触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その13)

東日本大震災日記 (その13)

3月27日(日)17日目  

水ゆるむ3月末の日曜日のこと。

地域の共同作業(ジャリ敷き)に出て、

―水がゆるんで、日中は少し温かくなってきました。これから、この辺りは、いよいよ米作りの準備に入っていきます。冬の間、眠っていた田んぼをトラクターで起こす田起こしが始まろうとしています。その前に、この間、痛んだ農道を、ジャリを敷いて修復する、地域総出の共同作業が地域を3地区に分けて行われます。

この種の作業は、義父のところに連絡が入り、軽作業なら、義父がやってしまうこともあります。しかし、こうした力仕事は、私の役目となります。朝の8時に「川のところへ集合!」と言われていたのを、集合場所をしっかり確認していなくて、初め、別の場所へ行ってしまいました。それで、少々遅刻。しかし、その後から来た人もいますし、仕事はしっかりやりましたから、まあ、大丈夫でしょう。そもそも、婿で、都会育ちで、脱サラ組の私は、こうしたことには、地域の皆さんから期待されていません。

短時間で終わるかと思っていたら、何かとあっち、こっちとすることになってしまい、3時間もかかってしまいました。その間、ずっと力仕事をしていた訳ではなく、待ち時間も結構ありました。その間、ずっと雑談することになるのです。男どもの雑談ですから、いつもなら、他愛も無いことばかりなのですが、今回は、やはり、地震の被害のこと、身内・親戚の状況、沿岸部で窃盗・盗難が頻発していることなどでした。そして、何といっても、ガソリン情報の交換、○○では、必ずやっている。朝と昼の2回。××では、20リッターだけだけど毎朝から、並べば何とか入る。でも7時間待った。とか、3時間だった。とか、△△では、満タンにできた。など等。さすがに男ばかりで、タバコの確保については、出ましたが、食料品の確保については、やってはいても話しには出ません。それと原発問題です。健康被害だけでなく、やはり、農作物への影響を、皆さん、非常に心配していました。誤解、うわさの類もあり、どうした訳か、私にそれへの回答を求めてくるのです。

妻の友人が、自転車に乗ってやって来ました。

―今日は、日曜日です。朝、あまり家にいてもすることが無く、手持ち草の妻は、隣の地域に住む、今はシングルの友人(まだ、勤めている)に、TELで「家のハウスに、青菜がいっぱいあるわよ。ちょっと、遊びに来ない?」と誘っていました。午後になって、その彼女が、いつもは車でくるのですが、ガソリンが乏しく、少し温かくなったので、自転車に乗ってやって来ました。いつもよく来る彼女とは、私も少しは話をするのですが、今日は大変、話が盛り上がりました。地震が起きた時のこと、その後の大変な生活のこと、家族のことー仙台にいた息子が、今、帰っていて、これから郡山まで行くことになる。とか、その他、地域のことなど話はつきません。ああ、彼女も、いろいろ話したがっていたんだなあ、と思いました。被災時というのは、何か、人は“話す”ということで癒されるのだな、と思いました。(私たちもですが…)我が家のこの間の顛末(このブログに書いたことなど)を話すと、彼女には「不便な生活を、まるで、楽しんでいるみたい!」と言われてしまいました。

 夕方になって、宅急便が、来たではありませんか。第一便は、佐川急便でした。妻の震災前に注文した衣料品がやっと届いたのです。運転手に聞くと、「東京(本社)から商品とともに車の燃料(軽油)がドラム缶で送られてきた」とのことでした。

3月28日(月)18日目  

幸運にもガソリンの確保ができました。

ついに、ガソリンを確保しました。

―ガソリン確保騒動のことは、義父の耳にも達していました。義父は、私たちに向かって「何時間も並んで、2回も給油を受けて、満タンにしたに者もおるそうじゃ。」と珍しく嫌味を言いました。ふたりが、並んでも、1時間くらいで、直ぐに諦めて帰ってきてしまうことを捕らえ、さらに加えて「あんた達、我慢が足りないんじゃよ。」とお説教をされてしまいました。「ハイ、そうですか。」と応えたものの、いくらなんでも、自分たちでも、もういい加減何とかしなければ、と深く反省しました。そして、「今度こそ何とかするぞ」と、ふたりで、決心を固めました。

 今日は、何としてもガソリン確保するまで、何時間でも並ぶゾー!と居合いを入れ、覚悟を決めて、(6時50分)朝食、コーヒー、お菓子、本、Ipodまで持参で、いざ出陣!!。香川の娘から直後に携帯に連絡が入りました。ミクシー?で「今、○○で並んでいる。」と出ている。とか、「××でもやっている。」○○の方が20リットルまでだけど確実に入手できるそうで、そちらに並ぶと良いよ。」と、まるで遠隔操作されているようでした。そこで、まず、初めにその○○を目指して動きました。しかし、その途中のJAスタンドで、もう給油が始まっていました。そこに並ぶかどうするか迷ってしまいましたが、取り敢えず、娘の遠隔操作の指示通りに○○へ。ところが、物凄い列ができてしまっていて(1キロ以上か?)しかも、その先頭を見ても給油は、まだ始まっていないし、前日の張り紙であろうか「中止」となっているし、店員も、どこ?という状態でした。列の最後尾へ向かう途中で、妻とも相談し、考えを転換。これは、自分たちの見た眼を信じて、JAスタンドへ行こうと決心しました。

