触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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<子どもの本シリーズ17>NO.32雪の写真家 ベントレー

<子どもの本シリーズ17>              2010.12.24

「出前読み聞かせ」で、 

(NO.32)  雪の写真家 ベントレー

 12月24日のクリスマス・イブの午前中、宮野小学校放課後児童クラブへの図書館ボランティア“ひなたぼっこ”の「出前読み聞かせ」に出かけました。今年は6月22日に一回行っていますから二回目です。10月には築館小学校にも行き、このところ学校への「出張読み聞かせ」は増えてきています。もう冬休みに入っていて、子どもたちは14人、指導員が2人でした。こちらのメンバーは、5人。大型絵本に英語を交えたり、クリスマスの詩や、むかしばなし、手遊びなど。私は、この時期にピッタリの伝記絵本「雪の写真家 ベントレー」をブックトークの手法も少し使ってやってみました。

ブリッグズ マーティン ジャクリーン (著), メアリー アゼアリアン (イラスト),
Jacqueline Briggs Martin (原著), Mary Azarian (原著), 千葉 茂樹 (翻訳)

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出版社: BL出版 (2000/01)

<内容の紹介>
 (「MARC」データベースより)

 アメリカの豪雪地帯にある小さな農村に生まれ、生涯を雪の研究と結晶の写真撮影に捧げたウィリー・ベントレー。世界中の人々に雪の美しさ、神秘的な魅力を伝えた彼の一生を綴った伝記絵本。99年度コールデコット賞受賞作。



<私のシナリオ>

(1)はじめに

 主人公のウィリー少年は1865年、今から145年前に、アメリカ・バーモント州ジェリコの豪雪地帯に生まれました。
 物語は、彼の少年時代から始まります。雪の美しさに魅せられたウィリーは観察やスケッチでは物足りず、両親に懇願して特殊なカメラを買ってもらいます。そして、… 
 これは、雪の結晶の撮影に一生を費やしたウィリー・ベントレーの伝記絵本です。

(2)絵本の読み聞かせ 

 本文に加えて、最後に、晩年の本人(ウィリー・ベントレー)が写真機を盛って写っている写真と、本人の文章を読み上げました。そこには雪の結晶の写真が3枚載っているのですが、ネットで見つけた写真集の一部12枚の写真を大きく引き伸ばして紹介しました。


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 雪の結晶(ウィルソン・ベントレー)撮影

(3) 雪の結晶の問題(の出題)

雪の形って神秘的な形をしています。 もう雪の結晶の写真は少し見せてしまいましたが、
さて,雪の結晶って何角形でしょうか?
5角形?6角形?8角形?さてどれでしょう。

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雪の結晶は基本的には六角形!
(島津製作所の「雪の結晶」から)

答え → 綺麗な六角形をしていました。 五角形や八角形は無いそうです。 
なぜ六角形なのか?それは ここにある * 「雪の一生」科学のアルバム をぜひ見てください。

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あかね書房 片平 考(著)                  「 雪の結晶、雪を観察しよう、」を

(4) さいごに 

 絵本にあったように、ベントレーが亡くなったのは、今から79年前の昨日、クリスマスの2日前、12月23日でした。

 農夫として一生をすごしたアマチュア研究家ベントレーの業績は高く評価され、やがて、世界中の人々に雪の美しさ、神秘的な魅力を伝えるようになるのです。 「雪は天から送られた手紙である」という有名な言葉を残した雪の研究の世界的な権威、日本人の中谷宇吉郎博士が研究を始めたのも、ベントレーが出版した雪の結晶の写真集を目にして、その美しさに目をみはったことがきっかけでした。

最新のきれいな大きな雪の結晶の写真5枚を紹介。

雪の結晶は、降雪をガラス板や黒い布に受けて観察します。(虫めがね。顕微鏡)

 今晩から明日にかけて、雪が降りそうですし、これからは、日中でも雪が空から舞い落ちてくることが多くなってきます。ぜひ、みなさんも観察してみてください。

<ブックトーク的な読み聞かせをしてみて>

 12月5日の記事「ブックトークの実技をしてみて」にあるように、12月4日の初めて私のブックトークは、散々のものでした。しかし、それが大人を前にしてのものであり、講師の高梨さんも言っていたように大いに「失敗しなさい」ということでしたから、今回はその失敗をどうにか生かしてできたと自負しています。

 そもそも、ブックトーク自体が学校での方が向いているということが、今回、はっきり分かりました。「雪の結晶」というブックトークをしたわけではありませんが、それに近いものは出来たと思いました。何よりも、これは子どもを前にしてしなければ意味がないこと。この日の夕方には、雪がチラチラと降ってくるというグッドタイミングでした。ブックトーク的な読み聞かせをしていて、「子どもの目の色が違っている」という実感が持てました。大変、良い経験をしました。



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移行期的混乱

<BOOKS> (39)                   2010.12.15   

若い人たちのためのブックガイド <その1 現在を把握するー③>                                                         
移行期的混乱―経済成長神話の終わり

著者/平川 克美   発行/筑摩書房 (2010/9/9)

<内容>(「BOOK」データベースより)

 人口が減少し、超高齢化が進み、経済活動が停滞する社会で、未来に向けてどのようなビジョンが語れるか?『経済成長という病』で大きな反響を呼んだ著者が、網野善彦、吉本隆明、小関智弘、エマニュエル・トッドらを援用しつつ説く、歴史の転換点を生き抜く知見。

<著者略歴>平川 克美

1950年東京生まれ。1975年、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。99年、シリコンバレーのBusiness Cafe,Inc.の設立に参加。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。

<目次>

まえがき
第1章 百年単位の時間軸で時代の転換期を読み解く
第2章 「義」のために働いた日本人―六〇年安保と高度経済成長の時代 1956‐1973
第3章 消費の時代の幕開け―一億総中流幻想の時代 1974‐1990
第4章 金銭一元的な価値観への収斂―グローバリズムの跋扈 1991‐2008
第5章 移行期的混乱―経済合理性の及ばない時代へ
終章 未来を語るときの方法について
付録 「右肩下がり時代」の労働哲学(鷲田清一×平川克美)
むすびにかえて

<内容の紹介>

まえがき

 本書は私たちの「現在」とは何かを問いかけるために書かれた。そして、今日的問題―人口の減少、経済の停滞、企業倫理の崩壊、倒産や自殺者の増加、格差の拡大など、-は、文明の進展、技術の発展、生活の変化といったものが複合してもたらす、長い時間の体積の結果として現れる現象と、急激に広がるグローバリゼーションの結果が、アマルガムのように溶着されて時代の表彰に浮き出てきた。この時代背景の変化と、めまぐるしく変わる現象が共同(複合)して「現在」を構成。第1章では、この「現在」を規定している時代的文脈を解体する。

第1章 百年単位の時間軸で時代の転換期を読み解く

転換期とは何を意味しているのか/私たちが今生きている時代は、どんな時代なのか。―現在が大きな時代の転換期であり、同時に移行期的な混乱期である。―(著者の仮説)それを百年を見渡す時間的なスパンで、上からの政治的・経済的転換とは違った、一定の時間の経過を経て事後的に確認するー下からの転換(自然史的な転換)=共同体の変質、貨幣経済の変質、価値観の転換、生活感覚の変化―で確認していく。

リーマン・ショックの波紋/2008年のリーマン・ショックは、単に景気浮沈という資金・資本流通の量的な問題ではなく、もっと質的な歴史的転換の中で起きた、移行期的な混乱。「社会史的・生活史的」な下からの構造的転換が起きている。資本主義的生産方式、デモクラシーを基盤として築かれてきた先進国の、ひとびとの生活意識そのものが揺らいでいる。最も顕著なのが日本。金融崩壊は、移行期的な混乱の中の一つの兆候。環境破壊、格差拡大、人口減少、長期的デフレ、言葉遣いや価値観の変化などともに移行期的な混乱の一つの局面であり、混乱の原因ではなく、結果である。

戦後日本の経済成長率はどう推移したか/戦後60年の間に、経済成長率はほぼ20年をひとつの単位として三段階のサイクルで変化。期間の平均経済成長率は、1956年~73年高度経済成長期約9%、74年~90年相対的安定期4%、91年~08年停滞期1%。2008年の金融崩壊は戦後三度目の新たな変化(経済成長の終焉)の前触れ。

経済成長の限界/同時期のGDPの推移。90年代に入るとGDPそのものも頭打ちに。
 人口動態と国民経済/民主化の進展、教育の普及、識字率の向上、女性の社会的な地位の上昇という一連のプロセスと出生率との間には、負の相関関係がある。(エマニュエル・トッドらの収斂仮説)「経済成長を維持しなければ、人口が減り国家が衰退する」「人口を維持することが経済成長の条件である」という議論は本末転倒。
 人口減少は由々しき事態なのか/2006年をピークとして人口増加から人口減少へとトレンドが反転。私たちの誰も、この総人口減少の局面を経験したことがない。想像できない。グローバル化した世界の国々の中で、貧困地域での人口爆発社会、BRICsの人口増大社会、先進国家の人口減少社会が、同時にまだら模様に存在している。さらに、人口増大から人口減少社会へと移行する社会は、大きな移行期的混乱に遭遇する。今後の経済政策、企業経営の戦略立案において、経済停滞、経済減少における生存戦略を描いておく必要性がある。それには「人口減少(成熟)社会における労働観・価値観の再構築」をめざす必要がある。その準備作業として、第2章以降では、まず、「日本人の労働に関する意識がどのように変遷していったか」を知るために、それぞれの期間に、労働の現場、会社の内部で何が進行していたのか、そのときの日本を覆っていた気分、ひとびとの生活を支配する価値観とはどんなものだったかを見ていく。

第2章 「義」のために働いた日本人―六〇年安保と高度経済成長の時代 1956‐1973

「声なき声」が聞こえる/零細企業の現場/青い鳥の時代/実証の日々/労働への覚醒/日本的労働エートス 
 日本の高度経済成長の底辺には、自分の身体が変形するほどに、仕事にのめり込み、打ち込むひとびとがすくなからずいた。当時の多くの日本人がこういった仕事観を当然のように共有していた。-日本に特殊な考え方。EX 西欧(アメリカも)的な労働観 ベンジャミンフランクリンー「労働は貨幣と等価で交換されるもの」「貨幣は労働の象徴である」その根底には貨幣にたいする信用、尊敬がある。日本人の場合には労働をする人間に対する尊敬であり、それを貨幣によって表象することはむしろ退けられていた。
 60年代は、このような「日本的労働エートス」が日本人に共有されていた時代。70年代はそれが「逝きし影」になった時代であり、同時に「消費の時代」の幕が開いた時代。ひとびとの主題的な関心は、いかにして働くかというところから、いかにして消費するかというところへ徐々にその軸足を移していく。

