触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ を読んで 

<BOOKS>-⑱
「生きづらさ」の臨界
“溜め”のある社会へ を読んで
     

                                        2009.1.19
著者について

湯浅 誠 反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長。
1969年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程単位取得退学。著書に『本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』(同文舘出版)、『貧困襲来』(山吹書店)、『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書) など。『反貧困』は第8回大沸次郎論壇賞を受賞。

河添 誠 首都圏青年ユニオン書記長、反貧困たすけあいネットワーク事務局長。
1964年生まれ。東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程中退。2000年、「ひとりでもだれでもどんな働き方でも入れる若者のための労働組合」首都圏青年ユニオンの結成に参加。2006年より現職。2007年、湯浅誠氏とともに反貧困たすけあいネットワークの結成をよびかけ、現在、事務局長も兼務。労働運動の情報ネットワーク・レイバーネット日本の事務局長も兼務。反貧困ネットワークのメンバーの一人でもある。

本田由紀 東京大学大学院教育学研究科教授。専門は教育社会学。
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授を経て現職。主著に『若者と仕事』(東京大学出版会)、『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版)『「ニート」って言うな!』(共著、光文社新書)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、『軋む社会』(双風舎)など。

中西新太郎 横浜市立大学教授。専門は社会哲学、現代社会論。
1948年生まれ。鹿児島大学教育学部勤務を経て現職。主著に『情報消費型社会と知の構造』(旬報社)、『思春期の危機を生きる子どもたち』(はるか書房)、『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社)、『<生きにくさ>の根はどこにあるのか』(NPO前夜)、『1995年 未了の問題圏』(共編著、大月書店)など。

後藤道夫 都留文科大学教授。専門は社会哲学、現代社会論。
1947年生まれ。ここ10数年は日本の「構造改革」とその背景を中心に研究。最近はワーキング・プア、貧困問題を重視。主著に『収縮する日本型<大衆社会>』(旬報社)、『反「構造改革」』(青木書店)、『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)、『格差社会とたたかう』(共著、青木書店)、『なぜ富と貧困は広がるのか』(旬報社)など。

発行/旬報社 2008年11月 6日 

目次からー

1 不器用さは排除されても仕方がないか---若者の自立をめぐって 本田由紀×河添誠×湯浅誠
鼎談のまえに  河添誠
 「自立」が強いる「生きづらさ」
 「不器用な若者」は解雇されても仕方がないか
 労働市場の変化と「不器用さ」
 若者に必要な“能力”とは何か?
 「貧困」とたたかう労働運動
鼎談 
 若者の「不器用さ」と自立
 労働現場でひろがる貧困--“溜め”がなくなっていく
 うみだされる「不器用さ」
 専門性は「不器用さ」をカバーするか--「専門性」とは何か?
 仕事と報酬の関係を可視化するには
 ハイパーメリトクラシーにどう対抗するか
 「器用さ」を強制する圧力にどう対抗するか
 学校にできること--実態にそくした権利教育を
 家庭教育の「不備」に社会はどう対応するか
 不明瞭な仕事と報酬の対応関係がもたらす課題
 専門性のなかみと教育・職業訓練の課題

2 内面化される生の値踏み---蔓延する自己責任論 中西新太郎×湯浅誠×河添誠
鼎談のまえに 湯浅誠
 「ほかに方法がない」
 「貧困が見える」とき/自己責任論が発動するとき
 奪われる“溜め”
 “溜め”を失った社会が“溜め”のない個人をつくる
 「貧困は人にはないよ、社会にある」
 「ほかに方法がなかった」実態を知らせる
 「救済に値する人」「値しない人」というデッドロック
鼎談
 自己責任論の構造と機能
 新自由主義政策を正当化する自己責任イデオロギー--社会と個人の関係の倒錯
 八〇年代の文化変容と九〇年代新自由主義の関連
 「生の値踏み」状況の内面化とその問題性
 自己責任論の突破する糸口
 新自由主義にたいする障壁の弱さ
 居場所づくりの活動とその難しさ
 社会変革と学びの場
 精神疾患と貧困
 自己責任イデオロギーを溶かす

