触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その7)

東日本大震災日記 (その7) 

3月18日(金)(8日目) 

ライフラインは、復旧してきたが…

5回目の叔父宅サポートへ、

―前回の4回目が3月15日(火)でしたから、3日経ちました。朝食を簡単にすませてから、叔父宅への差し入れを作りにかかりました。確保してある水は大切に使いますが、もう3日前から電気がきていますから、炊飯器でごはんを炊いて、妻はおにぎりを握りました。それと、私は、この間、大変好評な雑炊を、またまた作りました。具として入れるものは、もうたいしたものは残っていませんでしたが、最後の卵2ケを溶き卵として落とすことができました。でも味には、ちょっと自信があります。それに、定期外郵便で送ってきた缶詰やお菓子を少しお裾分けすることにしました。

 叔父宅に向かう途中、また、もしかして店頭販売をしているかもと思い、マックスバリュー金成店に寄ってみました。そうしたら、またまたラッキーにもお客が丁度並び始めたところでした。妻は、野菜・果物の方へ、私は、その他の食料品の所へと前回と同様に、二手に分かれました。妻のゲットしたものは、レタス・キュウリ・ニンジン・たまねぎ。それにバナナにとても大きなイチゴ(2パック)でした。私の方は、ご飯のふりかけ、マヨネーズ、ドレッシング、お菓子などです。

 叔父宅では、差し入れの雑炊とおにぎりなどをとても喜んでもらえました。丁度その時、地域の行政区々長がバイクに乗って見回りに来てくれていました。叔父夫婦の様子を伝え「この後もよろしく」とお願いしました。それから、叔父宅では、まだ水道水が出ていたので、それをポリ容器(20リットル)に入れて頂いてきました。一関の燃料店とは連絡が取れ、近々修理に来てくれるとのことでした。少し安心しました。

メールをチェックし、返信。

―我が家に着くと、さっそく、私は、昼食に3ケのカップめんに煮込みラーメン(乾麺)の残っていたものを足して、4人分のラーメンを作りました。野菜はハウスの青菜、保存していた白菜、それに定期外郵便で送ってもらった真空パック詰めの焼き豚などを加えた具だくさんラーメンです。

 それから、昨夜にやっと回復したインターネットを開いて、8日ぶりにメールのチェックをしました。メールは、思ったほど多くは貯まっていませんでした。100件を切っていました。これまで1週間ほどの海外旅行では300件ほどになっていたこともあります。

そのメールの中に3月11日の地震直後から、こちらの安否を気遣うものが多数寄せられていました。「返事を…」と求めるものもあって、これは急いで出さねばと考えました。まず、「大震災から一週間が経過して」というメール文章の雛形を作りました。そして、あとは個々の方々に即した内容にアレンジして出していくという方法をとりました。いろいろと詳しい内容を知らせたいのですが、取りあえず、返事を急がねばと考えました。
そこで詳しい内容の方は、これはもうブログで出すしかない、と考えました。このところ今年に入って、このブログ作成はスローテンポになっていました。気持ちを少し引き締めて、明日から「東日本大震災日記」というブログ作成に取り掛かると決心しました。しかし、明日、3月19日に3月11日の地震時からスタートしますから、日記の記述が、いつもスローテンポの私としては、実際の日付に何時になったら追いつくのやら検討がつきません。(スミマセン!)

続々と連絡を取り始めて、

―その一方で、TELによる連絡もこれ以後、続々と取り始めました。娘と息子はもちろん、東京の叔父の兄弟たちにも叔父夫婦の状況を報告しました。そのうち、私のメール返信に応えて、もう直接TELしてきた東京の友人もいました。それから、市民運動(教育)の代表、栗原市立図書館の司書のNさんにも。

実は、昨日も図書館にはTELを入れ、被害状況を聞きました。大量に書籍が飛び出し、まだ余震が続いていることから整理して下に置いているとのことでした。玄関のタイル、ドアに少し損傷があり、修理に少し時間がかかり、3月21日までは使用不可とのこと。昨日(17日)は4月から行うブックスタートの打ち合わせを行う予定でした。それを31日に延期する。また27日に予定していた私も関係している「ひとり語り」と「少し大きい子のためのお話会」は、やはり、中止せざるを得ないということでした。

また、この3月18日には、そもそも私が責任者の大きなイベント、「第5回ふれあい芸能まつり」(NPO法人「くりはら活性化ネット」主催)を行う予定になっていました。開催する準備は、着々とできていて、今回は150人超の参加になる勢いでした。その企画運営委員のHさんとは昨日ようやく連絡がとれ、もう一人のOさんには、ようやくこの日、初めて連絡がとれました。会の事務局長は今、仙台の病院に入院中で、彼とは携帯で地震後、早いうちから連絡がとれてこの企画の中止を知らせました。そして、最後に、この日の夜になって、会の理事長にも、ようやく連絡がとれ、 ①この企画ができなくなったことと、②今後の対策は、3月末か4月に理事会(企画運営委員会も)などを開き、相談・決定し ③各参加施設、出演者には、その後にお詫びの連絡をすること、を報告・進言しました。

