触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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11月例会で高野さんの女川報告を聞いて、12月1日に、女川原発を見に行きました。

<原発・環境・エネルギー問題>           2013.12.5

11月例会で高野さんの女川報告を聞いて、
12月1日に、女川原発を見に行きました。
   

「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」
          放射能測定チーム・佐藤 茂雄
    連絡先/ TEL/FAX0228-22-7412 Emale fa43725@yb3.so-net.ne.jp

11月9日(土)の「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」11月例会では、女川町議の高野 博さんを講師に招き「女川原発再稼働の問題点」を学習しました。その内容は、次の通りです。

3・11 その時、女川原発は大事故に「紙一重」でした。(講演)

 2011年3月11日、その日、女川を襲った津波は18m以上で、町の3分の2の世帯、2400世帯が流されました。死者行方不明827人一瞬にして全てを失う悲劇でした。女川原発には13メートルの津波が押し寄せ、当時の原発の敷地の高さは、14.8m。地震で地盤沈下が1m起こり、 敷地の高さは、13.8mになり、あとわずか80㎝の差で助かったということでした。まさに「紙一重」の危うさでした。(ちなみに、福島第一原発を襲った津波は約15mでした。)

 その時の女川原発の外部電源は、3・11時点で、 5系統のうち4系統はダメで、1系統だけが使用できました。4・7の余震時点では、4系統のうち3系統がダメで、1系統だけが使用できました。しかし、この生き残った1系統はそれぞれ別別。つまり無傷の外部電源はひとつもなかったのです。

 3・11に1号機で火災発生。地震で女川原発に通じるすべての道路が寸断された中で、広域消防に連絡するも出動できませんでした。

 2号機地下3階建屋に海水が浸水。海水の量は1900㌧、高さ2.5mに及び、原子炉熱交換器2台、ポンプ室が水没。水没免れたA系統の熱交換器で辛うじて冷却するという片肺飛行の状態でした。どこから海水が入ってきたのかというと、津波が原発の敷地に届かなかったのに、配管を通して浸水してきたのです。しかも、原子炉建屋の地下3階に。緊急冷却装置のポンプも水没してしまいました。

 今、女川原発では、津波への対応強化のため3mの防潮堤を設置し終え、2016年3月までに更に防潮堤のかさ上げを海抜29mまでする工事中です。今回の事故はこれでも完全でないことを示しています。

 2011年の事故直後のことー福島第一原発1号機で3月12日午後3時過ぎ、水素爆発が発生しました。放射能雲が遠く120キロ離れた女川原発の敷地を通過し、3月13日午前1時50分異常な数値観測と、東北電力が発表しました。3月11日の数値は0.03マイクロシーベルトで、13日は 21マイクロシーベルトと 約700倍の異常な数値の放射線量を示しました。その時、東北電力と宮城県は何も防護策を指示しませんでした。(福島県三春町では安定ヨウ素剤を子どもたちに与えていました。)

 3・11の巨大地震と4・7の余震で女川原発は設計用の基準地震動を大きく超えてしまいました。(基準地震動580ガルはぎとり波636ガル)当時公表された観測記録でも、3号機の燃料取換床で、垂直方向の最大加速度値が基準地震動に対する最大応答加速度値の146%の1333ガルを観測しています。こうした想定を超える地震の揺れがありました。

 トラブルは各所で起こり、公表されたのはごくわずかで公表後にも、天井クレーンやタービンの羽根、燃料チャンネルボックスに傷など次々とトラブルが発覚しました。(600か所以上の不具合)

 <写真付きで公表されたその一部 >

タービン建屋ブロアドアパネル外(右上)と使用積み燃料プールに異物落下(中の中央)

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「引き波の時、海水が確保されるのか」1988年から1995年の7年間、公開ヒアリングの場で、このことを追及しました。その結果、住民運動の指摘で海底を-10.5mに掘り下げました。浚渫せず、もとの浅い海底だったら原発の敷地に津波が駆け上っていたのは明らかです。現場から見ないと分からないことがあります。住民の目線で見ることが大切です。東北電力も、議会で「敷地に上がったかもしれない」と答弁しました。

 女川原発1号機の敷地の地下には多くの褶曲や断層があり、その上に原子炉建屋やタービン建屋がのっかています。女川原発は、巨大地震・津波が繰り返し発生する震源域の直近です。

 女川原発の再稼働許さず、即時廃炉を求める運動を進めましょう。過酷事故対策の一つ、津波と電源確保の対策として、防潮堤の設置、電源装置、電源車の配置、水素を排除するベントの設置などが行われ始めていますが、どれほどの効果があるのか、規制機関の実証的検証も行われていません。また、過酷事故は何も津波だけでなく、原子炉の水が失われる(冷却材喪失)事故や制御棒が入らず暴走する事故など、過酷事故は起きるものとして真剣に検証すべきでしょう。過酷事故を前提とした防災対策も待ったなしです。

