触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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MOVIES レールズ&タイズ

MOVIES- 
女性監督が続きます。                            
 2009.7.29

レールズ&タイズ             2009.7.25
 
製作年度2007年度 101分のアメリカ映画
 関連するリンク先―Yahoo!映画 レールズ&タイズ

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あらすじ

 看護士の妻メーガン(マーシャ・ゲイ・ハーデン)とその夫の鉄道技師のトム(ケヴィン・ベーコン)には、子どもも無く、癌を患っていた妻の病む姿を見たくないトムは仕事に逃げ込んでいました。ある日、トムの運転する列車が前方線路上に停車していた1台の車を轢いてしまいます。その車には一組の母子が乗っていましたが、息子は激突寸前に脱出し、母親は轢死。原因は母親による無理心中でした。そして息子の少年デビッドは里親へ出されることになりますが、やがて、トムを訪ね「母さんを殺した。」と激しく非難します。図らずも加害者となったトムと、彼を憎みながら本当の家族を探し求めるディヴィトでしたが、そこで、子宝に恵まれなかったミーガンの希望によりデビッドを迎え入れることになりました。トムは、徐々にディヴィと打ち解け合い、夫婦仲も取り戻していきます。しかし、そんな中、メーガンの死期は刻一刻と迫っていました。

私の感想

 不慮の事故で出会った少年と家族のような交流を重ねることで次第に絆が芽生え再生していく姿を描いたヒューマン・ドラマです。クリント・イーストウッドの娘である女優アリソン・イーストウッド(39歳)が、ケヴィン・ベーコンを主演に迎えた初監督作品です。

 子どものいない夫婦と母親を失った孤児の少年の出会い。仕事人間だったのが、癌で余命いくばくも無い妻に寄り添う中で、少年を受け入れ、微妙な心の変化とつかの間の幸せを感じるトム。死に直面して、これまでの人生への思いや夫への感謝の気持ち、少年の為に力になれるという喜びを感じるメーガン。一緒に心中しようとした母親でも助けられなかったと自分を責めるデビッド。アリソン・イーストウッド監督は、女性らしい肌理細やかな演出と、たんたんと描く中に三人の激しい感情の揺れを上手く描いています。

 アリソン・イーストウッドの今後の作品(俳優と監督)も気になるところです。

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残り12本、まずスザンネ・ビア監督の作品2本。

MOVIES- 
残り12本、まずスザンネ・ビア監督の作品2本。                

 2009.7.28

 来週からは、娘夫婦と孫(今度は2人とも動きまくる)がやってきて、またもやジジ親家業の再開です。MOVIESの記事アップを再開してもしばらく書けなくなる可能性があります。それまでに残りの12本の内、出来るところまで記事にしてみたいと思っています。8月にも新たに「私のお勧め」の基準、4(5点満点)に到達する映画に出会えるかもしれませんが、とりあえず始めます。まずは、デンマークの女性監督スザンネ・ピアの2作品。「ある愛の風景」と「アフター・ウエディング」からです。

ある愛の風景                                                
2009.7.24

 製作年度2004年 117分のデンマーク映画
関連するリンク先―Yahoo映画 ある愛の風景

あらすじ

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 美しい妻サラ(コニー・ニールセン)と2人の娘を持つ国連軍のエリート兵士ミカエル(ウルリッヒ・トムセン)は、良き夫、良き父として幸せな日々を送っていまいた。しかし、戦渦のアフガニスタンへ赴いた彼は、敵の捕虜となってしまいます。

 一方、サラの元にはミカエルは、作戦中にヘリもろとも撃墜され死亡したとの訃報が届きます。彼の妻子や親兄弟は、戦死の知らせによって喪失感に苛まれます。そして、捕虜になったミカエルは、想像を絶する苦境に立たされていきます。やがて彼は帰還を果たすものの、その苦悩と狂気は、家族の絆を確実に蝕んでいき、主人公たちは、極めて深刻な状況に追いやられていきます。

私の感想

 デンマーク・アカデミー賞で最優秀主演女優賞を獲得し、ハリウッドでのリメイク企画も進行しているそうです。原題は「Brother」弟(ヤニック)は、優秀な主人公の兄と違って、親にとって頭の痛い存在です。罪を犯して、服役し、出所して来たところ。ところが、このヤニックが壊れていく家族を救っていきます。ですから原題のままでもいいのでしょうが邦題もラストまで見ると頷けるものがあります。

 このデンマークの女性監督スザンネ・ピアは、昨年「アフター・ウエディング」でアカデミー外国映画賞にノミネートされて、現在その作品全てが注目されているようです。女性監督らしく、見ていて、一人ひとり登場人物の心情がとても深く丁寧に描かれていています。この映画は、男性と女性の両方の特徴を非常によく捉えた映画でもあります。環境の劇的変化に適応しやすいのは、やはり女性なのであり、この映画の主人公の男も、帰国後も真実を周囲に打ち明けられず、自分ひとりで抱え込んでしまったがために余計に苦しむ(「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を患ってしまう)わけです。男は地位や名誉、財産など、プライドをかけて守ってきたものを壊されると、割合に脆さや弱さを露呈する事がよく分かります。

 昨年紹介したアメリカ映画でイラク戦争の銃後を描いた「さよなら、いつかわかること」と共通するものがあります。深遠な家族の物語と、根底に流れる反戦のテーマです。しかも、反戦―悲劇に終わらせるだけでなく、ラストでは、「一筋の光―救い」を当てています。Yhoo!映画の解説で「スサンネ・ビアが描き出すのは、必ずしも悲劇ではない。もし彼らが現在の不安定な世界と繋がることがなければ、身の回りの安全だけを確保しようとする社会のなかで、敷かれたレールの上を歩み、画一化された幸福を求めていたかもしれない。彼らは世界と向き合うことで、それぞれに自分の道を見出し、より深い愛に目覚めていくのだ。(大場正明)」とありました。アメリカ、デンマークとそこの国民は戦争に深くかかわらざるを得なくなっています。まだ充分に知られていませんが、日本でも、すでにイラク派遣で自衛隊隊員の間でPTSDは出ているようです。私たちは、他人事でない状況に進んできているのだと思います。

アフター・ウェディング                                      
2009.7.27

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製作年度2006年 119分のデンマーク映画
関連するリンク先―Yahoo映画 アフター・ウェディング

