触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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<庭づくりシリーズ その6>

<庭づくりシリーズ その6>
 第3の小径を作っています。                         
2009.5.28PM

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 昨年の8月8日の記事―、<庭づくりシリーズ その5>で「ジャリ道が完成!」というのを載せました。これは、約10mほどの短いものでした。その前に既に、庭の中、その中央を曲線を描いて横断する約50mほどもある長い小径ができています。今年も、リフォームに合わせて、家の前面の小さい花壇の手直しや、新しい花壇を作ったりする作業の注文が依頼主(妻)から入ってきていました。それで、私は、5月17日の記事(5月に入って、家の片付けに大忙し)のように、このところ、「庭づくり」=庭土木に忙しくしています。どうも、田植えが終わるこの時期から、どんどん妻からの注文が入ってくるようです。

昨日の午前中は、約30mほどにもなる、第3の小径づくりに取り掛かり始めました。今回は、30mの小径の土の掘り起こしと整地でした。第1の小径の途中から更に庭の奥の方に進み、ぐるっと奥の方を周ってまた第1の小径に繋がるというものです。妻は自分の思いどおりに小径のコースを決め、線引きをします。

この間ずっと、敷地内のあちこちから少し大きめの石を掘り起こし、この小径まで運ぶ作業をずっとさせられてきました。もう、すっかり敷地内には大きめの石はなくなってしまいました。ですから、小径の途中までしか石は置かれていません。妻があんまり「石、石…」というもので、車で移動していても、あちこちにある石が気になってしまいます。とは言っても、むやみに、それらの石を持って来るわけにもいきません。だいいち必要とする石の数は半端ではありません。そこで、石までもリフォームを担当する建築会社のK君(妻の教え子)に頼みました。

昨日の作業は、もう早くから線引きがされている小径のコース(その途中までは、目印に石が置いてある)約30mを、幅約50cm、深さ約20cmに掘り起こすものでした。最後に平らに整地して、昨日は終りにしました。この後は、大量の石が届いたら、それを小径の両端に埋め込んでいきます。そして、その後が大変なのです。自家製のジャリを大量に作らなくてはなりません。これが何日もかかる重労働なのです。目標は、リフォームが完成する6月下旬か?リフォームが終わると、妻はきっと人を招きたくなるに決まっています。まだまだ、時間は有りますから、まあ、バテないようにコツコツとやってきます。

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ウォーキングと音楽

健康管理-運動編 
ウォーキング音楽                                
  2009.5.28

音楽と身体活動について

 音楽には人を動かす不思議な力があります。古くは原始宗教の時代から儀式や呪術で人々を鼓舞したり、コントロールしてきました。また、ルネッサンス期には、既に、音楽の持つリズム、振動、メロディー、ハーモニーが人に緊張を与えたり、逆にほぐしたりすることが分かり、「音楽療法」も、より確かなものになってきていました。「音楽と身体活動」に関しての知見とその活用は、現代では、更に深まってきています。音楽の要素であるピッチやリズム、強度は、人の自律神経に影響を与えます。自律神経では、緊張状態では交感神経が優位になり、リラックス状態では副交感神経が優位になります。私たちは、この副交感神経に働きかける音楽を聴くと意識せずにリラックスした状態になれるのです。これが、いわゆるヒーリング・ミュージック(癒しの音楽)なるものです。この反対に、交感神経を高める音楽を聴いて、モチベーションを高め、試合などで最高のパフォーマンスを引き出そうとすることが、スポーツの世界では当然のことになってきています。レスリング、ボクシングに始まって、今ではプロ野球までもと多方面に亘ってきています。

そして、ここで取り上げるランニング(ウォーキング)と関係してくるマラソンランナーも早くから音楽を活用してきました。シドニー五輪でレースの前、高橋尚子選手がヘッドホンを聞きながらリズムをとっていたのが印象的でした。音楽によって気持ちを集中させていたのでしょう。その後の選手では、練習時に聴いて疲労の感じ方を減らしています。長時間の単独練習での「飽き」を解消や、聴いている音楽のリズムによってスムーズにピッチが刻めるという効用もあるようです。

私の場合、iPodからBODiBEATへ

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左 iPod Shuffle の第二世代(1GB)イヤホーンは換えて、右 iPod Shuffle の第三世代(4GB)

私の場合、昨年秋、約40分かかる水泳のクロール1500mで、音楽を聴きながら泳げないかと考えました。40分スイムは単調で、最後の方で飽きてきて、疲れてきます。時として、ランナーズ・ハイのようなスイマーズ・ハイになることもあったのですがいつもではありません。そのうち、40分の有酸素運動を水泳からもっぱら、40分の早足ウォーキングにシフトしていきました。私の早足ウォーキングについては、健康管理―運動編(その1)2008.8.13 の記事で紹介しています。その当時は、スピードを6.4キロからスタートさせて6.7キロまで、(呼吸法も気をつけて)約300カロリーの消費をしていました。現在では、6.5キロから7.2キロまでで、傾斜を少しつけることによって330カロリー以上の消費になっています。(呼吸は、もうあまり気にしていません。)

これに音楽をつけたのは、今年の3月頃からです。この辺りのことは<雑感>デジタル・デバイド 2009.5.7 の記事で ―「最近では、日常化しているトレーニングルーム(ランニングマシーンで)での40分間の早足ウォーキングに音楽をつけるため、最初はiPod Shuffle の第二世代(1GB)を活用してみました。その後、現在は少し値が張りますがヤマハの BODiBEAT を使っています。」-と紹介しています。「何故、音楽を?」というと、まず、前述と同じ「飽き」の解消と、聴いている音楽のリズムによってスムーズにピッチを刻むことがありました。40分の早足ウォーキングを、週に3回ほど行っているエポカのトレーニングルームには、音楽は鳴っているのです。しかし、その殆んどが、私の趣味に合っていません。それも同じ曲が暫くの間は、ずーと続きます。ですから、ウォーキングをしていて苦痛になることもしばしばありました。(宇多田ヒカルの曲など)

それで、まず、最初はiPod Shuffle の第二世代(1GB)を、暫く使って試みました。自分の好きな曲で、テンポのよい100曲ほどを選択して活用して試みました。確かに、最初のうちは、これでもよかったのですがだんだん、「何かが足りない?」、「ちょっと違うかな?」と思うようになっていきました。そこで、次に、BODiBEATを使うことになりました。

