触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その19)

東日本大震災日記 (その19)

4月7日(木)28日目  

真夜中、突然、震度6強の最大規模余震が、

隣市に住む義弟がやってきました。

―この日、午前中に、義父と苗床に使う床土づくりをしました。大きな秤が見つからず、隣の叔父(義父の弟)から借りてきました。多分、また、義母がどこかに隠してしまったのでしょう。85歳の義父は、まだ、元気は元気なのですが、このところ「腰が少し痛い」と言い出しています。私が、カバーできるところはカバーしていますが、いつまでこの米作りができるか、少し暗雲が立ち込めてきています。まあ、やれるとことまで、義父に付き合ってやるつもりです。

隣の登米市に住む義弟がやって来ました。お米を取りに来たのです。彼は、1年前に退職(小学校校長)しています。それでも、いつもは義妹(次女)が来ます。彼女は、ちょくちょく我が家―母屋(実家)にやって来ます。学生時代からのバリバリのスーパーウーマンで、かつ非常に親思いなのです。彼女は、丁度沿岸部での勤務が外れ、今は、登米市内の小学校の校長をしています。その少し前まで、沿岸部勤務が長く続いて、今回の大津波でたくさんの知人を失っています。

この登米の義妹夫婦とは、地震直後、連絡が取れませんでした。しかし、彼女は、突如、地震の2日後夜、真っ暗な中を大型ワゴン車で乗り付けてきました。我が家も母屋も、ライフライン切断の最悪の状況の中、早めに4人とも寝床に就いた途端のことでした。車のライトで家の中をサーチライトのように照らされたのです。「おお、来た!来た!」と一同、ビックリ仰天しました。彼女のことですから、連絡がなくとも、心配していませんでしたが、その登場ぶりには驚かせられました。ガソリンは満タンだった、とのことで、学校関係の用で忙しくしていたようです。しかも、いつものように差し入れも持って来ました。それでも、私は、「足りないものは?」と聞き、こちらも非常に貴重でしたが、カセットボンベ1ケを譲りました。その後は、ガソリンも少なくなり、登米の義妹夫婦とは、TEL連絡だけになっていました。

義弟も、沿岸部勤務も長くしていて、その被害状況を詳しく話してくれました。話を聞いていても,想像を絶することばかりでした。義妹は、今日は同僚の奥さんの葬式に行っているとのことで、それも何とか火葬にすることができた、といっていました。積もる話は、また、少し時間が経ち、義妹が来られるようになってからだと思います。多分、今年も、5月初めの田植えを手伝いには来ると思います。義弟には、帰りにお米だけでなく、青菜をたくさん持っていってもらいました。

今、突然震度6強の最大規模余震が起こりました。(午後11時32分)

―今、来ました。突然のことです。この記事はここで、おしまいです。… … … … …            
 
 ここからは、4月8日午後7時半から書いています。

 ようやくその日のうちに、その日の日記を書き終えるという当たり前のことに、やっと追いついていました。それも、4月11日には、1ヶ月という節目で、一応、この日記の終了をしようとして矢先です。突然、ここで、思わぬアクシデント。何と、震度6強の非常に強い余震が(このようなのまでを、余震というのだろうか?)起こりました。パソコンを使いで、この記事をワードで書いていて、丁度書き終わって、ネットのブログに載せようとしていた時です。

非常に強い地震が、ドン、グラグラ… …。今回はそれほど長くはありませんでしたが、とてつもなく強力でした。停電で、パソコンは瞬時にプッツン、キューン。一瞬、「保存は?」と考えました。すべては後の祭り。まずは、慌てずに電源を切って、懐中電灯の確保。屋外のソーラーライトと小さな電池式灯りを2ケずつ探しました。母屋の義父母の安全確認。(ふたりとも、もう寝ていました。)妻は、あわてて2階の寝室から飛び起きてきました。

真暗な中、私は、懐中電灯の灯りでガラスの破片を集め、少し辺りを動けるように。次に、直ぐ水の確保に。ポリタンク20リットル×2、その他で合計60リットルの確保をしました。私は、風呂は、まだでしたので、少し温くなっていましたが、入りました。その後、風呂水をできるだけ足しました。次に、寝る場所の確保、そして最後に少し飲酒。スニーカー、懐中電灯、小さな電池式灯りを枕元に置いて、12時半ごろには、就寝しました。

4月8日(金)29日目

再度の被災、しかし、初動は素早く。

再び、ライフラインの遮断

―朝方、トイレに起きたのが5時半、今回も屋外へです。まだ眠いので、またフトンの中へ。6時ごろ、妻が何やら、ワサワサ動き出しました。残りのガラス破片の片付け、置物を元に戻したりと忙しくし始めました。6時半には、私も強制的に起こされました。妻は、その後の余震やサイレンの音などで、一睡もできなかったといいます。私は、今回は、お酒も入っていただけでなく、気温が少し上がってきたため暖かくめ眠れ、周りの騒ぎには全く気付きませんでした。