結果は、大当たり。最後尾に着くと、何人もの職員が総出で、見事な誘導をしているではありませんか。近所の家に迷惑がかからないように、上手く家の前には車を決して並ばせません。私たちは7時10分に並び始め、ほんの10分足らずでスタンドへ。7時少し前より始めたと言っていました。給油口が6つもあるので、どんどん列が裁けて行ってしまいます。そのそれぞれに複数で職員がついていましたから、JA栗っ子の総力を結集しているのか、若い人が多かったのですが、総数で20人以上いたでしょうか?その組織力に圧倒されました。感動的!!でした。並んですぐさま、昨日我が家に来てくれた妻の友人に、妻が携帯で連絡しました。「直ぐ来て!!今なら、必ず買えわるよ!」と。

 結局、私の軽ワゴン車に満タン、20リットルの携帯ガソリン缶にもいれてもらえました。合計で50リットルも確保できました。ガソリン缶の方は、帰ってきて、妻の車に入れました。この後、彼女から、我が家に「ありがとう!ガソリンが買えました。」とTELがありました。

我が家では、直ぐに義父に、ふたりは、大自慢して、報告。この後、叔父宅のことが心配でしたので、義父を連れて3人でガソリン満タンの私の車で行くことができました。叔父宅のこと、ガソリン確保と、この間の二つの懸案事項が、ひとまずクリアできて、ふたりで一安心しました。明日は、義父母と私たちの4人で、朝から鳴子の温泉に行くことにしました。

災害の中での認知症の義母

―このことについて、妻は、日頃から周りに対して、できる範囲で理解を求めようと努力をしています。それで、私のブログでも、このことについて取り上げるよう要請してきました。丁度、3月28日付け朝日新聞に支援通信「認知症 悪化に注意」という記事が出ました。そこで、この際、この認知症について、皆さんの理解を少し深めていただきたく、あくまで、私の義母の例ではありますが、書きたいと思います。

毎朝、妻は、その日にある予定、義父の動向などを小さなボードに書いておきます。地震が起き、ライフラインが止まって、「地震で電気、水道がこない」と書いておきました。初めそれを見ても、直ぐにリセットされてしまます。なかなか再び見ないので、「何で、電気が来ないの!」「水が出ない!」「コタツが入らない!」「テレビがつかない!」と怒鳴ります。何度、簡潔に説明しても、ダメです。

確かに、寒いのは辛いので、大変でした。訳が分からなければ、なおさら、我慢ができず、辛かっただろうなと思います。そこで、途中で、堀コタツに換気に気をつけながら、練炭七輪を入れました。電気が来て、風呂にホースで井戸水を入れておいても、その水が濁っていたため、義母は栓を抜いてしまいました。ソラーライトも、陽のよく当たる玄関先に置いても朝から隠してしまいました。大切な物は「取られてしまう」と考えてしまって、直ぐに隠すのですが、これは、だいぶ経って玄関の靴箱から見つけました。(その夜は明かり無しに)

また、母親を探すように娘(私の妻)を探す行動がこの間、多くなってきました。ここ何年かは一旦収まっていたことなのですが…

しかし、義母のような前々から、気丈な性格な人は、こうした非常時に、気持ちがへこむのではなく、かえって気合が入るように思われます。食料がないと、「私が頑張って野菜作らねば、」「私が稼がねば、」とか、言っています。そして、種芋を隠してみたり、台所に立つのですが、家事ができず、散らかすだけで、結局は空回りしてしまいます。義母を最初の日だけですが、心配もしていましたから、その実家の叔父宅に連れて行きました。しかし、真っ暗な中で怯えて、ベッドに寝たきりになっていた叔父夫婦を見ると、お説教を延々と始めました。しかし、基本的には、義父も私たち夫婦も、義母の好きなようにしてもらっています。広い家の周りと6年前に新築した使いやすい平屋の母屋と、ここには、それだけの空間的なスペースがあります。庭、畑の草むしりといった義母の仕事もたくさんあります。介護認定は受けていますが、今のところ、施設に入ったりする必要もありませんし、サービスも全く受けていません。

義母の認知症は、発病してから、もう15年ほどにもなります。最初のうちは、こちらも初めてのことなので、気付かなかったり、私などもよく義母と衝突していました。しかし、原因が分かり、それについて理解が深まっていくと、問題はいつもあるのですが、どうにか付き合っていけるものです。感情については、認知症は義母の場合ですが、ずっと有るし、むしろ鋭くなったようです。それも否定的な感情がです。これは悲しいことなのですが、仕方がありません。この否定的でも感情が強くあり、空回りでも気力があり続けているため、(それにある程度、体をうごかしているため、)この認知症の進行が義母の場合、極めて遅いと思われます。これに対して、義父が一番大変ですが、周りが、比較的ゆったりと付き合っているのが良いのだと思っています。

しかし、今回の地震、被災生活の中で、障害をもつ人、認知症だけでなく、自閉症などの人も、こうした災害時には、日常と違う状況の中でストレスが多くなり、混乱し、落ち着きがなくなったり、苛立ちが酷くなります。環境が大きく変化する避難所では、なおさらでしょう。周りに余裕がないと、そこで、生き抜いていくのが大変になってくると思います。
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