触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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<子どもの本シリーズ15>

<子どもの本シリーズ15>               2010.11.28

ストリーテリング勉強会(11/28)での発表  

(NO.28) かにむかし

わらしべ長者―日本民話選 (岩波少年文庫) 木下 順二 (著) 赤羽末吉(画)より

<内容の紹介> (出版社の紹介より)

 むかしむかし、かにが浜辺に出たところ、砂の上に柿の種がひとつぶ落ちていた。かには喜んでその種を家の庭にまき、毎日毎日せっせと水をかけ、こやしをやっては「はよう芽を出せ柿の種、出さんとはさみでほじり出すぞ」と唱えた。すると、ほじり出されてはたまらないと思った柿はやがて小さな芽を出した。かにが熱心に世話をして、柿の木は大きくなり、たくさんの実をつけたそう。それを見ていたのは山の上のさる。さるはさっそくやってきて、かにに話しかけた…

 おなじみ『さるかに合戦』の物語。墨絵を想起させるイラスト(絵本は清水 崑が絵)が、日本情緒たっぷりに、このよく知られた昔話を描きます。かにとさるの会話は、方言まじりの温かい響き。「かにどん、かにどん、なにを しちょる」とさるが尋ねれば、かには「おら、やっと柿の実が熟れたで、はようはい登って もごうと思うが、気がせくもんで……」と言った具合です。

 意地悪なさるをこらしめようと一致団結するのは、かにの子供たちと栗、蜂、臼に、はぜ棒と牛の糞。この一団がさるの家めがけて進む道中は、がしゃがしゃ、ころころ、ぶんぶん、ぺたりぺたり、とんとん、ごろりごろり……と大騒ぎです。次々と仲間が加わり、擬音語がにぎやかになっていくところが楽しいですよ。

<お話のリストー東京子ども図書館>の紹介より

 言葉のひびきがとてもいいので、幼児向きの話だが、年齢を問わず多くに子どもに喜ばれる。
はじまりは、特色のある語り口を生かして、思いきってゆったりと。柿の種や、芽に話しかけるカニのことばは、まをとって、うたうようにていねいに。

 カニがサルに殺されるまでと、子ガニが親の仇討ちをするまでと、話が二段に分かれているが、前半にあまり力を入れすぎぬよう、じょうずにバランスをとって、みんなでサルをやっつけるクライマックスで、いちばん話が盛り上がるようにもっていくこと。最後のパンパン栗がはね返ってから、臼が落ちてくるまでは、一気に語りぬけるように、充分練習したほうがよい。

 聞き手と呼吸が合うと、子ガニと、パンパン栗や蜂、牛の糞とのやりとりなど、とてもたのしく、最後にサルが「平とうへしゃげてしもうた」ところで、大満足となる。

<はじめて人前で、話してみて>

 大きめの絵本(清水 崑の絵)を子どもたちに読み聞かせたことは、何度もあるのですが、ストリーテリング(す話)でするのは、はじめてでした。かにむかし、さるとかに、さるかに合戦、とかなりな数の絵本、それにそれらのもとになっている各地の昔話があります。それらの全てに目を通してはいませんが、おはなしでするのなら私は、これがベストだと思っています。

 元々は劇作家の木下順二氏は、佐渡の昔ばなしを元にしてこの「語り口」を非常に大切にした民話を書いたようです。そして、この単行本の「わらしべ長者」(現在は岩波少年文庫で)の内容と絵本の内容とでは、細部が少々異なっているところが何ヶ所もあります。そのいきさつはよく分かりません。そして、絵本の方の難点として、最後にサルが痛めつけられるところで、絵だけの見開き場面が先にあって、文章は次のページになってしまっているところがあります。リズミカルなこの民話の「語り口」を充分に生かすには、やはりこの作品はストリーテリング(す話)に限ると思います。

  さて、私が話した結果は?、1ヶ月くらい前からコツコツと準備をしてきましたが、まだまだでした。前半のカニのしぐさの繰り返しでダブってしまったり、(途中で修正しましたが…)擬音語の1つを間違えて(頭からすっ飛んでしまい、シラを切って別の言葉でごまかした)その2回目に修正したりと散々でした。しかし、後半は気を取り直し、最後のクライマックスにもっていくまでノーミス、それに一気に勢いよくでき、話は盛り上がりました。所用時間は10分でした。目安は10分ということです。ですからそれで良さそうですが、前半をもう少し、丁寧に、正確にやり切って、結果が、10分~12分にすべきだと思いました。

 それにしてもこの話しをするには、かなりのエネルギーが必要です。子ガニと、脇役のパンパン栗や蜂、牛の糞とのやりとりも練習中にはもう少し特徴付けてできたのですが、本番では少しトーンダウンしてしまいました。今回は、お話しするイメージは、だいぶ膨らませて臨むことができたのですが、まだ充分に生かされていません。体調を整えて臨むことも大切だということも、今回よく分かりました。完成までにもう少しのところまできているので、再チャレンジをし、それを子どもたちの前で、できるところまでもって行こうと思います。

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「千葉あおぞら裁判記録集出版記念祝賀会」

11.17 「千葉あおぞら裁判記録集出版記念祝賀会」
にかけつけて
   2010.11.24 

千葉からの案内が…

 あれは確か10月の初め頃だったか、私の元に千葉から一通の案内が来ました。その「千葉あおぞら裁判記録集出版記念祝賀会」の案内には、

ーかつて大型の環境・公害訴訟としてとりくまれた千葉あおぞら裁判(千葉川鉄公害訴訟)、その訴訟も1992年の東京高裁での和解からすでに18年が経過しました。訴訟団事務局では、訴訟記録と映像をまとめて2枚のDVDを完成させました。そして、記録集最後の新聞記事特集が10月中旬にはできあがります。これらの記録集を完成させて、千葉川鉄公害訴訟団は訴訟団としての役割を事実上終えることになります。つきましては、…「千葉あおぞら裁判記録集出版記念祝賀会」を…開催します。―

とありました。これには次に詳しく述べる恩師・稲葉先生のの米寿記念出版の会に出席しなかったためもあり、即座に出席の返事を出しました。

恩師の米寿記念出版の会と告別式に駆けつけられず…

 その少し前の8月29日に、この千葉あおぞら裁判の原告団長であり、私たち夫婦の仲人でもあった稲葉先生の「稲葉正先生の米寿記念出版の会」を開催するという案内が、朝生先生などから知らせてきました。朝生先生は、原告団事務局長であり、稲葉先生の教え子でもあり、元同僚でもあり、いつも稲葉先生の一番身近にいる稲葉先生が最も信頼していた方です。それでその米寿記念出版には私も寄稿しました。

それは、3月27日の記事「千葉川鉄公害とのたたかいー稲葉先生と出会い、行動した日々」
http://sugar5030.blog98.fc2.com/blog-date-201003.html にあるとおりです。当初は行くつもりでした。しかし、「稲葉先生ご自身は3月に転倒して入院中で出られない」との知らせを受け、それにいろいろこちらでの日程が込み合ってきてパスしてしまいました。その時の様子は、「予想を上回る70名以上の参加で和気藹々の雰囲気で開かれました。稲葉さんと関わった人々の輪が交流を深めました。あらためて先生の影響力の大きさに驚き、かかわられたみなさまのご協力に感謝申し上げます。」という朝生先生からのメールが届きました。

そして、読売新聞でこの本「自然の理法 究めんと」-稲葉正 不屈の人生―和泉書房 の紹介がされている  
http://www.inaba-shuppan.org/kiji/20100903asouyomiuri.jpg
ということでした。

