触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その12)

東日本大震災日記 (その12)

3月25日(金)15日目 

思っていたより長期化してきて

相変わらずガソリンが入手できません。

―今日も朝から、ガソリンが、本当に残りわずかな私の車にふたりで乗って、ガソリン確保に出動しました。もういい加減、悠長に「ろう城生活」を決め込んでいる場合でも無いだろう、ということです。何処へ行くかということになり、前にも挑戦しましたが、また妻の行きつけのスタンドへということなりました。着いたのが8時少し前、数台の車が隣のラーメン店の駐車場の中まで並んでいました。すぐにその最後尾に並び、妻に偵察に行ってもらいました。どうもタンクローリーが来るかどうかが不明なようです。それから、1時間ほどは、辛抱してそのまま並んでいました。ふたりとも本持参。エンジンは切って待ちますから、暖かい格好をしてでです。何人もが時々、車外に出て話し合っています。そのうち、一台二台と前の方の車が諦めて離れて行きました。もう来ないと判断したようです。そこで、私たちも、サッサと立ち去ることしました。私の車の後には、もう、100台ほども並んでいました。次に栗駒のスタンドに向かいました。そこは、前回と同じように、最後尾にスタンドの店員が車でいて、「ここで終わりです。」という表示を出していました。今回は、少し話を聞きました。やはり「3時間前ほどが最後になる。」とのことで、ちなみに「明日は開けない。」と言ってくれました。もうこれ以上、今日は探してもガソリンの無駄遣いだと思って、サッサと帰ってきました。

 それで、その後は、我が家でゆっくりしていたのですが、お昼ごろ、突然、妻が歯を痛がりました。行きつけの一迫の歯医者にTELすると、「今なら、午前中の治療に間に合う」というので、急いで、今度は義父の車を借りて出かけました。その途中、地震直後に、「リッター200円で、おにぎりは3ヶ1000円で売っていた」という悪名高い一迫のスタンドを覗いて見ると、やはり閉まっていました。また明日から、しばらくの間、第2次の「ろう城生活」を続けるしかありません。

栗駒の体育館・プールが使用不可になって、

―妻の友人の栗駒のMさんよりTELがありました。彼女の収集した情報によると、栗駒の体育館(アリーナ)の被害は大きく(温水プールの方は?)元に戻るのに、3ヶ月ほどかかるのではないかというのです。どのみち、ガソリンが無ければその栗駒の体育館・プールまで少し距離があるので、行けません。それで、結局のところ、運動不足、とりわけ私の場合は、特に、有酸素運動ができなくなってしまうのが痛いのです。

 これまでの「私たちの健康増進のための運動」は、というと、毎週木曜日の午後、栗駒の体育館の会議室で、腰痛・膝通バイバイ体操を、ふうふで参加しています。妻は、毎朝のNHKTVでのテレビ体操、(最近、ようやく復活した)とこの教室。それに温水プールでの流水運動教室×週2回、同じくそこで、水泳初級教室×週1~2回、それに一関の体育館まで行って、屋内テニスのグループ練習。私は、これに加えて、温水プールでの中級水泳教室が週1回ほど、そこでの自主練習が週に2回ほど、それに加えて、今回の被災時にいた、くりこま高原駅に隣接したフィットネス施設「エポカ21」でのトレーニングが週2~3回。といったところです。ですから、この2つの施設とも使えないのは、非常に痛いのです。この2つの施設とも、その被害の状況や今後の営業・利用の見通しについて、もう地震から20日近くも経ったのですから、ホームページを通じて、市民に知らせるべきです。

Hさんよりの「沿岸部へのボランティア支援の誘い」に対して

―この日、昨日にFAXで届いたHさんより、沿岸被災地避難所等へのボランティア支援のお誘いがあったことに対して、一日、私なりに考えて、TELしました。そのHさんの誘いとは、河北新報のM氏からの提案―「震災後の避難所等の子どもたちの心のケアとして、紙芝居、読み聞かせなどができないだろうか」に応えようというものです。一番問題となるのは、現地までの往復のガソリンの確保です。それは、その河北新報のM氏によって、といいますが、それに頼ってまですることには、私自身は抵抗があります。TELでは、「できる人が、できることを、できることからする」ことが基本。しかし、それが多くの人の参加でする方が良い。まずは、図書館ボランティア「ひなたぼっこ」全体に働きかけ、結果、有志になってもグループですべきでは、と私の考えを伝えました。みなさん、支援に動きたいと思っていても、今は、その相談に集まることもできません。すぐできることからすることもいいけど、もう少し、先を考えて、長期の取り組みを作るべき。この3月31日には、図書館で延期されていた「ブックスタート」の打ち合わせが行われます。そこには、多くの人が集まってきます。その後に少し時間をもらって相談しようではありませんか。とHさんに提案しました。

