触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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さわやかニュース 2010.4.25

<学校統廃合> 2010.4.24

さわやかニュース 2010.4.25 (表面)

栗原市金成の小中一貫教育の問題点を明らかに

<2.7「栗原の学校統廃合を考えるつどい」山本由美(和光大)教授の講演>

「子どもの生活リズム・発達に合わず、教育環境は悪化する心配が、」

  二月七日「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」は金成けやき会館で「栗原の学校統廃合を考えるつどい」を開催し、市民約60人が参加しました。そこで和光大学の山本由美教授による講演が行われました。

小中一貫教育は検証が不十分で未確立の分野

 子どもたちにとって金成の小中一貫校は、様々なことが問題となってきます。

 施設面では、新しい校舎をとの要望がある中で、金成中の空き教室を改修しただけの「統廃合」となります。

 教育内容面では、6つのそれぞれの学校の特色を生かし一つの独自のカリキュラムを作ることは、大変な作業です。

 中高一貫教育は世界的にも経験が積み重ねられてきています。

 小中一貫教育については検証もまだ不十分で、未確立の分野です。

 通学、授業時間、校庭・校舎・体育館の使用、部活、学校行事、文化等の面から、小学一年生から中学三年生までを一つすることには矛盾や問題点が多すぎます。子どもたちの発達段階・生活リズムには合っておらず教育環境は決してよくならずかえって悪化する心配があります。

5小1中の一校化で年間約二億円以上の削減効果がある


 金成地区の小学校5校と中学校1校を統合して、1校にすると、国と宮城県で年間約二億円以上の削減効果があります。教職員数は小学校だけで現行県費負担教職員44人が25人減となり、年間約二億円削減効果に。管理職も減になるので、効果はさらに増額されます。

 さらに、市負担である市職員の人件費、消耗品費、水道光熱費、教材費、施設の管理・修繕費・維持管理費等も削減できます。市教育委員会は「小中一貫校の目的は、教育効果のためで、コストダウンは後から付いてくる」と言っています。しかし、これは専門家の誰が見ても明らかな「典型的な経費削減のための再編計画」です。

「専科の教員の配置のために中学校は9学級が必要」というのは本当?  

「適正規模」が独り歩きした計画。

 市教育委員会が言っている*1「適正規模」が問題です。学校規模と学力の関係を研究した報告は無く、「小規模校では教育効果が上がらない」というのは俗説であり、保護者の不安をあおっています。

 特に「中学校においては9学級以下になると主要教科(国・数・理・社・英)ごとの専門の教員が配置されなくなる可能性があります。」としているのは、ほとんど脅しに近いものです。最低9学級が必要とする教科ごとの専任教員の確保という理由は、全国的にはほとんど例の無いことで、栗原市の場合は、「適正規模」が独り歩きしています。

*1「適正規模」―栗原市教育委員会は、小学校はクラス替えによる交流を可能にする各学年2学級以上の12学級以上、全児童数220~630人。中学校もクラス替えによる交流を可能にするためと、教科ごとの専任教員の確保するため各学年3学級以上の9学級以上、全生徒数213~525人の「適正規模」への統廃合が必要だとしています。

金成中を残すために提起された 金成小中一貫校

 金成中は7学級で、市教育委員会の「適正規模」の中学校の9学級以上には足りません。これでは近隣の若柳中(10学級)か、栗駒中(10学級)との統合が必要になります。それを避けて、金成地区に中学校を残すために自分達が作った「適正規模」の例外として小中一貫校を持ち出してきたのです。そのために金成地区のすべての小学校5校を中学校に付けるということなのです。

 いま国(文部科学省)もこの8月までに「教員が子どもたちと向き合う時間を確保する…教育課題に対処する」ため、学級編成と教職員定数の見直しに乗り出しています。金成中を残したいのならば、何ら科学的な根拠もない市教育委員会の「適正規模」を見直し、そのまま残せばよいのです。小学校については、その上で考えればよいことなのです。

学校が無くなると 地域と子どもたちが失うものも大きい
 
 旧金成町の各地域の核であるの小学校を無くしてしまうことは、各地域の文化、伝統、自然などを守り、存続させていく上で大変な困難を生じます。子どもたちの成長・発育にとっても地域は重要な役割を担ってきています。財政効率性のために五小一中を一校化する金成の小中一貫校は、あまりにも失うものが大きすぎると言わざるを得ません。
                                                     