BODiBEATを使ってみて

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 BODiBEATは耳たぶのセンサーで心拍数を感知して、それを基に適切な運動強度になるように、音楽のテンポを自動設定してくれる優れものです。BODiBEATの説明には次のような解説がありました。

4つのモードがランニングスタイルをバージョンアップ
1、フリーワークアウトモード 走る/歩くペースに合ったテンポの曲を自動再生、本体内蔵の加速度センサーがランニング/ウォーキングペースを検出し、そのペースに合ったテンポの曲が自動選曲されます。 (MP3/WMA/AAC/WAV 形式の音楽ファイル再生可能 ※DRM 非対応)
2、フィットネスモード BODiBEATは耳たぶのセンサーで心拍数を感知して、それを基に適切な運動強度になるように、音楽のテンポを自動設定してくれる。効果的な有酸素運動が可能!音楽に合わせて走る/歩く脈拍センサー付イヤフォンが運動中の心拍数を計測し、最適なペースを音楽でお知らせ。音楽のテンポに合わせて走ったり、歩いたりするだけで効果的に有酸素運動をすることができます。
3、トレーニングモード 持久力アップに!オリジナルプログラムで運動可能時間・距離毎にペース、目標心拍数を設定でき、スピードや持久力アップを目指すマラソンランナーにも最適。
4、ミュージックモード 音楽再生モード運動以外でも一般的な音楽プレーヤーとしてお使いいただけます。

私が感じたBODiBEATの特徴は、

1、歌詞がない=運動に集中できる=確かに歌詞が無い方がよさそうに思われます。 
基本的には、私の約200曲の選曲は歌詞の無いものが多数を占めています。しかし、日本語以外、英語他は、あまり聴いていても歌詞は気になりません。サラブライトマン、ケルティックウーマン、アルデマス、リアル・グループ、クイーン等です。日本語の歌詞=J-POPでも聞きなれた曲にはあまり歌詞の内容は、普段はあまり気になりません。(しかし、時としてウォーキング中に歌詞に感情移入することもあります。でも、それはそれで良いのではないでしょうか?)選曲は、どちらかというと高音の澄み切った声の男性の徳永英明、中 孝介、藤澤ノリマサ等といったところです。歌詞無しでは、加古 隆、葉加瀬太郎、宗次郎、押尾コータロー、ジェークシマブクロ、DEPAPEPA等とジプリの曲でダンス調にアレンジしたものです。

BODiBEATには、BODiBEAT Mixerというものが搭載されています。
BODiBEAT Mixer―「約2,000フレーズの楽器演奏パターンと、約100ファイルのシーケンスパターンを備えており、本体内に運動ペースに合った曲が無くても、自動的にペースにぴったりの曲を瞬時につくり出し再生します。組み合わせパターンは10万通り以上で、同じテンポでも毎回違う楽曲が再生されるため、飽きずに運動が継続できます。」-

2、少し早すぎるリズムが、ちょうどいい。 
フリーワークアウト、ウォークフィットネス、ジョグフィットネスと3種類のペースから音楽の再生を選べます。しかし、私の早足ウォーキングには、フリーワークアウトが、少し、アップテンポな(心拍数に合わせた)リズムで、私の足の運びと腕の振りに、マッチしています。ウォークフィットネスは、ウォークには良さそうなのですが私の使い方が悪いのか、何だか間延びしてしまいます。

3、曲に切れ目がない=ペースダウンしない。
 自分でチョイスした約200曲からを優先的に選曲するようにセットしてありますが、BODiBEATがそれを私の心拍数に合わせて探している間はMixerが働いていて、曲の切れ目を作りません。また、私の心拍数に丁度合う私の曲が無い場合は、Mixerが丁度良い曲(歌詞の無いパターンを合成して)を提供してくれます。
 
これまで、Podで音楽を聞きながら運動していましたが、音楽と自分の身体リズムが本当に一致しているだろうか疑わしくなりました。音楽のテンポにあわせて自分のピッチを逆に調節していたようでした。BODiBEATは本体に内蔵されている加速度センサーによって、自分の運動ピッチを感知して、それにあった音楽を選曲してくれます。

4月中旬から使い始め、最初こそ少しアタフタしましたが、5月には大分、使い慣れました。いまのところ、私の場合、フリーワークアウトモードにすると丁度良い感じになります。音楽とともに早足ウォーキングすれば、一定のテンポで、リズミカルに、最後まで楽しく歩きぬく(最後の方では、速度が7.2キロですからかなり速いです。)ことが出来ました。以前は40分ウォークで、体調がイマイチの時など、最後の方が少し、きつくなることがありました。今では、疲れてきても、音楽が脚を引っ張ってくれるような感じです。すっかり慣れてくると、運動するのが、楽しくなる、気持ちよくなる、というような感じになってきました。この楽しんでできるというのが継続してしなくてはならない運動には、一番良いのです。

更にバージョンアップしたウォークに挑戦中です。
 
2週間ほど前から、これまでの40分ウォークを、30分ウォーク+10分休み+30分ウォークにバージョンアップしています。速度も同じ6.5キロから7.2キロにようやくもっていっています。これで消費カロリーは、何と490カロリーにもなります。根拠は、「石井直方の体脂肪を燃やす体型別最新スロートレーニング」宝島社発行にあった、ページ111の「有酸素運動は分けて行うのが効果的」というコラムです。

私の毎回のトレーニングは、まず、軽いストレッチから始めます。次が15分以上の筋力トレーニング(無酸素運動)。特に、下肢は充分に行います。上半身・腕周りなどは2回に1回くらい。それとコア(体幹)を重視します。その後にウォークにようやく入ります。(最後の軽いストレッチは浴室やサウナの中で)これまでの40分ウォークをするだけでもかなりの時間がかかりました。それを30+10+30ですから長時間です。始める前、最初の30分の方は良いのですが、後の30分がバテずに、出来るのか?という不安がありました。

ところが、これが出来てしまうのです。本にも「運動を中断するとアドレナリンの分泌が落ちるのですが、運動を再開するときにはアドレナリンの分泌量が1回目よりも大きくなる…」とありました。そのことによって脂肪がより燃えやすくなるようです。実際にやってみると、慣れてきた3度目辺りから、不思議なことに、むしろ後半の2回目の30分の方が、調子(リズムに)に乗り易くなり、楽になっていきました。これが、私の体の組成にどう効果を及ぶすかまでは、まだ明確な結果は出ていませんが、少し期待できそうな感じです。それによって、時間―効果の判断を、今後してこの運動方法を継続するかを決めていきます。

