触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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友の無事が確認できて… 


<東日本大震災>   
友の無事が確認できて…              2011.5.8

二日前(5月6日)の夜、突然、京都から大学時代の後輩のN君から電話がありました。「東松島にいる先輩のSさんの消息が分かるだろうか?」という問い合わせだった。丁度2年前の5月1日の記事に書いていますが、4月30日に仙台でこのS氏と東京に住むK氏と私のそれぞれが夫婦で36年ぶりに会っています。このS氏のことをこの間すっかり忘れていました。(情けない!)

言い訳は、あります。この時渡された名刺が、東京の事務所のもの、東松島の住所も確認しませんでした。その後も、松島―仙台?に住んでいる位しか私の頭になく、年賀状も出せなくて、この震災時に彼のことが頭からすっかり消えていました。今回の大津波で宮城県沿岸部の中でも松島だけは湾であったこと、島々が防波堤のような役割をしてことなどで被害が1桁どころか2桁ほど周辺と違っていました。S氏ことを忘れていた、松島と思っていた?などから大学時代の友人の中では一番近くにいながら申し訳ないことをしてしまったと思います。といっても私自身も車で県内へ自由に動き出せたのはつい最近のことです。(5月1日に初めて、南三陸町と石巻に行ってきました。)

本題に戻ると、N君からS氏の東松島の正確な住所と電話を聞きました。それを地図やネットで調べると、何と野蒜海岸ではないですか。かなりひどい被害があったところです。それから、避難所にいる方々の名簿のチェックをしました。それにいなくて、「やはり死亡者の名簿でも見なければならないかな」と思っていたら、また夜遅くN君からの電話がありました。「無事でした。」ということです。丁度八丈島の方に行っていたとのこと、それでも奥さんは首まで水に浸かったということで(多分、後で彼は大目玉か?)今は仙台の方でマンション暮らしをしているとのことでした。

私とこのS氏と2年前に会ったK氏が同級生、後輩のN君とS氏K氏が同学科(建築)私は隣の学科(工業意匠)という関係です。数日前にも東京の同級生G氏(教育学部)から大学時代の同世代の仲間の会合(5月21日)の誘いがありました。その時も地震の心配をしてくれました。この仲間の会合には私は出たことがない(今回も出られない)のですが、何故か毎回誘いが来ています。(妻は呼ばれませんし、基準が良く分かりません。)それでもS氏への支援が何かそこで出来ればとN君に話しました。それはどうやら、これも同級生のT氏が引き受けてくれるとのことでした。

次日(5月7日)の朝に、仙台にいるというS氏携帯(N君に教えられた)に電話してみましたが出なくて留守電にしました。その携帯の番号は、2年前に貰った名刺のものと同じでした。夕方また連絡して初めて、彼の声を聞くことができました。とても元気そうでした。「心配掛けたくなくて連絡しなかった。」と言われました。いや、やはり、こちらから早く連絡すべきでした。もう、そこ仙台の長町のマンションを拠点に仕事もしているとのことでした。

私は、少し安心するとともに、これから彼の力になれることは、何だろうかよく考えていくことにします。N君からもまた連絡があると思いますし、彼らとも協力してやっていこうと思っています。
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