触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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栗原市学校再編計画決定を前にして

栗原市立学校再編計画決定(2/28)を前にして                                                                                                   ( 問題点の整理のためにーその3 )   
                                                         2008.2.22  

1 再編計画決定後、どのようなことが予測されるか

 この間の市教委・市議会常任委員会の傍聴(+パブリックコメントの内容と市教委の考え)、教育長に会って言えることは、計画の根幹(理念と基準)は変えてこないと思われることです。細部はどこまでの修正があるかは不明。3月になれば一斉に手分けして該当の学区に説明・説得に入ってきます。(それでも初めはやりやすいところからか?)
 その説明・説得のやり方はおそらく、まず、現PTAだけに呼びかける。①現PTAがそこでOKならそれで終わり。(地域の同意を得たと。)②現PTAが初めから対象を地域全体に(それでも具体的にあげる)広げてくれと要望すれば最初からそうなるか、あるいは2段階か? 市教委の方からは、初めから対象を地域全体にはもってこないと思われます。できるだけ早く、それも少ない対象でも(現PTAだけでも)同意を取り付けようとしてくると思われます。(市教委は「地域との合意」の「地域」の定義をしていません。つまり、その定義はそれぞれの地域ごとに違ってくると思われます。)まとまらない地域は後回しにして、合意の地域でそれを包囲する。まとまらない地域には、「拙速だ」という私たちの批判に対するのと同じように「このまま待っていたら5年~10年が空白の時間となりますよ。それで子どもたちの教育環境はそのままでいいのですか!」と子どもたちを盾に(人質にして)脅しもかけてくると思われます。
 また、説明・説得の会議のやり方ですが、これまでの説明会での様子から考えて、一部の人(たち)だけが「強行に反対」もしくは「拙速だ」としてもその場合、参加者からその意見を浮き上がらせようとし、またこれを無視してかかってくると思われます。決してこれを説得しようとしないと思います。様々な意見がでても市教委はおそらくそれらもまとめようとはしないと思います。参加者の誰かがそれらをまとめるならばそれはそれで良いとするでしょうが…。そして最後、反対等が一部意見のままならば、それに対し、「見解の相違です。」で片付けてしまうと思います。参加者の総意もしくは大半が反対、あるいは拙速とした場合、市教委と地域との合意は無いということになります。その場合、その場で撤回、もしくは何らかの修正がされるかというとそうはならないと思います。市教委は分散しての説明・説得ですから「その話し合いの現場には権限は無い」と見ておかなければなりません。市教委の「地域との合意」といっても計画で決めた(市教委の考え)ことを説明・説得するのであってそこで計画の根幹(理念と基準)に係わる修正は行われないと見るべきです。
 では合意に至らなかったらどうするか?そこだけ後回し、(その後は前述のように…) しかし、そのような地域があまりにも多ければ、そこで始めて「地域学校再編検討委員会(仮称)」なるものを「設置して検討することを考慮する。」(パブリックコメントへの回答より)という大変、回りくどい言い方をしていますが逃げ道は一応作っているようです。おそらくここでは計画の根幹(理念と基準)に何らかの修正をせざるを得ないと思います。

