触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「変われるか?日本の教育」を読んで(その1)

<BOOKS.> (36)                           2010.10.3 

「変われるか?日本の教育

-現場の視点から「教育改革」を斬るを読んで (その1)

著者 尾木 直樹

出版社: 新日本出版社 発売日: 2009/09
アマゾン 「変われるか?日本の教育」尾木直樹著

著者略歴/1947年滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、私立海城高校、公立中学校教師を経て、現在は、法政大学キャリアデザイン学部教授、早稲田大学大学院教育学研究科客員教授として、学生やゼミ・論文指導、「臨床教育相談論」、「現代社会と家族」、「道徳教育の研究」、「教育入門」等を講じている。また、全国への講演、テレビやラジオのコメンテーター、対談、新聞・雑誌等への執筆、単著の出版、教育相談、カウンセリング等に幅広く活躍している。主宰する臨床教育研究所「虹」では、所長として子どもと教育、メディア問題等に関する現場に密着した調査・研究活動にも、精力的に取り組んでいる。最近は、フジテレビ「ホンマでっか!?TV」などのバラエティ番組にも出演。「尾木ママ」(明石家さんま命名)という愛称で親しまれている。

<目次>

第1章 時代を逆走する「改正」教育基本法―まるで「クーデター」
第2章 吹き荒れる「数字の嵐」―これでは「教育破綻」
第3章 子どもや教員の味方になれない教育委員会―職員室に自由の風を
第4章 教職員も“伸びる”学校へ―職員会議は学校民主主義の原点
第5章 海外から見た「教育鎖国」日本―押しつぶされる「個」と民主主義
第6章 「教育条理」を貫く―子どもの心に寄り添いながら
終章 「五観」を転換させよう―「教育破綻」の臨床から提言する
おわりに

<内容の紹介>―「おわりに」より

「変われるか?日本の教育」。こんな問題意識から、臨床現場の視点に立って2000年以降の「教育改革」を分析―教育基本法、教育3法と言った基幹の法制度の改変。それらを生んだ視点・発想、その「手法」の問題点を明らかにする。それらによってもらされた悪影響-序列化を強めて子どもを失望させ、学力を低下させてきた全国学力テストや学校選択制。職員会議での「挙手禁止」を強いる東京都教委…。

 今日の教育界全体を貫いている思想は新自由主義であり、その発想は「市場原理」であり、何でも数値目標を掲げさせ、その達成のために「PDCAサイクル」で競争を煽る。「学力向上」に関しては「全国学力テスト」がその牽引的役割を果たし、これに小中学校の「学校選択制」がセットされ、学校の存続自体が“競争”にさらされるようになっている。

 しかも、市場原理によって教育の「商品化」が進行。「消費者」は親ですから、選別される学校側にとっては数値や選択の結果は絶対的な力。こうした“偽装”「教育改革」は、大学までも巻き込み、教育界全体を覆っている。こうなれば、弱肉強食、結果責任論の新自由主義にとっては怖いものなし。「選択と集中」-つまり数値という数の力を振りかざしの“偽装”「改革」が次々と断行される。これに教育行政における密室性の高いヒエラルキーが合体すれば、時代錯誤的で暴力的な権力が猛威を振るうことに。

 こうした現状をあと10年も20年も放置はできない。その矛盾は限界に達し、子どもと教員が悲鳴をあげている。このまま新自由主義的「教育改革」を続け、「教育破綻」を加速させるなら、「教育鎖国」日本はこの歴史的転換期を、世界の国々と手を取り合って歩むこともできない。取り返しのつかない国家崩壊の危機に陥る。

 ILO・ユネスコの「CEART勧告」(2008年12月)や、子どもの幸福度が世界一といわれるオランダとの国際教育比較的な視座は、日本の問題の本質を浮き彫りにし、打開の方向と展望を明示した。

日本の教育を「変える」には、「子どもの最善の利益」に実現のために、教育学に裏付けされた「教育条理」に基づく「教育の原風景」を求めて実践することが重要。そのために行政はまず、子どもと教員にゆとりを与え、環境や条件整備にたっぷりと資金を投入すること。そして、現場の教員と子どもの声をじかに聴くことが重要。同時に子ども参加の視点ですべての教育施策を推進すること。

さらに、子育てと教育にかかわる一人ひとりが教員、教育委員会、保護者の立場を問わず自己の要求や思いを外に向かってしっかり表現すること、自由に発言し続けること。とくに教育関係者がそうすることは子どもたちに対する何よりの励まし、学びの意味を教える最高の心の教育そのもの。

第6章、終章で提起した「五観」の転換こそが今、私たち一人ひとりに問われています。もちろん一人では厳しい。だからこそ、横へとつながり、小さくとも「連帯と協働の絆」を無数に結び始める時です。