イベントの中止・自粛について、

―ところで、「ふれあい芸能まつり」などのイベントを、こうした非常時に行うことの是非は、当然問われます。今回はそれ以前の問題として、主に物理的に開催できないのです。①会場が地区住民の避難所になっている。②参加者、出演者、スタッフとも連絡がとれない。③会場へ行く手段が無くなってしまった。などです。
 また、3月27日に開催を予定していた「ひとり語り」と「小学生のためのおはなし会」も、中止の理由は、①会場の栗原市立図書館と伊藤記念館に損傷が出て、使用不可である。②まだガソリン不足の状況の中で、参加者の交通手段の確保が不安定である。ということです。

大津波の被害がTVに映る映像はとてもキツく、見ている者に心理的なダメージを与えています。(個人差はあるでしょうが)もちろん、それを「見るな!」ということではありません。しかし、今後、この衝撃的な映像が、繰り返し映し出されると、9.11のあの衝撃的なシーンと同様に、人々に「虚無感」「無力感」「無常観」として定着し、その精神を蝕んでいく可能性があります。今、TVで民放各局がCMの挿入を自粛し、バラエティー番組が影を潜めています。こんな時「笑う気になれない」というのも分かります。しかし、「笑い」は絶対に必要です。「今はまだ、笑えない」かもしれません。でも、いつか、どこかで、いずれ、「もう、いつまでも、くよくよしないで、元気を出そうよ!」ということに必ずなります。ならなくてはいけないのです。

「ふれあい芸能まつり」は、毎回、社会福祉施設利用者や地域の高齢者等の参加者に大変好評で、みんなに笑いをもたらす至福のひとときを楽しんで頂いています。ボランティア出演のみなさんも、今回はプロの大衆劇団「ともえ座」の特別出演をはじめ、アマの日舞、サンバ、ハーモニカ、マジック、歌謡曲など多岐にわたります。
一方、「ひとり語り」は、栗原市立図書館のストリーテリング勉強会が主催し、妻の知人のセミプロの渋谷つつじさんを迎え、今回は、大人向きに昔話や民話を語っていただき、その「ひとり語り」の世界を楽しんでもらおうという企画でした。「小学生のためのおはなし会」は、図書館主催で、小学生低学年を対象に、これも昔話や民話を、その勉強会メンバーが語るという企画でした。

 いずれの企画も「この時期にふさわしくない」という、いわゆる自粛をして、中止になったのではありません。しかし、何となくそうした雰囲気が、今、あちこちに漂っていることは確かです。私は、この時期、むしろこうした企画・イベントをして、「みんなの心に明かりを」灯したいと思っています。今回、やむを得ず一応、中止となりましたが、できれば再度、多少アレンジしてでも実施できるような方向で、今後関係者と調整し、実質的には、延期に近いものにしたいと思っています。

夜、やっと待望の水が出た!!

―今日の午後は、各方面と続々と連絡を取り始めました。夕食(夕食は、五目ごはん、豚汁、大根キューリサラダ、レトルト角煮、)をとり、一段落をした頃です。そう、7時をちょっと回っていましたか、義父が母屋から我が家にやって来て、「何だか、風呂の浴槽の水が溢れている。」と言うのです。何のことなのか、さっぱり分からず、行ってみると浴槽の蛇口から少しづつ水が出ているではありませんか。次に台所の蛇口を上げると確かに勢いはないのですが、水は出ました。

 水道もようやく回復したのです。一週間ぶりのことです。やっぱり、水道水が使えないのが、一週間というのはきつかったです。でも、ここ築館・黒瀬地区は、やはり電気と同じく栗原市内では比較的早くに復旧した方でした。この後もずっと回復が遅れた地区がいっぱいありました。(3月25日現在も、まだのところがあります。)

3月19日(土)(9日目) 


ガソリン枯渇が、省エネ耐乏生活へ転換させる。

ガソリン枯渇長びき、深刻に、


―昨日(3月18日)JA栗っこ災害対策本部より「緊急連絡」の文書が、各組合員宛に届きました。その一番初めには「ガソリン及び灯油販売のお知らせ」が書いてありました。内容は、「燃料供給事情が全国的に逼迫しておりますが、確保出来たガソリン等を以下の通り販売いたします。①ガソリン 明日19日のみ市内4ケ所で1台13.3リットル、2000円 ②灯油 20日のみ市内4ケ所で1人18リットル、1620円 」という内容の通知でした。
この日の夜のうちから行列ができてしまいました。朝からでは7時間待ち、それも無くなればそれで終わりです。私には、7時間も待って、たったの13.3リットルは、効率が悪すぎて意味のないことに思われました。
3月16日付けの河北新報の大きな見出しでは、―「ガソリン枯渇深刻」給油求め長蛇の列―とあり、その混乱ぶりは異常です。長い車の列では言い争い、交通の妨げ,店員ともトラブルなどが絶えません。岩手県でのことですが、夜中から待っている車中で七輪を焚いて一酸化中毒で死亡者まで出しています。

