触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「教育栗原市民の会」の呼びかけ文を作ってみました。

<教育問題>                                                       2009.8.25

「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」の呼びかけ文を作ってみました。

 さて、このカテゴリー<教育問題>の初仕事は、表題のことです。7月30日の第2回、8月21日の第3回の打ち合わせで「呼びかけ文」(案)が示されましたが、どうもしっくりきませんでした。若干の修正や、必要な項目の提示を私や他の参加者の方もしましたが決定にいたりませんでした。私は、これと9月26日のもう一つメインー前宮城高教組委員長の菊池英行氏の講演をインパクトのあるものにしなければいけないと考えています。その点は会に参加した方々の一致した考えだと思われます。ただ、8月30日の総選挙の投票、結果によって若干文章や講演内容も左右されることは明らかです。次回の会合を9月1日に設定したのもその辺りを見越してのことです。この9月1日にはこの二つをはっきりとさせた内容のチラシが準備されていることになっています。

  この呼びかけ文の作成は、私の役割分担になったものではありません。しかし、私は、この2年余りの経験からもどうも代表まかせにしておれないと考えました。そこで、後日すぐに代表に対して、私も呼びかけ文(案)の材料になることを考えてみるとお節介ですが申し出ました。途中のもの(その1)を23日に手渡し、その後、ここに(その2)の一応の完成品ができましたので、提示することにします。                                                          


               

「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」結成総会への
参加呼びかけ文(案)
                        2009.8.25       

「栗原の教育を考える会」のこれまでとりくみ

 2006年に「栗原の教育を考える会」は、結成され、同年、少人数学級実現をめざすシンボジウムを開催しました。2007年2月には、栗原市議会に少人数学級実現をめざす請願署名(3500人分)を提出し、その結果、市議会で全会一致の採択を得ました。

 同年10月、栗原市教育委員会は、小・中学校の統廃合を推し進める栗原市立学校再編計画(案)発表しました。それに対して、「栗原の教育を考える会」は、12月にその問題点を考えるシンポジウムを開催しました。そして、市民の多数は反対と慎重さを求めているとして、パブリックコメント、公開質問状、慎重審議を求める請願などを提出しました。2008年2月末に栗原市教育委員会は、同計画を策定しましたが、それでも「高清水中学校を前期統合の対象からはずす」「地域の合意なくして統廃合は進めない」などの部分的な成果を得ました。

 市教育委員会は、この再編計画で「子どもの教育環境をよくする」、「学力の向上をめざす」などとしています。しかし、それは、効率性学校運営を優先させた小規模校の統廃合です。これによって、地域から学校・子どもたちは切り離され、学級数や教師の数は減少し、子ども一人ひとりにゆきとどいた豊かな教育ができなくなくなります。

公教育の拡充を-貧困と格差から子どもを守るために

  こうした背景には、日本の公教育の貧困さがあります。主要国最低の教育予算(対GDP、日本3・4%、OECD5・0%、28カ国中最低)、国では未だに40人学級(栗原市はそれに準じる35人)のレベル(1学級あたりの児童数はOECD内で下から2番目の低水準)です。

  それに加えて、小泉内閣が「小さな政府」と「自己責任」による「改革」をすすめて以降、経済と教育の格差は拡大し、生存権と学習権を脅かす貧困が子どもたちの間に一挙に拡大しました。現在、日本の子どもの相対的貧困率は、先進諸国の中ではアメリカに次いで最も深刻な状況にまで至っています。貧しいために病院に行けない子ども、栄養失調の子ども、最低限のケアも受けていない幼児、高校に進学できない中学生、中退せざるをえない高校生・大学生、高校生の就職難などが激増しています。保護者の経済力の有無によって、学びたくても十分に学べない子どもたち。今、学びの場で悲鳴が上がっています。

  今、国際的な教育をめぐる状況・情勢は、無償教育への地殻変動が生じています。無償教育を定めた国際人権規約13条の締結保留国は、160カ国中、日本とマダガスカルの2カ国のみとなっています。国際条約違反、『有償教育大国』という日本の異常がいっそう際立っています。日本は、主要国最低の教育予算であり、世界一の高学費が家庭と子どもたちを直撃しています。教育を受ける権利を守るための無償教育の確立は切迫した課題となっています。

  教育の機会は、すべての人に等しく保障されなければなりません。子どもには、自分にもっとも必要な教育をもとめる権利があります。すべての子どもに、その希望を保障することは、私たち大人たちの責務です。子どもたちを貧困から守り、すべての子どもの学び発達・成長する権利を擁護するとりくみは、いま緊急の課題となっています。

政権交代で教育行政は?―市民の運動こそが変革の決め手

 戦後、長期にわたり自民党政権が続いてきました。そのため、日本は、主要国最低の教育予算のままです。その他にも、形骸化された教育委員会、歪んだ大学入試体制など教育の問題が山積してきています。

 しかし、今回の政権交代でこれらに大転換が起ころうとしています。まず、大幅に教育予算が増やされるでしょう。現在の国レベルの40人学級が、30人以下に早期に転換され始め、少人数学級へと大きく舵を切ることは明らかです。高校までの無償教育にも踏み出すでしょう。教育委員会も大学も変わる可能性があります。「子ども手当て」が始まり、様々な「子育て支援」策が充実されていきそうです。

 しかし、どのような変革でも国、自治体、政治家まかせにしていては内実あるものにはなりません。市民が提案をし、合意形成もはかり、行政の監視もしていかなければなりません。市民の運動こそが変革の確かな決め手となるものです。