あらすじ

 インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人のヤコブ(マッツ・ミケルセン)のもとに、デンマーク人の実業家ヨルゲン(ロルフ・ラッスゴル)から巨額の寄付金の申し出が舞い込みます。寄付にあたり一つだけ条件を求められましたが、それは直接会って話をする、という事でした。そこでヤコブは、久しぶりに故郷デンマークへと戻りました。ヨルゲンとの面談後、その週末に彼の娘アナ(スティーネ・フィッシャー・クリステンセン)の結婚式に出席するように強引に誘われ、断りきれずに出席すると、そこで思いがけずに昔の恋人で今はヨルゲンの妻となっているヘレナ(サイズ・バベット・クヌッセン)と再会します。困惑するヤコブ。そしてさらに結婚パーティーでは、両親に向けてスピーチをするアナの話からアナがヨルゲンとは血の繋がりがなく、ヘレネの昔の恋人との子どもであることが分かります。ヤコブと別れた直後に妊娠がわかり、その後ヨルゲンに出会ったというヘレナに、20年間娘の存在を知らされずにいた彼は怒りが抑えられません。

 そして、ヨルゲンはヤコブに、1年毎の寄付ではなく、アナの名を付けた基金を設立し、2人で使い道を決めればいいと提案します。1200万ドルもの額になる基金に「あなたのメリットは?」と問いかけますが、「何もない、普通の暮らしができればいい」と答えるヨルゲン。ヤコブが基金の契約書を確認していると、自分がデンマークに住むことが条件になっている事に気付きます。反発するヤコブはヨルゲンと口論になるが、やがて彼は全てを仕組んだヨルゲンの秘密と、彼の本当の望みを知ることになります。

私の感想

 インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人のヤコブ。彼を祖国に呼び寄せ、巨額の寄付と引き換えにその人生を支配しようとする実業家ヨルゲン。スザンネ・ピア監督は、映画でこのふたりを対照的な存在にしています。富と力を持つヨルゲンは、自分の手が届かない未来までコントロールしようとし、喪失を背負うヤコブは、理想に救いを求めようとします。しかし、彼らは、どちらも本質的に西洋人であり、父親としての愛に突き動かされて行動しているところは同じです。西洋対非西洋の構図は、関連する舞台が今回インドになっただけで、「ある愛の風景」でアフガニスタンが登場してきたのと同じです。また、今回は、後半で、主人公たちの位置づけに大きな変化をもたらします。スザンネ・ピア監督は、余命いくばくも無いと分かり、愛する家族のためにとったヨルダンの行動によって、予期せぬ悲劇に翻弄されていく家族や男女を描いていきます。その善悪で単純に割り切ることができない複雑な感情や関係を、一定の距離を保ちながら、繊細にして冷徹な眼差しで描き出していきます。これは、予定調和のハッピーエンドとは違うけれども、何かとても不思議な後味の良さを私は感じました。

 主人公のヤコブを「どこかで見た顔だなあ」と思って見ていたのだが、「007カジノロワイヤル」の悪役でしたね。全く印象の違う役どころですが、なかなかの熱演で、複雑で繊細なヤコブの心境を見事に演じていました。

 このところ、立て続けに2作品を見た、このデンマークの女性監督のスザンネ・ピア監督。その作風がとても私は気に入りました。他の作品、2002年の「しあわせの孤独」ハイウッド進出の2008年「悲しみが乾くまで」も、機会があれば是非見たいと思いました。

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MOVIES 最高のともだち

MOVIES-
8ヶ月もの空白。久々ぶりに記事アップ。                     

2009.7.27

 前回MOVIESの記事をアップしたのが11月30日ですから、もう既に8ヶ月もたっています。ではその間に映画館、DVDで映画を見なかったかというとそうではありません。55本程も見ています。その全てが、記事にしないとした5段階評価の3までかというと、それもそうではありません。13本が「私のお勧め」の基準、4に到達しています。順番に挙げていくと、トゥヤーの結婚、ダークナイト、築地魚河岸三代目、カンフーパンダ、いつか眠りにつく前に、おくりびと、レッドクリフ、レッドクリフⅡ、最高のともだち、ベンジャミンバトン、ある愛の風景、レールズ&タイズ、アフターウェディングの計13本です。(2009.7.27までに)映画としての一応の及第点3がその約3倍、33本ほどあります。残り7~8本が見なければよかったと思った映画です。

 10本も超えると、もう、溜まりすぎてしまって記事にするのも億劫になってしまいました。そもそもこの13本の最初、「トゥヤーの結婚」で引っ掛ってしまったのが始まりです。中国の内モンゴルの問題が背景にあって、それに対してどう言及しようかと考えているうちに時間が経過してしまいました。映画を見て、問題を感じても、その時に全て解明できるわけも無く、どんどん積み残されていきます。しかし、幾つものよい作品を見続ける中で発見することもあります。単に見て、消化だけしているようでも、自分の中に実になっていることもあります。ですから、もっと、気軽にどんどん記事に出来る方法はないかと考えています。とりあえず最近(一週間前より)みた映画で私の評価―4以上のものから再開していくことにします。

最高のともだち 

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2009.7.20

 製作年度2005年 96分のアメリカ映画。

あらすじ

 お母さんと二人で暮らす13歳の少年トム(アントン・イェルチン)は隣に住む、知的障害のあるパパス(ロビン・ウイリアムス)といつも一緒に遊んでいた。といってもパパスはもう41歳の中年のおじさん。二人で肉屋で肉を配達するアルバイトをしたり、肉屋のフランス人の女経営者に鼻の下を伸ばしたり、二人でお金をためて、あこがれの緑の自転車を買おうと約束していた。しかし、少年は少しずつ大人になっていく。恋もして、お母さんの干渉もうっとうしく感じるが、お父さんが死んでから精神が不安定なお母さんも心配でたまらない。パパスにとってトミーが大人になるということは自分からドンドン離れていくことに。そのジレンマと友を失うという喪失感と嫉妬心がパパスに思い切った行動をとらせてしまい、ある事件を起こしてしまう。その時、女性刑務所で声だけだけど知り合ったレディという女性がトミーを支えることになり、そして行くべき道を指し示してくれた。時が経ち、大人となり(デビッド・ドゥカヴニー)、30年後、あの当時のパパスぐらいの年齢になったトミーは再びアメリカへ、そして、生まれ故郷へと帰って行き、感謝の気持ちを胸にレディとそしてパパスとの再会を果たすのでした。

私の感想

 2005年の製作なのに、日本では劇場非公開作品です。アントン・イェルチンがターミネーター4?で有名になり、最近DVDでリリースされ始めたものです。監督は、Xファイルのデビッド・ドゥカヴニー。原題は、「HOUSE OF D」とういもの。意味はよくわかりません。邦題の「最高のともだち」は確かに分かりやすい。アントン・イェルチンの透き通るような透明感のある少年役は好感が持てますし、ロビン・ウイリアムスの41歳と73歳の障害者の役。流石に上手いです。でもネットで調べてもこの映画は彼の代表作には入ってきません。それほど数々の映画で重要な演技をしているのだと思いました。少年から大人へ、しかし、その過程でのことがずっと心のしこりになっていた。自分の息子がその頃と同じ歳になった時、全てを家族に打ち明けて、過去の自分に再会しにゆくという映画。誰にでもそうしたことは、1つや2つありそうですが、そこまで出来ない。何だか、自分に代わってそれをしてくれているような感じもしました。心暖まる映画です。