そして、11月7日に「稲葉正先生が 11日7日 午前1:05 肺炎のため ご逝去されました。」というメールが(午前8:39)に来ていました。この日は一日仙台に行っていて、メールを開いたのが夜でした。その後、「11月10日にお通夜、11日に告別式」というメールが入りました。しかし、これにも参列できませんでした。私自身、先生がそれほど危ないという認識を全く持っていませんでした。千葉を離れて26年。その間に、何度か夫婦二人で千葉市蘇我の自宅をお訪ねしました。2年前だったと思いますが、その時は元気そうでした。しかし、よく考えてみると先生は公害病患者でした。最後は肺炎で、というのは「やはり、そちらで…」ということです。宮城県の県北と千葉、それに11日は私が行かないと流れてしまう企画があって、地元の現在を優先してしまいました。(後で後悔しています。)その告別式の様子がまたメールで伝わってきました。

―稲葉先生らしい「式」でした。 ユニークだったのはその後の「故人挨拶」。30分以上にわたった稲葉さんの人生最後の「講義」でした。稲葉さんの「遺言」挨拶は、「人間いつかはかならず別れの時が来る。地球(宇宙)に還る宿命なのだから、自然の摂理をそのまま笑って受け入れたい、楽しんで下さい」と言うものだったそうです。その後の話は浄土真宗の盛んな富山の出身らしく、親鸞や蓮如とその教えの本質について分りやすい彼の解説を語り、このお話を傍らに
置かれた大画面モニターに生前の先生の動画映像と共に流したということでした。―(要約)

 それは、朝日新聞千葉版でも紹介されています。
 URL: http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000001011120003

11.17「千葉あおぞら裁判記録集出版記念祝賀会」では

11月17日の祝賀会というのは、22年前の最初の判決の日(1988年11月17日千葉地裁)であるためです。それは、千葉駅近くの京葉銀行文化プラザで開催されました。私は、会場に少し早く着いてしまいました。会場前のロビーで待っていると次々に懐かしい顔が登場してきました。26年前に千葉を去ってからも、何度かは千葉を訪れていますから途中で何人かには会っています。しかし、まるまる26年ぶりの方も多く、風貌もすっかり変わって(それはお互い様ですが…)しまって、声を聴くまで分からなかった方もいました。患者友の会のメンバー、高校の先生方、医療機関のみなさん、弁護団のみなさんと法律事務所の若いスタッフ(この方々は初対面でした)それに自治体労組の関係のかつての私の仲間たち(仲間というより元委員長クラスの偉い方が多かったのですが…)後はメディアや出版などの関係の方々でした。総勢で100人程にもなったと思いますがそのほとんどの方は知っている方ばかりで本当に懐かしかったです。

祝賀会は、まず、冒頭に弁護団事務局のN君(法律事務所事務長)の司会によって、黙祷から始まりました。これを行ったのは、勿論、直近にあった稲葉先生の逝去のことがあったからです。しかしそれだけではありません。この千葉あおぞら裁判は1975年提訴以来35年か経過、一応の区切りである1992年の東京高裁での和解からも、すでに18年が経過しました。裁判途中でも多くの患者原告の方が亡くなられていますし、その後の18年間に、この裁判を支えてきた中心人物の一人の田畑 仁さん、学者で証人に立っていただいた吉田 亮先生、塚谷恒雄先生など多くの方が亡くなっています。これら全ての方々に対し、ご冥福を祈りました。

弁護団を代表して高橋弁護士が挨拶をしました。まず、原告団団長の稲葉先生のことに多く触れました。それから、この祝賀会は、千葉あおぞら裁判記録集の出版記念ということだけでなく、その ①「千葉あおぞら裁判記録集」(新聞記事編と訴訟記録と映像をまとめた2枚のDVD)と ② 稲葉正先生の米寿記念「自然の理法 究めんと」③ 伊藤章夫氏による「千葉川鉄公害訴訟和解後の川崎製鉄千葉製鉄所/JFE及び自治体の公害・環境行政における対応検証」の三つを位置づけているといっていました。

亡くなった稲葉先生に代わり原告団事務局長の朝生先生が原告団を代表して稲葉先生のことに触れながら挨拶をしました。患者友の会からは、事務局長Sさんがこれも患者友の会会長でもあった稲葉先生のことに触れ、また現在も患者会は新たな救済制度を求めて運動していると相変わらず元気よく報告していました。彼は元川鉄の労働者で、「裁判所で公判の休廷中に企業側の弁護団に接近し、会社側が慌てて制止してきた」など当時の話もしてくれました。

会場には、パネルや大きな写真が貼りだされ、スライドも映写されました。各グループごとの挨拶に移り、みなさんまとまって壇上に上がりました。自治体労組の関係は、私も含め10人ほどにもなり一大勢力でした。遠くから駆けつけたこともあって、まず私が代表して話をしました。後は喋るのが好きな連中ですから、時間オーバーで4人ほども喋りました。時間があっという間に過ぎていってしまい、残りは事務局のN君が手配した二次会へということになりました。

後で分かったことですが、事務局のN君が、私にだけは、いち早く資料(①と③)を郵送したということでした。彼は私が千葉にいた当時というより、そもそもの当初から「縁の下の力持ち」実務的な作業をこなし、訴訟団を支えてきた人です。私が宮城に来てからも毎年、年賀の法律事務所だよりなどを送ってくれていました。しかし、何時ものことですがスタートが遅い私は、これをギリギリの宮城から千葉への移動中にやっと②も含めて目を通した次第です。

二次会の席上で突き上げ?追及を受ける!

会場の近くの居酒屋での二次会となったのですが、弁護団数人と患者友の会2人と東京電力(千葉火力)元労働者1人と当時I診療所の事務をしていたW君、あと自治体労組仲間の連中のほとんどが残って20人ほどになりました。東電の彼は当時賃金差別を受けていて、この裁判の支援に加わる中で、自らの差別撤廃訴訟に仲間と立ち上がったと言っていました。また、W君は、弁護団事務局のN君と並ぶ、もう1人のこの裁判の「縁の下の力持ち」でした。久しぶりの参加で、私も非常に懐かしく思いました。彼は全ての公害病患者のサポートをしていました。しかし、いつも行動を共にしていても患者さんを常に前面に立てていたため、祝賀会会場に張り出されたパネル、写真に彼は一切写っていないことをこの二次会の席で初めて聞かされました。

この二次会、何しろ弁護士も、労組の幹部たちも喋るのが商売みたいな人たちばかりで、その騒々しいといったらありませんでした。しかし、私の正面に座った患者友の会のHさん(お子さんが患者)と私が千葉を離れた26年前に一番若かった弁護士のN氏(二次会で一番騒がしかった)からも、私は少々思ってもみない突き上げ?追及を受けました。

その内容は「そもそものこの裁判の仕掛け人であったお前が、何故、途中で消えたのか?」というものでした。その理由として私は、「千葉川鉄公害とのたたかいー稲葉先生と出会い、行動した日々」にも述べています。息子の難病の発病(今は完治)を契機に、じっくり子育てができる環境、妻の郷里、宮城への移住でした。しかし、私が支援する会事務局長を辞めるに当たっては、訴訟の支援を個人会員中心の「支援する会」から団体の支援が中心の「支援共闘会議」に切り替えることができ、それを見届けたからです。そのためには、この日も多く参加してくれた自治体労組の関係者には大変世話になっているわけで、そのことを改めて説明しました。丁度、隣に座った当時の委員長だったI氏は、「田畑さんや君みたいに正面に立っては、多くはできなかったけど、内部では環境部の問題とかサポートするのに大変だった」と言われました。I氏は、この席で知ったのですが、朝生先生と同級生、つまり稲葉先生の教え子でもあったわけです。「しかし、あの時、思い切って支援共闘会議に切り替えてからこそ、労組が本腰入れて支援出来た。」とも言ってくれました。

「仕掛けた」と言われた私は、さらに反論しました。「そもそも稲葉先生も田畑さんも私も、裁判をしたくてしたわけでない。何よりも、それ以上の被害を食い止めたかった。そこで、公害差し止めができる環境権を柱とした公害防止基本条例の直接請求運動をした。その延長で、被害を食い止めるためには、やむを得ず裁判提訴にいった。裁判を通して川鉄の横暴と自治体の姿勢をある程度変えることができた。伊藤章夫さんが書いたこの本(③)は、もし、私が残っていれば、私が書かなければならなかったもの。(田畑さんが生きていれば彼もその義務が…)誰かが大企業の横暴だけでなく、それを手助けしてきた自治体の問題を取り上げないといけなかった。裁判後の残された課題も明らかにしなければならない。それを環境部にいた伊藤さんがしたのだから内部告発に近いものです。」と伊藤さんは遠慮がちな人ではないのですが、自分でその本の宣伝をしないものだから私がすることになってしまいました。(N君はそれを見越して私に早くよこしたのか?)