<内容の紹介>-第6章と終章

第6章 「教育条理」を貫く―子どもの心に寄り添いながら

1 体罰問題で考える「子ども観」

 法的には既に厳禁されているにもかかわらず未だに根強い「愛のむち」論にたいして、教員は「叱る」力量を高めよ、と。ここで問われるのは、「子ども観」です。教員がこどもを見下していたり、「指導してやる」といった視点や発想でいたりする限り体罰はなくならない。子どもを一個の人格として、大人と対等に尊重し尊敬する生徒指導観から考えるなら、体罰の発想そのものが入り込む余地はない。

2 教育の「原風景」-子どもの「心に寄り添う」

 教育の原点は「不易」。江戸時代の「寺子屋」から変わらぬ教員と子どもの信頼関係をもとに成り立っている。子ども同士の関係の重要さ、子どもが主人公であるということ、子どもは自然や日常生活の中で成長するということ、これらもまた「不易」。教育を成り立たせる「原風景」です。

 一人ひとりの「心に寄り添って」学力アップし、立ち直った都内の北区立神谷中。杉並区立和田中の「夜スペ」などのように授業を塾など外部に“丸投げ”する方式ではなく、昔から不易の学校力、教育力を発揮。「心がつながる」授業姿勢こそが生徒たちに無限のパワーを生み出させていく。

 「生活と教育の融合」-生活教育の大切さを教えてくれるのは、東京の私立自由学園。「育てたブタを食す」ことで、一連の「食の循環」を、実際の現場まで足を運んで見学、学校の給食などの食生活を通し、総合的、体験的に学び、実感として生きること、体験として命の大切さを体得いていった。実習で得た知識や技能が、各教科の体系化された科学的な「学校知」と融合し、学びが「生きる力」へと血肉化されていった。

 「ケータイ時代」は子どもが主役。子どもが主体のルールづくりに取り組んだ神奈川学園中学校・高等学校。ここではすでに数年前から生徒会が「自由にしても崩れない集団」をめざして、生徒自身の手でケータイについてもルールづくりを進めていた。東京の私立和光中学校でも、みんなで話し合い、ネットいじめを解決し、ルールづくりに挑戦。このように大人からの規制だけでなく子ども自身の生活から、ケータイ使用のどんな点が問題なのか、いちばんわかっているのは生徒自身。その生徒自身がオープンに議論し合えれば、いかに問題点を克服すればよいかという方向性や知恵と対策も、それぞれの学校らしくできあがっていくはず。

3 どこをめざす?日本の教育の針路

 冷め始めた「教育改革」―保護者の意識にも変化の兆しが… どうも保護者は、わが子の学力を他の子と比較することによって安心したり,わが子の評価の目安にしたいよう。親たちは、自分たち自身が偏差値競争漬けだっただけに、学力の「本来」をなかなかイメージできなくて、理解しにくいよう。-こんなに競争主義に陥っている国は世界でも稀で、真の“学力”測定に関して国民的な理解を形成することは、今日の日本にとって重要なテーマ。

 注目すべき品川のアンケート(2008年7月20日「真相報道バンキシャ」)。-から多くの保護者が「教師の多忙化」を問題視し始めていること、品川の教育改革の目玉70億円以上もつぎ込んだ「小中一貫校」を必要と答えた親は5%、「どちらかといえば必要」をいれても15%。「不必要」は「どちらか…」も入れると24%にもなっている。-「教育改革」熱は明らかに急速に冷めてきている。しかし、その後に残ったものは、「教育の破綻」以外の何物でもない。

 この最近の「教育改革」は、どれも教育条理に反した、現場の実態に合わないものばかり。それでも教育基本法や教育3法の改正、教員免許更新制の法律改正と小中一貫校や学校選択制などが進んだのは、教育界からの要求や市民の要求からではなく、イデオロギッシュな政治力によるものばかり。表面上の変化をいち早く自らの政策に取り込んでパフォーマンスを発揮したい首長・教育長たちの圧力による施策でしかなかった。

 政治は教育をふり回すなー今、学校は数値目標を掲げた競争原理に走って、今日の経済構造や社会体制をつくっていくのに都合のよい人材を育成する、いわば“製造工場”“選別機関”に陥っている。高校全都道府県一学区制にして競わせれば、生徒全体の流動性が激しさを増し、結局一番からビリまで序列化される。しかし、個々の生徒の学力が向上するわけではない。公私を巻き込んで都道府県単位の狭いコップのなかで、受験学力が「本当の学力」かあやしいままで、大学合格をめざして競わせているに過ぎない。それどころか、挫折を味わい、大切な思春期に心に深い傷を負った、やる気の失せた自己肯定感の低い若者を大量に生み出すだけ。

 習熟度別授業、2学期制、授業時間増、「ゆとり」から「詰め込み」教育への転換など、最近の「教育改革」は、教育の機会均等を奪い、経済格差が学力格差、公私間格差を生むという悪循環の“構造”に陥っている。