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義父がしみじみと 「物が無い生活っていいもんだなぁ…」 と

<家族> ライフ

義父がしみじみと 「物が無い生活っていいもんだなぁ…」 といいました。  

<我が家のリフォーム その3> 2009.5.24

 これは、一昨日(5月22日)の朝、義父の娘である妻が聞いて直ぐに私に伝えてきたことです。「父からこんなことを聞くのは、初めて」と妻も驚いていました。

既に我が家のリフォームは、始まっているのですがこれに合わせて隣の物置の1階―トイレ周辺を壊して義父専用の納戸スペースにリフォームすることにしていました。佐藤家では、数年前に牛の飼育を止めています。義父が、その使用していた牛小屋を、昨年中には義父専用の納戸に作り変える約束になっていました。しかし、(私自身も申し出があればいつでも手伝うつもりでしたが、)1年が経過しても作業はさっぱり進みませんでした。そこで、「牛小屋は業者に取り壊しを頼み、新たに物置の一角に納戸スペースを作っては」と、夫婦で義父に提案して、納得してもらいました。4月下旬、先ず、私も手伝って義父と2人でこの牛小屋の中にある物の処分をしました。その後、牛小屋本体の取り壊しは今回のリフォームを担当する同じ業者にお願いしました。結局、中型のトラック2台分の大量の廃棄物が出ました。その後、真平らになった跡地は畑と花壇になりました。

そして、今度は物置のトイレ周辺のリフォームの番になりなした。我が家の方は、5月20日のリフォーム開始前に全ての片付けを終えましたが、こちらは手付かずでした。この間、田植えがあっただけでなくその後、義父が叙勲を受ける(5月13日、皇居で)というおめでたいこと(このことについては、後日また改めて記事にします。)もあって何かと忙しいことが続き、止むを得なかったのです。しかし、それももう、タイムリミットに。22日午後にはトイレの埋め戻しをすると通告されてしまいました。それで、一昨日の午前中までにその周辺の片付けを完了させる必要に迫られていました。そのため、私たち夫婦で、何とかしてしまおうと計画していました。ところが義父は、その早朝5時から自分1人で片付けを始めたのです。6時頃に私たちがそこに向かうと、もう大半が片付いていました。そこで、この記事のタイトルの言葉を妻が義父から聞いたという次第です。私も、―「大変な進歩だなぁ」ーと思いました。

義父はもうじき84歳になります。この年代の人でこの「物が無い生活っていいものだ」と言える人は、そう多くはいないのではないかと思います。私たち団塊の世代だって、果たして「軽やかな暮らし=シンプルライフ」をいいものだと思っているのが、多数派であるとは断言でません。もっと若い世代では、かなり多くなっていると思われます。

5月17日の記事の中で義父母の家(隣の母屋)について次のように紹介しました。

-「TVで、老人世帯、特に男性だけのシングルが多いのですが、物が溢れ、片付けられない「ゴミ屋敷化」の問題がよく報じられています。実は、家の義父母も母屋が新築前はその状態でした。それが新築を契機に物を思い切って整理・処分させてもらってからは、その後は母屋が少々散らかっても比較的短時間に娘である妻が、直ぐに片付けられるようになりました。義父母の方も、片付いている現在の方が快適で、過ごしやすいようです。(それに慣れてきてくれました)」-

義父は、今回、私たちの家の方の面白いように、どんどん物が片付いている様子をずっと見ていました。それで、自分でも分担したところをきちんと片付け始めたのです。しかし、そうはいっても、私たち夫婦から見れば、その片付けは極めて不十分なものです。その後、6時過ぎからも2人で徹底的に整理・片付けを行いました。でも、2人とも、この義父の大進歩がとてもうれしかったです。あの年代で、長年にわたりしっかりと確立したもの=ライフスタイルを修正できるとは、大したものです。

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いよいよ始まったリフォーム。私は避難所生活?に

<家族> ライフ

いよいよ始まったリフォーム。私は避難所生活?に  

<我が家のリフォーム その2>
 
 2009.5.21

 昨日、5月20日より自宅の1階を中心としたリフォーム工事が始まりました。その前日までに家の中の片付けに大忙しでした。最後の最後にTVブースターをきちんと箱に入れて保護し(母屋ではこの間もテレビが見られる)、テレビとDVDを2階に運び(家ではこの間、DVDのみ)ました。電話の親機とインターネットの光接続とLANは一所にまとめビニールカバーをしました。このブースターとインターネットは1階の居間から出すことは出来ません。「デジタル・デバイド(情報格差)」の記事のところで「無線LANが復活できなくて…」とこぼしましたが、あれから何とか復活が間に合い、このリフォーム中でもインターネットが使えるように出来ました。

 前日から屋根瓦を入れる巨大な鉄籠が三つ届いていましたが、当日は午前8時過ぎから、次から次へといろいろな種類の大工さんがやってきました。解体・リフォーム本体をする大工さん、タイル専門の大工さん、キッチン専門の大工さん、来週からの(今週は明日、雨の予報)屋根葺き替えための足場作りに来た屋根専門の大工さんなどです。今日はさらに電気専門の技師さんが来ていました。これから更に、畳とか内装とかいろいろな人が拘わってくるのだと思います。

 この日は「少し早く切り上げます。」と言って午後5時ごろには終わりましたが、今日は6時近くまでかかっていました。だいたい8時過ぎから6時近くまでの工事を日曜日を除き毎日。工期は3週間の予定ということでした。初日の昨日は、妻は勤務でしたから私だけの対応でした。立ち会っての場所の確認とか、水道元栓、プロパンガス撤去、外トイレの撤去など次から次へと課題が出てきました。今日は妻もいて担当のK君も来ていていろいろな細部のつめ、確認を行いました。照明、畳の縁などなど…細かいことはいっぱいあります。明日からはそれほど確認することは、もう多くは無いとは思います。それでも、全く一日中、家を空けているわけには行きません。出かけるのも長くても半日。出かけてもできるだけ手短に要件を済ませて帰ってきます。

 それで、私は午前8時から午後6時くらいまで自宅に入れません。自宅の1階には台所も居間ももうありません。トイレもその時間帯は使えません。大工さんたちには使ってもらっています。(トイレBOXは持って来なくてよいことにしました。)そこで隣の物置の2階の1室が私の書斎になっています。2階のその隣がかなり広い文庫です。そこには小さな流しがありますからここを台所と食堂にしています。1階の納戸の中には冷蔵庫を移動してきてあります。その周りを食糧庫にしています。洗濯機と乾燥機は屋外(といっても下屋の軒下に)移動してあります。