第3章 消費の時代の幕開け―一億総中流幻想の時代 1974‐1990

一億総中流の幻想/1973年~79年国民の半数以上が、中流であると意識。73年のエンゲル係数は、約30%、仕事と生活が分離したものになり、ひとびとは生活をより豊かに、楽しむために働くようになった。
日本列島改造論/地元(地方)への利益誘導と、高度経済成長後の日本の再構築へ。年功序列、株式の持合い、護送船団方式と金融安定化、産業保護政策が、落伍者を出さない運命共同体的なシステムを作り上げた。

コンビニエンスストアがもたらした家族形態の変容/ひとびとの消費動向と消費意識の変化に拍車をかけた。ライフスタイルの変化は、家族の性格というものまでを変えている契機になった。24時間の生活の利便性を提供する→いつでも時間を金と自由に交換することができるという観念、労働を金と交換することができるという観念がひとびとの価値観のなかに浸透していくことになった。

週休二日制という革命/日本人の労働意識、余暇に対する意識が決定的に転換したのが、1980年代、週休二日制の導入はその象徴的な出来事。週休二日制の実施は、勤労者が獲得したひとつの「成果」、これによって、多くの勤労者の生活が少しだけ変化。それ以上に変わったのは、勤労者の労働に対する意識。多くの勤労者にとって、生産が主題だった時代が終わり、消費が主題の時代が始まった。これは、これ以後の労働や生活の意識、価値観、生活実態、家族形態まで塗り替えるほど大きな出来事だった。

第4章 金銭一元的な価値観への収斂―グローバリズムの跋扈 1991‐2008 

失われた十年/保護主義的な経済システムに支えられた一億総中流の時代が持続することを、グローバル化する国際的な状況が許さなかった。一億総中流から市場原理的な競争社会移行するミレニアムをはさんだ前後十年。「失われた十年」といわれ、長い不況のトンネルを抜け出されない時期。資産デフレ、設備投資の後退、不安定な連立政権、金融機関の相次ぐ倒産などーこれは長期的な停滞の結果。古い民主主義がひとつの到達点を迎え、新たな段階を見出すまでの移行期的な混乱のひとつ。そして、後に続くもっと大きな混乱への序章が終わったに過ぎなかった。

ヨーロッパの激震/1990年をはさんで、ヨーロッパにおける政治情勢が動揺、イデオロギーに支配された世界の冷戦体制そのものが同時多発的に揺らぎ始めた。そして、驚くべき速度で進行し、冷戦体制は終焉した。日本は経済的にこの冷戦に大きな恩恵を受けてきた。

テレビとインターネット/民主化とは、変化そのものへの欲求(人間ひとりひとりが権利を拡大していくプロセス、同時に他者の権利を剥奪していくプロセスを伴うもの)で、国民国家の中にしか生まれ得ないが、同時に国民国家を消滅させるところまで進展するもの。
 東欧革命とは、テレビという消費資本主義を象徴するメディアがその最後の光彩を放った象徴的なメディアによる革命。(テレビが伝えたのは、先進資本主義社会の幻想)東欧革命、ソ連邦の崩壊で、冷戦体制が崩れ世界がひとつの市場になった。世界のアメリカ化。グローバリズムの始まりであり、超資本主義の始まりであった。IT技術の革新、インターネットの隆盛がアメリカのグローバリズムを後押しした。(アメリカの国家戦略)それは一時的には大きな成功を収めたが…。
 技術の進歩と民主主義の進展が国民国家の枠組みを変質させて、世界を単一のひとつの市場へと押し出していった。そして、皮肉なことにアメリカが推し進めたグローバリズムは、思想的にも、実態的にも、この世界のグローバル化との乖離を広げていく結果になる。

人材派遣法とは何だったのか/日本的経営方式に代わって現れたのが成果主義、自己責任論。人材派遣という業態は、こういったビジネスパラダイムの転換の中で登場。もともとはアメリカで、戦後まもなくこの働き方は一般的に行われていた。80年代になると、日本にも人材派遣業というビジネスが目に付くように。実態は港湾労働者や、建設土木作業員などを過大なピンハネ率で現場に送り込む人材ブローカーが横行していた。
 最初の派遣法(86年)は、そうした違法なブローカービジネスを規制し、派遣労働者の権利を守る名目でスタートしたはず。業種をIT技能者などに制限、指揮権限を一本化し、明確にし、派遣元と派遣先の二重管理を禁止。
 ところが、90年以降の派遣法の改正では、この当初の精神とまったく異なる動機で発案・施行される。名目は、グローバル化する経済競争に打ち勝つため。派遣業種の拡大、製造業務への解禁。この04年の製造業務への解禁は、製造業にとって労働者を需要の変化に応じて自由に雇い入れ、解雇できることに。これで、生産コスト上の最大の問題―在庫調整が一挙に解決に。しかし、労働者の生活そのものは不安定にならざるを得なく。この背景には、激しさを増すグローバルな人件費コストの競争があり、アメリカ側の強い要請もあった。
 96年規制緩和委員会(審議会)の会長は宮内義彦。小泉内閣で総合規制改革会議となり、02年にこれを内閣に具申。そこでは、規制撤廃の結論あり期の論法が展開された。あたかも古くなって使えなくなった機械を新品と入れ替えるがごときの経営観で。ここには、労働者の声はほとんど反映されておらず、委員が労働者の声として「働き方の選択肢の拡大」「雇用機会の拡大」という規制撤廃の必要を代弁したかたちになっている。
 グローバル資本主義というアメリカが推し進めた、世界市場の標準化とは、アメリカの金融帝国主義ともいうべき国策であり、双子の赤字を抱え、製造業から金融にシフトせざるを得なかったアメリカ経済の延命策だった。しかし、2008年9月のリーマン・ブラザースの破綻で大きな挫折に。世界の富を略取するためのシステムがもはや国家の管理なくしては立ち行かなくなった。
 日本の労働改革は、戦後のGHQ主導の民主化政策の一環。労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)の獲得は、組織労働者という新しい階級を作ったが、所詮大手企業内部での出来事に過ぎなかったともいえる。同一価値労働同一賃金という発想も零細だけでなく多くの組織労働者の中にもなじみ薄いものだった。家制度をモデルにした日本の雇用システム自体が、労使契約のもとで労働力を売買するといったヨーロッパ、アメリカモデルとそもそも相容れないものだった。

価値一元化への傾斜/60年代までは残っていた日本的な労働意識が、80年代後半の週休二日制を経て、90年代に大きく変質し、人々の価値観も180度転換していく。それは、同時に、産業資本主義が、消費資本主義を経て、金融資本主義へと変質していくプロセス。
 その時代、誰もが金銭一元的な価値観に収斂していく2000年以降の市場経済の時代と引き比べるとき、労働=贈与に対する返礼は必ずしもそれと等価のものや金銭ではなく、不等価であることに意味がある交換だった。商品交換の中にないもの、価値の創造。労働も、贈与も、その行為そのものが、他の何ものによっても置き換え不能な価値の創造だった。
 一見多様に見える消費生活を決定するのは、透明で万能の尺度である金銭価値。消費の時代においては、金銭そのものが労働の成果であって同時に目的でもあり、労働はそれが生み出すものの価格によってしかその価値を計測されなくなった。かつて金銭に還元されないと思われていた様々な人間活動(親切、もてなし、義務の遂行、贈与など)が金銭で計られるようになり、教育、医療、介護といったことまでも商品(サービス)として流通するようになっていく時代が到来。

第5章 移行期的混乱―経済合理性の及ばない時代へ

経済成長という病/経団連をはじめとする財界が「政府に成長戦略がないのが問題」と。しかし、問題なのは、成長戦略がないことではなく、成長しなくともやっていけるための戦略がないことが問題。
 経済成長がもたらしたものは、消費文明、民主主義の進展、都市の膨張、家族形態の変容あるいは崩壊、情勢の地位向上、婚姻の選択肢の拡大、出生率の低下。それらが総合した結果、いまの日本は有史以来の総人口の減少という局面を迎えている。日本は、戦後60年の長きにわたって続けてきた経済成長の結果として、総人口が減少し経済成長を続けることができない社会構造に、半ば必然的に移行してきた。
 民主化の進展は、因習的な世界を解体し、ひとりひとりが個人の自由な意志で生き方を決めるような、自己責任、自己決定、自己実現という新しい生活様式を急速に促していった。その結果として地域社会の互酬的な共同体はその存在理由を失い、やがて家族が分断され、お互いに無関心であるような孤独なひとびとを大量に排出するような社会が出来上がった。決まったパイを取り合うために、誰もが個人の自由意志や、権利を最大化するようにふるまえば、弱肉強弱の争奪が始まる。激しい競争が生まれ、ひとりが他のひとりの敵になるように振舞う。ひとびとが望んだ民主主義(最大多数の最大幸福)の進展は、それ自体が民主主義の精神への弱肉強弱に向かい、人間が人間らしくという理念はどこかで、自然淘汰が支配する動物の世界に近づいていく。
 日本における歴史上始まって以来の総人口減少という事態は、それまでの日本人の歴史(民主化の進展)そのものが、まったく新たなフェーズに入ったということ。これまで以上の、労働生産性を上げる、イノベーションの実現などの努力は、これまでの経済の拡大と比例して拡大してきた格差や、環境破壊、都市への一極集中などの矛盾をさらに拡大させる。 
 経済成長なしでもやっていける社会を考想し、その考想がひとびとに共有されたとき、人口動態も平衡を取り戻すはず。しかし、当分の間は、様々な試行錯誤と、行き過ぎた金銭信仰にため破壊された労働倫理、拡大を続ける格差などによる移行期的な混乱が続く。

商いの倫理崩壊/経済が停滞期に入ってからの20年間の企業倫理の崩壊には凄まじいものがあった。食品偽装、建築偽装といったものづくりの根幹に巣食った労働倫理に関わる病根。EX、不二家の賞味期限切れ原材料使用は、これこそが株式会社というシステムが持っている病が発病したひとつの顕著な例。かれらに倫理観が欠如していたからでなく、かれらの育てた共同体の倫理そのものが、社会の倫理とは倒立していた。二つの教訓を示している。① 良いものを作っていれば必ず売れるという時代が終わった。② 経営者が危険な禁じ手を使ってまで利益を確保しようとしたことには理由がある(市場原理が生み出した経営の倫理=利益を出すこと、に過大に従順であったがゆえに禁じ手を使った)

