触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「生き方の不平等」を読んで

<BOOKS> (34)                        2010.7.4

「生き方の不平等―お互いさまの社会に向けて」 
を読んで

 
著者/白波瀬 佐和子

発行/岩波書店(新書) 2010.5.20発行

著者の紹介

1958年生まれ。1997年オックスフォード大学博士号取得。現在、東京大学大学院人文社会系研究科准教授。専攻は社会学、社会階層・格差論、少子高齢化論

この本の内容

 今の日本社会で実際に選択できる「生き方」の間には、収入やジェンダー、年齢によって著しい不平等があります。子ども、若者、勤労者、高齢者というライフステージごとに、人生の様々な選択肢が不条理に限定されている状況に注目して不平等を見ています。そうした不平等の実態とその原因について、数々のデータを用いて考え、そして、そこから脱却する道を「お互いさまの社会」の創造に見出していっています。

目次

序章 不平等を語る
第1章 ゆりかごが決める人の一生―子どもたちの不平等
第2章 たまたまの勝ち組、たまたまの負け組―若者たちの格差
第3章 稼ぐ人・世話をする人の分かれ道―女の働き方・男の働き方
第4章 蓄積された不条理―高齢者たちの格差
終章 お互いさまの社会に向けて

<内容の紹介>

第1章(子ども)

―特に幼い子どものいる世帯の中で階層化が進み、かつ幼いときの不平等がその子どもの人生に蓄積されている状況があります。親、家族のみならず地域、社会といった多様な子育て主体の介入が、機会の不平等を解消するためには必要です。

 具体的な政策としては、子ども手当てのように子ども一般を政府が保障することは重要です。しかし、子どもがいる世帯は貧困率が高く、経済格差も大きい傾向にあり、再分配効果を勘案した児童福祉政策の実施が急務です。母子家庭にある子どもの貧困が国際的にも極めて高い現実があり、緊急性の高い子どもたちに重点的な対策を講じる必要があります。子ども対策という観点からは、手当てや税控除による所得保障と、教育や小児医療をはじめとする現物給付、という総合的な取り組みが求められています。

 子育ての経済的負担感の主な理由は子どもの教育にあり、公教育という現物給付のための重点的予算配分が望まれます。公教育が負の遺産を断ち切る有効な手立ての一つとなります。公教育そのもののあり方についても見直す必要があります。

 親の経済力にかかわらず、子どもの権利として生活が保障される。この体制を確立することは、のちのち、社会の大きな「溜め」となっていきます。

第2章(若者)

―若者は人生の前半期にあって様々な点で蓄積が少ない時期、過渡期にあります。若者はマクロな経済状況の影響を直接的に受けやすく、彼らがこれからの長い将来に向けて一度のつまずきを将来にわたって引きずっていくことのないような制度作りが重要になってきます。不安定な過渡期にある若者たちを、どう社会が受け入れ、支援していくかで、若者たちを育てる社会の力量が決まります。そんな若者たちを育てられる社会が、結局「強い社会」になっていきます。

 これまで日本は企業に生活保障の機能を負わせてきましたが、それが崩れたいま、企業との連携をもちつつ、政府が人を育てる制度設計の主導権を握っていくしかありません。そのために3つの対策を ① 職業訓練やキャリア教育を複線的に設定し、教育と労働の場の往き来を容易にすること、② 若年層の低所得対策を充実させること、③ 親から独立して生活できるように住宅支援を提供すること。

第3章(仕事)

-働き方のジェンダー差からの問題には、まず労働市場における男女間賃金格差を最優先で解決すべき。男女ともに働く、男女共同参画社会の実現は、同一労働同一賃金に沿った男女間賃金格差の解消と平等な昇進機会の保証なくしてありえません。

 同じ仕事に従事しても、雇用契約の違いによって大きく報酬や待遇が異なる状況がこれ以上すすむと、労働に対するモラルは低下します。共に働き、共に生きる社会を形成するには、正規・非正規雇用間の格差を縮小する上のも、男女賃金格差の解消に向けて早急に対応すべき。格差解消には底上げだけでなく、フルタイム正規就労の雇用保障の既得権をより多くの「働く仲間」と分かち合い、さまざまな雇用リスクを分散することも一つの解決策(社会的リスクの再分配)です。

 何を基準にして平等にするかは重要です。今までどおりの長時間労働に拘束された働き方ではなく、男女ともに働き、生活するライフスタイルを。家庭と仕事の両立を男女ともにめざすための子育て支援が望まれます。仕事と家庭のバランスをとるために利用できるさまざまな支援策が必要です。いま日本の社会は(少子高齢化に入り)一人が特定の役割を担うという一人一役割の構造から一人多役割構造へと移行しています。一人が複数の役割を担うためには、子育て、家族の介護を含めて、さまざまな主体(人や組織)からの関わりが求められています。 

第4章(高齢者の経済格差)