「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」に参加を

 子どもの実態を深く捉え直し、どの子もどの保護者も安心して暮らし学べるようにしましょう。そして、教育・福祉・医療などにかかわる諸団体や幅ひろい市民が協力の輪をひろげることが必要です。「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」は、そのために設立します。そして、「栗原の教育を考える会」は、それに発展・改組することとしました。今後、栗原のすべての子どもにゆきとどいた豊かな教育を保障する具体的な改善にとりくむとともに、関係する行政機関にも問題の解決を求めて働きかけていきます。

  今こそ、子どもたちの豊かな成長をはぐくむ環境を日本と栗原の学校や地域につくりだすことが必要です。「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」へ参加し、子どもと教育の未来への希望を育てる草の根の教育改革運動をつくっていきましょう。

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カテゴリー「教育問題」を始めます。

<教育問題>                                        2009.8.25     

カテゴリー「教育問題」を始めます。 

 8月10日にー「教育を考える会」の再開と総会に向けてーという記事を書きました。この時のカテゴリーは従来からの「学校統廃合」にしました。この間、7月2日、30日、それに8月21日と3回「考える会」の総会準備の打ち合わせ会が開かれてきました。会の名称も私の提案のように「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」になりました。そして、新しい会の活動もこれまでの「学校統廃合」問題を引き続き中心に取り組んでいくものの、子どもの貧困問題、高校生の就職難、そして私の提案している学校図書館の充実(図書費の大幅増額と人の配置など)なども会として関わっていくことが話されてきています。ですから、今後、カテゴリーを「学校統廃合」に入れたままでは不都合になってきます。そこで、今回から「教育問題」というカテゴリーを加えることにしました。それでも、その中で「学校統廃合」が中心となった記事は、今までどおりにします。

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09宮城・ジジ親・夏の陣終わる。

<家族> ライフ
09宮城ジジ親夏の陣終わる  
                                                               
 2009.8.20

8月1日、箱根に集合!

 今年の初め、1月11日の記事「年末年始の恒例のジジ親家業を終えて」で、その時の様子を伝えました。それから約7ヶ月、8月2日の箱根での息子の結婚式でその前日に現地で娘夫婦と孫2人(男の子)と合流しました。娘達は、朝、高松空港から羽田に飛び、JRとバスで箱根へ。私たち夫婦は、JRと小田急・箱根登山鉄道で。夕刻に二日連泊する強羅ホテルパイプのけむり に入る前に、それぞれ、娘達は、星の王子様ミュージアムへ、私たちは、箱根ガラスの森美術館へ。

 翌日の息子の結婚式までは、8月4日に記事にしたように、孫(4歳半の上の子)が私と「一緒でないと登山電車には、乗らない!」とダダをこねても、息子が最優先で謝辞の準備をしていました。結婚式では小さな子どもは孫達だけでした。長い廊下を走り回ったりして、多少周りには迷惑はかけましたが、雑誌を読んだりしてそれなりに良い子にしていました。(上の子は、成長してきていました。)

 翌日は、夕刻までに娘達を連れて宮城に帰れば良いのですから、孫達とはたっぷり遊べました。箱根彫刻の森美術館へは、開館の9時直後に入園。キッズスペースが結構沢山あって、子どもたちに彫刻・絵画を見せながらものびのびと遊ばせることが出来ました。お昼には飲茶のレストランに新郎・新婦も駆けつけ一緒に楽しく昼食をとりました。この後は、上の子が大好きな電車のオンパレード。箱根登山鉄道小田急ロマンスカー、東北新幹線と続き、大興奮でした。

宮城に帰ってきて…

 リフォームしたての我が家では、箱根に発つ直前には、孫対策をそれなりに取っておきました。茶の間の低い作り付けの棚からは、置物を全部撤去し、リビングの植物も別のところに移しました。それでも漏れていたところがありました。茶の間のローボードの中の籠に入っていたCDは、全部出され、オモチャに。(→全部押入れの中に隠し)買ったばかりのステレオコンポは、スイッチの押し捲り。(→電源を切る)障子は覚悟していましたが、真新しいのですから、一所やられてしまい、やっぱり目立ちます。

 毎年、夏と冬。まあ、一種の孫達との戦い?戦闘です。宮城での夏の陣と冬の陣です。むこうは、初め1人でしたが今は2人。主戦力が上の子から下の子(1歳2ヶ月)に移ってきています。上の子は、幼稚園生で、それなりに「お約束」や自分で出来ることが増えてきて、私と一緒に買い物や出かけても前ほど苦労しなくなりました。会話もいっぱい出来るようになり、話していてもとても面白いです。(これでは、戦いにならないか?)1月にも書きましたが、問題は下の子。この時は、まだ後にハイハイだけでしたが、今回は、こちらに来てからも台風のように日増しに勢力が強くなってきました。ヨチヨチ歩きが、だんだん速くなってきます。段差のあるところも何のその。降りるのも上がるのも日毎に上手くなってきます。絨毯敷きの階段は、上りから始め、数日で2階まで到達。それからは後ろ向きで下り。始めの数日は、途中でギブアップしてこちらを向いて、両手を広げて私に助けを求めました。(敵の手を借りるとは!←ジジは甘いもので、ホイホイと直ぐ抱っこしてしまいます。)そのうち、だんだん下の方まで自分で進み、振り向いて私の方は見なくなりました。(こちらも、敵に安易に手を貸すまいと決めて…)最後2段だけになった時、急にバランスを崩して後ろ向きで頭から1階の廊下の板の間に転落。ゴッチン!!と。その結果、ワーンワーンと大泣き。すぐにカッカ(娘のこと)が駆けつけました。そして、「何してるの、父さん!… …ゴチャゴチャ… …」と、散々私を非難。私は、「もっと上からだったら受け止められたのに、2段目からでは間に合わない。」と言い訳。怪我まではさせていませんが、泣かれてはこちらの負けです。

