触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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ブックレット が出ました。!

栗原教育市民の会ブックレット NO.1 が出ました。

「ゆきとどいた教育を栗原の子どもたちに」
 
 「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」(略称:栗原教育市民の会)は、2009年(平成21年)9月に 「宮城県栗原市で学ぶ子供たちが、ゆきとどいた豊かな教育環境の下、健やかに育つようにとの希いから、市民・PTA・地域等と連携しながら、栗原の教育について、考え・語り合い・行動する」ことを目的として、3つの団体と市民30名で設立されました。

 以後、『栗原教育市民の会』は、会員相互の学習会や市民参加による「考える集い」、栗原市教育委員会の傍聴などの活動をして参りました。

 特に、2008年2月に栗原市教育委員会が決定しました「栗原市立学校再編計画」の幼稚園・小中学校統廃合計画や金成小中一貫校計画については、様々な観点から学習と検討を重ねて参りました。

 この小冊子は、『栗原教育市民の会』の結成後、半年間の主な活動内容です。

 皆様から購読のご感想やご意見をお寄せいただければ幸いです。



< 主な内容の紹介 >    

○ 設立総会記念講演―                    

 「教育費の無償化は世界の流れ!日本はどうでしょう?」    

○ 高校教育費無償化に向けて

○ 第1回学習会(小中一貫校問題)               

○ 山本由美(和光大)教授の講演録 

 栗原市金成の小中一貫教育の問題点(含む品川の小中一貫校の報告) 

 主な質疑応答・意見交換の紹介

○ 町村合併と栗原市の学校統廃合の現状(小中一貫校を突破口にした学校統廃合計画)

○ 栗原市教育委員会教育長との懇談会              

○ 「栗原市立学校再編計画」の地域での合意形成のあり方について  


発行/ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会   

<連絡先/宮城県栗原市栗駒文字葛峰37-3 鈴木 健三 TEL・FAX 0228-47-2932>

2010年6月16日発行  頒布価 300円

送料 メール便で80円です。(1冊の場合、切手で380円分お送り下さい)

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アンコールワットとベトナムに7日間旅行 

<家族> ライフ

アンコールワットベトナムに7日間(5/25~31)旅行      

2010.6.9

はじめに(旅に出るまでに…)

 この4月に妻が名実ともに完全退職しました。妻は、この1年間、となりの大崎市(古川)のマンモス校に週に2日だけ退職再雇用の講師をしていました。たった2日だけでしたが随分大変だったようです。宮城に帰ってきてから25年ほどずっと小規模校でゆったりとした教育をしてきたものですから、まだ余力があったのでしょう、この1年間は勤め上げました。しかし、大規模校は、問題が山積。妻は、講師といえども経験は十分ですからスーパー派遣のような仕事をしていたようです。おかげで私はこの1年間、ずっと妻のグチの聞き役でした。

 妻の昨年1年間は完全退職の助走期間みたいなものでした。私がもう10年近く前から始めていたプール通いと体操教室に一緒に参加するようになり、図書館の関係もボランティアにはまだ参加していませんが、ストーリーテリングの勉強会も勧めたら一緒に参加するようになりました。完全退職した4月からは、それに加えて、隣の一関市まで行って屋内テニスをするようになり、更に最近、詩吟も始めました。妻の実父母が隣に住んでいて、その世話は結構大変ですが、ほぼ、まるまる一週間が計画的に使えるようになってきました。

 そこで、海外旅行をということになるのです。昨年も4月にソウル、11月にイタリアと2度も行っているのですが、この4月からは、より日程の調整がつきやすく(つまり安いパック旅行が選べる)なったというわけです。それに今は同居の父母が比較的元気で、1週間ほど家を空けても妻の妹たちのサポートもあってなんとかなるのですが、この先、それが何時まで続くか分かりません。この際、貯蓄を切り崩しても行ける時に遠くの海外に行ってしまおう、そのかわり普段の生活は質素に節約しようと、私たち夫婦は決めています。

  実はベトナムは、4年前に行くことになっていたのですが、その直前に私の方の東京の母が亡くなりました。旅費は殆んど戻ってきませんでした。今回も出かけるまで気が気ではなく、妻の要望で1時間も早く家を出てしまいました。

