触媒生活

セカンドライフに入っての日常生活を文章、日記などで表現します。「触媒」のような役割を果したいというのが私のモットーです。コメント等をブログでも受けますが、連絡はメールでfa43725@yb3.so-net.ne.jp まで。

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BOOKS-「落語家はなぜ噺を忘れないのか」

<BOOKS> ⑭
「落語家はなぜ噺を忘れないのか」を読んで    
2008.11.15      

著者/柳家花緑 
出版/角川SSコミュニケーションズ 2008年11月25日発行
関連するリンク先―アマゾン 落語家はなぜ噺を忘れないか

著者の紹介―祖父は人間国宝の故五代目柳家小さん。小さんに15歳の時弟子入りした最後の内弟子。子ども向けの落語や、六人の会(春風亭小朝、立川志の輔、春風亭昇太、笑福亭鶴瓶、林家正蔵、柳家花緑)での活動で、落語の振興につとめている。NHK教育テレビ『にほんごであそぼ』に出演。毎週木曜日の「歴史に好奇心」にも出演。また、フジテレビ『とくダネ!』の1コーナー「温故知人」に出演している。

<この本との出合い>

 11月8日、たまたま、一関の北上書房で時間潰しに立ち読みをしていて見つけました。その翌日が、読み聞かせ講習会。ここで、私は、この間練習してきた素話(「ちいちゃい、ちいちゃい」イギリスの昔話)の語りをトップバッターですることになっていました。なかなか寄席に行く機会はありませんが、個人的にも落語は好きです。TV,映画でも落語それ自体と落語を題材としたものをよく観ています。おはなし会でも、落語絵本はよく取り上げる方だと思います。私は、以前から、素話あるいは、ストーリーテリングのおはなしは、落語とは、様々な点で違うのでしょうが、共通する何かがあるような印象を持っていました。それで、この本のタイトル「落語家はなぜ噺を忘れないのか」です。今の私の目に留まらないはずはありません。家に帰って読み始めたら面白くて、翌日向けの練習はほどほどにしてしまい、ほとんど読み、残りを9日の発表後にすべて読んでしまいました。この本は、発行が11月25日とまだ少し先になっています。新聞広告にも出ていましたからそんなものかとは思いましたが、ともかく出たばかりの本です。

 以下、ここでのこの本の内容の紹介は、私にとって、ストーリーテリングをする上で参考になった事柄のみです。

<内容の紹介>

第一章 落語家はなぜ噺を忘れないのか

 現在37歳の花緑。それでも芸歴は20年以上。145本ある持ちネタには、3つの序列があるという。
① いつでも高座にかけられるネター24本。
② 2~5回さらえば高座にかけられるネター72本。
③ 高座にかけたことはあるが作り直す必要があるネタ-49本。
① は、精鋭中の精鋭。どのような情景の中で物語が進み、登場人物がどんなキャラクターで、どういう気持ちで台詞を吐いているのか。それらがお客さんに最も伝わるにはどういった演出がベストか。そこまで構成できていること。
② は、稽古が足りていないネタ。(さらうー軽めの稽古)
③ は、一度覚えたものの現在の自分に合っていないネタ。
 ネタの覚え方。-彼の場合、すべて、ノートに書き起こして台本を作っています。そして、初めは様々な師匠方から稽古を付けてもらい、それを、丸々コピーして覚えています。その時、師匠方の演出力、を含め、覚え方や稽古の方法を知るようにしています。(覚え方を覚える。)そして、その後、自分なりに咀嚼して自分なりの演出をして初めて本当にその噺を身に付けたというところまでなります。師匠方に稽古を付けてもらった時、その言葉だけでなく、稽古場の風景や当時の彼自身の考え、ノートの文字の様子等が一瞬にして蘇るといいます。そうした立体的に刻まれた記憶があって、噺を忘れずにいられると言います。

 落語家が、プレーヤー(演者)であり演出家として同時に高座にいるというのは、マリオネットとそれを操る人の両方を同時にやっているようなイメージ。人形(登場人物)として動きながら、それを上の方から見てストーリーテラー兼演出家として操っているという感覚といったところ。落語家が噺を覚えるということは、このように単に台詞を覚えているだけでなく、ひとつの噺を立体的に見つめながら演れるかどうかということ。噺と向き合ってきた時間とそこに込められた情報の賜物だとしています。

第二章 いかにして噺に命を吹き込むか

 もともと噺は面白くつくられている。-「もともと噺は面白く作られてるんだから、登場人物をちゃんと演じて、そのやりとりでウケさせればいい。落語は本来そういうもんじゃないか」小三冶師匠の弁。語りによってその場その場の景色を聞く人の頭にちゃんと想像させているかってことが大切。
 笑いがなくても心に残る。―笑いをとらなくても観客の心を掴む噺はできる。そういうウケ方もあることを身をもって教えてくれたのが小三冶師匠。

 噺のツボに向けて進む。-情景や人物描写を丁寧に演ることでお客さんを物語の世界へ引き込み、その中の登場人物のやりとりで笑いをとっていた。…重要なのは、全体を見通す力を持つこと、物語を丁寧に伝えること。

 登場人物の日常の一部を切り取る感覚―「粗忽長屋」(五代目小さんの18番)祖父は、登場人物の気持ちになりきって演じた。そそっかしいなりにも、二人には勘違いしてしまったのにはちゃんと理由があり、人間としての性格や心理がある。そこを丁寧に見せないとお客さんには伝わらない。だから芝居が上手くないとダメ。ある意味で15分の演劇を見せるつもりで…そう。落語は、ドラマなのです。