自治体労組の仲間とも久しぶりに会っていろいろ話ができました。元職場の県職労の職場のこと、自治体の組合活動の現状や、ここに来ていない人たちの近況報告など…中でもⅠ氏の後に委員長をして、今は千葉県自治体問題研究所の事務局長をしているS氏には、宮城県では情報が入ってこない全国の自治体問題研究所の情報を聞くことができ、宮城県内でのこの分野での取り組みの必要性を痛感しました。

翌日(11月18日)に稲葉先生宅を弔問して

 この祝賀会の席上に、東京に住む稲葉先生の娘さんがいらしていたので、朝生先生に紹介してもらって、告別式に参列できなかったことをお詫びするともに、翌朝に蘇我のお宅に弔問に伺ってよいかお聞きしました。午前中なら、ということでしたから朝の10時にお伺いすることにしました。二次会の帰りがけに伊藤さんと話していたら、朝9時に、車を出して、稲葉先生宅に行く前にあちこち案内してくれるということになりました。

 千葉の街も26年前と比べ、すっかり様変わりしてしまいました。この26年の間にも稲葉先生宅や県庁など他に、元住んでいた地域―みつわ台の仲間に何度か会いに来ているのですが、その都度、変わっているようにも思われます。しかし、一番変わってしまったのは、川鉄、いや、今は、JFEというのか、その本工場〔跡〕です。その後の川鉄を見るのは久しぶりでした。そこは住民の住居地域に極端に近く、施設も老朽化して汚染源としても大きなものでした。それが鉄鋼生産の縮小化の中で、訴訟提訴後に本格稼動した少し沖合いに造った西工場に生産を集中させています。本工場のあった場所は、まだ事務所や研究所や壊しかけの旧い高炉なども残っていましたが、大半の土地は他へ売り払っています。(元々ここはタダよい安く川鉄が千葉市より買ったものです)まず目に入ったのは、日本一になった千葉ロッテの本拠地、千葉マリンスタジアムです。その他、KSデンキ、YAMADAデンキ、ショピングセンター、スポーツセンターなど大型施設ばかりでした。港の方にまわって西工場がよく見えるところまで行きました。市民にはこの西工場はよく見えなくなっていますが、今も大きな公害汚染源であることは確かです。

 稲葉先生宅では、娘さんは新聞記者さんの相手をされていました。稲葉先生の奥さんに久しぶりにお会いし、伊藤さんと二人でいろいろお話をお伺いしました。お二人の馴れ初めや、富山、福井でのことなど初めて聞くことばかりでした。有名な天井裏のほこりの話、それを市長の目の前で磁石でどれぼど鉄粉が混ざっているか見せたこと。(私もそこにいて見ていました)その天井裏に通じる押入れの中の梯子段を初めて見させてもらいました。奥さんは、こうして2年前に来た時よりも、しっかりしていらして少し安心しました。伊藤さんには最後、千葉駅まで送っていただき、千葉を後にすることができました。

あの運動が、私の原点だった。

 朝日新聞の11月22日社説「脱公害に学ぶ―原点を忘れていないか」
http://www.asahi.com/paper/editorial20101122.html#Edit2
に、その中で、40年前に、日本が脱公害へかじを切った「公害国会」があったとし、ー「40年前の力の源泉は何だったのか。住民運動が生まれ、市民や研究者、法曹界、マスメディアもそれぞれの役割を果たし、産業界や政府を動かす大きな力になった。原点は生活環境と命を脅かすものへの危機感だったろう。」と言っています。40年前の「公害国会」で確かに脱公害へかじは切ったものの、その後の事態は、実際には、そう簡単なものではありませんでした。さらに、その後10年間程は激しく市民と産業界あるいは政府との攻防は続いていったのですから…社説では、最後に「身の回りでは異常な豪雨や熱波が増えた。西淀川では青空が戻っても別要因でのアレルギー、ぜんそくが増えている。世界では途上国が公害に苦しむ。脱公害時代のエネルギーに学びつつ、環境を考える上でより鋭い感性や広い視野が必要な時代だ。」といっています。大阪の西淀川と千葉の川鉄周辺とでは、今も大きな違いはありません。千葉でも、千葉川鉄公害訴訟団は、訴訟団としての役割を終えることになりましたが、残された課題もあります。

 今回の千葉での出版祝賀会で私は、私の現状報告をほとんどしてきませんでした。何をしているか、何となく分かる手作りの名刺を何人かに渡しただけです。説明してもよく分からないかもしれないし、それにあまりみなさん、興味があるようには思えなかったからです。「何か頑張ってやっているのだろうな」位しか思われていないでしょう。でもそれで、いいのです。それよりも今回の千葉行きでの私にとっての成果は、改めて「あの運動が、私の原点だった。」と再確認できたことです。

 学生時代に大学では紛争が起こり、そこで、大学で学ぶ意義を問われました。それに結論を出せないでいる時、その同時期に、その大学の直ぐ近くで公害が拡がり、被害者が続出しているという現実がありました。さらにそこに、新たな汚染源を増やそうとの動きがあった時、それを止めさせるためには、もうその現実の中に自分の身を置くしかありませんでした。運動がなければ、自分で作るしかなく、科学的に明らかにされていなければ、自分で研究するしかありませんでした。でも、こうしたことを始め、多くの人たちに繋がりを求めていくと、同じように思っていたり、何とかしなければと、動き出す人は私だけでないと分かり、運動が拡がってここまできたのです。

この千葉での公害・環境破壊に反対し、被害者を救済する運動は、様々な人々を結びつけてきました。1992年の東京高裁での和解から18年が経過し訴訟団はここで、一区切りをつけました。しかし、その原点・精神は、私自身がそうであるように、今、それぞれの方が係わっているところでも、生かされていることでしょう。さらに、これまでの人と人の繋がりは、結びつきは、それらに充分、生かされていくでしょうし、さらに大きく拡がっていくものと期待しています。

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「教育栗原市民の会」新年度初めての役員会で 

<教育問題>

「教育栗原市民の会」新年度初めての役員会で           

2010.11.21    
                                   
 11月16日に第2回栗原教育市民の会総会&リレー教育講演会(10月30日)後、初めての会の(第1回)役員会を新年度の懇親会も兼ねて行いました。出席は、役員11人中9人で10月30日の反省と今後の活動についていろいろ話し合いました。私は、11月7日に仙台に行って参加した「みやぎ教育のつどい」第7分科会と堤 未果さんの記念講演の報告をしました。これをメモ的にまとめてみました。