             

〈東京都品川区の小中一貫校教諭が実例を報告〉

 子どもが生活し成長する空間が激変しました。小学生も髪の毛やリボンなどは中学の規則に則って規制されます。地上五階地下二階の広い校舎での移動。中学生の部活で運動場は占拠され、小学生は校庭で遊べません。学級というまとまりは後退し、子どもたちに欲求不満・ストレスがたまり、月一回の割合で救急車が学校に呼ばれます。

 学校行事、文化活動はやせ細るばかりです。9年の幅の子どもが一同に会する運動会は様変わりしました。六年生の参加はクラス全員リレーと大縄跳びのみです。45分の練習に子どもを並べるだけで一時間もかかります。学芸会・展覧会はありません。小六の「卒業式」の感動は消失してしまい、1200人の入学式と卒業式は名前を呼ばれるだけです。全体として管理された巨大空間としての学校のイメージが強化されてしまいました。

 前倒しの指導計画で教科学習に混乱が生じ、勉強についていけない子どもたちを更に増やしてしまっています。多くの教員に兼務発令が出され、免許なしで教壇に立たされています。教員は会議や事務量の膨大化で夜十時までの勤務は日常化し、午前様の人も出るほどです。そんな中で1000人規模の小中一貫校では教員二人が過労死しています。教員の多忙化と疲弊は子どもたちに寄り添う時間を奪っています。



さわやかニュース 2010.4.25 (裏面)

<学校統廃合Q&A>

Q 「小さな学校の存在理由(メリット)は何ですか?」

A  「一つひとつの小さな学校を大切にすることは、一人ひとりの子どもたちを大切にすることです。」

Q1 栗原市の「学校再編計画」はどんな内容なのですか?

  「適正規模」(表面*1)に基づき、現在30校ある小学校は前期(2014年まで)に12校(金成小中一貫校を含む)に、さらに後期(2019年まで)に10校(更に小中一貫校増)と3分の1にするとしています。また現在合併前の各10町村ごとに1校ずつある中学校は、前期(2014年まで)に8校に、後期(2019年まで)では6~8校(含小中一貫校・中高一貫)にするという大きな規模での再編です。

Q2 「適正規模」に教育学的な根拠はありますか?

 1小学校に「12~18学級」という適正規模は行政効率性から生まれた数字で教育学的根拠はありません。国の法律で一応、縛りがあるのですが、その国自体が今、学級編成と教職員定数の見直しに入っています。欧米の小学校は一般的に小規模です。学級の適正規模については教育学的研究によれば、1クラス20名前後が適正という結果が出ています。(桑原敏明研究代表「学校・学級編成に関する総合的研究」文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書2000年)

Q3 小規模校では社会性が育たず、人間関係が固定化するといわれていますが…

A  小規模校(複式学級を含む)は、学年を超えた交流・活動が活発です。学芸会や運動会も誰もが主役になれるし、地域の参加もあって盛り上がります。上級生はみんなが委員会やクラブの代表になり責任を持ちます。他校でしばしば起こる学級崩壊も見られません。先生たちも一体感があり、個々の教師の指導も決め細やかで、学校全体が家庭的な雰囲気、いじめも不登校もありえません。小規模校で人間関係の固定化によるいじめを心配する声もありますが、いじめや不登校はむしろ管理主義的な大規模校で起きているのです。

Q4 統廃合し大規模校化することの問題点(デメリット)は何ですか?

 これまでも各地の大規模校では、様々な問題点が集中的に出てきています。これまで以上の教師の多忙化により、 
① 教師が子どもたちに寄り添うことができにくくなる。
② 一人ひとりの子どもに目が行き届きにくくなる。
③ 一人ひとりの子どもが主人公になりにくい。
④ 落ちこぼれをたくさん出してしまう。
⑤ いじめや不登校の多発、そして学級崩壊へ。
⑥ 学校と地域との結びつきが薄くなり、保護者の不安が増大します。

Q5 市の財政が厳しいので経費節減のためには学校統廃合も必要ではないですか?