 「リアリティ」より「らしさ」-リアルな描写は「面白い」が、実はとことんリアリティを追求すればいいものでもない。現実に即していなくとも、「何となく、それらしい」というニュアンスのほうが、聞く側にも共通認識が生まれてくるのではないかと。また、想像の余地も与えるはず。

 「間」のマジックー噺を面白くする上で大切なのが、台詞の「間」。人物の感情を際立たせたり、お客さんの笑いや感動を生むためには、絶妙な「間」が欠かせない。

 落語の面白さとはー落語はただ物語を話せばいいわけではない。意味もなく客席を笑わせさえすればいいのでもない。噺の本筋をちゃんと見つめ、どうすれば登場人物の魅力を引き出せるか、お客さんに伝えることができるかを考えて演じきる。それで、見ている人は噺に入れ込み、共感し、感情を揺さぶられる。そして、面白いと…。

 演劇から学んだ三層の優先順位―① 表面を被っているのは、人物描写に徹する姿。お客さんに見せている部分。② 内部には「①」を支える技術への意識がある。間、らしさ、緩急など。③ 中心の層、つまり意識の奥の部分には、やはり「ウケたい」という純粋な気持ちがある。プレーヤーの本音の部分であり、かっこよくウケたいと思っている。

 この①~③のバランスがいいときが落語という芸はもっとも力を発揮する。この順番が必要なのは、③のウケたいという気持ちが芸人の芯の部分に絶対にあるから。そして、ウケさせ方が上質になる。(小さん、小三冶師匠も)

第三章 落語家にとっての噺の種類

 難しい噺とはー泣かせる人情噺よりも、笑わせる滑稽噺のほうが遥かに難しい。よくできた人情噺は物語としての泣かせどころがしっかり作られていますから、それなりに仕上がる。笑わせるのは簡単でない。笑わせることができないと落語家としての全体の評価も下がる。

 「間」は笑いの世界だけのものでない。実際の人の会話の中にも、間は存在する。(小三冶師匠の)絶妙な間によって、本物の会話らしくもなる。そうすると単なる滑稽噺ではなく、人々の日常生活を題材にした世話物っぽくも聞こえてくる。まるで一遍の映画を観ているような気分に。

 落語の奥深さー落語の場合、もし、「面白くない」と言われたときは、その落語家が否定されたことになる。やっている噺は古典なのですから、ネタが面白くないわけでない。やっている落語家が面白くないということ。これが技量があるかないかの問題なのです。落語は奥が深い、ということに尽きます。

<私の感想など>

 ストーリーテリング、お話を語るというのは、この落語とは明らかに違ってきます。落語は、演劇それも一人芝居に近いもの、芸術です。落語家や、俳優は語ることを職業にしています。(中には、職業にもなっていない方も)自分の芸を見せることが第一です。それによって、娯楽を提供しています。(お金を取って)一方、私たちは、そうではありません。プロではなく、素人です。そう、「ごく素朴に、自分たちの好きな物語を子どもたちと分かち合うためです。」松岡享子「お話を語る」(日本エディタースクール出版部)そのような素人としての語りをしています。落語は、400年続く伝承芸術です。新作、創作もありますが、古典(これも作り直しもしている)は、それこそ、その噺そのものが伝わってきているものです。

 しかし、この本を読む前からうすうす気が付いていたのですが、落語の噺と、ストーリーテリングで取り上げるお話には、共通点がいっぱいあることがこの本を読むことで、更に確信になりました。それは、噺―はなし の中身が似ていること。題材には、普通の人々の日常生活を、庶民の生活を取り扱ったものが、共に多くを占めています。「内容の紹介」で取り上げた、噺-はなし の覚え方、噺―はなし への命吹き込み方がかなり共通すること。「らしさ」、「間」についての考えもストーリーテリングでも言えることだと思いました。それに、落語は、身振り、手振り、扇子や手ぬぐい、それに鳴り物といったものはありますが、ストーリーテリングと同じく、ほとんど言葉だけで表現します。言葉で勝負します。それによって、聞き手が自由に想像力を広げられる世界を作ることも同じです。何か、落語が持っている世界観とストーリーテリングの持っている世界観がダブルのではないかとも思われます。(私は、まだまだ、よく分かっていませんが…)「三層の優先順位」という考え方も、ストーリーテリングでは、自分の芸を見せるということではないので、「かっこよくウケたい」などと考えるのは論外だと言われそうです。ストーリーテリングでは、できる限り自然な表現方法を取るように心がけますが、それでも、その人の持ち味(個性)や、語ること自体の中に演技するという要素も入ってきます。そうでなければ、お話を自分自身のものにできないし、はなしーに命を吹き込むこともできません。ですから、私は、この「三層の優先順位」という考え方も、ストーリーテリングでも当てはまると思います。

 いずれにしても、私は、ストーリーテリングも落語もまだまだ勉強が足りません。しかし、どちらも大好きですので、双方の違いと共通点は、今後もよくみていきたいと思います。
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コメント


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初コメです!

初めてコメントしましたo(〃^▽^〃)o
更新楽しみにしてまーす(。・w・。 )
またみにきますね♪

運命 | URL | 2008年11月16日(Sun)16:05 [EDIT]


はじめまして

はじめまして。昔話や絵本に興味がある三つのオレンジです。
ラプンツェルを検索していて こちらに来ました。
ストーリーテリングの記事が とても勉強になっています。
今日は市立図書館に行き、ポール・ゼリンスキーの『RAPUNZUEL』を捜したのですが、見つかりませんでした。
絵本雑誌で表紙だけ見ました。

三つのオレンジ | URL | 2008年11月22日(Sat)19:25 [EDIT]


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