 <ここまでは、2月15日にまとめました。>

2 再編計画(案)に対する意見の傾向と広報「くりはら」(2/15)での市教委の報告

 2月6日の文教民生常任委員会に市教委より資料として出された再編計画(案)に対する意見の概要を読み、その傾向を広報「くりはら」(2/15)に載った市教委報告(栗原市学校教育再編計画(案)に対する意見の募集結果)と比較して(広報の方にはまだ「市教委の考え」は出ていない)まとめてみました。 
 41人、110件の意見は、賛成7件(6%)、反対・慎重さを求めるもの87件(79%)、その他16件(15%)です。ほとんどが反対か、慎重さを求めるものでした。
 ところが広報「くりはら」(2/15)に掲載された一覧表にまとめられた「意見の主な内容」34件をこれに振り分けると、圧倒的多数を占めていた反対・慎重さを求めるものはその24%のみ掲載、(全体に占める割合79%→61%に大幅減)、その逆に賛成する意見は100%掲載、(同、6%→21%に大幅増)、その他は38%掲載(同、15%→18%あまり変わらず)されていました。
 市教委の意図は、「様々な意見が出ている。確かに反対、慎重さを求める意見も多いが、賛成等その他の意見も沢山出ている。」と市民には印象付けたい、そのように見せかけています。しかし、実際には全く違うのです。ここに市教委の極めて悪質な作為性を感じます。
 この広報の中で「いただいた意見に対する市教育委員会の考えを整理するとともに、計画(案)に皆さまからのご提言に基づく記述を加えるなどの修正を行い、栗原市立学校再編計画策定に向けて、検討を重ねていきます。寄せられた意見に対する市教育委員会の考えと、案の取れた栗原市立学校再編計画は、3月1日(土)以降に公表する予定です。」と言っています。しかし、この概要報告の段階で、提出意見の取りまとめにおいて市教委は恣意的な操作を栗原市学校教育再編計画(案)に対する意見の募集結果でしてきているのです。しかも全容の報告(意見と市教委の考えの全文)は、この後、市のウェブサイト上でしか行わないと思います。
 市は、パブリックコメントについて「寄せられた意見に対する市の考えを明らかにし、意見を考慮して、市の意思決定を行う仕組み」(市の「パブリックコメントの概要」より)と解説しています。一般にパブリックコメントに関して「意見の数で賛否を問うものではない」「多数の意見が意思決定における考慮要素になるとは限らない」とは言われていますが、悪質な作為性を持って恣意的な操作をすることなど許される筈はありません。そもそもこの制度は、「市の政策形成過程の公正性の確保と透明性の向上を図るとともに、市政への市民等の参加を促進し、もって一層開かれた市政の推進に寄与することを目的とする。」(栗原市パブリックコメント実施要綱(目的)第1条)というものである筈です。パブリックコメント制度には、行政の官僚的独善を排する目的がある筈なのに、本来の目的から逸脱したこうした恣意的な操作をしてまで既定方針どおりに再編計画決定するならば、「パブリックコメントで手続きは踏んだ。」と形式だけを整えた(それも歪めて)合意調達手段としてパブリックコメントを悪用しようとしていると言わざるを得ません。

―補足― まだ決まってはいませんが、多数意見の却下について。市は、意見提出者に対して「何故、多数意見なのに却下したか、何故恣意的操作をしたか」ということの説明責任があるだけでなく、市民全体にもこれは明らかにする説明責任があります。

「栗原市立学校再編計画(案)に対する意見の募集結果」と広報「くりはら」(2/15)掲載との関係  


        項    目件数掲載賛成反対・慎重その他
 はじめに11 42/2  2/90/0
 「学校再編計画」の基本的な考え方15 40/03/141/1
 「学校再編計画」の構成と期間  7 41/1 3/50/1
 適正規模の基準16 40/03/141/2
 適性配置  5 20/0 2/40/1
 適正化を実現する方法  1 10/0 1/10/0
 特色ある学校づくり  5 20/0 2/50/0
 実施計画の「前期計画」11 31/1 1/91/1
 実施計画の具体的な計画13 52/2 1/62/5
 実施計画の推進日程  3 11/1 0/00/2
 その他23 40/03/201/3
 110 347/7 21/876/16
   100%  24% 38%


3 「誰が最後まで子どもたちの教育に責任を持つのか?」
     「誰が学校の統廃合についての決定に責任を持つのか?」

 この前者の問いは「今、義務教育が危ない!」(ぎょうせい)という本の中で、公募制で福島県原町の教育長になった渡邉光雄氏が述べていることです。この間、市教委の住民説明会に参加し、市教委定例会と市議会文教民生常任委員会を傍聴し、またパブリックコメントに寄せられた多くの市民の意見を読んでみて、前者と共に後者の方の問いが出てくるのです。同じ本の中で、教育行政学が専門の黒崎 勲氏が日本の教育委員会制度の基になっているアメリカの公教育の理念―ローカルコントロールの精神を紹介していますが、後者の問い考える基になっています。「…地域の市民は教育委員会に代表を選び出すために投票し、その決定に参与し、彼らの子どもを教育する最良な方法が何であるかを熟考することが出来た。」(タイヤック「共通の土台を求めて」同時代社P145)
 子どもたちの教育に、教育を受ける権利に対し、責任を持つのは、それを保護者は「保障しなければならない」のだから第一義的には保護者です。それに対し学校の設置義務が市町村にあるとされています。(学校教育法)義務教育(あるいは高校まで)は市町村及び、それを構成している地域住民、市民に、広い意味で地域社会に責任があると思います。
 後者の学校についてはどうでしょうか?学校の統廃合について誰がその決定に責任を持つのか?市長?市教育委員会?市議会?…先日、市教育委員会定例会を初めて傍聴しました。教育行政の最高責任者5人の教育委員が、最後まで子どもたちの教育に責任を持つ、学校の統廃合の決定に責任を持つのは無理だと思いました。なのに、学校統廃合の方向を決定しようとしているのです。それでは、学校統廃合を現PTA、保護者だけで決めてもいいのでしょうか?それでは責任が重過ぎます。「地域、学校、子どもたち」は切り離せないものです。ここでも地域は深く関わらざるを得ません。それも、まず、小学校区の地域、それから旧町村、最後に栗原市。