格差論の難しさ/「格差とは何を指し、何が問題か」と問えば、世帯間所得格差のデータは公表されているが、ニート、フリーター、単身高齢者など除外され統計その喪に問題があり、要するにデータだけではよく分からない。
 近代化のプロセスの中で、効率を最大化するためには競争ルールを採用することは必然であったが、同時に競争参加者の間に格差が拡大することも必然だった。「格差という物語」は、自らの立ち位置を格差の下位に定めるものと、競争社会というものをさらに推し進めようとするものが共同して紡ぎだした。
競争社会を推し進めようとするものたちは、この格差意識を利用する。格差の下位に甘んじたくなければ、努力せよ、機会は均等に与えられているのだから今のお前のポジションは自分の責任なのだという。
バラバラに切断された個人は、常に他者との比較、あるべき自己との比較において自らを同定しなければならない。その意識こそが意識格差を生み、再生産してゆく。格差とは、格差意識の問題であり、格差意識とはそのメンバーが属している社会そのものが構造的に生み出している問題。
 近代化と民主主義の発展は、この大きな共同体をひとつひとつの地域へと解体し、さらにひとつひとつの家族へと解体し、最後にひとりひとりの個人へと解体していった。共同体が解体されたことの意味は「同一性」よりも「差異性」が主題的となるような生き方が選択され続けてきたということ。自己評価の仕方、「自己実現」といった考え方が生まれてくる土壌と、「格差という物語」が生まれてくる土壌、経済成長を生み出す土壌は同じひとつのもの。このことが、民主化・都市化の進展が民主主義そのものを毀損するという意味である。
 現実の社会において経済成長が止まった後には、個人にとって格差意識は後退し、社会にとっては絶対的な貧困の存在をどうするかという政治課題がクローズアップされるはず。この問題を解決できるのは格差意識から解放された社会の中核メンバーによる社会構造の変更だけある。それによって納税者ひとりひとりの心理的な土壌が、競争から共生へと変革される必要がある。他者との「差異性」が主題となるような生き方よりも、他者との「共同性」が主題となるような生き方が規範となる必要。しかし、現在のところ、わたしたちの社会は経済成長への希望と、経済成長の中で拡大した格差意識とのギャップの狭間で揺れ動いている。

倒産の増加/中小・零細企業をめぐる環境は最悪。リーマン・ショックとそれに続く超円高不況、大手企業の業績悪化は中堅企業への発注減少、その下請けの中小企業、孫受けの零細企業へと下るにつれ、発注量減は酷さを増していった。
 大手企業から末端の零細企業までが、雇用を守りながら数珠つながりになってひとつの生産共同体を形成していたのが、日本的な下請けシステムだった。これまで戦後長い間、日本企業の強さを支えていたのは、この生産共同体の結束の強さと、中小・零細企業の蓄積された技術と職人気質であった。そこには職場に対する愛着、仕事に対する倫理が生き、「非合理的」労働エートスがあった。それが、人材派遣という新しい業態の出現、標準化という名の合理化、工場の海外移転、人手から機械化への技術革新とともに溶解していき、それとともに零細製造業は生き残るすべを失った。

自殺の増加/毎年3万人が自ら命を絶っている。その何十倍、何百倍のひとびとが自殺を考えたことがあるに違いない。自殺の増加も移行期的混乱のひとつのあらわれ。2009年現在で、日本の自殺率は世界第6位。日本より高いのは体制が変わり生活が激変した旧ソ連の国々で共通するところが。
 2000年以降に起きていることは30歳代の自殺の有意的な増加であり、50歳代の自殺の減少。増加する30歳代の自殺の要因は、セカンドチャンスを許さない社会というところにあるのか?むしろセカンドチャンスという言葉に説明されるような人間理解こそがかれらの死に加担している。
 もっともエネルギッシュで、脂の乗り切った人生の絶頂である30歳代で、リーマン・ショックが起こり、日本はついにゼロ成長の時代に入る。かれらの成長は、日本経済の衰退プロセスとみごとに負の相関関係に。時代が悪くなる一方なのに、目の前には誰にでも平等なチャンスが広がっている。それを掴み取れないのは自己責任をまっとうできないお前が悪いのだと言われているような気持ちになる。チャンスを掴むエネルギーが残っていない。ひとは、貧しさだけでは死を選ばない。貧しさを分かち合うものがどこにもいなくなったとき…死を選んでも不思議はない。

予想を超えてすすむ高齢化/人口減少局面とは、民主化の伸展によって女性の地位が向上し、家族形態が変化し、関係が分断され、個人中心の生き方ができるところまで文明が進んだことの複合的結果であり、自然としての人間と文明化した人間が作り出す社会形態のアンバランスを調整しようとする、歴史的な文脈の中で起きてきた出来事。
 人口調整が完了し一定のところで落ち着くまでの数十年間の間に起こる移行期的混乱に対して、十分な配慮と長期的な視野に立った対策が必要。
 介護を必要とする老人数はこれから先の数十年間、ドラスティックに増加する。現状の社会システム(医療制度、介護体制、保険制度)のままでは、老齢化圧力に対応するのは困難。システムの混乱、崩壊というかたちで顕在化してくる。それを新しい分野のビジネスマーケットととらえて、民間企業の大量参入によってまかなうという考え方もあるが、それはまた新たな混乱を引き起こすだろう。競争原理、市場原理でのビジネス化は新たな医療格差、介護格差を生み出すことに。(アメリカがいい例)

交換から贈与へ/ビジネスの基本要件は、売り手と買い手と商品。商品が貨幣と等価交換されるところが市場。ビジネスがビジネスであるためには、交換が繰り返し行われることが必要。この交換の繰り返しを担保するものは、買い手の売り手に対する信用、信頼。市場では単に、商品と貨幣だけが交換されているのではなく、売り手の技術や、誠意というものと、買い手の信用、信頼というものも一緒に交換されている。(ビジネスの二重の交換)市場とは、商品交換の場であるとともに信用創造の場でもある。
 この理路を踏まえると、医療ビジネス、介護ビジネス、教育ビジネス、宗教ビジネスは、ビジネスの要件を満たしていない。例えば、医療ビジネスにおいて、医療サービスを提供するものと、それを享受するものとの関係は、はじめから対等な関係ではない。非対称的な関係のなかでは、等価交換による商品交換はその本来の透明性を確保していくことが難しくなる。医療行為は等価交換というよりは、ほとんど情報や技術の贈与に近いものとなる。贈与の精神が生かされているからこそ、人は安心して医師に身をあずけることができる。贈与というのは経済合理性の及ばない人間的諸活動であり、その最も純粋な形式は、親の子供に対する愛情である。親が子供に注ぐ愛情には理由がない。いや、文化人類学上の、生物生態学上の、哲学上の、歴史学上の理由があるに違いないが、経済学や商品交換で説明できるような理由だけがない。
 現在まで進んできた民主主義、市場経済、フリートレード、人権の拡大というものはこれから先も止むことはないだろう。そういった社会の経済的進歩と、経済合理性の及ばない人間的諸活動を分別する知を早急に立ち上げる必要がある。家族や、共同体、地域社会とその中での、医療、介護、教育、宗教といったことを等価交換の価値観で計量することに、どれほど慎重になるべきかを学ぶべき。それらを学ぶ適切な言葉遣いを立ち上げることが今要請されている。

終章 未来を語るときの方法について

文明の衝突か、文明の接近か/前者はサミュエル・P・ハチントン、後者はエマニュエル・トッド。後者の場合は、宗教や文化の違いの対立軸としての役割は限定的であり、文明の歴史的伸展によって次第に地域間の差異は消滅する方向に向かっており、文明の差異を強調することは現在進行しているほんとうの問題(自由主義、資本主義経済システムが歴史的賞味期限を迎えている)を隠蔽することであり、現実を歪曲しようとする政治的な意図。と。
 両者の見解の違いは思想的な立ち位置の違いにすぎない。未来予測より、未来に向けてどのような遂行的な努力がなされたかが重要。そのために必要なことは、現在をどう理解するかということ。歴史を駆動している、見えない必然の歯車を探り出すことができるかどうかということこそがわたしたちに要請されている知的課題。

歴史への立ち位置/イデオロギーの正当性を争った時代が終わって以後、異なる場所、異なる生活習慣、異なる宗教をもつひとびとと相対したときに、かれらを仮想敵としてイメージするのか、将来の友人としてイメージするのかは、イメージする人間の個人的かつ内的な体験や資質に多く依存している。
 未来について語るものの立ち位置は、その語り口に顕れる。エマニュエル・トッドという学者の語り口の中に含まれている公平さ、世界を切りさばく手つきに大いに関心を持った。

世界を説明する方法/人口動態は民主主義の進展と深いつながりがあるという仮説をもとに「世界が民主主義を発見し、政治的にはアメリカなしでやって行くすべを学びつつあるまさにその時、アメリカの方は、その民主主義的性格を失おうとしており、己が経済的に世界なしでやって行けないことを発見しつつある」という結論を導き出す。『帝国以後』
 『文明の接近』では、世界中のイスラム文化圏の統計数字を調べ上げ結論を。「イスラムは、識字率や人口動態とは関わりなく世界中に分散しており、それゆえに、それぞれの国の民主化の進展と有意な相関はない。イスラムは、他の宗教と比して歴史発展を阻害する特殊性などは持っていない」と。
 歴史がこの先どのような帰趨を辿るのかを説明するため単一の指標というものは存在しない。トッドの慧眼は何を指標にしたらよいかということは、さしあたりいくつかの曖昧な変数を見出すことは可能だが、何を変数としてはいけないかということだけは、明確にすることができることを発見したところ。

人口減少の意味/半世紀にも満たない期間の中で、経済が急速に拡大し、人口が増加し、ひとびとの暮らしの利便性が向上し、文明がその爛熟期へ向けて発展し続けている。戦後日本の歴史は、まさに文明の拡大再生産の歴史であり、日本人の思考法もまた拡大再生産の文脈の中で形成されてきた。
 2006年をピークに総人口が急激に減少、経済成長率が徐々にゼロベースに、若年層の自殺が増え続けている、企業不祥事の質が以前と変化、…これまでの右肩上がり、拡大再生産の歴史プロセスに変化が起きている。
 移行期的混乱とは、これまでの時代の価値観や、方法論、問題への処方といったものの台座そのものが揺らぐことによって起こる歴史の転換過程である。

付録 「右肩下がり時代」の労働哲学(鷲田清一×平川克美)

有史以来の危機/「百年に一度」の経済危機にしては、実際に出てきた政策は極めて対処的なもの。これは、有史以来で、初めて経験するような局面に立っている。社会が進展した結果として現状がある。社会が成熟していった時の労働観や価値観といったものを脱構築し再構築することを誰もやっていない。今は、数千年にわたって増え続けた人口が頂点に到達して、これから減少していく「移行期的混乱期」。

