触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その8)

東日本大震災日記 (その8) 

3月20日(日)(10日目) 

ついに「ろう城生活」に突入!!

大震災から10日経った節目に

―この日の朝、久しぶりに防災無線放送が聞こえてきました。地震で数日後に使えなくなっていたものです。大震災から10日が経ち、一時は栗原市内60ヶ所に約3000人の一時避難者が出ました。それが、今は6ケ所111人に減少。(現在はもっと減って新聞に載らなくなってしました。)放送の中で、市長の挨拶があって、「南三陸町から500人規模の長期受け入れする」と表明していました。

世界最大級の巨大地震と大津波、原発事故の三重苦。復興までどれだけの困難が続くのか、今の段階では見当もつきません。恐らく、極めて長期になることだけははっきりしています。この苦悩、悲嘆を乗り越えて、再起のスタートラインに、私たちは、立たなければなりません。戦争後、廃墟から立ち上がって来たこの国は、また、再び、自らの手で、国と地方を建て直すしかありません。それには東北・関東の被災地域だけでなく、全国の全国民の協力が不可欠です。

まだ、10日しか経っていませんが、この時点で、私が考えさせられたことを、少し項目に起こしてまとめてみました。

・ ライフラインがいかに脆いか、改めて認識させられた。

・ 原子力発電への依存問題、(日米安保体制化の沖縄の基地問題と共通性もある)原発がいかに危険か、それから目を背けてきたツケが今、出ている。(公害反対の運動の経験・成果の引継ぎが不十分。)安全神話を広げた企業、政府、専門家、マスコミ、原発のCMをしてきたタレント、…の責任は?

・ 私たちの快適?な日常生活が、いかに危うい基盤の上に辛うじて維持されているか、

・ これから、日本の新しい再生を、日本人全体で作り直していくとこが何よりも大事であること。

・ 人と人とのつながり、とりわけ地域の共同体の再生が必要になってきます。助け合い、共助、協働、…

・ 新しい国のカタチ、人と人、エネルギー、食糧、教育、福祉、…

昨日から、ろう城を始めました。(ろう城生活2日目)

―昨日(3月19日)より、私たちは、ろう城を決め込みました。まあ、何もすき好んでろう城生活に入ったのではありません。昨日、「省エネ耐乏生活は、案外、おもしろい?」と書きました。その延長に、この昨日からのろう城生活があるのです。確かに「おもしろい!」という表現は、沿岸部で厳しい避難生活を強いられている方々のことを慮らない、「不謹慎だ!」と言われそうです。ここ栗原市での被災生活も、決して楽なわけはないのであって、様々な不便さや不都合はまだまだ延々と続きます。だからこそ、悲観的になるのではなく、その状況を積極的に打開していくには、私は、この先を予測しつつ、前向きに、楽天的に対処していく必要があると考えています。とかくこれまで、大量消費の生活になりがちだったのを、この省エネ耐乏生活を経験したのを契機に、この際、前向きに、楽天的に「暮らしを見直して行こう」ということなのです。だから、私にとっては、「案外、おもしろい?」こと、楽しみながら試みてみることなのです。

車のガソリンが、妻の車が赤ランプ。私の車が残りごく僅か。義父の車はこの間、だいぶ使いましたから、ガソリン残量が2分の1あったものが4分の1を切りました。何とかガソリンを確保しようと探してみましたが、ダメでした。当初の被災生活での、ライフライン切断の困難―停電、通信遮断、断水は、順次回復してきました。食料品などの物資の不足も、農家であるため、米と野菜の備蓄は当初より十分にありました。冷蔵庫やその他若干の食品のストックもあって、しばらくの間は、大丈夫でした。食料品の補給も、品薄の中で、幸運にも、その都度、少ないチャンスに効率良く行うことができました。それに、大変有難いことに、遠くの子どもたちやその実家からの定形外郵便を使った「仕送り」によって息をつくことができました。

しかし、一週間以上が経過する中で、これまで、主に義父の車を使用して動くことができましたが、もう限界近くになりました。ガソリンが無ければ、農村地域での移動は不可能です。しかし、幸い、我が家(母屋も)は、全員リタイアしてしまっています。毎日、仕事場に行ったり、市場に行く必要もありません。沿岸部に家族・親族などがいて、その消息を探すということもありません。(だいたい内陸部に居住)ですから、本当に緊急を要する人に比べれば、まだガソリンは不要・不急だといえます。わずかな量を入手するために数時間も待ったり、そのためにガソリンを消費したりする必要性・合理性を感じません。ガソリンが無い無いで何とかなるだろうと、基本的には、スタンドでほぼ普通に入手できるまで気長に待ち、その間のろう城を決めました。この持久戦、どこまで持つか?まず、やってみないことには分かりません。