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結婚式まであと9日の息子からの電話

<家族>   ライフ                                              
2009.7.25
 
結婚式まであと9日の息子からの電話

 昨夜(7月24日夜)9時少し過ぎ、川崎市に住む息子から「母さん、まだ、起きてる?」と電話がありました。何時ものことですが、妻はとっくに7時半過ぎには寝てしまいました。(特に昨夜は、義妹の引越し準備の手伝いに行っていたため)余程のことが無い限り起こしません。

「もう、とっくに寝た。用件はなんだい?父さんで良かったら話して、」
「この間、送ってもらったFAX、貸衣装のサイズのこと。」(息子の結婚式に私が貸衣装で着るモーニングのこと)
「それだったら、父さんで大丈夫だよ。」
「サイズが変なんだよ。袖丈53センチ身長163センチだと57センチになるし、肩幅48センチの方は44センチだし…」
「母さんの測ったのは、いつものようにいい加減だから、今、ちょっと、自分で計ってみるよ。」
「ウーン、やっぱり、それに近いな。身長を160センチにしてみてはどうだい?」
「それでも袖丈56センチ、肩幅は44センチで変わらず、だよ。」
「それだったら、その身長160センチの方でいいよ。何とかカラダの方を合わせるから。」「それだけの用だったら、あとで母さんに掛け直さなくてもいいよ。」といって、電話を切りました。

 息子の結婚式は、8月2日、箱根の強羅花壇というところで行います。かなり立派なところのようです。そこで両家と少数の友人のみの、こじんまりとした人前結婚式?を挙げるようです。このように他人ごとのように言うのは、結婚式は全て息子たちでするということにしたからです。

昨年8月30日の記事、「二日間(8月23・24日)の東京」の中で両家の<食事会>のことを書きました。そこで初めて2人が結婚式を挙げることを知りました。それまで、私の息子への感触では、「もしかして結婚式は挙げないかも…」と思っていました。「どこでもいいよ。沖縄でも、海外でも…」と暗に注文もそれとなく伝えていました。そのうち、「軽井沢か、箱根」に落ち着いていき最後に「箱根」になりました。箱根は、3~4年前に、私たち夫婦で「JRの大人の休日―3日間12,000円乗り放題」を利用して、2泊3日のゆったりとした旅をしています。息子にその時の話をしたり、資料を見せたからかもしれません。その後、婚姻届の提出予定が少し遅れたりしていましたが、春に式をする予定だったのが、夏になっただけで予定通りに結婚式を挙げることになりました。2人ともが毎日、目いっぱい働いていて、忙しい中でこの間、準備を進めてきたのだと思います。東京と宮城の田舎ですから、手伝うことも出来ません。(そもそも、あまり必要としていないようです。但し、一定の費用援助だけはしました。)先週末に妻が東京に叔母の見舞いに行ったついでに息子たちと少々打ち合わせをしてきた位です。

これまでの私たちの子育ての基本が、「子ども自身の意思の尊重」=子どもは、自分自身で決定(設計)をすること。親はそのための援助と環境・条件を最大限、整えてあげること。ですから、こうした結婚式になることは、(する、しないを含めて)当然のことです。

妻も先日、電話で息子と話していて「彼女は、仕事をしていて大変忙しい中ですることが一杯あって、今、大変なのよ。」「お母さんの場合は、最悪の状態で結婚式を迎えてしまったのよ。」と彼女を気遣うようにとアドバイスしていました。そういえば、36年前の私たちの結婚式では、妻の化粧ののりも悪く(吹き出物もあったような記憶が…)機嫌もたいそう悪かったなあと思い出されました。(私は、あまり気遣ってやれなかったように思われてきました。←反省。もう、遅いけど…)

36年前の5月3日、私たちの場合は、午前中に東京・神田精養軒での磯村家(私の旧姓)主催の親族だけの結婚式。午後は、自分たち2人も加わった実行委員会方式の労音会館での大勢の友人たちに囲まれた結婚式と、一日のうちに2回しました。それで、2人と両親と仲人は、大忙しでした。とりわけ妻に負担が多く掛かっていたのだと、今更ながら思いました。結婚式が2回になったのは、妥協の産物でしたが、当時としては、止むを得なかったと思いますし、今となっては、2回もして得したような、いい経験をした感じです。この後の、友人や、後輩たちの結婚式では、しばらくは、実行委員会方式が増えていきました。

自分たちの生活は、自分たちで決定(設計)していく。それでも、客観的には、親や、親戚などに世話になることも結構あったわけですが、気概だけはそうした気分でした。当時に比べて、現在の方がやろうと思えばいろいろな制約も少なくなり、やりやすくなっていると思います。但し、経済状況は、そう簡単に若者たちが、その夢や希望を叶えられるような状態になっていません。私は、それでも、精一杯、若い2人が自分たちの暮らしを、生活を設計=デザインしてく生き方を貫いて欲しいと思っています。

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着衣泳体験会に参加して

<スイミング>

着衣泳体験会に参加して                          
 2009.7.23

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会場の栗駒プール

 先週の土曜日、7月18日の午前10時半から栗駒のプールで行われた「命を守る着衣泳体験会」~自分の身は自分で守ろう~に参加しました。いよいよ夏になってきて、このところ、海、川での水難事故のニュースが飛び込んできています。それも“着衣状態”で起こる事故が多いそうです。私自身としては、そうした着衣で水辺に行くこと自体あまり考えられませんが、一度は経験しておいた方が良いだろうと考え、初めて参加しました。

 講師は、おなじみの菅原 敏幸先生で、水泳教室の生徒仲間から誘われました。チラシでは、対象:小学生以上(小学年生以下の場合は保護者同伴でお願いします)となっていました。これを見て、私は当初、「子どもと一緒でなければ参加できない」と誤解してしまいました。孫が来るのは8月初旬ですから、時期が合っていれば…と考えていました。仲間にそうではないと指摘されて参加可能であることに気付きました。

 チラシに持ち物:水着、水泳用帽子、汚れていない靴、Tシャツ、短パン、タオルとなっていましたが、仲間より短パンでなく、普通のズボンの方が良いとアドバイスされました。

 参加者は、小学生連れは1組、あとは、10人ほど大人ばかりでした。水着を着用した上から持ち物の服装を身につけて、プールに入りました。確かに服を着たままですと水の中では動きにくく感じられました。しかし、力を抜けば何とか浮くことは、特に仰向けになれば出来ました。ペットボトル、木切れ、ビニール袋、などを浮きとして上手く使う方法も教わりました。次に流水を使って、それを川の流れに見立てての訓練を行いました。 