-日本の高齢者は就業意識が他国と比べて高く、手薄な福祉が原因というよりは、「生き甲斐」や、「意欲」「より充実した生活」を求める考えが日本の高齢者に高いことが理由になります。しかし、高齢者の1人暮らしや、高齢者夫婦のみの世帯が増えており、不安材料になってきています。高齢期はこれまでの生き方が蓄積された時期で、不平等が見えやすくなっています。人々の生き方に変化が見られる今、標準的なライフコースに沿わない場合を考慮に入れた制度設計が必要であり、さらには社会全体で支え合う世代間、世代内の再分配政策が求められます。

 現役層が支え、高齢引退層が支えられるというような単純な世代間関係をもって高齢社会を捉えること自体が難しくなってきており、制度が適切に運営できない状況が生まれてきます。世代間だけでなく世代内の再分配政策―土地や貯金といったストックを以下に再分配の対象として社会に還元できるかを検討すべきときにきています。人それぞれの「溜め」を一代限りとするような死亡時に一定額を税として徴収する御破算システム、どこかで「仕切りなおし」の制度を導入することが必要になってきます。その程度や方法について合意形成をいかになしうるかが、持続可能な社会の形成に向けてのポイントになってきます。

 消費税の導入の前に、あるいは同時に、相続税、固定資産税、所得税といった直接税の見直しも急務です。

終章(お互いさまの社会に向けて)

他者感覚と当事者

―貧困をわれわれが共通にもつ社会的リスクの一つととらえる視点が、貧困問題を他人事ではなく、自分の問題として積極的にとらえる素地を作ります。それには敏感な他者感覚が必要です。すべての者が、すべての問題において「当事者になる」ことはなく、当事者であることを至上のこととすることなく、さまざまな社会問題を相対的に位置づける必要が出てきます。当事者がいて、当事者でない者がいる。そのことを認識してはじめて当事者が相対化され、当事者であることを万人の中で共有しうる可能性が出てきます。

社会的想像力のすすめ

ー他者感覚を磨くことは、社会的想像力をたくましくすることです。当事者でない「われわれ」が例えば貧困を語るには限界があります。実際に当事者になりえない状況で、自分でない「当事者」を思いやり、共に社会の構成員として社会の諸問題を共有する意味は極めて大きい。共に支え、共に助け合う社会にむけてのキー概念となるのは「他者感覚」です。われわれ一人ひとりが直接的、間接的に社会の不平等問題にかかわるためには、他者感覚という社会的想像力を研ぎ澄ますしかありません。

見えないことに敏感になる

ー日本社会は、「すぐに見えないもの」「見えにくいもの」に対してきわめて鈍感です。「見える」範囲は限定的で、かつ全体からすると偏りが生じます。「見える」ことだけから物事を考えることには限界があります。だからこそ、他者感覚を鍛えることが必要です。その必要性はグローバル化の中でますます高まり、他者を想像する範囲もグローバルなものが求められています。

お互いさまの社会をめざして

ーいまの日本社会は、家族のあり方や人びとの生き方の変化に制度が十分追いついていかないがゆえに、セイフティーネットから零れ落ちる人びとが増えています。現役を引退したからといって世間から見放されるのは不条理です。いま家族がないことが即、孤独な死へと直接つながるのは社会の弱さのあらわれです。共に生き、生活する場としてのコミュニティ作り、「お互いさま」の関係をこれまでの家族を超えたところで意識的に形成していかなければなりません。

 自分が生きるうえの社会的リスクを、ただ一人だけ、あるいは一家族だけで小さくしようにも限界があります。社会的リスクとは人のつながりの中で、高くも低くもなります。お互いさまの関係とは、社会的リスクを最小限にすることに通じます。

 お互いさまの関係を形成するための三つの提言 
① お互いさまの社会制度として、再分配政策をいま一度見直し、社会制度の中心的な精度として整備すること。
② 若年層、壮年の現役層を中心に、子育て支援、就労支援などを通して社会が生活保障機能を提供するメリットを実感してもらうこと。
③ 就労を通して参加型社会の形成。就労を前提とした社会制度を立ち上げると同時に、基本的な生活を保障する最低生活保障制度も整備する(現在の生活保護制度との関連等、さらなる検討が必要)。

 ジェンダー、年齢、国籍に関係なく共に生活する社会を築いてこそ、生き方の不平等を最小限に抑えることができます。さまざまな状況にいる多様な人を大切にする社会、それがお互いさまの社会です。このお互いさまの社会を実現することが、厳しいグローバル時代を生き延びる「強い社会」となっていきます。

<私の感想>

「お互いさま」を自分に引き寄せて考えると…

 この本は5月20日に発行され、6月の段階で書評や本の紹介で出てきました。本書を読んで分かったのですが、「見える」ことーワーキグプア、格差社会、子どもの貧困などーに、私自身は、この間、反応してきたのだと思いました。だから、この本のタイトル「生きたかの不平等」-お互いさまの社会に向けて に直ぐ反応したのだと思いました。「見えないこと」にもそれなりに敏感に反応してきたつもりでしたが、いつも限界があり、それが何故かがよく分かっていませんでした。本書を読み、その辺りが少し整理されてきたように思われ大変助かりました。終章の紹介を長々と書いたのは、ここに書かれていることをしっかりと自分自身の中に刻み込もうと思ったからです。

