触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その16)

東日本大震災日記 (その16)

4月1日(金)22日目  

さあ、AMプロジェクト始動

続・避難被災者支援についてー


―昨日の記述だけでは、どうも説明不足の気がして、さらに、続…として述べます。「4月3日に若柳で歓迎会への参加など検討され」、さらに、沿岸被災地避難所へも派遣が検討された内容は、河北新報のM氏の要望から、内陸地震復興の願いを紙芝居にした、Tさんの「白い馬」でした。それについてHさんより知らされた時、私は、強い違和感を感じました。この作品は3年前に起きた宮城・岩手内陸地震を題材にして、その2年を経過した時点で作られたもの。それを、今のこの大災害の直後に、被災者に披露すべきことなのか?ということです。少なくとも1年が経過し、「区切りとなるメモリアルに」ということであれば分かりますが…。

作品論に立ち入ることは、08年1月13日の「絵本「RAPUNZEL」で、その方法をめぐって、私自身、自己批判したように非常に難しいことです。ですから、このことに関しても、私は当初、若干躊躇しました。しかし、そうも言ってはいられません。作品論に入らなくとも、誰に対して(対象者)、どのような時(時期)、どこで(場所)ということにも、きちんと物を言わなければ、と考えました。そのことを、昨日の「ひなたぼっこ」の打ち合わせで話したところ、皆さんの賛同を得ました。Hさんも納得されて、Tさんには、「他の楽しいものを、」と提案するということでした。私も、長年の友人・Hさんが、「何か、早くしなければ…」と、はやる気持ちは良く分かります。「落ち着いて、することは山ほどあるのだから、」「もう、若い人たちが動いている。私たちは、その邪魔にならないように、」と言っています。

私の考える対案
―「荒牧 光子さんを被災地に、プロジェクト」(AMプロジェクト)
 

私は、それで、少しは自分自身で納得したのですが、一方で「何か物足りなさ」を感じてしまいました。今、最も辛い思いをしている被災者の皆さんに対して、Tさんが「白い馬」を、この時点で、演じることは、結果として、双方が「傷つく」ことになってしまはないか、というのが、私の考えです。しかし、それが、取り越し苦労である可能性もあります。さらに、お互いに「傷つく」ことを恐れていては、何も始まらないのです。そして何よりも、私の感じるこの「物足りなさ」とは、Tさんの「白い馬」に対する対案がないからだと気付きました。

 このところTVを見ていると、避難所で、様々な人が活躍し手いるのが映しだされています。腹話術を披露して周りを楽しませているオジさん、東京からギター1本持って駆けつけた若いミュージシャン、タレントでは、物まねなどをするコロッケさんが、私には一番凄い!!と思わせました。私には、彼らほどの力はありません。私にできることは、避難所などで、子どもたちに(あるいは、大人、お年寄りにも)寄り添って本を読んであげることだけです。3月26日の朝日新聞で落合恵子さんが「『積極的その日暮らし』抱きしめる時空」の中で、被災地ですぐできることとして、次のことをあげていました。「いつもより長く、ゆっくりと、お気に入りの絵本を読んであげてください。声にして読む大人もゆっくりできます。その、ゆっくりが、お子さんにも伝わるはずです。」

 しかし、これだけでは少し?なのです。そこで私が考え付いた対案が、「荒牧 光子さんを被災地に、プロジェクト」(略称:AMプロジェクト)というものです。彼女は、千葉時代、娘たちの学童保育の指導員でした。今は遊び塾「はらっぱ」を主宰。レクリエーションの幅は、手遊び・集団遊び・工作・科学遊びなど。人気のある芸は、顔芸?だそうです。このように「遊びのスペシャリスト」です。妻(長年、小学校教師をしていた)と、この間のことを話していて、「いた、いた、最適任者が、強力な助っ人が…」とふたりでガッテン!!しました。千葉からこちらに来て、しばらくしてからです。その当時、我が家の隣で開設していた地域文庫「風の子文庫」に、ご夫婦で、来て公演してもらいました。最近でも、3年前、私たち夫婦が千葉に行った時です。当時の学童保育の親たちとの飲み会に、また、ご夫婦を呼んで交流しました。その時に、彼女は、大人対象の教室(心のケア)や、介護施設など高齢者相手の企画もこなしていることを知りました。赤ちゃん(0歳)から、100歳までを対象にした、それぞれを楽しませる(全部まとめてでも?)ことができる、マルチタレントです。