4 「コミュニティ推進協議会」 
              と「栗原市教育改革検討委員会」
(仮称)

 今、地方分権の時代が始まっているとしていますが、言葉どおりに国の権限をどれだけ自治体に下ろすかのだけの議論では問題です。主権者である市民がどれだけ自覚と責任を持って自治体を市民政府(地方政府)にしていくかが課題となっています。本来、市民と自治体の関係は、市民を支配する役所ではなく、市民が自分たちの生活が円滑に出来るよう自分たちで治める「自治体」である筈です。市民にとって「市役所」とは、お上でも、市民を抑えたりするものではなく、文字通り「市民の役に立つ所」として機能する筈です。しかし、主権者である自分たちで治めるといっても、現実的には、間接民主制を前提とし、市民参加、市民参画等の直接民主主義で補完していくことになります。
 町村合併後に旧町村には、地域審議会が設置されました。ここでは、学校統廃合問題については昨年10月の適正規模、適正配置検討委員会の最終報告後に初めて説明だけがされました。各行政区を単位とする「自治会」の設置(への組織替え)は進んでいるものの、各小学校の学区ごとに設置が目指されている「コミュニティ推進協議会」の設置は、遅れています。前述の3「誰が学校の統廃合に…」に関連してきますが、「コミュニティ推進協議会」(小学校区)にも「地域審議会」(旧町村)にも決定権はありません。しかし、こうした地域組織でこそ学校の統廃合問題は、PTA等を交え、十分に時間をかけて話し合い、合意形成をして方向を出すべきです。「コミュニティ推進協議会」の設置が遅れているところでは、この機会に早急に立ち上げて話し合いを開始すべきです。決定権がなくとも話し合い、合意形成をすることは重要で、その結果を市長に意見として述べることが必要です。学校統廃合問題は地域の区域に係わるものであるため、市長はその意見を聞かなければならない筈です。
1「再編計決定画後、どのようなことが予測されるか」で「市教委の方からは初めから対象を地域全体に持ってこない」と分析しました。確かにそうだとは思いますが、いずれ後から地域には話を持ってくると思います。つまり、統廃合を決めてしまってから、例えば「学校の後施設の地域共同管理」のような形で…。つまり「協力してくれ」と。その他の問題でも存続する、統廃合になるどちらになっても地域の協力は必要になってきます。
 すでに毎年数回ずつ開催されてきた10ヶ所の地域審議会は、この問題で自治体内の「地域自治」の役割が果たせるのか、そして現在作られつつある各コミュニティ推進協議会は、単なる行政の下請けに終わることなく、これもさらに市民に身近な「地域自治」「地域内分権」の役割も持てるのかが問われてきます。ここに今後の栗原市における「市民自治」「住民自治」の真価が問われてきます。いずれにしても、市民に一番身近な「コミュニティ推進協議会」を学校統廃合の話し合いの受け皿にしていかざるを得なくなると思います。
 「栗原市教育改革検討委員会」(仮称)の設置は、昨年12月2日のシンポジウムで私が市教委に提案し始めたことです。パブリックコメントでも私は、「「栗原市の教育改革をどう進めるか」の根本も含め、もう少し時間をかけて市民の合意をめざす、人選も公募を多く入れたものとし、常にオープンな議論の空間(栗原市教育改革検討委員会(仮称))を設けることを提案します。」と意見を出しています。2月6日の「「市議会文教民生常任委員会」を傍聴して」でも、次のように述べました。 
 - これへの直接の回答ではないのですが市教委は「個別の地域での話し合いの結果として、「地域学校再編検討委員会(仮称)」を設置して検討することについても考慮して…」と言ってはいます。名称は気になりますが、結果として後からやむを得ずではなく、初めからこうしたものは設置すべきです。今回のパブリックコメントには様々な貴重な意見が寄せられています。これらの意見を読んでいてWeb上で、あるいはペーパー上でお互いに見るだけでなく、もっとリアルな空間で、行政を交えて、行政と向き合い、様々な考えを持つ市民が栗原市の教育全体のことも議論すべきだと思いました。このことと各地域での話し合いを、同時進行で相互作用させながら1年ぐらい時間を区切ってしまって密度の濃い議論をしてはどうでしょうか。-
 そして、2月12日に鈴木健三氏と請願を出しに市教委を訪れ、佐藤公平教育長に直接手渡しましたが、ここでも次のように申し入れをしました。
― 「教育長が私たちと「考え、思いにそれほどの違いがあるわけではない」としながらも「計画の根幹(理念、基準)は変えない」としていること。この検討にも踏み込みそうな地域学校再編検討委員会(仮称)の設置の可能性(考慮と表現している。)を各地域の話し合いの結果として後に考えていることは時間のロス。最初から計画自体も(案)のままか、第2次案とでもして、常にオープンな議論の空間(栗原市教育改革検討委員会(仮称))と各地域での話し合いを同時進行で一年くらいかけてしてはどうかと。その方がかえってスムーズに事が運ぶのではと話しました。―
 市教委の考え、思いと私たちのとの一番の違いは、計画の根幹(理念、基準)にあることは明らかです。これに加え、市議会文教民生常任委員会での市教委教育部長の「このまま待っていたら5年~10年が空白の時間となりますよ。それで子どもたちの教育環境はそのままでいいのですか!」と言う発言に見られる「少人数学級は、可愛そうだ」という考え、思い、とパブリックコメントの少人数学級を望み、小規模学校を評価する多くの意見(110件の中、30件が小規模校・少人数学級を評価(反対・慎重は、87件)。3件のみがそれを否定(賛成は、7件))とは、大きな隔たりがあると思いました。昨年12月の市民説明会でも、少しはこの双方が考えをだし、議論はしたとは思いますが、まだまだ不十分です。市民の間にも様々な意見の違いはあると思います。全市でも、各地域でも多くの市民を巻き込んだ積極的な議論が巻き起こる契機となるこうした市民参画のフォーラムとなる場の設置を求めていくべきだと思います。

