触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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加藤周一 1968年

<TV> 
加藤周一 1968年を語る
~「言葉と戦車」ふたたび~ を見て

NHK ETV特集 2008.12.14PM10時~11時半                                                         2008.12.16

<放送内容>

12月5日、評論家の加藤周一さんが89歳でなくなった。
幅広い知見、国際的な視野から日本文化を見つめ直す評論活動を展。人間の自由について考え続けた戦後民主主義を代表する知識人であった。
その加藤さんが入院直前の今年夏、「どうしても語りたいことがある」と病をおして、2日間インタビューに応じた。そのテーマは1968年であった。
今からちょうど40年前の1968年。激動が全世界を覆った。チェコの民主化運動「プラハの春」で幕を開け、パリ五月革命、シカゴ暴動、東大安田講堂の封鎖など、若者たちによる異議申し立てが世界中に広がった。
加藤さんは、60年代後半、教鞭(べん)をとっていたカナダやアメリカの大学で、社会に不満を募らせていく若者たちを目の当たりにしていた。そして1968年、五月革命に揺れるパリでサルトルと議論を交わし、東欧では、自由な空気に酔うチェコスロバキアの市民たちに接する。しかし、その直後、ソ連の戦車がプラハに侵入。救援を訴えるアナウンサーの姿を地下放送で見て衝撃を受けたという。その体験は著作「言葉と戦車」にまとめられ、権力とそれに対峙する言論の問題を考え抜くことになる。
そして、今、アメリカでは「60年代に崩壊した道徳と秩序の回復」を重要な政策に掲げたブッシュに代わり、「Change!」を訴えるオバマが初の黒人大統領に当選・・・。加藤さんはそこにパリ5月革命と同様、変革を求める人々の声を聞いた。そして日本には68年と同様に「閉塞感」が社会に広がり、これに不満を抱く若者たちの姿があった。
「1968年、社会を覆っていた閉塞感は、20世紀から21世紀に積み残されている」と加藤さんは言う。
1968年、世界の若者たちはなぜ反抗したのか?
世界が未曾有の恐慌におびえる今、あの年の問いかけが私たちに問いかけるものとは…
番組では、「プラハの春」を中心に加藤周一さんの見た1968年を再構成。
評論家・加藤周一が、“68年”を通して今に遺(のこ)したラストメッセージを伝える。                                                          (NHKホームページより)

私の感想―まだ断片的ですが…
 
前にも私自身、1968年について以前よりきちんと整理しなくてはと考えていました。私は、ブログの記事の中でも、既に部分的には言及し始めていますが、まだまだ体系立てて述べるには、もう少し時間が掛かりそうです。そんな時、新聞のTV欄でこの放送の予告を見つけ、注目して見ました。

 つい先日、89歳で亡くなられた加藤周一氏については、かなり以前よりその著作等は読んできています。「九条の会」での活躍等、知識人としての役割では、高く評価しています。しかし、最近は、朝日新聞での連載(夕陽妄語)が以前よりも少し、難解で理解しづらく感じていました。事実から出発するというスタンスでは同じでも、年代が年代ですから、私たちなどとは教養の基礎が全く違いますから、自分からよく理解しようとする努力が必要とされます。放送のタイトルに出ている「言葉と戦車」は未読でしたので、放送中にアマゾンのマーケットプレイス(中古)で注文しましたが、良質で安価な中古本は先を越されてしまい2番手でした。後日、BOOKSでも取り上げるつもりです。

 ですからここでは、この放送に関しての、私のまだ断片的ですが「感想」を中心に述べたいと思います。

全共闘運動についてーその見方に異議アリ

 チェコで起きたプラハの春の世界史的な位置づけや、それのフランスの5月革命、アメリカのシカゴ暴動などへの波及、関連、影響についてはある程度分かりました。しかし、日本の全共闘運動に関してとなると若干、見方が異なってきます。

 1968年には、確かに世界各地で同時多発的に、若者たちによる(私のその当事者の一人でしたが)異議申し立て、反乱が起きています。(日本に関しては欧米などから広がってきたとは考えにくいのですが…)その対象は、社会体制、権威、保守的体質、古い伝統と価値観・価値基準といったものでした。ですから、大学では、大学当局、教授会、教授、講座制、インターン制といったものが槍玉に挙げられていました。

 前にも別の記事で述べましたが、当時の大学生は、同世代の約2割しかいません。殆どが経済的に少し裕福な家庭の子息です。その大学生の中でも、私の観測では、結論的に言うと学生間の経済格差もかなりあって、上位なほど、全共闘とそれに影響を受けやすかった層がいたと考えています。私の周りでは、苦学生の多くは、むしろ彼らのやり方に反発していました。ですから、前にも述べましたが、大学の民主化を求めた別のグループ(操作されたマスメディアの言うところでは、共産党系民青全学連と?)もかなりの勢力がいました。それにこの両者の中間に大量のノンポリ・ノンセクトと呼ばれた“一般学生”が存在したというのが事実でした。

