触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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市民、みんなが主権者、主人公です。 

<雑感>        2014.9.3

市民、みんなが主権者、主人公です。    佐藤 茂雄

 栗原市では、未だにオール栗原の態勢が出来ないでいます。 

 1月20日に県内3カ所の一つに栗原市・深山嶽の名が発表された直後から、私たちは、この理不尽な最終処分場選定提示を、国に「白紙撤回」させるため、市民総ぐるみの運動を展開していくことを呼びかけてきています。オール栗原の態勢を作り、オール栗原の署名を呼びかけてきました。それも幾度となく、各方面に働きかけてきましたが、私たちの力不足もあるのでしょうが、未だにそれが実現できていません。しかし、ただ出来るのを待つのではなく、働きかけつつ、独自の行動もとって運動の輪を大きく広げてきました。

 私たちの署名は、国に撤回をせまる署名です。署名を市民に拡げる中で、「市長にお願い」するならすんなり行っても、「国(お上)に対して」だけで抵抗が各方面であり、この地域の後進性を感じました。それでも、そんな中で、6万人余の人口のところ、2万人までの署名を集めることができました。各方面に、各個人、個人に、人と人との結びつきが拡がっていきました。これに対して、私たちの署名以外(JA、文字地区など)は、全て市長宛です。市長に「お願いする」という運動に留まってしまい、それらの運動は、結果的に、今、「市長任せ」の他人任せ、人任せになっていまっています。東電と国という発生原因者の責任を追及する、誰と一緒に連帯してそれをするのか、それらが、全くできていません。主権者の自覚が希薄、当事者意識の欠如なのでしょうか。

 3カ所が、3カ所とも不適であり、そもそもの国の政策、施策自体(特措法と基本方針)が根本から間違っているのですから、それを改めさせるため、真の解決への道に持っていくために、同じ被害者が力を合わせるのがスジです。ちょっと想像力を働かせたり、お互いに交流したり、お互いに現地を見るなどして理解すれば、思いをお互いに共有すれば簡単に分かることです。それをいつまでたってもしないということは、「自分の所さえ来なければ良い、他に行けばよい」との考えとしか思えません。

 それでは、いざ、最期に自分の所が残った場合、誰も助けてはくれません。これは、完全に被害者が、国や、県によって分断されているパターンです。その先頭に乗っかってしまっている、国や県や他の県内首長の顔色しか見ていないのが、栗原市の市長と大和町の町長なのです。この逆、市民(住民)に正面から向き合い、市民とともに、国や県に対峙しているのが、加美町と栃木県塩谷町の町長です。特に、塩谷町の町長は、当初は、栗原市長と全く同じことを言っていました。しかし、町民の声を聞き、各方面と協働、連帯(加美町などとも)することで事態の打開を図って来ています。この二つの所では、今後、どのように国からの圧力がかかろうと決してひるまず、それをはねかえせると思います。しかし、危ないのが栗原市と大和町です。大和町は、形としては、オールの態勢が出来たかのように見えましたが、内実が全くありません。(栗原市は、形としてのオールも出来ていませんが…)

 市民、みんなが主権者、主人公です。          

 それぞれの場所、分野で、地域で、それぞれの市民(住民)が主権者、主人公です。
 
 誰かにお願いする、首長、議員、など それだけでよいのでしょうか? 
 
 これでは、結局、私たち市民(住民)が、いいように、権力に分断されているのではないでしょうか?
 
 それぞれ(の違い)を認めあった上で、一致点を見出し、連帯し、協働できないのでしょうか?
 
 事態の打開をはかり、真の解決への道へ進むための共通の認識を持てないのでしょうか?

 こうした分断された状態を続けるならば、結局、権力に押し切られてしまいます。
 
 その時、誰が責任を取るのでしょうか?誰の責任になるのでしょうか?

 そこでは、私たち一人一人の責任も、問われてきます。

 この放射能の問題は、私たち自身を守るだけでなく、私たちの子どもたち、子孫を、未来世代を守っていく闘いです。
 
 私たちは、彼らー子どもたち、子孫、未来世代ーに共同の責任があります。
 
 それぞれの場所、分野で、地域での市民(住民)の肩代わりは出来ません。そこの人たちが、どう認識し、判断するのか?
 
 どう、連帯し、協働して行くのか?周り(部外者)からは働きかけ、連帯し、協働する「よびかけ」はしても、肩代わりは出来ませんし、無理にしても結局、当事者たちの力になっていきません。それぞれの当事者意識が問われています。

 この栗原では、多くの市民が、この当事者意識を持つこと、主権者が主人公になるには、もうしばらく時間がかかりそうです。
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