 学校を自己肯定できる学びの場に

① 「学び」というものをとらえ直して、学校を、各種テストや評価によって子どもたちを“振り分ける機関”“序列化機関”としての役割から、」誰もがいつでも生涯にわたって学び成長し、“自己肯定していける機関”としてとらえる「学校観」に転換していくこと。

 ② 小泉・安部政権以来の「教育の構造改革」の発想や手法から根本的に転換する必要。教育界が政治にこびる姿勢をやめ、教育現場の実態や声、教員や保護者、そして何より子どもの声を大事にした「改革」に。

 ③ 青少年が本当に誇らしく思える国と社会をめざすことができるような「社会観」を私たちが獲得すること。
 授業料を無料にー「学習観」の確立をー小学校から大学まで、私学も含めてすべての授業料を“無料”にすべき。「教育は未来への投資」「知的公共財の育成」(フィンランド)「国の財産」(オランダ)、国家のライフラインの整備の課題であり、優先的に予算を当てるべき領域。日本の教育支出は私費負担の割合が高く「お金がなければ学べない国」になってしまっている。

 ライフラインとしての学力―子どもにも「社会保障」としてー実際の学力格差は親の経済格差、文化格差にほかならない。全国学力テストで「学校間格差」とそれぞれの「地域間格差」がタテとヨコの糸にクロスしながら緻密に織り上げられる、ここまで二重三重に全国くまなく差別化し、選別を強める教育内容や授業体制、評価システムを総合的、体系的に「完成」させてしまった国も珍しい。

 教育は「人生前半の社会保障」(広井良典)であり、その意味で“教育は福祉”であり、学力は国家にとっても活力を発揮するためのライフライン。個人も国家も生きていくうえでのセーフティネットの役割を担っている。一人ひとりが知的レベルを上げること、“底上げ教育”こそが、国としても「知的公共財」を豊かに育てていくことにつながり、結果的に社会も経済も発展していく。経済の市場原理を教育に逆適用するなどということは、実に馬鹿げている。今日の日本の経済格差と学力格差は、「教育破綻」だけでなくまさしく国家滅亡への道。「何はなくとも“希望”だけはある」(村上龍)といえる日本にしなければ、子どもたちの無限のパワーは全開しない。

終章 「五観」を転換させよう―「教育破綻」の臨床から提言する

教育の何が問題なのかー浮き彫りになった四つ矛盾

① 国会や地方議会を問わず、政治に振り回されすぎではなかったか。あまりにも直接的な「政治」の介入によって教育条理が無視され、「教育破綻」が進んだ。非常識なほど内部のヒエラルキーが強固に確立した教育行政が、平気でまかり通っている。学校現場と教育委員会との矛盾、そのあり方を抜本的に見直す必要が。

② 教員や学校の教育実践における自由度があまりにも低いこと。

③ 教員の働く条件と環境があまりにも低水準であるという問題。

④ 「教育の主役は子ども」であるという当たり前の視点がまだまだ弱い問題。

五観(子ども観、学校観、学力観、教師観、教育観)の転換を提言

① 子どもも「小さな仲間市民」という「子ども観」と感性 

 あらゆる領域への「子ども参加」の促進―学校関係だけでなく、児童館や公園、駅舎のデザインづくりなど地域の幅広い行政に子ども参画の機会を積極的に拡大を。
ゼロ・トレランスを撤回し、「体罰」をなくす。

豊かで幅広い「学校観」 

学校を「学び」と「成長」を保障する場にーまず、受験競争の緩和をめざし、「入ること」より「何を学ぶか」が目的になるような入試制度や学校観に転換させていくこと。各段階の入試など本来は不要であって、「高卒認定資格」こそ大学への入学資格でありパスポートにすべき。
 高校・大学まで授業料は無償にー国際社会なみに公私を問わず高等教育の段階的な無償化をめざすべき時期。
 25人学級の実現。

③ 「競争」に頼った「学力観」を見直すーもう一度考えたい「学力観」

 何でも競争させないことー学力は「競争の中でこそ伸びる」と考えるのはあまりに教育理論を無視した短絡的な暴論。まず、過度の受験競争はなくすこと。さらに、指導法や成績・評価の手段として安易に競争を取り入れることは避けるべき。全数調査の学力テストは中止か、サンプル調査に。

④ 教員も力を伸ばせるような「教師観」

 教員の定数を増やし、ゆとりのある職場にする。民主主義的な人事考課を工夫する。教員の階層化をやめる。免許更新制を廃止する。

政治にふり回されない「教育条理」による「教育観」

 「改正」教育基本法を憲法と「子どもの権利条約」の精神にそった内容に改善するため再検討を。
 教育予算を国際平均水準以上にして教育格差を是正する。教育予算をGDP比5.0%(義務課程)、1,0%(高等教育)以上に。



「変われるか?日本の教育―現場の視点から「教育改革」を斬る」を読んで(その2)
は、この本を選んだ経過、感想などを後日記事にします。
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