  ともかく、逞しくて、好奇心旺盛で、元気な子です。それに、笑い顔が何とも良くて、癒されます。よくニコニコ笑いながら小さな手をパチパチと叩きます。バイバイも笑顔で上手にします。「お風呂だよ」というと自分で服を脱ごうとします。何でもお兄ちゃんの真似をしたがり、食いしん坊で、欲張りです。でも、唯一喋り始めた言葉が「ママ、ママ」でもなく「バーバ、バーバ」。上の子は「ジージ、ジージ」に続いて「バーバ、バーバ」の連発ですが、下の子は何時になったら「ジージ」と言ってくれることやら?それでも、カッカにおっぱいねだる時以外は直ぐ私にベッタリと抱きついてきます。

8月20日、ようやく夏の陣は終わりに。

 2週間ほど前、チチ(父)は仕事の都合で先に高松に帰っていて、帰りは、娘と孫2人。仙台空港まで妻と共に車で送っていきました。大阪空港(伊丹)には、チチが迎えに来ていて飛行機を降りればその後は大丈夫という体制を採ってのことです。飛行機の中でも問題は下の子のようで、来る時も一波乱あったようです。娘より、夜の9時過ぎに電話があり、無事チチと合流し、大阪で少し遊んで高松までもうすぐとのこと。忘れ物を送るようにという用件でしたが、こちらは一安心です。娘達が帰った後の後始末は、今回は、すんなり1時間ほどで終わってしまいました。昨日、少し片付け始めていたこともあってのことですが、それにしても短時間。前は半日くらいかかっていたような気がします。娘も少し片付けるようになったのと、上の子も「お片付け」の仕事を少し、今日の朝、ジジと一緒にするようになったからです。それと、リフォームしたため、いつもすぐ片付けられるようになっていることも大きいです。

 次回は、12月。冬の陣です。その時まで、孫達は、2人とも、もっと大きくなっています。勢力を増しています。特に下の方がどのように強力になっているか考えただけで少し、恐ろしくなります。(←冗談ですよ。実は、楽しみなのです。)チチは、体格が良く、2人を同時に抱えても、どうといったことはありません。私も挑戦してみましたが、ちょっと無理なようです。リビングと茶の間の間の段差(21cm)の所で、このところ、10分間ステップ運動をしています。上の子は、一緒に真似したり、時々は「ダッコして!」と来きます。一瞬だけダッコすればそれで気がすみます。ところが、下の子は、私がステップをしだすと、必ず、両手を広げてダッコを要求してきます。10kg位はあるのか、ダッコしたままでは、大した負荷がかかりいい運動になります。飽きてきた頃に降ろしてあげます。孫の成長と私の体力の維持・強化。問題は、このバランスです。いつまで持つのか、このところの筋力トレーニングや貯筋体操の主目的は、ここにあります。さあ、明日から次の冬の陣にむけての再スタートです。

余談

 1月の記事でも、「日頃している様には、運動等ができず…少々太りました。体重で+2キロ、体脂肪で+1~2%、内臓脂肪で+1~2レベルアップ」と書きました。今回も、同様の結果になりました。それでも前回よりは、少し運動はしていました。何が夏太りの原因かというと、どうも娘が作る美味しい高カロリーの料理・お菓子のようです。明日からは、それは無くなる(それも少し寂しいのですが…)のですから、あとはバッチリ運動の方をすればいいのです。今回は、病院での検査まで2ヶ月もあります。ゆっくり時間をかけて調整すればいいのです。

kobc
8月19日 片付ける前のビニールプール、三輪車など

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栗原天日米試食会・イベントに参加。

<NPO>
栗原天日米試食会・イベントに参加。                    2009.8.17

 お盆の8月15・16日の2日間、東北自動車道の長者原SAの上り線、レストラン前でこのタイトルの事業が午前10時から午後4時までの日程で行われました。私の参加するくりはら活性化ネットが、主体となっている「 くりはら田園都市協議会 」が主催するもので、その8月16日、その2日目に参加しました。試食会は、3月1日に高清水公民館で行われたのに引き続き、長者原SAでは6月に第1回、今回が2回目の企画のようです。

 私は、くりはら活性化ネットのメンバーですが、くりはら田園都市協議会の方は担当していません。しかし、この間の経過等は総会・理事会や、同じ理事でくりはら田園都市協議会の方も担当している友人のH氏から聞いており、およそは知っているつもりでした。私は、くりはら田園都市協議会の事業自体には興味があるのですが、我が家の-米作農家のちょっと複雑な事情で直接の参加を見合わせていました。たまたまH氏が8月15日に参加できて、16日には自分のところのお盆の都合で参加できないと知らされていました。そこで、それなら私が、ピンチヒッターをしようということになったのです。

無料試食は大盛況。販売も多く、21年度米の予約も。

 東北自動車道の長者原SAの上り線は、お盆を故郷で終えて、首都圏に帰る車でごった返していました。時間によってはSAに入ることすら出来なくなり、駐車待ちが続いていました。昨日に続きこの日も30度近く(SAでは30度を超えているのでは?)になっていました。昨日の反省に立ち、大きな横断ステッカー・看板を活性化ネットの三塚氏(事務局長)が急きょ作ってきたため、反応がとても良いように思われました。「無料!」というのに皆さん、ふっと反応しているようでした。20年度米の販売は、1袋2合を200円でしたが、ササニシキ、コシヒカリ、ひとめぼれの東北自動車道の長者原SAの上り線でした。9つの生産者が主に有機肥料と低農薬で天日の自然乾燥した特別栽培米を出していました。その内、生産者で参加していた瀬峰のササニシキの高橋夫妻、花山の三浦のおばさんのものが60袋以上、全体では150袋ほど売れました。(前日は100袋ほどか?)21年度米の予約も私も1件取りましたが、ササニシキが数件取れたのが特徴的でした。

