触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「もう、服従しない」を読んで

<BOOKS> ⑰
「もう、服従しない」を読んで                           
2009.1.14      

著者/アーヤン・ヒルシ・アリ 訳者/矢羽野 薫 出版/エクスナレッジ 2008年9月30日発行

著者の紹介

―1969年にソマリアで生まれ、ムスリムとして育つ。ソマリア、サウジアラビア、エチオピア、ケニアで子供時代と青春時代を送る。1992年に、会ったばかりの遠縁の男性との結婚を強いられ、オランダに逃れて難民申請をする。オランダ語を学び、中絶クリニックや虐待された女性のシェルターなどで通訳として働く一方、ライデン大学で政治学を学ぶ。在学中の1997年、オランダに帰化。卒業後、労働党のシンクタンクに勤務する。9・11テロ以降、イスラムに対する批判的な発言によりオランダ全土で物議をかもし、それ以後ボディーガードつきの生活を余儀なくされる。下院議員に当選後も、イスラム社会における女性の解放をテーマにした映画製作に携わるなどして命をねらわれ、24時間態勢の厳重な護衛下で生活。現在はシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所に勤務しながら、ヨーロッパのムスリム女性の人権やイスラム社会に対する啓蒙、欧米の治安等に関する発言を続けている。2005年には、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。

内容の紹介

 この本は、約500ページもある大変長いソマリア女性の半生記です。「訳者のあとがき」がその内容を要約しているようなのでそこから「著者の紹介」とダブらないようにして引用(それも要約して)します。

― アヤーンの家庭は敬虔なイスラム教徒だが近代的な雰囲気もあった。父親は家庭をほとんど顧みず、兄と妹とアヤーンは気性の激しい母親から折檻を受け、祖母に厳しくしつけられた。5歳の時には「純潔」を守るためとして性器を切除された。思春期にはムスリム同胞団など厳格な教義に傾倒し、分厚いベールで全身を覆った時期もある。一方で、女性のあまりに低い地位がコーランのもとに正当化されていることには早くから疑問を感じ、イスラムの硬直した教えと現実社会の理性との矛盾に苦しんだ。

 1992年、父親の決めた結婚にどうしても我慢できなかったアヤーンは、全てを捨ててオランダに渡った。当時のヨーロッパ、特にオランダは、移民を取りまく環境が現在ほど厳しくなかった。簡単に難民申請は認められ、さまざまな支援策のおかげで大学へ進み、五年後にはオランダ国籍も取得した。自由で開放された西洋文化とイスラム文化の衝突を乗り越え、疎外感や孤独と戦いながら、彼女はがむしゃらに前進した。さまざまな葛藤の末、自ら信仰を捨てる決断をする。さらに、2001年の9・11テロと前後して政治的な発言をするようになり、2003年には下院議員に当選した。

 自分の信仰や価値観が根底からくつがえされ、完全に否定されても、アヤーンには自分の心を失わない強さがあった。新しい世界を受け入れる柔軟性があった。しかし、姉を追ってオランダに来た妹は、自由の重さを受け止めることはできなかった。母親は一度は家族を捨てて新しい人生を追いかけ、自分で選んだ男性と結婚した。しかし、夫(アヤーンの父親)と時代に振り回されて生活が崩壊した時、自分の足で立ち上がる気力は残っていなかった。アヤーンはそんな母親を見て、虐待も差別も神の定めとあきらめているムスリムの女性たちを見て、彼女たちのようになりたくないと思った。人生を他人に決められたくないと思った。