今回もまたパック旅行で

 東南アジアは、タイ、韓国に続き3カ国目、同方向では、アジアではないのですが、グアムには行っています。だいたいどこも英語で用件を済ませますが、現地でのアクセスがしっかりしている国(欧米など)は初めてでもあまり心配ないのですが、そうでないとやっぱり手軽なパック旅行の利用ということになります。今回のはじめてのカンボジア、ベトナムということでそうしました。それで、阪急交通社(トラピックス)の成田からの往復直行便(ベトナム航空)利用で全16回食事付、日本からの添乗員同行の「感動のアンコールワットと魅惑のベトナム2都物語7日間」というコースにしました。

 一行はツアー客22人とバス移動や全体掌握に丁度良い規模。成田9時集合ですから、今回は千葉駅周辺で前泊(JRのTYOを利用するとホテル+往復が格安)。私たち以外今回は全て首都圏の方々でした。年齢的には、1組の大学生カップル以外は、60歳以上で、70歳前後が最多でした。ですから去年のイタリアは同世代の夫婦が最多でしたが、今回、私たちは若い方でした。親の介護をしている方もいましたが、ほとんど一段落し、年金でも団塊世代と違って、満額出ている最もリッチな世代の方々でした。ですから、海外はもう十数回は、当たり前、中には30回近くの夫婦もいて大先輩達でした。それに加え、夫は、会社経営をしていた(している)とか、技術者としてもう何十回も海外に行っているという方が多くいました。

 添乗員は、この会社では初めての男性、31歳のEさん(経験7年)。何故男性かは、旅行して分かりました。それは暑さなどの気候、衛生状態、少しハードな移動など女性添乗員では、少しきついと思われました。

<旅行日程>

第1日目(5月25日)成田空港 11時発―(5時間30分)機内食-ハノイ空港―専用バスで200キロ、4時間かかって移動、途中で陶器の村バッチャンへ-ハロン湾着(ホテルへ 夕食はベトナム鍋料理 泊)

第2日目(5月26日)ハロン湾―ホンガイ地区観光(バイト山、龍天寺、ホンガイ教会、ハロン市場)昼食(フォーやベトナムの揚げ物)-ハロン湾サンセットクルーズ(+鍾乳洞、水上生活の筏船家、船上でハロン湾海鮮料理の夕食 5時間 )―水上人形劇鑑賞―ホテルへ(連泊)

第3日目(5月27日)ハロン湾―専用バス 途中で刺繍工場見学(4時間)-ハノイへー昼食(チャーカーなど北ベトナム料理)―ハノイ市内観光(ホーチミン廟、一柱寺、旧市街散策、ホアンキエム湖)-ハノイ空港―カンボジアのシュムリアップへ(1時間45分、但し出入国に時間がかかる)-シュムリアップ空港―ホテル(夕食はアモックなどクメール料理 泊)

第4日目(5月28日)シュムリアップーアンコール・トム観光(南大門、バイヨン、パブーオン、象のテラス、ピミヤナカス)-タ・ケウ、タ・プロムー昼食(中華)-ホテルで休憩―アンコールワット観光―プレループ遺跡からの夕日鑑賞―アプサラダンスショーを見ながらの夕食―ホテルへ(連泊)

第5日目(5月29日)早朝にアンコールワットの朝日鑑賞へ(雲が多く×)-アンコール遺跡群観光(バンテアイ・スレイ、バンテアイ・クディ)-昼食(クメール料理)-ホテルで休憩―オールドマーケット散策―アンコールクッキー店―シュムリアップ空港―ベトナムのホーチミンへ(約1時間)-ホーチミン空港―夕食(バインセオや生春巻きなど南ベトナム料理)-ホテルへ

第6日目(5月30日)ホーチミンーミトーへ(2時間)-メコン川クルーズータイソン島下船(果樹園見学、ミニ・ジャングルクルーズ)-昼食(ミトー郷土料理)-ホーチミンへ(2時間)-ホーチミン市内観光(ベインタイン市場、統一会堂、サイゴン大教会、中央郵便局―ホテルへー夕食(サイゴン蟹づくし料理)-ホーチミン空港

第7日目(5月31日)ホーチミン空港―(5時間45分)機中泊―成田空港(朝の7時50分着)