A  市教育委員会は、「子どもたちの教育環境をよくするために統廃合をする」としています。しかし、それは建前であり、本音は、あくまで経費削減です。しかもこの経費削減は本当の意味での経済的な効率を上げることにはなっていません。学校統廃合で目先の経済的効率のみを追求するあまりかえって教育環境を悪くしていまい、粗末な教育になってしまいます。その結果、子どもたち一人ひとりの本当の意味での学力や生きる力をつけることになっていきません。子どもたちへの教育は未来への投資です。目先の経済的効率追求は、意味をなしません。

Q6 地元地域の合意とは何ですか? 「PTAで賛成」と広報に載っていましたが?

  市教育委員会は、「保護者、および地域の合意がなければ統廃合しない。」といっています。

 PTA・地域での説明会の他に、統廃合(小中一貫校)に伴うメリット、デメリットの提示をした上での全住民アンケートなどが必要ではないでしょうか。「PTAで賛成」と広報に載っていますが、出席者が少ない人数で決めてしまっているところもあり、賛成の理由も「苦渋の選択で」とか、「施設の新設を」という条件を付けてなど一様ではありません。地域の合意に向けての話し合いも若干始まってきていますが、参加者も少なく、意見はまだバラバラです。

Q7 統廃合計画に対して保護者が反対するにはどうすればよいですか?

 統廃合計画に反対するには、早い段階から始めるほど効果があります。その中心は保護者で、PTAとして統廃合反対の署名をできるだけたくさん集めることが大切です。

 そして地域全体の住民合意までもって行けば行政はそれを無視できません。高清水地区で、高清水中(4学級)を前期統合対象から外させました。初めにPTA全体での取り組みができなくても個人や数人でも「地域の学校を守ろう」という一点でPTAのOBや学区内の各種役員や地域住民の皆さんと協力して反対の意思表示をし、運動を始め、広げることが重要です。

 市教育委員会での統廃合計画が決定された現時点でも、
① 市長に「学校設置条例改正案」を作成させない 
② 条例案が議会に提出されても成立させない 
③ 成立必至の場合は、運動側の要求を入れた付帯決議を付けさせる 
④ 条例成立後も様々な取り組みができます。

 「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」と連絡をとり、市内のネットワークを作り、一緒に運動していきましょう。




発行/ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会

 連絡/鈴木 健三 TEL・FAX 0228-47-2932

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ニュースの緊急印刷と、栗原市教育委員会に緊急の要請へ

<学校統廃合>                     2010.4.22

ニュースの緊急印刷と、栗原市教育委員会に緊急の要請へ

 4月20日に「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」の第11回役員会が開かれました。ここでは懸案となっていて私が中心となって作ってきた「さわやかニュース」の最終チェックが行われました。2月の「栗原の学校統廃合を考えるつどい」の報告と学校統廃合Q&Aですから、少し遅すぎるくらいです。しかも会議の中で、栗駒文字と金成津久毛地区で、4月25日に「地域全体としての再編対象校の決定と、最終確認を行う」という案内が出されていることが報告されました。そのニュースは5月に出せればいいと思っていたのですがその4月25日前に発行しようということに急きょ決まりした。

 そこで、翌日(21日)夜には印刷しようということになってしまい、20日夜、帰宅してから文字の修正、21日朝から半日かけてニュース紙面の割付・作成を何とか済ましました。先ず24日まで新聞折込配布の金成地区と文字地区だけの分3000枚を緊急に栗原市市民活動支援センターで4人で印刷しました。残りは4000枚をその他の地域分として26日に事務局長が印刷します。

 ところが21日夜に3000枚配布の手配をする代表がこれなくなり、私が自宅に持ち帰ることになりました。22日朝に取りに来るということでした。その足で栗原市教育委員会への要請に行くので私にも付き合えということになってしまいました。実は、25日の前に要請に行くことは役員会で決まったのですが、私は、説明会・意見交換会の該当地域には住んでいないし、庭仕事を手伝うよう妻に言われているので参加できないと言ってありました。代表は他の方々を当たったけどいなかったということでお鉢が回ってきました。そもそも該当地域でないためか私自身は、この要請にあまり乗り気ではありませんでした。それで役員会でもあまり細部を詰めるようなことも言いませんでした。