 イスラム批判の論客として注目されていたアヤーンの存在が広く知られるようになったのは、2004年11月に映画監督テオ・ファン・ゴッホが暗殺された時。テオは、アヤーンの脚本でムスリムの女性の虐待を描いた「サブミッション(服従)」を製作。2人はイスラム過激派から殺害の脅迫を受けていた。9・11テロ以降、イスラム社会への反感が世界的に広まっており、「寛容な国」オランダではイスラム系を中心とする移民政策の失敗が社会問題化していた。アヤーンへの脅迫は激しさを増し、24時間体制で身辺警護を受ける緊迫した生活が続いた。そこに突然、アヤーンの国籍をめぐる騒動が起こる。しかし、二転三転して国籍を保証されたアヤーンは、シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所から誘われていたこともあり、議員を辞職して渡米した。

現在は、そこの特別研究員として、欧米とイスラムの関係、ムスリム女性の権利などを中心に言論活動を続けている。また、議論と表現の自由は民主主義の根幹であると訴え、虐待や政治的・宗教的迫害を受けているムスリム亡命者の支援をはじめている。 

私の感想など

 「訳者あとがき」ではこの後、次のように続けています。-「アヤーンの徹底したイスラム批判には、イスラム社会の改革派からの反発も強い。…本書にも挑発的な言葉が少なくなく、批判することに躍起になっていると印象も受ける。ムスリム女性が差別と抑圧に苦しんでいることは事実だが、イスラムを頭から否定することによって女性の解放を訴えるやり方は、イスラム教徒全体に対する偏見を招き、不要な敵をつくることにもなるだろう。実際、現代のイスラム社会には、信仰や文化を捨てずに、社会の近代化を実現しようとする動きもある。」―そして、最後に訳者のこの本と彼女の評価は、「イスラム批判と言うより、ひとりの女性が新しい人生を勝ち取る信念の闘いだ。すべての価値観を自分で否定した彼女が、これまでの信仰を徹底して批判することは、人生に対する覚悟の表明でもあるのだろう。」と結んでいます。

 私は、この評価には全く納得がいきません。これだけの本の翻訳をしておきながら訳者はイスラムの問題に腰が引けています。本書の記述は自らとその周りの体験等ですから、極めて率直で具体的です。私自身、「イスラム社会での女性差別」と言うような文章表現、言葉で理解していてもその実態は詳しく分かっていたわけでは無いと思い知らされました。彼女の本書で書いているイスラム社会の事実・現実から私たちは目をそらしてはなりません。

彼女は、コーランの中に書かれた「平等」に疑問を感じ始めます。なぜ女性だけが家を出るときに夫の許しを得なければならないのか。コーランの中では、「神への服従、女性は男性への服従が書かれていて、妻が服従しない場合は夫は鞭で打っても良いと書かれている。」という。そして、彼女は、「オランダの多文化主義は、ムスリムの持ち込むイスラム社会の慣習もそっくり容認し、多くの女性と子供を犠牲にしてその権利を奪っていた。オランダは調和の名の下に寛容になろうとしてきたが、そのため移民はオランダ社会に統合されず、「別に暮らし、別に勉強して、別に社会生活を営むように」なっていく。彼らはオランダでも女子に性器切除をし、女性をたたき、服従を強制する。その結果、国内で起きている大勢の女性や子どもが体系的に虐待されて、その苦しみを、オランダは無視することになった。」という。私は、少し前にフランスで起きた「スカーフ論争」を思い出しました。私は、あの当時は「統合を強制することは問題がある。」と、どちらかというと多文化主義が良いのではと考えていました。しかし、これはそれほど簡単な問題ではないと思われてきています。