 そこで、娘に彼女の携帯の番号を教えてもらい、さっそく連絡してみました。すでに、震災後に那須の方へ行って、そこで、避難して来た人たちにパホーマンスをして来たということでした。彼女からも、是非、こちらの被災者支援に協力したいという意向を聞きました。しかし、このことは、まだ、私(と妻)の段階のことです。そこで、まず、私が、① 栗原市の被災避難者の受け入れ状況を把握する。② 私(と妻)だけでなく、このプロジェクトの主体を広げること。③ どんな内容のものを、どのように、いつするか、について検討すること。など課題があります。少し先のことですが、今のところ、これは確実と考えているのは、次のことです。8月17日まで、丁度また那須の方で企画があり、その後の18日から8月末までの10日間程度なら今から空けておけるということでした。一口に「被災者の支援」といっても、様々な条件のもと、様々な状況の中で、などと多様性・個別性があります。さらに、時期についても、その直後、~1ヶ月、~3ヶ月、~6ヶ月、~1年、それ以上、とそれぞれに一番合ったものでなくてはなりません。それに、支援する側の体制の問題もあります。

 ともかく、これから、少しずつ、この「荒牧 光子さんを被災地に、プロジェクト」(略称:AMプロジェクト)実現に向けて、始動しようと思っています。

一関まで行って来ました。

―4月1日、この日久しぶりに、ふたりで、一関まで行って来ました。その前に、市役所の築館支所に寄り、妻と私の健康保険の書き換えを、妻が行い、(私は、その間に、香川の孫の入学祝を贈りに郵便局へ)その後、一関へ。途中、宮城県内は相変わらず、どこもスタンドが、開いていませんでした。しかし、一旦、隣の岩手県一関市に入ると、スタンドが、全て開いているではありませんか。それも並んでいません。セルフで148円も見つけました。(通常150~155円)お店の開き具合もこちらの方が良いようです。まず、行きつけのブックオフへ。私は、新書6冊(地震災害、公共事業、町村合併問題、など、この震災後に必要となってくるもの)を、妻は文庫本数冊などを買いました。

それから久しぶりの外食、そして、毛糸店、メガネ店を回り、最後にサティに。食料品とそこの本屋に用がありました。サティ内のスーパーは、あるものは栗原と余り変わりませんでした。しかし、本屋は、週刊誌が置いてありました。この週、火曜日からあちこちと栗原市内で、週刊誌を探していたのですが皆無でした。(私は、通常、週刊誌は読みませんが…)それが、一関にはあるのです。買ったのは、4月10日号「サンデー毎日」震災特大号です。(翌日、新聞に4月2日発刊予定のAERA特別号の広告がありました。これは、ようやく復活したアマゾンでネット注文しました。)

4月2日(土)23日目 

大震災から、3週間が経過。

朝7時、JAスタンドへ、待ち時間0(ゼロ)に。

―3月28日朝、幸運にも、JA栗っ子のスタンドに、たったの10分並んだだけで50リットルのガソリンを確保。続く3月29日,鳴子の温泉に行った帰り、これもたまたま幸運に、目の前のスタンドが開き、たったの5分で、20リットルの確保。この間よく使ってきた義父の乗用車にもガソリン缶より20リットルの内の半分の10リットル注ぎ、だいたいの車のタンクは満たされました。そこへ、昨日、JAより組合員宛に、各戸―20リットル(3000円分)配給のチケットが配られました。これを義父の車に入れれば、丁度満タンになります。「黒瀬地区は、4月2日の6時と8時を中心に来てください。」という案内でした。そこで、今度は、何も持たずに、私が義父の車で朝の7時くらいに着くように出かけました。JAスタンドに向かう途中で、もう帰ってくる同じ地区の車と、多くすれ違いました。スタンドでは、28日と違って、今度は若い店員は減り、代わって組合役員らしき人たちが、上手に誘導してくれました。今度は、待ち時間が、ついに0(ゼロ)になりました。