 前半(北部ベトナム)-少し前の日本に戻ったような…

 旅行の前半は、ハノイを中心とする北部ベトナムです。現地ガイドは、30歳代まで独身男性のFさん。この北部は、全体的に何か昭和30年代の日本に戻ったような感じがしました。夜になると極端に明かりが少なくなってしまいます。それでも、軒先や公園などいたるところに家族や親戚・友人などが薄暗い中でも集まっていて楽しそうにやっていました。自動車はまだ少なく、ホンダを中心とするバイクが庶民の足。信号機をほとんど見かけません。3年前からヘルメットが義務付けられましたが、それでも交通事故死が日本(現在5千人ほど)の数倍。但し自殺者は少ないとこことでした。農業は機械化されておらず水牛が大活躍。稲作は2期作以上で、丁度一部でもう大勢で稲刈をしていました。人手もたくさん要ります。いたるところが建設中で、家を建てるためのレンガやコンクリートがあちこちに、それも地震が無いとのことで間口2間ほどと狭く、奥行きがあって、高さは3階が最低で、4~5階も多くしかも安普請?

 ハロン湾は、1994年に世界遺産にされた松島を大きくしたような風光明媚なところで、リゾート開発がどんどん進んでいました。ホンガイ教会は、フランスが植民地化のためのキリスト教布教の最前線とした歴史的遺産でしたが、北爆で破壊、世界遺産指定後に再建されたものでした。(アメリカは京都・奈良などは避けたのに…)

  水上生活の筏船家を訪ねましたが、彼らの祖先は元寇の時、多くの岩々に隠れ、それを迎え撃ったといいます。北爆では島の洞窟へ避難したということでした。生活は厳しく、世界遺産指定後は、観光客が増え、そのための魚の養殖を筏の下に、いけすを作ってやっているということでした。そうした水上生活の民が村を作っていて学校も在りました。

 どこへ行っても30歳前後の若い人たちが多い。1975年にベトナム戦争終結し、その後に生まれたベビブーマーたち。Fさん自身もそうです。たどたどしいが大変上手な日本語で「僕らは、戦争を知らない子どもたち」といっていました。ハノイの街中でも農村でも、なかなか老人を見つけることができませんでした。(私たちと同じ世代の多くが戦争で殺されている)

  2日目の夜、ガイドのFさんの勧めで案内されて、私たち夫婦と添乗員のEさんの3人だけのお客でしたが、マサージを受けに行きました。何しろ1時間半で20ドル(約1850円)だというので、まだ旅は始まったばかりなのですが出かけました。私は男性を指定したら、21歳の青年が担当してくれました。妻には同年齢の女性が、Eさんにはもう少し年上の女性が丁寧なマサージをしてくれました。この青年がともかくよく喋るのです。1時間半のうち1時間は私と喋りっぱなし、父親が私と同年齢だということもあるのか、英語と日本語を交えての次から次へと私に質問責めです。私も仕方なく日本語と英語を組み合わせて応戦。妻や若い女性も時々巻き込んでです。私はマッサージなど受ける時は、グイグイやられるのですから普段は無口になるのですが、まあ、仕方なくの応戦です。質問は、日本のこと、日本語のこと、それを英語にするとどうなるかと…もう、大変な好奇心、知識欲でした。でも力強いマッサージを受け、体も楽になってリフレッシュし、話し好きの青年の相手もそれなりにできたので良い気分になりました。ガイドのFさんもそうですが、本当にこの北部の若い人は勉強熱心だと思いました。

中盤(カンボジア)-世界遺産の活用と国の再建へ

  アンコール遺跡群の観光拠点になる町―シュムリアップを基点として動きました。ここでの現地ガイドは今度も30歳過ぎくらいの男性Pさん(既婚、病気の母と同居)彼の日本語は日本人より上手でした。慣用句、いいまわし、例え、方言、などかなり詳しく知っていましたし、勉強し続けていました。それにはツアー客全員が驚かされました。それによってアンコール・ワット、その他のアンコール遺跡群の理解がより深くできたのではないかと思われました。

  アンコール遺跡群は、9世紀から15世紀にかけてインドシナ一帯を制圧したクメール王朝の首都跡。アンコール・トムは都市名であり、アンコール・ワットは、別にある一つの寺院。ヒンズー教から仏教に変わる過渡期の遺跡群です。一般的には19世紀末にフランス人に発見され世界に知られましたが、ガイドのPさんによれば、原住民は知っていましたし、中国の学者(名前?)によって評価されたのが最初、日本人も江戸時代には(インドだと思って)来ていて印を残していました。内紛、ポル・ポトの粛清、そして戦争へとつづき、平和が訪れた1992年に周辺の遺跡群とともに世界遺産に登録されました。それまでの間、そこにあった財宝や仏像(特に頭だけ)が持ち去られました。ポル・ポトには、遺跡そのものも一部破壊され、現在、日本を始め世界各国の支援で修復がいたるところで行われていました。