 放送では、これを全共闘運動の35万人というような表現をしていました。当時の大学生は、40万人ぐらいか?(確か、同世代の若者は、200万人いると思っていましたから)その殆どが全共闘とか、その影響下だったなどとは、著しく事実を歪曲しています。私は、せいぜいその1割、最大で4万人位が伴に行動に駆り出されていったと考えています。加藤氏もNHKと同様の理解をしているようでしたが、当時プラハにいて日本の実情は、それこそステレオタイプのマスメディアの情報しか得ていなかったのではないかと思います。

当時、資本主義の歯車になることを拒否した学生達

 前の記事の中で、私は、「全共闘運動の行動は全否定するが、その考えは、理解できるところがある。」と述べました。私は、千葉大学工学部でしたから、東大医学部と違って軍産学協同とまではいかないが、大学そのものが組み込まれているという産学協同は、問題になりました。それでも加藤氏は、それが「社会正義」から噴出したと言っていましたが、私の周りで見る限りでは、少し違う感じがしました。放送のフランスでの学生に対して投げかけられた言葉、「君は、社会の歯車になってくのか?」が、社会=資本主義(大企業、会社)にして当てはまると思います。つまり、当時の日本の経済成長を支える人材として学生は、期待され、育成されていった、人数的にはエリートに近いようなものだろうと思います。それが間違ったエリート意識の裏返しのように、自分自身の“存在”を問うた時、未熟で、極左的で、急進的な行動へと、ある一定部分の学生が全共闘運動に走ってしまったのだと思います。それらに影響を与えたのは、さらに10年ほど遡る、60安保闘争の頃から共産党からはみ出でて、共産党を敵視する革マル、中核などの党派セクトでした。ですから、全共闘運動が先細りになり、それが行き着いた先は、この残った党派セクト間の内ゲバや連合赤軍事件になったわけです。

加藤氏が最後に残した言葉―2点の認識を

 放送の最後に、加藤氏の最後のまとめとして、思想的影響を与える「知識人の役割」として次の2点の認識を持っていることが必要で、それを常に意識している必要性を強調していました。

①事実の認識を―「何があったのか、どうなっているのか、」ということ。それには、何が相手で、何が敵なのかを理解することが大事。
②人間らしさを世の中に再生させるには、「だから、どうしようか、」という認識をー人間的な感覚による世界の解釈の仕方が求められる。

 この考えは、何も「知識人の役割」に限ったことでありません。現在の閉塞感の漂う社会に生きる私たち全てに、加藤氏が最後に投げかけ、求めている“現代人の役割”でないかと思いました。彼の遺言でもあると思います。

しかし、そうした考え方に従うならば、①では、全共闘運動は、先ず、敵を見誤っていました。教授会、教授等を相手にすることまでは、良いのですが、敵とすべきではありませんでした。これは当時から私たちの対応とは全く違っていました。仲間内でのいがみ合いは敵を利するだけ、本当の敵を見極めることが必要でした。②でも、はっきり言って彼らの行動は、私の考える「人間らしさ」とは程遠いものでしたそれに、民主主義の理解が全くできていないこと。民主主義が目的達成のための手段であっても、その方法論や過程(プロセス)は、それ自体が重要であることの無理解。その結果、何かにつけ民主主義を敵視し、破壊しようとしていました。確かに私自身も当時は、民主主義をそれこそ、彼らとの対峙の中で自分のものにしていきました。(只、未だに充分使いこなしていません。)ですから、私は、「だから、どうしようか」とともに「どのようにしようか」という方法、手段、民主主義の技術も同時に問われてくると考えています。

放送で紹介されたフランスの5月革命では、サルトル等の影響で「自ら責任を持って政治に参画する」ということが言われたということでした。1968年以後のフランスと日本を比較すると、この「政治への参画」が日本では弱かったと言わざるを得ません。それは、支配層の思惑からマスメディアが、全共闘運動だけを意図的に大きく取り上げ、「その挫折の末路」というストーリーがステレオタイプに流され、私たちもそれに充分に抗し切れませんでした。この点からも(他にも多々有りますが)、全共闘運動が日本の支配層からしっかり利用されたことは明らかです。

私は、この放送の前、12月に入って、3冊の新書を読みました。先ず、同世代の保守主義者―佐伯啓思氏の「自由と民主主義をもうやめる」、次に学生時代から知っていて、1年ほど前に亡くなられた大先輩の市民運動―小田 実氏の「中流の復興」、最後が、私より10歳若く団塊の世代も批判するリベラルな政治学者の山口二郎氏の「若者のための政治マニュアル」です。3冊ともBOOKSで取り上げたいのですが、なかなか時間がとりません。加藤氏は、最後に言葉(遺言)を言い残してから逝きました。―特に「2点の認識」について、私は、これを、これらの3冊の本について批評する中で確認していきたいと思っています。
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