触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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今、義務教育が危ない

<BOOKS> ⑥  
「今、義務教育が危ない!」 を読んで
   -国民のライフラインを守ろう-


  「今、義務教育が危ない!」 日本の教育を考える10人委員会(編)
                                 ぎょうせい 2007年12月10日初版発行 

  委員のプロフィール紹介

 この本は去年の12月の時点で学校統廃合問題に関わってから、まず、藤田英典氏編著の「誰のための「教育再生」か」を読み終わった頃、新聞広告で見つけ、ネット発注(楽天だったか?)してツンドクして置いたもの。「日本の教育を考える10人委員会」については、この時チェックしておきました。2004年に発足して義務教育国庫負担制度の維持をはじめ、義務教育における地域格差を生じさせないこと、義務教育に過度の市場原理主義を導入しないことなどについて提言を行ってきています。本書はこれらを踏まえ、日本の義務教育の何が問題で、どのような改革が必要なのかメンバーで分担執筆したものです。(一部には矛盾した文章もありますが…)今、2月28日の市教育委委員会での再編計画決定という山場を迎えています。市民全体にどうこの問題の問題点を分かりやすく、しかも正確に伝えていくか、栗原の子どもたちに豊な教育環境を創っていくことと地域住民のライフラインを守っていくことの方向をどう打ち出していくか、運動側にこのことが求められています。本書からそのヒントのいくつかでも掴めればと思い、これはと思ったところの内容の紹介をします。

 本の内容の紹介 

教育の機会均等が奪われる/斉藤貴男 

 この中の 5 誰のための「選択の自由」なのか で、ある県教委が全県一学区化問題のデメリットとして挙げられたものの要約から
○競争
・子どもたちの競争が激化し、友情も壊され不安を抱える。
・学校を選択できる子どもは限られる。
・遠距離通学を強いられ、時間的、経済的な負担が増える。
・学校間の競争が激化し学校の序列化がされに進む。
○家庭
・親元を離れなければならない子どもが増え、家族関係の希薄化へ。
・家庭の経済力が学力や進学に影響する。
○地域
・子どもたちに地域の一員であるという意識が育ちにくくなる。
・都市への集中が起こり、地域で学ぶことに劣等感を持つ。
・教育に地域格差を持ち込むことになる。
・一円化で学校の統廃合となると小中高の地域一体化と矛盾する。
・地域の将来や人口にも影響を及ぼす。
・地域の文化の中心である学校が地盤沈下し地域の崩壊につながるー 。
 全県一学区化に批判的意見は、実現すると偏差値の高い生徒が特定校に集中していくに違いないと。(相当に確度の高い見通し。)
 一方、推進側の人々は、偏差値という概念そのものを否定したがる。-偏差値を重視しないという善意は、時と場所によって、事態を一定の筋書きに誘導していく偽装になり得る。

学校の危機と再生/佐藤 学

 この中の 2 経営概念の転換
 過去20年間、教育行政は分権化され規制緩和が断行されたにもかかわらず、それによって一層学校の経営は硬直化し、教師の自立性と自由が拘束される事態が生じている。その主要な理由は、
 ① 「分権化」と言っても、文科省の権限・権力が知事、県教委に委譲しただけで、市教委や学校には委譲されていない。
 ② 分権化が市場原理主義の競争原理とセットになって進行したこと。
 ③ 分権化によって教育財源の危機が深刻化したこと。
 教育財源を縮小しつつ断行される教育改革は、学校現場と教師の職域にさまざまなひずみを。ほとんどの道府県に導入された少人数学級は、知事、議員の財政的裏づけの無い選挙公約で実現したため、そうした道府県では社会教育費が大幅削減、教師の研修費や図書費なども大幅削減、しかも臨時採用講師と非常勤講師が氾濫する事態に。これは教師の質を劣化させるだけでなく、専任教師の多忙化を導いている。
 ④ 分権化による改革が市町村合併と重なって教育委員会の規模の拡大と結びつき、学校と教師に対する官僚主義的評価が強まっていること。
 3 内側からの改革 
・ 学校教育の改革は、学校の内部から遂行されない限り、実りある成果を導くことはできない。二一世紀の学校は地域共同体の教育と文化のセンターとして再構築されるべき。草の根の改革運動として普及している「学びの共同体」づくりの学校改革など学校教育の民主的改革の希望は存在する。
・ 「学びの共同体」としての学校とは、子どもたちがともに学び合い育ち合う学校であり、同時に教師たちが「同僚性」を構内に築いて教育専門家として学びあう学校であり、保護者や市民が学校教育に参加し学び合う学校である。