  カンボジアは、現在のところ、世界の最貧国の一つであることは間違いありません。北部ベトナムもかなり貧しい人々が多いと感じましたが、ここは更にそれ以上に貧しい。一般庶民の高床式の家は、かなり粗末なものです。公務員の給料が安く、教師も警官もそれでは食っていけないということです。ガイドのPさんも担任教師のやっている塾に離婚した(一夫多妻制が残っている)母からお金を貰い通っていたといいます。(教師は塾で小売店を開らきながら、商売の合間に教えていたと)そうしなければテストに合格しなかったということでした。プレループ遺跡からの夕日鑑賞に行った時、遺跡の高いところから何とか一部夕日を見ることができました。下のほうには物売りの子ども達がいますが、そこには青年くらいしか登ってこられません。ふと隣に制服を着た若い男性が近づいてきて警官バッチのようなものを出して、買えというのです。私はてっきり偽物だと思って断りました。後でPさんに聞いて本物と分かりました。紛失したといって再発行してもらうのだそうです。10ドル位だったか?空港を出る時にも、審査官がボールペンを貸せというので貸したら使用後には「ギブミー」ときました。無いと困るので断ったら、あっさり返してくれました。

  世界遺産の遺跡には外国の観光客は、写真を撮りパスポートみたいなものを作り、それを見せて入ります。(国民は無料)1日券が20ドル、3日券が40ドル、6日券が60ドルだったと思います。観光客は、年間数百万人ですから大きな国の収入源です。遺跡には現地の人々は顔パスで出入りし、商売をしています。付随するおみやげ屋、飲食店、宿泊ホテル等など観光産業は大きな発展をしています。貧しい現地の人は遺跡周辺からその中、途中の休憩所などに物売りにたくさん来ていました。その中では特に子ども達が多いのです。Pさんによれば公務員の子が多いとのことでした。学校は2部制ですから、何時いても不思議ではないのですが…その子たちに何十メートルも付いてこられ、つぶらな瞳で見つめられると日本人観光客は弱いのです。ついつい、根負けしてしまい、あれこれと買ってしまうのです。(私も)妻などはその中に気に入ったものがあったらしく、ある休憩所で肝っ玉母さんが仕切る路上販売であれこれと買ってしまいました。周りの人まで買うので1回に売り上げが数十ドルにもなってしまいました。そうしたらもう、大興奮!お父ちゃんにいろいろ持って来させたり、子ども達にも客にいろいろ品物を見せさせたりと大忙しでした。Pさんがいうには、この家は、今晩は大宴会、これで数日は暮らせるとのことでした。Pさんは初め、もっと安いところを紹介しますといって、この種の物売りに付き合う必要はないといっていました。しかし、そのうち、それがその人たちの生活を支え(子どもも稼いで)るので「どうぞ」と容認するようになりました。子どもたちは、観光客が買わないと日本語で少し憎まれ口をいいますが、その後は屈託が無く、あっさりしたものです。何か楽しそうに商売しているという感じでした。

  5日目に行ったアンコールクッキー店は、日本人の女性が日本語教師として移り住みその後、現地の人たちのため起業したものでした。前日立ち寄ったお店にも日本人スタッフ(女性)がいて、日本人を含む外国のNGOなどの支援事業の製品が売られていました。カンボジアには、多くの世界各国からの援助が、それも政府だけでなく、民間、NGOなども含めてあるのにベトナムよりもっと貧しい。その辺のことについて、Pさんは、移動中のバスの中で、カンボジアとインドシナの歴史、ポル・ポト時代、ベトナムとの関係、現政権が長期になって腐敗、利権、独裁化(世襲化も)しているという話をしてくれました。