 22日朝、代表が私の自宅に迎えにきたのですが、どうも口頭だけで要請をしようとしていました。私は要請内容もイマイチはっきりしなかったため、大急ぎで文章化を2人ですることにしました。出発が予定よりだいぶ遅れましたが何とか市教育委員会にきちんとした文章で要請をすることができました。

 要請をした感想は、どうも市教育委員会は「地域での住民の集まりが悪いのは、全て住民自身の責任であり、型どおりの説明と意見徴集をすればそれで決めてしまっていい」と考えているようでした。この強引なやり方は問題であり、今回の要請は、十分に時間をかけ、アンケートを取るなどもして丁寧な対応を求めたものです。それでも、最終的には、市教育委員会と私たちのどちらが住民の多数、過半数の民意を取れるかということになってくると思われました。


                                
                                        2010年4月22日
栗原市教育委員会
 亀井 芳光 教育長 様


「栗原市立学校再編計画」の地域合意に関する緊急の要請書                
 
      ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会 代表 鈴木健三                      



 日頃の本市教育行政へのご尽力に敬意を表します。
 さて、貴教育委員会は、栗原市立学校再編計画について、各地域においてもその合意をはかるべく「学校再編説明会」及び「学校再編意見交換会」を始めています。しかし、この会合への住民の出席は、現在のところ多くは無く、住民に十分な説明がされているとはいえません。意見交換もまだまだ不十分です。そうして状況にもかかわらず、4月25日には「地域全体としての再編対象校の決定と、最終確認を行う」という案内が一部で出されています。このような一方的で、強引なやり方は今後、地域に不安と混乱をもたらします。
緊急ですが、次のような要請を行います。


1 地域住民への説明はもっと参加者を集める努力をし、意見交換も時間をかけて充分できるようにすること。

2 参加できない住民もいることから様々な意見、見解を提示した(例えば小中一貫校のメリット・デメリットの提示など)住民アンケートの実施を求めます。

3 文部科学省はこの8月までにと、学級編成と教職員定数の見直しに入っています。本市の再編計画もこれに左右されるものと思われます。これを受けてのは再編計画の再検討を要望いたします。

 なお、要請に対する回答は、2010年4月30日までに「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」代表の鈴木健三まで文書にてお願いします。

 送付先:鈴木健三 〒989-5361 栗原市栗駒文字葛峰37-3
 連絡先:☎、FAX、留守電 0228-47-2932




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多目的、TYO東京(4月10.11日)

<雑感>

多目的、TYO東京 (4月10.11日)                                      
                                    2010.4.15

 JR東日本の「TYO東京」というのを知っていますか?

―2010年4月1日(木)~2010年9月30日(木)で、 2名様以上での申し込み。新幹線のチケットと首都圏のホテルがセットになった格安のもの。30日前までのご予約で、お得な早期予約割引アリ。―

というものです。二人とも「大人の休日」の会員ですから、更に5%Offに(妻は30%offになるものもアリ)なって、だいたい宿泊費+α位が安くなります。毎年1~2回位は利用しています。

 今回のTYO東京はいつもにまして多目的でした。① 息子夫婦との会食 ② 2ヶ所の美術館めぐり ③ 歌舞伎鑑賞 ④ 大学時代の友人との37年ぶりの再会 ⑤ その他ショッピング でした。

ゆったりと息子夫婦と会食(4月10日)

 東京駅八重洲北口に12時に待ち合わせ。まあ、息子は時間に間に合った試しがないので私は気長に待つつもりでした。しかし、妻は12時になって来てないとなると「メールして」と催促。仕方なく連絡すると一つ前の駅まで来ているという。結局10分遅れでしたがこれはいつもより早い方です。桜が既に葉桜になっていましたが、風に花びらが舞う東京の銀座を少し歩きました。12~3分でコレド日本橋という建物の中にある「松江の味日本橋皆美」に案内させられました。珍しく丁度NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を二人で見ているもので入り口のカンバンにあった「だんだん」(ありがとうの意味)という文字が温かく感じられました。息子以外の三人がお勧めの「鯛めし茶漬け」を注文しました。鯛のそぼろと薬味を乗せた温かいご飯に、薄口のだし汁をたっぷりかけたものです。息子は「ひつまぶし」を注文。付いてきたのが「肝吸い」ではなく宍道湖が近いので「蜆の味噌汁」でした。ゆっくり体に優しい食事を取りながら、息子夫婦の近況を聞き、こちらの様子も話して楽しいひと時を過ごしました。