3 「生きづらさ」という困難の可能性---接近する労働と福祉 後藤道夫×湯浅 誠×河添 誠
鼎談のまえに  湯浅誠
 〈もやい〉の相談事例から
 進行する「下向きの平準化」
 「生活の安定」を担う家族、その帰結
 若年ワーキング・プアの「生きづらさ」の根
 いま、あらためて問われる「ナショナルミニマム」
 多様な“溜め”つくられる社会にむけて
鼎談
 「フルタイムで働いても食えない」
 個別ケアの現場と社会構造を扱う運動をどうつなげていくか
 制度の狭間で……
 制度の狭間を埋め合わせる
 個別的なケースから「社会にたいする信頼感」にどうつながるか
 運動の問題提起を政策化する道すじ

4.希望は、連帯 湯浅誠×河添誠
 怒りの方法――秋葉原無差別殺傷事件をめぐって
 労働と福祉をつなげる運動の重要性
 「強い市民社会」と居場所づくり
 反貧困運動のひろがりと課題――「反貧困たすけあいネットワーク」の可能性

私の感想など

この本を何故、読むことに…

 この本は、去年ですが、図書館に11月30日にリクエストしていて、12月中旬にはもう入手しているのです。しかし、この本の前に読み始めてしまった「もう、服従しない」にてこずってしまっていました。それで、結局途中までしか読まないで図書館に返本してしまいました。それで、急いでアマゾンで取り寄せ続きを読みました。これが1月6日頃のことです。それでも、ようやく娘と孫達が帰っていってからの1月10日過ぎには、「もう、服従しない」の方を記事にすることを先行させていました(この前のBOOKSにアップ1/14)。その後も、この本を読んでも、どう記事にしていいものか迷ってしまい、何日も経ってしまいました。

 この本のリクエスト直後、12月4日の朝日新聞に湯浅氏の「派遣切り」-「黙認続けば正社員にも波及」の投稿記事が出ました。そして、その12月4日当日夜、東京・日比谷野音で、2千人の「派遣切るな」の集会が持たれています。その翌日のTV・新聞で大きく取り上げられて、ここで世論の流れが大きく変わって来ました。昨年の秋以降、世界不況のあおりを受けて、非正規社員を減らす勢いが加速され雇用危機が一気に深刻化しました。この相次ぐ「派遣切り」に各方面から対策を求める声や動きが出てきました。さらにそれが年末には生死の問題として「派遣村」が作られ、年明けにはその後の対策も採られてきつつあります。まさにこの格差・貧困問題はリアルタイムで進行しています。

 実は湯浅氏の「反貧困」は半年前には購入していたのですが積読に。この頃、ここ栗原での「格差シンポ」準備の話の中で、後藤氏に会っている方から「今、後藤先生は、非正規労働者の組織を始めている若者のバックアップのため奔走している」という話を聞かされました。私には、それが湯浅氏だったんだろうと思われてきています。著者の後藤氏、中西氏も同世代ですからもう、だいぶ前から、その著作等は読んでいました。本田氏についてはつい最近、ここ1~2年のことです。この問題は、彼らによってもう十数年前からも取り上げられてきました。しかし、2006年にNHKが「ワーキングプア」特集を組んでからようやく一般化し始め、昨年6月の秋葉原無差別殺傷事件で、一気に危機感と、派遣問題に注目が集まりました。それに更に加わったのが、前述の世界不況の影響です。

 この本の帯には次のような文章が付いています。「“どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ” ハケン、フリーターなど増える使い捨て労働と低賃金 拡大する貧困・格差のなかで蔓延する「生きづらさ」 その正体は? 解決の糸口はどこに? いま 話題の著者たちが語りあう!」というものです。ですから、「もう、私も読まなければしょうがないでしょう。」となった訳です。

若者の「不器用さ」と自立について

 現在の日本においては若者の労働環境があまりにも劣悪になっていて生活そのものが破壊されています。そうした中で、「今の若者は、意欲を持たない、熱意が足らない」といっても、その「意欲の貧困」の原因を取り除かなければ何の解決にもなりません。それは主に貧困状態にある、湯浅氏の言う“溜め“(生きるうえでの生活資源)が減少している状態からくるものです。

