触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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3冊の本の紹介と市民運動

<原発・環境・エネルギー問題>           2012.9.7 

3冊の本の紹介と市民運動 

この間、私は、8月26日に、① 堤 美香さんの「政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること」、9月3日に、② 「湯浅 誠 ヒーローを待っていても世界は変わらない」を、9月4日には、③ 小熊英二氏の「社会を変えるには」と、3冊まとめて本の紹介をしてきました。それらはすべてこのカテゴリー<原発・環境・エネルギー問題>に関係することです。紹介することが主目的であったため、急いで作成し、感想は少しだけにしてしまいました。ネット上でのブログで紹介するだけでなく、これらをプリントアウトして、周りの仲間に紹介しています。その時、口頭では少し説明していることですが、それをまだきちんとした文章にはしていないため、改めてこの「3冊の本の紹介と市民運動」というタイトルで示すことにします。

堤 美香さんの「政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年角川新書 \780+税

 ここでが、堤さんは、3・11後の日本の状況が、9・11後に情報が操作され、格差が拡大し、市場化の名の下に国民が虐げられているアメリカの惨状に酷似し始めていること。その背景は、中東の春やTPPなどと、同一線上にあり、このままでは、日本はアメリカの二の舞になると警告。今こそ、自らが考え、行動し、真実を見抜く目を持つことの意義を問いかけています。

 この本のタイトル自体もアメリカだけのことではなくて、今の日本、主に3.11以後の民主党政権の原発問題をはじめとして、TPP、社会保障、沖縄米軍基地、消費税問題などですべてに言えることに思えます。

 本では、具体的には、ニュースに登場する国際機関の裏をチェックする必要を説いています。IAEA、WHO、ICRPなどの国際機関は、チェルノブイリ原発事故について非常に過小評価した報告を出し続け、彼らはみな原発推進の機関であること。

アメリカの<失われた10年>で最も打撃を受けたのは、公教育。日本でも大阪の橋本 徹氏がこれと同じ路線の教育改革を掲げ教育を<商品>に、こどもたちや保護者を<消費者>にし、サービスを提供できない教師、結果が出せない学校はつぶしていく。

 アメリカでは多国籍企業は政治を買い、メディアを手に入れ、<コーポラティズム(政府と企業の癒着)>が社会のあらゆる場所に、市場原理支配を浸透させてきた。金融の大幅な規制緩和で引き起こされたリーマン・ショックをはじめ、教育や医療、環境や雇用、メディアや福祉など、あらゆる分野の“商品化”が進んでいる。

 <原子力村>とイラク戦争、共通しているのは、閉じられた世界の中で巨額の利益が効率よく回り、いのちが軽視される構図で、除染事業や、復興特区構想にそれが見えること。そのシステム維持のための強力なプレイヤーは、政・官・民・学とマスコミ、そして私たち国民の思考停止だとし、私たちの無関心と、利益と効率至上主義の価値観―私たちの生活やこの社会を覆っている、歪んだ価値観そのものを問い直さない限りアメリカの二の舞になると警告。<教育>というセクターもまた、<原子力村>の闇を支える一因になってきたという指摘は、世界2012年9月号で「国会事故調は何を明らかにしたか」で崎山比早子さんが、「福島県の方々は、小さい頃から東京電力のPR施設に連れて行かれて「原発は安全」と教え込まれ、学校でも原子力安全教育を繰り返し受けてきた結果、危険性を考えなかった傾向かあった。」と言っていることと共通するものがあります。

 私は、感想で、「日本と世界の仕組みを変えていく長期のたたかいになりそうです。…私たちは、著者自身の言っていることも含めて多角的に情報を入手し、真実を見抜き、自分たち自身で判断しなければなりません。参加型民主主義のことも含め、今、進めている月例会の継続的な開催で、仲間とともにそれをやっていきたいと思っています。」とまとめました。

  「湯浅 誠 ヒーローを待っていても世界は変わらない」
朝日新聞出版 \1300+税

 社会運動・反貧困運動の活動家でこの3月まで内閣府参与の湯浅誠さんは、有権者が自ら政治を考える余裕を失い既得権益層を敵と名指しして成敗する「ヒーロー」型政治家=橋下徹大阪市長が人気を集めているとしている。このヒーローに政治を委ねる心理は、民主主義の空洞化や格差・貧困の深刻化と連動しているとして、4月から大阪に乗り込んでいる。

 彼の社会運動の進め方や行政に対するスタンスは、私は、大いに共感するものがあり以前から注目してきました。私自身、5年ほど前から栗原地域の教育運動に巻き込まれ、この3.11以後、昨年6月ごろからは地域の仲間とともに、放射能汚染・原発問題に関わって来ています。そうした社会運動・市民運動を進めていく上で参考にしているのです。

 放射能汚染・原発問題では、私たちは、早くから行政(栗原市)に対するスタンスを、①基本的に信頼する。②情報を共有する。③できるところから協働していく。というものとしました。そうした一貫したスタンスに立って働きかけを続け、1年間に5次にわたる要望も提出し、行政に施策の前進を促し、それなりの成果を上げてきています。確かに行政のすることには、いろいろと問題はあります。それに目をつむるのではなく、基本的、原則的なことを要望しつつも、行政が具体的に取り得る施策を提案、あるいは、そのもとになる独自の調査や試行を実施してきました。ある意味では、「必ず行政は変わる。市民本位に変えられる。」と長い目で見ているのです。そうした関係もあって、この2月からは、官製の「環境放射線等対策くりはら市民会議」に2名が入って積極的に発言してきています。まだまだその会議の働きは不十分なものですが、これも一つの参加民主主義だと捉えています。

