触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「森のラブレター」(2/11)を見て

<TV>
「森のラブレター」(2/11)を見て
2009.2.14

<番組の紹介>
 
感動! 北の大自然スペシャル 「森のラブレター」 倉本聰が贈る、果てしない命の物語」 (TBS系)

北海道・富良野にある富良野自然塾。それは富良野の大自然のフィールドの中で五感を鍛えることを通じて、環境について考えることを目的とする施設。この広大な自然教室を国分太一が訪れ、インストラクターを務める竹下景子の指導のもと、富良野自然塾の自然教育プログラムを体験。また塾長・倉本聰との対談を通して今まで気づかなかった大自然の神秘と不思議、素晴らしさやありがたさを紹介する。

 その他、北海道在住の動物写真家・稗田一俊氏の協力のもと、北海道の大自然に暮らす生き物たちの命の営みにスポットをあてるブロックや、渡辺満里奈が茨城の里山で日本古来の生活に近い暮らしを送っている老夫婦を訪れ里山の暮らしを体験するブロックも。環境破壊が叫ばれる昨今、家族で"環境"について考えるいい機会になるだろう。(TBSの番組紹介より)

<倉本聰さんの話―(国分太一さんとの対談より)>

今、「生活必需品とは何か?」という質問をすると、家電製品を挙げる人が大半です。 しかし、本当は空気であり、水という答えが正しいと思のです。現在では、“幸せ”という言葉が“便利”という言葉に置き換えられている気がします。 人間は目標を決めてそれに向かって生きていく動物です。戦後、日本人の目標は3種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレビ)でした。 そこをクリアすると、新たに3C(クーラー、カラーテレビ、車)という目標を作り出しました。それもクリアし、携帯やパソコンという新たな目標に向かって際限なく突き進んでいます。 こういう目標はどこかでストップをかけないといけないと思います。 自然には無限の感動があると思います。毎日富良野自然塾のフィールドに出ていますが、山の形や木の生えている場所こそ変わらないものの、葉の色も違えば落ち方、実のつき方も毎日違う。 刻一刻変わっていきます。人間は感動を共有できる唯一の動物です。「感動を共有する」というのはとても大切なことです。 人間同士が感動を共有しながら、時にケンカもするけれども、そうしながらも束になって生きている。それが“幸せ”の原点ではないでしょうか。

<里山に暮らす老夫婦を渡辺満里奈さんが訪れて>

 昨年1年間、渡辺満里奈さんは、茨城県の里山に、ほぼ自給自足の生活をして暮らす老夫婦(80歳夫、77歳妻)のもとへ。冬には、しめ縄を編んだり、モチをふかして、臼と杵でつくことから始めて、そのつきたてのモチをあんこモチにして食べたりする生活。湧き水を利用しての日常生活、夏にはホタルが舞い上がって家の中まで入ってくる。その池は、年に1度ドブ浚いをして、そこに住む主たち(巨大なまず、うなぎなど)を元に戻す。妻は19歳の時に嫁に来て「こんな寂しいところに住めるのだろうか」と思ったという。帰る所もない当時の若い妻を慰めるために夫は家の周りに草花を沢山植え始めたという。渡辺満里奈さんとの会話の中にも仲の良い老夫婦の人柄が伝わって、とても温かさを感じました。

<このTVスペシャルを見て私の感じたこと、考えたこと。>

 倉本さんの質問、「生活必需品は?」では、

一緒に見ていた妻は「水、空気…」と正解。私は「冷蔵庫 …… ナイフ 森」と一部正解。「そうか、冷蔵庫は電気がないとダメなんだ」と後から気付きました。正解、または正解に近くても、実際の生活は、私たち夫婦とも電気や車なしではここ、農村では生活できません。それに私は、情報も。新聞、TV、(あった方が良い)少なくともインターネット(なくては困る)。私は、里山に住む老夫婦ほど自然の中に(またはその直ぐ近くに)住んでいるわけではあいませんが、それでも都会ではない、農村でも街中ではない、いわば、都市と自然との中間点に住んでいます。そこで、私は、養老孟司氏の「唯脳論」で書いていた「都市は、「脳化」が進んだ結果。」というのを思い出しました。妻はここの生まれですが、私は、ここに来るまでずっと都会生活でした。ここでの生活も、もう四半世紀(25年)です。時々は東京方面に行きますが、もう電脳空間化した都市(都会)には住みたいとは思いませんし、住めません。