家庭教育、地域と学校の在り方/樋口惠子

 4 二一世紀は地域創造の時代
・ 地域は確かに急激な高度経済成長によって就業構造の変化、それに伴う人口の大移動、大都市圏への人口集中を経て、一たんは崩れかけ、今新たな地域創造の必要に直面している。二一世紀の日本は地域創造の世紀。…人生初期の保育・義務教育に加えて、人生後期の四半世紀の受け皿が地域となる。…
・ 地域は二〇世紀後半に比べて、はるかに多くそこで「働く人々」の姿を見ることができるだろう。人生100年四世代共住、世代間交流の場は地域が第一義的に担うことに、地域の中に、家庭もあれば学校もある。一般に学校や職場の中には、ごく幼い人や高齢者はいない。家族はほぼ二世代ごとに分断された核家族。世帯数は人口減にもかかわらず増加の一途をたどっている。こうしたすべてを包括できる場が地域である。
 5 改革が地域を崩壊させる 
・  教育基本法をはじめとする法改正や、「教育再生」と言われるものは、二一世紀の生活の受け皿となる地域を崩壊させる方向にある。
・ 小・中学校はもっとも普遍的で歴史のある地域共有の公共資源である。選挙に出かけるのも、不時の災害の避難所も学校である。途中転入者も、まず第一に地域の目印として小・中学校を覚える。
 その学校を地域のあらゆる世代の人が支え応援するのは当然のことだ。地方都市には小学校単位により小さく、より緊密にコミュニティを形成ししていることが少なくない。そこでは小・中学校について、ほとんど選択の余地がない。
・ 競争は、個人の努力や克己心につながる。しかし、競争にはつねに一定のルールがあり、厳しくルールを守ることを前提とする。また、社会の活動は競争によって活性化される半面、競争で得られる成果を含めて、社会を構成する人々が共生していく道を目指す必要がある。共生なき競争は弱肉強食となる。…学力その他の能力を含めて、恵まれた人がさらにその能力を高めることは、妨げてはならないだろう。しかし、小中学校教育で大切なのは、人生100年時代を生きる人間として、一人一人の学力の底上げをすることである。
・ 人生の基礎である義務教育は、地域の中で地域の人々の支えと見守りの中に置かれるべきだと考える。
・ 学校ごとの競争は、簡単に排除と言う行為につながる。義務教育で身につけるべきは、自分と違った人々を含め、排除ではなく連帯であり、一人一人の人間に対する敬意であろう。

「いじめ問題」は教育の原点である/尾木直樹 

 2 いじめ、三つのピーク期 の ⑶ 大きき後退したこの10年ー人権感覚の劣化 
 いじめはいじめる方が100%悪いのであり、この点はいじめ問題の分析と解決における原理・原則である。ところが今、この原点が大きく揺らぎ後退している。こうしたいじめを捉えている社会の心理構造の変化は、国や社会、さらに私たち一人ひとりに至るまで、人権感覚が衰え、弱いたち場に置かれた者の心の叫びを十分にイメージしたり、把握できなくなってきているーつまり、社会全体に人権感覚の劣化現象が起きている…
 3 今日のいじめー「第三のピーク期」 の ⑵ 成果主義が歪める「教育改革」
 「第3のピーク期」のもう一つの特徴として学校や教育委員会の「隠ぺい体質」があるとして、その背景を、
 第一に、いじめの定義に学校が「確認」したものという条件までつけていた時期の名残が、未だに現場での判断を鈍化させているためではないか。
 第二に、学校現場に取り入れられてきた競争原理に基づく成果主義が、人事考課制度と相まって、職員室における「同僚性」や協働性、連帯性等を喪失させてしまっているせいではないかと考えられる。