  若者の「不器用さ」を指摘したり、自立を促し、それができないのは「自己責任だ」とするのは、何の解決にもなりません。このところ事態の深刻化の中でかなり少なくはなってきましたが、これまでそうした主張をする政治家・評論家が多数いました。一言で言えば「上から目線でしか見ていない」のです。「不器用で、うまく立ち回れない、対人関係が苦手」という若者(もっと年齢が上の人も)は多数います。そのような若者が多数育つ社会環境に私たちはしてきてしまったのです。それが個々の家庭の問題に矮小化されて「過保護だ」と周りが圧力をかけ、その結果、家族がその子どもを追い詰めていきます。さらに、それが世代間連鎖までになってきています。確かに家庭教育の不備はあります。学校教育も権利教育・職業教育等改善の余地は多くあります。しかし、根本の社会全体で、若者を育てていく、就労させていくシステムの構築が急がれます。

新自由主義政策から出た「自己責任論」

この「自己責任論」について中西氏は次のように言っています。

―「社会的コストがかからない人間であることを強制するためのイデオロギー的な手段として、「自己責任論」という言葉が使われている。この「自己責任」というイデオロギーを利用して、医療と社会保障のコスト切り下げを正当化していく。「自己責任論」は、雇用と社会保障の切り捨て、新自由主義政策を正当化する機能をもっている。
 新自由主義はすべてのものを市場化・商品化しようとする。人間さえも市場化・商品化され、みんな個々で新自由主義社会に対して責任をとるべき存在とされる。社会に対して、コストとリスクを負わせる人間の存在は問題視されることになっていく。そうなるポイントは「自己」=私的所有者という把握の仕方にある。
 病気であったり、貧困であることは、社会にリスクを負わせて、コストをかけさせるから許されない存在とみなされる。本当は個人を貧困な状態にしている社会の側の問題であるのに、個人がそういう状態でいること自体が問題だと、逆転させてしまう。社会と個人の関係を逆転させてしまう。貧困は個人の問題だと逆転させ、これを徹底していき、個人に内面化させて、「私はいるだけでも社会に迷惑をかけています」という精神状況に追い込んでしまう。
 問題をかかえていても、他の人に何も要求しない、社会に対して要求しない、要求しようとも思わない人間がつくられていく。他者に支援を求めること、社会に要求することは、本来であれば、貧困であったり、問題をかかえる人が発揮しなければいけない社会的責任の果たし方でもあるのに、まったく逆転した発想にしていく。」

 確かに、この「自己責任論」はこのところ、支配者側からあらゆる方面に出されてきたこと、イデオロギーです。日本特有のものだそうです。それは日本で市場化が世界一すさましい勢いで進められてきたからであり、それへの社会、特に労働組合運動のガードが弱かったため、歯止めが掛からなったのです。そして、その一番のしわ寄せが若年層に行ってしまったのです。社会福祉・社会保障についても、労働者、働くものへの取り組み、位置づけが弱いままでここまで来てしまいました。もう、全面的に北欧の福祉国家型に切り替えるしか方策はなくなっています。

絶望と不信の蔓延から希望のネットワークへ、

 長年、貧困・労働問題に取り組んでいる後藤氏は、次のように言っています。

―「派遣問題だけでなく最近ではフルタイムで長期に就労していても生活できない「完全就業かつ貧困」が大量に出てきており、こうした低処遇の正規労働者が急増している。これは、これまでは社会全体としては「例外」的だったのが、今、広く一般化し始めている。そして、この低処遇正規雇用の人たちの年齢が上がってくると、子育て全般、医療保障、将来の年金額など、いろいろ問題が総合的に出てくる。」-
 
  「鼎談のまえに」でも、湯浅氏は「若者の貧困が、今は親世代の資産を食い潰すことで持ちこたえているケースも多い。しかし、親世代の引退とともに子世代の貧困が一気に社会化される可能性がある。」としています。こうしたこの先の危険性を著者らは、指摘しており、事態はもう、待ったなしになっていることが分かります。