1.第2回栗原教育市民の会総会&リレー教育講演会の反省
 

 10月30日には、30人が参加(まずまずの人数)。参加者の顔ぶれ、感想など…。(会の活動の現状や、今後の運動の基本的な方向については、鈴木代表の講演レジュメに基づいた11.7「みやぎ教育のつどい」第7分科会での私の発言に要約しました。)

2. 今後の活動について

・ 読書会をしてみては? 提案者の事務局長の本田先生は、山本先生の本3冊を挙げていました。その中の「① 小中一貫教育を検証する」は私も、前から、それを題材に学習会をすることを提案しているようにOKだと思いました。

・ あとは、もう少し広く考えてみては? ということで、みなさんいろいろ意見を出していました。

・ 11.7「みやぎ教育のつどい」第7分科会の報告
5年間続いている仙台の「教育を語る会」の内容が参考になると報告しました。そこの世話人会がうちの役員会のようですし、うちの会の学習会も同じような位置づけでできるのでは?赤ちゃん人形の取り組みは、参加の層が一般の人たち(子どもも含め)で、大上段の話もいいですが、こうした取り組みは伝わるものが大きく、参考にすべきです。柴田町の平和などの取り組みは、新しい今の時代に対応したものになっていて、これも参考にすべきです。石田先生が最後にまとめていましたが、「いろんな人が集まって、常に新しいものが入ってくるようなことによって、運動が生き生きしてくる。いろんなところで、いろんな形で、そうして人たちが繋がっていく、語り合うことが大切」だと思いました。

・ 新しい学習指導要綱が来年から始まります。小1から5時間授業になります。生徒・児童も先生も大変です。書類提出ばかり増えて、多忙化に拍車がかかっています。教育の現場から声が出にくくなっています。会にもっと、現場教師の参加が必要です…何とか結びつきを強め、参加ができるようにしたい。職場でのヨコの関係が作り難く、組合でも職場でも参加が悪いです。何でも自己責任にされてしまう傾向があります。それで、教師が、すぐ、自分の弱さだと思ってしまい、自己責任だと考えてしまいます。できないと、「自分が否定される」と考えてしまい、1人で問題を抱え込んでしまいます。その結果、学級崩壊も進んでいます。結局、先生が犠牲になっている場合が多く見られます。この間、管理職の教師の降格の申し入れが最多になった。こうした状況では、教師のなり手が少なくなっていき、危機的な状況にあります。

・ 自己肯定感を子どもたち・若者が持てるようにすることが大事(これは教師自身も)。赤ちゃん人形の取り組みもそうだし、古川、柴田での中学生の吹奏楽部の参加要請もそうした位置づけでした。栗原での教育でも、祖父母―父母―子どもたちという繋がりの中で子どもたちに「肯定感」を持ってもらう取り組みもやってきています。しかし、今、この「繋がり」が多くのところでバラバラになっています。だから肯定感を持てず、自分の存在意義も分からなくなる、という危うい状況になっています。

・ 今、高校の教育費無償化はどうなっているの?→授業料だけです。その他の費用も多くかかるわけで、かえってそれまで減免だとか受けていた層が何もなくなってしまっている、大変な状況になっています。その集金は?家庭によっては父親がお金を家に入れないとか、色々複雑で、修学旅行にいけない生徒もいます。いろいろな形の上乗せの就学援助や教育にかかる費用を何とかしないと…。

・ Y幼稚園のことー公設民営の方向にーでも、基本的な運営費しか出なく、高校の場合と同じで、その他が各家庭の負担になっています。それが耐えられなくなって来ている家庭がでてきていれけど、これらが、全体でどう把握されているのか?これからの幼保一元化―こども園の流れーこれがどうなっていくのだろうか?

・ 市長発言が問題です。―個人的に市長がどう思っていようが構わないが、「薬に走る人は意思が弱い?」とか言っている。市長はまわりに言いなりになる人しか集めなし、そして、自己責任論者だ。(教育委員も多くはそう。)これでは、弱い立場の人、困難を抱えている人のことが考え難い。

・ 市の行政は申請主義であり、これは、申請しないものが悪いと言う「自己責任論」であって、大いに問題アリです。

・ これに対して、住民の間では、問題があれば放置しておけない。まち場では自治会に入らない人が増えています。民生・児童委員は本来別なのに。無給?に近い。多忙化し、なり手がなくなってきている。自治会、行政区区長も、行政の仕事の下請化がどんどん進んできている。合併後のこの問題も、会で何かの形で取り上げてみる必要があります。

・ 家庭(家族)でも、地域でも人と人のつながりが、より一層、大切になってきています。

・ 堤 未果さんの講演の最後から-教育(子育て)、医療、福祉、雇用の市場化(商品にしてしまう)によって、貧困化がこれほどまでに深刻になった(アメカ、そして日本も)。こうした非人間的な力に打ち勝つには、私たちが人間的になること、それによってブレーキがかけられる。まだ日本は間に合う。敵は三つ ①メデイィアイメージ ②言論・思想弾圧 ③一般国民の無知+無関心 ですが、③が一番の敵。―と言っていました。

・ 事務局長よりー署名活動の推進を。次回役員会12月2日までに持ってきてください。12月11日の仙台での子ども9条の会へ持っていきます。

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[みやぎ教育のつどい」に参加して

<教育問題>

「2010子どもの未来をひらく みやぎ教育のつどい」に参加して

その1―第7分科会「どうする私たちの町の教育」の報告   
 2010.11.14

 この9月に「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」〔教育栗原市民の会〕の第2回総会の準備をしている時に、会合に参加していただいた「民主教育をすすめる宮城の会」の賀屋さんよりこのつどいの案内がありました。11月6・7日北仙台のフォレスト仙台を会場に開催するもので、チラシを見るといわゆる教研集会のようで、宮城県の場合それを一般にもオープンにしているようでした。第1日目〔11月6日は、教科別分科会で、2日目〔7日〕が午前9時半よりテーマ別の分科会と堤 美果さんの記念講演〔午後3時より〕でした。当初、私は第4分科会「子どもたちに“生きる力”としての読書の喜びを」に参加したかったのですが、賀屋さんに「それはほとんど高校の司書さんたちの集まりだ」と言われて第7分科会「どうする私たちの町の教育」に出ることにしました。本来ですと代表の鈴木さんに出てもらいたいのですが都合がつかず、そこで、私が出て、「会の活動をまとめたブックレットを売って来い」ということになりました。

午前中は10人ほど、午後には更に少し増えましたが、こじんまりとした分科会でした。受付で氏名と所属団体を記入し席に着き、始まると、いきなり「仙台の次に栗原から報告を」といわれ、〔仙台は2団体でしたが〕全く用意していなかったので仙台の報告を聞きながらあれこれと準備することになってしまいました。私の番になり、自己紹介すると、参加者全員がどうも私の妻のことをよく知っているらしく〔私は司会者の登米の猪俣先生しか知らない〕面食らいました。報告資料を用意せず報告したので、結局、最後「会の活動をまとめたブックレットを買って下さい」とまとめたら皆さんに買っていただけました。

 第7分科会「どうする私たちの町の教育」

テーマ・話し合いたいこと

子どもを真ん中にした教育行政を実現するために…

・ 私の町の「教育を語る会」
・ 開かれた教育行政のあり方を考える
・ 学校統廃合〔中高一貫校〕問題について

共同研究者:石田 一彦(尚絅学院大学) 司会者:猪俣 聡(戸倉中) 分科会責任者:田中 元(館 小)
 
 午前の部

① 仙台市教育委員会への請願活動に取り組んで/橋本由美子(仙台の子どもと教育をともに考える市民の会)

② 「こんな集まりが地域に1つあったらいいね」/山口瑞子(仙台―柳生・西中田地区教育を語る会)

