「自傷、他害は「自分自身の排除」の究極の表れで、さまざまな排除の行きつく先は「社会不信」であり、怒っていいはずが多くの人は怒りきれない。」「むしろ絶望のほうが強くなって、怒りの矛先が自分に向かっていくような自己責任的な回路がある。」としています。容疑者の場合、「ストレートな怒りを発揮できず自暴自棄になり、社会を道連れにするというものだったのではないか」としています。関連して、自殺者が多い状況がもう10年も続いているのは確かに異常です。

 「労働と福祉をつなげる運動の重要性」では、唐鎌直義氏の「不当に安く、労働市場で労働力を売ってはいけないという観点から労働市場からの積極的な排除が社会福祉なんだ」という話を紹介しています。その内容は、「高齢者や病気の重い人、心身の障害の重い人、子どもを働かせないというのが正しい。「労働力の不当廉売を防ぐ」ということ。技能が低くければ働かせないで社会保障を受けながら技能訓練をする。技能がついたら労働市場に参入させる。労働市場をまともに機能させるには「労働力の不当な安売り」を禁止する必要がある。そのために、社会保障・福祉が必要だ。」ということだそうです。これは、前述の生活保護に関連してくることです。確かに今はこのようになっていません。しかし、こうした方向に、制度にチェンジ=舵を切らなくてはなりません。

 雑誌世界の昨年10月号で湯浅氏を除く著者らを含む8氏が「若者が生きられる社会のために」という共同提言を出しています。その主な内容は「若年雇用促進法の制定、労働者派遣法の抜本改正、最低賃金制の改革、労働条件明示の強化、長時間労働の規制強化、被用者社会保険の適用拡大、生活保護の適用対象の拡大、若者に対する緊急の住宅支援策」などです。これらも制度として作っていかなければなりません。

 二人の対談では、こうした制度だけでなく同時に「強い市民社会」を作っていかなければならないとしています。その運動論的ポイントが“居場所”だとしているのは面白い。それも、声を上げて、不満を言って「やろう、やろう」という場所と、その逆に「たたかうためには、たたかわなくていい“居場所”」の両方が必要なんだとしています。一つのグループ内に棲み分けたり、複数で役割分担してもいいと。私は、そもそも○○組合と名のつくものは労組、生協、農協でもそれがなくてはならなかった筈だと思っています。内部に無くともその周辺にはあった筈です。今は、無くなってしまったのでしょう。それに様々な団体、組合を結びつける横断的な“居場所”も必要です。それは団体、組合だけでなく、個人レベルでも必要です。縦、横、斜めに様々な団体、組合、グループが存在して、連携していく。社会連帯です。そうして、初めて「強い市民社会」はできていくと思います。

PageTop

「もう、服従しない」を読んで

<BOOKS> ⑰
「もう、服従しない」を読んで                           
2009.1.14      

著者/アーヤン・ヒルシ・アリ 訳者/矢羽野 薫 出版/エクスナレッジ 2008年9月30日発行

著者の紹介

―1969年にソマリアで生まれ、ムスリムとして育つ。ソマリア、サウジアラビア、エチオピア、ケニアで子供時代と青春時代を送る。1992年に、会ったばかりの遠縁の男性との結婚を強いられ、オランダに逃れて難民申請をする。オランダ語を学び、中絶クリニックや虐待された女性のシェルターなどで通訳として働く一方、ライデン大学で政治学を学ぶ。在学中の1997年、オランダに帰化。卒業後、労働党のシンクタンクに勤務する。9・11テロ以降、イスラムに対する批判的な発言によりオランダ全土で物議をかもし、それ以後ボディーガードつきの生活を余儀なくされる。下院議員に当選後も、イスラム社会における女性の解放をテーマにした映画製作に携わるなどして命をねらわれ、24時間態勢の厳重な護衛下で生活。現在はシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所に勤務しながら、ヨーロッパのムスリム女性の人権やイスラム社会に対する啓蒙、欧米の治安等に関する発言を続けている。2005年には、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。

