触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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東日本大震災日記 (その22)

東日本大震災日記 (その22)

4月11日(月)1ヶ月目  

大震災から1ヶ月、新しい旅立ちへ。 

この日記を、一旦終わるにあたって。

―東日本大震災が起きた3月11日、その日から1週間が経った3月18日より、私のこの「東日本震災日記」は、始まりました。当初は、日記の日付より、1週間遅れてと、ずっとしばらくの間、少しズレたままでしたが、最後の方で追いつきました。この日記を付けた当初の目的、「自分になにが出来るか」「一人で出来なくとも仲間と助け合って何ができるか」課題を見つけることでした。

 こうして1ヶ月が経過し、この日記を終わるに当たって、こうした課題の答えが見つかったか、というと、まだ道半ばです。答えを出して行く材料は、いろいろ豊富に集まりました。昨日の「縁と絆」に引き続き、現時点での私の問題意識を整理してこの日記を締めたい(閉めたい)と考えます。その前に、もう少し。

 この日記を公開して、いろいろな反応がありました。遠く離れた子どもたち、親戚、千葉時代の仲間たちや、長い間、便りが無かった学生時代の友人から、果ては、見も知らぬ方よりの問い合わせもありました。明日以降は、これら一つ一つに丁寧に応えていこうと思っています。

「活性化ネット・三塚氏亡くなる」という突然の訃報が入る。

―午後2時46分、TVを見ながら、黙祷をささげ、少しだけ「ふるさと」を口ずさみました。その直後、突然、訃報が舞い込みました。NPO法人「くりはら活性化ネット」の事務局長の三塚敬之助氏がお亡くなりになったというTELが、理事であり、私と同じ企画運営委員をしているOさんから入りました。全ての「くりはら活性化ネット」の活動の屋台骨になっていた方です。非常に残念です。早速、理事長に知らせ、理事会を開催してもらい、善後策を取り始めなければなりません。「くりはら活性化ネット」は、3年前の宮城・岩手内陸地震の際とその後にわたって、継続的な被災者支援活動をしてきた団体です。今回もと考えていた矢先のことです。「一人で出来なくとも仲間と助け合って何ができるか」という、私の課題には、ここでのことも、想定していました。

現時点での私の問題意識

―私は、つい最近まで、これから先、国民の間に意識の差、ズレがこれから生じてくるのではないかと心配していました。しかし、先日、最大規模余震が起きたこと(それが引き続き続く可能性が高い)と、一向に見通しがつかない原発による放射能汚染の進行が、思っていた以上に深刻な問題である、と広く認識されてくるに従って意識の差―ズレは、少なくてすむかも知れない、と考えるようになりました。

その当初考えていた、国民の意識の差とは、―大津波の岩手・宮城沿岸部、原発被害の福島沿岸部、それと被災県でも少し内陸に入れば軽傷、まして首都圏(液状化の浦安など除いて)の緊張は緩んでいって、仕方ないこと。ではないか、ということです。さらに、被災地の方々の意識の差も出てきます。まだ、被災地や各地の避難所にいる方々の中には、気持ちが葛藤中の方々も多く、沿岸部の人たちの気持ちには、もう同じ所には、住めないという方が多い一方で、逆に、もう一度、どうしても、戻りたいという方とに分かれてくると思います。家、船,田畑、アルバムなど失ったものを少しでも取り戻したい。なじんだ地域、生業から離れがたい。でも、厳しい現実がある。一時避難をするのか、留まるのか。一時的にも、生活の場を他に見つけなければ…子どもの教育はどうするのか。仮設住宅までの一時避難か、仮設住宅から、その後地域での復興をどうするか。それとも、新天地を求めて出て行くのか。このように、様々に気持ちが、揺れて、分かれていると思います。後者の方の意識の差は、今は、仕方ないのです。もう少し時間がいるのです。落ち着いて、じっくりと考えればいいのではないでしょうか。

こうしたことの、その一方で、様々な復興ビジョンが、被災当事者を脇において、被災地地域以外から語られ始めています。復興ビジョンを早く示すことは、とても大事で、必要なことです。しかし、性急で強引な、とりわけ当事者抜きのビジョンづくりはやめていただきたいと思います。

反省し、今後の予測を。

―まずしなければならないのは、反省からです。原発問題と巨大地震ととりわけ大津波問題、その初期対応あるいは、それまでの想定-防災計画のどこに失敗の本質があったのか、その後に問題が露になったこの国の危機管理体制も、徹底検証をする必要があります。

次に今後、(同時進行になるかもしれませんが)予測として、明らかにしなければならないのは、

① 考えうる最悪の展開をした場合に放射能汚染はどこまで進むのか。

② その封じ込めにはどれだけの歳月を要するか。

③ その間国民生活は放射能汚染とどう共生するのか。

④ 農産・海産物の被害補償はどうなるのか。米が不足する事態が起こるのか、減反は?