  1960年代、ベトナム戦争により国内は不安定となったものの、シハヌーク政権時代には爆撃・内戦は激化しておらず、首都プノンペンを中心にインフラ整備も進み、食糧は輸出するほど豊富で大量の国内避難民も発生していなかったといいます。それがベトナム戦争の激化とともにアメリカが介入し1970年クーデター発生(ロン・ノル政権に)。その後それをシアヌークが毛沢東思想の影響を受けた極端な原始共産制(といわれているが?)をとるポル・ポトと結び倒す。しかし、シアヌークはお飾りにされ、ポル・ポトが実権を握り、それで100万人ともいわれる(300万人説も?)大虐殺・大破壊が行われました。その後もベトナムの介入、そのベトナムへの中国からの侵入、とこのインドシナは戦禍が続きました。その中で、この国の内戦・崩壊状態に国連が関与してようやく国の再建が進められています。

  しかし、現実のカンボジアをPさんの説明を聞いたり、自分の眼で見ると問題が山積しています。適切な医療知識が普及しておらず、外国の援助で無料の子ども病院(シュムリアップにはスイスのものがあった)があるが医療体制の遅れは決定的。水汚染の深刻化(中国からの重金属汚染か?)モノがまだ豊富でないのに環境悪化が急激に進んでいること。このように国の再建が遅れてしまっているようです。

  ベトナムはドンモイ(改革開放)に転換したとはいえ、社会主義国であり、カンボジアは遅れて戦火が止んだとはいえ、一応、民主的な選挙(日本も絡んで)も行われている資本主義国のはずです。ベトナムにも腐敗・汚職、貧富の差など政治がらみの問題はいっぱいあります。でも、Pさんも認めているようにカンボジアよりも社会に、若い人たちに活力がありました。やはり、Pさんがいっているように政治に大きな問題があるようです。

  Pさんとはこの移動中のバスの中で私ともう一人私より少し年上の男性客の3人でちょっとした論争(勿論、日本語で)になってしまいました。ベトナムとの関係、ホーチミンについての見方などでした。今、考えればカンボジア人ならPさんのように考えても不思議ではないとは思って自分の言ったことを反省しています。それにしてもPさんの自分の国を思う気持ちには、観光客全員が感動してしまいました。

後半(南部ベトナム)―若者が多く活気が…

  この南部ベトナムは、北部とはちょっと様子が違いました。まず、5日目夜にホーチミン空港についたのですが、上空から見たホーチミンの夜景の美しいこと、ベトナム航空も室内灯をしばらくの間消してくれました。ハノイの明かりの極端に少ない夜とは対照的でした。土曜日の夜ですが、街中をバスで行くとまわりはバイクでいっぱい、それも2人乗りは少なく3人乗り、4人乗りまで(子どもを何人も乗せる)。中にはペット乗せもいました。それにみんなオシャレなヘルメットをしていました。勿論、ハノイと違って信号はあちこちに、それでも車の間をすり抜けてどこでも進入してきます。歩行者が道路を渡るのは一苦労でした。オシャレなお店、ファーストフード店も多く、バイクと車の違いだけで日本の大都会とあまり変わりません。いや、日本よりも若い人たちが圧倒的に多く、活気がありました。

  6日目はホーチミンからさらに南下、メコンデルタのミトーへ。現地ガイドは今度も男性のTさん。40歳から50歳位か?ガイド慣れしているようで、気遣いはしているのですが、時々、笑えないジョークを飛ばします。(彼は笑わせているつもりでしょうが)前のFさん、Pさんに比べて、最後まで私は親近感が持てませんでした。南部ベトナムは、北部と違って家のつくりが画一化はされておらず、少し粗末です。北部には、四季があるのですが、こちらはいつも夏です。Tさんによればだから南部のベトナム人は働き者でないとのことです。北部に比べ、ここはモノが豊富で街に溢れているという感じです。市場もハロン、ハノイ、シュムリアップと見て来ましたがホーチミンのベインタイン市場が、モノが豊富で一番にぎやかでした。しかし、ホーチミンの街の隅々やミトーへ行く途中の街道付近でも廃棄物、汚染などいたるところで見られました。北部はまだこれからなら環境汚染や、住環境の悪化を食い止め、改善できる段階だとすると、ここは、こう手遅れか、かなり困難!といった感じでした。メコン川、タイソン島も観光地化されていますが、ともかく汚い!これ以上悪化すると観光地としても致命的になってきそうです。

  6日目の午後、統一会堂に行きました。ここは、かつての南ベトナムの大統領官邸。屋上には大統領が狙撃されたヘリコプターが置いてありました。ここは、その前はフランス官僚のために建てられたものだったということです。サイゴン大教会、中央郵便局もフランス統治のために建てられたものです。