 昼ごはんは、支給されず「試食をそれに」ということでしたから、私も三種類食べてみました。ササニシキは、久しぶりに食べましたが、あっさりとしていて寿司飯に合うようで美味しかったです。コシヒカリは、イマイチ。ひとめぼれは、我が家の自家製米と同じ美味しさでした。試食での参加者の反応もとても好評でした。ただ、お盆を故郷で終えての人たちがほとんどですから、お米自体、故郷やその周辺から入手できる方も多かったのではないかと思います。しかし、若い人が「久しぶりに美味しいご飯を食べた。」と言ってくれたのにはこちらも嬉しくなりました。
 
実は、生産者の高橋夫妻は知人でした。

 この天日米ササニシキの生産者の高橋夫妻は、実は図書館でのボランティアとストリーテリング勉強会の仲間です。当日は、お互いに「ヤアーヤアーヤアー、何でココに?」となって事情を説明しあいました。高橋昭三さんの方が、三塚さんの奥さんと「お茶の会仲間」で、近くでもあり、たまたまということでした。それにしても9つの生産者で参加している中で、栽培方法を他を「減農薬」(JA基準の準じる)としていて、高橋さんだけが「冬水たんぼ」(ふゆみずたんぼを参照のこと)としている訳の話から始まりました。高橋さんだけが冬の田んぼに白鳥がいっぱい飛来してきている写真を載せた独自のB5のカラーチラシ「ささにしき-ふゆ水、田んぼ、天日干し米、不耕起、ポット移植」(不耕起…を参照のこと)を持ち込んでいました。試食会への呼び込みの合間をみては、その「こだわりの米づくり」の話をずっとしていました。

 私の方からは、義父が主導権を取って米作をしていること(脱サラの私はもっぱらキノコ担当だったこと)、以前はササニシキだったのが、今は作りやすいひとめぼれにしていること、2~3年前から取り入れた 低温保存米  にしてから、夏場でも味が落ちないことを…。それから、8月2日の息子の結婚式では、双方の名産品を引き出物に出すと息子たちが決めて、むこうの三重県伊勢からは、和田金の松阪牛(松阪牛 和田金)が選ばれたこと。それに対してこちらは、栗原天日米も候補にあげたけれど、妻の同級生・岩渕氏が代表をしている「 くりこま高原ファーム 」の米(ササニシキとひとめぼれ)、梅干、しそ巻き、ジャムなどの詰め合わせセットになったこと。岩渕氏には、私も会っていろいろ説明を受けました。そこで、確かに天日米も良いかもしれないけれど、それより米の管理保存が大切だと思いました。

  当日ここにくるまで、栗原天日米の宣伝をするのに「それではどうかな?」と思っていましたが、そこはまあ、手伝いだからという割り切りから参加しました。しかし、高橋夫妻と話していて、彼らの「こだわりの米」=「冬水たんぼ」も応援しようという気持ちになりました。これは、私が参加した私にとって大きな成果です。

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片山善博の「日本を診る」道路はもはや聖域ではない 

<BOOKS> (25)                                                   2009.8.14                                                                

片山善博の「日本を診る」
道路はもはや聖域ではない 
      世界2009年8月号

 今回は、本ではなく片山氏の月刊誌(世界)のたった9ページの連載コーナーを取り上げます。それは、道路建設の復活の問題点を、比較の対象として学校図書館司書配置を挙げているからです。

著者について

 片山善博 1951年生まれ。鳥取県知事。慶應義塾大学法学部教授。
 
内容の紹介

 <麻生内閣と地方の慰撫>

 小泉内閣時代に事業抑制を決めた道路建設が、麻生内閣で景気対策としてなし崩し的に復活。小泉内閣の三位一体改革で疲弊し、不満の高まった地方を慰撫するため、およそ一兆円の資金を自治体に交付すると総選挙目当てに打ち出している。

 これまで、多くの自治体は、国の景気対策につき合わされてきた。国の地方交付税の上乗せで手当てするという約束の下に、公共事業や箱物建設に投じてきたのである。しかし、自治体は、その上乗せの約束が反故にされたばかりか、交付税の基礎的部分削減され、財政運営が窮地に陥っている。

 <なりふり構わぬ「集中改革」とその背景>

 国から梯子を外され、窮地に陥った自治体は、「行政改革」に奔走し、特に、職員定数削減に乗り出した。総務省は、自治体に、向こう五年間で五%削減する「集中改革プラン」を策定させた。しかし、この間、福祉では、介護保険の開始、障害者自立支援法の施行、後期高齢者医療制度導入と自治体の仕事は、着実に増えている。福祉の現場がうまく回るはずがない。

  職員定数削減は教育現場をも直撃している。290万人の地方公務員のうち110万人が教職員であるため、教職員定数削減の動きは全国的に広がっている。正規の職員定数を減らし、非正規職員で埋めて数字上の辻褄合わせをしている。非正規職員の身分は甚だ不安定で、子どもたにじっくりと向き合うには限界がある。それに、学校現場で発生している諸課題に対応すべく自治体が新たなスタッフを配置する余裕はない。

<「学力向上」も掛け声倒れ>

 学校図書館は、読書する力と読書習慣を身に付けさせるための拠点、読解力リテラシーを涵養する拠点でもあり、ひいては今後のわが国の子どもたちの学力向上を実現する上で大切な役割を担っている。ところが、この学校図書館の体制は貧弱。東京都や神奈川県内の市町村のように財政的に恵まれている自治体でも司書配置の実態は無残なもの。全国の多くの学校現場も似たりよったりで、事態が改善する気配が無い。課題は認識されているが、対応策がなく、掛け声だけに終わったり、「現場の創意工夫」に委ねられたりするだけ。言い訳として持ち出されるのが、「そのための財源がない」だ。国に踊らされてこれまで公共事業にうつつをぬかし、あげくに梯子を外され窮地に陥った自治体財政は、教育現場の課題をも確実に麻痺させてしまっている。