③ 栗原市の町村合併を契機とした学校統廃合と教育委員会の問題点/佐藤茂雄(ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会)

  午後の部

④ 親子で「生命の誕生」を学習する会/松田悦子(新婦人・青葉)

⑤ 2010しばたまち平和の祭典を取り組んで/柴田民雄(船迫小)


① 仙台市教育委員会への請願活動に取り組んで   (橋本由美子)

「仙台の子どもと教育をともに考える市民の会」は、2002年に立ち上げ、今年で9年目。それ以前は「30人学級を実現する会」が5万筆の署名を市議会に提出し、藤井市長によって一部実現しましたが、途中から少人数学級支援に振り向けられてしまいました。学区撤廃問題、二学期制問題などその都度、会を立ち上げて取り組んできましたが、それでは運動が継続しにくくて、この会をつくったというのが経過です。

ここのところは、仙台市教育委員会への請願活動を重視して取り組んできています。配布の資料にありますように2009年に、教科書用図書採択、学力テスト参加、学校の休業日数削減問題、2010年に同じ問題出に請願と「貝森小・国見小統合方針の転換を求める」申し入れ、仙台市教委指導課との話し合いなどを行ってきました。
請願には文書での回答がありますが、どのようにこれが教育委員会で取り扱われているか?委員会への働きかけ、傍聴、議事録閲覧を行い、教育委員との話し合いも求めてきました。もうかなり前に公選制でなくなった教育委員会〔首長の任命〕の限界はありますが、退任してから会合に出てきたり、教育委員会での発言も会の申し入れの文章に目を通していることが明らかなものも出てきています。

② こんな集まりが地域に1つあったらいいね  (山口瑞子) 

仙台の「柳生・西中田地区教育を語る会」は、5年前の2005年に、地域で喫茶店を経営されている、呼びかけ人であり、事務局長のKさんの熱い思い、活動を支えているもの(*宮崎典夫さんの言葉など)が始まりの始まりでした。世話人会は、4人からこれまで7~8人で、保母、親業インストラクター、教員、退職者…などKさんのつながりでなった方ばかり。取り上げているテーマは、「子どもたちの学校生活の流れの中で」「社会的に問題になっていること」「子どもの発達課題に関して」「親として大人としてどうしたら?」「世話人の問題意識や人との出会い」です。

 働きかけ方と参加者の集まり方は、地域内チラシまき〔1000枚〕。元保護者への手紙、電話。世話人の友人知人。1回でも参加した方への連絡などです。参加者は10人前後から多くて20人ほど。テーマによって一度きりの参加者もいます。また、子どもたちが大きくなると保護者も来なくなり広がりにくいという状態です。

 しかし、学び学ばされながらつながり合って会は続いています。テーマを決める話し合いが世話人会の絆を深め、1回分の語る会に相当します。Kさんとは、彼のところが駆け込み寺的なつながりになっています。参加者の個別問題をみんなのこととして解決の道を探ることも(ここでは先輩ママたちが威力を発揮します)近隣の学校の様子を知ることで安心が生まれます。仙台と近隣の地域の高校間の問題が明らかにされ教師の悩みに気付かされます。高校の通学区制の学習を通し、署名活動や公聴会にも参加しました。また何といっても参加したみんなが豊かな気持ちで我が子、家族、地域の人へ温かいまなざしが持てるようになってきています。

 地域の安心できる場所の1つとしてこれからもこの「柳生・西中田地区教育を語る会」は続けていきます。

* 宮崎典夫さんの言葉

 「教育は学校だけでおこなわれるものではない。学校にのみ孤立した教育は無力であるというほかない。すぐれた教師は、児童を取りまく、あらゆる環境を組織するであろう。民主的な教育を確立するためには、教育をさまたげる現実から出発し、その正しい解決をとおして、村に、町に民主的な勢力を結集することが第一条件でなければならない。かかる環境と組織の中においてこそ、児童は本当に社会を学び、歴史を学ぶことが出来るのではないでしょうか。」

③ 栗原市の町村合併を契機とした学校統廃合と教育委員会の問題点  (佐藤茂雄)

 「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」〔2009年9月結成〕の前身、「栗原の教育を考える会」〔2006年結成〕の少人数学級実現請願署名〔3500人分〕活動や10カ町村合併を契機としたが学校再編(学校統廃合)問題への取り組みを会発行のブックレットに載せた「町村合併と栗原市の学校統廃合の現状」に即して報告しました。更に、先日の第2回総会―リレー教育講演会での鈴木代表の講演レジュメ「いま、子どもが危ない!―主として学校再編計画を中心にしてー」から栗原市教育委員会へのこの間の会の働きかけ等を付け加えて報告しました。

 2008年3月に学校再編計画自体は決定されましたが、「再編計画〔案〕の慎重審議」を求める請願の提出、市教育委員会への傍聴等の働きかけや一部地域〔高清水〕での住民署名によって、一部地域での成果(高清水中を前期対象から外させる〕や「地域の合意形成なくしては統廃合は進めない」という確約を取り付けました。

 その後PTAの合意はかなり進み、地域の合意も市教育委員会主導のもとに推し進められています。しかし、その経過・やり方は、少人数の参加で決めてしまう、会合への案内や誘いに工夫がなく丁寧にしない、など極めて形式的であり問題が多くあります。最も計画が進んでいる金成地区での小中一貫校では、当初の改築概算の17億円が、建築概算額25億円に跳ね上がってしまっています。それを市民に十分に知らせることなく決めてしまっています。

 そうした市教育委員会に対して、会は話し合いを申し入れ6項目の質問をして回答を得ています。①教育委員会の傍聴者への会議資料の配布→準備します。②教育委員会でのマイクの使用→設備がないので委員さんに高い声で発言するようにと…③教育委員会開催のお知らせの改善→ホームページへは今後検討します。広報掲載は時間的に無理。④金成小中一貫校の建築概算額が25億円に跳ね上がった問題→市全体の予算でなく教育の予算額なので市民に知らせなかった。会議録の開示はしています。⑤尾松小学校地域での「合意形成」があまりにも少ない人数の参加ですが→地域全世帯に案内状を配り、特に子育て支援に係わっている方には本人宛に、会議は説明、質問、意見を受けて最終的に話し合った賛成、反対等の内容の確認をして終了しています。

 最近出た山本由実先生編の「小中一貫教育を検証する」は、小中一貫校問題だけでなく最新の全国の学校統廃合の現状が分かります。その中に栗原からもレポートしていますが、そこで栗原は「過疎地における反対運動の困難さ」という位置づけになっています。しかし、そうであても私たちは、今後も、市議会・市教育委員会への傍聴や働きかけを強めていきます。そして、この教育問題を町村合併の検証という側面からや、自治体行財政の点検(これには国・県の財政や今後は分権問題も絡んできますが)という側面からも捉えなおしていこうと考えています。そうした市政、議会、教育委員会を絶えずウォッチをする、栗原での教育オンブズマンのような役割をしつこく、粘っこく、果たそうと思っています。

④ 親子で「生命の誕生」を学習する会―「命の誕生のお話」と「赤ちゃん人形づくり」を通して  (松田悦子)

 小学生の娘が二人います。娘たちが、年頃になったら肉体的にも精神的にも傷つくようなことになってほしくない…自分の体を守っていくとはどういうことか…などいずれ話さなければならないと考えていました。

そんな中で2年前に元小学教諭の橋本由美子先生が、小学低学年からでも分かりやすく、手作りの赤ちゃん人形などを使ってお話して下さると聞き、講習会を依頼しました。夏休みに企画し、新婦人会員をはじめ、会場近くの地域にもチラシを配布し、お知らせしました。「私たちが生まれてくるまで」~いのちの誕生、今子ども達に伝えたいこと~というタイトルにして、それに幼稚園児から小学4年生のお子さんとお母さん達など約40名が集まりました。

