触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「社会を変えるには」を読んで

<BOOKS> 48               2012.9.4 

「社会を変えるには」を読んで

出版社 講談社 (2012.8.20)

<著者> 小熊/英二 

 1962年、東京生まれ。1987年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授

<内容紹介>

 <私はしばしば、「デモをやって何か変わるんですか?」と聞かれました。「デモより投票をしたほうがいいんじゃないですか」「政党を組織しないと力にならないんじゃないですか」「ただの自己満足じゃないですか」と言われたりしたこともあります。しかし、そもそも社会を変えるというのはどういうことでしょうか。〉(「はじめに」より)

 いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。

<目次>

 第1章 日本社会はいまどこにいるのか
 第2章 社会運動の変遷
 第3章 戦後日本の社会運動
 第4章 民主主義とは
 第5章 近代自由民主主義とその限界
 第6章 異なるあり方への思索
 第7章 社会を変えるには

<内容から(第7章より)―私が注目したところ

現代において「社会を変える」とは

 「社会を変えること」とは所属している「われわれ」によって違う。しかし、現代の誰しもが共有している問題意識がある。それは、「誰もが『自由』になってきた」「誰も自分の言うことを聞いてくれなくなってきた」「自分はないがしろにされている」という感覚。これは首相であろうと、高級官僚であろうと、非正規雇用労働者であろうと、おそらく共有されている。それを変えれば、誰にとっても「社会を変える」ことになる。

現代日本で「社会を変える」とは

 公務員を削れ、生活保護受給者を甘やかすな、競争原理を導入しろ、といった「新自由主義」は「社会を変えること」になるのか?それは、自由主義経済学の思想家とよばれる、スミスやハイエクの思想とはあまり似ていない。むしろ、「自分はないがしろにされている」「他人のほうが恵まれている」「俺に分け前をよこせ」という叫びであるよう。日本政府の強さは中央政府の指導力の強さで、国民1人当たりの公務員数は少ない方。こうしたことを唱えても望んだことは実現せず、自分の首をしめるような結果になることも。

 恵まれない人、不満を持った人は、「失業者」「非正規」「母子家庭」といったカテゴリーごとにカバーしよう、という発想は限界です。それに現代日本で言いう「格差」意識の性格を考えれば、いくらカテゴリーを増やしても、カテゴリーがあるかぎり「格差」はなくならない。増やせば増やすほど、「格差」意識が強まるかも。となると、答えは一つしかないようだ。みんなが共通して抱いている「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくこと。

 その意味では、現代日本における原発は、かっこうのテーマ

 「自分はないがしろにされている」と感じる人びとが増えて、グローバル化や情報技術の発達に直面している状況は、日本もアメリカもヨーロッパも、エジプトなどでも共通。そこで台頭する社会運動が批判する対象は、アメリカの場合には金融エリートが批判の対象になりますが、エジプトの場合はムバラク体制が対象になりました。日本の場合は、原発事故を通してみえてきたもの、つまり日本型工業化社会を支配してきた独占企業・行政・政治の複合体が対象に。

 2011年からの脱原発のデモで、多くの人が望んでいたことは、①自分たちの安全を守る気もない政府が、自分たちをないがしろにし、既得権を得ている内輪だけで、すべてを決めるのは許せない。②自分で考え、自分で声をあげられ社会を作りたい。自分の声がきちんと受けとめられ、それによって変わっていく。そんな社会を作りたい。③無力感と退屈を、ものを買い、電気を使ってまぎらわせていくような、そんな沈滞した生活はもうごめんだ。その電気が、一部の人間を肥え太らせ、多くの人の人生を狂わせていくような、そんなやり方で作られている社会は、もういやだ。

 これらは、人間がいつの時代も抱いている、普遍的な思い。この普遍的な思いとつながったときにおこる運動は、大きな力を持つ。それが2011年の日本では、脱原発という形をとった。そこから各種の行動や議論がおこり、政府の側も対話を重視せざるをえなくなり、人びとのいろいろな行動や議論や参加の機運が高まってくれば、それは単に原発をやめることにとどまらない「社会を変える」ことになる。

 この問題を入口にして、他のテーマ(非正規雇用や格差の問題、沖縄の基地問題、女性、若者、地方等の問題)にまで広げていくのが、当面はよいのでは。脱原発(放射能の問題も)で、東京から、大阪から、仙台から、声をあげられるところからあげていったほうが、福島でも沖縄でも青森でも、声があげやすくなります。そうして社会全体が声をあげられるようになってきたときに、他のテーマも掲げることを。

