触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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フリーダム・ライターズを見て

 フリーダム・ライターズを見て

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  「ミリオンダラー・ベイビー」「ボーイズ・ドントクライ」で2度のアカデミー主演女優賞に輝くヒラリー・スワンクが初プロデュースを手掛ける。監督・脚本はリチャード・ラクラヴェネーズ。彼の手掛けた脚本は、「フィシャーキング」に始まり、「リトル・プリンス」「マディソン郡の橋」「マンハッタン・ラブソティ」そして監督デビューも兼ねた、「モンタナの風に抱かれて」。そして2007年にこの作品。いい作品ばかりですから全部見てますね。
 1992年に起きた ロス暴動 直後、1994年のロスアンゼルス郊外のウィルソン公立高校に新任英語教師エリン(ヒラリー・スクワンク)は、赴任してきた。そこで彼女は人種が激しく対立し、むなしい争いが繰り広げられ、ドラッグとナイフ、銃がはびこる貧困地域に住む、問題が多く、基本的な学習能力さえない203教室の生徒たちを担任することになるところから映画は始まる。実在の教師とその生徒たちのベストセラー「フリーダム・ライターズ」を基にした作品。
 詳しくは、公式サイト「フリーダム・ライターズ」 と「解説」「プロダクションノート」「ストーリー」等は、さらに詳しい 映画「フリーダム・ライターズ」 をご覧ください。あとは、この映画を見た私なりのまとめと感想となりますが、それにしばらくお付き合い願います。

 銃の替わりにペンを持ち、言葉の力を得て未来を掴んだ。

 主人公が授業を様々な苦労を重ねしていく中で、ある日、ラティーノ の生徒が黒人の生徒を馬鹿にした絵を描いた。彼女は「このような絵を博物館で見た。黒人とユダヤ人は下等だねと。」ナチスの ホロコースト がこうした差別から生まれたことを説明するが、生徒たちはホロコーストも 「アンネの日記」 も知らない。生徒のほとんどが銃で狙われた経験があるのにだ。「命の大切さ」、教育の大切さを実感した彼女は、教材として「アンネの日記」を読ませようと先輩の教科長に学校図書館での購入を申し出るが、安いペーパーブックならともかく、それは予算の無駄だと拒絶される。
 次の授業で、203教室に配られたのは、日記帳だった。「今思うこと、未来のこと、過去のこと、何でもいいから毎日書いて。そして読んで欲しい時は棚に入れて。」-そのうち徐々に生徒たちは本音を書くようになって…生々しい彼らの言葉に心揺さぶられた彼女は、本物の本を買ってあげたいとアルバイトを始める。数週間後、貯めたお金で生徒全員を ホココースト博物館 へ父に協力してもらって連れて行った。ホロコーストの生存者にも対面して生徒たちは、生きることへの、そして知への欲求を高めていった。ギャングになる以外の選択肢があることを、生徒たちに示すため、彼らのように過酷な十代を生きた若者、アンネ・フランクや ズラータ・フィリポヴィッチ の日記(本)を与えた。
 こうした中で、203教室の生徒たちは、読書や、文章を書くことで、言葉の力を得ることができた。読書で、知を。書くことで自分と向き合うことを。このようにして彼らは、未来の扉を開く鍵を自ら手にすることができるようになった。いつしかそれまで護身用?として隠し持っていた銃を捨て、ペンに変えた。彼らの日記と成長の記録をまとめ、「フリーダム・ライターズ」として出版。それがベストセラーとなる。

 たった一人の教師でもできる教育の力で、彼らは変わった。

 黒人、ラティーノ(ヒスパニック)、アジア系、白人と 人種のサラダボールの中での対立・抗争、お互いの憎悪と恐怖、銃による暴力がはびこる地域に住む生徒たちのこの203教室も初めの頃はその縮図のままで、人種グループで席が分かれ、互いに口もきこうとしない。生徒たちも生きるか死ぬかのレベルの生活をしていた。教科長の教師だけでなく他の先輩の教師たちもこれらの生徒を教育不可能と見放し、「彼らは、卒業できないよ。そのうち居なくなるさ。」とまで言う。 だが彼女には、教育とは、多様な価値観を認め、育てること、という確固たる信念があった。それを持って彼女は教育に情熱的に取り組んでいった。
 生徒の状態に合わせた柔軟な対応やアイデアは、日記だけでなく型にはままならない授業形態に表われている。初めの頃の取り組みにライン・ゲームというのがあった。彼女の質問に、自分が当てはまると判断した生徒は、教室の真ん中に引かれたラインまで進み出るというシンプルなゲームだ。最初は他愛のない質問から始まったが、次第にシリアスな質問に移り、「友達が殺された人は?」という質問に大多数の生徒がラインに進み出る。それまで反目し合っていた彼らが、向き合った時、自分たちは実は同じ痛みを、苦しみを経験してきた者同士だったと初めて気付く。また、アンネ・フランクをかくまった老婦人に感想文を送る取り組みでは、生徒から出た「彼女を招待して話を聞きたい」というアイデアを生徒たちや周りも巻き込み、本当に実現させてしまった。彼女のその行動力と情熱は、私は見ていても清々しい気持ちになっていった。
 教師という仕事は、学校ぐるみ、教師集団でできればそれに越したことはないが、たった一人でもできることはあるものだと感心させられた。たとえ生徒たちの自分たちを取り巻く世界の実情が変わらなくとも、彼らは、変わることができた。教育の力で。彼女との出会いの中で。実際、彼らはその後、全員ウィルソン公立高校を卒業し、なおかつ全員大学以上に進み(身内では初めての者ばかりだったとか)今は、各方面で活躍中とのことです。

 教師には、支える家族が必要だった。さて、わが家の場合は?