初めに「お子さんの隣にお母さんが座ってください」と話され、始まりました。赤ちゃんは子宮の中で羊水や羊膜に守られていること、臍帯を通してお母さんから栄養や酸素をたくさんもらって大きくなったこと、赤ちゃんを大切にする「つわり」と言ってわざとお母さんの具合を悪くして、無理をしないように休むような仕組みがあること、産まれてくるときは何時間も痛い思いをして、お母さんも赤ちゃんも頑張ってこの世に生まれてくること。そして、(あなたが)お母さんのお腹にいると分かった時、家族みんなで喜んだこと、大切に大切に育てていこうと話し合ったことなど話して下さいました。参加したお母さん、一人ひとりからお子さんがお腹の中にいたときの様子、生まれてきたときの思い出などを話してもらいました。「なかなかこのようなお話を聞く機会がないので、参加して良かった」と感想もいただきました。子ども達も何か感じるものがあったはずです。(その後もお母さんに寄り沿うようにしていました)

そして、今年の夏休みにも企画しました。「命の誕生のお話」と「赤ちゃん人形づくり」の二本立てです。「赤ちゃん人形」とは、まだ臍の緒がついているお腹の中の胎児を、手のひらに乗る位の大きさで、フェルトやレース状の布を使い、重さが出るように、おもりも入れて2時間くらいかかって作ります。(胎児は12週20gと24週600g、赤ちゃんは2500g)今年初めての試みでしたが、命の大切さを伝えられる先生になりたいと、育休中の先生や、先生を目指す学生も参加しました。

「命の大切さ」は誰にでも当てはまる、みんなで考えていかなければならないこと、それを子ども達にどう伝え、どう受け止めてもらうかは私達大人の責任と役割です。地域の大人みんなで、子どもの心に寄り添って大切に伝えていきたいと思います。

⑤ 2010しばたまち平和の祭典を取り組んで  (柴田民雄) 

柴田町では9月20日、「2010しばたまち 平和の祭典」が、船岡小学校体育館を会場に開かれ、約400人もの町民が集まり、一人ひとりが「平和」を問い直しました。主催したのは町民約20人でつくる実行委員会(後述の8団体と町議3人、小中PTA会長3人など、会長はPTA会長)ですが、柴田町役場が後援しました。町は6月10日付で「非核平和都市」を宣言し、祭典は、宣言の記念イベントでもありました。「単に宣言しただけで終わらせたくない。宣言をきっかけに平和を考え、行動する輪を町民に広げたい」という町の考えもあって、町は役30万円の予算を計上。「まちづくり政策課」の課長補佐も実行委員会の会議に参加し準備にあたりました。

 祭典は、各種の展示とステージなどで構成。発展途上国で戦時下にある子どもたちの写真や、ヒロシマの原爆パネルなどが展示。ステージは、オープニングとして、まず非核・平和の朗読劇「みんなでつくろう平和な柴田町を!」4歳の子どもから70歳の高齢者まで約30人の男女が出演。町長が「柴田町平和非核都市宣言」の全文を朗読。医療と音楽活動を通じて平和活動を行っているNPO理事の桑山紀彦さんのライブ「地球のステージ」があり、桑山さんは「戦争がなくて一見、平和そうな日本でも、「いじめ」や「家庭内暴力」は、戦争と同じ構図なのです」などと語りました。

 柴田町では昨年11月に、柴田母親連絡会など8団体(ほかに柴田町9条の会、みやぎ県南医療生協、仙南民商、新婦人柴田支部、柴田郡原水協、柴田郡平和委員会、宮城県教組仙南柴田地区会)が、町長と議長に「宣言」に関する請願書を提出。町議会は12月議会で請願を全会一致で可決したものです。

 こうした平和の祭典に取り組んで、その後の最大の成果は「PTAが学校図書司書実現に向かう」ことになったこと。柴田町では近隣の名取市(県内唯一の学校図書司書配置自治体。歴史的に名取市はPTAが雇っていた経緯があり、それを名取市が公的に雇用。子の成長を思うPTAが行政を動かす。)に教育委員会も議員も教師も視察している。しかしPTAまで届かず町長は予算化していなかった。町内9つの小、中学校に専任の図書司書が実現すれば学校が子どもを真ん中にした教育が可能になります。このPTAの力(子どもを持つ保護者の声が町を動かす力に)が、ようやく学校図書司書実現に向かったのです。

 今後のこととして、来年の第2回平和の祭典では、中学生の参加を促すこと。そのために、非いじめ運動と平和教育を具体的に連動する方途を生み出し実践する。PTAの学校図書司書配置運動を全面的に応援していきます。

分科会の論議から 

午前中の論議では、まず教育委員会の問題が多くされました。教育委員に選ばれる方たちは、人生をスイスイと生きてきた成功者であり、自己責任論者が多い。弱い立場の人、困難を抱えている人のことが考えにくい。そうして、人々の声が教育委員会に届かなくなっています。仙台の教育委員会では、定例教育委員会の後に次回に向けての学習会(非公開)が行われますが、これは教育委員会への事務局の根回しです。会から読んでいただくように出した資料は各教育委員には、事前には配られず、当日初めて配布されます。それでも効果は出てきています。教育委員個人1人でも動議が出せると分かってきましたが、まだ誰もそれを行使していません。(当局にとって)間違って?少し良心的な方が教育委員になり、

それなりの発言をすると次回は必ずその方は再選されません。こうした中で教育委員会事務局主導や教育長の権限が強まっています。公選制でない任命制の教育委員会の問題がいたるところに出てきています。

 午後の論議では、若い新婦人のお母さんの報告にあった橋本先生自身が仙台の市民の会として参加されていたので、彼女からも資料をいただくともに、作成された3体の愛らしい赤ちゃん人形を、みなさん抱かせていただきました。思ったよりも重みがあって(命の重さのような)みなさん、大変丁寧に緊張して抱いていました。子ども含めてみんなの目がとても優しくなるというのが実感できたということでした。教育制度の話とか、政治の話とかも大事ですが、こうした取り組みでは一般の人に〔子どもも含め〕伝わるものが大きいという評価をしました。今の子どもたちには、「自分を大切にすること」「自己肯定感を持つこと」の大切さをこうした取り組みで伝えたいということでした。

 柴田町の取り組みでは、報告した柴田先生は自衛隊の船岡駐屯地への働きかけを強調していました。クラス30人中5~6人は自衛隊員がお父さんであって、現実問題として「自衛隊を含めた形での平和を」考えなければならないとしていました。彼らは宮城岩手内陸震災でも何日も救援活動に行っています。災害もある面では紛争で、非平和であり、防災も平和活動になりうるということでした。彼は、平和の祭典の事前とその成功をへて自衛隊に手紙を出し働きかけています。これを受けて古川からの参加者は、古川でも(みやぎ県南と)同じように民主病院の健康まつりがあり、そこでの地元中学生の参加が地域の防災活動の面で不可欠になってきていると報告していました。そこで南中の吹奏楽部に声をかけ健康まつりに出演してもらっているとのことでした。(船岡中の吹奏楽部もみやぎ県南医療生協の健康まつりに出演してもらっているとのことでした。)

 共同研究者の石田先生のまとめー市民にとって行政が、教育委員会の問題、大型町村合併などのようにいろいろなところで遠くなってきています。これに対して柴田町での取り組みがまとめ的にうまく動いています。栗原の取り組みからもしつこく、粘り強くやってくことが大切だと教わりました。一つ一つの課題に取り組んでく、いろんな人が集まって、常に新しいものが入ってくるようなことによって、運動が生き生きとしてくる。それが今の時代に対応したものになっていく(平和の取り組みなど)。いろんなところでいろんな形でそうした人たちが繋がっていく、語り合うことが大切です。