教職員と学校をとり巻く状況義務教育の崩壊を招く環境変化と要因
                              /渡邉光雄


 3 変わる学校運営組織と教育風土・格差 の ②受験シフトにも左右されて
・ 母親の首を切断した殺人事件で全国に衝撃を投げかけた高校三年生の在籍校も、毎年度「国公立大学への入学目標数」を掲げ、受験シフトを敷いてきた。…地元に学習塾や予備校はもちろん有力な高校がなければ、当該生徒のように遠く離れた進学高校に入学、下宿やアパート暮らしを余儀なくされ、家族との関係が希薄になる地域的実情はあまり語られていない。
・ 「県内どの地域でも平等に学校を選択でき、生徒一人ひとりの個性と能力を延ばすことができる。」という理由で平成21年度より全県一学区の導入を目指すと言う。経済的に余裕があり、有名大学進学を目指す中学生(実質は保護者)は、今でも学区を越えて進学校に進学している。そのような中で全県一学区にすると、なぜ生徒の「個性と能力を伸ばすことができる」となるのか…問われるべきは母親殺害生徒の事件を教訓に、経済的余裕があるものだけが優位に立てる方策を見直すことである。
・ 学校は地域活性化の一翼も担う。教育格差が広がるいま、誰が最後まで子どもたちの教育に責任を持つのか、という認識を地域全体で共有し、学びの環境づくりに協力・協働できるかが求められる。学校の教職員の教育的力量の実情、あるいは地域住民の教育ニーズの内容と質を十分検証・分析しながら、学校への支援策を講じるのが、いま教育行政関係者が取り組まなければならない課題である。
・ 今回の改正教育三法には「支援」の発想がなく、為政者のご都合主義だけが際立つ。また学校が地域に根ざさず、受験シフトに縛られる状況は、本来の教育目的を失わさせる。その問題解決をせずに、教育現場と程遠い感覚でまとめられた制度は、現職教職員の意欲を削ぎ落とし、若い教職志望者を少なくするし、義務教育を危うくするだけである。

画一的な教育が義務教育を崩壊させる/黒崎 勲

 3 義務教育における地方自治の原則
・ アメリカ公教育の歴史的伝統ー「ローカルコントロールと公共的サポート(という)ふたつの特性は不可分に結びついていた。アメリカ人は遠くの政府を信用せず、学校のガバナンスを手元におき、そして透明なものとすることを望んだ。(略)地域の市民は教育委員会に代表を選び出すために投票し、その決定に参与し、彼らの子どもを教育する最良の方法が何であるかを熟考することが出来た」(タイヤック「共通の土台を求めて」2005年P145)
・ アメリカの教育委員会制度の理念(教育の中央集権化の危険を自覚し、教育に関して遠くの政府に信頼を置かないという教育におけるローカルコントロールの精神)を学んで構築されたわが国の教育行政の法制度もまた、そのような地方自治の原則に基づくものとなっている。
 戦後初期は教育委員を住民の直接選挙によって選出しており、首長とは異なる政治部門野本に教育の事業をおくことになる教育委員会の意義について、「地方行政の民主化が達成されるとともに、教育行政の一般行政よりの分離による教育の自主性の確保が意図されたのである。」
 全国学力テストに唯一不参加を決めた犬山市教育委員会は、競争と序列化に向かう全国学力テストは市内小中学校における積み重ねられている確かな教育実践に整合しないとして、不参加を決めたと説明している。  4 学校から始まり学校とともに進む改革 
・ 公立学校に要請されているものは、多様な背景をもち、異質な資質を有する生徒に、豊かな個性を伴う能力の発達を促しつつ、社会を形成する基本的な規範を内面に形成することである。それは生徒と教職員、生徒間および教職員間、学校と地域社会、そして学校を直接取り巻く世界とより広範囲な世界といった、幾重にも重なる人間諸関係のなかで、ここの場面で人格の機微にふれながら、継続的系統的に追求される営みである。
 公立義務教育学校の改革の出発点として必要なことは、生徒ひとりひとりが必要とする深く豊かな多様性のある教育機会を提供することによって、公立学校は現在より優れた成果を上げることができるという確信であり、そのような確信を抱いて努力を重ねる意志を持つ教育関係者の実践を奨励することである。…公立学校の改革は「学校から始め、学校とともに進む」しかない…この場合、学校に対して自ら改革に取り組むための刺激を与え、一つの学校の成功を他の学校の改革の動力としていくことが公立学校の設置者である市町村の教育委員会の役割と責任となる。市町村教育委員会の公立学校の統治と運営についての創意と責務とに最大限の活躍の範囲を与え、その質を高めるために必要な援助と協力をすることが都道府県教育委員会および文部科学省の役割と責任であろう。