<どうして政治家は道路が好きなのか>

  一兆円構想は、当初「使用制限なし」の財源から「八割は道路、二割は関連公共事業」の特定財源に押し込められ、自治体の財政運営上の自由を著しく制約した。しかし、知事会・市長会や議長会などからは、さしたる批判も不満も表明されていない。自治体の現場では、道路以外にも福祉、教育などの分野で緊急の対応が必要な課題が山積しているのに。

 多くの首長が福祉、教育ではなく道路をはじめとする公共事業に親近感を持つには、それなりの理由がある。その一つが、選挙。選挙で土木建設業界の支援を受け、政治資金、選挙資金の通じての支援、人手の提供も。

  こうした状況で、業界から寄せられる公共事業費の増額要請に対して、多くの首長たちが無意識のうちに同情的に反応する素地がある。自治体の財政運営ではついつい公共事業は他の事業とは格別の取り扱いをされることになり、その代表選手が道路事業である。

<道路に予算を振り向けやすい地方財政システム>

 自治体が国の補助金を得て行う道路整備事業の場合、補助金が無い事業(学校図書館司書を配置した場合の給与費)に比較して圧倒的に有利。一方、単独事業であっても、学校図書館司書を配置と道路建設とを比較した場合、財政上有利・不利は大あり。単独事業の道路建設事業の場合、一定の要件を満たせば、事業費の九〇%相当額までは地方債によって調達した資金を充当可能。麻薬のように危険なものでも、手を染めた首長には、借金の償還は先のことなので、その時、自分はもう首長の座にいないかもしれない。

  こうした無責任な首長の気持ちを一層楽にしてもらえる仕組みも用意されている。地方債で調達した資金償還の際、そのおよそ三〇%相当額について地方交付税交付金を割り増しして手当てするとされている。したがって、単独事業の道路建設は、事業実施年度には国からの補助金はないが、後年度の元利償還金に対して手厚い支援がある。道路建設事業は看板に偽りのある似非単独事業。このおかげで首長は住民や議会に対し、学校図書館司書配置などを配置するより同じ単独事業でも道路整備を選択した方が財政上よほど有利との説明や言い訳が可能。かくして、その説明や言い訳を経て、学校図書館司書の配置は進まないのに、道路建設には巨額の資金が投入され続ける。

<道路は地域の雇用対策や景気対策に有効か>

  財政出動の中心的役割を果たす道路建設を中心とした公共事業が景気対策としてとられる。本来、景気対策は事務・権限の仕訳では国の所掌であり、この道路建設を中心とした公共事業に従来から自治体が巨額の自前の財源を投入して進んで協力している。(財政難に喘いでいる現在でも)疑問となるところだが、これに対し、首長が決まり文句のようにもちだすのが「地方雇用の確保」。公共事業が地域の雇用を創出ないし維持すると言う理屈である。地元にも主として土木作業員として雇用創出効果は発生するが、公共事業に投じる巨費に比較し、あまりにも小さいし、若者がこぞって飛びつくほど魅力に富んだものでもない。雇用面ではあまりにも非効率な投資である。本当に地域や住民にとって重要度が高い事業はおうおうにして直ちに着手できないものが多い。(歩道の整備など)その点、地方の農村部だと道路は比較的整備しやすい。それで、必要のないものまでも…。

<民意を反映しない政治には退出を>

  税収の使いみちを道路に限られていた揮発油税は、今年度から法律上は、使用制限を解除された。その結果、揮発油税の一部はこれまで地方道路譲与税という名称で自治体の道路財源として譲与されていたが地方揮発油譲与税と改称し使途を特定しない財源に。自治体が自前で徴収する地方税においてもこれまで道路財源を調達するための目的税として分類されていた軽油引取税及び自動車取得税が、税収の使途を問わない普通税として再編成された。自治体レベルでの税や譲与税においては、道路特定財源の一般財源化が法律上は実現している。

  首長たちは、これまで道路特定財源制度のもとでは、教育や福祉などより道路整備の方が自分にとってよほど重要だという本音を隠しつつ道路整備にいそしむことを許されてきた。しかし、少なくとも地方財源としての道路特定財源の一般財源化が実現した今日、その言い訳が通用する余地は確実に減っている。残っているのは、前述の一兆円資金などである。その国からの補助金や交付金は依然として強い影響力を及ぼすものの、それでも今後首長たちは、道路関係予算の多くについて、それらが福祉や教育など他の行政分野に優先されるべき理由を説明しなければならなくなっている。

  説得力に欠けるのであれば、他の優先度の高い事業に振り向ければいい。説得力がないのに、相変わらず道路を優先させる首長がいたら、次の選挙で落とせばいい。

私の感想

 片山氏は、鳥取県知事時代に小中学校の学校図書館にも司書を置くように首長に働きかけ、かつ支援策を講じ、九〇%を上回る小中学校に何らかの形で司書機能を備えたといいます。氏はこれまでも、図書館や学校図書館の充実を求める発言を多くしてきています。現在は政治家ではありませんが、オバマ大統領の発言に近いものも感じます。

 この連載の本題は、道路建設の復活の問題点なのですが、その対比に学校図書館司書配置を挙げるのは、いかにも片山氏らしいと思いました。道路建設事業を切りながら学校図書館の問題を指摘するのは、私の心情にピッタリです。それも自治体財政の仕組みから解き明かしているのですから、これを具体的に、各自治体に当てはめてみる必要があります。