今、どこも閉塞状態が漂っています。どこの中学校も深刻な状態です。中学校の先生も忙しく、急に「平和」といっても自分の手を縛りかねません。教育委員さんだって型通りにやっているけど、本当はいい人なのでしょうが、そうできない。しかし、柴田町の課長補佐さんのように、仕事を通じて一挙に吹っ切れて面白みを見出した人もいるわけですから希望は持てます。

私の感想 

この分科会に参加した各地域、団体とも栗原に比べて層が厚いことを感じました。教育委員会への働きかけでは、やはり仙台の方が細かくしているし、何よりも仙台市教組と連名で請願を出しているのが栗原と決定的に違います。〔栗原では教組支部の協力がほとんど得られない〕

 仙台の柳生・西中田地区の教育を語る会もいいですね。私ももう30年前ほどですが、千葉市のみつわ台・都賀の台という地域で宮城に来るまでの数年間、地域の主婦の方4人ほどに私も事務局に加わって、一緒に教育懇談会を開いていたことを思い出しました。そこは私にとって非常に勉強にもなったし、いい思い出でもあり、また、学童保育の地域への浸透や地域文庫の開設という面でも協働の輪の場でもありました。また、仙台の2団体とも女性の発表でしたが、栗原はその女性の参加が弱いのです。元女教師の方の活躍が大きいとの印象を持ちました。栗原で学習会などしていくのに参考になることがいっぱい詰まっているような教育を語る会の内容でした。

 柴田町は、それこそ層が厚い。合併問題が頓挫したというか、拒否した町ですが〔詳しくは?〕栗原のように合併による問題はないわけで、やはり栗原の合併は厳密な検証の必要があることは明らかです。図書館づくりは、運動は盛んなのですが、その時期が悪いのか(遅かった?)十分なものは出来ていないように思います。しかし、学校図書館については、同じような位置にいながら(私と狙いは全く一緒です)運動は栗原より数段進んでいます。いろいろ参考にできそうなことがあるようでした。

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<子どもの本シリーズ 14> 

<子どもの本シリーズ 14 >                2010.11.9

このシリーズは2008年8月より始まり、同年11月に勉強会、講演会等の様子などと「対象を私自身が担当したものと、講師が取り上げたものだけに限定」して取り上げてきています。2010年2月の<シリーズ13 NO.27>を最後に、お休みが続きましたがまた再開します。今回は、2010年11月6日に開催された 平成22年度 ブックトーク連続講座の第1回「ブックトークの実演と講話」からです。

ブックトーク連続講座  第1回「ブックトークの実演と講話」

日時:2010年11月6日 午前10時~12時

ところ:栗原市立図書館 2階 視聴覚室

講師:高梨 富佐(たかなし ふさ)氏(東北福祉大学兼任講師 富士大学司書講習講師)

<講師の高梨さんについて>

 小牛田町近代文学館(現・美里町小牛田図書館)の開館時(20年前)から勤務。町村合併に伴い美里町南郷図書館の開設にも携わる。この3月に退職し現職に。

 個人的にも、栗原市立図書館の前身―築館町立図書館開設前後からお世話になってきています。ですからもう10年前ぐらいからの知り合いです。何回も小牛田にお伺いして児童サービス・図書館サービスについて見学やアドバイスを頂いています。

<講話の内容> 

0) はじめに
1) ブックトークの目的
2) ブックトークの実演「鳥たちのくらし」
3) ブックトークの方法
4) ブックトークするための準備
5) プログラムの組み方
6) 第2回の実習にむけて

0) はじめに ブックトークとは

本について話すこと

一般的には一つのテーマにそって、数冊の本を順序良く紹介することで、学校で特に有効な手法
年齢が関係するので学校の方が最適、美里町では95%が学校へ出向いて行って(毎年10~12月に週に1~2回全ての小・中学校に)、5%が図書館で

1) ブックトークの目的

・ 子どもたちは本の情報をあまり持っていない。

・ どれがおもしろいか選択するのが難しい。“おもしろい”ということがよく分かっていない。

ブックトークをすることで

① 本の世界を広げてあげる

② 地味で目に付かない良書を紹介する

③ 探している本にたどりつくようにする

④ 本の世界への興味を起こさせる

司書向けの「児童サービスの目的」と同じですが

 経験の少ない子どもたちに、まず本の存在を知らせる。本は楽しい、読書は楽しいと感じるような体験ができるようにする。読書習慣を身につけ、生涯楽しめるよう成長するよう促す。

同じく司書向けの「司書の役割」〔図書館等の職員の役割〕から、

 「子どもと本を結びつける」!!のが使命、仕事です。

その「子どもと本を結びつけるための仕事」として

① わらべうた、おはなし ②絵本の読み聞かせ ③ブックトーク ④ブックリストの作成 があります。

2) ブックトークの実演「鳥たちのくらし」 (4~5・6年生向き)

 紹介した本
 
① 「牛をかぶったカメラマン」レベッカ・ボンド/作 福本 友美子/訳 光村教育図書
   
  1995年世界で初めて鳥の巣の写真集をつくったはなし。

 ② 「鳥の巣の本」鈴木まもる/作 岩崎書店
   
  日本のものでも… これは絵図鑑 絵の方が見たいところを描くのでかえってよく分かる。この時分、冬になると木の上の巣が見えてくる。

 ③ 「かわせみマルタン」リダ・フォシュ/文 フェードル・ロジャンコフスキー/絵 石井桃子/訳・編 童話館
  
  文の多い絵本(絵の多い児童書?)マルタンとマルチーズのおはなし、変わったかわせみの巣に興味がわく。

 ④ 「かもさんおとおり」ロバ^ト・マックロスキー/ぶんとえ わたなべしげお/やく 福音館書店
   
  アメリカ・ボストンを舞台に実話に基づいた大型絵本、かものマラードさん夫婦の巣作り、子育てをおまわりさんのマイケルさんたちが助けるおはなし。全部読むと14~5分かかる。

 ⑤ 「どこ いくの?」高田 勝/文 叶内 拓哉/写真 福音館書店 
   
  本の中を開いてみて初めて内容が分かる。日本に来る渡り鳥の写真集。どこから、どこへ…
    同じように最近出た絵本 「わたり鳥の旅」樋口広芳/作 重原美智子/絵 偕成社 

 ⑥ 「みやぎの風にのって」 日本野鳥の会宮城支部・宮城県・編 宮城県 
  
   海の上でどうして宮城がわかるのかな?途中で全く休まずにやって来るなんて凄い!