こうすると失敗する 

 「こうすると失敗する」というのは、かなりはっきり傾向がある。

 過去の成功例を、時代や社会条件の違うところに持ちこんだときには、たいてい失敗する。

 運動を「組織」と考えないこと。また「統一」という発想も、組織を個体とみなした発想。人間も「個体」とみなすべきではありません。一生を通じて意見が違うとも限りません。こちらが働きかければ、変わるかもしれません。

個体論でない運動

 運動は組織とは考えない。動いている状態。ある目標のために、企画をたて、それのあつまって動いている状態です。

 運動は、政治目的を達成するための手段でもあり、つながりを作って自分や他人を活性化する状態を生み、それによって関係や地域社会を変えていくもの。人との縁やつながりは大事に。また、地元ともつながりも大切。

 運動を進める上では、具体的に集まれる場があることも重要。

 運動のやり方に、決まったかたちはありません。「これが社会を変える」という対象にあわせればいいこと。投票、ロビイング、デモ、NPO、ネット、新聞でも、やり方は多様。

 政治家や官僚の人とも、話をするのはいいこと。政治家には政治家の事情や限界があり、お互いに相手を理解し、対話の能力をつけて、ともに作っていく姿勢は大切。

 分担は、その人に固有の属性ではなく、役割です。役割を振ることもいい。ノウハウが行き渡ったら役割は終わりです。疲れたら休んで交替し、戻ってきたら歓迎される、というのがいい。リーダー、まとめ役、知恵者、勤労者、芸人、詩人、すね者、余計者…。自然と役割ができてきたりする、人間は役割がそろった社会しか作れないかも。

楽しくあること、楽しそうであること 

 運動のおもしろさは、自分たちで「作っていく」ことにある。楽しいこと、盛りあがることも重要。デモの意味は、まず参加者が楽しい。こういうことを考えてるのが自分だけでない、という感覚がもてる。ひさしぶりに顔見知りに会う,見知らぬ人に声をかけても共通の話題がある。これは一種の社交の場、そこで一人ひとりが力をえて、帰っていくのはいいこと。

 参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる「まつりごと」が、民主主義の原点です。自分たちが、自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとする。

 これはデモにかぎらず、何らかの活動をしている人や集団に、共通していえること。

 「おとなしくしていれば何とかなる」という考えはよしましょう。政府も企業もマスコミも、声が大きいところをまず相手にします。声を出さないと、とりあげられません。

 社会を変えるには、あなたが変わること。あならが変わるには、あなたが動くこと。言い古された言葉のようですが、いまではそのことの意味が、新しく活かしなおされる時代になってきつつあるのです。

<+「おわりに」から>

 従来の発想が行き詰まっているときには、材料やパーツを変えるだけでない、本当の意味での発想の転換が必要です。自国の歴史や他国の思想から、違った発想のしかたを知り、それによって従来の自分たちの発想の狭さを知る。そのあと、従来の発想をどう変えるか、どう維持するかは、あらためて考える。そのために、歴史や他国のこと、社会科学の視点などが、必要になる。

 本書は、その視点の提供、手助けに。「社会を変える」ために役に立つ、現代日本の基礎教養になる本に。共通の土台になるよう、その土台を共有した対話を。

 「デモをやって何が変わるのか」という問いかけに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいます。それはある意味で至言です。「対話して何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。

<少し感想を述べます。>

 小熊氏の書く本は、分厚いものが多い。本新書なのに500ページ超。内容は様々な社会学の研究業績を一般向けに引きなおして「今の世の中、何かおかしいけれども何をすればよいのかわからない」といった思いを持つ者に対して ベースとして持っておくべき基礎教養を提示したもの。それを、東日本大震災以後、原発再稼働反対のデモや直接民主主義的手法がクローズアップされる中、その社会運動の意味と歴史、そしてその方法論が説明されていく。

 私自身も日本の68年の当事者の一人であり、その後も社会運動を続けている者として、「68年」「戦後日本の社会運動」の分析には大いに興味があるところです。しかし、今は何といっても脱原発問題との関連を重視した読み方、ここでの取り上げ方になります。従って、小熊氏が「原発問題を突破口に全員が参加するような運動で社会を変えて行きましょう。」と呼びかけているような内容になっていることは大歓迎です。

 先に取り上げた湯浅 誠氏の「ヒーローを待っていても世界は変わらない」とかなり共通点もあります。社会運動を進める上でのいろいろなヒントも得ることができました。これら2冊の本では、「一人一人がおかしいと思うことに声をあげていく、当たり前のことが実現していく社会にすること。」「そうした社会に変えるには、他人事とするのではなく、自分ごとにして自分が変わり、行動を起こすことが何より大事だ。」ということがわかるような内容になっていました。多くの人たちに読んでもらいたいと思います。
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