  北部もそうでしたがここも老人が少ない、目立たない、そして、若者が多い。違いといったら南部は、よりアメリカナイズ(アメリカの企業進出も)されている感じでした。米軍に侵攻され多大な被害を受けたにもかかわらず、クリントンは大歓迎、ブッシュも大歓迎されたというのです。無差別な北爆や皆殺しの戦争犯罪の追及、枯葉剤などの被害賠償・補償を請求してもおかしくないのに?ちょっと私には信じられませんでした。政府・国民とも親米的なのはどうしてなのか?実は、Tさんも息子はワシントンに、兄弟がカルフォルニアにいるといいます。ホーチミンの市民の多くはアメリカに親戚・兄弟・子弟がいるとのとこでした。戦争末期に、アメリカへ南ベトナムからは82万ものベトナムの難民が行ったということですから、それから特にドンモイが始まるまでの戦後は彼らからの仕送りが支えた(今も?)ということです。さすがに今は合法的出国(1995年に国交回復)ですが、審査は厳しいとのことです。

  しかし、このアメリカとの関係は、日本も安保条約や沖縄の基地問題などだいぶおかしなことがありますが(広島、長崎への原爆投下、戦争末期の各地への空襲なども)ベトナムの場合は、ベトナムに非が一切無いため、もっとおかしいことです。課題としては、ずっと残ってしまいます。(しかし、年寄りは、次第に亡くなっていくため時間との勝負になってきます。)

食事、食べ物、食材など

  前回のイタリアに引き続き今回も全食事付でした。イタリアは期待はずれでしたので、今回はそれほど期待していなかったのですが、、ほぼ満足できました。ベトナムもクメール料理もそれほど大きな違いは無いのですが、ベトナムは北の中国、クメールは、西のタイの味付けが混ざっている、ブレンドされている感じでした。日本人の口に合う味付けです。ただ、個人的にはタイ料理は、何を食べても同じような味がして最後にはあきてしまったので、?ですが、今回それは、シュムリアップのホテルでの夕食だけ(ブレンドされていて)で気になりませんでした。しかし、妻はそれのメインディシュが苦手な川魚料理でしたので、遠慮してしまいました。食材は地元でとれるものですから、肉あり、海鮮ありで、何よりも野菜をふんだんに使っているので大変嬉しかったです。ただ、暑いところのはきゅうり、ピーマンなどの野菜は大きくて大味でした。お米(特に白米)はやはり日本米とは比べようがありません。チャーハンにすれば美味で問題ないし、美味しいおかずをベトナム米でも上にかけて食べればこれも問題ありません。果物は種類も多く豊富でしたが、これも日本の果物の方が美味しいですし、同じ物でも日本に輸入されたものの味の方が何故か良いように感じられました。

  ベトナム料理で前から食べていたのは、2人とも大好きなフォーと生春巻きです。フォーは、旅行中何回も出てきて、その都度食べてみました。やはり美味しいです。フォーの本場での食べ方、味付け、トッピングなど今回、色々と試すことが出来ました。これは是非とも我が家でもやってみようと思っています。生春巻きは2ヶ所で食べました。しかし、これは素材とタレをどうするかで決まるようであまり参考になりませんでした。(娘の作ったものの方が美味しい)

  今回、食材や食べ物で購入したのは、カンボジアで粒コショーとナッツ入りクッキー、ベトナムのタイソン島でココナッツ入りキャラメルとハスの実のお菓子とスモークバナナチップ、ホーチミンのベインタイン市場でベトナムコーヒーです。コーヒー中毒の私は、このベトナムコーヒーなるものが旅行に行く前から気になって仕方がなかったのです。ベトナムに来ても、北部では全く出てきませんでした。ようやく最後の方のホーチミンへ来て出てきました。「小さなカップに入れた非常に濃いコーヒーに、コンデンスミルクのようなものを入れてかき混ぜ、チビチビと時間をかけて飲む」のだそうですが、出されたものがそれほど濃くなかったのか、ミルク?無しで飲んでしまいました。(いつもブラックで飲んでいるので)まあ、豆も器具も買ってきたので我が家で入れてみます。