朝食と昼食はここでとります。夕食は妻が母屋で作りますから母屋でとります。日中のトイレは母屋のを使います。3週間ですからテレビの無い生活もいいかもしれません。でも、少しだけ母屋でTVドラマを見ます。ニュースは2紙の新聞を丹念に読みます。(家が朝日、母屋が河北新報)それとインターネットでのニュースをこの間はきちんとチェックします。電話はもっと携帯を活用しようと思います。(きちんと持ち歩いています)電話の親機は使えませんが、子機を敷地内での自分の移動にあわせて(物置の2階、つなぎの部屋、家の2階などに)動かしています。

まあ、言ってみればいわば一種の避難所生活?をしているようなことだと思います。こう言ってしまうと、本当の避難所生活をされた方、している方に申し訳ないように思います。だって、夜にはベッドの布団には寝られるのですし、自宅の風呂にも入れます。それに何よりもこの私の避難所?は全部が広いのです。スペースが充分あるのです。妻は今日のところ出かけた他は殆んど母屋かつなぎの部屋にいました。(午前中、来客が多かったこともあって)どうも、私の避難所?には侵入して来ないと思われます。(一応、2人分の食器、イス等は用意しました。)来ない方が私としては勝手気ままに出来て助かります。

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5月に入って、家の片付けに大忙し(リフォームに向けて)

<家族> ライフ
5月に入って、家の片付けに大忙し
 (リフォームに向けて)
 < 我が家のリフォーム その1 >                               
2009.5.17

昨年末より準備を始めて

 昨年末、築約25年になる我が家の1階を中心としたリフォームに向けての片付けを始めたことを記事にしました。その時、妻の小学校退職後の今年の4月以降にするとしていました。昨年9月に母屋の新築を頼んだ妻の教え子と打ち合わせをしたのに引き続き、この3月30日に、5月20日から約1ケ月かけてするリフォームの具体的な実施計画をまとめました。

まず、花壇の移動から
 
 5月に入って、10日に1日だけ田植えをしました。しかし、あとは、このリフォームに向けての我が家の中の片付け・準備等に大忙しの連日になっています。家の中だけでなく、リフォームに合わせて、その前面の小さい花壇も手直しするために、先ずそこの花木の移動をすることから始めました。庭の他の場所に移動場所を確保するため、庭のあちこちに穴掘りをしたり、新しい花壇を作ったりしました。そして、杭木を約100本作り、杭打ちをし、その中に良質の土を運んできて花木の移動をしました。

移動場所の確保を
 
 その後、1階の台所の物を一時的に避難しておく場所の確保―自宅の隣の物置(2階には、私の書斎と文庫)の1階の納戸の中の整理―から始めました。ここは主に義母が漬物倉、冷凍庫、食器庫等として使用してきた場所です。4年前の母屋の新築の際にかなり整理して入れました。しかし、この間に、漬物は異臭を放ち、冷凍庫には何を入れたかも不明に。食器も不要のものもかなり残っていました。ここを大幅に処分・整理して、我が家の古くなった食器棚を置き、我が家の食器等を一時的に避難することにしました。

36年間、物は増え続け…

 1階の洋間の戸棚2つは、中の物を整理して我が家と母屋の間のつなぎの部屋にソファとともに移動しました。あとは、ピアノがあるのですが、これは高松の娘の承諾を得て、近くに住む小さい子を持つ親戚に譲ることにしました。(明日、専門業者に運搬してもらいます。)1階の居間の長いローボードの中にある物は、既に4月までに整理は終えていました。

  居間の押入れの中にも大量の物が詰まっているのですが、私の物は、いち早く整理して物置2階の書斎に移しました。しかし、共通の家族の物がずっと残っていました。そこで、この5月に入って、その片付けに着手しました。その押入れの奥の方には、25年ほど前に千葉市から引っ越して来た時のダンボール箱に入った物等が、そのままの形で押し込んでありました。子どもたちの物は、殆んどそのまま整理して残して文庫で保管することにしました。(本人たちには、後でよく見るように知らせてあります。)妻の物、私の物そして共通の物は久しぶりにそれぞれ整理・処分しました。

思い切った整理・処分をして

 これらが終わって、いよいよ台所の物の整理・処分をおこないました。23年前、千葉からこちらに来る時には、殆んど物を処分しないでやって来ました。(この時点で家庭を作って13年に)これに23年プラスですから、36年。物は増え続けてきたのです。初めは2人、それが3人、4人となり、15年位前から子どもの1人が代わる代わるに出入りし始め、5年前からはすっかり夫婦2人きりになりました。(勿論、ドア一つ挟んで義父母は、健在で住んでいます。)ですから、当然夫婦2人に必要な物は少なくなっていました。しかし、実際にはそれでも物は増え続けていました。
 
 増え続けても都会と違ってこちらでは、その物を入れるスペースがいくらでもあるのです。使わなくても、「後で何か使うであろう」と捨てないで、一時的にでも保管しておけるスペースがあるので、ついつい物を捨てなくなっていました。嫁いでいった妻の2人の妹の家からも一時保管(しかし、二度と取りには来ない)の家具等が大量に運び込まれています。(これは、いつか処分するつもりです。)一番ひどかったのは、台所の床下の収納庫です。こちらに引っ越してきた時にそこに入れたのですが、その上に大きな食器棚を置いてしまい開かなくなっていました。この度、23年ぶりに日に目を見たのですが結局これは全て処分することになりました。(23年間使わなかった物は、これからも必要ないのです。)

軽トラック、1台、2台と…

 4月に入って、全部の布団の整理をしました。使っていない布団の一部を打ち直しで使えるようにして、残りを粗大ゴミとしてその他の不要な物とともに軽トラック1台分クリーンセンターに運び込みました。更に、今回の洋間、居間と台所の整理で出た器具、食器等の大量の物。それに、不用な大小様々のラック、家具、物入れ等も大量に出ました。これらは明日、もう1台クリーンセンターに運び込むことにしています。しかし、どうもこれでも終わるようにも思われません。