 栗原市については、学校司書は、小中学校では配置していません。12学級以上の学校で司書教諭の発令がされているだけです。昨年6月3日に築館小学校を訪問しその状況を知りました。(「3つの学校図書館を訪問して」に)築館町時代には図書館に人の配置がされていましたが、司書教諭の先生は学級担任を免除されているものの時間的な配慮は殆んどされていないとのことでした。そこで、教員補助の先生が実務面で学校図書館の手伝いをしていて学校としての努力はうかがえました。しかしそれでもずっと学校図書館に人がいるわけではなく限界があります。

 宮城県内では名取市と柴田町で正規職員が、仙台市、多賀城市、大崎市で臨時・嘱託などが配置されています。(学校図書館協議会2007年度アンケートより)これに2007年10月より富谷町で全小学校に図書補助員が配置されています。少しずつですが自治体の努力でも人の配置は着実に前進してきています。

 栗原市における学校図書館の問題については、「本のあるくりはら」第10号や触媒生活でも同内容を2008.6.8「図書館資料費と学校図書費予算化問題」7.4「図書充足率112%って一体、何?」の記事にしています。その後の進展は残念ながらほとんどありません。学校図書館図書基準の達成が小学校で75%から100%に1校増え、その割合が44.8%になったこと。中学校では逆に100%の3校が1校に減り、10%になったこと。実はこの減少は成果です。きちんと古い図書の廃棄をしたためだからです。

 宮城県内では、この間に「子どもの読書活動推進計画」の策定でも、仙台市、気仙沼市、多賀城市、利府町に続き塩釜市、白石市、名取市で完了している予定(前述のアンケートより)です。名取市は、それに基づき協議会を設置しています。更に美里町でこの4月に計画の策定が2年がかりで完了したということです。しかし、栗原市では、アンケートには検討中としたままで、具体的な動きがみられません。

  栗原市は、この一年間、震災復興のため大変だったことはわかります。それも、今後も継続していくものもあります。私自身、この辺りのことがあったため、図書館や学校図書館の問題での要望や追及は控えてきました。しかし、その結果がこうです。この片山氏の文を読み、もうそろそろ再開しなければいけない時期にきていると思いました。この栗原市においては、市民が働きかけなければ、何も前進しないのですから。

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「教育を考える会」の再開と総会に向けて 

「教育を考える会」の再開と総会に向けて                             
 2009.8.10
 
 栗原市の学校統廃合(再編)問題に取り組んできた「栗原の教育を考える会」は、この間、昨年の8月1日に会合を開いたきりでした。(2008.8.2に記事、「久しぶりに「教育を考える会」の会合に出席」に…)誘われて、今年の3月1日に仙台で開催された集会については、3月5日の記事「第17回全国教育研究交流集会in仙台に一日だけ参加。」に記したとおりです。

その後、4月の栗原市長・市議選挙に向けて何らかのアクションがあるかと思っていましたが、残念ながら全くありませんでした。これについては、この会だけが責められるわけではありません。私が主体となって進めている「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」も同罪で、栗原の市民運動の力のなさが故です。それにしても、昨年の6.14震災があったとはいえ、佐藤 勇市長のマニフェスト違反問題などを市長選に際して、誰も追及しないというのは、異常なことです。これでは、民主主義は、死んでしまいます。

6月になって、ようやく「栗原の教育を考える会の総会準備」の案内が来て、この間、7月2日と30日に会合が開かれています。そして、7月31日には、築館地区の平成21年度栗原市市政懇談会が市民活動支援センターでテーマを「・栗原市市民活動支援センターの利用について・栗原市立学校再編計画について」として開催されています。8月21日には、「考える会」の次回の会合があり、9月26日の総会に向けての準備を進めます。この総会のことは、「民主教育をすすめる宮城の会」のホームページの「お知らせ」のコーナーにもう出ています。ですから、中間的に、この総会に向けてこの間の動きと私の準備状況を少しまとめて行きます。

7月2日 「考える会」総会準備打ち合わせ

総会に向けての案内、総会での講和内容、行動計画(案)、会則(案)などを話し合いました。
ただ、これまで「考える会」が存在し、活動してきたのに何故、「設立総会」なのか?私には、理解できず、頭の中で、「(設立)総会なのだ」と解釈していました。会議では、私は、この会がこれまで財政問題に弱かったので、会則で「個人会員-会費年1,000円。」に加え、「賛助会員年3,000円」をと主張して、入れてもらいました。趣旨は、「行動し辛い人で、財政的だけでも貢献したい人を募る」ということです。

この会合以後、何か私の中に釈然としないものが残ってしまいました。そもそも、「1年近くも会合が開かれなかったのは何故か?」という疑問もあったからだと思います。また、3月の集会のことが一言も出なかったことも気にかかりました。それは、私は、「仙台での取り組みを、その成果をもっと私たちは学ぶべきだ」と思っているからです。それに、この間、各地域でどのような動きがあったのかが知らされませんでした。私自身が、この間の各地域で学校統廃合の動きに当事者としての係わりが無いために、私が把握しているのは、情報が市教委の出している広報でのものしかありませんでした。この最後のことについては、市政懇談会で市長・教育長と論戦をした後、痛感しました。

7月30日の案内(考える会総会準備第2回打ち合わせ)が来たので、次のような提案を準備し、当日出しました。

                                                                           
栗原の教育を考える会の総会準備打ち合わせ(7月30日)への提案。 
2009.7.30

1 名称について
ゆきとどいた教育をすすめる宮城県連絡会(事務局・民主教育を進める宮城の会)があるのなら
「栗原の教育を考える会」の総会のやり直しよりというより
    ↓(発展的解消では、いけないか?)
「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」(そして、略称を「教育栗原市民の会」としては?)

