触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「団塊の世代とロスジェネ世代」

<雑感>                    2008.12.10

私の「団塊の世代とロスジェネ世代」論

12月6日、千葉市でかつての学童保育の親仲間等に会って

 12月6・7日にJR東日本の大人の休日3日間有効の12000円のチケットを使って、3つほどの用件をまとめてこなすため東京方面に行ってきました。その一つがもう30年ほど前に、以前住んでいた千葉市の団地で、無認可の自主学童保育からはじめた創設期の親たち(ほぼ同年齢の団塊の世代)と指導員の先生に会ってきました。私たち家族はそこに6年間ほど関わりましたが、妻の実家の宮城県に越してきてからも交流はずっと続いてきました。千葉から家族ぐるみ団体でこちらに来たり、こちらからも時々行って皆さんに会うなどしてきました。しかし、ここ10年ほどはそれが途絶えていました。

それが、先ず、地震の直後でしたが今年の6月21・22日女性陣だけ3人が我が家にやって来ました。定年を迎えて時間的に少し余裕ができてきたためです。この時は、体調が優れない女性と亭主全員を置いてきました。(留守番組からは、不満が出たようです。)そこで今回、他の用件もあって、少し急だったのですが、こちらから千葉に出向くことになりました。集まってくれたのは、親仲間が5世帯の8人、指導員の先生が1人(こことも家族ごと付き合い)私たち夫婦を含め総勢11人の集まりとなりました。6月には妻を含め4人の女性陣が泊まりがけで喋り捲ったということでした。今回は、男性陣4人を含めて、11人。6月時点で体調が優れなかった人も回復して、今回は、皆さんほぼ、ベストの状態での集合となって、話は、いつまでも尽きず長時間になりました。

団塊の世代の特に女性たちが集まった時の話題は、妻によれば、親の介護のことと、自分の体調・老後のことだそうです。しかし、今回はそれも少しは出ましたが、多かったのは、自分たちのセカンドライフと、それぞれの子どもたちのことでした。「あの泣き虫だった子がしっかりして…」「娘が来春、ようやく結婚するのよ」「孫ができたけど亭主がよこさないのよ」「見て見て、この七五三の写真」…皆がそれぞれの子どもたちをよく知っている、仲間の中で子どもたちを育ててきた、ただ子どもを預けるのでなく、その物理的な施設から内容まで自分たちで全て創ってきました。そこから育っていった子どもたちに皆が関心を持ち、親身になります。子どもたち同士の交流も続いていますが、何よりも指導員の先生がその核になり続けています。親の消息が途切れてしまっても、先生が子どもといつまでも繋がっていてフォローし、私たちにも情報が入ります。就職氷河期に遭遇してしまった子どもたちですが、まだ若干、フリーターに留まっている子もいますが、娘では親と違って専業主婦になる割合が少し多く、男女とも社会福祉関係の仕事に就く子が目立つなどの特徴があります。これからも、この子たち(ロスジェネ世代)がどのようになっていくか皆(団塊世代)が関心を寄せていくと思います。

私の感想ー「団塊の世代とロスジェネ世代との世代間対立というが…」 に続けて

11月末のBOOKSで取り上げた-「ブログ論壇の誕生」を読んでーで述べましたが、著者の佐々木俊尚氏は、この本で団塊の世代(60歳前後)とロスジェネ世代(30~35歳位の団塊ジュニア)との世代間対立という構図を強調して描いています。私から見ると、このことは、「無益なこと、むしろ有害かもしれない」と指摘しました。特にこの本の「Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する」では、「辛抱を説く団塊への猛反発」と題して、ネットで勃興しているロストジェネレーションの世代とネットにあまり馴染みのない団塊世代との激烈な世代間対立の構造があるとしています。ロストジェネレーションの若者の嘆きと絶望、怒りは、インターネット空間の中で渦巻いているだけで、マスメディアにはそのリアルな言説はほとんど紹介されていない。そのマスメディアが体現しているのは、団塊の世代の(つくった)言論空間(古い世界)。としています。この本は、今年、9月20日発行となっていますが、「あとがき」は、今年の7月。その頃と、その後のロスジェネをめぐる論考は、明らかに変化してきています。さらに、現在では「非正規切り」が続発しているため、ロスジェネのみらならず中高年までの雇用不安に対する運動が活発になり始めています。マスメディアにも初めは、これらロスジェネの言説が、続いて運動がよく取り上げられるようになってきています。

著者の年齢は、47歳で、団塊の世代とロスジェネ世代の中間です。この50歳前後の世代は、団塊の世代を間近に見て成長してきました。だいたい、昔では、確か、「新人類」とか、「しらけ世代」と呼ばれていました。この世代の多くの人たちから、これまでもしばしば、団塊の世代は、「社会変革に挫折した」「体制内化し、日本の社会体制を維持」「社会の重荷」など、批判的に、よく槍玉に挙げられてきました。そこには、「決して、団塊の世代のようなことはすまい」、「先輩たちのようにしても結局、失敗するだけ」といった極めて冷めたものがあります。しかし、そうは言っても、現在の日本の社会は、もはやこの50歳前後の世代が中心になっています。世界的な経済危機と私たち国民の暮らしへの影響、そして、それに対処できない、政治。さらに、社会的な閉塞感。こんな情けない世の中にしたのは、団塊の世代のせい?確かに、責任の一端はあると思います。しかし、ちょっと待って欲しい。もう彼ら次の世代だって充分責任が問われてもいい年代になってきているのです。