教育のフィールドから地方自治制度を点検する/片山善博

 2 レイマンによって構成される教育委員会 
・ 実定法から読み取れる教育委員会の人物像はレイマン・コントロール(素人ないし一般市民による統制のこと)の概念から導き出される人物像ともよく符合する。
・ 教育行政に一般常識人を参画させることによって、その方針決定や執行管理が教育の専門家の独断専行に流れることのないように、社会の良識を広く教育行政に反映させる仕組みということになる。…委員の中に保護者を加えるとしていることは、レイマンとしての教育委員の具体的なイメージを実定法において呈示していることにはかならない。
 3 執行機関としての教育委員会 
・ 教育委員会は、地方自治法において自治体の「執行機関」として位置づけられている。…教育委員会は、一般行政において首長が担っているのと同じ性質の責務を、教育。行政の分野において担っている。…その教育委員会とは、決して事務局の職員集団を指しているのではなく、複数の委員で組織される合議体としての委員会を意味している…
 5 教育委員会の建て直し
 教育委員として望まれる資質として何が…教育委員は教育行政のプロでなくとも、教育行政の執行管理について説明責任を果たせる人…説明責任の重要性を自覚する見識とそれをきちんと実践することのできる力量とを備えた人が望ましい…いうなれば、素人であっても「筋金入りの素人」でなければならない。
 7 可能な教育委員会改革はただちに実践を
・ 説明責任の当事者にふさわしい処遇が必要と…
・ 教育委員長と教育長との関係をこの際、再整理を…
 こんご教育委員長を真の執行機関の代表として位置づけるのであれば、現在教育長がいわば無権代理的に具有している教育委員会の代表的機能を教育委員長の方に「大政奉還」し、教育長は執行機関である教育委員会の事務執行者に純化すべきだろう。

