触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「小中一貫教育を検証する」を読んで(その2)

<BOOKS>(35)                         2010.10.1

「小中一貫教育を検証する」の紹介(その2)

著者(編) 山本 由美 

出版社: 花伝社 発売日: 2010/08  

この(その2)では、第1章と終章の紹介を行います。

<主な内容の紹介>

第1章 小中一貫教育問題とは何か

現在、全国の自治体で小中一貫教育、小中一貫校が急増しています。しかし、どこでもその導入の是非については十分な議論が尽くされてるとはいえず、教育改革の一環を占める路線として既成事実となってしまった感があり、それも多くの場合、学校統廃合を行うための手段として全国に普及している。そして、民主党政権は、モデルとする教育改革のあり方を、新しいコミュニティと結びついた小中一貫校に見ている。

保護者や住民は、学校統廃合に対しては抵抗感が強いが、子どもたちにとって「新しい教育効果も高い小中一貫教育」という触れ込みの小中一貫校の新設は歓迎しがち。行政側の小中一貫校のメリット(俗説だが)についての一方的な情報提供を積極的に行い、多数の保護者の賛成と地域から学校がなくなってしまうことを危惧する地域住民の反対という流れが生まれている。行政にとって、小中一貫校は、保護書と地域住民の間を分断しやすくする改革であり、また、大量の校数を一度に一校にまとめることができるため、うまみが多い改革である。

このように小中一貫校が学校統廃合につながっているケースとして全国の自治体では似通った事態が急速に出現し、その具体例として宮城県栗原市のケースが取り上げられています。
(詳しくは私のブログ「触媒生活」 宮城県栗原市金成地区 も参照のこと)

小中一貫校を設置することで地域の小規模校が廃校になり、自治体の中で選別され切り捨てられる地域が生まれている。それは、ここの自治体だけの問題でなく、地域を「中核部」と「切り捨てられる部分」に区分けしていき、後者からはできるだけ学校などの公的施設を切り捨てて身軽にしていく、道州制を見すえた地域の大再編が起きている。

終章 対抗軸を模索する

 小中一貫教育は、小学校と中学校がそれぞれ持っていた理念や文化や具体的なカリキュラムを根こそぎ別なものにしてしまう制度である。これは、公教育を序列的に再編していく新自由主義教育改革にとって、最大の障害であった従来の学校自治的な関係を取り除き、教職員の意識改革を進めるうえで有効に働く。そのような「改革」が、まだ十分に 検証されていない小中一貫教育の「有効性」を提示することで、保護者にはすんなり受け入れられてしまう。

 子どもたちは大人が思う以上に身近な親密な関係の中で生活している。それは人格形成にとって必要とされるステージだったはず。そこで培った力や地域に人間関係によって、やがて厳しい思春期を乗り越えて自我を確立させていった。でも、この“世界”が大きく別なものになってしまう。

 都市部における教職員と保護者の共同の可能性 

都市部の場合、小中一貫教育の持つ問題点を教職員と保護者が共有できれば、簡単には事態は進められていない。大阪府門真市では、教職員組合が「市教委が『小中一貫教育推進』『中一プロブレム解消』『学力向上』などの教育問題で、『攻撃的』に学校つぶしを進める中で、教職員組合はそれらの欺瞞を打ち破る理論的・政策的な力量を高める必要がある」と運動を位置づけているのは対抗軸の方向性を示している。行政は単に“学校つぶし”すなわち統廃合をしたいだけなのだ、という位置づけができた場合、反対運動は組織されやすい。

 過疎地における反対運動の困難さ

 絶対的な子どもの数の少ない、地方の過疎地における小中一貫校に対して異議を唱えていくことは難しい。多くの住民にとって、地域の産業が衰退し人口が減り、何よりも子どもの数が少なくなっていくなかで、新しい小中一貫校に明るい未来を見るしかない。行政の教育効果に対する宣伝も有効に使われる。特に、児童が減り複式学級が生じた場合、保護者の不安は大きくなる。

 そのような煽られた不安感は、道州制に向けて地域を再編して育成策に巧みに利用されていく。この間の総務省や地方分権推進委員会などの地方改革構想が、「限界集落」と「コンパクトシティ」をセットにした政策を提起していることに注視する必要がある。過疎地における小中一貫校はまさにこの政策に合致する。

