触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

地域社会と学校統廃合

<BOOKS> ⑧
「地域社会と学校統廃合」を読んで

 「地域社会と学校統廃合」 福島大学叢書学術研究書シリーズ6 1994年5月30日第一版発行
   著者 /境野 健児、 清水 修二

 この本の構成

 まえがき
 序論  本書の課題および構成
 第一章 福島県信夫郡「清沢分村運動史
 第二章 福島県安達郡新殿村「自由学校」史
 第三章 長野県下伊那郡伊賀良村「私設学校」史
 あとがき

 この本の中から

「まえがき」より

 「学校問題」への社会的関心は一般的にきわめて高い。…今日の学校教育は、義務教育を含めて大きな曲がり角に来ている…教育改革の理念が必ずしも一般住民に浸透しないまま…学校現場が相当に混乱を来している…混乱の原因…問題にされるべき一つの側面は、「地域社会と学校」のかかわり方である。学校問題への一般的関心の高さにもかかわらず、…わが国の義務教育の現状は、その「公共性」を自明のものとして済ませるにはあまりにも問題がある…
 本書は、こうした問題認識の上で、公教育の「公共性の質」を問う、ことを課題として、そのために戦前、戦中の「地域社会と学校」問題を学校統廃合という一種の極限状況において浮き彫りにしていっている。当時の学校教育の持っていた「公共性の質」を、その物質的・歴史的背景をさぐることによって明らかにしていっている。戦後教育の見直しが唱えられているその時点で(1994年だが、現時点にも当てはまる)「戦後」の出発の前提となるこの時期の学校問題を再確認することには大きな意味があるといえます。

 「序論」より 

 明治政府は早々に学制を公布し(明治5年)、小学校区、中学校区、大学区の三層構造の整然たる学校制度の建設に着手した。明治6年12597校から出発した小学校は明治16年30156校のピークに。この時期地租改正による土地所有権の確定、部落共有地の解体および区町村への編入というかたちで明治地方制度の人工的植え付け次第に準備されていく時期に。学校教育はこうして形成されてくる区町村の最大の事務として地域に多重くのしかかり、明治21年市制町村制施行とあいまって行われるあの町村合併と前後して、小学校も大幅な整理・縮小の段階を迎える。町村合併が新たに生み出した行政村と自然村との矛盾が、学校という「半共同的」行政事務を舞台にもっとも深刻に展開していった。
 この事態は、戦後の段階でも基本的に継承。経済の高度成長に上部構造を適合させようとする一連の行財政合理化の一環として行われた町村合併は、行政区画内の地域格差を拡大し、市町村財政合理化の観点からの学校統廃合を促進した。過疎地域振興の名においてすすめられたこの学校統廃合は農村地域社会の分解と再編の梃子となった。小学校の廃校は多くの地域において、その土地の長い歴史と文化の終焉を告げる鐘の音となった。こうした過程は現在もなお持続しており、したがって今なお学校統廃合をめぐる行政と住民との紛争はあとを絶たない。
 ーこのように序論で述べ、三例を検討対象にして第一章から第三章まで展開していく。

 第一~三章 より

 学校統廃合はわが国においては主に教育財政の合理化=経費削減策として提起されてきた歴史を持っている。…学校統廃合は学校数を減少することによって学校の建設・管理費を縮減し、また学級数の減少を通じて教員数を削減せしめる効果を有する。教育費が地方経費の中に占める割合がきければ大きいほど、学校統廃合の財政的効果は大きいのである。
 慢性的貧困が支配する東北山村において、任意の寄付の存在する余地はもともときわめて乏しい。租税および租税に準ずる強制的・半強制的な金銭もしくは労働の拠出によって学校経営は支持され、また通学条件を保障するさまざまな土木事業の負担も旧村の双肩にかかっていた。旧村住民の意識に即して考えれば、義務教育年限の延長や役場機構の整備は合併によって生じた新たな行政事務=住民負担の増大と認識されたであろうし、さればこそそうした負担の蓄積の結果として存在する学校財産の統合は、はなはだ理不尽な行為と映ったに相違ないのである。…そして、1940(昭和15)年の財政改革は、教員俸給を府県財政に組み入れると同時に大掛か理な財政調整制度を導入することを通じて、歴史上初めて教育財政の桎梏から町村を解放したのである。しかしながらそれは、極度の中央集権を特徴とする戦時国家独占資本主義体制の一環として生じ得た事態…
 第二章で取り上げられた福島県安達郡新殿村の場合、1900(明治33)年から1945(昭和20)年までの行政費に占める教育割合の推移を見ると、明治期が約20~50%、大正期と昭和17年までが約40~60%、昭和18~20年がほぼ15%でした。