 流れに対して向かうのではなく、流されること。そして、上手く岸へといくことをやってみました。流水に立ち向かって泳ぐことは水着では何度もしていますが、服着用は初めてでした。やはり上手くいきません。私自身、普段から顔上げクロール、顔上げ平泳ぎも苦手です。こうした時、それが求められますが、やはり上手くいきませんでした。もっと練習しておけばと思いました。しかし、その場で、出来ないなら無理にすべきで無いと思いました。力んでは更に上手くいきませんし、多分、慌てるでしょうし、疲労困憊してしまいます。それよりも、落ち着いて、先ず、浮くこと。それで、仰向けが出来るなら、そのまま流されることだと思いました。泳がなければならない時は、力まない得意な泳ぎでー大きなクロール、伸びのある平泳ぎをすることだと思いました。実際に、流水の中でそれをすれば、上手くいきました。

 次に、先生に救助法を教わりました。しかし、これは、ライフセイバーのようで、私には、無理だなと思われました。せいぜい、浮き輪などを投げたりするか、何人もの協力の下でするしかありません。私が、助けるというより、どちらかというと、上手く助けられる方法を身につけていた方が良いように思われました。しかし、時と場合によっては、私も助ける側に立つことも考えられます。例えば、相手が、孫、子どもの場合など…。青年はもうダメですね。妻?は、共倒れになるかな?…。

 水泳―スイミングーは、私は、健康のため、趣味のスポーツとして行っています。このところ、それに関する記事がありませんが、少しは、上達していると思われるので(主観的に)そのうち、報告します。しかし、趣味のスポーツといえども、今回の体験教室の「自分の身は自分で守ろう」のように、健康管理と安全の保持は、長くその趣味を続けていく上で自己責任が求められることだと思います。それに、少し泳げることが過信にならないようにするためにも、このような体験は多いに意義があることだと思いました。

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<庭づくりシリーズ その7>

<庭づくりシリーズ その7>

リフォームに合わせ、妻からどんどん注文が…                    2009.7.14

 前回のこのシリーズの記事「第3の小径を作っています。」は5月下旬でした。その後、6月中はだいたい我が家のリフォームの期間でしたが、庭づくりは、その間も行いました。大工さん達の作業の横でや、休みの日に、私も土木作業や、木工製作をしていました。

300本の木杭作り

 6月14・15日には、天日干しに使用していた長さ3メートル程ある丸棒(ハザ木)を約50cmに切断して木杭を約300本製作しました。我が家の丸棒はとっくの昔に木杭に変身して使い切っています。それでも、最近、牛小屋の解体時に少し見つかったのでそれも、早速加工して庭に使いました。今回、大量に製作したのは、栗駒の親戚から譲り受けたものです。その家は、2トントラックを持っていて、使わなくなった大量の丸棒(70本位)をわざわざ届けてくれました。そのうち8本は、登米市に住む義妹(次女)の注文で2メートル程に揃えて切断しました。(畑に使うそうです。)

花壇ブロックも

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右側が花壇ブロック、左側が30メートルの木杭

 家のリフォームが終わった7月に入っては、妻からの注文がどんどん入ってきました。先ず、7月5日、入り口の塀の前の細長い花壇づくりをしました。そこに妻が、前からずっと置いていた多数の小さめの石を退けて、仙台の義妹(三女)の家から使わなくなったということで貰ってきた花壇ブロックを配置しました。このブロックはこれまで貰ってきたは良いけれど、どこに使おうかと悩んでいたものですが、資材置き場のオガクズの横に放置して、私はすっかり忘れていました。妻の方は、その頭の中で、あれこれと、何時も、庭の配置・デザインのアイディアを考えているようです。「ここを、こうする。」「あそこは、こうする。」等と、まあ、次から次へと出てくるものです。しかし、それを実際に具体化して作業するのは、いつも私です。一つのブロックの重さが20キログラム程あるのでしょうか?それが35個ありました。一輪車で運んでいたら面倒なので、キノコ栽培で使っていたリフト車を用い一回で済ませます。それでも、地面に幅15センチで15メートル程の長さの溝を掘って行き、そこにブロックを配置していきました。35個使い切っても少し足りませんでした。区切りの良いところまでは、あとどうしても5個必要です。しかし、その花壇用ブロックは、どうももう生産していない古いタイプのもので幾つかのホームセンターを見て廻っても、同じものは見つかりませんでした。そこで、仙台の義妹にこちらに来る時、庭の片隅に埋まっているブロックを5個持ってきてくれるよう頼みました。

大量の石の配置

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 このあと、7月6日には、リフォームを担当する建築会社のK君(妻の教え子)に頼んでおいた大量の石(大小様々に200個以上)が、いつの間にか届いていたので、第3の小径に運搬をしました。約30メートルの第3の小径には既に半分ほどは石が配置してありましたから、先ず、その中の小さすぎる石を交換しました。更に残りを小径の最後まで石を小径の両端に配置していきました。庭の中ですから、ここへの運搬にはリフト車は使えません。一輪車でコツコツと運ぶしかないのです。石で両端を全部埋めてもまだ半分ほど残ってしまいました。当初は、この小径の中は、自家製のジャリで埋め尽くす予定でしたが、今のところ、依頼主の妻は「土のままでいい。」と言っています。では、ジャリは?というと別のところで必要ということになったのです。石が余ったら余ったで、妻は直ぐその活用を考え付いてしまいます。第4の小径です。約10メートルと短いのですが、ここは、両端の石の間をジャリで覆い尽くすことになりました。それでもまだ余った石は、今度は、庭の中の地面に変形した円やら、台形のような形やらの線が引いてあり、「そこに運んで」という依頼でした。それで、石で囲ったサークルを3つ作り、残りを全部使い切りました。数日後、そこを覘いたらサークルの中に土が盛ってあり、その後また見ると、草花が植えてありました。そして、また数日後、石を全部使い切った筈なのに、同じ場所に30個ほどの大きな石が運ばれていました。(また、仕事が増えます。)

木杭の打ち付け作業

 7月の10・11日には、300本の木杭の打ちつけをしました。場所は、入り口の塀の反対側の牛小屋のあった所です。牛小屋は、今回のリフォームに併せて解体しました。大部分は畑になったのですが、一部道路沿いは、妻が義父から分捕って花壇にすることにしました。それでも、幅が2メートルで、長さは、30メートル程あります。その3方を木杭で覆うという作業です。そこは、それまで5メートル程の大きな丸木が5本、埋め込まれ土留めをしていたこところです。先ず、その大きな丸木(かなり腐っている)を掘り出し、電気チェインソーで切断して処分することから始めました。そらから、更に地面を掘って、溝を作り、木杭を木槌で打ち付けていきました。それが300本ですから…一大仕事でした。

まだ、まだ注文は続きます。

 その7月11日には、妻の(庭の見学が目的の)最初の来客2人(+子ども2人)がありました。また、今度の日曜(19日)にも2組入っています。20日のお休みの日も1組入っています。こうして、友人、知人に見せながら、妻は、また、「ここをこうしたい。」「あそこは、こうしたい。」と思うに決まっています。ですから、私は、まだ、まだ、注文は続くと覚悟しています。