戦後の仕事観の変遷/戦後社会の仕事観は三つのフェーズに分けられる。① 敗戦後の復興期から高度成長期あたりまで、働くことに「義」をかんじることができた時代。② 80年代に高度消費社会に変換。「消費」そのものが経済活動の基準に。消費者の「ニーズ」が準拠点。③ 金融市場、マネーゲームが表に出てきて金で金を買う。外に準拠点を持たないで、内側で金を回すという閉回路をとるように。

「ほしいものが、ほしいわ」/欲望は他者の欲望を欲望し、他者に欲望されたいと欲望する構造に。どこまでも拡大再生産していく、幻想の領域。欲望が幻想化していったプロセスが、70年代、80年代。マネーゲームも一種の所有の所有で、所有権を所有する、守銭奴になってしまう。そういう一種の閉回路に陥ってしまう。

レイバーとコーリング/労働観に二種類ある。レイバーは、要するに骨折り仕事。仕事をネガティーブにとらえることに。同時にこれは少しでも少ないレイバーでより多くの価値を、と考えるように=効率。機械化、労働からの解放されることが成功だと。人を使って自分は資本家になればいいんだと。最後に行き着くのがマネーゲーム。
 コーリングというのは、呼ばれる、召還されるという意味。自分の仕事は、ある種の務め、この勤めを果たすべく自分が呼び出されている。神から、社会から、同胞からなど(プロテスタンティズムの労働観)自分が呼び出されているという感覚が増せば増すほど、充実感が高まる。

なぜ貧乏自慢をしなくなったのか?/贈与経済とは、他者とのコミュニケーション。人に喜んでもらったり、驚いてもらうこと。ギフト。労働もギフトであると見なすこともできる。忌むべきもので、なるべく少ないほど良いという価値観とは対極にある労働観。6・70年代まではそうしたエートスが残っていた。それにやたらに貧乏自慢も。贈与経済は、等価交換ではない。物をもらう代わりに他者から称賛をもらうとか、交換できないものの交換だからこそコミュニケーションなのです。経済としては等価でない交換が行われてほうが循環型の交換が可能。
 本来、勤勉で正直で一生懸命やっているからお金がついてくるという結果が、いつからかお金を持っている人は勤勉な人でレイジー(怠惰)ではないというふうに、金がまさに勤勉性や聡明性だとかのシンボルに。だから、みんなそれを欲しがる。金で人間のある種の特性を買えると勘違いした。

「前傾姿勢」の時代感覚/工業においては少しの時間で最大の生産量を目指すべきですが、農業のほうは急いでしまったら最悪。前近代的な産業社会は、そういう対立する二つのベクトルを持った時間感覚を一人ひとりが持ち合わせていた時代。ところが一次産業の縮小と同時に、待つという感覚がどんどんなくなっていった。(前傾姿勢)
 企業の仕事は、すべて「プロ(Pro)」という言葉が付いている。「前傾姿勢」です。先読み、前のめり。結局「プロ」で考えてしまうと現在をないがしろにする。未来のために今すべきことを考えることは、現在を犠牲にすること。

リベラルとは気前がいいことである!?/「リベラル」という言葉の英和辞典で、一番目の意味は「気前がいい」、二番目が「たっぷりある」、三番目が「寛容である」、そして四番目が「自由な」「自由主義の」と出てくる。「リベラリティ」は、「気前のよさ」という意味。贈与経済につながるような本当の意味での自由というのは、「人に振る舞ってやる自分こそが自由だ」といったような広々としたものでは。「タイム・イズ・マネー」も「時間はお金ほど大事なものなんだ。だから、自分の時間を人にもっと振る舞え」という意味で考えることもできる。気前のよさの交換みたいなイメージでリベラルという言葉を考えたほうがいい。
 「危機」という言葉に乗ってはいけない/危機と言った瞬間に思考停止になる。20世紀は「危機、危機」と言い続けてきた世紀。それでかろうじて生き延びてきた面もある。

<私の感想>


 若い人たちのためのブックガイドー<その1 現在を把握する>の三冊紹介する最後の三冊目。紹介するにつれ、段々長文になってしまった。しかし、この三冊目が一番タイトルの「現在を把握する」にふさわしい、読み応えのある本です。そこで、内容を要約しながら、文章・言葉を確認していったら、初めはスラッと読み飛ばしていたのに、ブックガイドにするとなると偉く時間が掛かってしまった。

 私たちの「現在」とは何かを問うた時、著者は、それは「大きな時代の転換期であり、同時に移行期的な混乱期である。」とする。その論証を、本書では「社会史的・生活史的」に思考をめぐらせ丁寧に行っている。自らが企業経営者でもあってか、労働観、雇用システム、格差と貧困、企業倫理、ビジネス論などに著者の特徴や考えがよく出ています。

 日本人の労働観についての分析にも、著者自身の経験や環境がよく反映されています。しかし、少し物足りない点もありました。最後に、鷲田氏との労働哲学についての対談で、西欧の「コーリング」や「ギフト」という捉え方について出されています。そこでは日本人の労働観との相違、共通点までは述べていません。これからの日本人のそれがどうなって行くのかも含めてもう少し深めて欲しいところです。それでも、本書で、現在、法改正が問題となっている人材派遣法については、その当初の事情とその後の経緯がはっきり分かりました。そして、私は、日本の労働界改革は、もう一度初めからきちんと整備し直すことの必要性を強く感じました。

 「医療、介護、教育、宗教は、経済合理性の及ばない人間的諸活動」というビジネス論から見た見識は、「なるほど!」と思いました。さらに言えば、公務労働とは、自治体の仕事は、… 医療、介護、教育、の諸活動とさらに、医療労働、介護労働、教育労働とは、と労働論からも詳しく見ていく必要があります。(宗教は?)ここでも、「コーリング」や「ギフト」という視点も大切だと思います。

 著者には、エマニュエル・トッドの視点がよく援用されているようです。私は、原著に当たっていないので今のところ著者の評価しか分かりませんが、その視点、語り口は、魅力的です。人口動態で見る。何を変数とすることが可能か(限界も)何を変数としてはいけないか。そのために徹底的な数字を追っていく作業。魅力的ですが、私には、真似ができそうもありません。しかし、私にも「国との関連での自治体の行財政分析をする」という大きな課題がありました。(ほとんど進んでいません。)どうもこのトッドの視点、語り口は、この他にも応用、活用できるような気がします。

 「「前傾姿勢」の時代感覚」と「リベラルとは気前が…」のところでの工業と農業の二つの時間感覚の違いについて。私自身、つい最近まで工場制農業(きのこ栽培)と普通の農業をしていましたから、分かります。工場制は確かにどうしても前傾姿勢になってしまいます。それで結局、自分自身の体を壊すというところまで行ってしまったのです。(今は治癒)二つの時間の問題は、地域再生・創造、地域づくりにも関連してくるように思われます。また、私は、今は、リタイアしていますから、リベラル…のところで言っているように、「自分の時間をどう使うか」→「人のためにも振る舞う」ようなこともしているつもりです。それがボランティアや市民活動であったりしているのです。このリベラルと時間の贈与というようなことも地域再生、地域づくりに関連してきます。

 本書ではこの移行期的混乱への対応について「問題なのは、成長戦略がないことではなく、成長しなくともやっていけるための戦略がないことが問題。」といっています。しかし、それでも、本書の中には、具体的な対応策は何も書かれていません。ただ、「人口調整が完了し一定のところで落ち着くまでの数十年間に起こる移行期的混乱に対して、十分な配慮と長期的な視野に立った対策が必要。」としているだけです。試行錯誤も覚悟し、結局は、時が解決してくれる?時を待つ?ようなところもあるようです。しかし、それでも「現在」とは何か、「現在を把握する」ことがきちんと出来ていないと、より良い戦略や対応策も、立てられませんし、問題を上手に先送りすることすらもできません。

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成熟日本への進路

<BOOKS> (38)                         2010.12.12
若い人たちのためのブックガイド
<その1 現在を把握するー②>                                                  
 成熟日本への進路   ―「成長論」から「分配論」へ

発行/筑摩書房(ちくま新書)2010.6.10発行

内容紹介(「BOOK」データベースより)

 日本はこれからどの方向に進んでいくのか。政治は迷走し、国民は困惑している。既に成熟フェーズに入った日本は必然的に国家ヴィジョンを差し替えなければならない。そして、経済政策や政治の仕組みを再構築しなければ、社会は一層暗く沈滞していくだけである。国民が「自分は幸せだ」と思える社会の姿と、そうした社会を目指す政策、およびその政策を実行するための戦略と新しい社会のしくみを明快に示す。

著者 波頭 亮

1957年愛媛県生まれ。東京大学経済学部卒業。マッキンゼーを経て、88年(株)XEEDを設立し独立。戦略系コンサルティングの第一人者として活躍する一方で、明快で斬新なヴィジョンを提議するソシオエコノミストとしても注目される。

目次

まえがき

Ⅰ 21世紀日本の国家ヴィジョン

1)国家ヴィジョンの不在
ヴィジョンがないからダッチロールする/ヴィジョンを転換できずに衰亡した清国と共産主義国/橋本、小泉、鳩山内閣に共通するもの

2) 日本が成熟フェーズに入ったことの意味
成長フェーズが終わったという事実がスタートライン/日本が成熟フェーズに入ったことの検証((1)GDPの成熟、(2)成長因子の消失)

3) 新しい国家ヴィジョン「誰もが医・食・住を保障される国づくり」
成熟フェーズであるのなら一直線に決まるヴィジョン/「悪くなっていく」と予想し、「不安を感じている」と答える人々が増え続けている/社会保障が一位、高齢化対策が二位/格差は小さいが、貧困者が多い日本/医・食・住を保障するという社会インフラ/5.4兆円あれば、医療・介護はタダになる/10兆円あれば、すべての貧困者の生活を保障することが可能/「不信と敵意に満ちた社会」を作らないために/追加コストは「たったの24兆円」である/財源確保の具体策(?消費税、?金融資産課税、?相続税の大幅アップ)/イギリス並みで充分、余裕をみてもフランス以下/国民の心の準備と覚悟はできている

Ⅱ 経済政策の転換

1) 成長戦略は要らない
「失われた10年」を「失われた20年」にした景気対策/主軸は産業構造のシフト:福祉産業と輸出産業/公共事業の三つの効果/「二本目の高速道路」と「僻地の高速道路」は効果無し/乗数効果は今や1.0以下!?/お金を直接渡す方が合目的的/公共事業をカットしたら経済は成長した

2) 成長論から分配論へ
最初は成長論が国民全体に恩恵をもたらす/「規制緩和」政策への転換と副作用/同じGDPでも所得の再配分で社会はより豊かになれる/増税から逃げてきた政治の怠慢と経済の歪み/増税は全ての政策を健全化する/間接給付ではなく直接給付を/1.ベイシックインカム──国家による生生存権の絶対保障/2.マイナスの所得税──共生・調和型社会の福祉税制/セーフティネットはこれからの時代の"公共財"

