触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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「責任の取り方」考

< 雑 感 >  

   「責任の取り方」考      2008.9.26

9月25日付朝日新聞の二つの記事から

 変なタイトルです。カテゴリーもどうして良いものやら検討も付かず <雑感> などというものをこしらえる羽目になってしまいました。

 昨日付(9月25日)の朝日新聞に「タイムマシンに乗って」というイチローに関する西村欣也氏の文章が出ていました。これ自体にも感想はあるのですが、そのことより最後の方の文章に「自分にコントロールできること、コントロールできないことを分ける。コントロールできないことに関心を持たない。そして、できるだけの準備をする。」というのがありました。西村氏の「イチロー流」の分析だと思います。また同日の別の紙面に「「政治の出番」増やす好機」として豊永郁子氏の主張が載せられていました。その最後に、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」からの引用-「「堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」が政治だと述べた。そして「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間、そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」―をしていました。そして、来るべき総選挙で、政治家を見極める目をその視点でと主張されていました。

 同じ日の同じ新聞の二つの文は、このところ考えていること、この記事のタイトルにあるー「責任の取り方」-に関わってくるところがありました。「イチロー流」に共感し、「自分も」と思うのは、何もスポーツに限ってのことだけでなく、全てのことについて言えることです。ただ、「コントロールできないことに関心を持たない。」の部分は、私は、少し違ってきます。つまり、「関心を持たない」のではなく、「とりあえず、ほって置く」のです。今は、コントロールできないので何も準備はしないが「コントロールできないということを意識しておく」のです。そのうちにコントロールすることが課題になる可能性もあるのですから…私には、このことと次の豊永氏の文が関係してくるのです。「政治家を見極める目」は、氏の言われる通りだと思います。政治に関しては、私にとっては、関心を持つのは当然のこととし、さらに「コントロールしたい、すべき、関わっていたい」とは思いますが、「コントロールできません。」そのうちにコントロールすることが課題になる可能性もありません。(つまり、政治家にはならないということ。)それは、私は、政治に関しては、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間」ではないからです。

私が「責任を取れること」は…

 それでは、他のこと、すべてのことに関してもか、と言うとそうではありません。例えば、「図書館のこと」、「図書館づくり」のことなどについては、職業にこそしていませんが、マックス・ウェーバーの言っていることにあてはまります。言い換えれば、このことに関しては、自信を持って「責任を取れる」のです。但し、現在は、ボランティア活動を除き、今年度末までは休止状態にしています。(地震災害後で、どう働きかけても事態は進展しないためです。)

 同様に、「自分の子育て」も今のところ大丈夫かな?。(子どもをコントロールしたという意味ではなく、子ども自身が良く育ってくれたため。) あと他には?…そのうち増えるかもしれません。それは、そのことに関して私自身が、「責任を取ろうとしているか、否か」が大いに関係してきます。

 例えば、脱サラして2年前まで長年、職業としてきたエノキ茸栽培は、限られた条件下(規模、技術水準等)でしたが、最大限に責任を取ってきました。しかし、農産物流通システムや市場価格等は、私のコントロールできるものではありませんでした。自分の時間と体、家族等もっと多くの犠牲を払って、取り掛かれば廃業という結果にはならなかったかも知れません。しかし、それほどまでする意味は、どうしても見出せませんでした。それでもかなり多くの自分の時間(長時間労働)と肉体的負担(二度の手術等)をしました。最後は、経営的には早めの撤退、肉体的にはヘルニアの手術をするに至って限界に来ていました。

 「自分の子育て」とも関係しますが、二人の子どもたちのために一定期間、関わっていたPTA活動も、自分ではそれなりの責任の取り方をしてきました。千葉にいた頃は、長女の小学校の会合等に、妻と私のどちらが仕事を休んで参加するかでいつも喧嘩をしていました。それでも学童保育だけは二人ともしっかり責任を持って関わっていました。宮城に来てからは、もっぱら、二人の子どもの学校関係は私の仕事となりました。PTAの役員もかなり早くから回ってきました。学年委員長、専門部々長等です。「いずれしなければ、」「誰かがしなければ、」と思い引き受けてきました。当時は、それでもPTAの三役は築館の各地区での経験と割り当てみたいな?の付くこともありました。「築館の中でも町中(築館地区)とその他の地区、富野(黒瀬含む)地区等とは違う…」とか、その反対においても…という地区意識には閉口しました。こうしたことと関連して根回し、腹の探りあい、色々な配慮等があったようです。私自身はこうしたことと無関係であったため、いつもPTA活動は正攻法で行いました。相手がPTA会長、教師、教頭・校長であろうと言うべきことは言ってきました。しかし、それには、PTA役員としての義務をきちんと果たしてきました。そのうち、一歩下がって平のPTA役員でもやろうと思えばかなりのことが出来るとわかりました。その場合、責任は限定的になるのですが、それでもその範囲でのことは最大限努力することにしました。そうすれば、言うべきことは言えるのです。但し、言うことが正確であるためにはできる限り、情報がオープンにされていて、それを入手できなければなりません。

NPO法人「くりはら活性化ネット」の理事として

 9月14日に今年の「くりネット」の最大の企画―震災復興支援「ふれあいコンサート&民謡・歌謡舞踊ショー」がなんとか成功裏に行われました。私は、この夏、ジジ親家業に専念するため、実行委員会には参加しませんでした。当日も当初は娘と孫二人を高松まで送っていくつもりで参加できないと思っていました。しかし、思ったより少し早く娘たちは帰って行きました。それで、9月14日当日の参加と手伝い、直前の準備作業の手伝いもすることができました。売券の方はほとんど動き回れなかったため少ししかできませんでした。

 このNPO法人「くりはら活性化ネット」には3年前の17年3月27日の設立総会から参加しました。その1年ほど前から準備を行ってきた方々で最初の役員を構成したようです。昨年、私は、前述のエノキ茸栽培の仕事の整理もついていたため、その6月の総会から役員―理事を引き受けています。そして企画運営委員会に配属させられました。最初の一年は、慣れることや全体を把握するのに精一杯でした。二年目の今年は、理事会でようやく、意見も言えるようになって来ました。しかし、何とも理解しがたいのは、この間、企画運営委員会が一度も開かれないことです。本来、今回のような企画は、この企画運営委員会が中心となった上で、実行委員会を設置するのが筋です。ですから、今回の企画について意見、感想等はありますが、言及しないことにしました。つまり、こうした実行委員会に加わっていない、企画運営委員会も開かれない状態(私もあえて、委員会を開かせようとしていません。)では、コントロールできないからです。もともと、私はこの「企画運営」には向いていないようです。そんなこともあって、「とりあえず、ほって置く」の状態です。それでも、役員―理事として、何とか最低限の「責任の取り方」はしたつもりです。(自己満足かもしれませんが)
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