内容の紹介

 この本は、約500ページもある大変長いソマリア女性の半生記です。「訳者のあとがき」がその内容を要約しているようなのでそこから「著者の紹介」とダブらないようにして引用(それも要約して)します。

― アヤーンの家庭は敬虔なイスラム教徒だが近代的な雰囲気もあった。父親は家庭をほとんど顧みず、兄と妹とアヤーンは気性の激しい母親から折檻を受け、祖母に厳しくしつけられた。5歳の時には「純潔」を守るためとして性器を切除された。思春期にはムスリム同胞団など厳格な教義に傾倒し、分厚いベールで全身を覆った時期もある。一方で、女性のあまりに低い地位がコーランのもとに正当化されていることには早くから疑問を感じ、イスラムの硬直した教えと現実社会の理性との矛盾に苦しんだ。

 1992年、父親の決めた結婚にどうしても我慢できなかったアヤーンは、全てを捨ててオランダに渡った。当時のヨーロッパ、特にオランダは、移民を取りまく環境が現在ほど厳しくなかった。簡単に難民申請は認められ、さまざまな支援策のおかげで大学へ進み、五年後にはオランダ国籍も取得した。自由で開放された西洋文化とイスラム文化の衝突を乗り越え、疎外感や孤独と戦いながら、彼女はがむしゃらに前進した。さまざまな葛藤の末、自ら信仰を捨てる決断をする。さらに、2001年の9・11テロと前後して政治的な発言をするようになり、2003年には下院議員に当選した。

 自分の信仰や価値観が根底からくつがえされ、完全に否定されても、アヤーンには自分の心を失わない強さがあった。新しい世界を受け入れる柔軟性があった。しかし、姉を追ってオランダに来た妹は、自由の重さを受け止めることはできなかった。母親は一度は家族を捨てて新しい人生を追いかけ、自分で選んだ男性と結婚した。しかし、夫(アヤーンの父親)と時代に振り回されて生活が崩壊した時、自分の足で立ち上がる気力は残っていなかった。アヤーンはそんな母親を見て、虐待も差別も神の定めとあきらめているムスリムの女性たちを見て、彼女たちのようになりたくないと思った。人生を他人に決められたくないと思った。

 イスラム批判の論客として注目されていたアヤーンの存在が広く知られるようになったのは、2004年11月に映画監督テオ・ファン・ゴッホが暗殺された時。テオは、アヤーンの脚本でムスリムの女性の虐待を描いた「サブミッション(服従)」を製作。2人はイスラム過激派から殺害の脅迫を受けていた。9・11テロ以降、イスラム社会への反感が世界的に広まっており、「寛容な国」オランダではイスラム系を中心とする移民政策の失敗が社会問題化していた。アヤーンへの脅迫は激しさを増し、24時間体制で身辺警護を受ける緊迫した生活が続いた。そこに突然、アヤーンの国籍をめぐる騒動が起こる。しかし、二転三転して国籍を保証されたアヤーンは、シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所から誘われていたこともあり、議員を辞職して渡米した。

現在は、そこの特別研究員として、欧米とイスラムの関係、ムスリム女性の権利などを中心に言論活動を続けている。また、議論と表現の自由は民主主義の根幹であると訴え、虐待や政治的・宗教的迫害を受けているムスリム亡命者の支援をはじめている。 

私の感想など

 「訳者あとがき」ではこの後、次のように続けています。-「アヤーンの徹底したイスラム批判には、イスラム社会の改革派からの反発も強い。…本書にも挑発的な言葉が少なくなく、批判することに躍起になっていると印象も受ける。ムスリム女性が差別と抑圧に苦しんでいることは事実だが、イスラムを頭から否定することによって女性の解放を訴えるやり方は、イスラム教徒全体に対する偏見を招き、不要な敵をつくることにもなるだろう。実際、現代のイスラム社会には、信仰や文化を捨てずに、社会の近代化を実現しようとする動きもある。」―そして、最後に訳者のこの本と彼女の評価は、「イスラム批判と言うより、ひとりの女性が新しい人生を勝ち取る信念の闘いだ。すべての価値観を自分で否定した彼女が、これまでの信仰を徹底して批判することは、人生に対する覚悟の表明でもあるのだろう。」と結んでいます。

