触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その13)

東日本大震災日記 (その14)

  3月29日(火)19日目

 温泉に行って、疲れを癒しました。 

まずは、親孝行―鳴子の温泉へ。

―昨日、私の車(軽のワゴン車)に、ほぼ1ケ月ぶりにガソリンを満タンに入れられました。そこで、義父母と私たちの4人で、朝から鳴子の温泉に行くことにしました。義父母には、この間、不便で、寒く、つらい生活を強いてきましたので、ガソリンが入手できて、余裕ができれば、まず、最初に、親孝行をしようと決めていました。行き先は、鳴子の温泉、正確には、その少し先の中山平温泉の「しんとろの湯」です。数日前より、ネットで、宮城県内の日帰り温泉の開いている所をチェックしていました。栗原市内では閉鎖中。そこで、少し離れた鳴子方面することにし、調べました。「しんとろの湯」はまだ行ったことがありませんでした。しかし、中山平のうなぎの湯(肌がぬるぬるする温泉)は、何回も試し済みでした。そうしたいい湯で、食べ物などの持込ができ、ゆっくりくつろげそうな所、ということで選びました。

 朝の9時過ぎ、私の軽ワゴン車に、運転手が私、ナビゲーター(船頭)がどうした訳か妻と義父のふたり、義母はただのお客?で出発。現地までの道順を巡って、義父と妻が、「あっちが近道」、「こっちへ行くのが早い」、と船頭ふたりに。耳が少し遠くなっている義父相手に、妻は、狭い車中で、大声で話します。しかし、結局、あちこちで通行止めがあって、その通りには行けない。おまけに妻の友人宅と元の勤務小学校の2ケ所に青菜2箱届けにいくことも加わっていました。そんなふたりを尻目に、義母は、果たして、この車で何処へ連れて行かれるやらと思い、義母「何処へ行くの?」私「温泉に、」義母「ここ、何処?」私「今、○○」…それを何回か繰り返し、義母「こんな、山の中通って…」私「そう、母さんは、近くの向山くらいじゃ、歩いて帰って来てしまうもの」「帰って来られない、遠い山へ姥捨てにこれから行きます。」と皆で大笑い。

 途中で池月の道の駅により、お昼に食べるもの、お菓子などを調達。おにぎり、おこわ、ダンゴ、温泉卵、おから、せんべい、クッキーなどを入手しました。道の駅は、まだ食堂などは開いていませんでした。道路にもまだ車の数は少なく、お店が開いているところもまだ限られていました。温泉につくと、まずひと風呂入りに、その後、休憩室で昼食。妻の元同僚からは、揚げ小魚の煮付けと漬物をいただきましたので、さっそくそれも頂きました。その後は、家族全員、お昼ねタイムに。被災生活が長く続き、疲れがどっと出てきてしまったようでした。温泉によって、それが体の芯まで温まることができました。暖房が利かせていなくても温泉ですから、休憩室もポカポカ暖かかったでした。
 
帰りがけに、更にガソリン追加確保。

―温泉の帰りがけ、丁度、午後3時5分、鳴子の街中にあった出光のスタンドで、2~3台並び始めたのを走行中に発見!!。方向転換し、そのあとに直ぐ並びました。それで、20リットル缶に入れて貰いました。リッター150円でした。この間、たったの10分です。非常にラッキーでした。(これは、うちに帰ったから、半分を義父の乗用車に、残り半分を燃料切れで止まってしまっていた軽トラックに入れました。)昨日といい、今日といい、二日続けて宝くじに当たったような感じでした。

3月30日(水)20日目 

日常の生活に近づいてきています。

車で、自分の用事が済ませられるようになって、

―ようやく家族の車にガソリンがほぼ行き渡りました。それまで、車で出かけるのは、いつも、多目的に、妻とペアで行きました。しかし、ようやく、自分の車で、いつものように、自分の用事が済ませられるようになってきました。この日は、まず、朝から宮城県の栗原地域事務所(築館にある県の合同庁舎内)にパスポートを取りに行きました。3月24日にはできていたのですがこの震災で取りに行くのを延ばしていました。次に栗原市立図書館へ行きました。被害状況を確かめ、軽微であったため、4月1日より開館すると確認してきました。それから明日午後1時からの、ブックスタートの打ち合わせについて、担当のN司書と話しました。その後、図書館ボランティアの方で被災者救援活動について打ち合わせをするので、会場を使わせてと頼んできました。

  その後、久しぶりにくりこま高原駅方面へ行きました。私が、3月11日の地震時にいた、近くのフィットネス施設「エポカ21」を外から中を覗いてみると,流水プールがまだ片付け中でした。それから、イオンスーパーへ行きました。店内の商品がまだ少なく、品揃えもまだまだでした。しかし、お客はだいぶ、増えて来ていました。いつものように、無料の純水も確保しました。また、その近くのウジエにも寄りました。こちらもまだ品揃えが、…。ヨーグルトは、少しありましたが高価で、450グラムで、200円。牛乳、ヨーグルトなどはまだ東北地方では、生産できていないとのこと、東京方面からの輸送だそうです。
 
兄夫婦より見舞金届く。

―東京に住む、兄(長男)夫婦と姪(その娘)より見舞金が届きました。姪はアメリカ在住ですが、彼女とは娘が連絡を取り合っているようで(娘の方にも、いろいろ贈って貰っている。)我が家の様子が伝わっているようです。夜、TELをし、外塀の修理費用の一部に使わせてもらうとお礼を述べました。

 そう言えば、兄夫婦には、もう30数年前の私たちの結婚時にも、お祝いに、沖縄への新婚旅行の往復の航空券と、大型カラーテレビを戴いたのを思い出しました。当時のカラーテレビは、三種の神器の時代で、非常に高価なものでした。結婚当時、妻はすで東京の小学校に勤めていましたが、遅れて大学を出た私は、今で言うフリーター状態でした。「この高価なカラーテレビ、壊れたら買い換えられないなあ」と思ったのを記憶しています。その当時から、兄夫婦にはいろいろお世話になっています。
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