ブリジストン美術館へ

 会食後、高島屋を経由して東京駅八重洲から真っ直ぐ南のブリジストン美術館までこれも12~3分歩きました。天気もよく皆さん上着を脱いで手に持っている方が銀座を歩いていました。歩いてみて「東京の街は綺麗なんだ」とつくづく思いました。

 ブリジストン美術館は「美の饗宴・東西の巨匠たち」というタイトルの1月末からの展覧会の最終時期でした。日本洋画は西洋の美術を学んで発展し、その一方で、19世紀後半の西洋では、日本美術の奇抜な構図や平面性など取り入れた、ジャポニスムという新しい表現が試みられていました。この展覧会では西洋と日本の影響関係を軸に、モネ、ドガ、藤島武二、佐伯祐三、藤田嗣治など、明治期から戦後までの東西の画家たちの様式の展開や成熟の過程を紹介していました。いろいろな画家たちの絵画が多く紹介されていました。何となく影響関係は分かるのですが、何か漠然とした感じしか印象に残りませんでした。個人的にはモネが好きで、別のところで見た一連の大量の「睡蓮」を思い出しました。ここにも少し「睡蓮」はあり、あと「黄昏 ヴェネチア」が良かったです。

橋演舞場で通し狂言「四谷怪談忠臣蔵」鑑賞

 4月から始まっている新橋演舞場での「 陽春花形歌舞伎」通し狂言 「四谷怪談忠臣蔵」の夕方の部(4時半から)を見ました。市川猿之助演出で市川右近主演のもの。鶴屋南北の「東海道四谷怪談」を「仮名手本忠臣蔵」の外伝という構想で描いていました。「四谷怪談」の民谷伊右衛門は、実は浪士として、討入に加わるべき存在だったというのです。江戸時代、「四谷怪談」の初演時には、「忠臣蔵」と場面を交互にし、二日にわたって上演されたといいます。猿之助は、この構想を生かし、両作品を一つにした「双繪草紙忠臣蔵」を昼夜で通し上演。さらに両作品の登場人物たちが縦横無尽に駆け巡る「四谷怪談忠臣蔵」を創り出してしまいました。

 私は、歌舞伎を見るのは2回目で久しぶりです。物語は、良く知られているものの合体?でもあり、私自身は歌舞伎の約束事に詳しいわけではないのですが、解説イヤホーンは無用としました。先ずは分かりやすい猿之助歌舞伎の全体を丸ごと観て感じようと思いました。スピーディーな場面展開、きらびやかな花火、飛行術を使っての宙乗り、「四谷怪談」の「隠亡堀」、「忠臣蔵」の「討入」と随所に名場面、大詰には舞台に何トンもの本水が降り注ぐ「大滝」が出現し、豪快な大立廻りにと、主演の市川右近も四役を勤め、大変見応えがある演目でした。妻の方は既に何回かスーパー歌舞伎を見ているそうで、今回のは普通の歌舞伎とスーパーの中間のようなもののようです。4月19日夜からはNHKBSで連続して歌舞伎の名場面を放送するのでこちらもしっかりとチェックするつもりです。

 当日の席はJRの「大人の休日」より取ったので格安はいいのですが、舞台近くの花道のすぐヨコ。細かい表情までよく見えるのと声が良く聞こえるのは良かったのですが、宙乗りや花道を何回も見上げていて首が疲れました。それにしても歌舞伎役者の発声は凄い!!声がよく通ります。頭上が2階席でそこに小さな3本の集音マイクを見つけましたが、舞台からも花道からも、生の役者たちの大変良い声を聞くことができました。

宿泊は新橋愛宕山東急インに(4月10,11日)