「あとがき」より

 国民教育機関としての小学校は、国家の法制を根拠に設立され、国家によって維持され定着したと一般的に考えられているが、実は、地域住民の物的・精神的支えなくしてそれが不可能であったことは歴史的に明らかな事実。…ひとたび学校が眼前から消え失せるという事態に直面するやいなや、従来無自覚であった共同財産意識が忽然と頭をもたげてくる。それは、学校の建設・維持が学区の地域住民の資金や労力によってなされてきたことの証であるともいえる。学校統廃合は、画一的町村合併がそうであるのと同様に、一定のまとまりのある地域住民生活の破壊、地域的労働の蓄積である共同財産の収奪を意味していた。これが、戦前の学校統廃合紛争頻発の主要な要因である。
 学校統廃合紛争については、戦後の高度経済成長政策の展開の下で農山村に広がったそれがよく知られている。他方で、戦前とりわけ地方改良運動以降、「一町村一校主義」政策に基づいて全国的に実施された学校統廃合が各地に紛争を惹起したことは意外に知られていない。戦前はもちろん戦後の学校紛争にも共通していることは、地域住民の学校防衛意識の根底に、長期にわたって維持されてきた共同財産意識、あるいは学校に対する住民の歴史意識の覚醒を見ることができるという点である。
 -「あとがき」の初めにこう述べた後、戦後の学校統廃合紛争との関わりについては、
 学校統廃合の意図は歴史的に変化していようが、戦後の事態については、地域にとって必要な人材を育成する機能を優先しようとするとき、学校統廃合紛争の発生は、必然であるといえる面がある。…学校と地域のつながりが強いほど、学校教育への国家的・社会的要請(たとえば労働力確保)とのかかわりでも紛争の激化する可能性が高いということである。
 -として、その後に戦後の学校統廃合政策の展開と住民運動の特徴について三段階にわたって述べています。
 第一段階。
 「町村合併促進法」(1953年)および「新市町村建設促進法」(1956年)により、とくに新制中学校の統廃合が取沙汰された時期である。町村合併による市町村再編成の重要な柱として学校統廃合が位置づけられた。文部省は統廃合を積極的に奨励。しかし、町村合併に際して学校の位置の決定が大きな争点になり、合併の進捗を困難にする一条件となった。
 第二段階。
 1960年代後半以降の過疎化にともなう学校統廃合の時期。統合・新築の場合に国庫補助金の補助率を引き上げるといった財政誘導も行われた。農山村における学校統廃合反対運動では陳情・請願、自主学校、行政訴訟といった多様な方法がとられるが、そのさいに論拠とされたのは遠距離通学や学級規模拡大などの教育条件悪化問題。…地域切捨てに対抗して子どもと地域の生活・教育の基盤を維持するという視点が強調された…
 学校統廃合紛争が広がり、また激化するに及んで、文部省は無理な統廃合を行わないという主旨のUターン通達「公立小・中学校の統合について」(1973.9)を出し、政策の修正をする。その後「過疎地域振興特別措置法に、過疎地の小規模校教育に適切に配慮する旨を明記し、小規模校の教育的意義を認めることになった…
 第三段階。
1980年代後半以降で、都市におけるドーナツ現象による中心地戸数の減少および行政改革を背景にした、都市中心部での学校統廃合を特徴。
 -最後に、戦後の学校統廃合紛争が、そのよるべき論拠を子どもの学習権とその制度保障としての教育条件整備に求めてきたとした上で付加えて次のように述べています。
 しかし、戦後の学校統廃合紛争について論及する 場合に、学校の設立・維持にかかわる学区の歴史的な営みがそこに反映しているという点はほとんどみのがされてきたし、ました学校存続・維持の物質的基礎にまで議論が及ぶことはまずなかった。…保護者ばかりでなく地域住民が…とくに高齢層が積極的に参加している…学習権保障という側面もさることながら、歴史的に形成された「学校共同財産意識」が学校紛争において依然として現実的力を発揮している…そうした歴史的蓄積が世代を超えて生き続けている…それはもはや戦前・戦中期のような絶大な力を発揮することはないにしても、学校教育の公共性の内実を構成する一要素として今日においても無視できないものではなかろうかと思われるのである。
 しかしながら、教育の公共性という事柄は、学校維持の主体云々というだけでなく、子どもの発達保障の質にかかわる問題でもある。戦前は、いうまでもなく教育勅語による教育統制があり、戦後は学習指導要領の展開に教育内容の統制の歴史を見ることができる。子どもの発達保障という面での「地域社会と学校」の関係のあり方を問うことが、戦後段階での学校統廃合紛争をみるうえでの新たな課題になる。
 ーこのように本書は、最後に結んでいます。