 「他者感覚と当事者」では、この2年半くらい、ずっと私はここ栗原の学校統廃合問題に巻き込まれてきました。当事者でもなく、ここが生まれ故郷でもなく、教師でもない私が、それを自分の中でどう位置づけるか?となるともう、社会的想像力を働かせて他者感覚を敏感にするしかない。あるいは、もうこの栗原に骨を埋めると決めている以上、この問題は他人事ということでは放っては置けない。ということでしたが、いま一つすっきりしませんでした。それを本書で著者のいう「お互いさま」ということでくくると、「お互いさま」ということで自分に引き寄せて考えてみると、少し先が見えてくるというか、もう少し頑張ってやってみようという気がしてきたのです。同様のことでは、「学校図書館の充実・整備」という課題があります。2年前に少し実際に訪問し調べるなどしましたが、直接的に声を出しにくい子どもたちに代わってこれはどうしても継続して取り組まなければなりません。「見えにくい」ことでは、先日、自分自身にエンジンをかけた自治体の財政分析の問題があります。さらに大きな問題では、沖縄の米軍基地問題があります。私個人が一人できることは、しれています。しかし共に支え、共に助け合う方向を持っていけば少しずつでも前進します。

いま、まさに日本社会の成熟度が試されている

 第1章の子どもと 第2章の若者 に関しては、いまの民主党政権の政策、そして施策も本書で示しているようなはっきりとした組み立てのもとに提示すれば説得力を持つのにと思いました。多分、長期的には本書と同じような方向に向かうものと思われます。しかし、本気で公教育の充実や若年層の低所得対策やまして住宅支援まで行くかというと、危ないというか、まだまだ曲折はしばらく続きそうです。そして、何よりも民主党政権というより、国民の間での子どもや若者に対してこうして位置づけをするという合意形成がカギになってくると思います。

 第3章の仕事 に関して、子ども若者以上にもっと大変です。仕事―労働の問題、そして格差・貧困の解消の提言はさまざま見てきましたが、本書は著者が女性研究者らしく、それを一貫して「女性から見る女性就労」というような視点から切っているようです。それがかえって新鮮で、説得力があるように思えるのです。しかしそうであればあるほど経営者層、連合などの労組、さらに男性といった敵?を相手にしていかなければなりません。「何を基準にして平等に…」といっている点での時間をかけても国民多方面との合意形成が求められます。

 第4章の高齢者 に関して、これが本当は最も大変かもしれません。世代間の問題に関しては、若者=愚か者論、若者を蔑視するような論調が一方にあると思えば、片方には世代間対立を煽るような世代間戦争を言っている人もいます。その点、50歳ほどの著者は冷静です。この国は、若者をむやみに非難したり、世代間対立をしていては、もうもたないのです。世代間では現役世代が一方的に高齢者を支えるというのではなく、第2章の若者 のところにあったように高齢者を含め若者を支えることも必要になってきます。それに新たに提起されている高齢者の世代内の再分配政策は、高齢者だけでなく若者や子どもにも再分配するものです。ある意味では「資本主義経済の根本を修正しろ」と言っているようなものです。これはかなり大胆な発想です。社会の活力を生む競争心を削がない形で、また、人のやる気をなくすような悪平等?というものにならないような形でどうするか?私自身、確かに、もうそこまでやらなければならない時点に日本の社会は入ってきていると思います。そして、これをするということは当然のこととして社会主義的施策をするということです。北欧などの高負担高福祉の国々では、社会主義的な要素も入っていますが、ここまではやっていないと思われます。

 いま、日本は参議院選の後半に入り、消費税問題も論議されているようです。(中身は乏しい)しかし、同時に日本の将来をどうすべきかが論議されていません。高齢者に身近な問題でも年金、介護、医療等どうしていくのか、政府や自治体が何かをするだけでなく、地域やコミュニティはどのような役割を果たしていくのか、自分達―高齢者のことばかりでなく、子どもや若者、女性、貧困層など日本全体が、厳しいグローバル時代を生き延びていくにはどうすればよいか?

 この本書が問題提起している大胆な発想は、極めて重要です。それだけにこれを具体的な施策までもっていくのが大変です。国民的な合意形成を重ね、これを緻密な政策にまでしていく必要があると思われます。そうしなければ著者が言っている「強い社会」に日本はなれませんし、この後、日本の社会は衰退するしかありません。社会主義的な施策であっても、逆に言えば現代の資本主義国における「成熟した社会」でしか、これは成し遂げられないことではないかと、私は思います。いま、まさに、日本の社会の成熟度が試されていると思います。
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