これからは軽やかな暮らしに、シンプルライフに 

 TVで、老人世帯、特に男性だけのシングルが多いのですが、物が溢れ、片付けられない「ゴミ屋敷化」の問題がよく報じられています。実は、家の義父母も母屋が新築前はその状態でした。それが新築を契機に物を思い切って整理・処分させてもらってからは、その後は母屋が少々散らかっても比較的短時間に娘である妻が、直ぐに片付けられるようになりました。義父母の方も、片付いている現在の方が快適で、過ごしやすいようです。(それに慣れてきてくれました。)私たち夫婦は、義父母のいつも後始末をしているもので、物はよく片付けている方だと少し自負していました。しかし、今回、自分たちのところを本格的に片付けてみて、二人で大いに反省しました。結局、大して変わらないと。(人のことを言えた義理ではありません。)しかし、これからは変えていこうと思いました。今回の我が家のリフォームを契機に、これからは、暮らしをもう少し、軽やかにして行こうと。そう、シンプルライフに舵を切って行こうと思います。

 今までも、そうした気持ちが、思いが無かったわけではありません。しかし、それは、思いだけで実行までしてこなかったのです。私が61歳。仕事も一段落して体調もすっかり良好になりました。妻は60歳で定年退職し、今は週2日だけの勤務。リフォームは丁度、今しか無い、今だから出来るという時期です。しかし、多分、これは1回目の「軽やかな暮らしへの転換」だと思っています。あと10年後位には、もう一回り暮らしを軽やかに=小さく、縮小する時期がやってくると思います。

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<子どもの本 シリーズ11>

<子どもの本 シリーズ11>
ストーリーテリングの勉強会(4月26日)
定例のおはなし会(5月9日)            
2009.5.13

勉強会での司会と発表が同時に

 2年目に入ったこの図書館主催のストーリーテリングの勉強会(毎月の第4日曜日)。前回の3月から図書館の担当者が2年目の若手司書のⅠさんに変わりました。(これまでの担当司書のNさんは育休に入ったため)ところが3月末に、彼女の個人的な大切な用事のために当日の司会ができなくなり、お鉢が私に回ってきました。前年も第1回目の4月に私は発表をしていて、今年度もこの日(4月26日)にと、申し出をして作品も決めて取り掛かっていました。自分の発表さえ無ければどうということはないのですが、二つをすることには少々躊躇しました。Ⅰさんには「他の人にも当たってみて、する人がいなければします。」と返答しました。その後、余り時間をおかず「いませんでした。お願いします。」ときたので「本当かな?」と思いつつ引き受けました。これまでここの図書館を開館から10年余支えてきたNさんが今回育休に入ったこの時期、私はしっかりⅠさんを支えようと決めていましたから、ここは割り切ってすることにしました。

妻の勉強会デビュー

しかし、この後、家の妻がこの日から(今年度から)勉強会デビューすることになりました。妻は小学校での読み聞かせ、朗読などは超ベテラン。勤務が隣市(大崎市)で、そこでの学校以外のネットワークには参加してきていたものの、地元栗原でのデビューはこれから。私は、以前から、この勉強会のことを妻に話し、参加を勧めてきました。しかし、まさか、本当に参加するとは…夫婦での参加は、既に1年目からTさん夫妻の例もありますし、大歓迎なのですが…しかし、それにしても、いきなり、私が、司会・発表するところ(4月26日)にと思うと、少しやりにくいというか、恥ずかしい(他の参加者に)という気分になりました。

 当日は何とか無難にこなしました。
 
新年度にもかかわらず、当日は出席がイマイチ。この日から妻の他にも栗駒地区から女性1人の初参加がありましたが約半数の10人の出席でした。発表のトップバターは、私で「三匹のクマのはなし」。(さっさとしてしまおうという訳)発表はあと1人。Sさんが「はなさかじじい」でした。それぞれ10分、12分と長めのものとなりました。両方とも、ほとんどつっかかる事も無く余裕をもって話をすることができていました。(前年度の第1回目とはえらい違いです。)2人の話し手からの感想の後、参加者からの感想が随分多く出されました。(大変、好評でした。)その後、先日の3月29日に行った「小学生のためのおはなし会」の反省会をしました。私は、司会をしながらメモを取り、時間を気にしながらまとめようとするのですが、感想が次から次へと出てきてしまいました。予定ではテキストの読みあわせとその感想を出し合うことも入っていたのですが、結局これはカットせざるを得ませんでした。それでも時間を少々オーバーしてしまいました。10人位というのは話しやすいのか、全員が発言したと思いました。司会の考えたようにはなりませんでしたが、大変有意義な勉強会になったのではないかと思いました。数日後、図書館に行って、Ⅰさんに詳しく報告しました。

 さっそく、定例おはなし会で子どもたちに

 勉強会は、メンバーの大人たちの前での実演ということでした。しかし、自分で話していて「これはやっぱり、子どもたちの前でしないとダメだな」と思いました。そこで、間近に定例のおはなし会の当番がありましたので、忘れてしまわないうちにと、早速、5月9日に話しました。子どもたちには大変、好評でしたが、細部では幾つか言い換えてしまったところもあって、(気付かれなかったが)自分自身の採点とては、及第点にはまだ、まだ…。再度の挑戦を、後日したいと思います。

(NO.25) 三ぴきのクマのはなし イギリスの昔話 イギリスとアイルランドの昔話 福音館書店 

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あらすじーとっても大っきなクマと、中くらいのクマと、小さい、ちっぽけなクマが、さんぽに出かけたるすに、悪いずうずうしいおばあさんが、クマたちの家にやってくる。おばあさんは、小さい、ちっぽけなクマのおかゆをたいらげ、イスをこわし、ベッドにはいって寝てしまう。家に帰ってきたクマたちは、おばあさんのしたことを見つけて、家じゅうをしらべはじめる。
解説―この昔話は、ジョーゼフ・ジェーコブスが1890年頃にイギリスに伝わる昔話を大英博物館にある記録から掘り起こし、子ども向けに再話したものを、先頃100歳で亡くなられた児童文学者石井桃子さんが、1980年頃に(二度目)、原話にほぼ忠実に訳したものです。このジェーコブの再話の直後に、この話は世界中に広がっていったようです。その中で、ロシアのトルストイがロシアの農民の子ども向けにアレンジした話のほうが有名になっています。

 それは、おばあさんを女の子に変え、それを主人公にしています。クマたちも大、中、小ではなく、お父さんクマ、お母さんクマ、子どものクマにしています。人間でないクマたちがきちんとした生活をしていて、そこへ行儀の悪い人間の女の子がやってくるという設定です。このトルストイの話では、最後は、「驚いたクマは、女の子を見つけて噛みつこうとした途端、女の子は気がついて、逃げた。3びきのクマは女の子に追いつけなかった。」という内容になっています。日本では、バスネツォフ/絵  おがさわら とよき/訳 福音館書店 1962年5月1日発行 の絵本が一番よく普及しています。2007年版で既に第89刷となっていました。この他にも絵本では、トルストイ作以外も含めて7冊も出ているそうです。( 「三匹のくま」研究 ―を参照のこと。)