5 21世紀の地域創造―ここ栗原市の将来像をどう画くのか、
         数十年先までを見据えたグランドデザインを!
 


 この再編計画の上位計画である栗原市総合計画は、平成28年度までの10年計画です。再編計画自体でもこれより少し先、平成31年度までのものに過ぎません。21世紀の地域―ここ栗原市は、どうなっていくのか?どうしていくのか?その将来像をどう画くのか?21世紀を地域創造の世紀にする。21世紀のあと90~100年先とまでいかなくても、数十年先までを見据えたグランドデザインが必要です。確かに住民人口減、年少人口減とはなるわけですが、このままで再編計画どおりに学校統廃合が実施されていくとそれに拍車がかかることは明らかです。
 農業の持続的発展、自然との共生、観光資源の活用、…21世紀において、栗原市を、農業者をはじめ、地域で暮らす人々だけでなく、都市に暮らしている人々や農村地域に移り住む人々にとっても、豊かで住みよい地域にいく必要があります。20世紀は、都市の世紀でした。多くの人々が、自然豊かな緑の大地を離れ、都市に移り住み、そこで子どもたちを育て、さらに地方の地域から子どもたちが進学、就職と都市に移り住むようになっていきました。しかし、21世紀は、地方の地域こそ、その多くの特色を生かし、生命を育む地域として、主役になっていくと思います。地方の地域、農村地域は、老年人口の増加に加え、これからの団塊の世代のリタイアの受け皿、人生後期の四半世紀の受け皿としての役割が期待されています。しかし、同時に地域は、人生初期の保育・義務教育の受け皿としても機能していく必要があります。豊かな自然があり、生命を育む地域の中ででこそ、子どもたちを、世代間交流をしながら育てていきたいものです。
 小・中学校は、もっとも普遍的で歴史のある地域共有の公共資源です。その学校を地域のあらゆる世代の人々が支え、応援する。人生の基礎である義務教育は、地域の中で地域の人々の支えと見守りの中におかれるべきです。「地域、学校、子どもたち」の三つは、不可分の関係にあると思います。再編計画には、「子どもの教育環境をよくする」、「学力」の向上など、それぞれのパーツは一見、甘口に見えて保護者には反対しにくい側面があります。しかし、その根本、理念は、個々の子どもや保護者をバラバラに分断していく、地域から引き離していくことにつながっていきます。子育て、教育は、共同で行う社会的営みです。地域とは、子どもの成長、発達にとって欠かせないファクターであり、地域にとっても、次世代の子どもを育てていく機能を失うことは致命的なこと、地域にとって子どもたちと学校は、地域の存続、再生、発展にとって不可分なものであると思います。
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