 また、民主党政権は、これまで行われてきた義務教育国庫負担制度のもとでナショナルミニマムが規定され、どんな小規模校にも学級数に応じて教員が配置される制度を見直し、例えば一括交付金の中から自治体の責任で教員給与を捻出しなければならないような制度へ転換する方向性を示している。自治体にとっては、たくさんの小規模校をまとめていくことによるコスト削減は緊急の課題となっていく。

 地域づくり構想の中に学校を位置づけて

 過疎化、少子高齢化により学校統廃合がおこなわれた自治体でさらに若年層が流出して限界集落化し、基幹産業であった農業、特に稲作が衰退していくというサイクルが見られる。近年、政府の農業政策の混乱も反映して農業経営は困難な状況にあり、さらに人口減、少子化は顕著に。産業構造の転換に成功しない限りこの状況を変えていくことは難しく、いたずらな学校統廃合が問題の抜本的な解決策になるわけではない。親の不安を煽り、安易に小中一貫校という学校統廃合を進めることは、地域にとって抜本的な問題解決をさぐる努力をそいでしまうことなる。

 将来的な産業構造の展望も含めた、地域づくり、まちづくりのプランニングを、住民参加のもとで進めていくことの中に、望ましい学校のあり方も位置づけられなければならない。たとえ極端な少子化でやむをえず統合する場合でも、地域住民にとって望ましい学校像について時間をかけて検討していくことはできないか。また、将来の地域の担い手としての子どもたち、子どもの成長、発達にとって地域に価値といったものに配慮していくことが必要。

<私の感想>

全国的な動き、流れの中での過疎地におけるケースとして栗原市が本書によって取り上げられ、その位置づけがはっきりしてきました。

ここ栗原市でも、町村合併から5年が経過して、学校統廃合だけでなく「行政改革」の名のもとに、自治体内での周辺地域の切捨て、身軽に、という流れが急速に行われてきています。しかし、これが「道州制との…」といわれてもまだちょっと不勉強でピンときません。

民主党政権の教育政策についてもまだ良く理解できません。たしかに教育改革を「新しいコミュニティと結びついた小中一貫校に見ている」という点はあるとは思います。民主党政権の義務教育国庫負担制度のもとでナショナルミニマムが規定され、どんな小規模校にも学級数に応じて教員が配置される制度を見直すという動きは一括交付金がらみでも注視していく必要はあります。しかし、従来の文科省の流れとどう変わってくるのか?延長なのか?よく分かりません。

民主党の地域主権の方向性も同様です。片山氏が総務大臣になったことによって、私自身は、期待をもっています。しかし、片山氏は、民主党の枠の中からの出発ですからどれだけできるかは、まだ未知数です。彼は、一貫して、住民自治を重視しており、生活者からの民主主義も重きをおいています。ですから、町村合併には否定的であり、「コンパクトシティ」という考え方にも懐疑的だと思われます。しかし、道州制や市場経済(競争)というものには容認的だと思われます。自治体に対して、ぎちぎちとコスト削減を迫るようなことはする筈はないのですが、逆に「ナショナルミニマムを放棄して財源も自治体にある程度十分渡しますから、それを道路に使うか、学校に使うかは自治体(その構成員の市民・住民)で決めてください。」となりかねません。ここで試されるのは、私たち自身ということになります。国の責任と自治体の責任、そして市民・住民(の責任)が何をするかをはっきりさせていかなければならなくなります。ここでは為政者にお任せするーお任せ民主主義などというものは通用しなくなります。自治体(市職員)、首長、議会(議員)、さらに地域審議会や自治会、様々なコニュニティ、NPOなどとの関係で、場面で、繰り返し議論をし、『合意形成』を積み重ねていくことが必要になってきます。

教育・学校統廃合に関して言うならば、そこに「子どもにとって、の視点」をきちんと入れていかなければなりません。「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」では、10月30日には、「いま、子どもが危ない!-日本の将来と教育の果たす役割―」というメインテーマでリレー教育講演会を開きます。しかし、実は、危ないのは、子どもだけでなく、私たち大人、現代の人間社会自体が危ない、危ういものになっているのです。3つのサブテーマの最後を「ゆきとどいた教育で未来への希望を子どもたちに!」とました。しかし、そうはしたものの、会の役員会で話し合ってみて、これには今のところはっきりとした「正解」というものはないという結論になりました。それを見つけ出していく努力を積み重ねていくしかありません。それを私たち、総体でやっていかなければならない、そうした(大人の)姿を、姿勢を子どもたちにも見せていかなければならないと考えています。その場合、この本書の終章「対抗軸を模索する」はそのベースとなるものだと思っています。

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