 私も、3月11日に被災し、その後のライフラインの遮断が続く中で、自分とその周りの生活を維持、立て直すのに精一杯でした。それでも、初めは、ラジオの音のみ、続いて、新聞の写真(絵で)、そして4日後に、TV(動く画像と音)によって、沿岸被災地の凄まじい惨状を知るにつけ、何かできることはないか、何をすべきなのか、を考え続けました。そして、まずは、焦らずに、自分の身の回りの体制を整えること。そして、そこから、そこを基盤として、沿岸被災地にとどまらず、この栗原市内とその周辺(隣の登米市・大崎市くらいまで)の被災者受け入れ施設に出かけていくことを考えました。

3月26日(土)16日目  

ろう城も板について、思索にふける。

再び、ろう城生活(第2次)に入る。

―通常、土曜日は、様々な企画や取り組みがあって、それがダブっていたりして、いつも大忙しなのです。この日の午後は、図書館のお話し会での、読み聞かせ担当の当番でした。それと、ほぼ、どう時間に栗駒の温水プールで、今年度最後の平泳ぎの教室が行われることになっていました。このところ、私はどちらかと言うと苦手な「平泳ぎ」を何とかものにしようと頑張ってきました。ですから、これにはできたら出たいと。しかし、当番は当番であって、出なければいけないのです。私たち第2班のボランティアの方の担当者は、3人。だいたい、私は皆勤賞なので、この日は、残りの2人だけにお願いしようかなと思っていました。1週間前にはそれを伝えないといけません。丁度それが、地震のあった日でした。

 それで、何も予定の無い、急ぐことも無い、ゆったりとした、一日になりました。朝は、パン、サラダ、コーヒー。2日前に買出しをしましたので、第2次の「ろう城生活」は、2度目ということもあって、きつくはありません。お昼は、 キャベツスパゲティです。水道が回復して、ようやく、パスタを茹でることができるようになりました。ニンニクと唐辛子をそれにゲーコンを利かせた、和風の味付けの我が家の定番です。キャベツはたっぷりと使い、それにいつもは、アスパラ、今日はそれの代わりにうちのハウスの青菜を使いました。(義父母たちは、近くの親戚宅への顔出しに、車でちょっと出かけてしまいました。)夕食は、鳥の照り焼きと野菜炒め、エリンギとベーコン炒め、豆腐の味噌汁といったところです。もうすっかり、日常の食生活に近い状態になりました。
 妻は、毎土曜日の朝一番に、朝日新聞の数独に取り掛かります。それから、編み物、庭仕事など。私は、今日は、読書、調べ物、インターネット検索などをしています。それと、2日前にきたメールについて、いろいろ考えていました。

千葉のIさんから届いた質問―専門家は「想定外だった」というが…

―私のこの東日本大震災日記を読んでくれた、千葉時代の地域仲間の建築家のIさんより3月24日にメールが届きました。そのメールの要旨は、次のようなものです。

― 東北の沿岸部の惨状に対して、「自分だったらどうするだろうか」と。未曾有の震災。地震・津波・原子力の三重苦。これからの未来はと、と気になりなって仕方がない。

そして、災害が起こると専門家・学者は、「想定外が起きた」と。建築物は、仮定の上で構造計算して造られていますので、「数値以上で予想出来なかった」と。すべての事でこういう事なので、じゃ、どうすればいいのか?難問です。

最後に、人々の買えだめで店頭からの商品の消滅。人間って、もっと大きくならないのか、難問です。 -

これらの難問に対して、彼は、私に「どう考えたらいいのか」という質問をしてきているのです。

それは、専門家なる科学者・技術者が出てきて「津波が想定を大きく超えた」「想定外だった」と、「原発も、想定外のトラブルが起き、さらにそれが想定外のトラブルを呼んだ。」と解説する。確かに、現代社会の高度な科学技術は、この専門家なる科学者・技術者によって、支えられています。しかし、彼らの言うことを、鵜呑みにしてはいけないのです。彼らが責任を取ろうとせず、保身に走るならば、それはもう専門家とて失格なのです。

文系であって、科学・技術的な思考が少し弱い妻も、原発の専門家がTVに出てきて、この「想定外」を繰り返したいとことに非常に腹を立てていました。妻がおかしいと感じたように、想定外であったとしても、科学者・技術者は、専門家として、あくまでその責任は免れないのです。建築もデザインと同じように工学の中にあって少し文系の要素があります。私は、学生時代から、そして、公害問題に取り組んできて(千葉にいた時代まで)この辺りのことは、絶えず考えてきました。こちらに来て、キノコ工場での生産・経営という未経験分野に取り組んできました。「想定外のトラブル」など日常茶飯事のこと。問題はいかにそれを少なくするか、無くするかということです。それには、自分自身で、確かな情報を集め、比べ、選び取り、そして、いま何をすべきか、手順、方法などを確定し、実行していきます。そして、途中で問題が生じれば修正します。決して他人任せにはしない、自分で考えるしかないのです。

質問への答えになったかどうか分かりませんが、私は、こう考えているということです。
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