私の感想―この話は、主人公はクマです。その大、中、小という大きさの違い、それぞれのクマたちの持ち物の違い、クマたちの反応の違い、それを丁寧に、ユーモラスに、同時にリズムよく、語るようにしました。子どもの反応を見ていてもそこを楽しんでいるのが分かります。絵本の場合、少女が主人公です。多分、子どもたちは、悪さをする主人公に同化しながら、ハラハラ、ドキドキしながら聞いているのではないかと思います。それぞれに良さはありますが、私は、この元の昔話の方が好きです。しかし、この話の最後の方に、「ちいさいおばあさんは、…落ちて首のほねを折ったか、それとも、森ににげこんで、まい子になったか、それとも、森から外へにげだして、浮浪者として巡査につかまったか、-わたしは知りません。」というところは変えました。この部分は非常にクドイ説教話になってしまっています。そこまで言わなくても、このお話から、充分に、このちいさいおばあさんのような「見も知らぬ人には気をつけよう」という教訓は伝わってきます。そして、何より、この部分でそれまでのスムーズな話の流れが止まってしまいます。また、それは、「森」の捉え方の違い、「浮浪者」という言葉は、現在においては適切性を著しく欠いていることなどの問題点も含みます。それで、「そのあと、そのちいさいおばあさんがどうなったか?-私は知りません。」と極めて簡素に変えました。

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デジタル・デバイド(情報格差)を考える 

<雑感>
デジタル・デバイド(情報格差)を考える                       
 2009.5.7

近頃、私は、表題にした「デジタル・デバイド」について自分自身の問題として、考えざるを得ない事態に何度も遭遇してしまっています。正確にはそれが近頃始まったというよりも、もっとずっと前からあったのですが「最近、つくづく自覚した」というところです。

具体的にはどういうことかというと、

① 携帯電話がよく使えない。

ようやく1年ほど前から妻の都合から私も同じ会社(ソフトバンク)の携帯をもたらされるようになりました。最初はいろいろな機能を付けたのですが1ヵ月後に使わない機能ははずしてシンプルにしました。(メールは無しに)それでもこの一年間、ほぼ発信用として月に何度か使用する位。(街中にも公衆電話がめっきり少なくなりました。)夫婦で出かける時、途中で別行動をしたり、時間を調節するのには、この間も結構、便利に使ってきました。しかし、ソウルでは充分生かせませんでした。結局、まだ充分に使いこなしていないのです。

② デジカメもほとんど使わない。うまく使えない。

ご存知のように、このブログには、ほとんど写真が出てきません。我が家の庭の写真は娘が帰省した時に取ったものを娘に入れてもらったものです。これでも私は、中学生で特殊写真の雑誌への投稿(掲載)をしましたし、子どもたちが小さかった頃には、今時の親が動画を撮っているように一眼レフで(それもいろいろレンズをそろえて)撮っていました。雪山でカメラを落として以来、どんどん写真は簡素化する方向になってしまい、今度のソウルではデジカメを持っていっても1枚も撮ってきませんでした。

③ デジタルテレビを入れても1年間あまりよく映らなかった。

 1年前の地震でテレビが壊れ、デジタルテレビに買い換えたのはよいのですが、天候によって映りが左右されよく映っていたとはいい難い状態でした。仕方なく、映りの悪いアナログの方も見ていました。(日テレ系は全く映らず)それでも北京オリンピックと篤姫(これはデジタルでというよりBSで)を綺麗に見られたのには満足しました。多分そうではないかとは思っていたのですが、原因は「アンテナの向き・感度」でした。業者が配送してきて設置し、調整していったのですが、いい加減だったのです。今度、母屋の方もテレビを同じ型のデジタルテレビに買い換えることにしたのを契機にアンテナの更新・調整をきちんとしてもらいました。これでやっと、アナログを廃止してデジタルに1本化ができました。

④ DVDレコーダーで未だに録画ができない。

 今年の初めまでテレビの録画はビデオでしていました。ビデオデッキはその時点でもう3代目くらいでした。3代目でようやくDVDが入ってきました。(ビデオとDVD一体型)ところがそのDVDの部分が壊れてしまいました。その時点で「ブルーレイとデジタルテレビ一体型を購入して私たちが見ているデジタルテレビを母屋に」と妻に提案したのですが、却下されました。仕方なく、デジタルハイビジョンレコダーを購入しました。これですっかりビデオは見られなくなりました。これまで録画したビデオはかなりの数になっていましたが、殆んど見てもいませんでした。「記録として残したい。」「見たい番組が同時間に重複する。」かつて、それは確かにあったとは思います。しかし、結局殆んど見ていません。そして、この頃はそうしたいと思うことがなくなってきました。何故でしょうか?この間必要だったのは、少し遅い時間帯の連続のドラマで妻が寝むくて、仕方なくビデオに録画しておいてあげるということは結構ありました。その位で私自身が録画の必要性を感じたことはほとんどありません。先日娘から電話で「BSでやる平井堅のKen‘s Bar」を録画しておいてと頼まれました。夜と真夜中の2回チャンスがありました。(BSとハイビジョン)Gコード予約が出来なくて、眠いのをガマンして2度もチャレンジしましたが2度とも失敗しました。(情けない!!)もう、この歳になるとテレビやDVDも、「見たい時、見るべき時に見るしかない」と思うようになって来ました。映画もです。農村地域に住んでいては、なかなか映画館まで足を運ばないのですが、映画も「出会い」です。そう思うようにしています。最近、ひかりTVを試してみたのですが、結局キャンセルしました。「私が、どうしても見たい」という内容の番組が無いのです。