誰のための教育改革か-教育の管理的・市場的統制と格差社会の再生産-
                               /藤田英典
 

  1 改革がもたらす義務教育の危機
 日本の義務教育はいま重大な危機に直面している。日本の教育は世界的に見て総じて非常に優れているのに、合理性のない矛盾に満ちた改革が次々と進められ、重大な危機に直面している。
 2 小泉政権・安部政権が進めた危険な改革
① 国家主義的・復古主義的イデオロギーに基づく教育課程・教育実践の再編・統制ー教育基本法・教育三法により鮮明化・公然化。
② 市場原理主義・「強者の論理」による教育の再編ーエリート的な中高一貫校・構造改革特区校の増設や学校選択制の拡大などによって義務教育段階から学校を序列化・格差化し、恵まれた家庭の子ども・できる子どもを優先する教育へと教育システムを再編。…「格差社会」再生産…義務教育国庫負担金の削減による教育財政の地域格差拡大も…
③ 成果主義・査察主義による学校教育・教職員の評価・管理・統制の強化ー全国学力テスト、教員免許更新制、学校の第三者評価など。
 4 学校選択制がつくりだす教育格差と「格差社会」の再生産 
・ 選択制になれば、選択時点での実質的価値がどうであれ、人気校の市場価値は高まり、不人気校の価値は低下する。…そうした序列化・格差化のメカニズムを内包している点に学校選択制の特徴がある。しかも、共通基礎教育・上級学校への準備教育を基本としている小・中学校の教育では、教育内容面での多様化。差異化の可能性は限られているから、教育格差と社会格差の悪循環が起こる。
・ 我が子さえよければいいという構えと行動が広がりつつある。…我が子に豊な教育を受けさせたいという保護者の願いはもっともなものだが、その願いとエネルギーを、地元の学校の改善・充実に向けるのではなく、学校選択行動を通じて地元の学校(の良さやその充実可能性)を否定し、選んだ学校とそのネットワークのメンバーになっていく。…地元の学校とその地域に象徴される身近な公共性・公共的営みへの関与を低下させていく。…学校と地域社会との関係が寸断され、地域に根ざした・教職員と地域の人たちの協力・協働による「自分たちの学校づくり」が種々の困難を抱え込むことにもなる。
・ 学校選択制の下で、その選択権を積極的かつ有利に行使するのは、経済的に恵まれた階層、情報収集能力や進学・受験対応能力の高い階層、子どもたちの成績がよく教育熱心な家庭などに偏る傾向がある。
・ テスト成績を競い合う傾向が強まり、事前のテスト準備やテストでの不正が発覚して問題化。…学校が序列化・格差化されるだけでなく、義務教育の総合性の軽視や成績のよくない子どもへの教育的配慮を軽視し歪めることにも。
・ 「勝ち組」「負け組み」に選別、前者にプレシャー、後者に被差別感を蓄積。早期選別は「人材の浪費」と結果としての「エリートの質の低下」を。
 5 教育実践の歪みと質的低下を招く成果主義・査察主義
・ 学校評価の標準化、学校の第三者評価について
 評価の基準・枠組みの標準化が進むと、各学校やその地域の特色・創意工夫は必ずしも重視されず評価基準・枠組みに盛り込まれている側面が重視され、その結果が相互に比較されるようになる。特に共通学力テストのような一元的な量的尺度による評価が拡大すればするほど、その傾向は強まり…評価結果が一人歩きし、様々な弊害をもたらす。特に第三者評価は、評価の基準・枠組みが標準化・画一化されることに加えて、評価委員も当該学校と当事者でなくなるから、評価の官僚制化も含め種々の弊害の危険性が一層強まる。それに学校選択制が加われば、各学校の改善努力は管理的・市場的に統制されていくことになる。
・ そうした学校評価に加え、教職員の成果化主義的評価が広まり定着するならその弊害はさらに深刻化。
 6 これからの教育改革・教育改善努力の準則と指針
 学校教育(特に義務教育)の基本的な理念と特徴・要件
① すべての子どもに分け隔てなく豊かな教育に機会と場を提供することは、豊かな民主主義社会・市民社会に基本要件である(「教育の機会平等」という理念)。
② 学校教育は、それが普及拡大した社会では、子どもたちの学習・成長を支援する場であるだけでなく、社会的な選抜・配分装置としても機能する社会制度でもある。したがって、進学の機会と選抜の方法は公平かつ誰にでも開かれたものでなければならない。
③ 学校では、すべての子どもが誇りと夢・希望をもてるものであってこそ、豊かな学びの場になりうるものである。
④ 教育は未完のプロジェクトであり、教職員の誠実かつ適切な実践努力の持続と保護者・地域住民の信頼・支援・協力に支えられてこそ、成功する可能性が高まるものである。したがって、教職員が誇りと夢を持って教育実践に取り組むことができてこそ、教育の質の向上も成功の可能性も高まる。

 最後に
 義務教育は基本的な社会資本であり、国民すべてにとってのライフラインである。日本全国どこに住んでいても、その機会が十分かつ豊かに補償・提供されなければ、日本の社会に未来はない。日本の国土の約70%を占める山間僻地を含めて、全国どの地域に住んでいても豊かな義務教育を受けられるようにしていくこと、そのためにも経済面を含めて地域の活力を高めていくことは、日本社会共同の責務であり、為政者がなすべき最大の政策課題の一つである。

 この本から何を掴むのか
     -「地域、学校、子どもたち」をキーワードにして

・ 「教育の機会均等が奪われる」では、全県一学区化問題のデメリットは、地域から学校をなくし、統廃合することのデメリットと同じ。
 遠距離通学(時間的、経済的負担)、子どもの不安、子どもが地域の一員という意識が育ちにくく、地域で学ぶことに劣等感、地域の将来や人口に影響、地域文化の中心=学校ーの地盤沈下→地域崩壊へ、

・ 「学校の危機と再生」では、「21世紀の学校は地域共同体の教育と文化のセンターとして再構築されるべき。」としているところ。「学びの共同体」づくりの学校改革を広げ、その学校教育に保護者や市民(地域住民)が参加していくこと」が必要。