1月11日の朝日新聞の「読書」欄に苅部 直氏によって二冊の本の紹介がされていました。池内 恵「イスラム世界の論じ方」と押村 高「国際正義の論理」です。その中で、苅部氏は、ブッシュ政権の下、イラク戦争を初めとする中東政策をめぐって日本の言論界で反米の空気が盛り上がった時期は近年では、珍しいとしています。池内氏の著書は「専門家による「一方的なアラブ擁護論やイスラム礼賛論」がこの動向をあおったと…」批判。さらに、「イスラム教は本来は平和の教えであり、破壊活動は一部の逸脱者が引き起こすものにすぎない。そういった弁護論がテロリズムの支持者への戒めではなき、ひたすら、日本と欧米の側がもつ誤解に対する批判として述べたてられてしまう。イスラム世界の政治が、近代西洋とはまったく異なる価値観によって動いていることを、欧米人と日本人は真剣に見つめながら、決定的な対立を避ける方策を探るべきだ。」と論じていることを紹介しています。押村氏の著書は、「戦争の違法化や人類普遍の権利の保障といった考えが、西洋の政治思想の伝統をふまえて登場した経緯を明らかにし、個人の自由よりも神による啓示法(シャリーア)を優先する、イスラーム思想との齟齬を指摘する。」と紹介しています。

私には、アヤーンのこの「もう、服従しない」がこの二冊の本の紹介とピタリと符合してくるのです。彼女は9・11の直後に言います。「でも、これはイスラムの問題です。信仰に基づいている。これがイスラムなんです」と。「イスラムは平和と寛容の宗教であり、暴力はほんの少しもないーそれはおとぎ話にすぎず…」 「アフリカは私が見てきたように世界でもっとも貧しい大陸だが、貧困がテロリズムを生むのではない。本当に貧しい人は次の食事より先のことは考えられず、より知的な人は自分たちの政府に我慢できず西洋に押し寄せる。イスラム嫌悪症の恐ろしい波がオランダで解き放たれ、オランダのなかにあった人種差別的態度が表面化していると、人種差別に反対する官僚がたわごとを書いていた。こうしたえせ知識人の主張はどれも、現実と関係なかった。これは信仰の問題なのだと、」
彼女は、ライデン大学で政治学を学び、また語学も(アラビア語も)できます。そして「評価すべきは預言者ムハンマドの言葉だ」とし、「全ての知識はコーランに述べられている」とし、自分自身の体験も踏まえてコーランの評価を次のように下しました。

―「私は、コーランを聖典だとは思わなくなっていた。コーランは人間がまとめた歴史の記録だ。預言者ムハンマドの死後150年に、人間が過去の出来事を記した一つの見解だ。そこに記されているのは、部族に特有のアラブ的な出来事だ。その記録が、残酷で偏狭で、頑迷な女性支配の文化と粗暴な戦争観を広めていた。」―

私は、現実には、イスラム社会といっても国・地域・人種・氏族等によって多種多様だと思います。しかし、「イスラム原理主義」などというものは勝手に欧米人や日本人が自分達の都合の良い解釈をしたものに過ぎません。多種多様であってもその根本、コーラン自体についてこの彼女の指摘はきちんと踏まえておかなければなりません。

朝日「読書」欄で苅部氏は最後に次のように言っています。「異なる文化をもつ相手と、いかにつきあいながら、ともに世界の秩序を運営してゆくのか。…歴史と現実の多面性をわきまえ、ねばり強く思考を続けること。そのためのおおらかな勇気を、」と。私も、全く同感です。

本書の訳者は「訳者のあとがき」の冒頭で「不寛容に対する寛容は臆病だ」-とアヤーンのサイトにそう記されていることを紹介しています。そして訳者は、それを「信仰を捨ててイスラム批判を繰り返し、過激派に「死刑宣告」を受けている女性。スリム女性の権利とイスラム社会の啓蒙のために闘う女性。そんな彼女の信念を表す言葉のひとつだろう。」と述べています。私には、こうした訳者の彼女と最初に紹介したこの本書への評価は、訳者自身が「イスラムという不寛容に対して寛容になっている」としか思えません。私は、この本を訳者がただ「闘う女性の半生記」にしていまってどうするのだと言いたいのです。そうした意味で訳者は「臆病だ」と思います。もっとも、日本でもこうした翻訳に係わるだけでも身の危険が無いとは言い切れないと思いますので、少しは臆病になっても仕方のないことだとは思います。

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