重要なことは、そのようなことでは無いのです。前にも取り上げましたが、佐々木氏とほぼ同世代の松原隆一郎氏は、原因を「市場競争が技術革新や不均衡を誘発する一方で、社会関係まで幾重にも分断されていることなのだ。」と述べています。同じく同世代の山口二郎氏は、「偽りの対立軸の中で誰が得をしているのか」(「若者のための政治マニュアル」講談社新書2008.11.20発行)として、様々な「偽りの対立軸」はありますが、「被冶者同士をいがみ合わせること…」「不安定な生活や貧困に喘いでいる人間同士の中に境界線を引き、それらを互いに反目されれば、エリートは安泰ということになる。」としています。誰とは、「グローバリズムの進展の中で急峻に復活している富のヒエラルキーの上層に位置する人々」と指摘しています。

団塊の世代は、ごく普通の人たち

 高度経済成長の波に乗って、私たち団塊の世代は、成長してきました。比較的同じ年齢で結婚して、子どもをつくり、家庭を大切にしてきました。ニューファミリーとも呼ばれ(マスが大きいので取られた、これは、大企業の消費戦略)、家を購入して、車を買ってと、個性を求めていた割には生活がよく似通っていました。格差もありますが、その幅は比較的に小さく、また、見えにくく「総中流化」の中心でした。

よく「全共闘世代」などとも言われますが、これほどステレオタイプな言い方はないと思っています。団塊の世代の親たち(私たちの親)は、現在よりもっと貧しく、格差だってひどく、当時大学に通えたのは、2割しかいません。(奨学生、二部、夜学などの例外を除いて少し裕福な家庭の子息が多い)しかも、その大学生のほとんどは、ノンポリ(当時そう言っていた。全共闘等のセクトには、入っていないが多少の影響は受け、どれ程、彼らと一緒に行動したかはバラつきがある。)でした。私自身もそうですが、暴力によらず大学の民主化を求めた別のグループも、しっかりと存在しましたし、ノンポリにも影響を与えました。(詳しくは、また別に機会に)マスメディアが好んで取り上げていた急進的な全共闘運動のインパクトは確かに大きいものはありました。その行動はともかく、(全否定しますが)その考えていることは、多少なりとも理解できるところはあります。(私自身がいた学科が、その大学での紛争の発火点となった)しかし、当時から彼らは、結局、支配層・国家権力に利用されていた側面がありました。彼らが挫折して、社会に出てから変身してしまったのはある意味で当然の成り行きです。多少とも影響を受けたノンポリの多くが同じような気分になってしまったこともあるかもしれません。しかし、このあたりは、かなりマスメディアによって作られたイメージ操作だと思います。その当時のマスメディアは佐々木氏の本と同じように言うなら私たちよりずっと上の世代を体現していた?(実態は保守的な支配層の影響下)わけです。前のブログで、「団塊の世代の中でいわゆる「勝ち組」や偉い社会的地位に就いた人の中には、様々な害毒を撒き散らしている人がいるかもしれません。しかし、それは、ほんの一部のはずです。」と言いました。おそらく、このあたりに、挫折・変身組が多くいるのではないかと思います。

団塊の世代は、確かに就職難などなく、恵まれた環境だったと言えないこともないのですが、その進路は、ほとんど決められたもの、選択の余地は与えられませんでした。だから、その子どもたち(ロスジェネ世代)には、「人生の可能性をいっぱい持って欲しい」と願い、子育てに、教育に一生懸命でした。保育所が足りなければ、増設・改善の運動をしたり、共働きで学童保育が無ければ、自分たちで創ってしまい、自治体に後から認めさせることもしました。子どもたちを取り巻く文化的環境にも気を配ってきました。ですから、自分たちの子どもに対して、そのライフステージを予め決めてしまうなどということは、殆んど無いのではないかと思います。子どもたちには、自分たちができなかった分、夢を託し、「好きなことを仕事に」「自分らしい生き方をして欲しい」と願ってきました。佐々木氏の本での「辛抱を説く団塊世代」というのは多くの団塊世代には、当たらない指摘だと思っています。ロスジェネ世代に対して、「もっとしっかりして」と思っていても、決して突き放さない、受容してしまうのです。パラサイトシングル、フリーター、ニートは、根本は社会的な問題ですが、こうした団塊の世代の親という存在を抜きにはありえません。団塊の世代がそれを許してきたという批判がありますが、私は、むしろ、大きな団塊の世代が一定の安全地帯になってきたという見方をしています。まだまだ団塊の世代についての分析(過去・現在・将来について)は充分に行われているとは思われません。少なくとも、団塊の世代を、特にその考え方を一括りにして論ずることは意味がありません。ただ、はっきり言えることは、団塊の世代の多数派は、ここへきて、リストラなどの影響は出ているものの総じて「中流」、人並みで、ごく普通の人たちだということです。
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