 「たった一人でも…」と言ったが、実際にはこうしたことを彼女一人だけできた訳ではない。映画の中でも、彼女は教育委員会?にストレートに自分の信念、情熱を訴えている。そして、結局時間をかけても動かしている。それに家族の存在がある。夫の方は、彼女を支えるというより彼女自身も、その仕事も理解することができなかった。もっとも自分の方も彼女に理解してもらえなかったと思っているだろうが。彼女もそうなることを支えようとしていた建築家になる夢をどこかの時点でなくし、(そのあたりから夫婦に溝ができた)現状の仕事に安住。問題のある生徒に関わったりして遅くなり、帰宅して急いで夫の食事を作る。自宅で教室の壁に貼る模造紙に文字を一生懸命書く。そんないくつかのシーンを見ていて「わが家とは全く違うわ」と思ってしまった。(文字書きは私に下請けが必ずくる。)わが家の場合、自分で言うのはどうかとも思うが、正直言って、この映画に出てくる父の方にむしろ私は似ていると思う。父親は、彼女にとって尊敬する人、(わが家は、この点は?)よき相談相手、(同じ)そして、渋々でも何でも彼女の教師という仕事のことを支えようとしていること。(同じ)そんな大切な存在です。(多分同じ…?と思いたい。)
 わが家では、私に加えさらにもう親元は離れたが二人の子どもたちがいる。息子がまだ小学校低学年だった頃、わが家には伝説のエピソードがある。息子が言うには、「お母さんは僕にとっては、最低でいいんだよ。」と。「最低の母親かよ!」と一瞬思ったけどそうではなく、全くの言葉足らず。彼はこう言いたかったのです。「お母さんは、教師の仕事が忙しいので、僕には最低限のことをしてくれればいい。」と。何たる親孝行な子だろうか!姉のほうも母をよく理解し、(いつも母の味方!)尊敬し、二人とも母親が余計な手をかけないで育っていった。(その分、父親の出番が少し多かった。)二人の子どもたちを育てる中で、私たち夫婦も親として成長していった。わが家の場合、二人の子どもたちにも妻は支えられていると思う。(私もだが。)
 そして、最後に、もう一つ。この映画の中で父親は、最初の頃、弁護士にでもなると思っていた娘に教師になったばかりに背負った苦労話を聞かされて、もっと楽な仕事に就くよう転職を勧めていた。それが、いつしかいつも目標に向かって進む娘の仕事を手伝う羽目になってゆき、そして、最後には、娘に向かってこう言う。「私は、お前のことを誇りに思う。そして、そう思える父親は、世間にそう沢山いるもんじゃないんだよ。」と。とてもいいシーンでした。父親の満足そうな顔が良かった。見ていていつしか私は、この父親を自分自身とダブらせていました。

  映画のもう一つのテーマは「寛容」。その課題は、今も続いて…

 203教室の生徒たちは、 公民権運動 のために戦った勇敢なフリーダム・ライダーズ(Freedom Riders/1961年、人種差別撤廃を求めて、黒人と白人の学生たちがワシントンDCから南部へ、長距離バスで暴徒に襲われつつも移動した)のことを学んだ。これが、フリーダム・ライターズの名前の由来となった。実在の彼女、エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズの活動は、今現在も続いている。その活動のテーマ、キーワードは「寛容」であり、「不寛容との対決」です。 寛容 とは、自分と異なる意見を持つ人々に対して一定の理解を示し、たとえ相手が誤っているとしても、暴力や威嚇によってではなく議論によって説得を行おうとする態度である。また「寛容」は、キリスト教の重要な徳目です。自分と異なる人種、考え、宗教、文化、国籍を持つ人々を寛大な精神で容認し、受け入れること、お互いの違いを認め合うことです。「寛容ー不寛容」については、1981年の国連総会で採択された 「宗教または信念に基づくあらゆる形態の不寛容および差別の撤廃に関する宣言」 というのがあります。
 アメリカにおいて、この問題は、公民権運動よりさらに 南北戦争 にまで遡ることが必要かもしれません。そして、現在も、この課題は続いています。湾岸戦争、9.11、そして、誤った情報にもとづき始められたイラク戦争へと続いています。 キリスト教右派が主導権を握っている現在の不寛容なアメリカから、寛容的である本来のアメリカに早く戻ってもらいたいものです。
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