近くて親日的な国々、インドシナ諸国を考える。

  インドシナ諸国は、今回訪れたベトナムとカンボジア、以前に行ったタイ、それにラオスとミャンマーです。訪れた3国は近くて大変親日的でした。黄色人種、モンスーン気候、米作、仏教など共通点が多くあります。インドシナ半島のこれらの国々はインドと中国の二大文明が接する位置にあり、歴史的にこの周辺大国の政治や文化から絶えず影響を受けてきました。ベトナム自体、北部は、中国から南下してきた人々、南部はインドから来た人々から成っているといっていました。また、この中でカンボジアのクメール王国が早くから大きな勢力地域を占め、続いてタイ王国が勢力を伸ばし、カンボジア、ラオスと衝突するという歴史が続きました。ベトナムは中国の支配から独立し、カンボジアへも進出するようになっていきました。そこへフランスが出てきて1887年ベトナムを植民地化しました。続いてカンボジア、ラオスを保護国とし事実上の植民地とし、そのフランスの支配の方法はベトナム人を用いるというものでした。だからカンボジア人は、ベトナムに対する反感が強いのです。ガイドのPさんもそうでした。

  本当に陸地続きの国々というものは大変厄介なものです。世界中で上手くいっていないところがほとんどです。中国もポル・ポトを支援したり、カンボジアとベトナムが戦争になると懲罰だといってベトナムに攻め入りました。そして、アメリカはフランスにとって代わってこの地域に介入してきたのです。このフランス、中国、アメリカのこの地域の戦争、戦禍、内乱などや全てのこの地域に暮らす人々の不幸に対して責任があります。

  また、日本にも責任があります。日本の戦争末期のベトナム支配、1940年~45年と短い期間でしたが多大な被害(現地調達を行ったため200万人の餓死者を出す)与えています。

ベトナム、50年間続いた戦闘、平和になった現在、まだまだ課題が…
カンボジア、内戦、大量虐殺、国の崩壊、国の再建が始まっていますが…
タイ、貧富の差、首都が騒乱状態に、民主主義の定着が難しい国です。
それに比べて、日本のこの65年間の平和は大変貴重です。平和は何物にも変えられません。

  これらの国々、そこに住み生活する人々と日本の、政府、企業、民間、NGO、個人とあらゆるレベルでのかかわりが大きくなってきています。これらの国々は、世界遺産などへの観光が大きな産業に、人々の生活を成り立たせるものの大きな一つになっているし、もっと大きくなっていきます。しかし、遺跡の保存だけでなく、周りの環境の保全・確保、回復が行われなければ世界遺産に危機、観光の危機になって行きます。またそれはその国々の人々の暮らしの環境を良好にすることに繋がっていきます。特に水資源の危機は深刻です。ここに日本の果たす役割があるのではないでしょうか。平和ということについても日本は、この地域の平和構築に積極的に関わるべきです。

  まだまだよく知らないこれらの国々、これからも私は、これらの国々、まだ訪れていないミャンマーとラオスも含めもっとよく知っていかなければと思いました。

  最後に、ホーチミンのガイドTさんが言ったことが大変、気になりました。「ベトナムのネンパイシャ、おおくが、し(死)にました。それがあって、いまのワカモノたちが、カツヤクしています。ニホンはネンパイシャが、おおくイキている。それで、ワカモノたちに、ゲンキがない。」続けて彼は、「だから、みなさん、ベトナムへ、いて(来て)ほしい」「そして、おカネ、おとしてほしい」まあ、随分勝手なことを言われてしました。この老人(年配者)と若者の問題、日本の我々年配者はもっと積極的に日本の若者たちと係わっていかなければと思いました。

   <写真集> 

5月25日 陶器の村バッチャンの街角

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5月26日 ハロン ホンガイ教会

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5月27日 ハノイ旧市街の市場

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5月27日 ハノイ街中

13km

5月27日 ハノイ ホーチミン廟

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5月28日 カンボジア アンコールワット

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5月29日 カンボジア アンコール遺跡群 バンテアススクイ

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5月29日 カンボジア シェムリアップ 民家

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5月30日 ホーチミン 統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)

207ha

5月30日 メコン川ジャングルクルーズ

926ys

5月30日 ホーチミンの街外れー環境汚染

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5月30日 ホーチミン街中

968he

5月30日 ホーチミン中央郵便局より 市内にこうした老夫婦はあまり見かけなかった。

402hz

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