 そして、事故がなくとも原発が稼働すれば核のゴミといわれる高レベルの放射性廃棄物が発生します。いまだこの処理処分の方法はありません。子孫末代までつけを回してよいのでしょうか。改めて私たちに問われています。

 くわしいこと、さらに写真などは、「3・11その時女川原発はどうだったのか、 現地からの報告 」2012.12高野博 講演概要
http://peace.sblog.jp/onagawa/shiryo/311genpatsu/311genpatsu.htm でご覧ください。

11月例会での高野さんへの質疑応答や感想では、

・「2011年3月13日に、21マイクロシーベルトとそれ以前の約700倍の異常な数値の放射線量を示したことについて、ネット上には、女川原発原因説も出ています。」ベントは、どうなっていたのか?あったのか?タービン建屋ブロアドアパネル外れとの関係は?

→「フィルター付格納容器ベント設置は今年になってから(平成27年度の完成を目指し)。原子炉建屋は窓のない建物で、中の空気を煙突から出している。タービン建屋ブロアドアパネル外れの方は、作為的な感じがしています。」

・「事故直後のヨウ素131の流れ(予想)をNHKが放送していたが、福島だけでなく、北茨城が問題と指摘していた。しかし、その映像をよく見るとウチ(女川を経由して、宮城県北と岩手県南)にも到達していた。21マイクロシーベルトも出ていたのなら(栗原では、その時は測っていない)女川だけでなく、これらの地域での子どもたちの甲状腺検査が是非とも必要では?」

→「その通りです。3.11直前まで、石巻(日赤)で、放射線関係の防護態勢の検討に入る、と聞いていたが,今となっては…」

・「原発周辺の子どもなどの疾患の特異性についても、統計的に調べようという動きも3.11以前にあったといいますが、…」

報告を聞いて、直接、女川原発を見に行くことに

 映像や資料を使ってこれだけ丁寧に、女川原発のことを現地からの報告という形で聞いたのは初めてでした。自分なりにいろいろ資料を集めて少しは分かっているつもりでしたが、改めて直接、現地の方より話を聞くことの大切さを感じました。そこで、さらにこれを一歩進めて、「直接現地を見に行こう」ということになりました。丁度12月1日(日)に「女川原発再稼働反対!風船プロジェクト2」が、女川港で行われることになっていました。第1回目の風船プロジェクトは、8月18日(日)に行われ、栗原からも3人参加しました。私も行ったのですが、風船を飛ばしてきただけで、女川原発を見てきませんでした。そこで、風船プロジェクト2とセットで今回は、終了後に女川原発の見学をすることにし、高野さんに案内を頼んだのですが、全国的な会合に出席するためダメで、同僚の安倍律子女川町議さんにお願いすることにしました。

風船プロジェクト2 (詳しくは、本田事務局長の報告を)
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 12月1日(日)旧マリンパル女川跡地そばで行われた「風船プロジェクト2」には、栗原から5人参加しました。約1000個の風船を膨らませ、下にメッセージカードを付けて飛ばしました。次回は、来年6月ということでした。各参加団体からの報告ということで、栗原からは、私(佐藤)が指定廃棄物最終処分場問題について、11月28日に出した、「市民・県民へのアピール」を報告しました。

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今回参加した栗原ネットワークの5人。(PR館入口) 

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PR館の入場について    

 代表者が住所、人数を記入して受付完了します。記念のボールペンをもらいました。以前はパンフレットも配っていたということですが、今は(昨年行った人ももらえなかった)配布されていません。

館内見学 

 事前に申し込めば、説明員が付くということでした。しかし、高野さんより「3.11でも大丈夫だった。」や「放射能の安心・安全宣伝」に終始すると聞いていましたから時間もあまりなく、カットすることにしました。

 まず1階の映写ホールで、PR映像 を見ました。 

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それでも、このPR映像は、一見の価値アリでした。確かに如何に安全対策を採ってきたかを強調していますが、11月例会での高野さんの講演と比較すると、問題点が鮮明になってきます。危機一髪だったこと、様々なトラブル、600カ所以上の不具合などほとんど触れません。

「安全・安心」を強調する展示物(1階)です。後で分かったのですが、この1階部分は、撮影可能だそうです。???

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 同じく1階。下のこのモニタリングの結果は、原発の直近では、0.1マイクロシーベルト/時 前後で、離れると0.07マイクロシーベルト/時ほど。やはりこれは福島原発事故以来だけでないことは明らかです。日常的に(今の冷温停止状態で僅かであっても)公害のように垂れ流しています。

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 案内役は、阿部律子女川町議さんにお願いしました。(写真右) 原発の模型 配管の曲がりやすいところが痛みやすい。原子炉のカブの大きなパイプには作業落下物もある。配管にも中から損傷に影響するものが流れている、とのことでした。

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 これも展示物(2階)です。この模型のところに来て、初めて「撮影禁止」と表示されていることに気付きました。この模型にしても、私には、この程度もものは、既にネット上で入手できていますし、立体になっているのでより分かりやすい、といった程度のものにすぎません。これは、「企業秘密」?なのか、それとも「特定秘密」?なのか、福島原発の方は事実上、国有化になっています。(すべての原発部門の国有化案もある)特定秘密保護法では、今は「福島原発は私企業でそれに該当しない」との答弁でしたが、これがこの先どう変わるか疑わしいものです。同様に東北電力の女川原発に関してもこんなことまで「特定秘密」?なんてことにもされかねません。

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 同じ2階にある、ここも撮影禁止なのでしょうか?

