触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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BOOKS-「養生の実技」

<BOOKS> ⑫「養生の実技」を読んで         
                                    2008.10.15

著者/i五木寛之 出版/角川書店  2004年12月10日発行
 関連するリンク先― アマゾン 「養生の実技」

内容の紹介

 人間は死のキャリアとして生まれてきました。現代人は絶えず体の不調を感じながら生きています。しかし、病気には完治というものは無く、一時的に治まるだけ。治療ではなく、養生(少しでも良好なコンディション故障を起こさないように工夫し、そしてそれを死ぬまで続ける)こそ、これから健康を考える上でのキーワードとなります。そんな養生法について、著者自身が自分自身の体験と偏見に基づいた実践法を公開しています。

この本から参考になったこと(+私の考え)

第1章 不信と不安の時代に折れずに行きぬく知恵

・ 治療という考え方には人間は本来、調和のとれた理想的な身体を持って生まれたという感覚がある。
・ 「身体語」をマスターする―耳を澄まして体の声を聴く。
・ 自分にとってどうかということが問題。自分だけの養生スタイルを持つ必要。

第2章 私の「気やすめ」養生法

・ 息をどう吐くか、そこに全ての呼吸法の工夫が結晶している。
・ 養生とは、「生を養うこと」、95%の幸運と5%の工夫・努力(5%の養生法)。その根本のところは、「人間はもろいも
  のだ」という諦念がある。私たちは弱い存在である。だからこそ、日々の養生に努めることが大事。
・   冷や水は噛んで飲む。
・   養生法-「気休め」に過ぎない。「気」を「やすめる」、安らかにする、安定させる。

第3章 私の実感的養生法

・ 現代の医療を尊敬しつつ、可能な限り自分の身体を自分で守る。
・ 意志が弱くても持続できるものを。鍛錬とは、「鍛」10年、「錬」10年、20年やっても「道なお遠し」―こんなことできない。面倒なことはしないこと。
・ 体を冷やさないこと、暑い時などは温かい飲み物を。冷水は口に含んでしばらく温めてから飲み下す。冷蔵庫のものは常温に戻してから飲む。
・ 呼吸法も楽な方がいい。下腹部に腹圧をかけ、肺の下の方、みぞおちの左右のあたりを絞り込むようにして息を吐く。吸う時に腹部を引っ込め、吐く時に下腹部に圧力をためる。→(息を吐く時は、肛門を締め、下腹部に腹圧をかけ息を押し上げるように吐く。=腹筋に力を入れる。)
・ 自律呼吸から自然呼吸へ。「自律」とは、おのずからなる働き」=「他力」。ふだん意識せずにしている呼吸を、深く、長く、リズミカルにしていく、-自分の意志がいつのまにか体の自律的な働きに同化している呼吸。禅の呼吸は、「自力の呼吸」を捨てることを究極と。-「あるがごとく、なきがごとく」=自然(じねん)呼吸。

第4章 腰痛との長い付き合い

・ 下腹部に重心を集中させる。能役者のような足運び、爪先をあげ、かかとから着地、足裏は平行移動。腰をすえて、腰を入れて、体全体の重心をそこに集中する。→「下腹部に体の重心を置く」-この部分に人間の中心を意識する。-東洋的直観。
・ 基本は、肛門を締めること。一瞬、肛門を引き締めたら、すぐ下腹部に腹圧を移す。下腹部をやや前方にスライドさせるような感じで緩めておく。そこに押し込むようなつもりで腹圧をかける。(=ていねいに腹筋に力を入れることと同じではないか?)=「気を入れる」。

第5章 私が感じる素朴な疑問

・ 苦行は本当に必要か?悟りを求めての苦行は極限までのストレスに身をさらす行為。
・ 他力の船に乗って悟る易行(いぎょう)-浄土教。苦行はいらないと法然は「ナムアミダブツ」と唱えることを「やさしく」教えた。親鸞がこれを「ふかく」極め、蓮如はそれを「ひろく」人びとに手渡していく。こうして「他力」の思想は、人びとの間に深くしみわたっていく。

五木氏ファンの私としては…

 著者の五木氏は、この本の最後に「私自身の体験と偏見による養生の実技100」と題して五木流の養生法をまとめています。これらは、五木氏自身「体験と偏見による」とことわっているように、「常識」とは相容れないようなものも多く合います。しかし、常識がおかしいものも数多くあるわけで、この100の内かなりのものは、参考にして取り入れられるものです。彼の著作は、私としては、結構いろいろと、読んでいるほうだと思います。健康、養生に関しては、この後、帯津良一氏との共著で出した「健康問答」などが、この延長にあるものだと思います。それにしても、何冊も彼の本を読んでいる割には、バックボーンとなっている仏教(浄土宗)の理解が、今一つ深まっていきません。ここでは関連して、禅のことも出てきましたが同じです。(これはやってみないとダメかも?)それでも、このところ、自分自身が年齢を重ねてくるうちに、より共感したり、参考にしたりすることが多くなってきています。少しは、近づいてきているのかもしれません。
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