3) 産業構造をシフトする2つのテーマ
(1)医療・介護サービスの拡充(先進国の中でもかなり低水準な日本の社会保障/「年金・生活保護」と「医療・介護」の性質の違い/医療・介護は大きなGDPと雇用を生むこれからの主力産業)/(2)医療・介護サービスを拡充するための二つの政策(1.規制緩和、2.労働条件の改善策)/(3)外貨を稼ぐ産業の育成(石油代と食糧代で27兆円の外貨が必要/内需型産業の拡大ばかりを叫ぶのは危険/ハイテク型環境関連が本命/産業構造シフトに向けての対照的な二つの政策方針)

4) この国のかたち「社会保障と市場メカニズムの両立」
/成熟国家に適した"経済活力の確保"とは/国民負担率70%でも「幸せ度No.1」のデンマーク/アメリカとデンマークの二つの共通点(1.教育への投資が世界トップ水準/2.労働者を解雇しやすい)/高福祉だからこそ自由経済/企業の自由度を上げることが国民経済のパイを大きくする/高福祉と雇用保護のセットは危険な組合わせ/現代の教育への投資は産業インフラの整備である/「ゆとり教育の失敗」から立ち直ったアメリカの前例

Ⅲ しくみの改革

戦略の実行には「組織・制度」こそ重要である/しくみをセットで取り替える必要がある

1) 行政主導政治のしくみ
①.官僚機構の二つの本能──「変化の排除」と「自己増殖の追求」(歴代の行革は官僚によって骨抜きにされてきた/平成の大合併でも公務員の数はほとんど減っていない)/②三権分立の頂点に立った官僚(「大臣に従わない」という方法)/なぜ大臣は従わない官僚をクビにできないのか/「行政裁量に対する司法の敬譲」の絶大な威力

2) 官僚機構を構築している4つのファクター
官僚はベストアンドブライテスト/?.行政裁量権とデータの独占による「実質的な政策決定権」(行政裁量と委任立法で政策を自由にコントロール/自在にデータを操って政策の根拠をコントロール)/①.人事自治権と共同体ルールによる「組織的結束力」(軍隊以上に強力な強固かつ柔軟な官僚組織/組織論的テクニックの集積/一般的テクニックを超えた緻密な仕掛け/465万人の利権と世論の圧力)/②.ブラックボックス化した特別会計による「莫大な資金力」(特別会計は"官僚のサイフ"/一般会計の4~5倍にも及ぶ莫大な金額/会計監査院ですら解明できない/自由自在に使う目的は天下り先の確保)/③.メディアの掌握による「プロパガンダ機能」("官僚のポチ"という呼称が意味するもの/官僚機構の思惑をプロパガンダする"第4の権力"の不見識)

3) 官僚機構の改革戦略
官僚機構改革の二つの戦略ポイント(①.人事権の掌握/②.特別会計の解消/予算規模を207兆円としたスコープは正しかった/二つの予算制度を統合する/ガラス張りになれば、10兆円がういて来る)/メディアへの期待(ベルリンの壁崩壊の立役者は衛星放送/日本のメディアは部数は多いが、内容は横並び/メディアのジャーナリスト魂に期待するのみ)

4) 国民が変わらなければならないこと 
「日本は世界で最も弱者に厳しい国」というアンケート結果(「働かざる者、食うべからず」か?/かつて共産主義体制がうまくいかなかった理由/主権者としての責任意識と報酬

あとがき

内容の解説

 まえがき は、「自分は幸せだ」と思う人の比率が世界一のデンマーク(税金が所得の7割以上)「自分で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と思う人の比率が世界一の日本。この二つの国の対比から始まります。

 日本以外の国で「自力で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と答える人の割合が10%を超えている国はアメリカ以外にはなく、それも28%。日本の38%と比べるとかなり低い。アメリカは自由と自己責任の国なので社会の勝負は弱肉強食ではあるが、寄付の金額は世界一。アメリカ人は世界一少ない日本人の40倍も寄付をしている。日本は、貧困による自殺者の数も世界一。寄付はしない。弱者を救う必要はない。未だに「大事なのは経済成長だ。」だと思っている日本。こんなことで日本は本当に大丈夫か。と本書は問います。

 しかし、それは、「弱者に厳しいのではなくて、「国」を信用していないだけなのかもしれない。」としています。「日本という国は国民が求める社会の方向へ進んで行けそうにない。国民が幸せだと思える社会の姿を考え、そうした社会を目指すための政策を検討し、その政策を実行するための社会のしくみを示す」のが本書の目的だとしています。

Ⅰ章 21世紀日本の国家ヴィジョン

 1) 国家ヴィジョンの不在 では、今の日本の置かれている状況を
① 日本が成長フェーズから成熟フェーズに移ったために、従来型の国家ヴィジョンと実現のための方法論は無効化した。
② 現在、新しい国家ヴィジョンが示されていないが故に、政策はダッチロールし、国民は将来に向けての見通しが立たず、不安ばかりが増大している。
③ 今の日本が最も必要としているのは、成熟フェーズにあって国民が豊かで幸せな生活を送ることができるような社会のしくみと運営のあり方を示す国家ビジョンである。

 2)  日本が成熟フェーズに入ったことの意味 では、以下データや歴史的事実による検証を行っています。そして、それに基づいて 

 3)  新しい国家ヴィジョン:誰もが医・食・住を保障される国づくり で財政的に十分可能であるとする具体的な政策が示されています。その最後に、「国民の心の準備と覚悟はできている」とし、特に二十代、三十代の人達は,…既に成熟化社会の理念とライフスタイルを先取りしている…この新しい国家ヴィジョンは、「新たな国民負担を引き受けてでも、喜んで推進していきたいという国民的コンセンサスの得られる」としています。

Ⅱ章 経済政策の転換 では、Ⅰ章を受けて、その国家ヴィジョンを実現するための方法論、主に経済政策の解説が述べられています。

 1) 成長戦略は要らない では、従来型の経済政策は無効であることを示し、今後取るべき経済政策の核心を「産業構造のシフト」としています。

 2) 成長論から分配論へ では、どのようにして新しいヴィジョンを実現したら良いかという政策テーマ 「どう分配するか」→「生み出されたGDPをどの国民にどう分配すれば、生活の保障を公平・公正に提供できるのかを計画すること」を示しています。この政策テーマは、次の三点でこれまでの政策と大きく異なるとしています。? 政策の目的 経済成長を達成すること→国民に生活の安心を保障すること ? 政策の対象 産業及び企業→消費者であり、労働者である国民 ? 政策の方法 (産業・企業に対する)指導と管理→国民に対して直接サービスを提供する 

 3) 産業構造をシフトする2つのテーマ では、「産業構造のシフト」は、新しい国家ヴィジョンを実現するために必要な“成長戦略”も“内需拡大”も満たし得る統括的産業政策、としています。そのための2つのテーマとして、① 成熟型福祉社会における公共財としての医療・介護サービスを担う内需型主力産業として拡充。② 石油や食糧の輸入代金を稼ぐための国際競争力のある高付加価値型輸出産業の育成。を挙げています。

 4) この国のかたち「社会保障と市場メカニズムの両立」 ここまでの政策を行うことによって日本がどのような経済構造を作り上げるべきなのか、どのようなしくみとメカニズムによって運営していくべきなのかは、「社会保障と市場メカニズムの両立」としています。そのためには、高福祉を賄うための高負担(増税)のみならず、成熟した日本社会を継続的に支えるための経済活力を確保する必要がある。としています。それは、即ち経済効率を上げること、規制緩和、企業に自由な活動を保証する市場メカニズムの尊重だ。としています。そこで、再びデンマークが登場してきます。デンマークの自由経済では、労働者を解雇しやすく、流動性が高く、企業の自由度を上げることで、国民経済のパイを大きくでき、高福祉が実現できている。としています。そして、フランスやドイツのように、高福祉と雇用保護のセットは危険な組み合わせになる。としています。

Ⅲ章 しくみの改革 では、国家ヴィジョンの実現、経済政策の遂行のために必要なしくみの改革が述べられています。

 1) 行政主導政治のしくみ で、「官僚と官僚機構は国民の意志と政治のしくみから超越したポジションに陣取って自分達の組織の増殖と自分達が敷いた路線の踏襲のみをやり続けている」とし、その改革の必要性を述べています。

 2) 官僚機構を構築している4つのファクター では、官僚制度をこれほどまで強固にしている構造的ファクターを整理しています。

 3) 官僚機構の改革戦略 ここでは、官僚機構改革の戦略ポイントを述べ、最後には、官僚機構の思惑をプロパガンダしてきている第4の権力、メディアに対し、官僚機構との関係を主体的に変えていくよう、その見識とジャーナリスト魂に期待しています。

 4) 国民が変わらなければならないこと ビジョン(Ⅰ章)を実現するために戦略(Ⅱ章)が必要で、その戦略を実行するためには適切な組織(Ⅲ章)が整えられなければならない。そして、そのためには、ビジョンが国民の価値観や精神風土と合致していなければならない。つまり国民の意識が変わっていかなければならない。としています。そして、ここで まえがき のところの「日本は世界で最も弱者に厳しい国」というアンケート結果にもどります。これは、国家ビジョン「誰もが医・食・住を保障される国づくり」を目指す上で大きな障害になります。

 それには、デンマークのように主権者としての責任意識を持つこと。国民の一人一人が社会作りに対する責任感を持って、政治のしくみや政府の仕事について考え、税金の使い方に目を光らせて、きちんと声を上げるという姿勢(民主主義社会の大原則)を意識として持つこと。としています。そうすれば、国民はその報酬として経済成長以上の貴重なものー国民の誰もが「自分は幸せだと思う」と答えられる生活と社会を得ることができる。としています。

あとがき では、著者がこの19年の間に「個人主義的リベラリストから穏健な社会論主義者へと変身していた。」と価値観の転向を告白。4~5年前から、市場主義的経済政策を強力に推進したとしても、世の中はハッピーにならないと思うようになった。という。そして、これは、社会の成長フェーズが終わって成熟フェーズに入ってしまったという事実が全ての要因。としています。

私の感想

 著者は、国家ビジョン「国民の誰もが医・食・住が保障される国づくり、国民が幸せといえる国づくり」を提唱しています。そのこと自体は大いに共感を持ちます。現状認識については藻谷浩介氏「デフレの正体」でも論じられていたこととほぼ共通認識でしょう。全ての国民に,医・食・住を保障するための追加的コストは、たったの約24兆円だ。としています。日本の国民負担率を現状の41%(先進国でアメリカの35%に次いで低い)をイギリス並み(48%)で、32兆円増、からフランス並み(61%)で、75兆円増にすれば良いとしています。「増税は不可避」ということも、支出のムダを無くした上でならこれも同意します。現在の国債だのみ〔借金〕では、責任が曖昧になり、税で徴収されれば、国民は使い道に敏感になります。増大する高齢者への負担は、その時々の税で賄われるように軌道修正しなければなりません。特別会計が国家の予算プロセスとは別の、官僚主導の予算となっているのも特別会計と一般会計の一本化“統合会計予算”に一刻も早くすべきでしょう。