 (8月初めには、娘がやってきます。その時一挙に写真を掲載したいと考えています。いつも、文章ばかりでスミマセン。)

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<我が家のリフォーム その5> 

<家族> ライフ
 築24年の家が新築のように生まれ変わりました。
<我が家のリフォーム その5>              2009.7.6

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中央がリフォームした我が家。(屋根の葺き替えをしてすっかり綺麗に)右・物置、左・つなぎの部屋。

我が家ができた経過
 
宮城県栗原市築館の現在住んでいる我が家は、築24年になるセキスイハウスの「ドーマーのある家」というものです。25年前のセキスイハウスは、今ほど高級ハウスメーカーではありませんでした。それでも下から2番目くらいの価格帯のこれをまだ千葉市に住んでいる時に、そちらで全て設計等詳細を決めて、完成直後にこちらに家族4人で引っ越してきました。ですから、この家が出来る過程は,こちらの妻の両親等しか見ていません。千葉市では団地のマンションに住んでいましたから、一戸建ての持ち家はこれが私たち夫婦にとって初めての家―「1軒目の家」です。住んでみて、「ここはこうすればよかった、ああすればよかった。」という箇所がいくつも出てきてしまいました。それでもプレハブ軽量鉄骨という種類の家で、基礎・土台はしっかりしています。1年前の地震でも無傷でした。

5年前に母屋を新築して 

5年前に、かなり傷んできた母屋を先ずは、リフォームしようということになりました。妻の教え子K君が、妻がたまたまその教えた時の学校に戻ってきた時、営業に来ていました。そこで彼に家屋診断をしてもらいました。彼に「先生(妻のこと)、この家、リフォームしても無駄ですよ。」といわれました。柱、壁、床のどこがどうダメなのかを丁寧に教えてくれました。私たちは、納得して母屋を解体して新築することにしました。今度は、設計等詳細をこちらで決めることが出来るわけです。しかも、基本設計は、仙台の妻の妹の夫(一級建築士)に頼むことにしました。ですから、設計変更も度々で、更に建設途中の変更もできました。内装などもじっくりと時間をかけて選ぶことができました。出来上がったものはK君の建築会社(白井建築)のホームページで、「施工実績―栗原市S様邸」として紹介されています。満足できるなかなか良い家ができました。義父母も大変気に入って住んでいます。これが-「2軒目の家」です。

暮らしやすい母屋で義父母は… 

我が家の隣(5メートル程離れ)にあった前の母屋は、確か1970年頃建てた2階建ての家です。5年前で築35年でしたが、前述のようにもうボロボロになっていました。当時は流行っていた新建材を使った安普請の家です。義父母は高齢(共に現在80歳代)になっていますので、妻は毎朝夕に母屋まで行って家の中の片付けをしていました。それが毎日、一仕事でした。しかし、母屋を新築して、我が家と繋げる(間に繋ぎの部屋があります。)ことによって、ドア一つで我が家と母屋を行き来できるようになりました。それに私たちで設計した新しい家(今度は平屋に)ですから、短時間で片付けが出来るようになりました。また義父母たちも家が新しく綺麗になると、以前ほど散らかさないようになり、人をよく家に寄せるようになりました。また、<我が家のリフォーム その3>で紹介したように、義父が「物が無い生活っていいもんだなぁ…」と言うようになり、義父自身の考えも大進歩してきています。

 このように5年前に新築した母屋は、ゆくゆくは、私たち夫婦が住むことを想定して建てた家です。以前の母屋に比べ、床暖房も入っていますし、風通しや日あたりも好く、とても快適で、安全で、暮らしやすい家に(1年前の地震では、ビクともしなかった)なりました。実は義母は10年ほど前よりアルツハイマーを発症(はっきりと分かったのはその2~3年後)しており、新築の家はどうなのかと考えましたが、何とか間に合いました。この10年間、進行はしているのですが、極めて緩やかなペースです。それも、すっかり馴染んだ新築の家で、自分のペースでゆったりと快適に暮らしているからだと思っています。

今度は、我が家をリフォームすることに

 良いことなのですが、おかげで、当分の間、私たち夫婦が母屋に移り住むことは無さそうです。おそらく、新築した母屋によって、義父母は、プラス10年は長生きしそうです。そうすると、どう考えてもあと20年ほどは覚悟?(義父母、共に百歳を超えるのか?)しなければなりません。それまでは、現在の我が家に住んでいなければなりません。我が家は、基礎・土台はしっかりしていますが、いたるところで汚れ、痛みが目立ってきていました。そこで、今回、我が家をリフォームすることにしたのです。

 我が家をリフォームするにあたり、1軒目、2軒目の家の経験は大変役に立ちました。私たち夫婦は、これまでの経験や知識を全て生かして設計等詳細を決めました。勿論、施工は今回も全面的に信頼しているK君の白井建築に任せました。その結果、今回は、新築ではないのですが、築24年の家が、まるで新築したようになり、生まれ変わりました。そうした意味で、これは、私たち夫婦にとってー「3軒目の家」に当たるものです。

「人の住む家という器」の大切さを感じました。

 今回、我が家をリフォームしてそこで生活をし始めて、まだ何日も経っていませんが、日々、いろいろなことを考え、感じるようになってきています。

 私たち夫婦は、リフォームすることでどのような「人の住む家という器」を想定していたのだろうか?こんなことは、明文化したり、2人ではっきりと話し合ったわけではありません。しかし、思い起こしてみると、何となく、2人の間で合意みたいなものが出来ていたと思われます。

 それは、①夫婦2人が快適に使える(使い勝手の良い)家。明るく、開放的で、風通しの良い、安心・安全な家。②友人、知人、親戚等が来やすい家。③広い庭と一体化した家。④母屋、我が家、物置(1階に食器庫、道具庫、米貯蔵庫等。2階に文庫と私の書斎)の3棟の一体化。といったところです。

 家という器のその多くの部分を綺麗にするということは、残っている部分も綺麗にしたくなるものです。そして、器全体が綺麗になると、次にその器の中に入れるモノをどうしようかということになります。夫婦2人ですから、必要なものは大してありません。新しくするものも、厳選しました。あれもこれもでなく、「気に入ったこれだけでいい」という風に。家具や装飾品を選ぶのも、それほど高価なモノでなくとも、2人で選ぶこと自体が、この頃とても楽しく感じられます。器の中に入れるモノが決まれば、最後は、その器の中で住む人の生活の問題だけです。さて、これから、新しく生まれ変わった器の中で、私たちは、どのような生活を送っていったら良いものか?しばらくの間(8月初めには、孫2人が来て、ジジ親家業を開始します。)、リフォームして快適になった我が家で、のんびりしながら考えます。

<今回、リフォームをした箇所>

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玄関(靴箱を半分に、2種類の壁紙)