⑤ その他の情報機器の設置、設定、操作が上手くいかない。

 このひかりTVの「お試し」をしたのですが、その時、無線LANをはずさざるを得なくなりました。その後、結局、ひかりTVはキャンセルするのですが、今度はこの無線LANの接続が出来なくなりました。(散々苦労して接続したもの)今、使っているPCも何度もトラブルを起こしてきました。(このPCは中古。正確には同種の前のもの)その都度、深夜の電話で若いオペレターの指示に従って根気よく(根気のよいのは若者の方か?)時間を掛けて何とか問題をクリアしてきました。最近では、日常化しているトレーニングルーム(ランニングマシーンで)での40分間の早足ウォーキングに音楽をつけるため、最初はiPod Shuffle の第二世代(1GB)を活用してみました。その後、現在は少し値が張りますがヤマハのBODIBEATを使っています。また、iPod Shuffleは結構、気に入ったので日常の生活の中で(あるいは旅行中などで)その第三世代(4GB)も使い出しています。この「運動と音楽」については、後日改めて書きます。ここで、「使っている」とは書きましたが、正確には「なんとか、かんとか使っている」といったところです。音楽の内容を変えたり、操作を変えたり、初期化を何度も繰り返しつつ、容量を睨みながらの時間をかなりかけての悪戦苦闘です。それでもこれを「何とかしよう」と頑張れるのは目的がはっきりしているからです。

 話は、変わりますが、私は、1年ほど前の2008.2.11にブログで梅田望夫氏の著作の 「ウェブ進化論」と「ウェブ時代をゆく」を読んで を< BOOKS > で書きました。そこでは「情報格差」に関して次のように書きました。                   

私は、…「ウェブ・リテラシー」なるものに引っかかるのです。本書ではこれを次の4点にまとめています。
 ①ネット世界の仕組み、原理をよく理解している。②ウェブ上での表現ができるサイト構築能力がある。③「バーチャル経済圏」の仕組みを理解しウェブ上で新しい技術でサイト実験ができる。④ウェブ上の新しい技術を独学できるレベルまでITやウェブの理解とプログラミング能力を持つ。(ただ、ウェブ・リテラシーの定義はまだ定まっていないらしいです。)
 私などはせいぜい①と②が少しだけの程度です。これからも少しは勉強していくつもりですが正直言ってかなり厳しいです。 今、私の手元に読みかけの本 「ITがつくる全員参加社会」 (NTT出版2007.12.27発行)があります。その中に 平成18年通信利用動向調査があり、世代別のインターネット利用状況が出ています。40歳代で90%超、50歳代で75%、60~64歳で60%、65~69歳で48%、70歳代で32%、80歳代で16%となっています。そして「50歳代の利用率はほぼ一定で、60歳代前半も4ポイント弱の改善に過ぎないから、このままのペースでは、5年先でも利用率は75%程度が精一杯で、高齢者の1/4はパソコンとは接触しないまま生活を送っているだろうと、推測できる。」とし、この本では、高齢者に対しての 情報アクセシビリティ(情報格差も参照のこと)の改善を提起しています。 しかし、私は現実にはもっと情報格差があるのではないかと思っています。この本では男女差には少し触れていますが、地域差、職業差についてはほとんど触れていません。私の住む東北の農村では各世代ともこの数値よりさらに20ポイント減が私の実感です。(80歳代ではマイナス?ーほぼゼロです。)またパソコンに接触しても、受身のままで自ら情報の発信ができなければ、ウェブ時代では殆んど意味を成しません。

 この時点では、私自身がインターネットを使えて、かつブログ等でたまたま、情報発信しているものであるためか、自分が「情報格差の弱者」などとは思ってもいませんでした。確かに私自身も弱者なのですが、現在の問題はもっと深刻なように思われます。

 Wikipedia の「デジタル・デバイド」の解説より私の関心のあるところを少し長くなりますが引用しますと、

日本の概説 [編集]―
日本においては、1990年代以降、インターネットなどのコンピュータネットワーク(情報技術)が普及するにつれて、パソコンなどの情報機器の操作に習熟していないことや、情報機器そのものを持っていないことは、社会的に大きな不利として働くようになった。
情報格差で下位に位置づけられる対象としては
情報機器の購入・維持や教育を受けるための費用が出せない者
中高年など、長い間情報機器がない環境で過ごしてきたため、情報機器に対する拒絶反応(コンピュータアレルギー)により情報機器を利用しない者
放送(地上波・地上デジタル)・通信(ブロードバンド)の採算性が人口等の条件により悪く、サービスが提供されていない地域の在住者
などが挙げられる。
政府の対応としては、e-Japan計画が策定され…
放送・通信の格差により生じる問題点 [編集]―
通信速度の差は、情報収集等の能力の差に繋がる。近年では行政機関のオンラインシステム、学校教育や就職活動、情報系を中心として、各種産業においてブロードバンドへの依存度が高くなっており、町・村役場のオンラインシステムや学校のカリキュラム遂行に支障が出たり、就業機会に影響があるなど、デジタルデバイドの一形態ともいえる問題がある。これにより、地上デジタルテレビジョン放送(地デジ)・ブロードバンドの提供されない地域(特に村・離島)から若年層が離れる人口流出なども発生し始め、過疎化の促進による悪循環を促している面もある(過疎対策の中に地上波放送・ブロードバンドの普及が含まれていないが、総務省主導の「次世代ブロードバンド戦略2010」は、過疎対策としての目的で盛り込まれたわけではない)。
地デジやADSL・FTTHのCMでは「全ての市・町・村に提供されていない」ことや、「地デジやブロードバンドを利用できない地域がある」という点についてはほとんど触れず、画面の隅に小さく表示される程度でしかない。それらのCMは提供されない地域(村・離島)でも視聴できるため、あたかも全域に余すことなく提供されているかのような誤解を生むおそれもある(特に、回線の絶対数が多いことを強調する宣伝も多々見られることがあるが、回線数の多いことが、提供エリアの拡大を示すものではないことにも留意するべきである)。
ADSLやFTTH、CATVといったブロードバンド回線の利用を前提としているIP電話が利用できない。
個人情報の保護に関する法律の施行や学校関係者の不祥事を装った振り込め詐欺の被害が急増しているため学級やPTAの緊急連絡網をインターネットによる直接連絡に切り替える動きがあるが、その際に情報格差 (通信格差)の発生している家庭への対応が問題となっている(ネット端末を―パソコンはもちろん携帯電話さえも―持たない人は未だにいる)。また、2003年頃に大規模な問題となった振り込め詐欺に未だに引っかかる人が絶えない。報道されている被害者は高齢であり、インターネットによる情報を入手できない状況になるために詐欺に引っかかってしまっている可能性がある。(年金暮らしであれば出費を削減するために新聞を取らないとなれば犯罪の手口を知る機会は近所の人や子供・孫によって提供されるまで知ることが出来ない。)警察からの情報もインターネットによりもたらされているため、インターネットを扱えなければやはり知ることができない。