 いろいろ参考になることをしてきた、湯浅誠さんが、民主主義について語っているのです。「民主主義は、面倒くさくてうんざりするもの、そのうえ疲れる」でも、「主権者は、民主主義から、降りられない」「“溜め”のない社会では、民主主義と根気よくつきあう力が奪われ、焦りを生み出し、ヒーロー=切り込み隊長に期待していく。」「声の小さい者や少数派を無視していくと社会全体が弱体化する。」「地味だけども、調整して、よりよい社会をつくっていくという粘り強さを持つ人たちが必要。そういう人をたくさん増やすこと、自分たち自身がそういう人になることが重要。」そのような「自分たちで考える民主主義へ」と説いています。

 「民主主義とは、物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、に比例する。」「時間と空間の問題は、言い換えれば参加の問題。社会的・政治的参加の空間がなければ、そもそも参加が成り立たないし、「場」=空間があっても時間がなければ、やはり参加はできない。」-このあたりは、今、私たちが重視して取り組んでいる「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」の月例会の位置づけにピッタリの内容です。「情報共有」「学習」「つながり」「交流」の広場=月例会は、出入り自由とし、毎月第2土曜日の午前10時から12時まで、栗原市市民活動支援センターで行っているものです。しかも、ネットワークの発足(7月29日)より前の6月から、プレ6月例会、プレ7月例会を持ってきています。月例会のような学習会を継続して開いて行くことが重要で、それによって、事実の把握をしっかりと行い、積み重ねることができます。月例会に向けての独自の調査、検査、マップ作りなども行い、月例会に向けて問題の整理や提言のとりまとめを行うこともしています。このように粘り強く取り組んでいくことによって、初めて本当に強い市民運動ができていきます。

一人一人とのつながり、一つ一つのグループ、団体とのつながりを大切にし、丁寧に呼びかけ、誘って、確認していく。こうした 「ひとあし、ひとあし、」の歩みが、必ず未来へ向かって、歴史を前に着実に進めることができると確信しています。

 ③ 小熊英二氏の「社会を変えるには」講談社現代新書 ¥1300+税

 原発デモ主催者で野田首相に会っている10人の中に、私のよく顔を知っている方がいました。それが小熊英二氏です。長髪ですらっとした丁度50歳になった慶応大の教授です。あとで調べるとやはり彼が面会をセッティングしたことが分かりました。

 書評の最後に引用したー「デモをやって何が変わるのか」という問いかけに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいます。それはある意味で至言です。「対話して何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。―が端的にこの本の内容を伝えているようです。

 この仕掛け人―小熊英二氏の見立ては、
2011年からの脱原発のデモで、多くの人が望んでいたことは、①自分たちの安全を守る気もない政府が、自分たちをないがしろにし、既得権を得ている内輪だけで、すべてを決めるのは許せない。②自分で考え、自分で声をあげられ社会を作りたい。自分の声がきちんと受けとめられ、それによって変わっていく。そんな社会を作りたい。③無力感と退屈を、ものを買い、電気を使ってまぎらわせていくような、そんな沈滞した生活はもうごめんだ。その電気が、一部の人間を肥え太らせ、多くの人の人生を狂わせていくような、そんなやり方で作られている社会は、もういやだ。―人間がいつの時代も抱いている、この普遍的な思いとつながったときにおこる運動は、大きな力を持ち、それが2011~2012年の日本では、脱原発という形をとった。―というものです。

そしてそれが、東京だけ、脱原発だけにとどまらず全国に、さまざまな関連した課題にも拡がっていくことはその後の推移を見ても明らかです。(ただ、あくまで脱原発を中心に据えながらですが…)

 社会運動の意味と歴史、そしてその方法論が説明は、学者が教養として講義しているようなものですから、私は、ここで言及しません。ただ、彼の考察の中から導き出されてきたのが、組織論は、「運動は組織とは考えない。動いている状態。ある目標のために、企画をたて、それのあつまって動いている状態です。」ということのようです。(個体論でない運動)従来の中央主権型ではなく、ネットワーク型の運動を推奨しています。

これは、私たちも先に述べてように、5年ほど前からの栗原地域の教育運動(「ゆきとどいた教育をすすめる栗原市民の会」をすすめてきていること。そこが昨年夏以降に、栗原母親連絡会とともに放射能汚染・原発問題に取り組み、さらにより広い層の市民との協同へと「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」の7月29日設立へと発展させてきています。

「一人一人がおかしいと思うことに声をあげていく、当たり前のことが実現していく社会にすること。」「そうした社会に変えるには、他人事とするのではなく、自分ごとにして自分が変わり、行動を起こすことが何より大事だ。」ということが言えると思いました。




以上、この紹介した3冊の本は、この半年足らずの間に出版されてものです。全部が直接的に原発問題について言及しているわけでもなく、3冊とも広く問題をとらえています。しかし、現状認識がよく似たところがあり、問題の解決への方策も似ているところがあります。

「自らが考え、行動し、真実を見抜く目を持つこと。私たちの無関心と、私たちの歪んだ利益と効率至上主義の価値観―そのものを問い直す。自分たちで考える民主主義へ。対話ができる社会、対話ができる関係を、参加できる社会、参加できる自分を。当たり前のことが実現していく社会に変えるには、自分が変わり、行動を起こすこと。」まとめてしまえば、こういうことなのでしょう。

これまでいろいろな課題がバラバラに見えていました。でも、この3冊全部を読んでみると何か、一つのものに見えてきました。

①の最後の感想で言ったこととほぼ同じです。-日本と世界の仕組みを変えていく長期のたたかいになります。私たちは、多角的に情報を入手し、真実を見抜き、自分たち自身で判断しなければなりません。参加型民主主義のことも含め、仲間とともにそれをやっていきたいと思っています。
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