このチケット方式は、各地区を分散させ、構成する組合員に、平等に、確実に、迅速に、ガソリンを配給できます。私は、この混乱が始まった時点で、このようにすればと、個人的には思っていました。もう、この大震災から3週間ですから、少し遅かったようにも思いますが、大変うれしいことです。

久しぶりの菅原(特別)体操教室に参加。

―地震直後4日目、3月14日の日記にも書いていますが、この被災生活中、まったくの運動不足になってしまっていました。日常的にしていた栗駒の温水プールでの水泳は、全くできなくなり、フィットネス施設(「エポカ21」)でのストレッチ+筋力トレーニング+約1時間の有酸素運動も同様でした。仕方なく、自宅ですることになり、まず、筋力トレーニングはマシーン無しのものにし、あとストレッチも問題ないのですが、有酸素運動は、やりようがありませんでした。

ところが昨夜、栗駒のY子さん(栗駒プールの主のような方)より突然TELがあり、「明日(4月2日)の午後2時から、栗駒体育館のトレーニング室で、菅原先生(菅原流水健康塾)の特別体操教室をするから、来ない?」とのお誘いがありました。当然、私だけでなく妻も対象です。これには直ぐに「ふたりで行きます。」と返事をしました。

3週間ぶりの栗駒の体育館・温水プールです。丁度一週間前に栗駒に住む妻の友人のMさんよりその被害状況を知らせてきました。しかし、自分たちの目で見るのはこの日が初めてです。プールは、またもやその天井の板が少し落ちていました。しかし、3年前ほどではありません。取り掛かれば1週間くらいで直るはずです。(ただし資材の入手が?)一方、アリーナ(体育館本体)の方は、中がめちゃくちゃになっていました。両方ともまだ修理に取り掛かっておらず、アリーナに関しては、確かに2~3ヶ月は掛かりそうです。

さて、特別体操教室ですが、2時から1時間半ほどストレッチ、マシーンを使っての筋力トレーニング、エアロバイク(自転車漕ぎ)と、みっちりとやりました。参加者は急だったこともあって、5人だけでした。取り合えず、来週もするということで、もう少し広く参加を働きかけることにしました。私は、菅原先生の水泳教室には、年に数回は参加でき、その都度、重要な課題を見つけることができていました。しかし、体操教室は、ほとんどここでは開いていないこともあって、もう数年前から、私は、参加していません。フィットネス施設(「エポカ21」)でも、初心者以上の講習が、行われなくなってからもう何年も経っています。もう完全に自己流になっていました。

私は、5年前より「計るだけダイエット」に近い、タニタの体脂肪体重計を使った「健康管理シート」の記入を毎朝行ってきています。毎年、冬場は少し数値が高く出て、春から低くなる傾向があるのですが、この3月11日の震災です。一週間ほどは、計ることもできませんでした。震災前、2週間後、3週間後と3つを比較すると、体重、体脂肪、内臓脂肪レベルの推移は、2週間ほどまでは、運動不足の割には高くなっていないのです。食糧不足で、結果的に、被災生活ダイエットになってしまったのです。ところが3週間後には、食糧事情は改善されたのに運動不足。そこで、一気に悪化しました。私にとってのイエローゾーンに入ってしまっています。この日も最後に、15分ほどでしたが、エアロバイクを汗が少し滲む出るほどまでしました。翌朝少しは期待して体重計に乗りましたが、結果は見事にダメ。15分ほどでは効果ナシということです。もうそろそろ、本格的に有酸素運動をたっぷりしないとヤバイことになりそうです。
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