触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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MOVIES 11月も続々とアップします。

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                                           2008.11.6
 その名にちなんで                 2008.11.3

jia

 製作年度2006年、122分のアメリカ/インド映画
 関連するリンク先― 映画「その名にちなんで」公式サイト

あらすじー 1974年。インドのコルカタ(カルカッタ)の学生アショケ・ガングリー(イルファン・カーン)は、列車に乗っていて、親しくなった老人から「君は若いし自由だ。海外に旅に出ろ」と勧められた。その直後に列車が転覆。アショケは奇跡的に手に持っていた本(ロシアの文豪ゴーゴリの著作)が目印で発見され救出。その3年後、アショケは米国の大学で勉強していたが、親の勧めでコルカタでアシマ(タブー)と見合いをした。数週間後、ふたりは、家族や親戚に祝福され、盛大な結婚式をあげ、米国へと旅立った。

 ニューヨークでの新生活は、アシマにとっては、お湯の沸かし方から買物の仕方まで、日常のすべてが初めてだった。アシマが米国の生活に慣れた頃、ふたりの間に男の子が生まれた。子供の名前は故郷のアシマの祖母に名付けてもらうことにしていた。しかし、退院の前に出生証明書に名前が必要だとせかされ、とりあえず息子をゴーゴリと名付けた。

 アシマは、異国で子供を育てることは不安だった。アショケは、「ここでは、望むものになれるし、何でも学べる。可能性は無限だ」とアメリカで育てることが、子供のためになると説得した。やがて、娘のソニアが誕生した。一家は郊外の一軒家に移り住んだ。ゴーゴリが4才の頃、夫妻は息子の正式な名前をニキル(“完全なるもの”という意味)に決めた。しかし、本人は“ゴーゴリ”の方が良いと。ゴーゴリが高校生の時、学校の授業で先生が文豪ゴーゴリについて説明した。「ニコライ・ゴーゴリは変人だった。ロシアの文豪だが実生活では誰にも理解されなかった。“奇矯な天才”という者も。被害妄想、欲求不満、孤独、結婚せず子どももなし、最後は断食で穏やかな自殺をはかった」と。ゴーゴリは自分の名前の由来が、変人のロシア人作家の名前だと知り、驚き、不満。父と母に文句を言った。父はニコライ・ゴーゴリは天才的文豪だと言い、「ゴーゴリ短編集」をゴーゴリの卒業祝いに贈った。

 その年、一家はそろってインドに旅行。タージ・マハルを見学し、その美しさにゴーゴリは感銘を受け、イエール大学で建築を専攻したいと。そして名前もニキルに変えたいと。父「何でも可能な国だ。好きにしたらいい」と。数年後、ニキル/ゴーゴリは建築家として自立。マンハッタンのアパートに住み、アメリカ人の恋人・マクシーンと青春を謳歌していた。

 父(アショケ)はオハイオの大学で教鞭をとるため単身赴任することに。出発前日、マクシーンを連れて食事に来たゴーゴリを、父はドライブに誘い出した。ゴーゴリという珍しい名前に込めた思いを語った。息子「僕を思うたびに事故のことを思い出す?」父 「いや、むしろ、それ以降のすべてを思い出す。その後の毎日が天の恵みだと。ゴーゴリ」やがて、父は単身赴任先で倒れた。父が死ぬとゴーゴリは、剃髪して伝統を大切して、今までの自分の生活を否定するようになる。自分を愛してくれたマクシーンに冷たくして別れてしまう。そして、その後、同郷ベンガルの娘・モウシュミを妻にするが、彼女が結婚前から好きなフランス人と浮気していることが分かって、別れてしまう。

 ゴーゴリは最後には一人に。今までになく自由な気持ちに。再出発の時。彼は、父と同じように“枕と毛布を持って世界を見るため旅に。”、かつて父が見たと同じ車窓からの風景が広がっている。一方、母アシマは、夫は亡くなり、子どもたちも巣立った。「インドと米国で半年ずつ暮らすことにしたい」と言い、故郷に帰り大好きだった歌の勉強を再び始めた。彼女も新たな旅に出た。家族それぞれの再びの旅立ちだ。

 個人のアイデンティティと家族の絆について考えて

 この作品は、ミラ・ナイール監督と同じくインド出身ピュリッツァー賞作家ジュンパ・ラヒリが2003年に発表した同名ベストセラー小説が原作です。映題の Namesake は「名前をもらった人」を意味するといいます。ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリの名前から、ゴーゴリと名づけられたインド系二世米国人として育つ息子の名前をめぐる物語を軸とし、インドから移民した両親の伝統的価値観と、米国に生まれ育った子どもたちのアイデンティティとの葛藤を描きます。親子の愛情、家族の絆、そのすれ違いや関係修復への努力を浮き彫りに、アメリカに移住したインド人家族の30年にも渡る軌跡を描いていきます。インドと米国の二つの文化、ニューヨークとコルカタの二つの都市、親子二つの世代を描いた作品となっています。ミラ・ナイール監督の作品は「モンスーン・ウェディング」を数年前に観ています。私にとっては、初めての本格的“インド”との出会いとなったものです。印象は、家族の絆が強い、色彩が豊か、大掛かりな結婚式、みんな踊りが大好き、といったところです。それもかなり制約がある中での映画制作だったと思いますが、それは今回も同じ。この作品は、彼女自身のインドからの渡米体験をも重ね合わせて映像化したというかなり、思い入れのあるもののようです。原作は勿論、読んでいませんが、かなりの長編(物語も30年にわたる)を、今回も巧妙なストーリー運びと情感たっぷりな演出で感動的に仕上げています。

 映画の冒頭の方で、列車の中、『本は一寸たりとも動かずに旅をさせてくれる』とお祖父さんが言っていたというアショケのセリフがあります。親しくなった老人から「海外に出ろ!」と勧められ、アシュケがアメリカに渡ってこの物語は始まります。私にとっては、この映画を観ることで、私の知る由もない世界を旅し、感動したり、共感したりして、自分の人生との繋がりも感じたいと思いました。「個人のアイデンティティの追求」がこの映画のテーマの一つだと思いました。移民や、その子どもにとって、暮らしている場所がホームであるとは言い切れないわけです。この物語の中でも自己のアイデンティティに苦しむゴーゴリを通してその問題を問いかけています。ゴーゴリにとって、2つの国、2つの名前のそのどれもが彼にとって"ホーム"であり、自分の人生の根幹に関わるものを消し去ることはできません。原作者や監督がこのあたりをどのように考えているかは、詳しくはわかりません。私自身も(家族も)ここでは詳しく述べませんが、名前の問題では、色々といきさつがあります。同じ国・民族だといっても、名前に関して色々有るのは大方の方に共通することかもしれません。あらゆる名前には、それぞれにアイデンティティが込められているでしょう。それを、家族との絆という視点で、じっくりと考えてみることをこの映画を観て考えさせられました。
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