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リビング(床の張替え、ソファー・テーブルも新調)

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リビングから茶の間を見ると。引き戸のため繋がりができました。

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茶の間キッチンの間も広く開きます。対面式のカウンターの下に作り付けの棚を。

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テラス(テラコッタ)と自前で作った前面の花壇。

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2階へ上がる階段とステンドグラス

・ 屋根を葺き替え。カラーアスベストを撤去して、金属横葺きに刷新。
 これまでに2度屋根の塗装をしていますが、金属葺きに比べ直ぐに禿てきました。雨どいの掃除もしてくれず土が溜まって草が生えていました。今回、雨どいも刷新しました。
・ 1階全部と階段、2階廊下の壁・天井の張替え、(トイレは4年前に実施済み)
 壁紙も汚れが目立たないもの、掃除しやすいもの、色調もいろいろ工夫しました。
・ 1階の床、殆んど全てを新しい板敷きに更新。
 キッチンなどクッションフロアでしたが、それを全部、暖色の板敷きにして、直に座っても気持ちの良いものにしました。
・ 茶の間の畳交換、一部板畳、堀コタツ、障子と引き戸を全面開放方式に。
 引き戸の全面開放にしたため、居間が明るくなり、風通しも良くなりました。
・ 1階の建具張替え。
 大工さんに頼んでちょっとした棚などをいろいろなところに作ってもらいました。
・ キッチン交換、間取り変更。
 レンジの位置を変え、リビングから見えないようにしました。対面式のカウンターも付けましたが、取り外せなかった柱を上手く活かしました。キッチンは前よりかなり広く感じられるようにしました。(実際には茶の間の押入れを少し削っただけ)
・ テラス(拡張)・玄関タイル交換。
(その3)で紹介したように、我が家の顔になるような美しいテタラコッタが出来ました。
・ 玄関収納撤去新設。
 玄関の靴箱の高さを半分にして、玄関の空間を広く感じるようにしました。
・ 階段窓ステンドグラス取り付け。
 お店で見つけた素敵なステンドグラスをどこに活かそうかと考えていたら、丁度この階段途中の細長い窓にピッタリでした。
・ アンペア変更30Aから50Aに。
・ TV地デジアンテナ取り付け。

<自分で手直しをした箇所>

・ 外壁の清掃。(7~8年前に1度、再塗装はしている。)
 1階が綺麗になってくるとリフォームしない箇所の汚れが目立ってきました。そこで、屋根さんのお休みの日曜日などに屋根葺き替えのために組んである足場を利用して外壁の清掃をしました。普段届かない高いところまで登っていって、ケルヒャーで汚れを落としました。
・ 窓枠の清掃。
 これも、家の中が綺麗になってくるとこれまで掃除してこなかった窓枠の汚れが急に目立つようになりました。そこで、これも、せっせと丁寧に掃除しました。
・ ペンキ剥げの部分を塗装。
 これも同じです。ペンキの剥げている箇所や変色している箇所は大工さんには頼んでいません。周りが綺麗になると目立ってしまって、何とか自分で塗装しました。
・ 階段・2階廊下のカーペットや手すりの清掃。
 これも、ハウスクリーニングの範疇に入っていないものです。最後に2人で洗剤とタワシを使ってゴシゴシと汚れを掻き出しタオルで綺麗に拭き取りました。手すり等を磨くのには重曹が活躍しました。
・ 2階旧子ども部屋の出窓にクッションフロア取り付け。
 窓枠を綺麗にしても、その下の木の部分がボロボロになっていました。自分でクッションフロアを切ってあてました。
・ 家の前面、テラコッタの前の細長い花壇の整備。
 家が綺麗になるとその周りも綺麗にしたくなります。これまでセメントブロックの花壇でしたが、これを撤去して、プラ製の擬木で覆い、テラコッタと調和したとても綺麗な花壇が出来ました。

<今回、リフォームしなかった箇所>

・ 浴室(風呂釜は10年ほど前に更新。)
 浴室を丸ごと変えるとかなりの費用がかかります。内部のタイルが一部剥がれてきていますが、まだまだ、使用には耐えます。今回は、パスしました。
・ トイレ(4年前に水洗化)
・ 2階の寝室、書斎、旧子ども部屋
 このあたりは、それほど汚れが目立ちません。しかし、旧子ども部屋のドーマー(高いところにある出窓)は、かなり汚れています。これは、そのうち、何とか、綺麗に掃除する予定には一応、なっています。(私は、高所の作業が苦手です。)

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我が家のリフォームーその3

<家族> ライフ   <我が家のリフォームーその4>
2009.7.4
我が家のリフォームが終わりました。
             
この間の経過 

我が家のリフォームは、5月20日から始まりました。この間、私は我が家の隣りの物置2階に避難所?生活を始めたことは、5月21日の記事で紹介しました。その後、順調に工事は進み、6月中旬にはほぼ完了しました。6月15日に家の中のクリーニングが行われ、住めるようにはなりました。18日の午前に新しくなったシステムキッチンの説明が業者(ヤマハ)からされました。その頃から全面的に我が家に私たち夫婦は、住んでいるのですが、家の前面、タラコッタ(テラスのタイル張り)が最後まで残り、その週末、6月20日(土)までかかりました。このテラコッタは、家の玄関と1階の大きな洋間の前面ガラス側内部とその外側と家全体の前面(エクステリア)が一体化するという大掛かりなものになりました。最初に玄関の工事に来た方の超スローな仕事のペース(慎重で丁寧ということ)を見ていたら、「何ヶ月もかかるのでは?」と思ってしまいました。途中からその方の親方という方と交代してからは、こちらはスローではなく、極めて手際がよいのですが、それでもかなり時間がかかるなと感じていました。それが、私たちが我が家に住み始めてからも、一人、外でコツコツと寡黙に仕事を続けられたのです。しかし、その仕上がりは、とても美しいものになっています。私も庭に円形パティオや円形ベイビングといったレンガやタイル張りを素人ながらしましたので「やっぱり、プロの仕事は凄い!」と感心しました。

引越しの引越し

 その翌週から、我が家からこの間、周りの物置、母屋との繋ぎの部屋等に引越ししておいた物(家具、食器、食料等)を逆に、我が家への引越しのし直しを始めました。それと同時に、新しく張り替えた壁への絵画(子どもたちの作品等)・ポスター等の貼り付け、置物の配置(厳選して減らした)等をしました。それに、この間、洗濯機と乾燥機は屋外に出してそこで使用していました。しかし、もう両方ともかなりガタがきていて、おまけに水漏れ、カビ等もひどく、綺麗にリフォームした我が家には不釣合いになったためドラム式洗濯乾燥機に買い換えることにしました。ところが、水道の蛇口の高さが低すぎることが判明して、急きょ、追加工事を6月24日午前中、洗濯乾燥機の搬入がその午後という慌しいものになりました。その後も、6月26日には、階段から2階の廊下にかけてのカーペットの徹底掃除、6月29日には、6月20日に古川のGアウトレットモールで見つけ注文しておいたリビングのソファーとテーブルが届き配置しました。(これまでリビングで使っていたソファーは工事中からこれからも繋ぎの部屋の一時休憩的なソファーとして活躍します。)30日には同場所で同じく注文しておいたカーテンが届きました。(これまで25年ほど使った古いカーテンは処分。)同時に家の前面、テラコッタの前の細長い花壇は肥料と土を入れ、周りをプラ製の擬木で覆いました。そして、そこに昨日(7月3日)朝、花が植えられました。  