 私は、この評価には全く納得がいきません。これだけの本の翻訳をしておきながら訳者はイスラムの問題に腰が引けています。本書の記述は自らとその周りの体験等ですから、極めて率直で具体的です。私自身、「イスラム社会での女性差別」と言うような文章表現、言葉で理解していてもその実態は詳しく分かっていたわけでは無いと思い知らされました。彼女の本書で書いているイスラム社会の事実・現実から私たちは目をそらしてはなりません。

彼女は、コーランの中に書かれた「平等」に疑問を感じ始めます。なぜ女性だけが家を出るときに夫の許しを得なければならないのか。コーランの中では、「神への服従、女性は男性への服従が書かれていて、妻が服従しない場合は夫は鞭で打っても良いと書かれている。」という。そして、彼女は、「オランダの多文化主義は、ムスリムの持ち込むイスラム社会の慣習もそっくり容認し、多くの女性と子供を犠牲にしてその権利を奪っていた。オランダは調和の名の下に寛容になろうとしてきたが、そのため移民はオランダ社会に統合されず、「別に暮らし、別に勉強して、別に社会生活を営むように」なっていく。彼らはオランダでも女子に性器切除をし、女性をたたき、服従を強制する。その結果、国内で起きている大勢の女性や子どもが体系的に虐待されて、その苦しみを、オランダは無視することになった。」という。私は、少し前にフランスで起きた「スカーフ論争」を思い出しました。私は、あの当時は「統合を強制することは問題がある。」と、どちらかというと多文化主義が良いのではと考えていました。しかし、これはそれほど簡単な問題ではないと思われてきています。

1月11日の朝日新聞の「読書」欄に苅部 直氏によって二冊の本の紹介がされていました。池内 恵「イスラム世界の論じ方」と押村 高「国際正義の論理」です。その中で、苅部氏は、ブッシュ政権の下、イラク戦争を初めとする中東政策をめぐって日本の言論界で反米の空気が盛り上がった時期は近年では、珍しいとしています。池内氏の著書は「専門家による「一方的なアラブ擁護論やイスラム礼賛論」がこの動向をあおったと…」批判。さらに、「イスラム教は本来は平和の教えであり、破壊活動は一部の逸脱者が引き起こすものにすぎない。そういった弁護論がテロリズムの支持者への戒めではなき、ひたすら、日本と欧米の側がもつ誤解に対する批判として述べたてられてしまう。イスラム世界の政治が、近代西洋とはまったく異なる価値観によって動いていることを、欧米人と日本人は真剣に見つめながら、決定的な対立を避ける方策を探るべきだ。」と論じていることを紹介しています。押村氏の著書は、「戦争の違法化や人類普遍の権利の保障といった考えが、西洋の政治思想の伝統をふまえて登場した経緯を明らかにし、個人の自由よりも神による啓示法(シャリーア)を優先する、イスラーム思想との齟齬を指摘する。」と紹介しています。

私には、アヤーンのこの「もう、服従しない」がこの二冊の本の紹介とピタリと符合してくるのです。彼女は9・11の直後に言います。「でも、これはイスラムの問題です。信仰に基づいている。これがイスラムなんです」と。「イスラムは平和と寛容の宗教であり、暴力はほんの少しもないーそれはおとぎ話にすぎず…」 「アフリカは私が見てきたように世界でもっとも貧しい大陸だが、貧困がテロリズムを生むのではない。本当に貧しい人は次の食事より先のことは考えられず、より知的な人は自分たちの政府に我慢できず西洋に押し寄せる。イスラム嫌悪症の恐ろしい波がオランダで解き放たれ、オランダのなかにあった人種差別的態度が表面化していると、人種差別に反対する官僚がたわごとを書いていた。こうしたえせ知識人の主張はどれも、現実と関係なかった。これは信仰の問題なのだと、」
彼女は、ライデン大学で政治学を学び、また語学も(アラビア語も)できます。そして「評価すべきは預言者ムハンマドの言葉だ」とし、「全ての知識はコーランに述べられている」とし、自分自身の体験も踏まえてコーランの評価を次のように下しました。