ー18日の河北新報での大きな写真「一関で、再開がみていにもかかわらずできた給油待ちの車の長い列に、案内を掲げるガソリンスタンド関係者(17日のこと)」が載っていました。従業員を増やし、車列整理し、混乱回避へ知恵を絞るスタンドもあります。しかし、ここのJA栗っこのスタンドや、妻の行きつけのスタンドでは、張り紙1枚に「中止」とだけあったり、いつ販売するか分からない中、期待して延々と車が待っているケースが多く見られます。店員は全く現れず、この新聞の写真の一関のような、そんなことは全くしていません。これでは、混乱をますます助長させるだけで、全く不誠実です。私は、この後、事態が落ち着いても、こんなスタンドは利用しません。
ちなみに、少し新聞記事を良く見ると17日時点では、一般向け販売をしているスタンドは、宮城県内では、たった4店。18日でも、東北全体で315店、宮城県内での営業はたった5%の33店ということでした。(緊急車両用に開けているスタンドもここでは結構あります。)

  これに対して15日には、宮城県村井知事は「もう少し我慢を」と呼びかけ、「近く燃料供給の見通しを明らかにする」と言明。この日、3月19日の河北新報には、(18日の臨時の記者会見で)「調達のめどが立った。少しずつだが、県民に行き渡るようになる。」との見通しを示し、燃料「安心」宣言をしました。このように、いずれ遠くない時期にガソリン不足は解消され「買いだめは必要ない」と発信しています。
この「いずれ遠くない時期」というのは、曲者で、今一つはっきりしません。しかし、行政のトップ、首長が、このように見通しをはっきりと語ること、メッセージを出すことは好感が持てます。県民の「いつまで、この状態が続くのか」という不安が、今、とても強いだけに、多少はそれを取り除き、安心感を与えます。(例え、多少、間違っていてでもです。)

省エネ耐乏生活は、案外、おもしろい?


―一週間が経過しましたが、水もようやく、ここへ来て復旧しました。(3月18日)一安心です。あとは、物資と輸送(流通)の問題が残っています。いろんな物資が不足してきています。そしてなんといってもガソリンが足りません。ここより格段にいろんな大量な物資を必要としているのが、大津波で壊滅状態になった沿岸部です。そしてその不足した物資をそこに運ぶガソリンがないのです。

 しかし、私たちのこの間の省エネ耐乏生活は、(私たちも、まだ少しは不便な生活は続いていますが…)少し、負け惜しみ気味なのかも知れませんが、案外いい〔おもしろい〕経験ではないかと思っています。このように言うと、いま尚、厳しい避難生活を強いられている方々には、真に申し訳ありません。でも、水は大切に使う。ゴミはほとんど出さない。生ゴミも少ない(EMぼかしで堆肥作りしている)。エネルギー消費は極めて少ない。TVは、見なくてもいい。早寝・早起きをする。実質的にダイエットしてしまった。ガソリンはあまり使わないようになった(ないから出歩かない)。あらゆるものを節約して大切にする。お金もほとんど使わない。来月に請求が来る電気料、電話料、水道代などやカードの支払い(通販などで物を買っていない)が極端に減るはずです。これって、究極のいわゆる「地球に優しい生活」というやつなのかも知れません。自分の体にも優しい、おまけに財布にも…。と良いことづくめです。

 ただし、これでは、お金が動かない、回っていかない、消費不況をさらに進めてしまい、全体の経済がおかしくなってしまいます。こうした経済的なことだけでなく、家族で協力する、地域で共助し合う、遠い親戚や子どもや友人(遠くの)ともようやく〔久しぶりに〕連絡が取れて…などのメリットもたくさん生まれました。
さて、この今回の省エネ耐乏生活をした後は、どうなるのか?また以前の大量消費生活に戻ってしまうのか?まあ、私たちの場合、以前もそれほど大量消費生活をしていたわけではありません。それでもかなりこの間の生活が一変してしまいまった、この省エネ耐乏生活で身に付けた良い習慣がそのまま、今も妻も私もどうした訳か、生き続けています。これから、お金はそれなりに使っていきますが、(使い方も変わるような気がしますが)どうも、生活スタイルの方は、今回の省エネ耐乏生活が、色濃く反映したものに変化していくように思われます。

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