  日本では、従来、労働運動と社会保障(福祉)運動の役割分担が「働いている人」「働いていない人」とでされてきました。それが、働いていても福祉の必要な人が多数出てきています。両者がクロスしてくる事態になって、鼎談では、社会的告発のみに傾きがちな労働運動と、個人のケアのみに埋没しそうな社会保障(福祉)運動とを融合させて、新しい運動を作っていきたいと言っていますが、これまでもそうした運動を展開してきたところも無いわけではないのですが、いかにも弱すぎたのだと思います。河添氏の言う「希望のネットワーク」のようなもっと大きいうねりのある、あらゆる繋がり、連携を生かした大運動が必要とされています。

  生活保護については、申請の際に担当者が窓口で拒否する「水際作戦」が問題視されはじめていますが、これは高齢者・母子家庭等が主だと思われます。働き盛り世代の解雇・失職にも最低限の生活保障は緊急に求められています。湯浅氏らがその申請の手助けをし、年始にも「派遣村」からの集団申請がニュースになっていました。ところがこれを批判する方もいるようです。労働者保護の視点に立ち、さらに働けなくなってもそれを保護するー人間らしい暮らしができるようにするーここでは「ナショナルミニマム」としていますが、制度の土台そのものの再構築が必要です。

希望は連帯、「強い市民社会」を

 この「希望は連帯」のタイトルはロスジェネ世代の赤木智弘氏が書いた「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は 戦争」へのアンチテーゼなのだろうか?赤木氏は社会に絶望した後、その社会が滅びてしまった後に、地位が変動する、負の平等化という物語を期待したものです。「戦争でリセットだ」とするのは湯浅氏と河添氏の対談で取り上げている「秋葉原無差別殺傷事件」と同じです。二人は殺傷事件を批判しつつ、容疑者の置かれた孤独な状況への理解を示しています。「自傷、他害は「自分自身の排除」の究極の表れで、さまざまな排除の行きつく先は「社会不信」であり、怒っていいはずが多くの人は怒りきれない。」「むしろ絶望のほうが強くなって、怒りの矛先が自分に向かっていくような自己責任的な回路がある。」としています。容疑者の場合、「ストレートな怒りを発揮できず自暴自棄になり、社会を道連れにするというものだったのではないか」としています。関連して、自殺者が多い状況がもう10年も続いているのは確かに異常です。

 「労働と福祉をつなげる運動の重要性」では、唐鎌直義氏の「不当に安く、労働市場で労働力を売ってはいけないという観点から労働市場からの積極的な排除が社会福祉なんだ」という話を紹介しています。その内容は、「高齢者や病気の重い人、心身の障害の重い人、子どもを働かせないというのが正しい。「労働力の不当廉売を防ぐ」ということ。技能が低くければ働かせないで社会保障を受けながら技能訓練をする。技能がついたら労働市場に参入させる。労働市場をまともに機能させるには「労働力の不当な安売り」を禁止する必要がある。そのために、社会保障・福祉が必要だ。」ということだそうです。これは、前述の生活保護に関連してくることです。確かに今はこのようになっていません。しかし、こうした方向に、制度にチェンジ=舵を切らなくてはなりません。

 雑誌世界の昨年10月号で湯浅氏を除く著者らを含む8氏が「若者が生きられる社会のために」という共同提言を出しています。その主な内容は「若年雇用促進法の制定、労働者派遣法の抜本改正、最低賃金制の改革、労働条件明示の強化、長時間労働の規制強化、被用者社会保険の適用拡大、生活保護の適用対象の拡大、若者に対する緊急の住宅支援策」などです。これらも制度として作っていかなければなりません。

 二人の対談では、こうした制度だけでなく同時に「強い市民社会」を作っていかなければならないとしています。その運動論的ポイントが“居場所”だとしているのは面白い。それも、声を上げて、不満を言って「やろう、やろう」という場所と、その逆に「たたかうためには、たたかわなくていい“居場所”」の両方が必要なんだとしています。一つのグループ内に棲み分けたり、複数で役割分担してもいいと。私は、そもそも○○組合と名のつくものは労組、生協、農協でもそれがなくてはならなかった筈だと思っています。内部に無くともその周辺にはあった筈です。今は、無くなってしまったのでしょう。それに様々な団体、組合を結びつける横断的な“居場所”も必要です。それは団体、組合だけでなく、個人レベルでも必要です。縦、横、斜めに様々な団体、組合、グループが存在して、連携していく。社会連帯です。そうして、初めて「強い市民社会」はできていくと思います。
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