―「私は、コーランを聖典だとは思わなくなっていた。コーランは人間がまとめた歴史の記録だ。預言者ムハンマドの死後150年に、人間が過去の出来事を記した一つの見解だ。そこに記されているのは、部族に特有のアラブ的な出来事だ。その記録が、残酷で偏狭で、頑迷な女性支配の文化と粗暴な戦争観を広めていた。」―

私は、現実には、イスラム社会といっても国・地域・人種・氏族等によって多種多様だと思います。しかし、「イスラム原理主義」などというものは勝手に欧米人や日本人が自分達の都合の良い解釈をしたものに過ぎません。多種多様であってもその根本、コーラン自体についてこの彼女の指摘はきちんと踏まえておかなければなりません。

朝日「読書」欄で苅部氏は最後に次のように言っています。「異なる文化をもつ相手と、いかにつきあいながら、ともに世界の秩序を運営してゆくのか。…歴史と現実の多面性をわきまえ、ねばり強く思考を続けること。そのためのおおらかな勇気を、」と。私も、全く同感です。

本書の訳者は「訳者のあとがき」の冒頭で「不寛容に対する寛容は臆病だ」-とアヤーンのサイトにそう記されていることを紹介しています。そして訳者は、それを「信仰を捨ててイスラム批判を繰り返し、過激派に「死刑宣告」を受けている女性。スリム女性の権利とイスラム社会の啓蒙のために闘う女性。そんな彼女の信念を表す言葉のひとつだろう。」と述べています。私には、こうした訳者の彼女と最初に紹介したこの本書への評価は、訳者自身が「イスラムという不寛容に対して寛容になっている」としか思えません。私は、この本を訳者がただ「闘う女性の半生記」にしていまってどうするのだと言いたいのです。そうした意味で訳者は「臆病だ」と思います。もっとも、日本でもこうした翻訳に係わるだけでも身の危険が無いとは言い切れないと思いますので、少しは臆病になっても仕方のないことだとは思います。

PageTop

年末年始の恒例のジジ親家業を終えて

<家族> ライフ

 年末年始の恒例のジジ親家業を終えて
                             2009.1.11

 一年ほど前にもジジ親家業について初めて記事にし、その後も、昨年夏も触れました。今回は、妻の留守の12月25日のクリスマスにやって来て、昨日、1月10日に帰りました。この間、ほとんど妻より私の方の負担が圧倒的という状態でしたが、何とか無事にジジ親の役目を果たすことが出来ました。ただ、日頃している様には、運動等ができず、おまけに良く作って食べていましたから少々太りました。体重で+2キロ、体脂肪で+1~2%、内臓脂肪で+1~2レベルアップという惨憺たる状態になっています。しかし、これは、孫2人の相手をするのに体調が悪くてはどうしようもないため、最初からこうなることはだいたい予測していたことです。しかし、今月は、3ヶ月に1度のかかりつけの病院で血液検査をする月です。あと2週間足らずで何とか帳尻を合わせるため、今日から少し、真面目に運動と食事の管理をすることにしました。

 今回は、娘の長男が、4歳、次男が6ヶ月と2人ともに手が掛かる状態でした。この前の夏にはまだ下の子は2ヶ月で殆んど寝ているような感じでしたが今回は違いました。よく泣くし、動き出します。それで殆んど食事づくりがジジに回って来てしまいました。娘のブログ(むーらんるーじゅ)にその一部(ミートソースパスタ、トマトスープ、ササミと魚肉ウインナーとエキンギ炒め、白菜と豚肉のあんかけ重ね煮、年越しそば、雑煮、白菜付け+キムチ付け)が写真でアップされています。この他にも、クリームシチュー、塩味鍋、カレー鍋、カレー味噌煮込みうどん、焼きソバ、ピザ、とんかつ、カツ丼等といろいろ作りました。我ながらよくやっていると思います。

