触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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MOVIES 10月、残りも

MOVIES 10月、残り2本もアップします。                    
                                          2008.10.29

 山桜

nhy


 製作年度2008年、99分の邦画。 
 関連するリンク先は― ヤフー映画 山桜

あらすじー江戸後期、不幸な結婚生活に耐える野江(田中麗奈)はある日、1本の山桜を見つける。花に手を伸ばすと1人の武士(東山紀之)が現れるが、彼は野江が今の婚家に嫁ぐ前に縁談を申し込んできた相手、手塚弥一郎だった。自分を気遣ってくれる人物の存在に勇気づけられる野江だった。当時、藩は、数年来の冷害による財政悪化が深刻化していた。解決策として譜代の家老・諏訪(村井国夫)は新田開発を推し進めるが、真の目的は豪農からの賄賂で私腹を肥やすことにあった。そして野江の嫁ぎ先である磯村家も、諏訪に取り入って余禄を得ようとする始末。野江はそんな家風になじめず、夫や姑から疎んじられながら、ひたすら家に尽くす毎日だった。もっと大変なのは百姓たち。新田開墾に駆り出され、自分の田畑の世話も充分にできないのに年貢を増やされ、おまけに冷害で踏んだり蹴ったりに。(百姓の生活は原作には無い)諏訪の暴政で幼い子までが餓死したのを知って、遂に弥一郎は、諏訪を成敗してしまう。事の顛末を聞いた野江は、弥一郎を呪そする夫の羽織を思わず落としてしまい、姑から家紋を汚したとなじられて離縁させられ実家に帰されてしまう。弥一郎は直ぐに切腹の沙汰が下るかと思われたが、四月に藩主が帰国するのを待って、裁断を仰ぐことになり、獄舎に移された。弥一郎のことで胸を痛めるようになった野江は、彼との一年前の再会と同じ時期、山桜の小枝を持ち、世間のしきたりを越えて弥一郎の家を訪ねた。出てきた弥一郎の母は山桜を見て眼を細め、それを受け取ると野江に上がるように勧めた。野江にははっきりとわかった。ここが私の来る家だったのだと。回り道をした野江の眼には、いつしか涙が溢れていた。

 2週間ほど前に一関の映画館へ妻と二人で観にいってきました。藤沢周平作品は、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」の三本とも映画館で、黒土三男監督の「蝉しぐれ」はDVDで(私は、市川染五郎よりもNHKTVの内野聖陽の方が好印象です。)観ています。映画の原作「山桜」は、わずか20ページほどの短編です。(藤沢周平全集 第五巻では13ページ)篠原哲雄監督のこの作品は、全体的に物語の進行はとても緩やかで、お二方とは違う演出です。しかし、ほんのわずかな短編を99分(これも短い方)の作品にしてあるのですから、所々に、色付けが施してあります。私が、藤沢周平作品の持つ色合いが良く出ていると感じるのは、このお二方の作品からも影響されているかもしれません。つまり、この映画は、原作は全く損ねていないどころか、他の藤沢周平作品やそれを映像化したお二方の作品からもから上手に援用を受けていると思います。そのへんの脚色は見事としかいいようがありません。主役の田中麗奈は、時代劇には不慣れだと思われますが、彼女の持つピュアさを全面に押し出して作った時代劇だと思いました。それを、ベテラン役者が脇を固めてバックアップしたという感じです。東山紀之はこの役にピッタリ。あの凛とした顔立ち、立ち振る舞い、太刀捌きは男でも惚れ惚れします。しかし、それ以上に良かったのは脇役の女優の方々。野江の母役に壇ふみ、弥一郎の母役が富司純子、磯村の姑を永島暎子がそれぞれとても印象に残る演技をしています。

 私は、特にラストシーンにとても感動させられました。それは、野江が弥一郎の家に入った瞬間からです。野江と弥一郎の母とのここでの初めての出会い、交流は、短いながら強烈な印象を受けました。富司純子のとても品のある立ち振舞いによるところもあるでしょうが、それ以上に、このクライマックスシーンで二人から醸し出された雰囲気は、何とも言えぬ安らぎを覚えました。藤沢周平作品として、主人公に女性を据えているのは、どうでしょう、異色だと思われますが、それをよく映像として丁寧に作り上げた映画です。その良さが、特にこのラストに現されていると感じました。