 この本から何を掴むのか

 今書いているこの記事は、カテゴリーは、 「BOOKS] ですが内容的には、 「学校統廃合」です。アマゾンでたまたま学校統廃合に関する本を探していてヒットしたものです。価格も高いのでいつものように早速、うちの図書館にリクエストしました。宮城県内の図書館蔵書検索に引っかからなかったのですが何とかしてくれるだろうと思ったのですが、何とかしてくれました。結構早く秋田県からやって来ました。
 著者の境野氏は教育行政が専攻、清水氏は地方財政が専攻で、本書はその補完的共同の労作といえます。ただ、私自身の問題意識が現在の学校統廃合問題であり、戦前・戦中の記述は読むのも結構大変でした。
 本書を通じて、義務教育の学校を建設・維持することは地域住民にとっていかに大変なことであったか少し分かりました。それ故、学校統廃合の問題が降りかかると必死になって抵抗してきた。それは共同財産の収奪を意味していた。この共同財産意識、それに住民の歴史意識というものは現在では忘れがち、軽視されがちですが、もっとよく考えなくてはならないことだと思いました。 「学校はもともと地域のもの」「地域の学校をどうするかは、市民(住民)が決めること」 私は本書を読む以前よりこのようには(なんとなく)考え、主張してきました。「小・中学校は、もっとも普遍的で歴史のある地域共有の「公共資源」です。」ともしていましたが、この「公共資源」を「共同財産」に変えることにします。私自身は、都会生まれの都会育ちです。ですからこの栗原における学校の成り立ちは分かりませんでした。妻が富野小・中学校の最後のほうだったとは聞きました。そして、2~3日前、義父よりやはりこの富野小・中学校は地域住民が建設・維持してきたものだと聞かされました。ここの地域の学校に殆んどこだわりも、愛着もない私がこの運動をしている矛盾を感じるとともに、ある意味での限界も感じます。
 本書は、そうした私には、この問題の歴史的な視点で見ることの大切さを教えてくれています。これまでの、戦前・戦中そして戦後とすべての時期において、学校統廃合問題は、常に主に教育財政の合理化=経費削減策として打ち出されてきていること。現在、栗原市教育委員会が「子どもの教育環境をよくする」「学力の向上」といっても、何のことはない、合併以前からくすぶっていた、小さな学校が多すぎて経費がかかりすぎる、学校の維持管理費と教職員の人件費を減らしたい、根源は、本質的に歴史的に変わることなく同一であるということです。
 本書の最後の最後で言っていること。「子どもの発達保障という面での「地域社会と学校」のあり方を問うこと」ーこの点がまだまだこの運動の中でも深まっていっていないと感じられます。ここをしっかり課題として具体的に提起できていかないと、対行政はともかく、地域住民、とりわけ現PTA保護者をしっかり地域に繋ぎ止めることはできないと思います。
 
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。