 新橋演舞場から宿泊の新橋愛宕山東急インまでの移動は地下鉄(メトロ)です。来る時の銀座駅での乗換えの距離が長く、ホテルまでは短いものをと妻はリクエスト。そこで、当初考えていた東銀座-新橋乗換えー虎ノ門ではなく、途中停車は多いのですが東銀座―神谷町にしました。地図上ではその方が駅からホテルは近いのです。しかしそれにしても見知らぬ場所です。ネットから印刷した地図を見ると途中、神社があったり、トンネルもあります。もう9時半はまわっており、駅から妻と一緒に歩き始め、辺りはオフィス街で薄暗く、途中で妻が「トンネルはいやだ」とか、「この道で大丈夫?」とか言ってきました。すべてを夫任せにいておきながら「はは~ん、信用していないのだな」と思いました。見知らぬ場所ですから「100%信用して」とは言えませんがこれまでだいたいは間違ったことはありませんでした。あっても方向は間違っていなかったとか、少し遅れ気味になるとか、全て途中修正で切り抜けてきています。今回は、結果100%OKでした。最短距離で安全も問題なしでした。それに白地に小さなピンクの水玉模様のライトアップされたお洒落でロマンチックな東京タワーを真近に見ることができました。

 泊まった部屋は築10年ほどたった新館で、快適でした。「TYO東京」のパンフレットで東京の中心街で最安値という条件で探し、ここを1ヶ月余前にチェックしました。パンフレットでは朝食抜きでしたが窓口での申し込み時に朝食付と分かりました。朝食は6時半からともう一ヶ所7時からの2ヶ所で食べられるようになっていて、とても便利でした。内容も洋・和食とも結構充実していました。昨年11月のイタリア旅行でのどのホテルよりもここの方が使いやすく満足しました。問題があるとすれば、駅からのアクセスが他のホテルよりも少し不便だというだけです。朝9時過ぎにホテルからは気持ちの良い天気でしたので歩いてJRの新橋駅まで行くことにしました。

三菱一号館美術館―マネとモダン・パリ展へ(4月11日)

 明治23年、政府の要請により三菱社が丸の内一帯を取得したことに丸の内の歴史は始まり、お雇い外国人として来日したジョサイア・コンドルの設計により、明治27年(1894年)丸の内ではじめての近代的オフィスビル「三菱一号館」が建てられました。この煉瓦造りの低層棟を今年4月6日に復元が完了して三菱一号館美術館として再出発しました。明治期の重厚なデザインが心地よい落ち着きを醸し出しているこの都市型美術館の開館記念展がこの「マネとモダン・パリ」ということです。

 エドゥアール・マネ(1832-1883)は、後に「印象派」となる画家たちだけでなく、後世の芸術家たちに決定的な影響を与えた近代絵画史上最も重要な画家のひとりです。このマネ芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら代表的作品により展覧しようとするもので80点余が出品されていました。そして同時代の作家の油彩・建築素描・彫刻などもあわせて展示されており、マネが生きたパリの芸術的な背景も紹介されていました。

 「マネとモダン・パリ」に焦点を当てたこの企画は、世界史に疎い私にはとても衝撃的でした。父は法務省の高級官僚であり、ブルジョワの家庭の長男でとして何不自由も無く育ったマネは、極めて革命的な画家になっていったのだと思われました。初期のスペイン絵画の真摯なレアリズムの影響、自分が影響を与えた印象派展には出品せず、あくまでサロンで勝負しようと絶えず新しい時代の芸術をリードしようとしていたことが作品を通じても分かりました。そして、「モダン・パリ」のこの時代、第二帝政(1852~70)第三共和制(1870~1940)はパリが19世紀の首都として輝いていた時代。万博や華やかな都市生活、しかし、やがて対外戦争と社会格差・不安の増大へと時代は経過していく。その中―変革・革命期に生きた画家だったのだと多くの作品を通じて理解できました。

 会場には少し早く着いたのですが長蛇の列でした。この時期の東京での美術館めぐりのNO.1はここだと思っていたのですが、同じようなことを考えている中高年の方々が多いのだなと思いました。しかし、若い会場係りの方が大勢いて大変助かりました。