 しかし、その肝心な最後に主題歌が歌詞入りで流れたのには閉口しました。歌詞が映画の内容にあっていないし、この場合、極めて耳障りで不快でした。8月30日の<家族>の記事のところで、東京で観た映画「さよなら いつかわかること」を取り上げました。クリントイーストウッド担当の音楽がとても効果的でした。「映画が終わって最後に、製作関係のテロップが続くところでその音楽に美しい歌がついて流れてきました。そのため、多くの観客がなかなか席を立たなかったということでした。」と記事にしています。この映画では、これのまったく逆です。私は、涙が出ているのに、急いで席を立ちたくなりました。





 モンゴル                    2008.10.25

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 製作年度2007年、125分の カザフスタン、ロシア、ドイツ、モンゴルの4か国による合作映画。
 関連するリンク先― ヤフー映画 モンゴル

あらすじー冒頭は、西夏王国の岩牢の中でほとんど即身仏と化し、頬に苔むして座り続けるテムジン(浅野忠信)の異様な姿から始まる。この牢の前の吊り橋に若い僧がやってきて告げる。「あなたが遣わした僧は道半ばで死にました」それは、すべての"希望"が潰えたことを意味するはずだった。しかし… 物語はここからテムジンの少年期に戻る。モンゴル遊牧民族の長イェスゲイの長男として生まれたテムジン(鉄木真)。妻探しの旅の途中で立ち寄った集落で、一人の娘ボルテ(スン・ホンレイ)と出会う。旅の帰路で、父イェスゲイが急死する。それはテムジンの過酷な半生の始まりだった。部族の離散、妻ボルテ(クーラン・チュラン)の略奪、盟友ジャムカとの戦いでの敗北、そして冒頭シーン、虜囚の恥辱の状態へと戻る。確かにテムジンが送った僧は亡くなったが、西夏王国の裕福な商人の妻にされていたボルテの手引きで、テムジンはようやく脱出。こうして艱難辛苦を乗り越え、ついに壮絶な合戦の末にジャムカをも破る。この後、テムジンは、蒙古高原の大小の遊牧民部族をまとめ上げ、モンゴル帝国の王と呼ばれるにふさわしい一人前の男に成長する。チンギス・ハーンの誕生である。

 この映画が全世界規模で公開されたことや、第80回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされたことで話題を呼んでいました。それに、主演のチンギス・ハーンに、日本人俳優の浅野忠信が抜擢されていたため見ることにしました。同じチンギス・ハーンの物語、角川春樹総指揮の「蒼き狼」は既に見ていました。つい比べたくなるのですが、この2本、あまりにも異質でした。同じ日本人が演じる「テムジン」で、反町テムジンは日本人を感じてしまいましたが、浅野テムジンにはモンゴル人を感じることが出来ました。「蒼き狼」は、演じている日本人俳優たちは垢抜けしていて身に付けている衣装は小奇麗。日本語台詞だけの問題ではなく、すべてがあまりにも日本的。所作、顔立ち、等など。日本向けにだけ作られた映画ではないかと見た時に感じました。「蒼き狼」で持っていたその違和感を、この「モンゴル」では見事に払拭してくれました。それは、主演の浅野忠信を含め、全てモンゴル語台詞で通しているからだけではなく、全編に渡って12世紀の遊牧民の体臭・家畜の臭い・血と肉と脂の臭いと砂と埃が漂いそうで、さらに、衣装、生活用具、武具のひとつひとつが丁寧に作られていました。

 しかも人物像の描き方も違っているようです。私は、モンゴルの歴史や伝統は、まだ良くわかっていません。この映画で画かれている様々なこと、「テングリ」という運命神?雷、夫婦関係、親子関係、アンダ「盟友」など人間関係から精神的なものなどまでです。こうしたことが、まだよく分からなくとも、体にズンと響く蒙古的な音楽のホーミー(喉歌)と共に、じっくりと雄大な自然の中に画かれたこの映画を見ていると、何となく少しはモンゴルを理解する精神的な手掛かりをつかめたように思います。
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