2 会則の目的について
第2条 「本会は、栗原市で育ち、学ぶ子ども達が、健やかに育つよう、PTA・地域等と連携しながら栗原の教育について考え、語り合い、行動することを目的とする。」 
       ↓
「本会は、栗原市で育ち、学ぶ子ども達が、ゆきとどいた豊かな教育を受け、健やかに育つよう、PTA・地域等と連携しながら栗原の教育について考え、語り合い、行動することを目的とする。」

3 運動の方向について
もう既に政権交代はほぼ間違いないもののようになってきています。8月30日投票ですから、9月末の総会では、新政権のもとでの市民運動としての再出発となるはずです。これまでの長年の自民党政権のもととは違った状況になることは明らかです。直ぐに変わらなくとも来年4月ぐらいからは、変わっていきます。別紙の「民主党の2009マニフェストの子育て・教育」の方向で進んでいくことは明らかです。(参考までに共産党の2009総選挙政策の「子育てと教育」に関する部分も提示します。)
市民の側もそれに対応した、それと噛み合った提言や運動をしていく必要があります。
そのため、会が目的とし、めざしている ゆきとどいた豊かな教育 についてその中身(柱だけで)も明らかにしていく必要があると思います。(ミッションの明確化)

4 組織化について
 1~3にも関連して、これまでにない幅広い層に、声をかけて、参加を訴える必要があるのではないでしょうか。
 訴える「呼びかけ文」のようなものが必要です。

5 会の顔、役員の重要性
 幅広い層の参加を得るためには、誰が会の顔となるか、そして、どうような方面の方々が役員になるのかが重要になってきます。但し、同時に役員会の行動力も求められます。

6 事務局体制の確立を
この会は、事実上、これまでの「考える会」の再出発をすることだと思います。そのためには、なによりもこの間、何故、会が開店休業になったのかの反省から始めなければなりません。
 しっかりとした事務局体制を確立すること、財政問題についてもしっかりとした方針を持つことが求められます。         
                                                            
                    

 7月30日考える会総会準備第2回打ち合わせ

 総会準備の細かな打ち合わせとなったのですが、私の提案も一応取り上げられました。1~3位までは、何とかその通りに取り入れられたとは思いますが、4~6は、時間もなく、充分に理解されていません。すべての子どもに「ゆきとどいた豊かな教育を」というミッション(使命)のその中身は、「憲法26条と子どもの権利条約」であるという賀屋先生のアドバイスは、大いに参考になりました。また、ここで、日程も9月26日にと正式に決まりました。

 ただ、次の日に、築館地区で市政懇談会が市内10ヶ所の内で唯一「栗原市立学校再編計画について」をテーマに入れていることは分かっていたのですが、それへの対応が話されませんでした。

 7月31日築館地区市政懇談会

夜の7時から8時半くらいまで行われましたが、地区の市民(地区有力者がほとんど)50人ほどと、市側から60人ほどか?(市会議員も)の出席でした。最初に市側より、市長の挨拶、予算概要の説明と続き、一時間ほどの懇談に進みました。しかし、だれも挙手しません。私は、当日、体調も今一つで、出席もどうするか迷っていたのですが、半ば義務感で出ました。時間は経つし、統廃合の問題が取り上げられている以上、誰かが何か言わねばならないし、仕方なく私が最初に挙手しました。

 私の発言の要旨は、「旧築館町民にとっては、合併で統廃合が課題になるとは、寝耳に水であったこと。」「私もパブリックコメントで出したようにそもそも適正基準自体に問題があること。」「市民合意をめざし、議論するフォーラムを」と主張し、「それに、もうじき政権が民主党中心に変わり、35人学級が30人になることは時間の問題。その時にどうするのか?」「市長のマニフェストについても当初は、学校の統廃合は入っておらず、少人数学級についても違ってきている。」というものでした。

 これに対し、市長は、あからさまに私に対し、敵意のむき出しになりました。発言の長さや再質問を制限しようとしてきました。また、この4月に変わった教育長も同様でした。私は、なにも空中戦を望んでいたわけではなかったのですが、結果的にそうなってしました。思えば、昨年の市政懇談会(2008.6.6ふるさとセンターにて 2008.6.8の記事「四項目の要望に対し、市長は、「(前向きに)検討する。」と回答。」)での状況とは、大きな違いです。そこでは、統廃合とも多少は関連する学校図書館の問題を取り上げました。充分な準備のもとに発言内容を絞り、教育長を孤立させ、市長にこの問題での前進を約束させるという目標もはっきり持ったものでした。しかし、この直後に起きた、6.14の震災によって、優先順位と財政問題から、すっかり状況が変わってしまい、その後の進展は全くありません。それでもこの問題では、少なくとも、議論が噛み合い、前進させる取っ掛かりー土台はできています。

 教育長は、あくまで、検討委員会の答申を修正しようとはせず、本音の「効率化」をかくしつつ、「子どもにとって望ましい教育環境」だと強弁します。市長も国の方針が変わる場合(35人から30人へ)も「視野に入れてある」といいます。このように、これから大きく教育をめぐる状況も変わってくるのに対して、あくまで小手先の対応で済ませようとしています。

 私自身、昨年と違って、前述のように、この懇談会への準備が充分でなく、打ち合わせもできずに臨みました。従って、問題を指摘するだけの空中戦にならざるを得なかったのです。その場の雰囲気は、昨年と打って変わって、住民の共感を充分得られず、少し、浮いた状況になりました。(市長の敵意のせいもありますが…)それにしても、「考える会」の築館地区会員が、もう2人も参加していたのですが、全く援護射撃はありませんでした。(前日の会合で同席していたのにも関わらずです。)その内の1人は、2度も発言しましたが、統廃合問題ではなく、自分の関連することだけに終始しました。それだけ、私の後に続く人がいなかったということでもある訳です。(大いに反省!!)