 今回も、停電に続き、断水も起きました。しかし、時間差があることが分かっていましたから、直後に60リットル、朝にもさらに、10リットルの飲料水の確保、お風呂の水の確保(トイレ用)ができました。通信も直ぐに遮断。母屋のTELのみが使えました。再び、ライフラインの遮断が起きてしまったのです。

 3月11日の大震災より、まだ復旧途上、1ヶ月足らずの間に、この最大規模余震です。今度大きな地震が来たら、こうしよう、ああしようと、いろいろと考えて、その準備をしようと思っていた矢先です。資材を揃えようにも、まだ物資があまり出回っていません。この間に、補給できているのは、ガソリンはある程度、カセットボンベ×3ケ、食料品―若干位なものです。我が家の常備職―ヨーグルト(まだ、ほとんど入手できず)リンゴジュース(リンゴ寒天に、これも安価のものが入手困難)も不足。やれやれです。

 今回は、ラジオをつけても、あまり情報が入ってきませんでした。しかし、沿岸部での津波の心配はないとの知らせで、一安心しました。今日も、妻は朝から、寝不足のためか、落ち着きがなく、調子が良くありません。私は、何か、すっかり地震慣れしてしまったようです。良いことかどうか分かりませんが、全く慌てないのです。おそらく、「前回よりはこのライフラインの遮断は、少し短期間だろう」と思っているのだな、と自分自身を分析しています。

今回の我が家の被害など、

―人身被害―ゼロ、(栗原市では、多くのけが人が出ています。)外塀は、また、別の場所で、上部の瓦など崩壊。母屋は、ほぼ無傷、我が家は、額が落下しガラス破損、置物一部破損、納屋の味噌部屋の中―食器破損・散乱、文庫等の本棚の本―大量転倒などです。周りの被害は、まだあまり動いていないのでよく分からないのですが、道路の一部陥没・亀裂、いたるところでブロック塀が転倒・傾斜・破損、屋根瓦の破損など見られ、何か3月11日の本地震より物的な被害が出ているように思われます。本地震で大きなダメージを受けていたのが、さらに今回の最大規模余震で駄目押しをしたようにも思われます。

再び、叔父宅へ向かう。

―叔父の東京在住の兄弟家族が4人、2日前(4月6日)、車でやって来ました。まず、我が家に寄り、そして叔父宅(そこが実家)に行きました。地元には、叔父(長男)義母(長女)のみがいて、あとは、全部東京に行っています。義父と妻がこの間、サポートしてきたのは、痴呆症の義母に代わってのことです。もっとも、妻は、その少女時代に、よくその義母の実家(今の叔父宅)に遊びに行っていたとのこと。そこで、もう、だいぶ前に亡くなった祖母に良く可愛がってもらっていたとのことです。私は、というと、その妻のサポートです。ですから、サポートのサポートといったところです。あくまで一歩引いています。

  この東京4人組みは、すでに皆さん、70歳代のロートルです。この間も、地震直後に実家が心配で、こちらに来ようとしていましたが高速道がストップしていたこと、ガソリン不足のことがあって、ここまで、延ばしていました。

  それが、こちらに来て2日目、被災救援に来たのに、そこで彼らも被災してしまったのです。2日前に我が家に来た時にいろいろ持っていってもらいましたが、それも役立ったようです。3月11日の本地震では、義父が人質としてその日、泊まりましたが、今回は、大勢いたので安心していました。ところが、それがそうでもなかったようでした。

  この日、9時過ぎに私たち夫婦、少し遅れて義父母が叔父宅に向かいました。再度、家の中が破損・散乱しているのを片付けに私たち夫婦が参上!したということです。(お昼食の材料も持って)この最大規模余震は、彼らにとって、とても大変な経験だったようです。東京の彼らには、妻がTELなどでこの間のことを伝えてきました。しかし、こうして実際、叔父宅(実家)にきて、実感、体験してもらえば、より深く叔父宅の問題を(このことについては、いろいろ問題が多岐にわたり、ここで詳細には触れません。)理解してもらえたと思いました。
今回、東京組が、この余震時にいて、その間、地元の自治会、親戚(叔母関係)から声掛けが何件もあったことが分かりました。私たち、駆けつけた時にも、来ていました。本地震時より、その経験からか、かなり地元の対応も改善されてきているようです。これも、一安心です。

追記―電気が来ました。

―今回も、早めの夕食を終え、Ipod を聞きながら、もう寝ようと床に就いた途端、午後7時過ぎ、突然電気が点きました。しかし、まだ、IP電話、インターネットは、ダメなようです。ここまでの記事を、今、午後10時15分、TVを見ながら、書き終えました。しかし、この記事のアップは、多分、明日になると思います。

  それでは、これで、おやすみなさい。
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