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 そもそもPR館で撮影禁止とは、矛盾しています。(パンフレットも配布しないのですから、)この目標とか方針は、いいことを言っているのですから、是非ともプリントするなり、写真OKの筈でしょう。模型の横にあったドラム缶や容器も記憶しておく必要のあるものですよね。

 これは、真逆のことをしていると言わざるを得ません。原子力の平和利用3原則、民主・自主・公開にも反しています。原発敷地内も、勿論、事故箇所などの視察はされていると思いますが、どうも不十分であるとしか思えません。福島第1は、なかなか困難なことは分かります。それでも、裁判での被害者(告訴団)を入れての裁判所の現場検証が行われるべきです。裁判でなくとも、関係自治体などの(協定を結ぶなどして)立ち入り調査権を認めさせ、対策などを検証する必要があります。

 また、工場見学という手もあります。工場へ行って、その中を見学したらお弁当を食べる。(社員と一緒に同じものでもいいし、持参でも)放射線管理区域ではダメで、その外ではOKなのですから、それをやってみる。(測定しながらですが)そんなのはどうですか?

 企業は都合の悪い場所は見せたがりませんが、それでも地域社会に理解を求めたいならば、できるだけオープンにすべきです。PR館は、原発敷地の外にあるなどとは、私は思ってもみませんでした。通常、こうしたものは、工場敷地内にあるものと思っていました。そして、それはPRの最前線。公開のアピールの最前線の筈です。

 これでPR館?? 自分の都合の良いとこだけ見せ、説明する? 見せといて、写真はNG? なんて、全く信じられません。信用できません。これは、企業秘密館?でもあるまいし、ブラックユーモアとしか思えません。 

 PR館に来ても女川原発そのものが見られません。着岸壁(小屋取)に行きました。


 原発敷地内に入るのは、厳重な警備でどうも容易でない雰囲気でした。すこし離れたPR館は、そこから先でしたが、途中で一カ所だけ僅かに女川原発を見られる場所がありました。(写真上)
 仕方なく、近くに船の着岸壁(小屋取)があるので安倍さんに案内していただきました。(写真下)

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 そこからようやく女川原発の全景が見られました。PR館2階の全景模型でも確認できますが、小野俊一さんも言っているように敷地が狭く、山が迫っています。なぜこんなへんぴな牡鹿半島に原発を?と思ってしまいます。米軍がここから上陸したとも聞きました。確かに仙台平野(ここも津波が)では、100万都市仙台に近すぎますが、だからと言って、3.11でも道路がいたるところで寸断され、(今も工事中)アクセスの最悪な場所に?ヘリーポートもない、何かがあっても船でしか駆けつけられない。逆にここから避難するのも容易ではありません。すこし離れた女川の町でも、未だに避難計画ができていないと聞きます。避難訓練もできないのでしょう。福島第1のように汚染水問題が起きても、すぐ山が迫り、潰せるような森もなく、タンクをつくる場所は全くないのです。

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 こうしたことは、写真や図面で、おおよその見当はついていましたが、実際に見てみるとはっきりと分かりました。ここで苛酷事故が起きれば、ほとんど対処の方法はなく、最悪の事態となるということが。
冷温停止状態でも3つの原子炉の近くには、核燃料プールがあり、その他の高レベル核燃料廃棄物は、六ヶ所村には行かず、ここに溜まり続けている筈です。

 ここを再稼働させるということは、休火山が活火山になるようなものです。火山爆発・噴火のような可能性が高まります。(もっとも原発爆発の被害は、火山爆発の比ではないのですが…)だから決して、ここで火を点してはならないのです。
火元を完全に処理する=廃炉しか安全への方策はありません。

 6月例会でDVD学習した「小野俊一」さんは、そこでは紹介しきれなかった「原発立地の問題点」で女川原発について分析しています。

― 敷地が大変狭く山が迫っている。そのために配置がおかしい。第1原子炉とそのタービン建屋、その前に第2原子炉とそのタービン建屋、第2の横に、第3原子炉とそのタービン建屋となっている。海からの取水配管が、長くなってしまっている。(理想的には、全てを横一列にし、取水配管を短くしなければならない。)福島第1ですら地震による50㎝の地盤沈下で中の配管などの損傷が決定的とみられている中で、ここは、地盤沈下が1.2m、しかも東に5.3mも移動している。直径2m以上の配管(6本か?)問題は、無かったとしているが、無事なはずがない。 ― 
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