3月21日(月)(11日目) 

生き物をいつくしむ「春分の日」に 

「ろう城生活」3日目の特別メニュー紹介

―このタイトル、フザケているのか、楽しんでいるのか、自嘲気味になっているのか、私自身にも、さっぱり分かりませんが、まあ、気楽に付き合ってください。

朝食― ドライバナナ入りの焼きたてパン、サラダ、コーヒー
昼食― ナポリタンスパゲティ、スープ
夕食― 完熟トマトのハヤシライス、青菜と白菜のおひたし

この朝食の妻の手作りパンは、いつもは、クルミ、レーズン(これは子どもたちが来た時は×)も入れるのですが、今は切らしています。牛乳もバターも要るそうですが、これは粉末クリーム、バター風味のマーガリンで代用。それにいつもより少し砂糖を多く入れたそうです。これがなかなか上手く出来上がって、冷めても美味しかったです。

昼食のナポリタンスパゲティは、私が担当。水道が復旧するまでスパゲティ類は作れなかったのですが、ようやく可。ひき肉があれば、ミートソーススパゲティにするのですが、それも無く、送ってもらったレトルトの肉団子を入れて作りました。まずまずの出来でした。(自己評価ですが…)

夕食の完熟トマトのハヤシライスは、これは我が家の妻の定番の一つ。このルーは娘にリクエストして送ってもらいました。肉はないけど同じく送ってもらった魚肉ソーセージを代用にして作ってくれました。何とか、それらしくはなりました。

今日は、お彼岸。お墓参りに行きました。

―朝食後、急いで妻はお供えのダンゴを作り、適当なお菓子も準備して、義父母と私たち夫婦の4人でそろってお墓参りに行きました。お墓参りといっても、お墓は遠くにあるのではなく、地域のはずれの田んぼの中にあります。まあ、一応、ろう城生活は継続中ということに、… 

墓地には、すでに地震があった次の日に義父と一緒に見に行きましたが、ほとんどの墓に被害が出ていました。墓石が大きくズレたり、倒れてしまったもの、割れてしまったものもあり、我が家のものは、墓標が倒れて真っ二つ割れてしまいました。その他の付属の石も散乱していたため、他の参拝者の邪魔にならないよう少し片付けてきました。しかし、墓石はとてつもなく重く、専門の墓石業者に修理をお願いしなければなりません。我が家の墓石は、義父が私たち夫婦には全く相談無く、建てたもので、その墓地の中で一番背が高いのです。墓標も一番大きくて倒れやすかったのです。倒れたのが、墓石の方でなくて、少しは、幸いでした。この修理の費用の負担は、義父母の方ですることになっています。

教職員の死亡・行方不明―殉職について

―夜、メールをチェックしてみました。するとその中には、毎日「民主教育をすすめる宮城の会」の賀屋先生の方から送られてくるニュースがありました。「平成23年3月11日東北地方太平洋沖地震に伴う公立学校等の被害状況等について(調査継続中)」宮城県教育委員会 平成23年3月20日(日)17時現在 という資料を送ってきました。

それによると、教職員死者1人、不明(確認中含む)60人、児童・生徒死者38人、不明(確認中含む)1.894人と、多数の学校関係者の死亡者・行方不明者数が分かりました。

もう一本「河北新報」の3月20日付けの記事が紹介されているニュースも届き、その中で、「大津波にのみ込まれ、石巻市の大川小の児童108人中84人、教職員13人中10人が行方不明となっている」というものがありました。

3月19日のこの日記の最初ーはじめにーのことろで、私の知人の先生―猪俣聡氏の訃報が届いたことを紹介しました。その後も、妻の知人の先生方の訃報が次第に届けられてきています。この時点での宮城県教育委員会の調査は、まだまだ一部であり、その全貌は未だに分かりません。子どもたち、児童・生徒に関しては新聞などで取り上げられますが、先生方の殉職が、まだまだ表に出てきません。

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