 このように国家ビジョンやザックリとした「配分論」には概ね同意しますが、個々の戦略にあたるところが問題です。「社会保障と市場メカニズムの両立」として、「経済効率を上げること」、「規制緩和」、「企業に自由な活動を保証する市場メカニズムの徹底的な尊重」をいっています。デンマークを手本?としているようで、「高福祉だからこそ自由経済」という考えでしょう。しかし、これは市場の失敗・限界を是正するため、市場メカニズム・自由経済そのものを安定させるための社会保障(福祉国家)になりかねません。デンマークのように、「労働者は従業員として企業に守られるべきなのではなくて、国民として国家に守られるべきなのである。」というのも日本ではとてもそこまでのハードルが高いです。

 著者は「成長を追い求めるのではなく、分配を重視すべきだ」としていますが、一方では「石油や食糧の輸入代金を稼ぐための国際競争力のある高付加価値型輸出産業の育成」ともいっています。確かに日本はある程度、貿易で稼がなければ、食べて行けない国になっており、その点では著者がいっていること理解できます。しかし、この国際競争力というのもクセモノです。

 「社会保障と市場メカニズムの両立」ということは、両者のバランスを取る、ということでしょう。しかし、あくまで、それも国家ビジョン「国民の誰もが医・食・住が保障される国づくり、国民が幸せといえる国づくり」というミッション実現のためのものであるはずです。現在の日本の企業・産業のあり方を考えると、結局、国際競争力のみに突っ走って国民・労働者を犠牲にしてしまうことはこれまでの歴史を見れば明らかです。経団連をはじめ日本の企業・産業が自覚的に変わらなければどうしようもありません。しかし、それはあまり期待できず、国や自治体が変わるように規制・強制せざるをえないでしょう。

 デンマークと違って、日本では、あまりにも労働者の権利が守られていません。労働者の力が、労働組合が弱すぎます。労働者という以前の国民の生存権(憲法25条など)も守られていません。その点では、著者が否定するフランス、ドイツからデンマークには無いようなことで、日本が学ばねばならないことがあると思います。

 本書は、若い人たちのためのブックガイド「その1 現在を把握する」の2冊目です。本書は、「現在の把握する」以上のことが書かれています。著者自身が「個人主義的リベラリストから穏健な社会論主義者へと変身していた。」といっているように、このところこうした方が増えています。それは大いに歓迎し、その国家ビジョンなどにも共感しますが、具体的な政策やしくみ作りは、まだまだ隔たりがあるようです。それは、この後の「その2、現状を打開するには?(仮称)」で引き続きブックガイドをする中で、再度検討していくことになるでしょう。

 ですから、ここでは、著者がいう
①「社会の成長フェーズが終わって成熟フェーズに入ってしまった」ということ。
②「成長論」から「分配論」へ議論をしていくことが必要だということ。
③「国民の誰もが医・食・住が保障される国づくり、国民が幸せといえる国づくり」を国家ビジョンすることを、国民的な合意・確認を得る必要があること。さらに、今回、まだ詳しく吟味できていませんが、
それには、「国民〔の意識〕が変わらなければならないこと」があるということ。を確認できれば良いのではないかと思います。

 さらに、もう一つ、私が付け加えるならば、
⑤企業・産業もそうした国家ビジョンに従うよう(国家ビジョンを共有するよう)国と自治体、それに市民が強制しなければならない。ということもあると思います。もっとも、企業・産業が国民の一員だという自覚を持っていただければ強制など必要なく、共生ができるわけです。〔理想論ですが…〕

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デフレの正体 ― 経済は「人口の波」で動く

<BOOKS> (37)                      2010.12.11
若い人たちのためのブックガイド
―<その1 現在を把握する-①>―     

はじめに

11月6日と12月4日の2回 私は、ブックトーク連続講座を受けました。2回目には、「旅に出る」をテーマにして、小5・6年~中学生向けのブックトークをすることになり、そのシナリオを作りました。ブックトーク自体は散々の出来でした。しかし、その準備の過程、シナリオ作りが大変勉強になりました。

また、朝日新聞掲載の「ヤングアダルトのためのブックサーフィン」というコーナーがあり、このブックトークを準備する過程で改めてよくチェックしてみました。そこでは、「読むぞ!ホップ ステップ ジャンプ」の副題で、本田由紀、佐藤 慶、池田清彦の3氏が、交代で、青年向けに、毎週3冊本の表紙の写真なども入れて、本のガイド・紹介をしています。私は、読んでみて、青年だけでなく私などにも参考になることが多くあり、そして、それがブックトークのシナリオにも共通するところがあるように思われてきました。

12月4日に初めてブックトークをしてみて、その大変さが少し分かりました。今後もこのブックトークにも挑戦はしていきます。しかし、私はどちらかというと、こうしたプレゼンのようなことより、これまでも<BOOKS>でかなりの数の書評をしてきていますが、文章を書く、シナリオを作る、本のガイド・紹介をする方が得意だと分かりました。

そこで、これまでの <BOOKS>〔書評〕 の変形として、「○○○の(ための)ブックガイド」というのを始めたみたいと思いました。手始めに「若い人たちのためのブックガイド その1、現在を把握する」をやってみます。

この「その1、現在を把握する」で取り上げる本は、次の三冊です。① デフレの正体、② 成熟日本への進路、③ 移行期的混乱 です。いずれもここ半年位の間に発行された新刊です。この「その1 現在を把握する」の後には、「その2、現状を打開するには?(仮称)」のようなものを考えています。

① デフレの正体>― 経済は「人口の波」で動

(角川oneテーマ21) [新書]  2010.6.10 発行 

著者 藻谷 浩介

1964年、山口県生まれ。株式会社日本政策投資銀行地域企画部地域振興グループ参事役。88年東京大学法学部卒、同年日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。10年度より現職。政府関係の公職多数

内容紹介(「BOOK」データベースより)

「生産性の上昇で成長維持」というマクロ論者の掛け声ほど愚かに聞こえるものはない。現実は内需にマイナスに働いているからだ。「現役世代人口の減少」、日本の問題はここにある!誤った常識を事実で徹底的に排す!!
日本最大の問題は「二千年に一度の人口の波」だ。「景気さえ良くなれば大丈夫」という妄想が日本をダメにした。これが新常識、日本経済の真実。

目次(と項目・解説)

第1講 思い込みの殻にヒビを入れよう

「景気の波」を打ち消すほど大きい「人口の波」(生産年齢人口=現役世代の数の減小と高齢者の激増)が、日本経済を洗っているのだ、という事実を。

第2講 国際経済競争の勝者・日本

世界同時不況なのに減らない日本人の金融資産/バブル崩壊後に倍増した日本の輸出/世界同時不況下でも続く貿易黒字/世界中から莫大な金利配当を稼ぐ日本/中国が栄えれば栄えるほど儲かる日本/中国に先んじて発展した韓国・台湾こそ日本の大得意先/フランス、イタリア、スイスに勝てるか(競争―最高級品は日本、という分野を増やさなくては…)

第3講 国際競争とは無関係に進む内需の不振

「戦後最長の好景気」の下で減り始めた国内新車台数/小売販売額はもちろん、国内輸送量や一人当たり水道使用量まで減少する日本/なぜ「対前年同期比」ばかりで絶対数を見ないのか
第4講 首都圏のジリ貧に気づかない「地域間格差」論の無意味
「苦しむ地方の例…個人所得低下・売上低下の青森県/「小売販売額」と「個人所得」で見える「失われた10年」のウソ/「地方の衰退」=「首都圏の成長」とはなっていない日本の現実/「東京都心部は元気」という大ウソ/名古屋でも不振を極めるモノ消費/地域間格差に逆行する関西の凋落と沖縄の成長/地域間格差ではなく日本中が内需不振

第4講 首都圏のジリ貧に気づかない「地域間格差」論の無意味

「苦しむ地方の例…個人所得低下・売上低下の青森県/「小売販売額」と「個人所得」で見える「失われた10年」のウソ/「地方の衰退」=「首都圏の成長」とはなっていない日本の現実/「東京都心部は元気」という大ウソ/名古屋でも不振を極めるモノ消費/地域間格差に逆行する関西の凋落と沖縄の成長/地域間格差ではなく日本中が内需不振

第5講 地方も大都市も等しく襲う「現役世代の減少」と「高齢者の激増」

苦しむ地方圏を襲う「二千年に一度」の現役世代減少/人口が流入する首都圏でも進む「現役世代の減少」/所得があっても消費しない高齢者が首都圏で激増/日本最大の現役減少地帯・大阪と高齢者増加地帯・首都圏/「地域間格差」ではなく「日本人の加齢」/団塊世代の加齢がもたらす高齢者のさらなる激増
第6講 「人口の波」が語る日本の過去半世紀、今後半世紀
戦後のベビーブームが15年後に生んだ「生産年齢人口の波」/高度成長期に始まる出生者数の減少/住宅バブルを生んだ団塊世代の持ち家取得/「就職氷河期」も「生産年齢人口の波」の産物/「生産年齢人口の波」が決める就業者数の増減/「好景気下での内需縮小」が延々と続く

第6講 「人口の波」が語る日本の過去半世紀、今後半世紀

戦後のベビーブームが15年後に生んだ「生産年齢人口の波」/高度成長期に始まる出生者数の減少/住宅バブルを生んだ団塊世代の持ち家取得/「就職氷河期」も「生産年齢人口の波」の産物/「生産年齢人口の波」が決める就業者数の増減/「好景気下での内需縮小」が延々と続く


第7講 「人口減少は生産性上昇で補える」という思い込みが対処を遅らせる

「生産性」と「付加価値額」(企業の利益+地元に落ちるコストの一部)の定義を知っていますか?/生産年齢人口→付加価値額の減少を、原理的に補いきれない生産性向上/「生産性向上」努力がGDPのさらなる縮小を招く(日本の産業は、付加価値額を上げる方向に、人減らしではなく商品単価向上に向け努力すべき)/簡単には進まない供給側の調整/高齢者から高齢者への相続で死蔵され続ける貯蓄/内需がなければ国内投資は腐る/三面等価(GDP=生産=支出=分配)方式の呪縛/「国民総時間」(国民が経済活動に使える時間の総合計)の制約を破ることは可能なのか?―最も希少な資源が労働でも生産物でもなく実は消費のための時間「時間の経済学」