 そうは言っても、倉本さんの質問に中途半端な答えをしているのが、今の私の実態です。この後、倉本さんは「現代人はランニングマシーンに乗っかって、わざわざエネルギーの消費をしている。」というようなことも言っていました。確かに私も週に何回かそれに乗っかって走ってはいませんが速歩しています。それも確かに便利な電化製品の一つです。屋外で走る(歩く)ことをしない理由はしっかり持っています。それでも「何故、それをしているか?」と問われているような気がしました。「エネルギーの消費?」「健康維持?」…確かにこの歳になると健康維持も目標にはなります。あと、一応、趣味にしている「水泳」。これのために筋トレにしてもウォーキングにしても、その「水泳」の上達(速くではなく、楽にと、まあ少しはかっこよく?のため)を目標に組み立てています。水泳の方は、少し上手く出来れば自分自身で“幸せ”は感じますし、水泳教室などでは、参加者と感動を共有することも出来ます。
それにしても、倉本さんの電化製品に囲まれた現代人に警鐘を鳴らすこの話は、しばらくの間、私もじっくりと考えてみたいと思いました。

里山の仲の良い老夫婦について。

家の中がきちんと見事にきれいに整理されていました。今、日本のいたるところで高齢者の1人暮らしのゴミ屋敷化の増加が問題になっています。1人暮らしでなくとも老夫婦でもあり得ます。妻に言わせると男の人で花を植える、手入れする人は整理整頓をきちんとする、ということ。(ちなみに、花好きの妻は片付け魔!)確かに、あんこモチを食べたか、食べないうちの夫の方が後片付けを始めていました。それに妻の方は、何時見ても(1年間)見事に頭髪を綺麗に(結ったり、被りをしたり)していました。老夫婦2人で、自然相手の生活。必要な時に必要のことはする。資源・食べ物の無駄使いはしない。不必要なものは置いていない。2人だけだけど、お互いに思い合っていて、微笑ましい仲の良いことが会話の中からも窺えました。そんな質素だけど豊かな生活が伝わってきて、見ていてとても羨ましく思いました。そのまま、真似ができるわけはありませんが、何か私たちにもヒントになるものがあるように思われました。

世代を超えて残したいもの。

富良野自然塾の自然教育プログラムなのか、国分太一さんが、閉鎖されたゴルフ場に植林(ポットを3つ)をする場面がありました。富良野自然塾は、50年間で15万本の木を植えるプロジェクトを推進しています。-ゴルフ場を元の森に還し、水と空気を浄化してくれる「葉っぱ」をつくる。―この事業を未来につなげていく。-そのような計画だといいます。

私は、この先、私たちに必要なことは、何か物質的なモノを獲得することよりも世代を超えて(子や孫、それ以後も)残すもの、残すべきもの(物質的なモノに限らず)をしっかりと選択することだと思います。私の場合、それは、身近なところでは、ここ栗原の自然(人が活用できる)ですし、もっと身近ではウチの雑木林風の庭。20年ほど前に白神山地において苗木で購入してきたブナは大きく成長してウチの庭の中心になっています。それからこの30年ほど私が、ライフワークにしてきた「図書館づくり」から、-発展する有機体としての図書館。-これは「人類の知識の森」です。その他にも有るとは思いますが、さしあたりこれらからしっかり残していきたいと思います。
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