このように PCやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者(個人)の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差は広がってきています。若者や高学歴者、高所得者などが情報技術を活用して、ますます高収入や雇用を手にする一方で、PCを使いこなせない高齢者や貧困のため情報機器を入手できない人は、より一層困難な状況に追い込まれていきます。こうした個人間の格差問題の他にも、先進工業国が情報技術によりますますの発展をとげる一方で、アフリカなどの途上国が資金難や人材不足、インフラの未整備などで情報技術を活用できず「置き去り」にされ、経済格差が拡大するような国家間、地域間の格差もあるといいます。

こうした個人、国家、地域にわたるデジタル・デバイドを今後とも注視していかなくてはなりません。勿論、自分自身の問題としてもです。

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36年ぶりに大学時代の友人と再会 

<雑感>

36年ぶりに大学時代の友人と再会                                 
                                         2009.5.1
突然の連絡が…
 

 10日ほど前のことだろうか、夜、母屋の方に大学時代の友人K氏から突然の電話がありました。盛岡の娘夫婦のもとに孫に会いに行く途中の仙台で4月30日夕刻に会いたいということでした。そこには共通の友人S氏もくるとのことでした。K氏とは、36年前の私たちの結婚式に出てもらって以来の再会です。その後、年賀状のやり取りは続いていていたのでおおよそのことは分かっていたつもりでした。S氏とは東北地方に来ていることは伝え聞いていましたが、ずっと音信不通でした。日時も空いていたので直ぐにOK。詳細はメールでということになりました。

 当然、飲みながらになるわけで、バスでの往復を考え、終バスに間に合うわけがないので、直ぐに仙台のビジネスホテルを探し、県庁の近くで2980円(軽朝食、サウナ、大浴場付き)というのを見つけ予約を取りました。ところがメールでは「できれば夫婦でどうですか?」という提案でした。よく考えたら、K氏は夫婦で娘夫婦と孫に会いに行くに決まっているわけです。それにK氏の奥さんは妻とは大学での同級生で、彼女も妻に会いたがっているとのことでした。そこで「一緒に行く?」と聞くと、「行く」との返事。しかし、そうなれば新幹線の最終で帰ってくることに修正しました。(ホテルはキャンセル)

 当日、妻は5時まで古川で勤務(原則、週に火、水の2日間なのですが、この連休で変更に)栗原市役所にお互いに車で乗りつけ、そこに駐車。そこから仙台までバス。それで丁度7時に駅前の料理店に着きました。

友の容貌の変化にビックリ!

 K氏とS氏に先ず会ってビックリ!友の容貌の変化が瞬間的には理解できませんでした。二人とも同じように頭のてっぺんだけが綺麗に無くなっていました。K氏は、昔はガリガリで、S氏は、もともと少しガッチリしていたのに、2人とも胴回りがかなり豊かになっていて同体型の兄弟のように見えました。36年以上の空白は長いのだなと思いました。それに比べ奥さん達は、3人とも明らかに歳は重ねていますが、体型がほとんど変わっていないためか昔の面影がしっかり残っているという感じでした。直ぐに誰かが分かりました。S氏の奥さんは先輩のK子さんだとは伝え聞いてはいましたが、会って初めて本当だと理解しました。(S氏とK子さんが結婚したのは私たちより少し後)ここで少し、私自身のこと(容貌)も触れますと体型はあまり変化なし(実は10年ほど前は一時メタボ寸前までに)髪はかなり白くなっているもののしっかり残っています。

しかし、友の中身に変わりなし

 しかし、しばらくいろいろと話しているうちに、容貌こそ変わっても、「それぞれの中身は大して変わっていないな」とお互いに分かってきました。K氏はどちらかと言うと頭が切れるタイプ。S氏は情熱家タイプ。私は彼らから言わせると理屈っぽい。(理論家タイプ?と言えば聞こえがいいが…)学生時代の話、その後の自分達のことと、周りの人たちの消息。K氏は大企業に勤務し、少し前に嘱託に、そしてこの8月に独立。S氏も初め、大企業に勤務したもののその後、早くに独立。建築の連中は、資格を持っていると結局独立の方向へいくようです。(千葉時代の同じ団地にいた市役所勤務の友人、知人の建築家も早くに独立)私はというと、説明するのも長くなるので止めますが、大学卒業後も変り種であっただけでなく、その後もこのように脱サラ農民→今、引退という変則型。しかし、この3組はいろいろ共通点もあるわけです。夫は同じ工学部の同級生。私が工業意匠で、あと2人が隣の建築。妻たちが同じ教育学部。この組み合わせは結構あります。工学部がほとんど男性で、教育学部には女性が多いということなので至極、当然だと思います。ちなみに我が息子は、友たちの後輩。(一時、工業意匠と建築が一緒になったこともある)その息子の奥さんは同大学の法経学部。要するに全て、似た者夫婦でしょうか。しかし、妻達は、全て教師になっているのですが少しずつ違っていました。K氏夫人のA子さんは、3番目の子どもを産んだ時点で教師を辞め、K子さんはもっとかなり早くに辞めたようでした。それに比べて我が妻は、定年まで頑張って、更に今、1年間、週に16時間と短時間ですが働き続けています。

またの再会を約束して

 S氏は同じ県内の松島付近に住んでいる(K子さんの実家の近く)ことがわかり、K氏もこれからちょくちょく盛岡の方へは来るとのことで、また近いうちに会おうということになりました。我が家も、もうじきリフォーム(この5月末~6月末)でそれが終わったら是非来てくださいと(妻は庭を見せたいのでしょう)言って、新幹線の最終(10時17分)に間に合うよう10時前にお開きにしてもらい別れました。

 ところが新幹線で飛び込み事故。列車は10時の時点でまだ大宮にいるとのこと。在来線の最終(10時37分)に乗って瀬峰まで行くことにしました。私はどうもいつもより少し酒量が多かったようでかなりフラフラ。新幹線その後、タクシーと家まで難なく着くのでと思っていたのですがハズレ。妻が一緒だったので助かりました。しかし、瀬峰駅に着いたらビックリ。タクシーがいないのです。電話で呼んで(しばらくお待ち下さいと言われ)それでもなかなか来ない。タクシーに乗って分かったのですが、午後9時以降は近くにはいないとのこと。遠く築館から来た(電話は転送)とのこと。それに午後10時以降、料金は2割り増しになることもはじめて知りました。(いい勉強になりました。)

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