第8講 声高に叫ばれるピントのずれた処方箋たち

「経済成長こそ解決策」という主張が「対策したフリ」を招く/「内需拡大」を「経済成長」と言い間違えて要求するアメリカのピンボケ/マクロ政策では実現不可能な「インフレ誘導」ト「デフレ退治」/「日本の生き残りはモノづくりの技術革新にかかっている」という美しき誤解/「出生率上昇」では生産年齢人口減少は止まらない/「外国人労働者受け入れ」は事態を解決しない/アジア全体で始まる生産年齢人口減少に備えよう(日本で売れる商品を生み出し、日本で儲けられる企業を育てることで、高齢化するアジアに将来を示す)
   
第9講 ではどうすればいいのか(1)高齢富裕層から若者への所得移転を

若い世代の所得を頭数の減少に応じて上げる「所得1.4倍増政策」/団塊の世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そう/若者の所得増加推進は「エコ」への配慮と同じ/「言い訳」付与と「値上げのためのコストダウン」で高齢者市場を開拓/生前贈与促進で高齢者富裕層から若い世代への所得移転を実現

第10講 ではどうすればいいのか(2)女性の就労と経営参加を当たり前に

現役世代の専業主婦の四割が働くだけで団塊世代の退職は補える/若い女性の就労率が高い県ほど出生率も高い
第11講 ではどうすればいいのか(3)労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を
高付加価値率で経済に貢献する観光収入/公的支出の費用対効果が極めて高い外国人観光客誘致

補  講 高齢者の激増に対処するための「船中八策」

高齢化社会における安心・安全の確保は第一に生活保護の充実で/年金から「生年別共済」への切り替えを

第1講から第6講までは「日本経済が直面している人口成熟問題のラフスケッチ」―客観的事実の確認です。
その後の第7講は、過った対処法の「生産性さえ上げておけば大丈夫」論。第8講は、その他の過った対処法。
第9.10.11講は、具体的な対処法。そして、補講は、人口の波が生むもう一つの大問題―「激増する高齢者に対応してどのように医療福祉や生活の安定を維持していくのか」の安心安全確保策(著者の大まかなビジョン)。

おわりにー「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本」へ 

現実の経済は悪循環の方向にー団塊世代の一次退職→彼らの年収の減少→彼らの消費の減退→内需対応産業の一層の供給過剰感→内需対応産業の商品・サービスの値崩れ→内需対応産業の採算悪化→内需対応産業の採用抑制・人件費抑制→内需の一層の減退、という国内経済縮小の流れ。

 団塊の世代の一次退職に伴って浮いた人件費を若者に回す努力をすることで、内需の減退を防ぎ、際限ない経費削減地獄を脱することが可能。高齢富裕層が座して株価下落を見ているのではなく、持っている金融資産の1%でも消費に回してくれれば、国内経済はドラスティックに浮揚するが…。しかし、現状は、皆でお互いのクビを締め合っている。

 この事態を招いた最大に原因が、「日本人の加齢に伴う生産年齢人口の減少」という事態の本質を無視し、現状を無理やり「景気循環」だけで説明してしまうこと。過去10年以上と同じように、適切な対策を取らなければ、今後ともずっと、企業の過剰在庫は腐り続け、内需は縮小続ける。

 生産年齢人口減少は、「日本の雇用や内需を維持しつつ同時に生産性を高めていける」大きなチャンスでもある。企業は「景気対策」を政府に任せるのをやめ、自らが若者を雇用することで内需を拡大させる。政府は困窮した高齢者へのセーフティネットを万全にすることで、高齢者の退職を促進する。―そうすれば数十年後の日本は、現在の経済規模を維持したまま、数割は高い生産性を達成。若い世代の所得上昇、女性就労の促進、団塊世代死去で社会福祉負担の絶対量減少、これらによって出生率上昇・安定へ。

 その頃の日本、生産年齢人口3-4割減の国土の姿は、コンパクトシティ化に。美しい田園も、個性を持った都市景観も、耐震性の高い高品質の建物に立て直す「減築」が当たり前に。「土地の所有と利用の分離」の常態化など進み、土地所有が貯蓄手段でなくなっていく中で、工芸・美術品や優れたデザインの建築物などヴィンテージの付く商品が貯蓄手段に。地域の個性を活かした手作りの地産地消の増加、高価な地産地消品のアジア諸国への輸出の流れも太く。

 人口減小の中で一人一人の価値が相対的に高まる中、その中で暮らす人々も、それぞれやりがいのあることを見つけて生き生きと。未来の実現に向けて自分の地域を良くして行こうと活動する老若男女はどんどん増えている。

私の感想

著者が本書で繰り返し主張しているのは、経済状況を分析する際に失業率や前年同月比といった指数ではなく、生産年齢人口や小売販売額といった実数を使えということでした。第6講では、「戦後復興の中で、たまたま数の多い団塊世代が生まれた。彼らが加齢していくのに伴い、そのライフステージに応じてさまざまなものが売れ、そして売れなくなっていく。この単純なストリーで説明できてしまう」と言っています。私自身も団塊の世代ですから、自分自身のライフステージを振り返ると全く納得してしまいます。しかし、こんなことを経済学者たちは言って来なかった。「目からウロコ」の思いです。団塊世代の定年退職と子どもの減少による「生産年齢人口減少に伴なう就業者数の減少」こそが、平成不況とその後の「実体なき景気回復」を生み出しました。

 人口動態、つまり生産年齢人口の減少と高齢者人口の増加。端的に言えば、消費をリードする若い世代がお金を持たず、多くの金融資産は消費意欲の低い高齢者が持つ。その結果内需は低迷し経済も停滞すし続けているということです。

この事実認識を共有した上で、政府、自治体、企業も対策を講じなければならないのにそうなっていない。そればかりか間違った対処法を取り続けている。そして、著者が示している具体的な対処法については、第9.10.11講は、私も、概ねそうすべきだと思いました。その具体的な検討は、この後の予定(何時になるか?)の「その2、現状を打開するには?(仮称)」で、したいと考えています。しかし、補講 高齢者の激増に対処するための「船中八策」 は、「生活保護の充実」は良いとして、問題は「生年別共済」の方です。世代間論争になるかもしれませんが慎重に議論する必要があります。

おわりにー「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本」へ は、もうこの時点(数十年後の日本)では私自身は存在していません。私もそうした美しい日本を見るまで生きていたいのですが…(但し、現在、日本にあるコンパクトシティは問題点が多い)しかし、こうした大きなスパンで将来を描くことは、今の若い人たちとその子どもたちにとっては、大変必要なことだと思います。

本書によって、今後の日本の経済が、長期的にどう変化するのか、どうなっていくべきかが、ある程度は予測できます。本書は7月に図書館見つけて読みました。8月にはアマゾンで注文したのですが新刊が入手出来ず、先ず、中古本を購入。遅れて新刊が届くと東京で暮らす息子夫婦(団塊ジュニア)に必ず読むようにと贈りしました。香川の娘夫婦にも読むように勧めているところです。今後の日本の社会をどうすべきか、これは、彼ら団塊ジュニア達が主力になって行くことです。私たちは、それに対して、彼らの邪魔にならないようしたいし、出来ることなら助力もしたいと思います。この「若い人たちのためのブックガイド」は、私なりの助力のつもりでまとめてみました。この後もこの“おせっかい”を続けるつもりですので、どうぞお付き合い願います。

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<子どもの本シリーズ16>

<子どもの本シリーズ 16>

ブックトーク連続講座 
第2回ブックトークの実技(参加者による)をしてみて
                                     
                                                               2010.12.5  
日時:2010年12月4日 午前10時~12時
ところ:栗原市立図書館 2階 視聴覚室
講師:高梨 富佐(たかなし ふさ)氏 (東北福祉大学兼任講師 富士大学司書講習講師)

散々だった初めてのブックトーク

 第2回目となるこの日は、三つの課題:①お母さん ②ともだち ③旅をする の中から1つのテーマで、3冊の本を選び、そのブックトークをというものです。講座参加者14人中、12人が参加し、そのうち10人の発表がありました。

 私は、6番目。1人10分ほどに収めるようにという講師の高梨さんの指示のもと始めました。5人までで、既に10分を皆さん、少しずつオーバーしているのに加え、何と私が、約20分というこの日一番ルール違反。私の後の5人の発表者の方々に多大のご迷惑をおかけしました。私は、「旅に出る」をテーマにして、小5・6年~中学生向けのブックトークをしました。予定の10分を大幅にオーバーしたように、ブックトーク自体は散々の出来でした。初めてブックトークをしてみて(リハーサルもしなくて)、その大変さが少し分かりました。まだ始めたばかりですが、私自身にとってこのブックトークという方法が、向いているかどうか少し疑問に思えてきました。しかし、今後も、しばらくはこのブックトークに挑戦はしていきますので、この際、私なりにきちんと反省をしておきたいと思いました。

私の反省点を整理すると

* シナリオとその基になる材料とは違うこと。
* 思いを伝えることが主になるのではなく、あくまでも本の紹介をする。
* 全ての本〔3冊〕の要約をするのではなく、思いきってポイントを絞ること。
* 本を開いて、その〔絵〕本を子どもたちと一緒に楽しんでみること。
ex「旅の絵本」―その絵の中の遊びー「かくし絵」「ダマシ絵」「物語の登場人物」などを一緒に探してみるとか。
* 子どもたちが、読んでみたいと思うように運ぶように。(プレゼンテーションの工夫を)
* 紹介する本は、入手がし易いものであること。
* リハーサルは、必ず数回行うこと。〔所用時間の確認を〕

講師からの助言 

 私の反省点にもそれは反映されていますが、その他に、

* ブックトークは、回数を重ねることが必要。勉強の場を。
* そのためには子どもに向けての機会を作ること。通常のお話会でも、その最後に関連する本の紹介を短くするとか。
* 1つのテーマにそって、お話会を皆で準備するとか、その中で本の紹介ができるようにするのも1つの方法。
* こうしたことを第一歩として、1~2年続けて行けば、何とかできるようになるのでは。
* 一人一人のスタイルが違ってもしょうがないこと。自分のスタイルでするしかありません。

最後に、私は… 

 今回の初めてのブックトークは反省することばかりでした。しかし、私は、その準備の過程、シナリオ作りが大変勉強になりました。それにだいぶ時間をかけてしまいました。私はどちらかというと、実際のブックトークをするーこうしたプレゼンテーションのようなことをするより、これまでも<BOOKS>でかなりの数の書評をしてきていますが、文章を書く、シナリオを作る、本のガイド・紹介をする方が得意だ、面白いと分かりました。
                                                   