・ 「家庭教育、地域と学校の在り方」では、「21世紀の日本は地域創造の世紀。地域は、人生初期の保育・義務教育に加え、人生後期の四半世紀の受け皿となる。」「人生100年四世代共住、世代間交流の場は地域が担う。地域の中に家庭も、学校も、職場も、様々な形の家族(人口減でも世帯数増)、こうしたすべてを包括できる場=地域。」としているところ。
 「小・中学校は、もっとも普遍的で歴史のある地域共有の公共資源。その学校を地域のあらゆる世代の人が支え応援するのは当然のこと。」「人生の基礎である義務教育は、地域の中で地域の人々の支えと見守りの中に置かれるべき。」としているところ。
 21世紀の地域ーここ栗原市はどうなっていくのか?どうしていくのか?地域創造の世紀にする、将来をどう画くか?栗原市総合計画はたかだか10年。もっと先、21世紀のあと90~100年先とまでいかなくとも、数十年先までを見据えたグランドデザインが必要です。

・ 「教職員と学校を取り巻く状況」では、「学校は地域活性化の一翼も担う。教育格差が広がるいま、誰が最後まで子どもたちの教育に責任を持つのか、という認識を地域全体で共有し、学びの環境づくりに協力・協働できるかが求められる。」としているところ。
 最後まで子どもたちの教育に責任を持つのは、第一義的には、保護者であり、次は義務教育あるいは高校までは、ここではやはり地域ということになると思います。この「地域」の中身は、地域住民そして 地域力 とでもいうものになると思います。この中に学校の教職員も市の教育委員会も入ってきます。しかし、教育行政上の最高責任者=5人の教育委員が、その地域力のトップとして「子どもたちの教育に最後まで責任を持てるか」というとどうでしょう?現状では無理です。なのに学校統廃合の方向を出してくるのです。

・ 「画一的な教育が義務教育を崩壊させる」では、アメリカの公教育についての「…地域の市民は教育委員会に代表を選び出すために投票し、その決定に参与し、彼らの子どもを教育する最良の方法が何であるかを熟考することが出来た」のところ。前述したこととの関連するところです。日本では教育委員が公選でなくなってしまい、「その決定に参与」など程遠い状態です。しかし、市民の運動を進めるには、その理念を生かしていく、そうした意思を貫いていくことが大切です。これも前述のことと関連しますが、「誰が」という問いに対する答えは、小学校の統廃合問題であれば、小学校区を単位とする「コミュニティ推進協議会」(栗原市ではほとんど未だ出来上がっていません。)になると思います。そこが保護者、学校関係者の意向を尊重して決めていくしかありません。

・ 「教育のフィールドから地方自治制度を点検する」では、「執行機関としての教育委員会」の位置づけ、その委員は「筋金入りの素人」でなければならない。「可能な教育委員会改革はただちに実践を」としているところ。この間、市教委に出向いたり、説明を受けたり、定例会を傍聴したりして、本当にこうはなっていないと痛感しています。この学校統廃合の運動の中でも、できる改革は要求していくことが大切です。

・ 「誰のための改革か」では、「我が子さえよければいいという構えと行動が広がりつつある。…我が子に豊かな教育を受けさせたいという学校選択行動を通じて地元の学校を否定し、選んだ学校とそのネットワークのメンバーになっていく。…」というところ。栗原市においても、検討委員会の中間報告へのパブリックコメントと今回の再編計画(案)へのパブリックコメントの一部にこうした傾向が見られます。(両方とも大部分は、反対・撤回、見直しや不安の表明、慎重さを求めるもの)現PTA、保護者の中にはこうした傾向もあることを見ておかなければなりません。
 「最後に」のところ。義務教育は基本的な社会資本。国民にとっての(地域住民にとっての)ライフライン。国土の70%を占める山間僻地を含めて日本のどこに住んでいようとも義務教育の機会が十分かつ豊かに補償・提供されなければ、日本という国に未来はありません。


 以上が、「本の内容の紹介」と「この本から何を掴むのか」です。
 ここまで様々な方の考えを長々と記述し、まとめてみました。それに私自身の感想・考えを添えてみて、
私がこの先、何を生かし、何をポイントにして人に話していく、訴えていくかが見えてきました。
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