 ⑦ 「翼の折れたマルティス」戸島 潤/作 蕪栗ぬまっこくらぶ
   
  ガンのマルティス家族のおはなし。子ども向けなのにルビがないのが残念。沼とそれを保護する人間の紹介、続編が2冊出ています。

  宮城県にはラムサール条約に入っているところが3ヶ所(伊豆沼・内沼、蕪栗沼、化女沼)もあり、ガンの90%やってくるガン王国。日本全国からそれを見に来るのです。これらの本のどれでもいいですから是非読んで見てください。そして、読んだら是非、鳥たちの暮らしを自分の眼で見てみましょう。本当は、早朝、水面から一斉に飛び立つところが一番凄いのですが、夕方5時くらいに沼に帰ってくるところを見に行く(家族に連れってもらう)のもよいでしょう。
  
3) ブックトークの方法 4)ブックトークするための準備 5)プログラムの組み方

1、 テーマを決める

① テーマに関連した本を、できるだけ幅広く集める

・ レビュースリップをみて適当な本を思い出す
・ 書架を歩き回って、アトランダムに本を抜き出していく

② 取り上げる本を選ぶ(5~10冊)

・ 自分が好きな本を少なくとも1、2冊入れる 好きな本について語るとき、本に対する思いが自ずからでてくる
・ 良い本なのに子どもになかなか手に取られない本を取り上げる 勧めなくとも子どもが必ず手に取るものは特に取り上げなくとも良い
・ できるだけバラエティにとんだ組み合わせで 小説だけでなく、民話、伝記、詩、ノンフィクションや読み物以外の本も

③ 構成(どういう順序で紹介するか)とテクニック

・ どういう紹介の仕方が効果的かを考える
・ 中心におく本(一番すすめたい本)を決める
・ 1冊1冊の本の紹介が途切れないようにつなぎを工夫する

2、 とても紹介したい本があるとき

① 紹介したい本を核にして、他の本を抜き出していく

② どんなテーマの組み立てが可能かを考える

③ テーマが決まったら、紹介する本を決める

3、 準備しておくこと

① 紹介するリ本のリストを作っておく

② 読むところ、引用するところには、付箋をつけておく

③ 本以外に必要な資料や小道具などがあれば準備しておく

④ 場所があれば紹介した本を順に展示できるスペースを用意しておく (必ず事前に会場のチェックを)

4、 実演で注意すること

① 紹介する本は手に持ってみせる

② 自分の感想や、作者のエピソードなどもいれる

③ 本は正直に紹介する…「字が細かい」とか「最初はたいくつだ」とか

④ 子どもとのやりとりも大事にする…一方的なしゃべりではきいてもらえない

⑤ クイズや遊びを入れるのも良い (但し、パフォーマンスをするのは本の紹介に役立つように)

⑥ 実物を見せたり、実演したりするのも子どもの興味をひける

  補足1 「ブックトークをする前にしておかなければならないこと」
(司書向けの「ブックトークの意義」より)

① できるだけ多く子どもの本を読む(ノンフィクションも)

② 自分になりに読んだ本を評価する(記録を取る)

 ABCと自分の中でランクをつける、○年生向きかも、
これは、後からなかなかちゃんと見ないけれども、書いていくうちに考えるようになる。作業をするうちに頭に残るようになる(習慣化)(高梨さん自身もそうだということでした)

③ 書評に目を通す習慣をつける

④ 本の内容を短く(200字位)まとめて紹介する練習をする(推薦の文を書く)

  若い司書にはこれを仕事としてやらせるー書いているうちに出来るようになる、余程のことがない限り採用する。  

⑤ 自分自身が広く社会に興味を持つようにする  

⑥ 子どもの世界に興味を持つようにする  
 
補足2 子どもの読書と棚揃え…たき火に例えて

* 大人は子どもたちに質が高く、感動を与え、考えるきっかけとなる本(良書)を読んでもらいたいと願っています。しかし、太い薪(良書)に直接火を着けるのは難しいのです。

① 焚きつけ(軽い本)

 キャラクターものやゾロリなどディズニーも
 焚きつけは直ぐに火が点き炎を上げるが、直ぐに燃え尽きるのでエネルギーにはなりにくい。燃え移るところに力がある。

② 軽い枝(多読の本)

 「わかったさん・こまったさん」などの多くのシリーズよみものなど
 焚きつけより火持ちは良いので、たくさん燃やせばエネルギーになり、お湯ぐらいは沸かすことができる。熾きとしての力は弱いが、太い薪に火を移す力がある。

③ 太い薪(心に残る良書)

 太い薪に火が移ると、長い間燃え続け、大きなエネルギーになり、料理や暖房ができる。炎がなくなっても熾きになってエネルギーを保ち続け、かなりの時間をおいても次の枝や薪に火を移すことができる。

    ブックトークでは、1クラス(30人ほど)で1~2人はこちらの狙ったところ〔良書〕へダイレクトにいってくれる。しかし、大半の子どもはそうはいかない。そこでどうしても③太い薪だけでなく②細い枝も必要に。①の焚きつけはいらない〔あえて大人が紹介しなくとも良い〕②と③を組み合わせていく。 


6) 第2回の実習にむけて
  

課題:①お母さん ②ともだち ③旅をする (どう解釈してもかまわない)

   課題の中から1つのテーマを割り当てます。学年は自分で設定のこと。
   次回〔12月4日〕までに3冊の本を選び、ブックトークができるようにしてきてください。1人5~7分で、全員に実習していただきます。

 <質疑応答から> 

 みんなの意見が聞ける環境があることが大切です。 

  美里町の場合、小・中学校にいく意義を確認しあっています。学校の先生は自分1人の力でしますが、図書館では集団でします。みんなが読んだものを教えてもらい、7~8人いれば相当の量になります。それぞれが興味を持つ分野、得意分野があり参考になります。1年を通じてブックトークできるようにしておかなければならないのですが、なかなか課題にならない限り読みません。ですからこの時期〔10~12月〕夜、みんな家で本読みをしています。

 <私の感想> 

 高梨さんは、最初のブックトークの目的〔意義〕からして、図書館司書向けのレジュメを用いて説明していました。彼女はこの4月よりそういう仕事をしているのだし、美里でも後輩司書の指導もしてきているので納得するのですが…

  そもそもこのブックトーク連続講座は、栗原市立図書館の読み聞かせボランティア及びストリーテリンング勉強会の参加者などから興味があって、図書館に開催を要望したばかりのものでした。しかし、それが直ぐ実現してしまって少し面食らっていたところでした。どうもうちの司書さんたちの要望〔特に高梨さんを呼ぶのも〕でも有ったような気がしてきました。それはそれで大いに結構なことですが。

  このところ私たちも築館地域の学校にも出かけることがポツポツと出てきています。(市内の他地域ではよく学校にいっているグループもありますが読み聞かせ中心でブックトークはしていません。)また、私たちもすぐにこのブックトークができるとは考えられません。受け入れ先(小・中学校)の問題(体制)もありますし…何しろ10年ほど前から(小牛田町時代から)美里の図書館を見てきて、小・中学校との連携に長年、力を入れて取り組んできていることは知っています。ブックトークはその中の一部分です。

  ブックトークをするとなると司書さんたちとの協働作業になりそうに思えてきました。そこで私たちに要求されるのはボランティアといえども司書と同レベルの役割が求められるように思われます。ですから、なおさら、この高梨さんの図書館司書向けのレジュメを用いての説明に、妙に納得してしまうのです。

  その他、印象に残ったことは、「みんなの意見が聞ける環境があることが大切です。」というところです。今まさに、栗原市立図書館の読み聞かせボランティア及びストリーテリンング勉強会のメンバーの間で(それには担当の司書さんも入っている)出来つつあることだと思います。このことは大切にしなければいけないのだなと思いました。

  それから、「記録を取る」ということ。これは、ボランティアの間でも今後大いに改善すると決めていることです。しかし、それより高梨さんの個人的な本音がストーンとストレートに私の心に落ちてきました。いくら記録をつけても、私も、結局後でよく見ていないのです。では何のためにそれをしているのか?ということになります。彼女が言っているように、やはり「書いていくうちに考えるようになる。作業をするうちに頭に残るようになる」のであって、自分自身のためなのです。記録を整理し、ブログに載せたり、それをプリントし配布したりしていますが、それは結果なのであり、目的ではない筈です。しかし、目的でなくともそれを余計に意識してしまっていたのです。格好など付けなくともいいから自分がしたいように記録をつけ、整理すればいいのです。〔大いに反省!!〕ですからこのシリーズの再開となったのです。(この他の課題も今後、順次再開していきます。)
 

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