⑤ 故郷を失う地域住民の新しいコミュニティー作りはどうするのか。

将来社会ビジョンの合意を。

―そして、最後がビジョンです。この間にも、ライフラインの復旧を急ぎ、地域復興も急がねばならないことは確かですが、それから先、「どんな社会を築いていくか、確かな合意」を、国民の間に、意識に、創っていかなければなりません。

戦後の経済技術大国がたどった原発依存の「オール電化社会」は砂上の楼閣だったことは明白です。それからの反省から出発し、原子力をどう取り扱っていくのか、エネルギー問題をどうするか、が問われます。そして、私たちの現代の生活を、その質をどうするのか、を論議し、合意していかなければなりません。日本だけでない、世界の文明が問われているような性格の日本史、世界史の大きな転換点、に来ているのです。この大きな転換点で、私たちの明日からの生活も、それに合わせて行くことになると思います。それは、おそらく、職住接近、ワークバランス、子どもたちと過ごす時間も、仕事をより良く社会貢献も、グローバルスキル(どこでも通用するキャリア)を、女性の各方面での積極的活用・登用・抜擢とクウォータ制、若者の積極的採用と権限委譲へ、などではないかと思います。教育も大きく変わっていかざるを得なくなるでしょう。ーパーツではない自己完結型人材とか、逆に調整型・協調型人材とか、「想定外」に対処できる人材を、グローバルに活躍できる人材を、と。勿論、今回のような過ちを二度と起こさない、基礎的科学・技術の重視も人材的に怠らないようにしなければなりません。

ただし、この「どんな社会を築いていくか、確かな合意」と「東北沿岸部の地域復興(ビジョン)」は、関連はしますが、少し分けて考える必要があります。前者は、国民全体で、後者はやはり、被災地域・被災者を中心にして進めなければなりません。これらは時間もかかるとこですので、それを進めていく月単位、年単位での時間軸の設定をして欲しいと思います。

若者を登用―ロートルは支援へ、世代交代をこの機会に。

―「若者の積極的採用と権限委譲へ」と述べましたが、基本は、全員参加の総力戦、とは思います。しかし、形ばかりの総力体制では、過去の失敗を問えません。同じ陣営で漠然と復興をめざして良いはずがありません。この際、思い切って、若い連中にバトンを渡してしまった方が、良いのです。

若者を積極的に採用・登用することが復興の活力になります。今回の震災で、現場の中間層や、優れた技能の多くが失われていると思われます。ロートルの世代は、若い人たちを支援し、技能、人格、責任感を育てることで、失われた技能を再び育てる役目があります。そして、彼らにより多くの権限を与え、様々な決定に参加させ、遅くないうちに主導権を渡してしまうのです。それこそが、復興に向けた大きな力になるはずです。

 私は、かつて(2008年12月10日の記事)「団塊の世代とロスジェネ世代」論を少し展開しました。そこでは、詳しく紹介しませんでしたが、当時、一部に「戦争待望論」というのがあったのを覚えています。それは、「戦争という『外圧』によって既得権者が一掃され、硬直化した社会構造が解体される事を願うしか無い」という極端な主張でした。私は、当時も,彼らは「解体を願う」というより、自分たちの「出番を得る」「自分たちこそ、日本社会の主人公になる」ということを考えている、と解釈していました。しかし、その当時、私は、そもそも現代の日本において、そんな事態になどなるはずが無いと考えていました。

しかし、現在の日本、この状況は、その戦争状態に近いものがあります。そう、今こそ、彼らの出番なのです。今が、ロスジェネ世代への世代交代をすすめる良い機会であり、それによって、日本の新しい旅立ちができるのです。

この世代交代を宣言することを、この日記の締めくくりとします。

                                       -完―
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