大学時代の友人との37年ぶりの再会

 午前中はこの企画をゆっくりと見て、丁度12時に御茶の水駅の聖橋口に待ち合わせということにしていました。移動はすべてJRです。丁度「TYO東京」に東京JRフリーパス券が付いていたので助かりました。37年ぶりに今回再会するのは大学時代の女性の友人二人です。二人とも教育学部出で、教師はしていたのですが少し早めに退職、一人は山梨で家業のブドウ園を娘としているそうで、もう一人は葛西に住んでいて専業主婦になっているとのことでした。(そういえばうちの奥さんもこの4月からはれて専業主婦になったはずなのに、ちっともそれらしくありません。)私たち夫婦との共通点はセツルメントという同じ(教育系)サークルだったということです。しかし、私だけは2年間で辞めてしまいました。4年間最後までいたのは妻と友人の二人の「元三人娘」と男性一人のみでした。私は、本当はこの一人の男性に最も合いたかったのですが都合がつかずダメでした。30年位前ですが、彼には千葉時代に地域の教育懇談会に講師として一度来てもらっています。お母さんが宮城で施設に入っていて毎月来ているとのことでしたから、そのうち会えるだろうと思います。集合場所には、少し早めに着いたのですがはたして彼女たちは時間に対してどうだったか思い出せませんでした。妻はきっと早めに来るというのですが…定刻の10分前くらいに山梨からの一人を見つけました。若いときのイメージしか残っていませんでしたが、直ぐに少し老けた(しかし、きりっとした美しさがある)彼女に慣れました。もう一人はということになったのですが、葛西からですから地下鉄から来ると三人は思い込んでしまっていてそちらばかり見ていました。12時を10分回ったところで双方が同時に携帯を鳴らしたところ反対方向に見つけました。12時の10分前より来ていたということでした。やはり若いときのイメージと現在とのギャップを埋めるのに少しの時間はかかるものです。外で会っても即座に分かるものではないということです。

 さて、昼食の会食をしようということでしたので、事前に私が調べておいた「東京ガーデンパレス」というホテルのレストランに向かいました。ランチをゆっくり取れそうな場所という条件にはピッタリで一応午後2時までとなっていたのですが、他にもお客が何組も残っていたので2時半まで粘りました。値段はお手ごろだったのですが味がイマイチ、三菱一号館美術館のCafe1894のランチプレートの方が良いとは分かっていたのですが、そこに来てもらうわけにもいかず、これは仕方ないことです。

 話は昔のこと、その後のこと、家族のこと、仲間のその後のこと、現在していること、…といろいろ楽しい話はつきませんでした。山梨の彼女はワインを、葛西の彼女はアイスランド(旅行で買った)チョコレートを、私たちからは笹かまぼこをそれぞれお土産にと出しました。近いうちにまた再会をと約束して別れました。

その他ショッピング

 東京駅からの帰りの新幹線は4時半、それまでの間少し時間がありました。実は、初日も息子たちとの待ち合わせの前に若干時間があり、八重洲地下街を歩きました。妻が毎回行くアクセサリーの店へ行くのですが、私はその間、近くの別の店に入っているのです。但しいつも後で呼ばれて必ず買い物に付き合わされます。今回はそれがなく逆に私が入っていた「森のギャラリー」という店に入ってきました。私は何点か気に入ったものがあったのですが荷物になるので帰りにと考えていました。その帰りにまたこの店に寄りました。来客時にその目の前で使う「竹製のまな板」とカメの形をした明かり入れの焼き物(東南アジア製)を買いました。妻も漆塗りの食器やお盆などを買いました。駅ナカでは駅弁大会のようなことをしていたので覗きましたが、結局別のところで夕食用のお弁当を買いました。留守宅の義父母へは美味しそうなケーキを買いました。これが持ち運び注意という代物でして、これだけを妻が持つことになりました。(勿論自分の荷物は持ってもらいますが)今回はお土産(ワイン2本など)他にも様々な荷物が最終的にかなり増えてしまいました。それで近々旅行をするもので大きなキャリーバックを購入し、そこに荷物全部を詰めてしました。毎度のことですがこの重たい荷物はいつも私が担当ということになります。

 こうして二日間の多目的TYO東京を無事終えて帰宅しました。中身がぎっしりで、大変充実したものになりました。

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