ブックトーク テーマ   「旅をする」  シナリオづくりの材料 

                                                          2010.12.4   

はじめに

ー物語、とりわけ、幼い子向けの文学には、子どもたちの喜ぶお話に、一つの形式があります。それは、「行きて帰りし物語」(瀬田貞二の仮説―トールキンの「ホビットの冒険」から。トールキンの全体験の中から一つの結びとして出た哲学)であり、人間というものは、たいがい、行って帰るもの。小さい子どもはそれをくり返します。一所にはじっとしていない、何かをする、友のところへ行ったり、冒険したりする。そしてまた帰ってくる。―これ自体が「旅をする」ということでもあるわけです。(参照:「幼い子の文学」瀬田貞二著 中公新書)

 今日、最初の一冊目に取り上げるのは、安野光雅さんの旅の絵本Ⅱイタリア編」(2006年改訂版 福音館書店)です。

 道はどこまでも続き、丘を越え、川を渡り、緑の牧草地を、森や泉、森に鹿、河にマス、…街道を外れたところに人家、集落、そして門をくぐって市(まち)へ入ります。店、広場、教会、城(市全体が城)が、そこは私にとって一つの国。

 そのような、市から市、国から国へ、迷いながら、はるばる旅をしました。あまり困ったときなどは、旅に出たことを後悔するほど、しかし、人間は迷ったときに必ず何かを見つけることができるもの。私は、見聞をひろめるためでなく、迷うために旅に出たのでした。そして、私は、この絵本のような、一つの世界を見つけました。それは、公害や、自然破壊など、誤った文明に侵されることなく、緑のつづく、つつましくも美しい世界だったのです。(「旅の絵本Ⅰあとがき」より)

 1977年、33年前に始まったこの「旅の絵本」シリーズは、文字を一切使わないのに、普通の絵本より豊かな物語を感じ取ることができる作品です。細やかに描写されたイラストは完成度が高く、読むたびにイラストから新たな発見をすることができます。この絵本には一応、旅人という主人公がいますが、フォーカスされることはなく、田園や町の風景に溶け込んでいて、たまに見つけ出すのが大変なページもあるほどです。そんな中に、童話のキャラクター達や、歴史的人物、西洋画のパロディーなど色んな仕掛けが山ほど隠されています。また、普通に暮らす人々の様子も面白く、それぞれの見開きごとに複数の様々なストーリーを読み取ることができます。旅の絵本の視点は全体が見えるように常に斜め上あたりからです。町に暮らす人々や豊富な自然などはどれだけ眺めても飽きることはありません。

「旅の絵本」は現在シリーズで6冊あります。Ⅰ中部ヨーロッパ、Ⅱイタリア、Ⅲイギリス、Ⅳアメリカ、Ⅴスペイン、Ⅵデンマーク、Ⅶ中国〔2009年〕で、まだ日本へは帰ってきていません。〔作者が?〕まだ、2010年の現在でも、安野光雅さんは、旅を続けているのです。

 その中で、今回は、Ⅱイタリア の2006年改訂版 を取り上げます。イタリアのトスカーナの丘陵地帯から始まるイタリアの丘や村や町の風景に、イエスの生涯、さまざまな名画、物語などが隠されています。美しい町並み、そして隠された遊び絵の発見! 映画からの登場や、絵の中の遊びーかくし絵、ダマシ絵、ANNNOの文字や自分の本の宣伝までも出てきます。私は、仕掛けられた謎を解くのに、時間を忘れ没頭してしまいました。

 この<イタリア編>は1978年に初版が出版されました。ところが、それ以降の同シリーズとは印刷・製版方法が違っていたため、色の鮮やかさにやや欠けるところがあり、全画面を着色しなおし、より美しくて、より楽しい「改訂版」として生まれ変わりました。さらに、巻末に作者自身による解説(2004年のⅥデンマークから、2009年のⅦ中国にも入っている)が新たに加わっています。それについて安野さんは「解説は全部したわけでなくて、読者のみなさんが見て自分で考える所もたくさん残してありますので、見たり考えたりしてください。」といっています。〔2006年「「旅の絵本Ⅲあとがき」より)この解説を入れた理由は、「作者が死んだら知る人がいないだろうなと思ったから。」だそうです。でも、「答えは教えちゃいけない。」と。「自分で探すもの。一生涯みえなくてもいい。」と本人はいっています。 

 久振りに、この絵本を見た今回、私は、かなり新たに謎解きができましたが、まだまだです。時間をおいて、この絵本を見た時、また、新たな発見ができるかも知れません。小さい子でも、それなりの発見や、大人では見つけにくいものを見つけるかもしれません。それぞれの年齢なりに、知的で、楽しい発見ができ、それが経験を積み重ねていくにつれ増えていくような、ずっと楽しめる絵本なのです。私は、実は、イタリアには、丁度、一年前に旅行しました。このシリーズは、まだ私たちが、行ったこともない世界各地の町、国に連れて行ってくれます。と同時に、そこへ行ったことのある人にとっては、それを確認する、もう一度旅をすることになるものです。

 二冊目は、宮崎 駿さんの「シュナの旅」(1983年初版 徳間書店)です。絵本というより漫画に近いような短い文庫本の絵物語です。チベットの民話「犬になった王子」, をもとにしているそうで、「風の谷のナウシカ」とほぼ同時期に描かれた作品です。水彩の淡い色をいくつも重ねて着色した絵が美しい、手描き絵の良さがよく出た作品です。(確かナウシカの方にもそうしたものがありましたが)

 作物の育たない貧しい国の王子シュナは、大地に豊饒をもたらすという「金色の種」を求め、西へと旅に出ます。つらい旅の途中、人間を売り買いする町で商品として売られている姉妹と出会います。彼女らを助けた後、ひとりでたどり着いた「神人の土地」で、金色の種を見つけますが…。どんな状況にあっても、生きようとする人間のたくましさ。強い心だけが生みだすことのできる、やさしさ。そして、弱さと無力さ。宮崎さんは、短い物語のなかに、そんなものを、ただそのまま描き出してみせています。

 ヤックルやラムダ、辺境の国、深い谷。その後の宮崎 駿作品にかかせない要素が数多く登場しています。神秘的でありながら牧歌的でもある、まさにその後の作品の原点ともいえる本のようです。映画化されていないのは、地味だという理由で宮崎さん本人が却下してしまいました。この物語の中の設定は、宮崎さんの息子さんの作品「ゲド戦記」に使われているように見えます。〔この作品はイマイチでした。〕

<余談> 1980~90年代に数多くのタイトルをリリースしてきたアニメージュ文庫が、2010年夏、再起動しています。第1弾として7月に『機動戦士ガンダム』関連の4点が復刊。現在リクエスト募集中で、この「シュナの旅」も復刊されるといいと思います。

 物語では、シュナが探している「金色の種―生きている種」。そして、耕す事を止めてしまった人類は、食べるためだけに、種の無い作物の種や作物を、人間の命と引き換えに手に入れます。今、私たち人類が、科学の発達とともに失いつつあるのは、自然の営みであり、この「生きている種」だといえます。現実にも農家は種の多くを輸入し、その種から生きている種を作り出す事は難しく、種を買い続けるように商売されています。原生種も非常に貴重になっています。自然のサイクルから私たち人類社会がはみ出し、それを破壊し続けている。この現在の地球環境の危機―生きている土や水や空気や木々が危ない!-は人類自身の危機なのです。27年前のこの作品は、こうした問題への警鐘としても出されたのだと思います。しかし、今日でもそれが、そのまま色あせないで、訴えるものがあるのは、作品が優れているのと同時に、あれから、私たち人類がそれほど進歩していないともいえます。

 物語の最後は、「シュナの旅はまだ終わらない 谷への道は遠く 困難はつづくにちがいない…」となっています。「行きて帰りし物語」のように、本当は、最後、谷に帰らなくてはならないし、そうでなければ、旅は終わらないのです。それは、まるで現在の私たち、人類が置かれている位置、の「旅の途中」をいっているようでした。

 三冊目はブラジルの作家、パウロ・コエーリョの「アルケミストー夢を旅した少年」(1994年初版 地湧社)です。世界22カ国で読まれているベストセラーです。

 アルケミストとは、錬金術師のことです。しかし、錬金術のことが出てくるのは物語の半ばからで、そして実際に錬金術師が登場するのは3分の2までも行ったところです。最初の3分の1までは、読んでいて少しじれったいような、なかなか読み進められない、時間がかかってしまっている展開になっています。しかし、途中、真ん中ほどから、グイグイと物語に引き込まれていき、それから最後までは、あっという間にハイスピードで一気に読んでしまいます。

 物語は、主人公の羊飼いの少年サンチャゴは、スペインのアンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出かけるところから始まります。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じてです。それまでの長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて、少年はピラミッドを目指す運命を実現する冒険の長旅の中で、旅のさまざまな出会いと別れが続き、ついに、アルケミスト(錬金術師)に出会います。

 ストーリーは淡々と押し進められるものの その主人公が遭遇する状況は、砂漠の太陽の照りつき、石の温度、草のにおい、風で巻き上げられた砂ほこりの不快感など。まるで自分自身がその場にいて、体験しているように感じられます。

 そして、錬金術師が、そこで少年に語る、導きの言葉、その言葉は、私たちが日常生活で忘れかけていた大切な言葉の数々が散りばめられており、恐ろしいほど読んでいる者の頭の中にすっと入ってきます。
「自分を縛っているのは自分だけ」
「傷つくことを恐れることは、実際に傷つくよりも辛いものだ」
「未来は神に属している。」
「人が何かを望むとき、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」
「前兆に従うこと」など。 
 そして、少年の心はというと
―偶然なんてどこにもなくて、人は、自ら望んだ道を歩いているのだということ。
自分の運命を発見した時、その人が歩く道の途中には、様々な前兆が待っていて、それに従う限り、人は、その人を待つ宝物に近付くということ。
―などということを獲得して、人生の知恵と勇気を学んでいくのでした。

 さて、ここで、最後に、最初に述べたこと、「行きて帰りし物語」のことに戻ります。この、夢を旅した少年サンチャゴの物語の結末―エピローグは? 宝物は、最後に見つかったのか?それは何だったのか? 確かに、最後の最後、少年は、この長い旅の出発点―スペインの平原に、また帰って来るのです。その意味では、これは、「行きて帰りし物語」になっています。それでは、この?は、…これに私が、答えて、話してしまっては面白くありません。

 そこで、ヒントを出します。それは、イギリスの民話「スウォファムの行商人」(ジェイコブス作「イギリスとアイルランドの昔話」福音館書店 の中に)及び、日本の民話「みそ買い橋」(木下順二作「わらしべ長者」岩波書店 の中に)と同じような内容、文体、「語り口」なっているということです。このヒントも、少し難しかったかも知れません。そこで、これらのお話も、面白いですので、短いですし、機会がありましたら、是非、読んでみてください。

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