今後に向けて

 しかし、私の信条は、「たとえ不十分でも、その時点で、一人でも言わなければなららいのなら、多少孤立してでも言う。」というものです。勿論、孤立しないに越したことはありません。孤立は目的ではありません。その時、孤立しても、必ずその後で、挽回する、逆転するという確信、展望を持ってするということです。

 その次の日、息子の結婚式のため、少し重い気持ちでしたが、箱根に早朝から向かいました。(8月4日の記事。「息子の結婚式で、親の務めを果たして」)そして、懸案となっていた「列席者の皆さんへの謝辞」を当日の朝に書きました。これは、妻のチェックも入り、私たち夫婦の息子に対する30年間の想いが詰まったものとなりました。「息子と彼女を誇りに思い、まわりの皆さんへの感謝と今後の協力をお願いする。」というもので、それなりの出来だと自画自賛しています。この謝辞を終えて、私も、自信を少し取り戻しました。この学校統廃合―教育問題は、私の専門とする分野ではありませんが、それなりに今後とも、しっかりと、やって行きたいと思います。

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息子の結婚式で、親の務めを果たして。

<家族>   ライフ                                               2009.8.4

 息子の結婚式で、親の務めを果たして。

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 8月2日(日)に、箱根の懐石料理・ 強羅花壇 という大変、素敵な場所で息子の結婚式が行われました。当日まで私の知る若干の状況は7月25日の記事「結婚まであと9日の息子からの電話」で述べている通りです。結婚式でこの強羅花壇という場所の設定は、息子の強い要望で実現したものです。ところで、「場所が何故ここなのか?」という疑問(参列者の多くが同じように思っていたようです。)がありましたが、親の私さえ当日まで、その理由をよく知りませんでした。それは、息子が、何回かこの強羅花壇の改修の仕事に携わって、「ここで結婚式が挙げられたら」と思うようになったことが発端だったそうです。ここは、本来、余り結婚式は行わないところのようですが、息子は、自分の思いを先輩・知人に話し、その尽力もあったのでしょうが、思い切って申し込んだらOKだったということです。こうして、結婚式は、息子たち2人が全てを準備するというものでした。

 しかし、その最後に参列者への親からの謝辞を、私に述べて欲しいという要望が式の半月前ほどに来ました。これは、当然の「親の務め」です。前述の7月25日の記事は、この謝辞のことがあって書いたものでもあったのです。つまり、7月25日あたりで私は、だいたい心の準備を始め出したのです。それから、あれこれと考えてはいました。宮城から箱根は遠く、式の前日(8月1日)には宮城から義妹夫婦2組と香川から娘夫婦(+2人の孫)と一緒に前泊することにしました。ですから、その前泊の夜にでもホテルで、もっとはっきりとした話を考えればいいと考えていました。しかし、不覚にも酔ってしまい、明日の朝(当日)にしようと寝てしまいました。

 朝、文章にし出すと、横で妻が注文を出してきました。「2歳半の時のネフローゼのこと、あれであの子はガマン強い性格になったのだから…そのこと、外せないでしょう!?」(←ごもっともです。)そらから一通り文章にするとまた、チェックが入ります。(教師ですから)そのうち、その途中で、孫がやって来て、私と「一緒でないと登山電車には、乗らない!」とダダをこね始めました。いつもでしたら、ホイホイと、甘―いジジはその通りにしてしまうのですが、この日だけは息子が最優先です。孫の望みを断ち切って(外は大雨で、娘夫婦たちも朝の外出を諦めました)A5の用紙にキチンと文章にして書きました。


列席者の皆さんへの謝辞                                          2009.8.2 

 本日は、遠い所から、ご列席いただきありがとうございました。

 そして、皆様方より、2人へ暖かい祝福をいただき本当に、ありがとうございました。

 さて、現在30歳になる息子ですが、息子が小学1年生まで、私たちは、千葉市に住んでおりました。息子が2歳半の時、難病のネフローゼにかかり、しばらくの間、闘病生活を余儀なくされました。その時から、息子のガマン強い性格が作られてきたのだと思っています。

 私は、以前、サラリーマンでしたが、子どもたちの環境のことも考え、24年前、息子が小2の時、妻の郷里の宮城に移り住んでいます。息子もそれから、小・中・高と11年間、宮城で過ごしました。その後、千葉・東京に出てきました。

 彼女とは、千葉大学時代に、縁あって出会い、結ばれることになりました。息子から、彼女を紹介され、大変素敵なお嬢さんで、私たち夫婦は、とても喜んでおります。ちなみに、私たち夫婦も、千葉大学で、出会い、結ばれまして、そうした意味では、2人は、後輩であり、同じようなケースでもある訳です。

 私たち夫婦の子育ての基本は、「子ども自身の意思の尊重」です。子どもは、自分自身で、決定・設計をすること。親は、そのための援助と環境・条件を最大限に整えてあげることだと考えています。
 ですから、本日の、この大変こだわった結婚式もそうした2人の考えで全て、決定・設計されたものです。

 しかし、息子が自分で決定・設計をするといっても、それは、同時に、私は、息子の中には、ふるさと宮城と、その原風景が、しっかりと刻まれていると思っています。首都圏で、生活・仕事をしていても、その根っこにあるものは、不変だと思っています。

 今後、若い2人は、自分たちの暮らしを、生活を、自分たち自身で設計=デザインしていく生き方を貫いていくものと思います。その過程で、小さな過ちは多少あっても、大きな間違いは決してしないと思っています。

 今後とも、この2人を、皆様方が暖かく見守って下さるよう、よろしくお願いします。

 本日は、本当に、ありがとうございました。
                                                               
                                               (新郎父)

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