触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その1) はじめに

東日本大震災日記 (その1)

―はじめにー

 3月11日午後2時46分から始まった今回の東日本大震災は、私が住むここ栗原市築館が震度7と最激震地でした。ここで甚大な被害を出した3年前の前回の宮城・岩手内陸地震が確か震度6台でしたからそれを遥かに上回るものでした。しかし、前回はドン!!と大きなタテ揺れから始まったのに比べ今回は、非常に大きな横揺れがかなりの長時間(十数分か)続きしかもその後も大中小の余震がいまだに続いています。(さすがに現在は、大きな余震は少なくなってきました。)幸いにしてここでは人的な被害は少なく、うちの家族(私、妻、義父母)も無事。近くの親戚、知人・友人も皆無事。巨大津波に襲われた海岸部に比較的近い、仙台の義妹家族、多賀城の叔父家族も皆無事が確認されています。物的な被害は我が家の外塀が無残に崩れるなどありますが、大したことはありません。

 電気が使えるようになったのがようやく3日前、電話とインターネットが昨晩ですから、外との連絡もままなりませんでした。今日3月18日は、11日の東日本大震災から丁度一週間が経ちました。久しぶりにPCを開くとメールが溜まっており、そのチェックをしている時、午後2時46分には、たまたまTVをつけており黙祷が行われましたので妻とともに私も行いました。その後、ようやく返信をしました。そして、水道がようやくこの記事を書き始めたころ18日夜より出始めました。

 またメールを返信した反応で、「民主教育をすすめる宮城の会」事務局長の賀屋義郎氏より知人の訃報が届きました。昨年「ゆきとどいた教育進める栗原市民の会」の勉強会で、小中一貫校問題で話題提供してくれた宮教組迫支部の前書記長だった猪又聡氏(現戸倉中学校教諭)が「今回の地震と津波で亡くなりました。生徒を避難誘導している最中だったということです。」という内容でした。彼とは、昨年11月7日の「子どもの未来をひらくみやぎ教育のつどい」の分科会(彼は司会者でした)などでもよく会っていました。大変有能な方で非常に残念です。時間が経つにつれ、これから何人かの知人などの訃報が届くような気がしてきました。

 沿岸部が今、非常に困難な状況の中、それに反して、私自身の身の回りはライフラインの回復とともに明るさが出てきた中での訃報でした。自分ができることは限られています。でも、この一週間の間にも人と人との結びつきの大切さを感じました。

 ガソリンがもう底をつき、入手困難であってここ3~4日は家に篭らざるをえません。外塀の片付けもまだ大量に残っています。明日から暫くは少し暖かくなり天気がよさそうです。そこで、外作業の合間に、この一週間を振り返り「東日本大震災日記」をまとめようと思っています。その中からこの先、自分に何ができるか、一人でできなくとも仲間と助け合えば何ができるか考えることができればと思っています。

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