 それでも4歳の長男は1年前、4ヶ月前(夏)と比べ、だいぶ聞き分けが好くなってきました。もう、「マグロ抱え」は全く無くなり、「ムキッ」も「ギャン泣き」も1回あったかどうか程度に減りました。それによく喋るようになって、この孫との会話が実に楽しいのです。去年の4月より幼稚園に通うようになって、少しずつ「おやくそく」も出来るようになっていていました。

 しかし、問題は、次男なのです。この孫は、(耳が少し大きく)笑い顔が愛らしくて、皆からディズニーの白雪姫に出てくる7人の小人の中の唯一髭の無い1人、ドービー(日本名「おとぼけ」)に似ていると言われました。娘に言わせると「癒し系の顔」だそうですが私が見たところでは「お笑い系の顔」だと(今はこちらの方がもてるのでは?)思います。この子が顔に似合わず動きが大胆なのです。ハイハイの前段階だと思うのですが、先ず、四つんばいでお尻を上げて動かします。私はこれを「ベビー・ダイエット・エキササイズ」と命名しました。次に、肘を突いて後退します。これで前進すれば「匍匐前進」となる訳ですがこれが後退なのです。(肘を伸ばして前進でハイハイ)そうするとどうなるか?後の障子にぶつかって足で「バリッ」とやるのです。彼はそれに気付き、回転して、今度は手で面白がってさらに「バリッ」「バリッ」とやるのです。おかげで我が家の障子は下のほうが穴だらけになってしまいました。今回、障子がこれほど破られる前に少し破損していたのは上の子がちょっとした不注意で小さく「バリッ」とやったものでした。娘たちが来る直前にこの障子の補修は終えたばかりだったのです。これほど無残にやられてしまっては全部張り替えるしかありません。

 今回の年末年始は、12月30日・31日の一泊のオニコウベへのスキー8人(内2人子ども)、1月1日の佐藤家新年会24人(内4人子ども)(ここで、息子の彼女がデビュー)と慌しい日程もありましたが、大変賑やかで、楽しい時間を過ごすことが出来ました。そして、今は、やっと普段の静かで、平穏な日々に戻っています。

PageTop

ガザ停戦を求める声を大きく

<雑感>

ガザ停戦を求める声を大きく
                                         2009.1.10

1月8日 22時42分 民主教育をすすめる宮城の会からの「緊急連絡」としてメールで以下の内容が私にも届きました。


イスラエル政府宛に、「ガザ地区から即時撤退し、停戦を受け入れよ!」と求める要請は、以下のイスラエル大使館宛に送ってください。
イスラエル大使館 駐日イスラエル特命全権大使 ニシム・ベンシトリット様
住所 〒102-0084  東京都千代田区二番町3番地 電話 代表:03-3264-0911(代表)
FAX 03-3264-0792(広報部) メール     information@tokyo.mfa.gov.il

民主教育をすすめる宮城の会 事務局 賀屋義郎


そこで、私は、翌朝(1月9日 8時36分)以下の要請文をメールで送りました。


イスラエル大使館 駐日イスラエル特命全権大使 ニシム・ベンシトリット様
 私は、イスラエルがパレスチナ自治地区ガザから即時撤退して、停戦を受け入れるよう求めます。
 一般市民の巻き添えは、いかなる理由があろうとも許されません。無差別殺戮はかつてのユダヤ人が受けたことと同じことです。
 これ以上の悲劇を起こすならば、私たちは、イスラエルへの非難を強めます。

   宮城県栗原市築館黒瀬後畑15      佐藤 茂雄


今日(1月10日)も、東京、大阪などで、「子どもたちを殺さないで」と即時停戦を呼びかけるパレード等の行動が行われています。明日には、仙台でも「ガザ進行阻止を」の緊急集会が持たれます。
今、私たちの出来ることから声を上げ、何らかの行動を取っていくことが必要だと思います。一人一人の力は小さくとも、それが集まり、連帯していけば、必ず状況を変えていく力になっていくと思います。

PageTop

あけましておめでとうございます

<雑感>                                                      
 2009
 

 半年前の宮城・岩手内陸地震では、大変ご心配をおかけしました。
歴史の転換点になりそうな今年、普通の人間が支え合う社会に、地域から着実にやっていきます。
 
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

佐藤 茂雄

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。