最後にリビングにランプが入り…完了。

 その昨日の午後、担当のK君が、私が頼んでおいた洋間のソファーの間の小テーブルの上に置くランプを持ってきてくれました。ところがそのためのコンセントの位置をリフォーム前の配置を換えずにいたため、3メートルも離れてしまいました。延長コードを目立たないように固定するアイディアを聞いたところ、コンセントをもう一つそのランプの近くに作ってくれました。(見栄えもよく大いに助かりました。)リフォームの工事はもう、とっくに終わっているのですが、こうして、ようやく昨日辺りで、その付随した我が家独自の作業も一段落したというところです。来週の10日には、先日行った東京親睦旅行の反省会(一生会の役員会)を我が家で行いますし、11日からは、毎週のように週末中心に妻の友人達が我が家にやってくることになっています。
 
*<我が家のリフォーム>のシリーズを、5月17日「5月に入って、家の片付けに大忙し」をーその1、5月21日の「いよいよ始まったリフォーム」がーその2、5月24日「義父がしみじみと…」をーその3とします。この後、リフォームの詳細、リフォーム後の感想等を記事にしていきます。

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全員参加で「初夏―東京満喫の親睦旅行」へ

<地域>
全員参加で「初夏―東京満喫の親睦旅行」へ                        
 2009.7.1

今回も私が旅行の幹事に

 昨年のこの時期にも地域の同世代の親睦団体―「一生会」(会員15人) の「初夏の旅、函館親睦旅行」を行い、記事にしています。昨年末の総会兼忘年会で、どうした訳か今年も親睦旅行を行おうということになってしまいました。本来、その時、副会長に新たになったこの3月に退職された方が中心に企画するはずでしたが、これもどうした訳か(昨年の函館が好評だったせいか?)、いつの間にか会長の私が旅行の幹事として、全て準備することになってしまいました。

 先月末の6月27・28日に行った今回の親睦旅行の旅行先は、7~8年前に一度行っている東京です。前回の目玉は、屋台舟(但し、隅田川でなくお台場)での懇親会・宴会で、これに結構、費用がかかっています。浅草、東京タワー、汐留、お台場などをJAの関係の近隣県の旅行社のマイクロバスでしたから、総費用はかなりの額になっていました。

 今回は、前年にも親睦旅行に行っているので会費の残金はそれほどありませんでした。それでも2年連続で親睦旅行を行おうとなったのは、一つは、まだお金はだいぶ残っているという勘違い。忘年会で飲んで支払いをする前の残金を前提にしてしまっていたこと。もう一つは、「旅行は、行ける時に行こう」ということです。昨年も地震関係で1人の他、同居の親の関係で1人参加できませんでした。こうした年老いた親達の世話の他、更にこれからは、自分たち自身の健康状態も怪しくなってきます。月1500円の会費では2年に一度の旅行が精一杯ですが、毎年旅行するには臨時徴収が必要になってきます。それで今回は、プラス1万円で行うことに(それでも不足で3か月分の会費の前食いに)しました。

JRのホテルと新幹線のパック、はとバス等を使って安く

 昨年の函館もJRのホテルと新幹線のパックでしたが、今回の東京も同じに。新幹線だけで往復24000円ほどかかるところをホテル代込みで19000円で済ませました。1日目の最後は夕食兼宴会。ネットで調べ「中華のコースと飲み放題で3980円」というのに惹かれたホテルの近くにある中華料理の店を予約しました。ホテルは日本橋のオフィス街にあり、土曜日の夕方は殆んど人がいませんでした。お店に着くと他に客はおらず、貸し切り状態になりました。料理人は人の良さそうな内モンゴルの人たちでした。東京にいる息子が暇なら下見でもしてもらうのですが忙しくてそれもダメ。ハズレたら皆に「ゴメンナサイ」というしかないのですが、大当たりでした。高級な食材は多く使っていませんが、中国各地(北京、四川、香港等)の料理が11品で、美味しくて満足しました。最後の杏仁豆腐も濃厚ないい味でした。そして、お酒の方は、男性も女性も大いに飲みました。生ビール(2樽近く)、ウイスキー、チュウハイ等も…-まるで底なしです。(お店の人が可哀想な気がしてきました。)

2日目の東京観光も浅草(ここは何度訪れても新しい発見があります。)は前回も行っていますが、はとバスの「柴又とぶらり都電の旅」(8900円)で効率よく廻ることにしました。しかも 川甚 での昼食(通常3150円)付のものでした。柴又の帝釈天参道 (帝釈天に行こう)はそれほど長くはありませんが、古い建物も良く整備され環境に調和していました。お店の人とのやり取りも大変面白く、全体的に温かい雰囲気と心が残っている所です。私はすっかり気に入り、買い物も結構しました。佃煮、唐辛子のふりかけ、布、浮き玉、ガラスの金魚、タワシ…と。 巣鴨とげぬき地蔵 は、そこで雨が降ってしまったこともあって面白みがありませんでした。沢山あるお店も雑然としていて、散漫で、高年の婦人向けのものに私の興味が無いこともあってか好きにはなれませんでした。

今回のメインの一つーシルク・ドゥ・ソレイユ「ZED」の鑑賞

 今年初めの当初の計画では、この シルク・ドゥ・ソレイユ 系統の「コルテオ」を、はとバスのパックで鑑賞する予定にしていました。しかし、これは5月で東京公演を終え、現在全国を廻り始めています。(来年4月には仙台にも来ます。)価格的にはこちら方が少し高額(9800円)です。それで、パックでなく、直接申し込むことにしました。(キャンセル料が高い!)私自身、この種のものを鑑賞するのは初めてでした。妻が2年前に「コルテオ」クラスのものを東京で息子と観ています。私の見ていないものを皆に上手く説明することはできませんでした。ただのサーカスでもないし、劇でもない。世界で最高クラスのパホーマンスを自分の眼で見て、体で感じてもらうしかないないのです。結果は、これも皆さんも感動して大満足。私も含め日常の農村暮らしでは鑑賞できない、体験できない、非日常的な世界に触れることが出来たのです。それもディズニーリゾートの イクスピリア も散策して常設シアターへ。これも「旅行の目的」の一つだと思いました。(先日のソウルでの「JUMP」も同様です。)この未来的な第一日目と二日目(旧くからの寺社と懐かしい商店街)のアンバランスが面白いのです。

