触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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子どもの貧困シリーズーその4

<BOOKS> (24) 子どもの貧困シリーズーその4

「10歳の放浪記」と「かなしみの詩」を読んで                  
 2009.4.2

出版社/講談社 「10歳の放浪記」2006.11発行 「かなしみの詩」2009.1発行

著者について

上條 さなえ

1950年東京に生まれる。小学校教員を経て、1987年、児童文学作家としてデビュー。作家生活の傍ら、埼玉県の児童館館長を十一年間勤める。執筆や講演を通して、家族のふれあいの大切さを訴えている。2002年から埼玉県教育委員会にて教育委員を、2005年7月から2006年10月までは同委員長を務める。著書に「さんまマーチ」「コロッケ大使」「キャラメルの木」など多数。

<内容紹介>

「10歳の放浪記」―昭和35年、父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた著者を支えてくれたのは、街で出会った人たちだった。パチンコ屋のお兄さん、やくざのお兄さん、床屋のお姉さん…ふつうの人々がやさしかった時代を生きた、10歳の女の子の記録。
「かなしみの詩」―昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。(「BOOK」データベースより)

<私の感想等>

何故この本を読むことに…

 このまず、3月初めに季刊「人間と教育」61 「小特集 貧困と教育」を読みました。3月11日には、クローズアップ現代(NHK)で「貧しくて学べない」という放送を見ました。そして、3月の半ばよりしばらくの間、「貧困と教育」を中心としながらも「子どもの貧困」について考えていきたいということで「子どもの貧困シリーズ」を始めています。その間、3月9日付の赤旗日曜版の文化欄に「かなしみの詩」の紹介が載り、この2冊の本について知りました。

この紹介記事の中で先ず、最初の「10歳の放浪記」にある「10歳のホームレス生活」とはどんなものなろうか、それこそ「子どもの貧困」そのものではないかと思いました。しかし、ここでの続編「かなしみの詩」の紹介にある「学園には、さまざまな事情を背負った子どもたちがいました。…さなえちゃんも、貧しさゆえにいじめにあい、心を閉ざします。だが、やさしい先生たちに支えられ、立ち直っていく…。その1年を描きます。」という紹介から、先ず、出たばかりのこの続編から読むことにしました。

それに、主人公が「休み時間、ひとりになれる場所を探しました。「学園の図書室にいきました。そこで石川啄木の歌集と出合ったんです。文学への目覚めであり、心の支えでした。」という記述から「子どもと本」や図書館問題をライフワークとしている私としては、ここは、この本を読んでより詳しく知りたいと思いました。著者の上条さんが後年、小学校の教師になったのは、学園の山下先生の影響。4年間教師を務め、結婚を期に退職。子どもたちに愛と勇気を届けたいと、児童文学の道に進んだということですから、この2冊の本を読むことで「子どもの貧困」についての具体的なイメージの把握と、その克服の方向性が掴めるのではないかと考えました。

この本を読んで考えたこと。

 著者は1950年生まれです。同世代の私(48年)は、名古屋に生まれ、東京には13歳の時に来ています。ですから、それは、著者の11歳、「かなしみの詩」の千葉の学園時代にあたります。著者は12歳では、また東京の池袋の小学校に転校しています。私は中学生(14歳)で、学校は目白(池袋の近く)に行っていました。近くにいたといっても、私が育った家庭とは、実際の貧富の差や生活はかなりの開きがあったと思われます。しかし、当時の同世代の子どもが目にしたこと、耳にしたこと、興味を持ったことなど共通したものがたくさんありました。しかし、こんな風に自分の子ども時代を赤裸々に吐露するという作業はきっと苦悩に満ちていたと思いました。

印象的だったこと。それは、友達のかおりの言葉―「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんないやなことだって、がまんしなくちゃならないんだもん」というの(これは主人公・早苗自身も同じ)や、早苗が、よく出てくるー(マイッタナァ)―というつぶやきに、幼かった彼女らの幾多の辛いことに対するけなげな思い、子どもの知恵、生き抜いていく力の逞しさを感じさせられました。

 やはり、本の力は凄い。学園の図書室で「石川啄木の歌と出合えて、暗記する喜びも知った。それはわたしの空っぽだった頭の中に、啄木の歌の文字がぎゅうぎゅうと詰まっていく喜びだった。池袋の生活の中で学校に行けないわたしは、一日中映画を観て過ごした。わたしの目を通して、たくさんの映像は入ってきたけれど、文字までは入ってこなかった。映像の中で主人公が語る言葉も、字幕も、すぐに消えていって、頭にとどまることはなかった。本は文字を教えてくれた。わたしは働きたいけど、働いて姉を助けたいけれど、文字がぎゅうぎゅうと詰まるうちは勉強しなければいけないのだと思った。」というところです。このことは、季刊「人間と教育」61 「小特集 貧困と教育」の中にあった大阪の高校生の取り組みに通じてきます。「勉強が分かるようになったから」「生きていていい」と思えるようになったという。「奪われてきた学力」を回復させる取り組みが希望を作り出し、反貧困に、貧困を克服していく手立てになっていくのです。

 優しい大人たちとの出会い、(他の)人の力(ヒューマンパワー)が大切だと感じさせられました。この本に出てくる他人は、教師からヤクザに至るまで、善意の人が数多く登場してきます。「今はつらくても、希望を捨てないで生きてほしい」という著者のメッセージが伝わってきます。それに反して両親は…著者の両親の描き方は冷たく厳しい。父親は如何しようもない程のだらしがないダメ人間ですが、著者はそんな父親を、心の奥では許している。一方母親とは心の葛藤がある。他界してようやくこれを書き始めたというところか。実際には母親と姉の助力があって著者は勉学に励めた(母親の著者への勉学への勧めは父親をバカにし、どこか差別的なところがある)のです。しかし、その一方で特に母親から自分は「一時期捨てられた」という思いがずっーとあったのではないかと思われます。

子どもの貧困は、当然のことですが、子ども自身には何の責任もなく、その克服には社会的な仕組みが必要となっています。その仕組みは、制度ですが、そこに人間の力が充分に生かされるようなものにしていくことが必要であることがこの2冊の本を読んで考えさせられました。
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