良い経験になった車イスの活用。

 昨年の函館旅行でも気になっていたのが、メンバーの一人、会計担当の女性(2年前に前会計担当の夫が死亡)ことです。脚の具合が少し悪くなっていて杖を使っていました。少し辛そうにしていたので気にはしていたのですが今回は、前回以上に歩く箇所が多くあります。我が家では、この5月の義父の叙勲の際、脚の悪い義母も同伴で皇居に行くことになったので車イスを使いました。妻が全ての手配をして(妻も付き添って、車イスを押し)実現したことです。(私は留守番でした。)その経験があったため、先ず私がその女性に車イスの活用を勧めました。しかし、これは断られました。次に妻が説得して(妻がずっと付き添うことで)ようやく実現しました。車イスは社会福祉協議会に申請して無料で借りられるものです。前回はJRの関係も非常に上手くいったのですが、今回は問題点も出てきました。くりこま高原駅に私がJR利用のスケジュールを詳細に知らせ手助けを必要とする場所を申し込んでおきました。しかし、東京駅のホームに指定の列車のところに担当者が誰も着ていませんでした。1両前に別の車イスを担当されていた方に聞くと「連絡はないのでは…」といいます。そこで他の駅員の方を捕まえても埒が明きませんでした。車掌事務室に行くようといわれ妻と車イスの女性をそちらに向かわせている間に他のメンバーと離れることになってしまいました。行き先を指示して後で私が追いつくことにしました。慌てていてその私が行き先を間違えてしまいました。京葉線に乗るべきところを総武線に乗ってしまったのです。1駅通過した時点で気が付き2駅目で降りて、急いで引き返しました。よく考えたら私は、東京駅から京葉線に乗るのは初めてでした。千葉にいた頃はまだ京葉線は一般客を輸送していませんでしたし、その後、東京方面に来ても京葉線は千葉県内でしか乗っていませんでした。人は、慌てた時、それまでにない経験は出来ないのではと思ってしまいました。ともかく2時からのシルク・ドゥ・ソレイユのチケット15人分は私が持っているのです。列車内以外のホーム、構内通路等ともかく走りました。私以外(妻と車イスの女性も何とか駅員の案内で蘇我行きに乗って)は、先に劇場前に着いていました。しかし、皆から遅れることはたったの5分。充分、開演前に着きました。(私は、汗だくになっていました。)

 それから、はとバスの対応も非常に悪く感じました。運転手は、車イスの出し入れ何回もしているようでなんとかなりました。しかし、雨が降ってきて、妻と車イスの女性がバスを降りて、巣鴨とげぬき地蔵の散策をするのが困難になりました。(他にもカサが無いこともあって降りなかった方もありました。それで、はとバスの方の勧めでバスが待機する終着点まで乗って行くことになりました。(終着点から少し、散策に行くつもりで)しかし、そこで運転手に30分もクーラーを切ったままの車内に閉じ込められたままだったということです。バスガイドの方も乗客のカサの無い心配を一切しないというあきれたものでした。(前日の宮城でのチェックでは曇り、午後から雨が降ることは当日の朝、分かった。)バスには、はとバスのカサ(500円)が後に入っており、それは「高いのでコンビニで買え」という。(高くない!)コンビニで買おうとすると「寄らないで、直ぐ行ってください」とくる。そして、2号車の客が来るまで 都電荒川線 のホームでずっと待たされる始末でした。しかし、その都電のホーム内にどういう訳か古びた本屋がありました。ビニール傘が2本だけあったので2人はこれでOK。(1本200円)「おじさん、他にカサないの?」と聞くと、これで良かったらと奥から使いまわしの(忘れ物?自分の家の所有物?)を2本、3本と手品のように次々に出してくる。良いのも、悪いのも、全て1本100円。おかげで全員にカサが行き渡りました。(ありがとう!おじさん、大変、助かりました。)

 私たちの反省点としては、車イス担当を妻にして、もう一人男性の担当者を付けなければならなかったこと。妻は力が弱く、力の強いK氏によく車イスを押してもらいましたし、私も、結構押しました。それに15人に私一人の幹事では、車イスのメンバーを抱えての旅行はキツイ。東京駅での失敗も起きうるということです。これから先、こうした集団での旅行に限らず、家族の中でも、車イスを抱えての旅行をする機会があると思います。今回は、それに向けての良い経験になったと思います。

<旅行スケジュール>

<6月27日(土)> 

 9:20 黒瀬分館集合、会員4台の車で駅まで。
 9:57 くりこま高原駅 やまびこ48号、
   仙台駅のホームで 仙台の「こばやし」の駅弁
   駅弁昼食(独眼流正宗弁当8ヶ、仙臺まるごと弁当7ヶ)の受け取り。
 12:24 東京駅着、JR京葉線に乗り換え
 13:00頃、快速蘇我行きに乗ります。
 13:30頃 舞浜駅着 精算所でキップを出して各自130円払うこと。
   徒歩約10分~ですが、「イクスピリア」内をゆっくりと通って移動して
   「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」へ着きます。
 2:00 公演開始(終了は4:30頃)
 5:00~6:00「イクスピリア」内を1時間ほど散策。
 6:10頃~舞浜駅へ移動。各自で八丁堀までのキップ210円を買う。八丁堀で乗換え。 
   地下鉄日比谷線の小伝馬町までのキップ160円を買う。30分程で着く。 
   小伝馬町駅から徒歩2分でホテルに。
 7:00頃にホテル(ホテルギルモンド東京03-3666-4111)に到着。
  ホテルは、1人(3部屋)、2人(3部屋)、3人(2部屋)。
 7:45頃にはホテルを出ます。
 8:00頃からホテルから5分位歩いて、 大門酒家日本橋本町店 で夕食兼宴会。
  (中華料理のAコース+飲み放題で10:00をめどに。)

<6月28日(日)>

 7:00 朝食(レストランでモーニング洋食or和食)
 9:00~宿泊ホテルを出発。
  ホテルからタクシー組は、1台で東京駅丸の内南口へ。
  残りは徒歩で総武線新日本橋駅まで。帰りのキップで入り、東京駅で途中下車します。
  (160円節約)  
 10:00東京駅丸の内南口を出発。
 はとバスで「柴又とぶらり都電の旅」
  浅草観音と仲見世(自由散策)
  柴又「川甚」で食事
  柴又(帝釈天など自由散策)
  都電荒川線に乗る。
  巣鴨とげぬき地蔵(自由散策)
 4:50 東京駅丸の内南口到着。
 5:30 までの間におみやげ+列車内で食べる夕食(駅弁購入を各自の自己負担で購入を)
 5:40 東京駅 やまびこ68号。列車内で夕食。
 8:05 くりこま高原駅到着
 8:30頃、車で黒瀬分館までー解散、(お疲れ様でした。)

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